心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

286

紛れも無い事実、今日は最も死から遠い1日であり、1日1日1分1秒、自分でも思いのほかおじさんになっている。

26歳になった。26年と短くはない日々を生きてきたからそろそろ生きるのうまいねって言ってほしいところだ。へー、おじさんの才能あるんだね!でも良い。

 

何も見た目の老いだけではない。野球選手とアイドルとお笑い芸人の勇姿に心を震わせ、明日もわりと朝早く起きて出社する一小市民の名も無きおじさんである。思うに、他の誰かの活躍に自分を重ねるの、これおじさんなのかもしれない。多分だけどおばさんはそんなことしない。いや、あんましおばさんのその辺を知らないからなんともなんだけど。

 

冒頭の「今日が最も死から遠い一日なのだ」とは、幻冬舎見城社長の本からの引用。うおおって熱くなってすぐ、実はとっても冷めてる自分もいて、幸か不幸か自分の生きがいのハードルがとても低い事を思い出す。何かを渇望した経験が乏しい。成功しなくても、うけ(いれられ)たらそれでいい。

「もうなんなら自分から失敗を欲してるよね?」って同期から言われて、いや、へい!なんて返したけど、こないだ上司から「それ1年目がするミスだよ」と言われた時はさすがにちょっと可笑しくなってしまった。忘れっぽいのと、トンチャクがさらさらないこともまたおじさんなのかもしれない。多分だけどおばさんはそんなことない。いや、あんましおばさんのその辺を知らないからなんともなんだけど。

 

どこまでもコンテンツを消費する日々は、0→1ができないことをもはや軽く諦めている。お客さんはいつも贅沢で発明の大変さなんか知らない。いや、ジャルジャルすごかったじゃんか。「漫才」をメタで茶化す、コント「漫才」でなく、練習量極まりないマイク一本を前に、「ようお前ボケれんな」より「信じがたい」の方が個人的に笑えて、そして泣けた。語りたくなっちゃうのもまたおじさんだ。多分だけどおばさんはそんなことない。え、もういいって?やめ時はいつも分からない。

お笑い芸人さんに楽しませてもらって「価値」の話。

例えば野球選手はめちゃくちゃ上手に野球をやってお金をもらう人だけど、つまりは見ている人に勇気を与えたり感動させたりすることが彼らの「価値」であるし、同時にお客さんを集められることから広告としてスポンサーする「価値」があるし、お菓子メーカーなんかは選手のカードを付けてチップスを売るだろうグッズとしての「価値」もある。うへぇ、また出たよギャラード2枚もいらないよなんて。

そうそう、僕らが野球を始めたのは地上波日テレの野球中継がちょうど絶滅する直前で。見てるとモニターに映る選手の紹介として、彼らの座右を紹介していた。努力だとかフルスイングだとかに混じって番長清原は「世界平和」と書いていたし、元阪神ムーア投手の座右の銘は「主に低めを狙う」だった。違うよそういうことじゃないよ笑っちゃうよもう、このハゲー。

 

付加価値の時代なんて言われる。ロボットに取って代わられない価値ってなんだろうと考える。今思えば浅はか極まりなく非常に申し訳ないのだけれど、僕は一時期浪人生に憧れていた。トントン拍子、それも面白おかしく売れてくわけではなくトントン拍子に普通の人の普通の生活を送ってきたせいで、浪人してれば変わったかな、なんて思ってた。

だってよ、僕の周りの浪人経験者は思考の量が明らかに違って、出すアイデアとか視点とかその広さ深さに憧れて、その度に何も考えずレールの上を走ってきてしまった自分を恨んだのです、贅沢にも。隣の芝生は青い、そしてあの頃の僕も青かったみたい。

今だから分かるけど、自分みたいなタイプが浪人で1年与えられたとて怠けて過ごし、かつ目標は見失っていたに違いない。

先日の誕生日、ようやく使いこなせるようになって嬉しいのだろう母からLINEでこんなことを言われた。曰く「熊高で野球をやりたい」「早稲田でお笑いをやりたい」だけ繰り返す。今の実力は抜きにして、ぶれなかったところは感心するよと。

 

たしかに、高校は自分でも野球を続けられそうなところで言うと積極的な消去法、セイセイコウコウコウではなくクマモトコウコウだったし、

大学なんかはもっといい加減で、お笑い芸人になりたいですって進路面談で言ったら、大学ぐらい出なさいよと言われてそこから担任と母親で「早稲田はくりぃむしちゅー上田がいたわよね」「あとタモリも早稲田ですもんね」なんつって、あぁじゃあ早稲田に行こうかな程度の結論だった。(当時の担任はくりぃむしちゅーのお二人と高校の同級だったそうで、上田さんは学年の番長だったが、有田さんはクラスの隅っこで男数人集めてゲラゲラ笑いを取ってたらしい。なんだかいい話)。そんな風に考えると、社会人は選択肢が広すぎて視力0かよ全く見えてない。明日の予定すらギリギリだったりすることもあるけど、今日が死から1番遠い日。やりたいことと、提供できる価値はとことんシンプルにしていく方が性に合っている気がする。

 

やはり立ち返ると0→1はあまり向いてない。コンテンツを消費するのは大好きだけど、作り手にはならないなーと思う。

講談社の小林司さんはひとつの憧れで、出版社で編集部に所属しながら妄撮をヒットさせ、今はミスiDを立ち上げた。

新しいアイドル像を作る。可愛い、スタイルがいい、歌が上手い、踊れるって言う既存の価値基準から飛び越えて新しいスターを生んでいく。たしかにそうだ、見た目の美しさや声の綺麗さみたいな持って生まれた価値だけのヨーイドンだとしたら、人生に100年も要らないもの。にゃんこスターアンゴラ村長もこんなことを言っている「顔とか生まれとか変えられないものをさげすむ笑いは古い」と。

 

さて、勘のいい読者なら気づいたかもしれない。ってこれ一度言ってみたかったやつ。

そうなのだ。基本僕は引用ばかり、コーテーションマークでコーティングされているコールドゲーム

苦い思い出がある。就活生時代、業界2位の広告会社の3次試験のグループワーク。どうやったら○○を流行らせられるかというオーソドックスなお題。まず5分考える。その後発表、ディスカッション、グループごとにアイデア発表というオーソドックスな流れ。

 

5分後Aさんが答える。「○○だと思います。」Bくん「△△ではないでしょうか。」Cさん「まるばつさんかくしかくしかく」のようにみんなして、まずは自分の意見を言い合う場にもかかわらず回ってきたあたくし「Aさんの案はここがすばらしい。」「B君の意見はここがこうで、でもこういう点はいいですよね」と、あろうことかお話をまとめてしまった。いや、誰やねんである。どの立場で言うてんねんである。続いたD氏は「記号記号記号」と持論を展開し、流れは戻っていった。あぁここには僕は必要ないのだなと感じた。箸にも棒にもとはまさにこのこと、生きる箸にも棒にも、箸にも棒にもが服着て歩いてる※スーツじゃなくて結構ですよ。あなたらしい格好で歩いてる箸にも棒にもである。

そんな感じで後半はただ、喋るでもなく、とは言え真顔も意味不明なので不必要にへらへらしていた僕に帰り道、同じ班だった人たちが「みんな受かるといいんですけどねー」なんて言ってくれて、僕はあーねって言った。

 

「その程度のコンプレックスなんか、100個くらい集めないとショウカできないよ」と会社のお偉いさんに言われて納得する。消化か、昇華か、はたまた消火?こちら変換合ってますでショウカ?

