心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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やれ、愛だの言葉だの細身の馬面が好き勝手に書き喚いているけども、一番好きな広告はけっこうビジュアルありきだったりする。

「あの頃の青を探して。」

世の中で僕が1番に好きなキャッチコピーです。こちらです。

「あの頃の青を探して」の画像検索結果

何と言うかたった10文字、このちょっと添える感じ。「前、開いてますよ」みたいなさりげなく添える感じにハッとする。ばーんと視界に飛び込んでくる青に圧倒された後のシメが利いていて好きなのだ。もちろん、ここにも原体験がある。

 

Twitterを始めて丸7年のお知らせが届いた。知らせてくれた青い鳥の存在を始めに知らせてくれたのは幼馴染のてっちゃんで、教えてもらって大学1年の夏からつぶやき始めた。その時僕は、所属するお笑いサークルの夏の伝統、全国の病院を回る巡業中であった。と言っても普通の漫才なんかじゃウケないから(ツッコミではたいたりすると「なんでたたくのよ!あの子悪くないでしょ!」とトラウマを持ったおばあちゃん患者さんが発狂しちゃったり)、甚平着てピコピコハンマーを持って分かりやすいネタをやる。ネタをやっては観光して、美味いもん食って、ネタをやっての繰り返し。6,7人で、車1台で、当時は九州を1周していた。

たしか最初のつぶやきは

「山の斜面は転がるためにあるなう」

みたいなことを呟いた気がする。

 

水辺を見れば服着たまま飛び込む。芝生があれば転がる。フリとオチの何たるかと、ポコチンの面白さを教えてもらう旅である。それまで野球しかやってなかった田舎の高校生が、東京の大学生になり、まだ入会して3ヶ月も経たないようなコミュニティの人たちと2週間寝食を共にする、軽い絶望とわくわく。

親以外の運転がそもそも初めて。皆さんそういうのありましたよね?あの心細さ。これ、この人がハンドルをえいってやったら僕らすぐ死ぬなっていう変な興味、好奇心。

道中は、奥田民生を聞く。「井上陽水奥田民生だぜ?PUFFYが良くないわけがないんだよ、なぁ!」って先輩がイッチョ前に語ってる。それまで(恥ずかしながら田舎の高校生はみんなそう)EXILEを聞きかじる程度だった僕には衝撃的なかっこよさ。温泉に行く。コインランドリーを使う。これまでじゃ想像できないほどの自由な旅、暑い熱い九州の夏。先述の先輩は「これオシャレじゃない?」ってなぜだか後半1週間、体拭いたバスタオルを日中、首に巻いて行動し始めたので真夏、想像を絶する異臭だったけど、今じゃいい思い出。巡業から戻ってすぐ僕は、その先輩を敬うのをやめて呼び捨てにすることに決めた。多少のおひねりもいただき、ご厚意に甘えて宿泊までさせていただく夏の夜の病院のヒンヤリ。

1日1日が衝撃的だったあの夏の不安と緊張と、なによりそれ以上の自由。

「あの頃の青を探して。」はいつだってあの夏の、九州の田舎道を思い出させてくれる。

 

そういやSMAPの「freebird」のPVがとても好きなんだけど、それも相通ずるものがあると思っていて。最初にしんごちゃんとつよぽんの雑談から始まる。

香取「自由になりたい。自由になる怖さもあるけど、正直そんなことよりも自由になりてぇ」

草薙「それ以上のことないのかもしれないな、そしたら。なんなんだろね。」

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今年、1人でドイツ行ったりしてみたけど、多分僕はずっと「あの頃の青を探して」いる。

 

さて、思い出に浸っていても仕方ない。湿った夏は静かに通りすぎる。

最近、あらためてこれすごいコピーだなってのがあって25歳の夏に書き記しておくことにする。

 

首都高速道路

「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」

 

よく、いいコピーの条件で「発見」があるかどうかだと言われている。

たしかにそうだよね、って気づかせてくれるこのコピーは、ただの安全推進のコピーとは思えない、もっと大きな人間観がある。やれ、デジタルだSNSだと言われる昨今、人間中心設計がとても求められる。人間、腹が減ったらむしゃくしゃするし、ありがとうって言われたらそれだけでちょっと生きてける。そんな人間の本質に、ただの高速道路の広告が迫ろうとしてる。

地元に帰ったときに同級生の結婚や離婚を聞いたり。同期が退職して別々の道に進んだり。僕自身グループ会社に出向したり。ネンシュウとかキャリアとか、実家に帰れば「アンタカノジョトカイナイノ?」っていう、全部カタカナで書きたくなるほど入ってこない母さんの嘆きとか。「みんな違って、みんないい」の無責任さもいいけど「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」の方が入ってくる気がする。

