心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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四番 ピッチャー 大谷。

恐らく日本最後の登板を完封で締めた彼の活躍を、「漫画みたい」って形容する朝のニュースを聞きながら、昔、僕らのチームにも四番ピッチャーがいたことを思い出す。

めっきり涼しくなってクールビズはおしまい。ネクタイ締めて気持ちも引き締めサラリーマン。電車に揺られながらさっきの続き、そういや小学校の頃の僕らは最強だったなと思う。それこそ「漫画みたい」に勝ち続けて、熊本市内を制覇したっけな。

 

名作野球漫画『キャプテン』の、三代目キャプテンイガラシ君はこんなことを言っている。全国制覇を目指して、鬼のようにきつい合宿を部員に強いて、それこそ「漫画みたい」(漫画なのだが)剣道の防具をつけさせ至近距離からノックを受けさせたり。当然、新入生はへろんへろん。それでも、イガラシの弟ほか残ったメンバーはシャワーを浴びながら、草野球時代に優勝したっけなと思い出話をしているシーン。1年生の会話を聞いたイガラシは、どうして目を輝かせながら言う。

「そうそう脱落するはずはない。たとえ草野球だ地区対抗だとはいえ、優勝をした喜びを知っているやつらだからな。」

自分自身の仕事を振り返ってみて、久しく優勝から遠ざかっている。「勝ちたい」欲求を呼び起こすため、少し思い出してみる。

 

小4で熊本へ引っ越したタイミングで、友人ウッディに誘われて野球部に入った。ウッディはものすごい面倒見のいいやつで、引っ越してすぐの僕を雷魚釣りに連れ出してくれたりした。それまで基本的に、喘息持ちですぐ死にそうになっていた虚弱ボーイだったため、両親は野球を始めることに猛反対。母親は本気で合唱部をすすめてきたし、一方、父親はニヤニヤしながら「緑の少年団」(通称みどしょう)をすすめてきた。

どうも、校内の木々や植物が異常に多い小学校だったので、「緑の少年団」というドラえもんの映画タイトルみたいな心優しい部活があったのだ。何やってるかはイマイチ分からないんだけど、ドラえもん のび太と緑の少年団。というフィット感だけは分かる。のちに、みどしょうにはみっちゃんとマツフジ君という優しい2人組が入部した。みっちゃんはぽっちゃりしていて声が高くて語調が女々しいやさしい男の子で、マツフジ君は、スナイパーに銃口を向けられて言葉を発したとたん射殺される設定なのかってくらい、一言も発さない静かでやさしい男の子。余談だけど大人になって、インスタに現れるみっちゃんはそれはそれは男前になられて、地元熊本でお洒落雑貨屋さんをやってるっぽい。人間、分からないものだ。今度お店にお邪魔することがあったら、男性ホルモンの目覚めはいつだったか聞いてみたい。

 

話を戻そう。

体が弱いとは言え、物心ついた頃よりホークスファンで、団地の空き地でプラスチックバットを振り回していたし、みどしょうと野球部を天秤にかけたら答えは明確だったので迷わず野球部に入部。

そして僕らの代は、あほみたいに野球の上手いドリームチームだった。

あまりに野球が上手すぎる子たちだったので、信じらんないけど1~8番までライト以外のメンバーを固定。残った7人くらいで9番ライトをかけてレギュラー争いをするという、金持ちの道楽みたいなサドンデスが繰り広げられていた。ある意味、楽しさ優先の少年野球の概念からは大きく外れるんだけど、不平不満が出ることはないくらいのレベル差はちびっ子ながらよく分かっていたし、あとはやっぱり、チームが勝つのが何より最高に楽しかったんだ。僕なんかはベンチの盛り上げ役に徹して、毎試合声がガラガラになるまで応援した。監督さんや保護者がちゃんと見ていてくれたのが、子ども心に嬉しかった。

 

オーダーを発表しよう。

一番サードりゅうた。一番神風特攻隊長りゅうた~♪という、今の時代、問題にならないわけがない応援歌。俊足巧打、引っ張ったときの打球が早い早い。エラーするたびによく泣いてたっけ。高校時代、地元メディアから安打製造機と呼ばれるまでに成長する。

二番セカンドおが。とにかくいやらしい。ストライクゾーンがくそほど狭い小柄なバントの名人。バントの構えでバットをぐるぐるさせるんだけど、相手投手が胃潰瘍になりそうなくらいストレスフル。セーフティもバスターもエンドランも、センスが異常。

三番ショートヨッシー。この人くそほどイケメン。堅実なバッティングと華麗な守備。髪の長さの制約がない少年野球で、他チームから女子と思われることもあった。

そして、我らが四番ピッチャーまさお。体が人一倍大きく、投げては快速、豪快に三振を取り、打ってはレフトスタンドへ見事な放物線。

りゅうたがライト前にはじき返して、おががセーフティバントを決め、ヨッシーがレフト前で満塁の後、まさおがホームラン。4人で4点取るような横綱野球だった。

五番ファースト川畑のセカンドゴロで、敵も味方も保護者も監督も、ようやく一息つく。川畑君は小中と同じユニフォームで野球をしたんだけど、幾度彼のセカンドゴロを見たことか。顔だけはライトスタンド。松井秀喜と同じく「ゴロキング」の異名を欲しいままにした。

六番キャッチャー翼。彼もまた僕らの精神的支柱だったし、眼鏡でキャッチャーだったのでなんか頭脳派っぽかったし、実際よく野球を知っていた。彼は主将も務めていたので、いわゆるキャプテン翼である。野球チームなのにややこしい。

多少打順の入れ替わりはあったけど、7番レフトウッディ、8番センターまことも、いとも簡単にヒットを放って塁上を駆け回る。下位打線とは思えない超強力打線。

そして、前述の通り、9番ライトを7人ぐらいが争う地獄絵図。恐らくひーぶー4割、僕3割、他もーちゃん、せっちゃん、じゅんき、まーぶーで3割くらいの割合だった気がする。途中入部の転入生すけもり君ですら9番ライトを競わされるのであった。

僕なんかは九州大会の初戦に使ってもらったものの、ライナーをバンザイしてしまったり、大事なところでことごとく役に立てない戦力だった気がする。神山監督、ご期待に沿えず大変恐れ入ります。何卒よろしくお願いいたします。

 