こんなことがあったんですよーとどこかにはけ口を求めるでなく、自分の中で抱えて溜め込んで強烈に自覚して初めて「価値」になるのだと思う。

そうやって浪人生に憧れてた僕が25,6になってようやく、しかもちゃんと立ち止まることなく「自分取材」を繰り返すことができているの、きっと一つの収穫。ここんとこエピソードトークが増えているのは、地元の友達(例えば中1のクラス一の美女、堀内さんとかも読んでくれてるってさ、まじかよ嬉しいな)だったりが面白いって言ってくれてるからってのもあるけど、○○をやりたい以外の選択肢があまりに多いシャカイ人、自分の原体験を掘り起こすためだ。お笑い芸人になりたい!という夢が、いい話を仕入れて、いい話を伝えて、心地いい読後感を作るという価値になった。

睡眠不足で眠たいけど、自分を見る目は冴えている。

 

0→1が苦手なら徹底して編集をすればいい。

そういう意味で、たまたま今、出版社に勤めているのはおもしろい。編集部員ではないし、前述のとおり社内外のすべての人にお叱りをいただくレベルなんだけど、自分はここで成長したいと思っている。

最近よく読んでいるとあるブログの中の人もまた編集者であり、例えばこの記事なんかしこたまおもしろい。

さよならクックパッド | KOMUGI

 

そしてそのブログの中で、彼は「編集者」の価値をこのように説明してくれている。 

"しかしながら、なぜたくさんの方々に自分の記事を読んでいただけるのだろうか、と立ち止まって考えました。同じ会社に松島倫明さんという私がリスペクトしてやまない先輩編集者がいるのですが、先日ランチをいっしょに食べていたときに「シロウトであるはずの本の編集者が書く記事を、なぜ読んでもらえるのでしょうか?」と質問してみました。すると「編集者は学問から文化、トレンド、ビジネス、テクノロジー、エンターテイメントなど、横断的に知識やネットワークを持っているからなのかもしれないね」と答えが返ってきました。「たしかに!」と思いました。"

 

またある時はツイッターでこう仰っている。

"コメントありがとうございます。実は「編集者」は「本(製品やサービス)」自体をつくるのではなく、「著者(サービス提供者)」に助言して、カイゼンを促すのが仕事なんです。自分で「本(製品やサービス)」をつくってしまうと、「編集」という仕事ではないんです。偉そうで、ほんとにすいません…。"

 

営業という立場なんだけど最近、若手の編集と取材に行く時は僕が台本を書いていて、解釈は任せるけど、すごく生きている気がする。結果出さなくちゃ。そういや、ちいちゃい頃からお話を作るのが好きだったし、お笑いもネタ書く側だったもんなぁ。うけ(いれられ)なくちゃ。

いよいよメジャーに挑戦する大谷選手が以前、WBCが始まる前のインタビューで周囲の期待について聞かれたとき、「一番期待しているのは、僕自身じゃないですかね?」と笑って答えた。お金でも、富名声でもなく、自分への興味、好奇心、期待。健全なナルシシズムとは何かをスターに学ぶ26のおじさんもまた、自分に期待している。「人は、一生育つ。」ってベネッセのコピーいいですよね。

 

憧れては悔しくなって、諦めたところから期待して。

0→1はできなくても何かしらアウトプットしていかないと夢精しちゃう質ので、好きな人への好きですは何かで返していきたいと思い、戌年用の消しゴム版画を作りました。そうそう、0→1ができなくても1を真似っこするのは得意なんです。

もし万が一欲しい人がいましたら年賀状書きますので住所教えてくださいね。耳障りのいい言葉と共に送りつけますので。

26歳もどうぞよろしくヒャッヒャッヒャ(ケンケン)。

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285

小1のクリスマスの朝、僕は泣いていた。

すきな女の子に振られたからとかじゃない。1年、いい子にしてたのにサンタさんが来てくれなかったからだ。いや、正確に言うと来なかったわけじゃないんだけど。

何と言ってもポケモン世代。当時の僕のサンタさんへのリクエストはずばり、「ポケモンカード」。裏がモンスターボールになっているあの初代のやつだ。デッキを組んでサイドカードは6枚。山札から7枚カードを引く。たねポケモンをセットしてさぁ勝負。カードを持っていないのに形から入る僕は、カードゲームに使うコインだけ何故か持っていて、試す機会のないコイントスの練習ばかりしていた。それなのに。

 

プレゼントの箱を開けると、出てきたのはポケモンの絵柄の「トランプ」だった。

オーキド博士ジョーカーのやつ。

泣いた。

 

大人になった今なら分かる。サンタだって大変だ。ただでさえ子育てなんてのは大変だろうし、そもそもちゃんと生まれてくるかも大変だし、何よりお相手を見つけるのだって大変で、オーキド博士もラクじゃない。タケシは一体いくつなんだい?それでも。ポケモンカードを期待していた僕は、何が楽しくてオーキド博士を引いたり引かれたり今さらババ抜きをしなければならないのか。えぇい、しねしねこうせん。

そんなことがあったからか、翌年の小2のクリスマスは今でもずっと忘れられない。前年の反省を生かしたサンタさんが執拗に僕に伝えてくる。「欲しいものはどの種類のどんなやつなのかハッキリと分かるように書いておきなさい」と。2年生は1年生よりいい子ではなかったけども、お言葉に甘えて大きく記す次のリクエストはそう、その年1999年の11月21日に発売された「ポケモン金・銀」である。

前置きが長くなった。

「このSNS時代、好きなものは発信しておくと勝手にそれを好きな人だけが集まってくるからどんどん好きなものを発信するといい」ということと、「20代、今まで自分が時間やお金をかけてきたもの(すなわち本気)を自覚しておくと、これからの人生を生きやすく(それはきっと行きやすくも活きやすくも)なる」ということを立て続けに学んだので、早速書いてみようという魂胆だ。

ポケモン銀が大好きだ。

お葬式には色とりどりのぼんぐりを棺に詰めて、エンジュシティのBGMで送り出してほしい。

www.youtube.com

 

今年の9月22日、ポケモン銀の3DS配信がスタートした。日中、決して暇な女子大生ではないんだけど、それでもやっちゃうのがポケモン世代。好きなポケモンバクフーン。ニックネームは付ける派。税込1200円の、飲み会より安いポケモン銀に感動する華金。おまけに付いていた第2世代の追加100匹のミニポスターを眺めながら飲む酒が美味い。

なぜポケモン銀かというと、これも1つの我が家のルール。姉が金、弟が銀、それだけだ。前年の不備を埋め合わせようと金銀両方を仕入れてくれたサンタさんには申し訳ないが、2つあってもいっぺんにはできない仕方ない。銀をプレイすることになった全国の弟くん、妹ちゃんは多いのではなかろうか。

 

スイッチを入れる。あの時の感動が蘇る。

コロコロコミックで情報を先に仕入れておいて、マダツボミの塔という施設があるからきっといや絶対最初は火タイプがいいはずだ。とか。アカネのミルタンク対策として実はヨシノシティに行く前に46番道路でイシツブテを手に入れておくべきだ、とか。そういや大村君ちでみんなでポケモンスタジアムやったなとか。てっちゃんに攻略本貸したりしたなとか。本で言うと、ポケモンファンブックみたいな雑誌もちゃんと買っていて、金銀の初期構想「サイレントヒルズ(=静岡)」とか「オールドシティ」とか名前だけは知っていた。実家帰ったら探してみよう。穴久保版ポケモン漫画も載っていて、野球の試合の設定で、相変わらずピッピがくそほどズルをする話だった気がする。

そんなこと考えながら、夜のゲームは禁止だったあの頃出会えなかったホーホーに会える夜、僕は自分が大人になったことに気付く。マダツボミの塔にゴースが出る夜、どちらかと言うと主人公ではなくオーキド博士側の人間になっていることに気付く。まだ若いからせめてウツギ博士か。ところでタケシは一体いくつなんだい?