「サーネ」なんて答えて、白のパーンダーをどれでも全部並べーてー♪と歌ってる。

 

「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」ってつぶやいてみて、じゃ自分のゴールはどこなんだろうってのに今、とっても興味を持っている。わくわくしてる。

そうそう、「自由だ。変えよう。」って、ソニーが不振のPC事業を事業譲渡するとき、譲渡された側のVAIOが独立したときの広告そのボディコピーに胸が熱くなって、あれすげぇかっこいいからぜひ読んでみてちょ。

「バイオ 自由だ」の画像検索結果

どうやら僕は年々広告を好きになっていってるみたいで、引き続きどうぞよろしく。

 

最後、ちょうど残り3ヶ月で26になる自分に向けて、この夏を締めくくりたい。

メディアプランナー指南役さんが、それこそツイッターでよく仰っている「26歳覚醒説」を引用させていただく。

 

"人間は26歳の時になりたいと思った人間に最終的になれるという。26というと、大卒なら就職して4年目。そこで初めて人生でやりたいことが見えるらしい。だから就活で「やりたいことが分からない」と焦る必要はない。とりあえずどっかへ入って3年我慢。そこから。"

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♪クーマモロッ、テッテッテテー、テレーテレレー♪

 

何のことかわからないと思うけど、高校の親友とだけ通ずるくだりがある。会話の中に熊本というワードが出た時、誰からともなくメロディを歌いだすのだ。これ、文字にしても面白さは伝わらない、というか面白い可能性がそもそもクソ低いんだけど、「約束の日、阿蘇カントリーゴールド」ってヒント出すとあーねってなるそこのあなた、熊本の人ですね?分かります。あーねって関東の人言わんとたいだけんね、ですばい。どがしこ〜!

東京8年目にして、方言がぐちゃぐちゃになりつつある。

 

♪カッ、ドリー、ドーミニオン、みんなー地球の仲間たちさー♪しかり、

♪わがやはーいつものーマルキン食品♪しかり

♪鶴屋ららら、鶴屋ららら、鶴屋らららららーら、はーいはーいハイセンス、つ、る、や、チャン♪しかり。

いや、ハイセンスってすごい自己紹介だなってのは置いといて、ケンミンショーみたい、染み付いたメロディがある。もっと言うとメロディでなくても誰かの誕生日には「お誕生日おめでとうスナップー」が出てきそうになるから危ない。こないだ職場の上司に言っちゃいそうになったもん。今日は課長サン28歳の誕生日。おめでとう課長サン!てな具合に。言わなくてよかった。ボコボコにされてた。

 

基本的に年2回10日弱の帰省はいつも楽しみだ。やることのバリエーションはそんなになくって、パチンコばっかのCMを見て、祖父母に焼肉をたかって、近所の母校に壁当てをして、ピアノを弾いてるところを撮ってSNSにあげるくらいだ。書いてて悲しくなったけど、それもまたよい。幸せってそういうことじゃない?その合間合間に会いたい人に会いまくるのさ。

 

年を重ねるごとに熊本出身ってアイデンティティが大きくなる気がする。別にボシタ祭りとやらに参加したことはないし、いきなり団子のいきなりの意味も知らないのに、熊本出身の自分として認知されまくる。こりゃただごとじゃないぞ。

言ったら18までしかいなかったわけで、行動範囲は家と高校の間だけだ。もうちょっと広げたとて藤崎台球場ぐらいだし、あと呼び出されれば平気で駆け出して坂登っちゃうくらい当時あほみたいに好きだった彼女の家くらいだ。そりゃ、いきなり団子のいきなりの意味も知らなくて当然。僕は、熊本を、知らない。(ガーン)

 

そりゃ1度や2度、阿蘇の黒川温泉やら、天草あたりのサビキ釣りの経験はあるけども、熊本どこオススメ?って関東の人に聞かれても「江津湖いいですよ」くらいのことしか言えなくて情けない。お土産に買ってく陣太鼓も、毎回何これ?って言われて「あー、その、うまいやつです」って説明はうまくない情けない。

 

大学までいればそれはそれは変わったと思うのですよ。もしもボックスの僕は熊本をドライブしまくって天草でイルカと一緒にサーフィンをして(できない)阿蘇大自然の中ダンボール滑りをしている(できる)のだ。ねぇ、流れ星見たことある?って泊まれるファームランドもお手の物さ。中学高校の友人と草野球に勤しみ、当時ビビりまくってたヤンキーたちとも白岳の力を借りて楽しく暮らすのだ。そんなことを考えて現実の僕は、夕方のフライトを待っている。