2003年熊日旗学童軟式野球大会で僕らは優勝した。これ、なんとびっくり元ソフトバンクホークス馬原選手たちが優勝した以来、母校の優勝となった。

決勝のスコアを残念ながら覚えていないんだけど、初回2点取られて裏にすぐ4点取って、からの多分13-7みたいなおもしろシーソーゲームだった気がする。僕はと言うと満塁で代打で出て、ガチガチに緊張した結果振り遅れて、ボヨヨーンって高く弾んだファーストへの内野ゴロ。けれどもどこにも投げられず、勝ち越しとなるタイムリー内野安打になった。翌朝の熊日新聞に、1打数1安打1打点って記されて、いい感じに仕上がった。祖父母が尋常じゃなく喜んでくれて、いまだに親戚の集まりで話題にしてくれるんだけど、あの夏から14年経ってる。活躍を更新できておらず大変恐れ入ります。何卒よろしくお願いいたします。

 

実家にあるメダルはほとんど小学校時代の野球部のもの。

中学では上手いやつらはみんなシニアに行っちゃったり、野球部に入ったやつもタバコ吸って退部になっちゃったり、人生いろいろだ。高校にあがって、まさか自分がピッチャーになってりゅうたや翼と対戦するとは、人生いろいろだ。相変わらず野球が上手い彼らに5割くらい打たれた気がする。なんだか嬉しい悔しさである。

 

僕がピッチャーをやりはじめたのは中学野球部で、上野先生にカーブならってちょっと覚醒したんだけど、思えばその前に少しきっかけがあって。

小学校野球を引退して冬。早くもシニア入りを考えてトレーニングを積むまさお、ヨッシー達の練習に混ぜてもらって、彼ら相手にバッティングピッチャーをやっていた。別にそれまでピッチャーをやったことなく、初めてのマウンドから元四番に胸を借りる、これすげぇ楽しかった。全球全力で投げて、全球痛烈に打たれた。打ち損じは打ったやつが、ヒット性の打球は打たれたやつが取りに行くルールだったんだけど、ん?おかしいな、いっつも僕が取りに走ってへろへろになってまた打たれてちょ待って無理チェンジコールドゲーム

これまた「漫画みたい」なんだけど、あまりに打たれすぎるからってまさおに左打席に立ってもらって思いっきり投げたら、左打席から託小のプールに放り込まれたこともあった。松井ですやん。ゴジラですやん。

四番ピッチャーの僕らのチームは、最高で九州ベスト8に輝いた。

のちに、まさおは神奈川大学野球連盟ベストナインに選ばれたりした。

僕の周りには、後々、売れてったり日本一になったりすごい人間がとっても多くって、友人自慢だけじゃ寂しいから、そろそろその流れに乗っていかないと、と凡人は焦るのである。

 

野球つながりで、1つ。

オリックス宮内オーナーが「キャンプは順調です。」と聞いて、こう指摘した。「昨年最下位だったチームが順調ということは今年もまた最下位ということだ」と。

サラリーマンの僕はと言うと持ち前の「やれてます感」が年々通用しなくなっていて。繰り返す日々に安定を求めて本気の出し方を忘れそうになるけど、ここは1つ、優勝した喜びを信じて思い出して燃え上がりたいところ。勝ってもないし、完敗してもない今は、あれこれまずくね?と凡人は焦るのである。

 

唯一の救いは、優勝する喜びを知っていること。そして、たとえ打たれたとしても、本気で投げた結果であればスッキリするって知っていること。

どちらも、「四番ピッチャー」が教えてくれたことである。

282

新しいこと始めるの、実は春でなく秋がいいんじゃない?って思ってる。

 

お気に入りの洋服がいつの間にかバザーに出されてて、望んでもなかった「おニュー」が勝手に押し寄せるみたいな春は、僕なんかついていくので精一杯。コミュニティの中でおもしろいを押さえにいくのに時間がかかる。先におもしろいを押さえられるとけっこうシャクだったりする。

それに対して、落ち着きを見せ、来季を見据え、企みにあける秋はいい。長い夜のお供にポケモン銀を始めてしまって、サイコキネシスの懐かしさ。なんにせよ涼しくなった秋の風はチャレンジングに跳びやすい。のでは。

 

結婚・出産以外のニュースをあげるのはおじさま達しかほぼいないFacebookのタイムラインに、こないだゼミの仲良しが転職のお知らせをあげていた。曰く、3年半勤めた銀行をやめて10月からNYで働きます、と。2017年正月に引いたおみくじの写メ(死語)を添えて。

ほへー、すごい行動力。福岡出身者の飛び出す精神はどいつもすごかね~なんて感心しながらその写メ(今の子で言うインスタ)のおみくじを読んでみる。

「運勢:変革の運気です。良い意味で変化がもたらされる運勢にあります。変わることによって運気も向上します。一時的に壁に突き当たることがあっても、それを破ることによって新しい境地が開けます。」

これ、書いた人は絶対そのつもりがなくっても、この一文をきっかけにして羽にして後押しにして、今まさに羽ばたこうとしている人がいっ

 

ん、これ、おみくじ小吉だ!!

 

久々にびびったぜ二度見。こういう背中を押してくれる系のおみくじの相場は大吉って決まってるのに、小吉のおみくじの写メ(いや、インスタて)で飛び立とうとしているたくましいゼミの女子を見て笑いながらいいねを押してみる。

なんとなく誰かがせーのって言ってくれる。はいここですよって手元の回答ランプが光ってくれる。そんな風に、何かは分からないけどきっかけを待っている心持ちだったけど、そんなもんねぇなって思い知らされる。

「何がすごいって、何がらしいって、これおみくじ小吉なんですよ。それ全く関係なくどこ吹く風って受け流して都合いいところをエネルギーに変えてるの、本当にすごいわ!がんばれ!!」って僕のコメント、そいつの周りで少しだけ好評だったっぽくてわざわざお礼のLINEをくれる。そういうありがとうを漏れなく伝えてくれるいいやつだから、ゼミ合宿のバスの車内でいきなりラジオをやれと言われても、半年に一度のゼミの納会でサーバーから直接ワインを口に注がれても、ファンだったら殺意を抱くだろうaikoのキラキラを何度聞いても歌詞を覚えずいい加減に歌うのも、許せるいや、どうかな、思い出したら腹が立ってきたな。

大丈夫、なんてったってキャリアウーマンが流行った年だ。きっとうまくいく。ニューヨークに会いに行ってあげたいなと思う。

 