そう、次のサンタクロースは、僕だ。

 

水面に向かってAボタンでなみのりができるの、当たり前じゃねぇからな。

ボックスがいっぱいになりそうなときマサキが電話かけてくれるの、当たり前じゃねぇからな。

自転車が一発で乗れるのも、ポケモンが持ち物を持ってるのも、色違いも、全クリした後の「きみはいま!カントーちほう への だいいっぽを ふみだした!」も、赤緑をちゃんとやったから分かる進化は全て、当たり前じゃねぇからな。

「あの頃はよかった」とは、「あのころまでは付いていけた」のことだと誰かは言う。実際、その通りだと思う。結果、僕はブラックホワイトまでしか付いていけていない。それでも、ポケモン銀のあの進化をあの感動をあの時代の流れの中で味わえたことはとても誇らしかったりする。全ては原体験。

個人的な最近の悩みとして、「本気で仕事に取り組む」ことがどういうことか考えた時、そう言えば本気を出した経験が少ないなって思い、立ち止まる。そんな時に「本気」を言い換えてみる。本気ってぐおおおって声を上げて、精神的に体育会系のノリを演じることではなく、「熱中」と言い換えてみるとストンと腹に落ちる気がしていて。頼まれなくてもやれちゃうこととか、そんなことして何になるのって言われてもヨーギラスミニリュウを増殖させたふしぎなアメに頼らずしっかりバンギラスカイリューまで育てちゃうこととか、「熱中」「熱狂」さらには「酔狂」をキーワードに自分を見つめなおす。ポケモン銀をやりながら、そんなことを考えている。

 

かの武田信玄はこう言った。

「真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳ばかり。」

本気だと、熱中すると、気づきも多い。ポケモン愛はツイートにまとめておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、まだまだバッジ4つなんだけどのんびりやっていく予定でつぶやきも更新していこうかしら。何でもすぐオシゴトと合わせて考えちゃうのはアホらしいけど、今一番時間をかけているものがそれだからある意味仕方ないのです。

 

最後にお写真を1枚。

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会いたい人に会えたり、自然にまみれたり、ホークスが優勝したりといい連休でしたが、余韻は心にしまっておいてこの写真。
いや、別にお気に入りじゃなくてもよくない!?って最初に突っ込んだ後で、うん、そうだよな、お気に入りの方がやっぱ美味しくなるもんな、井村屋さんさすがだな、って優しさを感じました。明日からまたお気に入りの服で、お気に入りの曲で、お気に入りの1日を過ごしたいところです。
こないだ日経新聞で読んだのですが、ロイヤルホストの黒須社長は社員に「Do you like your job?」とよく聞くそうです。お気に入りの仕事できるよう頑張らなくっちゃ。

 

あとポケモン回りで、読後感が好きな記事がこちら。余裕があればぜひ。

www.buzzfeed.com

最近、3000-4000字書く割に中身が薄まっているので、精進目指してピッピカチュウ~~~(オーキド)。

284

大学の講義に「恋愛学」というのがあった。

履修するのもこっ恥ずかしくなるこの講義の期末試験で、僕は学内1位の成績を取ったことがある。

 

1,2年でトコロザワの単位をなるだけ取って3年生からいざ、本キャン!所沢キャンパスの僕らからすると本キャンも文キャンも、なんならリコキャンだって本キャンなのだ。人生で大切なことはすべて馬場歩きが教えてくれた。

3年、4年と本キャンの単位を齧って貪ってたその中の1つ、220名程度の定員枠に800名が応募する超人気オープン科目「恋愛学」。他大学からモグリも絶えない本講義をざっくり言うと「人間の本能」と「人間の理性」から「モテ」を学ぶ講座だ。はいそこ、ちょっと引かない。すなわち前者は、原始時代からの種の保存。脈々と受け継がれる生物の進化学や進化心理学の観点から。後者は人間が動物でなく人間たるゆえん、社会心理学や経済学の観点から。

 

例を挙げて説明しよう。大昔から僕らのプログラミングは変わっていない。

優秀な遺伝子を残したいから、美男美女がモテる。安産の確率が上がるからって求められていた大きなお尻は、4足歩行から2足歩行になって大きな胸へと価値が変わる。狩猟採集してくれなくちゃ生きられないから男性には絶対的に体力が必要。それだけじゃなく空間察知能力、今で言う駐車が上手いみたいなのもモテる理由になる。

それぞれに、脳内伝達物質ドーパミンだったり男性ホルモン テストステロンだったり、生物的な知識を補強。知ってる?加齢臭の成分って「ノネナール」って言うんだぜ。美しい顔の条件にシンメトリー(左右対称)であることってあって、なんとシンメトリーの方が精子の質がいいらしい。左目奥二重、右目一重の僕は軽く絶望したりして。

男性は誰の子か分からないから、女性の体の浮気が許せない。女性は養ってもらわないとならないから、男性の心の浮気が許せない。生まれてくる子は確実に女性の子だけど、男性の子かどうかは分からないってことを表す英語のことわざまであるらしい。「mama's baby, papa's maybe」今度フリースタイルラップバトルで使ってみよう。

 

いやいやとは言え、この人間社会。本能だけで生きていたら大変なことになる。

みんな知ってる「吊り橋効果」も、こんなドキドキする環境にいるのにドキドキしないってことは私よっぽどこいつのこと好きじゃないんだ!っていう逆効果もあるらしい。

自分のルックスに100点満点で点数を付ける。と同時に自分の写真を異性100人に見せて点数を付けてもらい平均を出す。この結果、男性の方が自己評価と他己評価の点数に差が出るらしい。げげげっ。じゃあさ、60点のやつが80点の異性を落とすためにはどうしたらいいんさ。答えは簡単。市場を選ぶこと。理系キャンパスの女子とか、野球部のマネージャーとか、料理教室に通う男性とか。売り手市場に参入なさいよと市場経済は教えてくれる。

 

そんなことを学んで15週、期末試験で1位を取った。

実はちょっとした裏話があって、どうにも人気講義の大先生ゆえ、鼻高々の自信満々、強気でこう仰る「私の試験は相当難しいからまぁせいぜいがんばってよ」って。そして名刺サイズの紙切れを1人1枚もらう。「カンニングペーパーとして持ち込んでいいからまぁせいぜいがんばってよ」って。とってもシャクだが、何を隠そう僕は小さな文字を書くのが得意なのだ。実はポケットサイズの日記を10年書いている。小さい文字を10年書いてんだよ。『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』ってBerryz工房も歌ってる。

びっちり裏表に書き込む15週間の成果から、ほとんど出題された。1位を修めた。

教授から「恋愛学の達人」と書かれたサイン本をいただいた。見返してまたこっ恥ずかしくなる。

 

ここで勘のいい人だったら気付くかもしれない。おい、恋愛学の達人とやら、君は学んだ内容を活かせているのかよと。そうなのだ。結局、たまに参加する合コンとかで恋愛のうんちくたれる盛り上げ人間でしかない。女性の最高出産人数は69人ですが、さて男性は何人でしょう?正解は888人です。へー!(この合コンおもしろくはなさそう)

思い返せば「気付かなくていいところに気付くクセに、気づいてほしいところに気付かないよねー」って同期の女性に言われたこともある。おい、恋愛学。長いことお付き合いした方に「もう好きじゃないんだよねー(にこっ)」ってお台場で海見ながら言われたこともある。おい、恋愛学。息してるか!?