ちょっと前に中学の友人のいのちゃんって顔まんまるの女の子が帰省のときにツイッターに呟いてて曰く「熊本の皆さん、気にかけてくださいね。」って。この温度感いいなって気に入ってる。「熊本に帰るから構ってね」とか「遊んでね」とか「飲み行くばい!」みたいな、いやお前何東京かぶれがスペシャルゲスト感出してんだよってなるけど、気にかけてねっていうさりげなさはいいなと思う。いざ、熊本!気にかけてくださいね。

 

というわけで16の朝までいる予定です。

ひとつ目玉企画として谷村くんと中嶋くんと球磨川でラフティングをする予定。雨だったら鍾乳洞に行くらしく、楽しみすぎて逆に馬刺しを吐いちゃいそうだ。ちょっと何言ってるかわかんない。

とは言え他には予定もなくパチンコのCMばっか見るお盆は避けたいので、ちょっと声をかけていきたいと。お前のブログおもしろいなって言ってくれた江藤んちのラーメン屋はいくこと。

みなさんよいお盆を。今思ったけどボン・ボヤージュってそういや、よい旅を的な意味らしいから、みなさん、ボン・お盆!

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かの有名なタモリさんはこんな言葉を残している。

「名言は好きです。でも、名言を言おうとする人は嫌いです。」

 

夏休みの始まりを告げる、引退の言葉だってさ。夏祭りの終わりを告げる、花火の帰り道だってさ。マイク向けられ、はいさぁ今です。人間ここでカッコイイこと言いたいナって時がある。そんな時出てくる言葉でカッコイイことなんてそうない、そうそうない。そんなもんだ、そんなもんだと思ってる。言葉なんて雑魚で無力で無意味で不足で、そういうことがあって、それはもう察する側、受け取る側との何度目かの共同作業で、愛しいじゃんか、愛しいじゃんかって思ってる。

 

小4、僕と同じタイミングでこの町に越してきたアッキーは、ワードチョイスが目新しくてすぐに仲良くなった。彼の情報ソースは塾の先生だったり、ちょっぴり大人のマンガだったり、少しマセてたのがよかった。『こないださ、家族で外食しててさ、「絶妙ですねぇ」って言おうとして間違って「微妙ですねぇ」って言っちゃったよ。』みたいな味わい深いトークで笑いを取ってくるやつ。保護者たちが指差しながら〇〇君可笑しいよね~って笑うそういうやつ。今の僕なら、そのオチ「軽妙ですねぇ」って被せたりするのかな。

当時の僕の愛読書が『ズッコケ三人組』だったのに対して、彼は『ダレン・シャン』読んでたのカッコよかったし、もっと言うと『ミッケ!』だったのもとても憧れた。あの世界的なさがしっこ絵本『ミッケ!』の出題文の温度感と距離感が僕はとても好きだった。千原ジュニア師匠もエッセイの中で「人間のコミュニケーションはすべて距離感である」的なことを仰ってる。キョリカン。命令口調なんだけど、温かみのあると言うか。

「まず ふんすいは すぐ みつかるね。

うまが 5とう。きつね。
がちょう。しまりす。
ひつじ。いぬ。
おおきな つのの へらじか。」

みたいな。んでこれ、調べたら、翻訳ナント糸井重里さんだったのかよ!鳥肌が立った。知らなかった。『ミッケ!』というタイトル訳も糸井さんで、人間のゲンタイケンの強烈さを改めてまた1つ味わう。

 

話を戻す。

僕と親友アッキーと、親友トモティ―で「キューピー」という遊びを作った。

自由帳にマス目を引いて、陣地を作って、山とか障害物を置いて、攻撃はじゃんけんでダメージを食らわせる。それぞれキャラクターがいて、1ターンに2マス進めることができる通称「2マス君」や、爆弾を仕掛けることができる「じらい君」、弓で遠隔から攻撃ができる「弓君」、障害物を飛んで超えることができる「とべる君」など。将棋のような各キャラのルール設定をアッキーが行い、キャラクターデザインは僕が担当する。そういう遊びを作るのがアッキーはとてもうまかった。知的なガキだった。仕掛ける側だった。ヒットコンテンツメーカーだった。

ちなみにこのゲームがなぜ「キューピー」かと言うと、当時親父から教えてもらった「誰かのお尻に穴あいて~♪」という、あまりに衝撃的な歌詞から始まり、最終的にキューピーの偽物みたいなのが出来上がるという絵描き歌に僕がドはまりして、教科書やノートのいたるところにそのキューピーの偽物を書きまくっていたからである。お尻に穴があくってなんだよ。もうとっくにあいてるよ。キューピーは1つの休み時間では到底終わらない、長考ゲームになった。残念ながらドッジボールに比べてものすごく地味ゆえ不人気で、ナガタとオカザキしかプレイヤーが増えなかったけど。