久しぶりにちゃんとしたおデートを予定したその日に台風が直撃するという、秋雨前線と自分の雨男っぷりを恨んだこないだの3連休。「雨だから人空いてるよきっと」って深海展に付き合ってくれる優しさを好いてるよきっと。結果、110分待ちで、都民暇かよなんて思ったりしたけど。

話戻して出発前の台風中継。ちらっと見てたら地方局のレポーター、なんとお笑いサークル時代の後輩ではあるまいか。サイト調べたらちゃんと地方局のアナウンサーになっていた。

ほへー、すごい行動力。個人的にちょっと思い入れがあって、当時僕4年生、彼1年生。就活の合間を縫ってシンカンのお手伝いに繰り出していた時のこと。ブースで先輩風吹かしながら、まともな人間もいるよって安心感、付加しながら。説明続ける僕のもとに、将来アナウンサーになりたいんですと彼がやってきた。アナウンス研究会なり、放送研究会なり、1年生の奪い合いに負けぬようほらを吹く「このサークルでもアナウンサーなれるよ、多分きっと知らないけど」と。

当時、たまたま自分がテレビ局のアナウンサー試験をうけている最中だったから、面接の話とかいろいろ話すことができたのだ。たしか3次面接くらいまで行ってて、カメラテストとかしたっけな。3次ともなるとカメラテストがある。サイコロの目に書いてあるトークテーマで1分間のアドリブトークを求められる。何が出るかな何が出るかな、タララランランタラララン「私の秘密」、ハイはじめ。

今だったら、

実はこの苗字は源頼朝が命名したんです。時は鎌倉、群馬の山奥に源頼朝が来た時のこと。当然何かお納めしないといけない。やれ山菜だ、やれ反物だ、やれだるま弁当だと周りがやっていた中で、海なし県群馬で魚が食べられたらきっと感動するに違いないって閃いた僕の先祖様、川をせき止めて川魚を獲ってそいつを献上した。すると頼朝様、こんな山奥で魚が食えるとは、ってえらく感動され、お前に名字を授けようはいって僕の名字ができたそうです。まぁ、これ聞いたの親父からなので、親父が大ほら吹きの可能性も残っていますが。

とか、

実は帰国子女なんです。アメリカの思い出は、キンダーガーデンの先生がいくらストップストップって言っても、遠慮すんなよユーこれ好きでしょってなぜか笑顔でピーナッツバターを塗るのを止めてくれず、吐きそうなくらいゲロ甘トーストを食べたことです。あと僕より顔の濃い親父が、税関通るたびにお前は本当に日本人かって疑われまくってたことです。

 

とか言えるんだけど、当時は緊張感と練習不足が甚だしくって、あと親父をオチに使うのはどうなんだって葛藤があってやらかしちゃった。こんな風に答えた。

はい、実は私野球を9年間やっておりました。小学校の先生の指導が「インコースはよけずに当たって塁に出ろ」でしたので、体をひねってよく当たっていたのですが、人間の体のフシギでしょうか?実は私の左太ももの裏に、野球ボールサイズで毛が密集して生えているエリアがございます。僕はそこをこう呼んでいます、「エリア51」と。、、はい。

えーーーーーーーーーーーーーっと、以上です。

 

40秒ほどあまして終了した。

無言の40秒ののち、機材のスタッフさんから「あーいOK」と声がかかった。元気なくなっちゃったのかよと思うくらい小声だった。当然、落ちた。まぁ、今にして思えば面接試験の時点で「3次試験、今の気分はどう?」って聞かれた最初の質問に「はい、もう満足です!」と答えてしまった時点で記念受験っぷりが滲み出てたと思う。人生エピソードトーク作りだなぁってこの辺から思っている。

 

みたいな、僕のアナウンサー就活体験記をちゃんと聞いてくれた。別に当人の努力がすごい世界なので、別に自分がどうではなく、単なる後輩スゲェんだぜ自慢に留めておくけども、一瞬の一言の時間の言葉の共有が、人生を左右する影響する、びっくりさせるドッキリさせる。

これまたイイカゲンな持論なんだけど、僕は関わった人が後に何かしらチャンピオンだとかその世界の有名人になるってことが本当に多くて、もはやそういう力が自分にほんの少しだけあんじゃねぇかって思ってる。なんかそういう類のサイコキネシスが。もちろん当人の努力でしかないんだけど、都合よくカイシャクして僕と僕の知り合いだけなんでだかいいことありますように、って散歩にでも繰り出す秋の風。

歩いて考えるに僕の仕事には、明日のスターを作り出すような部分もあって、社内でもよく「今、おもしろい20代って誰だろね?」みたいな会話が頻繁に繰り広げられている。おもしろいがこれまた広いんだけど、その辺のアンテナが今今はすごく弱くって、思ったより自分は人に興味がないし、おもしろいの捉え方も狭いなって、ようやく気付いた。ムチのチ、ここからである。

 

書いてて思い出したけど、一瞬の一言の時間の言葉の共有が、人生を左右する影響する、びっくりさせるドッキリさせる。ってあるな。

その昔、高校時代。うちの高校は論文を書かせる時間があって僕なんかはいい加減だから「話芸~なぜ彼らはオモシロいのか~」なんつって、内容はすべらない話のDVDをひたすら見てこの話いいよってレコメンドするだけだったけど。

ある女の子は、クラスメイトへのアンケート結果を元に、知らず知らずのうちに覚えている「広告」というものを掘り下げた論文を書いていた。とても良くできた内容だったと覚えている。んで、その論文のタイトルがズバリ「広告サイコキネシス」だった。

高校時代全く関わりがなかったんだけど、10年経った今、オシゴトの領域が近くてたまにその子とTwitterで話したり、ご飯に行ったり、広告についてお話してるの、これまた1つのサイコキネシス。こうかはばつぐんだ。

あれ?であれば僕、毒タイプ?ドガ―!(ドガ―スの鳴き声)

 

学生時代、小さな広告賞で受賞した時に書いた自分の受賞コメントを読み返す。

「世界の名言集」を読み漁るマセガキが、中・高・大学と加速度的にオモシロい人たちのオモシロい言葉にふれ、こうなりました。今後は社会にて、仕上げていきたく思います。

 

相変わらず実力が伴っておらずトラブルを引き起こして、胃が胃た胃ときもそりゃあるんだけど、自分がよく言われる「ケツの穴のちいせぇ男だな」って言葉で言うと、その点では、そういう意味においては、最近はおかげさまでケツの穴を広げる仕事をしているし、もっともっとケツの穴を広げていきたいと思う。