近頃じゃ好意の出し方すら分からなくなっている。中高なんてのは、毎朝おはようって言ってくれる。あ、笑ってくれた。好きだ!ってくらい単純だったんだけど、この年になると一歩間違うとすぐ「誰やねんこいつ」状態になる。これけっこう色々な人に共感してもらえる。合コンとか紹介で出会って食事行ってわりかし楽しくっても、ふとお手洗いに行って鏡を見ながら考える。生まれも育ちも違う僕の目の前にいるこの人は一体誰だろう。どんな時に笑って、どんな人生を歩んで、何に対して不機嫌になるんだろう。何から聞いていいか分からなくなって、当たり障りないオモシロ話に逃げる。

いつの間にか好きの閾値は自然に高まって、頭の中でグルグル考えてるとどうにも今度はこちらが「異性」として見てもらえなくなっていることに気づく。これはこれでまずいなってある時には最近見たAVの話をしてみるも当然ハマらず。それ完全に間違いだよって高校の同級生じゅんこさんといずみさんにご指摘いただく。

Twitterでフォローしているアイドルさんには何の気兼ねもなく「好き」だの「可愛い」だの言えるのに。普段現実じゃ発散できない中学生みたいなまっすぐな好意を、非現実世界のアイドルさんにお届けして、いいねをもらえるだけですごい嬉しくて、また喜んでもらえそうな言葉を考える。気づけば大学の頃に好きだった人と別れてからすでに2年半が経っていた。

その間、親友のケッコンだったり、姉のニンシンだったり。絶対的な素晴らしいとか圧倒的な希望とかそういう感情に触れて、いい意味で諦められるようになった。それはつまり、結局他人だし、それでも好きだしみたいな関係もありだなと。言っとくけどゼクシィのコピー「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです」って、まさか僕にもめちゃくちゃ刺さっているからな。そんな時、そんなタイミングは信じていいと思うのです。

 

嬉しいお知らせ。

2年半ぶりに彼女ができました。早速、手を繋いでみました。

初めて手をつないだのは渋谷の人ごみ歩いてて「はぐれないように手をつないだ方がいいと思うんスけど」って言ってみたら、だからそういうこと言わないの!って言われて、でも手は繋いでくれて、恋ムズカシー。思うに、何でも言葉にしちゃうのとか、心情を聞いちゃうのとか、全部説明しちゃうのとかヤボでブスイでロマンがないらしく、例のごとく軽く絶望したりして。恋愛学の達人にはほど遠くって、ご指導ご鞭撻をお願いします。

「早生まれの同い年、眼科の専門学校通ってる小さい女の子」って、仲良しのふるもっさんに報告してみる。「キーワードの端々にほっしーの心うずかせる感じの子が想像できるわw」「溺愛しとるやろ」なんて、さすがふる。

分からんよ、騙されとるかもしれん。そんなもんかもしんないな。一歩間違うとすぐ誰やねん状態になったとしても、同じ中学ガーとか共通の友人ガーじゃなくっても、最低限の衛生レベルをクリアしていて、一緒にいて少しでも幸せ側に針が振れれば、付き合ってみませんか?っていう。そりゃ、幸せ側に振れるよう努力はするからさ。この胸の久しぶりのときめきを大切にしたいと思ってる。

好きなマンガは?どんなとき爆笑する?地球最後に食べたい料理はなに?少しずつ教えてね。覚えるから。暗記力は別に自信ないけど、ほら俺小さい字書いて覚えるの得意なんだ。

 

久しぶりに履修しております。試験勉強、忙しくなるぜー。単位取れるかな?

引き続きご指導ご鞭撻よろしくお願いします。

283

四番 ピッチャー 大谷。

恐らく日本最後の登板を完封で締めた彼の活躍を、「漫画みたい」って形容する朝のニュースを聞きながら、昔、僕らのチームにも四番ピッチャーがいたことを思い出す。

めっきり涼しくなってクールビズはおしまい。ネクタイ締めて気持ちも引き締めサラリーマン。電車に揺られながらさっきの続き、そういや小学校の頃の僕らは最強だったなと思う。それこそ「漫画みたい」に勝ち続けて、熊本市内を制覇したっけな。

 

名作野球漫画『キャプテン』の、三代目キャプテンイガラシ君はこんなことを言っている。全国制覇を目指して、鬼のようにきつい合宿を部員に強いて、それこそ「漫画みたい」(漫画なのだが)剣道の防具をつけさせ至近距離からノックを受けさせたり。当然、新入生はへろんへろん。それでも、イガラシの弟ほか残ったメンバーはシャワーを浴びながら、草野球時代に優勝したっけなと思い出話をしているシーン。1年生の会話を聞いたイガラシは、どうして目を輝かせながら言う。

「そうそう脱落するはずはない。たとえ草野球だ地区対抗だとはいえ、優勝をした喜びを知っているやつらだからな。」

自分自身の仕事を振り返ってみて、久しく優勝から遠ざかっている。「勝ちたい」欲求を呼び起こすため、少し思い出してみる。

 

小4で熊本へ引っ越したタイミングで、友人ウッディに誘われて野球部に入った。ウッディはものすごい面倒見のいいやつで、引っ越してすぐの僕を雷魚釣りに連れ出してくれたりした。それまで基本的に、喘息持ちですぐ死にそうになっていた虚弱ボーイだったため、両親は野球を始めることに猛反対。母親は本気で合唱部をすすめてきたし、一方、父親はニヤニヤしながら「緑の少年団」(通称みどしょう)をすすめてきた。

どうも、校内の木々や植物が異常に多い小学校だったので、「緑の少年団」というドラえもんの映画タイトルみたいな心優しい部活があったのだ。何やってるかはイマイチ分からないんだけど、ドラえもん のび太と緑の少年団。というフィット感だけは分かる。のちに、みどしょうにはみっちゃんとマツフジ君という優しい2人組が入部した。みっちゃんはぽっちゃりしていて声が高くて語調が女々しいやさしい男の子で、マツフジ君は、スナイパーに銃口を向けられて言葉を発したとたん射殺される設定なのかってくらい、一言も発さない静かでやさしい男の子。余談だけど大人になって、インスタに現れるみっちゃんはそれはそれは男前になられて、地元熊本でお洒落雑貨屋さんをやってるっぽい。人間、分からないものだ。今度お店にお邪魔することがあったら、男性ホルモンの目覚めはいつだったか聞いてみたい。

 

話を戻そう。

体が弱いとは言え、物心ついた頃よりホークスファンで、団地の空き地でプラスチックバットを振り回していたし、みどしょうと野球部を天秤にかけたら答えは明確だったので迷わず野球部に入部。

そして僕らの代は、あほみたいに野球の上手いドリームチームだった。

あまりに野球が上手すぎる子たちだったので、信じらんないけど1~8番までライト以外のメンバーを固定。残った7人くらいで9番ライトをかけてレギュラー争いをするという、金持ちの道楽みたいなサドンデスが繰り広げられていた。ある意味、楽しさ優先の少年野球の概念からは大きく外れるんだけど、不平不満が出ることはないくらいのレベル差はちびっ子ながらよく分かっていたし、あとはやっぱり、チームが勝つのが何より最高に楽しかったんだ。僕なんかはベンチの盛り上げ役に徹して、毎試合声がガラガラになるまで応援した。監督さんや保護者がちゃんと見ていてくれたのが、子ども心に嬉しかった。

 

オーダーを発表しよう。

一番サードりゅうた。一番神風特攻隊長りゅうた~♪という、今の時代、問題にならないわけがない応援歌。俊足巧打、引っ張ったときの打球が早い早い。エラーするたびによく泣いてたっけ。高校時代、地元メディアから安打製造機と呼ばれるまでに成長する。