 

そんなこんなで、新しい友人アッキーに影響をうけまくっていた僕に11月、さぁ誕生日がやってきた。もう、ワクワクである。このアッキーという男は一体僕に何を仕掛けてきてくれるんだろう、と。我ながらやらしいガキだ。祝われる側の表情を研究しているような相変わらずやらしいガキだ。

 

誕生日カードをもらった。手作り、かつ開くと飛び出してくる立体型の、実に手の凝った誕生日カード。開くといくつか手書きのキャラクター、そうキューピーたちだ。なになに、右端に文字が書いてある。

「まずキューピー5体はすぐみつかるね。

じらいは恥ずかしがり。

あくびをしている弓はどこ?」

 

、、、最高だ。

むちゃくちゃ楽しいバースデーカードをいただいた。心がハシャグとはこのこと。夢中で謎を解き進めた。ミッケ!見つかったのはキューピーたちだけどそれだけじゃない。きっと彼が見つけたものは僕の心だったのかもしれません。いや、まぁそれは今取って付けた嘘ですごめん。

 

全問解き終えて一通り楽しんだ後、改めて立体で飛び出した90度の裏側を覗いてみる。おいおい何やら文字が見えるではないか。一旦開いてまずはミッケに夢中にさせておいて、最後にお祝いメッセージを残してるとは、いくら何でもこの子、粋すぎやしないかい。

ハヤル気持ちを押さえて、声に出して読んでみる。

 

「ブリブーめでとう。」

 

は???????

 

はい??????

 

「ブリブーめでとう。」

 

なんじゃい!である。もう、なんじゃい!である。

それホントに伝えたかったの?今じゃなきゃダメかな?強烈な肩透かし。意味のない日本語。急角度のブリブー。理解が追い付かなかった。言葉にできなかった。

「ブリブーめでとう。」

 

余談だけどアッキーはその後、いわゆるアタマが良すぎてぶっ飛んじゃって。のちに中3になって、久しぶりに近所のブックオフで再会した時には、俺こないだチャリンコで4日かけて九州を飛び出しちゃったよ、へへって言ってた。神社とかで野宿をしてたらしい。そう、彼とブックオフで再会したあの日も、今日みたいに暑い暑い夏の日だったことを思い出す。彼は今たしか、三重のほうで神主さんをしているらしい。改めて、会いたくなった。楽しませてもらったんだもの。今度はこっちがミッケ!なのかもしれない。いや、今のはいいでしょうよちょっとくらいさ。

 

「ブリブーめでとう」

「ブリブーめでとう」

そんなもんだ。そんなもんだって思ってる。

愛しいじゃんか。愛しいじゃんかって思ってる。

 

そんなこと考えながら、お昼にモメてしまったお客さんへのお詫びメールを作るのだ。言葉って難しい。上手く伝わらない。できるだけ胸の真ん中目指して丁寧にあがき続けるのだ。

 

えー、このたびは私のご説明に不足点がございまして大変失礼いたし、いや。

ブリブー失礼しました。

 

おしまい。

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花に嵐のたとえもあるさ

さよならだけが人生だ

 

別れの季節がいつだって春とは限らない。

会社の同期が辞めるらしい。さばさばしてなにも考えてないように見えてわりとものすごくウェッティ人間なので、日に日にとっても寂しくなっている。一期一会の後悔先に立たず。夏なら夏で、波音に合わせて、心の中に溺れようと思う。

 

そもそも同期ってのは不思議な存在だ。お金儲けを共にする人だ。共犯者。連帯責任。運命共同体。友達以上恋人未満みたいな上下にラインがあっても、同期ってどこにも収まりきらず。ある意味恋人にも見せない恥ずかしい失態を見せてるし、ある時親友にも見せないかっちょいい成功を見せてるし。

 

やれ僕が、「20代なんてよい30代を過ごすための予行演習だ」なんて達観を気取ったとしても、日々の業務で明暗は分かれ、社会人1、2年目の頃なんて雲泥の泥まみれ。何一つパッとしていなかった。その時々での楽しいを諸先輩方に提供いただいていたものの、人と比べると劣ってるとこしか目につかず鼻につく。

 

今期2000本安打を達成した青木選手が言ってたけど「これがなければ心が折れてた、というヒットもあった」ってこれ仕事でもなんでもあると思う共感する。ちょっとしたきっかけに救われ、ほんのちょっとの会話に勇気をもらう。そういうことがこの世には多い。多すぎるくらいだ。もっとドライであることを覚悟したほうがいいよなんて後輩に偉そうな口を叩くくせに、ものすごく僕ウエッティだから、わりとすぐ心がふやける。とにかく3年目の始めくらいまで何一ついいところはなく、コンプレックスを名刺入れに、劣等感をスーツの上着に丸めて過ごしていた。今もそうだけど、何も成し遂げちゃいなかった。