281

ブログ初めてはや4年。初めて「日記」を書こうと思う。

9月10日(日)晴れ。今日はとにかく色々な感情を覚えました。

 

と言うのも、僕は日記、ブログ、メモ、備忘録などこの手のものを4つ更新している。

誰と笑ったとか誰々がかわいかったとかを毎日書いてる日記(4行程度)。誰にも見せず将来と人生を空想するノート(B5サイズ、半ページから2ページばかし)。出先で見た聞いたいい言葉いい話をためとくスマホのメモ(一言もあればだらだら書くこともある)。それらを消化して自分の言葉で書くブログ(心頭滅却すれば火もまたスズシ)。

記憶力いい方じゃないけど、4つも書き散らかしてたらそりゃ覚えてるわね、というわけだ。あ、ちなみに5つ目はそう、君です。みたいなことを言うと多分言われた方は意味分からなすぎてゲボが出ちゃうと思うし、僕もそれ見て貰いゲボしそうだから言わないでおくとして。意味わからねぇよと意味なんてねぇよをいったりきたり。

とは言え、事実をそのまま書いたって仕方がない。それは事実か?それとも真実か?と、よくカイシャの上司にご指導いただく。僕の事実を書いたとて、目から退屈を取り入れるこの時間はしんどいはずだから、時折ウソは入れていきたい。「ウソという鳥がいます ウソではありません ホントです ホントという鳥はいませんが」って川崎洋も国語の教科書で言ってたし。しかしながらあの詩、後半急に感動させてくるからもうまさに「ウソやん」ですリアクション。

「僕実は今日やりたいことがありまして「このあたたかさだけはウソではない」って1回でいいから言ってみたいんですよー」「じゃ分かったお前何も信じられない人やってよ。俺水をすくう形に両手のひらを重ねそっと息を吹きかけるから」「分かりましたやってみましょう」「ウィン」「いらっしゃいませ、いやコンビニのコントインするなよ」

 

ウソで思い出したが、「お前の8割5分はウソでできている」と高校野球部の同級生中嶋さんによく言われている。このウソ率は会うたびに変わっていて、たまに10割ウソという、それこそウソみたいな設定を押し付けられる。なに、ことの発端は大した話ではない。高1の頃、週末の英語の宿題その名もまんま「Weekend Power」を、部活帰りにやったかどうか話しながら帰っていたとき、「もう終わった?」って聞かれた僕はとっさに「おう」って言ってしまった。お察しの通り、やってなかったし、やるつもりもなかった。「いい加減にやるくらいならやらない方がましだ」という先生の教えを、そうか僕みたいないい加減な人間はやらない方がましなのだ、と真に受けていた。

週明け月曜日、未提出である僕を見て彼中嶋さんは愕然とするわけで。そこから8割5分と命名される。それくらいはいいだろうという僕と、その程度のことからウソをつくお前ってやつは、という中嶋さんとは永遠に交わらない。

Twitterで流れてきたけど「人間には『贅沢なごはん食べよう』って思ったとき『背伸びして初めてのフレンチフルコース行こう(日常と特別は別次元)』と『いつものラーメン屋さんでトッピング全部乗せしよう(日常の上位が特別)』の2種類がいて、大抵この2つは相容れない」みたいなもんだ。

 

で君、日記は?

 

いくらでも書き続けられちゃうからこの辺にしておいて仕切りなおして。

9月10日(日)晴れ。今日はとにかく色々な感情を覚えました。

 

9時起床。

夜中4時までマイナーなアイドルの卵(マイナーなアイドルですらない)とTwitterで交流をしていたから正直もっと寝てたかったけど、目が覚めてしまった。いつも応援してます!から始まった会話が思いのほか途切れず、先方からの「絶賛元カレ引きずり中です」という言葉で目の前が真っ暗になった。別にショックを受けたわけではなく、単に睡魔に襲われた。キャーこの人睡魔でZzz。

朝。テレビをつけて、テレビを消す。スマホを開いて、スマホを閉じる。閉じるって言うのかしら。洗濯しながら、外が天気いいだけでゴキゲンになる自分は扱いやすいなと思うし、雨が降っていても基本はゴキゲンなので今回の自分の設定は甘すぎやしないかと思う。買い物に行って牛乳とハムを買う。目玉焼きの下にハムを敷いてさらにその下にご飯を敷いて食べる。さて問題、一番上に乗っているものは何でしょう?目玉焼き?ブッブー。この後お醤油をかけましたーペロリ。

 

12時出発。

東京8年目でも相変わらず「東京 イベント」でググって出かけている。東京藝大OGの友人がやってるTシャツ屋さんにも行きたかったけど上野を組み込むにはちと遠かった。Tシャツで思い出したけど「ヤバイTシャツ屋さん」っていうバンド名かっこいいよな。あの曲よかったよデビュー曲『生乾き』、染みたなぁ。

向かうは渋谷ツタヤ。お目当ては篠崎愛大将軍のリリイベである。ひかえひかえーい。胸が張り裂けそう。中2くらいから、こういう時便利な表現「憧れ」のお方である。

商品にものすごい特性や優位性がある場合、エモーショナルな事を回りくどく言うより事実をただ告げるだけでよい。その代表がダイソン「吸引力の変わらない、ただひとつの掃除機」だ。いつだったか篠崎愛さんのグラビアに「また少しだけ胸が・・・大きくなっちゃった」ってコピーが添えられていて、その時から勝手に篠崎愛=ダイソン説を唱えている。

 

13時篠崎。

1枚で握手、2枚でツーショットまたはサイン入りポスターという生唾vsお財布。とは言え1枚1300円だからここは迷わず2枚購入。一昨日後輩におごったランチ1000円がここで効いてくるとは。いや、別に金額の大小ではないのだ。そこまでちっちゃな男ではない。ただ僕は、タイカレー屋さんでタイカレーでなく、トムヤムクンラーメンを食うような後輩に戸惑いを隠せなかった。食い終わった後「多かったっスね。途中からもういいやってなりました。」ってもうさぁ!