二番セカンドおが。とにかくいやらしい。ストライクゾーンがくそほど狭い小柄なバントの名人。バントの構えでバットをぐるぐるさせるんだけど、相手投手が胃潰瘍になりそうなくらいストレスフル。セーフティもバスターもエンドランも、センスが異常。

三番ショートヨッシー。この人くそほどイケメン。堅実なバッティングと華麗な守備。髪の長さの制約がない少年野球で、他チームから女子と思われることもあった。

そして、我らが四番ピッチャーまさお。体が人一倍大きく、投げては快速、豪快に三振を取り、打ってはレフトスタンドへ見事な放物線。

りゅうたがライト前にはじき返して、おががセーフティバントを決め、ヨッシーがレフト前で満塁の後、まさおがホームラン。4人で4点取るような横綱野球だった。

五番ファースト川畑のセカンドゴロで、敵も味方も保護者も監督も、ようやく一息つく。川畑君は小中と同じユニフォームで野球をしたんだけど、幾度彼のセカンドゴロを見たことか。顔だけはライトスタンド。松井秀喜と同じく「ゴロキング」の異名を欲しいままにした。

六番キャッチャー翼。彼もまた僕らの精神的支柱だったし、眼鏡でキャッチャーだったのでなんか頭脳派っぽかったし、実際よく野球を知っていた。彼は主将も務めていたので、いわゆるキャプテン翼である。野球チームなのにややこしい。

多少打順の入れ替わりはあったけど、7番レフトウッディ、8番センターまことも、いとも簡単にヒットを放って塁上を駆け回る。下位打線とは思えない超強力打線。

そして、前述の通り、9番ライトを7人ぐらいが争う地獄絵図。恐らくひーぶー4割、僕3割、他もーちゃん、せっちゃん、じゅんき、まーぶーで3割くらいの割合だった気がする。途中入部の転入生すけもり君ですら9番ライトを競わされるのであった。

僕なんかは九州大会の初戦に使ってもらったものの、ライナーをバンザイしてしまったり、大事なところでことごとく役に立てない戦力だった気がする。神山監督、ご期待に沿えず大変恐れ入ります。何卒よろしくお願いいたします。

 

2003年熊日旗学童軟式野球大会で僕らは優勝した。これ、なんとびっくり元ソフトバンクホークス馬原選手たちが優勝した以来、母校の優勝となった。

決勝のスコアを残念ながら覚えていないんだけど、初回2点取られて裏にすぐ4点取って、からの多分13-7みたいなおもしろシーソーゲームだった気がする。僕はと言うと満塁で代打で出て、ガチガチに緊張した結果振り遅れて、ボヨヨーンって高く弾んだファーストへの内野ゴロ。けれどもどこにも投げられず、勝ち越しとなるタイムリー内野安打になった。翌朝の熊日新聞に、1打数1安打1打点って記されて、いい感じに仕上がった。祖父母が尋常じゃなく喜んでくれて、いまだに親戚の集まりで話題にしてくれるんだけど、あの夏から14年経ってる。活躍を更新できておらず大変恐れ入ります。何卒よろしくお願いいたします。

 

実家にあるメダルはほとんど小学校時代の野球部のもの。

中学では上手いやつらはみんなシニアに行っちゃったり、野球部に入ったやつもタバコ吸って退部になっちゃったり、人生いろいろだ。高校にあがって、まさか自分がピッチャーになってりゅうたや翼と対戦するとは、人生いろいろだ。相変わらず野球が上手い彼らに5割くらい打たれた気がする。なんだか嬉しい悔しさである。

 

僕がピッチャーをやりはじめたのは中学野球部で、上野先生にカーブならってちょっと覚醒したんだけど、思えばその前に少しきっかけがあって。

小学校野球を引退して冬。早くもシニア入りを考えてトレーニングを積むまさお、ヨッシー達の練習に混ぜてもらって、彼ら相手にバッティングピッチャーをやっていた。別にそれまでピッチャーをやったことなく、初めてのマウンドから元四番に胸を借りる、これすげぇ楽しかった。全球全力で投げて、全球痛烈に打たれた。打ち損じは打ったやつが、ヒット性の打球は打たれたやつが取りに行くルールだったんだけど、ん?おかしいな、いっつも僕が取りに走ってへろへろになってまた打たれてちょ待って無理チェンジコールドゲーム

これまた「漫画みたい」なんだけど、あまりに打たれすぎるからってまさおに左打席に立ってもらって思いっきり投げたら、左打席から託小のプールに放り込まれたこともあった。松井ですやん。ゴジラですやん。

四番ピッチャーの僕らのチームは、最高で九州ベスト8に輝いた。

のちに、まさおは神奈川大学野球連盟ベストナインに選ばれたりした。

僕の周りには、後々、売れてったり日本一になったりすごい人間がとっても多くって、友人自慢だけじゃ寂しいから、そろそろその流れに乗っていかないと、と凡人は焦るのである。

 

野球つながりで、1つ。

オリックス宮内オーナーが「キャンプは順調です。」と聞いて、こう指摘した。「昨年最下位だったチームが順調ということは今年もまた最下位ということだ」と。

サラリーマンの僕はと言うと持ち前の「やれてます感」が年々通用しなくなっていて。繰り返す日々に安定を求めて本気の出し方を忘れそうになるけど、ここは1つ、優勝した喜びを信じて思い出して燃え上がりたいところ。勝ってもないし、完敗してもない今は、あれこれまずくね?と凡人は焦るのである。

 

唯一の救いは、優勝する喜びを知っていること。そして、たとえ打たれたとしても、本気で投げた結果であればスッキリするって知っていること。

どちらも、「四番ピッチャー」が教えてくれたことである。

282

新しいこと始めるの、実は春でなく秋がいいんじゃない?って思ってる。

 

お気に入りの洋服がいつの間にかバザーに出されてて、望んでもなかった「おニュー」が勝手に押し寄せるみたいな春は、僕なんかついていくので精一杯。コミュニティの中でおもしろいを押さえにいくのに時間がかかる。先におもしろいを押さえられるとけっこうシャクだったりする。

それに対して、落ち着きを見せ、来季を見据え、企みにあける秋はいい。長い夜のお供にポケモン銀を始めてしまって、サイコキネシスの懐かしさ。なんにせよ涼しくなった秋の風はチャレンジングに跳びやすい。のでは。

 

結婚・出産以外のニュースをあげるのはおじさま達しかほぼいないFacebookのタイムラインに、こないだゼミの仲良しが転職のお知らせをあげていた。曰く、3年半勤めた銀行をやめて10月からNYで働きます、と。2017年正月に引いたおみくじの写メ(死語)を添えて。

ほへー、すごい行動力。福岡出身者の飛び出す精神はどいつもすごかね~なんて感心しながらその写メ(今の子で言うインスタ)のおみくじを読んでみる。

「運勢:変革の運気です。良い意味で変化がもたらされる運勢にあります。変わることによって運気も向上します。一時的に壁に突き当たることがあっても、それを破ることによって新しい境地が開けます。」

これ、書いた人は絶対そのつもりがなくっても、この一文をきっかけにして羽にして後押しにして、今まさに羽ばたこうとしている人がいっ

 

ん、これ、おみくじ小吉だ!!