 

そんな時、いつも声をかけてくれるやつだった。とにかくいわゆるいいやつだった。顔暗いぞと彼女に何回か言われた。実際に飯にも連れ出してもらった。別に愚痴を吐きたいわけじゃない。僕なりにプライドだってある。そんな不安定なメンドイ君に、その人すごい明るかった。明るくしてくれた。名は体をあらわすってのはこの人のことで、まさに朝の海のような気持ちいい人だった。この一言、こやつの笑顔がなければ、僕の心はあっさりぽっきり折れていた。折れなかったから言えるけど、あの時実はもうダメで、がたくさんある。

彼女だってそれはそれは理不尽なこともあったと思う。辞める原因もなんとなく察する。僕みたいな下っ端にはどうしようもないことが多いから、サラリーマンの皆さんは上を目指すのでしょうか。

 

結局。

気にかけるって、とんでもないことだ。できない。直属の部下にだってできないことを、さらっとやってのけるのは同期の不思議。世界ふしぎ発見

大人気漫画『金色のガッシュ!』(ガッシュ・ベルはアニメ版である)で、ガッシュの双子の兄ゼオンが最後魔界に帰る時に涙を流す。その時清麿やガッシュを思い浮かべて「そうか、俺はあいつらに愛を受けていた」と言葉にする。

失って初めてってのがこの世には多すぎる。言葉に出来ない思いがこの世には多すぎる。くくっちゃうと愛さ。ひとまとめにすると愛ね。君と僕の会話を全角キー半角キー、コピーアンドペーストして名前をつけて保存して愛です。シフトとコントロールと矢印で僕らはどこへでもいける。また近いうちに会えたらと願う。

 

『愛は光』というNegiccoの新曲がむちゃくちゃいい。愛を受けて光り輝く。ファンの惜しみない愛を受けて光り輝く彼女たちもまたファンを想って歌う。こんなきれいな光はない。こんなに消えない光はない。一ファンとしてありがとうが尽きない。会えなくたってそう思う。

さて問題。新幹線、「こだま」より「ひかり」より速いのは何か?そう、「のぞみ」である。音よりも光よりも、想いは最も早く届く。愛なんて言葉で形容したら同期にはドン引かれるって目に見えているけど、離れてても、どこにいても、社会人1、2年目のうんこちんちんを救ってくれた人への恩を、僕は一生忘れない。飯誘ってくれてありがとう。顔暗いよと声かけてくれてありがとう。プライベートでやってる音楽活動、あれ何度聴いても超いい曲だから世に出てよね。友達自慢は大の得意さ。

「この世は通り過ぎるだけだから」って、いつか鬼太郎の生みの親、水木しげるサンが言っていた。会社だって社会だって際立ってそうだ。ビジネスの9割は理論で数字で効率だからこそ、1割の義理と人情と恩返しを忘れずに。

 

花に嵐のたとえもあるさ

さよならだけが人生だ

 

散々な僕のしみったれた「またね」を、きしょいな、金払え、大袈裟すぎじゃい!と笑う姿に、僕はまた少し泣いた。

276

「異論は認めるけど聞く耳を持たない。」

 

ギョーカイの先駆者、指南役さんがよく仰るこの言葉のやさしさに救われ、意見を言うことは怖くなんてないさ、望む未来に小枠なんてないさ。

会社人間、社会人。「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」もそうだし、

25歳、かっこつけたい年頃。「わたしが一番きれいだったとき 」も、そう。国語の教科書が後から効いてくる、茨木のり子先生が後から聞いてくる。

好きなものを発信し続ける人がますます活躍していく世の中だ。最近中川翔子さんのTwitterが大好きで、ほんとずっと溢れるくらい幸せでいてほしい。

 

3つ下、1年目と話すと、石の上にも3年が、光陰矢の如し。つまりは「石の上にも三年で頑張ります」と皆口を揃え耳を揃えるのだけど、それを聞いてあたしゃもうその範疇にないのね、4年目のアウトオブ範疇。

「9-18時に集中すること。分からないことを調べて知ること。3年間を振り返って活かすこと。」先日、とある経営者と話す機会があって、シンプルなお知恵をいただくありがたさ。社会人の基礎がちゃんとできているのか分からないけど、3年、5年、10年の理論は信じていて、ならば貴様どんな5年を過ごそうか。手前に言われなくても、見えない時は好きなことを探して、その延長で繋がったらいい。やぁまた会ったねって出会えればいい。

 

たらみのゼリーが一番うまい。異論は認めるけど聞く耳は持たない。

aikoで一番乙女心が詰まった曲は『くちびる』だ。異論は認めるけど聞く耳は持たない。

Mr.Childrenで一番元気になる曲は『優しい歌』。異論は認めるけど聞く耳は持たない。

とろろ蕎麦の食べ方にそいつの生き様やかっこよさが出るもんさ。異論は認めるけど聞く耳は持たない。

好きなタイプは元カノです。異論は認めるけど聞く耳は持たない。

275

久しぶりにやっときます?いつもの。

問題.