この手のイベントはたいてい頭髪を散らかされたダンディたちが多いのだが、さすが篠崎大将軍。そこは若い女性や外国人の方も多くいらっしゃったので、列に並んでても人の目はあまり気にならなかった。もっとも、並ばされたのは非常階段だから誰も通らないのだが。

あっという間にいざ、篠崎!普通にお話をさせていただいた。気さくでいい人だった。同じクラスだったらすごい話しかけてただろうし、スタイルがどうこうでなく単純に可愛いなって思ってる。

そしてこのタイミングで、そう、僕の中の8割5分ウソマンが顔を出してしまった。

大学の1つ下の後輩の女の子が篠崎大将軍(そろそろ篠崎さんでいいかな)となんと小学校で同じクラスだったらしい。その子は一浪しているから実質、僕と同い年の後輩で、つまり僕も篠崎さんと同級生なのである。

ご存知のように、ナカヨシになる鉄板トークテーマと言えば共通の友人である。共通点を探して話しかけるべきだ。僕はその後輩の話をしようと決めていた。しかしいざ会話で「僕の後輩が篠崎さんと同じクラスだったみたいで」と言うと、僕は篠崎さんとは同級生ではないと思われてしまう。大学の浪人のくだりを話すとまたややこしい。「僕の後輩(彼女は一浪しているから実際は僕も同級生なんですけど)が篠崎さんと同じクラスだったみたいで、〇〇さんって覚えてます?」がフルストーリーの正解だ。しかし、AKBのハガシが有名のようにたった数秒の世界で、そんなに詰め込んでさらにツーショットを撮る時間はない。

僕は悩んだ。こういう些細なところに思い悩む。ホンシツはそこではないとよくカイシャの上司にご指導いただく。どうしたらいいのか。あとどうして僕はあの時「Weekend Powerは終わったよ」とウソをついてしまったのだろうか。

悩んだ挙句いざ対面して、「あ、実は僕の"彼女"が篠崎さんと同じクラスだったみたいで」と、斜め上からのウソを放り込んでしまった。キョリカンを優先させるあまりのまっ赤な嘘を、10年以上一方的に憧れていた初対面のレジェンドグラビアアイドルにぶちかましてしまった。案の定「え!えー、〇〇ちゃん分かりますけど。あ、付き合ってるんですね!」って乗っかってこられてしまい、僕はあの時の、あのWeekend Powerの時みたいに「おう」って言って去ってしまった。終了。写メ見たら、僕ものすごいバツが悪そうな顔してた。アヤパンごめんなさい。篠崎さん綺麗でした!

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14時新宿。

長く書きすぎた。3000字なんて書いたの、このブログでは初めてで。タイピング気持ちいいなおいってなってる。渋谷から新宿へ行った理由は、ずばりお洋服を買うためである。1回しかそこで買ってないんだけど、接客してくれたカジワラさんがすごい優しくて、これは冒険する服、これは絶対持っておくべき服、これは平井堅っぽいんでちょっとお兄さん1回着てもらっていいっすか?あーやっぱり!の服を1対2対7の割合で繰り出してくる方で、楽しくなって思わず7の方を買ってしまったということがあった。

そんなカジワラさんが渋谷店に異動になるらしく、最後に来てくださいよって携帯までお電話いただいたので、僕そういうの嬉しくなっちゃうタイプだから行ってきた。今回は残念ながらお客さんも多かったので期待していた7の部分が0になって全体的に3しかなかったけど、2の絶対持っておくべき服を購入した。いやはや、人と人の縁である。運、縁、恩。あんといんでいいものがあればぜひ教えてください。デジタルの時代だからこそリアルの接点はとても貴重で重要だ。カジワラさんが渋谷店に行ってもまたすぐ会いに行こうと思っていたんだけど、最後お店出るとき、エスカレーターまで持って届けてもらって、ではまた!ってゆっくりくだっていく僕の背中に、「第二章は渋谷で!」って言ってきたから、あー、うん。ほんの少し、通うのをためらっている僕がいます。

 

17時焼肉。

セクシー女優さんのオフ会に参加しました。今日はとにかく色々な感情を覚えました。

 

25時睡眠。

280

やれ、愛だの言葉だの細身の馬面が好き勝手に書き喚いているけども、一番好きな広告はけっこうビジュアルありきだったりする。

「あの頃の青を探して。」

世の中で僕が1番に好きなキャッチコピーです。こちらです。

「あの頃の青を探して」の画像検索結果

何と言うかたった10文字、このちょっと添える感じ。「前、開いてますよ」みたいなさりげなく添える感じにハッとする。ばーんと視界に飛び込んでくる青に圧倒された後のシメが利いていて好きなのだ。もちろん、ここにも原体験がある。

 

Twitterを始めて丸7年のお知らせが届いた。知らせてくれた青い鳥の存在を始めに知らせてくれたのは幼馴染のてっちゃんで、教えてもらって大学1年の夏からつぶやき始めた。その時僕は、所属するお笑いサークルの夏の伝統、全国の病院を回る巡業中であった。と言っても普通の漫才なんかじゃウケないから(ツッコミではたいたりすると「なんでたたくのよ!あの子悪くないでしょ!」とトラウマを持ったおばあちゃん患者さんが発狂しちゃったり)、甚平着てピコピコハンマーを持って分かりやすいネタをやる。ネタをやっては観光して、美味いもん食って、ネタをやっての繰り返し。6,7人で、車1台で、当時は九州を1周していた。

たしか最初のつぶやきは

「山の斜面は転がるためにあるなう」

みたいなことを呟いた気がする。

 

水辺を見れば服着たまま飛び込む。芝生があれば転がる。フリとオチの何たるかと、ポコチンの面白さを教えてもらう旅である。それまで野球しかやってなかった田舎の高校生が、東京の大学生になり、まだ入会して3ヶ月も経たないようなコミュニティの人たちと2週間寝食を共にする、軽い絶望とわくわく。

親以外の運転がそもそも初めて。皆さんそういうのありましたよね?あの心細さ。これ、この人がハンドルをえいってやったら僕らすぐ死ぬなっていう変な興味、好奇心。

道中は、奥田民生を聞く。「井上陽水奥田民生だぜ?PUFFYが良くないわけがないんだよ、なぁ!」って先輩がイッチョ前に語ってる。それまで(恥ずかしながら田舎の高校生はみんなそう)EXILEを聞きかじる程度だった僕には衝撃的なかっこよさ。温泉に行く。コインランドリーを使う。これまでじゃ想像できないほどの自由な旅、暑い熱い九州の夏。先述の先輩は「これオシャレじゃない?」ってなぜだか後半1週間、体拭いたバスタオルを日中、首に巻いて行動し始めたので真夏、想像を絶する異臭だったけど、今じゃいい思い出。巡業から戻ってすぐ僕は、その先輩を敬うのをやめて呼び捨てにすることに決めた。多少のおひねりもいただき、ご厚意に甘えて宿泊までさせていただく夏の夜の病院のヒンヤリ。