 

久々にびびったぜ二度見。こういう背中を押してくれる系のおみくじの相場は大吉って決まってるのに、小吉のおみくじの写メ(いや、インスタて)で飛び立とうとしているたくましいゼミの女子を見て笑いながらいいねを押してみる。

なんとなく誰かがせーのって言ってくれる。はいここですよって手元の回答ランプが光ってくれる。そんな風に、何かは分からないけどきっかけを待っている心持ちだったけど、そんなもんねぇなって思い知らされる。

「何がすごいって、何がらしいって、これおみくじ小吉なんですよ。それ全く関係なくどこ吹く風って受け流して都合いいところをエネルギーに変えてるの、本当にすごいわ!がんばれ!!」って僕のコメント、そいつの周りで少しだけ好評だったっぽくてわざわざお礼のLINEをくれる。そういうありがとうを漏れなく伝えてくれるいいやつだから、ゼミ合宿のバスの車内でいきなりラジオをやれと言われても、半年に一度のゼミの納会でサーバーから直接ワインを口に注がれても、ファンだったら殺意を抱くだろうaikoのキラキラを何度聞いても歌詞を覚えずいい加減に歌うのも、許せるいや、どうかな、思い出したら腹が立ってきたな。

大丈夫、なんてったってキャリアウーマンが流行った年だ。きっとうまくいく。ニューヨークに会いに行ってあげたいなと思う。

 

久しぶりにちゃんとしたおデートを予定したその日に台風が直撃するという、秋雨前線と自分の雨男っぷりを恨んだこないだの3連休。「雨だから人空いてるよきっと」って深海展に付き合ってくれる優しさを好いてるよきっと。結果、110分待ちで、都民暇かよなんて思ったりしたけど。

話戻して出発前の台風中継。ちらっと見てたら地方局のレポーター、なんとお笑いサークル時代の後輩ではあるまいか。サイト調べたらちゃんと地方局のアナウンサーになっていた。

ほへー、すごい行動力。個人的にちょっと思い入れがあって、当時僕4年生、彼1年生。就活の合間を縫ってシンカンのお手伝いに繰り出していた時のこと。ブースで先輩風吹かしながら、まともな人間もいるよって安心感、付加しながら。説明続ける僕のもとに、将来アナウンサーになりたいんですと彼がやってきた。アナウンス研究会なり、放送研究会なり、1年生の奪い合いに負けぬようほらを吹く「このサークルでもアナウンサーなれるよ、多分きっと知らないけど」と。

当時、たまたま自分がテレビ局のアナウンサー試験をうけている最中だったから、面接の話とかいろいろ話すことができたのだ。たしか3次面接くらいまで行ってて、カメラテストとかしたっけな。3次ともなるとカメラテストがある。サイコロの目に書いてあるトークテーマで1分間のアドリブトークを求められる。何が出るかな何が出るかな、タララランランタラララン「私の秘密」、ハイはじめ。

今だったら、

実はこの苗字は源頼朝が命名したんです。時は鎌倉、群馬の山奥に源頼朝が来た時のこと。当然何かお納めしないといけない。やれ山菜だ、やれ反物だ、やれだるま弁当だと周りがやっていた中で、海なし県群馬で魚が食べられたらきっと感動するに違いないって閃いた僕の先祖様、川をせき止めて川魚を獲ってそいつを献上した。すると頼朝様、こんな山奥で魚が食えるとは、ってえらく感動され、お前に名字を授けようはいって僕の名字ができたそうです。まぁ、これ聞いたの親父からなので、親父が大ほら吹きの可能性も残っていますが。

とか、

実は帰国子女なんです。アメリカの思い出は、キンダーガーデンの先生がいくらストップストップって言っても、遠慮すんなよユーこれ好きでしょってなぜか笑顔でピーナッツバターを塗るのを止めてくれず、吐きそうなくらいゲロ甘トーストを食べたことです。あと僕より顔の濃い親父が、税関通るたびにお前は本当に日本人かって疑われまくってたことです。

 

とか言えるんだけど、当時は緊張感と練習不足が甚だしくって、あと親父をオチに使うのはどうなんだって葛藤があってやらかしちゃった。こんな風に答えた。

はい、実は私野球を9年間やっておりました。小学校の先生の指導が「インコースはよけずに当たって塁に出ろ」でしたので、体をひねってよく当たっていたのですが、人間の体のフシギでしょうか?実は私の左太ももの裏に、野球ボールサイズで毛が密集して生えているエリアがございます。僕はそこをこう呼んでいます、「エリア51」と。、、はい。

えーーーーーーーーーーーーーっと、以上です。

 

40秒ほどあまして終了した。

無言の40秒ののち、機材のスタッフさんから「あーいOK」と声がかかった。元気なくなっちゃったのかよと思うくらい小声だった。当然、落ちた。まぁ、今にして思えば面接試験の時点で「3次試験、今の気分はどう?」って聞かれた最初の質問に「はい、もう満足です!」と答えてしまった時点で記念受験っぷりが滲み出てたと思う。人生エピソードトーク作りだなぁってこの辺から思っている。

 

みたいな、僕のアナウンサー就活体験記をちゃんと聞いてくれた。別に当人の努力がすごい世界なので、別に自分がどうではなく、単なる後輩スゲェんだぜ自慢に留めておくけども、一瞬の一言の時間の言葉の共有が、人生を左右する影響する、びっくりさせるドッキリさせる。

これまたイイカゲンな持論なんだけど、僕は関わった人が後に何かしらチャンピオンだとかその世界の有名人になるってことが本当に多くて、もはやそういう力が自分にほんの少しだけあんじゃねぇかって思ってる。なんかそういう類のサイコキネシスが。もちろん当人の努力でしかないんだけど、都合よくカイシャクして僕と僕の知り合いだけなんでだかいいことありますように、って散歩にでも繰り出す秋の風。

歩いて考えるに僕の仕事には、明日のスターを作り出すような部分もあって、社内でもよく「今、おもしろい20代って誰だろね?」みたいな会話が頻繁に繰り広げられている。おもしろいがこれまた広いんだけど、その辺のアンテナが今今はすごく弱くって、思ったより自分は人に興味がないし、おもしろいの捉え方も狭いなって、ようやく気付いた。ムチのチ、ここからである。

 

書いてて思い出したけど、一瞬の一言の時間の言葉の共有が、人生を左右する影響する、びっくりさせるドッキリさせる。ってあるな。

その昔、高校時代。うちの高校は論文を書かせる時間があって僕なんかはいい加減だから「話芸~なぜ彼らはオモシロいのか~」なんつって、内容はすべらない話のDVDをひたすら見てこの話いいよってレコメンドするだけだったけど。

ある女の子は、クラスメイトへのアンケート結果を元に、知らず知らずのうちに覚えている「広告」というものを掘り下げた論文を書いていた。とても良くできた内容だったと覚えている。んで、その論文のタイトルがズバリ「広告サイコキネシス」だった。

高校時代全く関わりがなかったんだけど、10年経った今、オシゴトの領域が近くてたまにその子とTwitterで話したり、ご飯に行ったり、広告についてお話してるの、これまた1つのサイコキネシス。こうかはばつぐんだ。

あれ?であれば僕、毒タイプ?ドガ―!(ドガ―スの鳴き声)

 

学生時代、小さな広告賞で受賞した時に書いた自分の受賞コメントを読み返す。

「世界の名言集」を読み漁るマセガキが、中・高・大学と加速度的にオモシロい人たちのオモシロい言葉にふれ、こうなりました。今後は社会にて、仕上げていきたく思います。

 

相変わらず実力が伴っておらずトラブルを引き起こして、胃が胃た胃ときもそりゃあるんだけど、自分がよく言われる「ケツの穴のちいせぇ男だな」って言葉で言うと、その点では、そういう意味においては、最近はおかげさまでケツの穴を広げる仕事をしているし、もっともっとケツの穴を広げていきたいと思う。

281

ブログ初めてはや4年。初めて「日記」を書こうと思う。

9月10日(日)晴れ。今日はとにかく色々な感情を覚えました。

 