「大事だ」とか「気にかけている」を伝えなさい。

ただし、「好き」や「愛してる」を使わないものとする。

 

これね、前も言ったかもしんないですけど僕(25歳8か月)の答え、

「お茶つごっか?」で、お願いします。

 

想像しましょうまず、一緒に食卓を囲んでること。このクソ忙しい現代のシャカイ人それでも、ご飯を共にするっていう最初の関門。何を食べるかどこで食べるかより美味しさを左右するのって、誰と食べるかですよね。

で、その時、空いたコップに気付くこと。

そう、注文じゃないんです。もちろんその人の好きな飲み物を知っておいて、ビール2杯の次はハイボールだからすみませんハイボールでって言うのもいいんですけど、何と言うかそこまでは背負い込みすぎと言うか。こっちが疲れちゃう「おもてなし」って続かなくないですか?差別は大事ですけど。特別は大切なんですけど。

実は案外、自分のを注ぐついでについで、ぐらいの感覚なんですよね備え付けの水差し。お、つごっか?みたいな割と簡単な。

 

質問系で言うと、髪切った?もいいんですけど、やっぱ少し抵抗があるなって。違ったらどうしようとか。そんなに気に入ってなかったらどうしようとか。お茶よりプライベーターじゃないですか。

それで言うとネイル変えた?なんてのはザ、プライベティストですよ。ないわそんな比較級。

 

で、なんですかそっちの答え。言わないのナシですよ。まさか解なしって、まさか甲斐なしですよ。

「昨日何食べた?」ですか?ほうほう。

確かに気にかけてますよね。自然な会話ですし。そこに興味を持ってくれてるんだっていう。やっぱご飯の話、強いですね。

ただどうですかね?あ、ニンニク食べたの分かっちゃった?みたいになりそうですけどね。その緩みもなんかいいんですかね。

 

別候補「ちょっと1駅歩かない?」ですか?

それはどうでしょう、やや自分本位な気がしません?相手の子、せっかく張り切ってヒールの高い靴かもしんないですし、言う勇気は自分にはないなぁ。それは付き合って、忙しくてたまにしか会えない時に使いたいかもですね。君の駅まで送ってくからさ、ちょっと1駅歩こうよって2人だけの時間。星とか月とか眺めて。うまく見えない夜なら、好きな花の名前とか、人んちの帰ってきたパパと子どものお風呂の匂いとか。

あ、今、なんかわかった気がします。感動とか、いや感動って言うほど大きくなくていいんですけど、きれいだなとか美味しいなとか、心の+方面への動きを、互いに共有できればいいなぁって。

ああ、そんでなんかわかった気がします。前聞いたんです。永六輔さんが、小6女子から「好きな人に告白する言葉を教えて」って質問が来た時に、

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言葉は一番大切です。

でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには、「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」、「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。

例えば、「いただきます」とか元気な声で言っていると、それだけで「あの子いただきますって言ってるな。きっといい子なんだろうな」と思うじゃないですか。「あなたがすき」ですとか、「キミを僕のものにしたい」とか、「世界のどこかで待ってる」とか、そういうのはあんまり効果がありません。

「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。

だから、「好きです、嫌いです」という言葉ではなく、いい言葉を使っている子は好きになれる。

「あの人ならこの言葉は好きだろうな」と思った言葉を何気なく使っているときの方がドキンとします。「あなたが好きです」というのは最悪な言葉です。

だから、いっしょの環境にいるときに同じ感動をする場面に出来るだけいっしょにいる。

スポーツの応援でもいいです。そうすると、使いあっている同じ言葉にドキンとすることがあって、それが愛なんです。

自分でいうのもおかしいけど、ひとりでご飯を食べてておいしいことないです。ひとりで野菜を食べているときは本当にさみしい。やっぱり家族、好きな人といっしょのほうがいい。

二人っきり、まずはふたりになること。きれいな言葉を使いあうこと、きれいなことに感動すること、ふたりで声をそろえて感動してください。

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って。すみません。長いですよね。すみません。

昔聞いた時は、いやそんなんでうまくいくならananのsex特集いらねぇだろって、腹立ってたんですけど違いますかね。いや、なんでもないです。そもそも読んだことないです。

 

本繋がりで話変わりますけど、こないだ『愛の訳し方』って本見つけたんです。紀伊国屋、面陳でしたよ売れてるんでしょうね。読みながら思ったんですけど、「好き」の2文字に任せきるの、これやっぱすげぇもったいないですよね。心もとないと言うか心ここにあらずと言うか。

近しいとこで、『世界は言葉でできている』ってフジテレビの番組があったの知ってます?その中で「I LOVE YOU.」を訳してくださいって問題、もうまさに。バカリズムさんの「おやすみなさい。」がよかったなー。でもって、若林さんの「コンビニ寄るけどなんか要るものある?」も、すごい近いなって。

 

すいません、ちょっとお茶飲んでいいですか?あ、要ります?