1日1日が衝撃的だったあの夏の不安と緊張と、なによりそれ以上の自由。

「あの頃の青を探して。」はいつだってあの夏の、九州の田舎道を思い出させてくれる。

 

そういやSMAPの「freebird」のPVがとても好きなんだけど、それも相通ずるものがあると思っていて。最初にしんごちゃんとつよぽんの雑談から始まる。

香取「自由になりたい。自由になる怖さもあるけど、正直そんなことよりも自由になりてぇ」

草薙「それ以上のことないのかもしれないな、そしたら。なんなんだろね。」

www.dailymotion.com

今年、1人でドイツ行ったりしてみたけど、多分僕はずっと「あの頃の青を探して」いる。

 

さて、思い出に浸っていても仕方ない。湿った夏は静かに通りすぎる。

最近、あらためてこれすごいコピーだなってのがあって25歳の夏に書き記しておくことにする。

 

首都高速道路

「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」

 

よく、いいコピーの条件で「発見」があるかどうかだと言われている。

たしかにそうだよね、って気づかせてくれるこのコピーは、ただの安全推進のコピーとは思えない、もっと大きな人間観がある。やれ、デジタルだSNSだと言われる昨今、人間中心設計がとても求められる。人間、腹が減ったらむしゃくしゃするし、ありがとうって言われたらそれだけでちょっと生きてける。そんな人間の本質に、ただの高速道路の広告が迫ろうとしてる。

地元に帰ったときに同級生の結婚や離婚を聞いたり。同期が退職して別々の道に進んだり。僕自身グループ会社に出向したり。ネンシュウとかキャリアとか、実家に帰れば「アンタカノジョトカイナイノ?」っていう、全部カタカナで書きたくなるほど入ってこない母さんの嘆きとか。「みんな違って、みんないい」の無責任さもいいけど「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」の方が入ってくる気がする。

「サーネ」なんて答えて、白のパーンダーをどれでも全部並べーてー♪と歌ってる。

 

「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」ってつぶやいてみて、じゃ自分のゴールはどこなんだろうってのに今、とっても興味を持っている。わくわくしてる。

そうそう、「自由だ。変えよう。」って、ソニーが不振のPC事業を事業譲渡するとき、譲渡された側のVAIOが独立したときの広告そのボディコピーに胸が熱くなって、あれすげぇかっこいいからぜひ読んでみてちょ。

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どうやら僕は年々広告を好きになっていってるみたいで、引き続きどうぞよろしく。

 

最後、ちょうど残り3ヶ月で26になる自分に向けて、この夏を締めくくりたい。

メディアプランナー指南役さんが、それこそツイッターでよく仰っている「26歳覚醒説」を引用させていただく。

 

"人間は26歳の時になりたいと思った人間に最終的になれるという。26というと、大卒なら就職して4年目。そこで初めて人生でやりたいことが見えるらしい。だから就活で「やりたいことが分からない」と焦る必要はない。とりあえずどっかへ入って3年我慢。そこから。"

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♪クーマモロッ、テッテッテテー、テレーテレレー♪

 

何のことかわからないと思うけど、高校の親友とだけ通ずるくだりがある。会話の中に熊本というワードが出た時、誰からともなくメロディを歌いだすのだ。これ、文字にしても面白さは伝わらない、というか面白い可能性がそもそもクソ低いんだけど、「約束の日、阿蘇カントリーゴールド」ってヒント出すとあーねってなるそこのあなた、熊本の人ですね?分かります。あーねって関東の人言わんとたいだけんね、ですばい。どがしこ〜!

東京8年目にして、方言がぐちゃぐちゃになりつつある。

 

♪カッ、ドリー、ドーミニオン、みんなー地球の仲間たちさー♪しかり、

♪わがやはーいつものーマルキン食品♪しかり

♪鶴屋ららら、鶴屋ららら、鶴屋らららららーら、はーいはーいハイセンス、つ、る、や、チャン♪しかり。

いや、ハイセンスってすごい自己紹介だなってのは置いといて、ケンミンショーみたい、染み付いたメロディがある。もっと言うとメロディでなくても誰かの誕生日には「お誕生日おめでとうスナップー」が出てきそうになるから危ない。こないだ職場の上司に言っちゃいそうになったもん。今日は課長サン28歳の誕生日。おめでとう課長サン!てな具合に。言わなくてよかった。ボコボコにされてた。

 

基本的に年2回10日弱の帰省はいつも楽しみだ。やることのバリエーションはそんなになくって、パチンコばっかのCMを見て、祖父母に焼肉をたかって、近所の母校に壁当てをして、ピアノを弾いてるところを撮ってSNSにあげるくらいだ。書いてて悲しくなったけど、それもまたよい。幸せってそういうことじゃない?その合間合間に会いたい人に会いまくるのさ。

 

年を重ねるごとに熊本出身ってアイデンティティが大きくなる気がする。別にボシタ祭りとやらに参加したことはないし、いきなり団子のいきなりの意味も知らないのに、熊本出身の自分として認知されまくる。こりゃただごとじゃないぞ。

言ったら18までしかいなかったわけで、行動範囲は家と高校の間だけだ。もうちょっと広げたとて藤崎台球場ぐらいだし、あと呼び出されれば平気で駆け出して坂登っちゃうくらい当時あほみたいに好きだった彼女の家くらいだ。そりゃ、いきなり団子のいきなりの意味も知らなくて当然。僕は、熊本を、知らない。(ガーン)

 

そりゃ1度や2度、阿蘇の黒川温泉やら、天草あたりのサビキ釣りの経験はあるけども、熊本どこオススメ?って関東の人に聞かれても「江津湖いいですよ」くらいのことしか言えなくて情けない。お土産に買ってく陣太鼓も、毎回何これ?って言われて「あー、その、うまいやつです」って説明はうまくない情けない。

 

大学までいればそれはそれは変わったと思うのですよ。もしもボックスの僕は熊本をドライブしまくって天草でイルカと一緒にサーフィンをして(できない)阿蘇大自然の中ダンボール滑りをしている(できる)のだ。ねぇ、流れ星見たことある?って泊まれるファームランドもお手の物さ。中学高校の友人と草野球に勤しみ、当時ビビりまくってたヤンキーたちとも白岳の力を借りて楽しく暮らすのだ。そんなことを考えて現実の僕は、夕方のフライトを待っている。