と言うのも、僕は日記、ブログ、メモ、備忘録などこの手のものを4つ更新している。

誰と笑ったとか誰々がかわいかったとかを毎日書いてる日記(4行程度)。誰にも見せず将来と人生を空想するノート(B5サイズ、半ページから2ページばかし)。出先で見た聞いたいい言葉いい話をためとくスマホのメモ(一言もあればだらだら書くこともある)。それらを消化して自分の言葉で書くブログ(心頭滅却すれば火もまたスズシ)。

記憶力いい方じゃないけど、4つも書き散らかしてたらそりゃ覚えてるわね、というわけだ。あ、ちなみに5つ目はそう、君です。みたいなことを言うと多分言われた方は意味分からなすぎてゲボが出ちゃうと思うし、僕もそれ見て貰いゲボしそうだから言わないでおくとして。意味わからねぇよと意味なんてねぇよをいったりきたり。

とは言え、事実をそのまま書いたって仕方がない。それは事実か?それとも真実か?と、よくカイシャの上司にご指導いただく。僕の事実を書いたとて、目から退屈を取り入れるこの時間はしんどいはずだから、時折ウソは入れていきたい。「ウソという鳥がいます ウソではありません ホントです ホントという鳥はいませんが」って川崎洋も国語の教科書で言ってたし。しかしながらあの詩、後半急に感動させてくるからもうまさに「ウソやん」ですリアクション。

「僕実は今日やりたいことがありまして「このあたたかさだけはウソではない」って1回でいいから言ってみたいんですよー」「じゃ分かったお前何も信じられない人やってよ。俺水をすくう形に両手のひらを重ねそっと息を吹きかけるから」「分かりましたやってみましょう」「ウィン」「いらっしゃいませ、いやコンビニのコントインするなよ」

 

ウソで思い出したが、「お前の8割5分はウソでできている」と高校野球部の同級生中嶋さんによく言われている。このウソ率は会うたびに変わっていて、たまに10割ウソという、それこそウソみたいな設定を押し付けられる。なに、ことの発端は大した話ではない。高1の頃、週末の英語の宿題その名もまんま「Weekend Power」を、部活帰りにやったかどうか話しながら帰っていたとき、「もう終わった?」って聞かれた僕はとっさに「おう」って言ってしまった。お察しの通り、やってなかったし、やるつもりもなかった。「いい加減にやるくらいならやらない方がましだ」という先生の教えを、そうか僕みたいないい加減な人間はやらない方がましなのだ、と真に受けていた。

週明け月曜日、未提出である僕を見て彼中嶋さんは愕然とするわけで。そこから8割5分と命名される。それくらいはいいだろうという僕と、その程度のことからウソをつくお前ってやつは、という中嶋さんとは永遠に交わらない。

Twitterで流れてきたけど「人間には『贅沢なごはん食べよう』って思ったとき『背伸びして初めてのフレンチフルコース行こう(日常と特別は別次元)』と『いつものラーメン屋さんでトッピング全部乗せしよう(日常の上位が特別)』の2種類がいて、大抵この2つは相容れない」みたいなもんだ。

 

で君、日記は?

 

いくらでも書き続けられちゃうからこの辺にしておいて仕切りなおして。

9月10日(日)晴れ。今日はとにかく色々な感情を覚えました。

 

9時起床。

夜中4時までマイナーなアイドルの卵(マイナーなアイドルですらない)とTwitterで交流をしていたから正直もっと寝てたかったけど、目が覚めてしまった。いつも応援してます!から始まった会話が思いのほか途切れず、先方からの「絶賛元カレ引きずり中です」という言葉で目の前が真っ暗になった。別にショックを受けたわけではなく、単に睡魔に襲われた。キャーこの人睡魔でZzz。

朝。テレビをつけて、テレビを消す。スマホを開いて、スマホを閉じる。閉じるって言うのかしら。洗濯しながら、外が天気いいだけでゴキゲンになる自分は扱いやすいなと思うし、雨が降っていても基本はゴキゲンなので今回の自分の設定は甘すぎやしないかと思う。買い物に行って牛乳とハムを買う。目玉焼きの下にハムを敷いてさらにその下にご飯を敷いて食べる。さて問題、一番上に乗っているものは何でしょう?目玉焼き?ブッブー。この後お醤油をかけましたーペロリ。

 

12時出発。

東京8年目でも相変わらず「東京 イベント」でググって出かけている。東京藝大OGの友人がやってるTシャツ屋さんにも行きたかったけど上野を組み込むにはちと遠かった。Tシャツで思い出したけど「ヤバイTシャツ屋さん」っていうバンド名かっこいいよな。あの曲よかったよデビュー曲『生乾き』、染みたなぁ。

向かうは渋谷ツタヤ。お目当ては篠崎愛大将軍のリリイベである。ひかえひかえーい。胸が張り裂けそう。中2くらいから、こういう時便利な表現「憧れ」のお方である。

商品にものすごい特性や優位性がある場合、エモーショナルな事を回りくどく言うより事実をただ告げるだけでよい。その代表がダイソン「吸引力の変わらない、ただひとつの掃除機」だ。いつだったか篠崎愛さんのグラビアに「また少しだけ胸が・・・大きくなっちゃった」ってコピーが添えられていて、その時から勝手に篠崎愛=ダイソン説を唱えている。

 

13時篠崎。

1枚で握手、2枚でツーショットまたはサイン入りポスターという生唾vsお財布。とは言え1枚1300円だからここは迷わず2枚購入。一昨日後輩におごったランチ1000円がここで効いてくるとは。いや、別に金額の大小ではないのだ。そこまでちっちゃな男ではない。ただ僕は、タイカレー屋さんでタイカレーでなく、トムヤムクンラーメンを食うような後輩に戸惑いを隠せなかった。食い終わった後「多かったっスね。途中からもういいやってなりました。」ってもうさぁ!

この手のイベントはたいてい頭髪を散らかされたダンディたちが多いのだが、さすが篠崎大将軍。そこは若い女性や外国人の方も多くいらっしゃったので、列に並んでても人の目はあまり気にならなかった。もっとも、並ばされたのは非常階段だから誰も通らないのだが。

あっという間にいざ、篠崎!普通にお話をさせていただいた。気さくでいい人だった。同じクラスだったらすごい話しかけてただろうし、スタイルがどうこうでなく単純に可愛いなって思ってる。

そしてこのタイミングで、そう、僕の中の8割5分ウソマンが顔を出してしまった。

大学の1つ下の後輩の女の子が篠崎大将軍(そろそろ篠崎さんでいいかな)となんと小学校で同じクラスだったらしい。その子は一浪しているから実質、僕と同い年の後輩で、つまり僕も篠崎さんと同級生なのである。

ご存知のように、ナカヨシになる鉄板トークテーマと言えば共通の友人である。共通点を探して話しかけるべきだ。僕はその後輩の話をしようと決めていた。しかしいざ会話で「僕の後輩が篠崎さんと同じクラスだったみたいで」と言うと、僕は篠崎さんとは同級生ではないと思われてしまう。大学の浪人のくだりを話すとまたややこしい。「僕の後輩(彼女は一浪しているから実際は僕も同級生なんですけど)が篠崎さんと同じクラスだったみたいで、〇〇さんって覚えてます?」がフルストーリーの正解だ。しかし、AKBのハガシが有名のようにたった数秒の世界で、そんなに詰め込んでさらにツーショットを撮る時間はない。

僕は悩んだ。こういう些細なところに思い悩む。ホンシツはそこではないとよくカイシャの上司にご指導いただく。どうしたらいいのか。あとどうして僕はあの時「Weekend Powerは終わったよ」とウソをついてしまったのだろうか。

悩んだ挙句いざ対面して、「あ、実は僕の"彼女"が篠崎さんと同じクラスだったみたいで」と、斜め上からのウソを放り込んでしまった。キョリカンを優先させるあまりのまっ赤な嘘を、10年以上一方的に憧れていた初対面のレジェンドグラビアアイドルにぶちかましてしまった。案の定「え!えー、〇〇ちゃん分かりますけど。あ、付き合ってるんですね!」って乗っかってこられてしまい、僕はあの時の、あのWeekend Powerの時みたいに「おう」って言って去ってしまった。終了。写メ見たら、僕ものすごいバツが悪そうな顔してた。アヤパンごめんなさい。篠崎さん綺麗でした!