はいこれです、どうよ?え、全然?むっずー。

 

そうそう、好きな動画があるんですよ、もう何て言うか自分の人生を変えたみたいな。

www.youtube.com

知ってます?トリビアの種。この動画をオンタイムで当時中学生ですかね?見てうおおってなってました。言葉スゲェって、1つのきっかけになってる気がします。

ちょっと自分語りしていいですか?すみません。

 

僕、小学校で図書委員やってました。ズッコケ三人組を全巻読み終えた後、低学年の列をバーコードリーダーで捌きながら、片手で世界の名言集を読み漁って。そんなマセガキが中学でお笑いにハマってって、高校大学でさらにオモシロい人に出会って無意識のうちに感度が上がってって。

でね、シャカイ人4年目に差し掛かって、これまた聞いた話ばっかで恐縮なんですけど今、仕事でご一緒している方がこう教えてくれたんです。

「言葉は刺激物、読後感こそ作品。」って。

このたった15文字のそれこそ読後感が、すでに自分の人生のなにか1つの指標になってる気がしてるんです。

 

でですね。でですね。ちょっと酔ってきましたけど。そうなんです最近お茶で酔っぱらえるんですよ。自分の中で最近ぐるぐる回ってる文章がありまして、田中泰延さんっていうとんでもない物書きの方が映画『ラ・ラ・ランド』を評したとんでもない長い文章があってその最後のほうでこう書いてらっしゃるんですよ。

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一回しか生きられない我々の人生での究極の体験は、出会うこと、恋をすること、だと思うんです。別の人生を、受け取ること。
一回しか生きられない我々の人生への究極の反撃は、表現すること、創作すること、だと思うんです。別の人生を、生きること。

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そしてこう続く。リンク送っとくんで暇なとき読んでみてください。

ラ・ラ・ランド【連載】田中泰延のエンタメ新党 | 田中泰延 | 街角のクリエイティブ

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その一回性の中で、恋に賭ける生命と、表現に賭ける生命を、両方が渾然となった形で、あの響いて消えてしまう空気の振動、つまり音楽と、あの大気に弧を描いて消えてしまう軌跡、つまり踊りで観せつけられたら、そら、泣きまっせ。

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この文章を読んだとき、いっつも感動しながら少し、絶望するんです。それは自分は、圧倒的に人生で体験していないなんじゃないかって。読書量とか映画を観た量とか、コンプレックスとの向き合い方とか思考量とかが足りてなくて、猛烈に悔しくなるんです。いや分かってますよ。別に、創作物を世の中に送り出しているお仕事ではないんです。が、言葉を使って日々誰かに何かを伝えている人間として、何をも成し遂げていないことが突き刺さってくる感じありません?生きがいってなんですか?って後輩に愚直に相談されたときに初めて、俺実は目をつむって見ないようにしてきたものがありやしないかって。

一回凹んでまた膨らんで、こうなったら経験したことを書くしかない、伝えてくしかないって思うんです。あれです、あれ。星野源曰く「才能がないから続けてくんだ。」ってやつ。吉田兼好曰く「これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一つとしてない。」ってやつ。

 

すみません、ぼちぼちお会計しましょう。明日も早いですしね。

 

そうそう、こないだスヌーピーミュージアムに行ってきたんですけど良かったですよ。生みの親チャールズ・M・シュルツがですね、高校の授業ぶりに名前聞きましたよ「ピーナッツ」の登場人物についてこう言ってました。

「クリエイティブなことをする人間は、だれもが作品に自分自身を注ぎ込む必要がある。登場人物のだれもが、どこかわたしなのだと思う。ルーシーが口にするような厭味は、わたし自身が同じように厭味な人間でなければ思いつけないし、わたしにはチャーリー・ブラウンのようなところがたくさんある。いや、チャーリー・ブラウンにはわたしのようなところがたくさんあると言ってもいいな」って。

 

冒頭の問いもそうですし、こんだけ手垢のついた世界で、先人の発見の数々に畏れを持ちながら、自分が感じて経験して蓄えた都度の感情と表現を、発信していくしかないんだなーと。これからがんばりますよ。いやぁ今週は特に疲れましたねすみませんでした。

はい、おやすみなさい!