ちょっと前に中学の友人のいのちゃんって顔まんまるの女の子が帰省のときにツイッターに呟いてて曰く「熊本の皆さん、気にかけてくださいね。」って。この温度感いいなって気に入ってる。「熊本に帰るから構ってね」とか「遊んでね」とか「飲み行くばい!」みたいな、いやお前何東京かぶれがスペシャルゲスト感出してんだよってなるけど、気にかけてねっていうさりげなさはいいなと思う。いざ、熊本!気にかけてくださいね。

 

というわけで16の朝までいる予定です。

ひとつ目玉企画として谷村くんと中嶋くんと球磨川でラフティングをする予定。雨だったら鍾乳洞に行くらしく、楽しみすぎて逆に馬刺しを吐いちゃいそうだ。ちょっと何言ってるかわかんない。

とは言え他には予定もなくパチンコのCMばっか見るお盆は避けたいので、ちょっと声をかけていきたいと。お前のブログおもしろいなって言ってくれた江藤んちのラーメン屋はいくこと。

みなさんよいお盆を。今思ったけどボン・ボヤージュってそういや、よい旅を的な意味らしいから、みなさん、ボン・お盆!

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かの有名なタモリさんはこんな言葉を残している。

「名言は好きです。でも、名言を言おうとする人は嫌いです。」

 

夏休みの始まりを告げる、引退の言葉だってさ。夏祭りの終わりを告げる、花火の帰り道だってさ。マイク向けられ、はいさぁ今です。人間ここでカッコイイこと言いたいナって時がある。そんな時出てくる言葉でカッコイイことなんてそうない、そうそうない。そんなもんだ、そんなもんだと思ってる。言葉なんて雑魚で無力で無意味で不足で、そういうことがあって、それはもう察する側、受け取る側との何度目かの共同作業で、愛しいじゃんか、愛しいじゃんかって思ってる。

 

小4、僕と同じタイミングでこの町に越してきたアッキーは、ワードチョイスが目新しくてすぐに仲良くなった。彼の情報ソースは塾の先生だったり、ちょっぴり大人のマンガだったり、少しマセてたのがよかった。『こないださ、家族で外食しててさ、「絶妙ですねぇ」って言おうとして間違って「微妙ですねぇ」って言っちゃったよ。』みたいな味わい深いトークで笑いを取ってくるやつ。保護者たちが指差しながら〇〇君可笑しいよね~って笑うそういうやつ。今の僕なら、そのオチ「軽妙ですねぇ」って被せたりするのかな。

当時の僕の愛読書が『ズッコケ三人組』だったのに対して、彼は『ダレン・シャン』読んでたのカッコよかったし、もっと言うと『ミッケ!』だったのもとても憧れた。あの世界的なさがしっこ絵本『ミッケ!』の出題文の温度感と距離感が僕はとても好きだった。千原ジュニア師匠もエッセイの中で「人間のコミュニケーションはすべて距離感である」的なことを仰ってる。キョリカン。命令口調なんだけど、温かみのあると言うか。

「まず ふんすいは すぐ みつかるね。

うまが 5とう。きつね。
がちょう。しまりす。
ひつじ。いぬ。
おおきな つのの へらじか。」

みたいな。んでこれ、調べたら、翻訳ナント糸井重里さんだったのかよ!鳥肌が立った。知らなかった。『ミッケ!』というタイトル訳も糸井さんで、人間のゲンタイケンの強烈さを改めてまた1つ味わう。

 

話を戻す。

僕と親友アッキーと、親友トモティ―で「キューピー」という遊びを作った。

自由帳にマス目を引いて、陣地を作って、山とか障害物を置いて、攻撃はじゃんけんでダメージを食らわせる。それぞれキャラクターがいて、1ターンに2マス進めることができる通称「2マス君」や、爆弾を仕掛けることができる「じらい君」、弓で遠隔から攻撃ができる「弓君」、障害物を飛んで超えることができる「とべる君」など。将棋のような各キャラのルール設定をアッキーが行い、キャラクターデザインは僕が担当する。そういう遊びを作るのがアッキーはとてもうまかった。知的なガキだった。仕掛ける側だった。ヒットコンテンツメーカーだった。

ちなみにこのゲームがなぜ「キューピー」かと言うと、当時親父から教えてもらった「誰かのお尻に穴あいて~♪」という、あまりに衝撃的な歌詞から始まり、最終的にキューピーの偽物みたいなのが出来上がるという絵描き歌に僕がドはまりして、教科書やノートのいたるところにそのキューピーの偽物を書きまくっていたからである。お尻に穴があくってなんだよ。もうとっくにあいてるよ。キューピーは1つの休み時間では到底終わらない、長考ゲームになった。残念ながらドッジボールに比べてものすごく地味ゆえ不人気で、ナガタとオカザキしかプレイヤーが増えなかったけど。

 

そんなこんなで、新しい友人アッキーに影響をうけまくっていた僕に11月、さぁ誕生日がやってきた。もう、ワクワクである。このアッキーという男は一体僕に何を仕掛けてきてくれるんだろう、と。我ながらやらしいガキだ。祝われる側の表情を研究しているような相変わらずやらしいガキだ。

 

誕生日カードをもらった。手作り、かつ開くと飛び出してくる立体型の、実に手の凝った誕生日カード。開くといくつか手書きのキャラクター、そうキューピーたちだ。なになに、右端に文字が書いてある。

「まずキューピー5体はすぐみつかるね。

じらいは恥ずかしがり。

あくびをしている弓はどこ?」

 

、、、最高だ。

むちゃくちゃ楽しいバースデーカードをいただいた。心がハシャグとはこのこと。夢中で謎を解き進めた。ミッケ!見つかったのはキューピーたちだけどそれだけじゃない。きっと彼が見つけたものは僕の心だったのかもしれません。いや、まぁそれは今取って付けた嘘ですごめん。

 

全問解き終えて一通り楽しんだ後、改めて立体で飛び出した90度の裏側を覗いてみる。おいおい何やら文字が見えるではないか。一旦開いてまずはミッケに夢中にさせておいて、最後にお祝いメッセージを残してるとは、いくら何でもこの子、粋すぎやしないかい。

ハヤル気持ちを押さえて、声に出して読んでみる。

 

「ブリブーめでとう。」

 

は???????