あ、ちょっと1駅歩きます?絶対やですけど。へへへ。

 

※この発言は個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません。

って一度言ってみたかったやつです。へへへ。

274

「なんのために生まれてなにをして生きるのか」「なにが君のしあわせなにをして喜ぶ」アンパンマンの歌詞が刺さる染みる25歳の、梅雨入りしたのに降りそうで降らない6月の、起きるでも寝るでもなくぼんやり過ごす日曜日。

別に闇期でも病み期(笑)でもないから心配はご無用で、静かに滔々と日頃を綴る。ネアカなのは間違いないからネアカ全国選手権に参加する権利はあるんだけど、かなりネクラに近いネアカなので、間違いなく一回戦敗退だ。ネアカ集団の中で最もネクラなのが自分だ。

 

人間、久しく恋をしていないと、炊きたての米とか愛ではじめる。

最近振られていないのは別に実ってるわけでなく、ちゃんと告白すらしてないなって土俵に立ってなかったのか、そもそも立たせてもらえなかったのか。いやー男として見られてないんだよなーなんて仲いい女の子に聞いてみたら「女子の言う『男を感じない』は結構な割合で『私のこと女の子として見てくれてないでしょ!』が含まれてるよ」って丁寧に教えて励ましてくれたんだけど、あれおかしいな申し訳ないくらい見てるんだけどな。春先も初夏も中秋も真冬も全部うわーいってガン見させていただいておりますですが。ちなみにその仲いい女の子は「谷間で寄ってきた人は、またすぐ別の谷間に行く」って言ってて、ほうほうなるほど、これからの季節のファッションのヒントにしたいと思います。

 

この辺のやりとりのこっぱずかしさがとても苦手で、例えば誘ったり口説いたりする時、自分の下心には十分気づいてて相手にこれバレてたら死ぬほど恥ずかしいし、相手も気づいたら引いちゃうかもなーって分かってるからええい、いっそ「好きだけど飯いかない?」なんて言っちゃうと、それはそれで野暮で無粋でロマンがなくてルール違反でってもうさぁ!

どっかで何かで見たけど、「好意」とだけ書かれた紙を持ってそれを果たし状みたいに渡したい。そんな気分だ。

恋愛学という講義で学内1位を納めたのなんて過去のエイコウ、お酒のツマミ。人間の原始的なホルモンの話から、集団社会の心理学まで、SPA先生を年間購読したくらいの知識に落ち着くおちちつつく。

通算3年目のやついフェスはゲッターズ飯田さんが、占う女性にずっと正論言ってていやはやベストアクトだった。いや、PUFFYのキラーチューンに泣きそうになったから、こっちがベストアクトかな。筋肉少女帯の生ダメ人間に踊ったし、ゆけむりDJsの皆さんに御礼申し上げます。アイドルネッサンスの皆さんの思春期を爆発させたような、それでいてすれていないエネルギーに勇気をもらったし、ぱいぱいでか美さんはぱいぱいがでかかったけど普通にいい歌声だった。そしてそれ以上に爆乳ヤンキーが爆乳だった。そんな中で、Negiccoは相変わらず超いい表情してた。かえぽのステージ上の笑顔はたまらないのです。常に心のどこかに置いておきたいのです。ぽんちゃの髪トゥルットゥル。なおちゃんは真っ赤なほっぺたと額の汗にきゅんときました。ベストアルバム買おう。財布の紐まで笑ってる。

 2年前付き合ってた人がお笑いとか音楽が好きで、初めて連れられたやついフェスでNegiccoに一目惚れしてファンになって。結局その子とはそのあとすぐ別れちゃったんだけどこうして今、3年目のやついフェスに向かってると、人って影響されて生きてんなぁって思う。

その点で、影響とか作用とか考えながら冒頭のアンパンマンへの問いに答えると、話したり関わったりした人の心地いい読後感みたいなものを作っていきたい。これ、25歳7ヶ月時点の将来の夢。

マーク亭ザッカーバーグ師匠は目的意識こそ世界を変えるってスピーチ(つかみのジョークばっちり)をかましてたけど、人間そこまでやりたいことあるやついないよって前に上司に言われて、それがある意味自分の赦しになってる助かってる。稀代の起業家みたいなものにはなれないけれど、周囲数メートルを心地よくできるような。手触り感のある好きとか幸せとかそこいらから伝えていければと思う。僕がネアカであることはこの辺が証明してる。好きなアイドルが突然ケッコンを発表したとしても、びっくりしながら「おめざいます!」って言っちゃうと思う。僕がネアカであることはこの辺が証明してる。