 

はい??????

 

「ブリブーめでとう。」

 

なんじゃい!である。もう、なんじゃい!である。

それホントに伝えたかったの?今じゃなきゃダメかな?強烈な肩透かし。意味のない日本語。急角度のブリブー。理解が追い付かなかった。言葉にできなかった。

「ブリブーめでとう。」

 

余談だけどアッキーはその後、いわゆるアタマが良すぎてぶっ飛んじゃって。のちに中3になって、久しぶりに近所のブックオフで再会した時には、俺こないだチャリンコで4日かけて九州を飛び出しちゃったよ、へへって言ってた。神社とかで野宿をしてたらしい。そう、彼とブックオフで再会したあの日も、今日みたいに暑い暑い夏の日だったことを思い出す。彼は今たしか、三重のほうで神主さんをしているらしい。改めて、会いたくなった。楽しませてもらったんだもの。今度はこっちがミッケ!なのかもしれない。いや、今のはいいでしょうよちょっとくらいさ。

 

「ブリブーめでとう」

「ブリブーめでとう」

そんなもんだ。そんなもんだって思ってる。

愛しいじゃんか。愛しいじゃんかって思ってる。

 

そんなこと考えながら、お昼にモメてしまったお客さんへのお詫びメールを作るのだ。言葉って難しい。上手く伝わらない。できるだけ胸の真ん中目指して丁寧にあがき続けるのだ。

 

えー、このたびは私のご説明に不足点がございまして大変失礼いたし、いや。

ブリブー失礼しました。

 

おしまい。

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花に嵐のたとえもあるさ

さよならだけが人生だ

 

別れの季節がいつだって春とは限らない。

会社の同期が辞めるらしい。さばさばしてなにも考えてないように見えてわりとものすごくウェッティ人間なので、日に日にとっても寂しくなっている。一期一会の後悔先に立たず。夏なら夏で、波音に合わせて、心の中に溺れようと思う。

 

そもそも同期ってのは不思議な存在だ。お金儲けを共にする人だ。共犯者。連帯責任。運命共同体。友達以上恋人未満みたいな上下にラインがあっても、同期ってどこにも収まりきらず。ある意味恋人にも見せない恥ずかしい失態を見せてるし、ある時親友にも見せないかっちょいい成功を見せてるし。

 

やれ僕が、「20代なんてよい30代を過ごすための予行演習だ」なんて達観を気取ったとしても、日々の業務で明暗は分かれ、社会人1、2年目の頃なんて雲泥の泥まみれ。何一つパッとしていなかった。その時々での楽しいを諸先輩方に提供いただいていたものの、人と比べると劣ってるとこしか目につかず鼻につく。

 

今期2000本安打を達成した青木選手が言ってたけど「これがなければ心が折れてた、というヒットもあった」ってこれ仕事でもなんでもあると思う共感する。ちょっとしたきっかけに救われ、ほんのちょっとの会話に勇気をもらう。そういうことがこの世には多い。多すぎるくらいだ。もっとドライであることを覚悟したほうがいいよなんて後輩に偉そうな口を叩くくせに、ものすごく僕ウエッティだから、わりとすぐ心がふやける。とにかく3年目の始めくらいまで何一ついいところはなく、コンプレックスを名刺入れに、劣等感をスーツの上着に丸めて過ごしていた。今もそうだけど、何も成し遂げちゃいなかった。

 

そんな時、いつも声をかけてくれるやつだった。とにかくいわゆるいいやつだった。顔暗いぞと彼女に何回か言われた。実際に飯にも連れ出してもらった。別に愚痴を吐きたいわけじゃない。僕なりにプライドだってある。そんな不安定なメンドイ君に、その人すごい明るかった。明るくしてくれた。名は体をあらわすってのはこの人のことで、まさに朝の海のような気持ちいい人だった。この一言、こやつの笑顔がなければ、僕の心はあっさりぽっきり折れていた。折れなかったから言えるけど、あの時実はもうダメで、がたくさんある。

彼女だってそれはそれは理不尽なこともあったと思う。辞める原因もなんとなく察する。僕みたいな下っ端にはどうしようもないことが多いから、サラリーマンの皆さんは上を目指すのでしょうか。

 

結局。

気にかけるって、とんでもないことだ。できない。直属の部下にだってできないことを、さらっとやってのけるのは同期の不思議。世界ふしぎ発見

大人気漫画『金色のガッシュ!』(ガッシュ・ベルはアニメ版である)で、ガッシュの双子の兄ゼオンが最後魔界に帰る時に涙を流す。その時清麿やガッシュを思い浮かべて「そうか、俺はあいつらに愛を受けていた」と言葉にする。

失って初めてってのがこの世には多すぎる。言葉に出来ない思いがこの世には多すぎる。くくっちゃうと愛さ。ひとまとめにすると愛ね。君と僕の会話を全角キー半角キー、コピーアンドペーストして名前をつけて保存して愛です。シフトとコントロールと矢印で僕らはどこへでもいける。また近いうちに会えたらと願う。

 

『愛は光』というNegiccoの新曲がむちゃくちゃいい。愛を受けて光り輝く。ファンの惜しみない愛を受けて光り輝く彼女たちもまたファンを想って歌う。こんなきれいな光はない。こんなに消えない光はない。一ファンとしてありがとうが尽きない。会えなくたってそう思う。

さて問題。新幹線、「こだま」より「ひかり」より速いのは何か?そう、「のぞみ」である。音よりも光よりも、想いは最も早く届く。愛なんて言葉で形容したら同期にはドン引かれるって目に見えているけど、離れてても、どこにいても、社会人1、2年目のうんこちんちんを救ってくれた人への恩を、僕は一生忘れない。飯誘ってくれてありがとう。顔暗いよと声かけてくれてありがとう。プライベートでやってる音楽活動、あれ何度聴いても超いい曲だから世に出てよね。友達自慢は大の得意さ。

「この世は通り過ぎるだけだから」って、いつか鬼太郎の生みの親、水木しげるサンが言っていた。会社だって社会だって際立ってそうだ。ビジネスの9割は理論で数字で効率だからこそ、1割の義理と人情と恩返しを忘れずに。

 

花に嵐のたとえもあるさ

さよならだけが人生だ

 

散々な僕のしみったれた「またね」を、きしょいな、金払え、大袈裟すぎじゃい!と笑う姿に、僕はまた少し泣いた。