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14時新宿。

長く書きすぎた。3000字なんて書いたの、このブログでは初めてで。タイピング気持ちいいなおいってなってる。渋谷から新宿へ行った理由は、ずばりお洋服を買うためである。1回しかそこで買ってないんだけど、接客してくれたカジワラさんがすごい優しくて、これは冒険する服、これは絶対持っておくべき服、これは平井堅っぽいんでちょっとお兄さん1回着てもらっていいっすか?あーやっぱり!の服を1対2対7の割合で繰り出してくる方で、楽しくなって思わず7の方を買ってしまったということがあった。

そんなカジワラさんが渋谷店に異動になるらしく、最後に来てくださいよって携帯までお電話いただいたので、僕そういうの嬉しくなっちゃうタイプだから行ってきた。今回は残念ながらお客さんも多かったので期待していた7の部分が0になって全体的に3しかなかったけど、2の絶対持っておくべき服を購入した。いやはや、人と人の縁である。運、縁、恩。あんといんでいいものがあればぜひ教えてください。デジタルの時代だからこそリアルの接点はとても貴重で重要だ。カジワラさんが渋谷店に行ってもまたすぐ会いに行こうと思っていたんだけど、最後お店出るとき、エスカレーターまで持って届けてもらって、ではまた!ってゆっくりくだっていく僕の背中に、「第二章は渋谷で!」って言ってきたから、あー、うん。ほんの少し、通うのをためらっている僕がいます。

 

17時焼肉。

セクシー女優さんのオフ会に参加しました。今日はとにかく色々な感情を覚えました。

 

25時睡眠。

280

やれ、愛だの言葉だの細身の馬面が好き勝手に書き喚いているけども、一番好きな広告はけっこうビジュアルありきだったりする。

「あの頃の青を探して。」

世の中で僕が1番に好きなキャッチコピーです。こちらです。

「あの頃の青を探して」の画像検索結果

何と言うかたった10文字、このちょっと添える感じ。「前、開いてますよ」みたいなさりげなく添える感じにハッとする。ばーんと視界に飛び込んでくる青に圧倒された後のシメが利いていて好きなのだ。もちろん、ここにも原体験がある。

 

Twitterを始めて丸7年のお知らせが届いた。知らせてくれた青い鳥の存在を始めに知らせてくれたのは幼馴染のてっちゃんで、教えてもらって大学1年の夏からつぶやき始めた。その時僕は、所属するお笑いサークルの夏の伝統、全国の病院を回る巡業中であった。と言っても普通の漫才なんかじゃウケないから(ツッコミではたいたりすると「なんでたたくのよ!あの子悪くないでしょ!」とトラウマを持ったおばあちゃん患者さんが発狂しちゃったり)、甚平着てピコピコハンマーを持って分かりやすいネタをやる。ネタをやっては観光して、美味いもん食って、ネタをやっての繰り返し。6,7人で、車1台で、当時は九州を1周していた。

たしか最初のつぶやきは

「山の斜面は転がるためにあるなう」

みたいなことを呟いた気がする。

 

水辺を見れば服着たまま飛び込む。芝生があれば転がる。フリとオチの何たるかと、ポコチンの面白さを教えてもらう旅である。それまで野球しかやってなかった田舎の高校生が、東京の大学生になり、まだ入会して3ヶ月も経たないようなコミュニティの人たちと2週間寝食を共にする、軽い絶望とわくわく。

親以外の運転がそもそも初めて。皆さんそういうのありましたよね?あの心細さ。これ、この人がハンドルをえいってやったら僕らすぐ死ぬなっていう変な興味、好奇心。

道中は、奥田民生を聞く。「井上陽水奥田民生だぜ?PUFFYが良くないわけがないんだよ、なぁ!」って先輩がイッチョ前に語ってる。それまで(恥ずかしながら田舎の高校生はみんなそう)EXILEを聞きかじる程度だった僕には衝撃的なかっこよさ。温泉に行く。コインランドリーを使う。これまでじゃ想像できないほどの自由な旅、暑い熱い九州の夏。先述の先輩は「これオシャレじゃない?」ってなぜだか後半1週間、体拭いたバスタオルを日中、首に巻いて行動し始めたので真夏、想像を絶する異臭だったけど、今じゃいい思い出。巡業から戻ってすぐ僕は、その先輩を敬うのをやめて呼び捨てにすることに決めた。多少のおひねりもいただき、ご厚意に甘えて宿泊までさせていただく夏の夜の病院のヒンヤリ。

1日1日が衝撃的だったあの夏の不安と緊張と、なによりそれ以上の自由。

「あの頃の青を探して。」はいつだってあの夏の、九州の田舎道を思い出させてくれる。

 

そういやSMAPの「freebird」のPVがとても好きなんだけど、それも相通ずるものがあると思っていて。最初にしんごちゃんとつよぽんの雑談から始まる。

香取「自由になりたい。自由になる怖さもあるけど、正直そんなことよりも自由になりてぇ」

草薙「それ以上のことないのかもしれないな、そしたら。なんなんだろね。」

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今年、1人でドイツ行ったりしてみたけど、多分僕はずっと「あの頃の青を探して」いる。

 

さて、思い出に浸っていても仕方ない。湿った夏は静かに通りすぎる。

最近、あらためてこれすごいコピーだなってのがあって25歳の夏に書き記しておくことにする。

 

首都高速道路

「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」

 

よく、いいコピーの条件で「発見」があるかどうかだと言われている。

たしかにそうだよね、って気づかせてくれるこのコピーは、ただの安全推進のコピーとは思えない、もっと大きな人間観がある。やれ、デジタルだSNSだと言われる昨今、人間中心設計がとても求められる。人間、腹が減ったらむしゃくしゃするし、ありがとうって言われたらそれだけでちょっと生きてける。そんな人間の本質に、ただの高速道路の広告が迫ろうとしてる。

地元に帰ったときに同級生の結婚や離婚を聞いたり。同期が退職して別々の道に進んだり。僕自身グループ会社に出向したり。ネンシュウとかキャリアとか、実家に帰れば「アンタカノジョトカイナイノ?」っていう、全部カタカナで書きたくなるほど入ってこない母さんの嘆きとか。「みんな違って、みんないい」の無責任さもいいけど「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」の方が入ってくる気がする。

「サーネ」なんて答えて、白のパーンダーをどれでも全部並べーてー♪と歌ってる。

 

「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」ってつぶやいてみて、じゃ自分のゴールはどこなんだろうってのに今、とっても興味を持っている。わくわくしてる。

そうそう、「自由だ。変えよう。」って、ソニーが不振のPC事業を事業譲渡するとき、譲渡された側のVAIOが独立したときの広告そのボディコピーに胸が熱くなって、あれすげぇかっこいいからぜひ読んでみてちょ。

「バイオ 自由だ」の画像検索結果

どうやら僕は年々広告を好きになっていってるみたいで、引き続きどうぞよろしく。

 

最後、ちょうど残り3ヶ月で26になる自分に向けて、この夏を締めくくりたい。

メディアプランナー指南役さんが、それこそツイッターでよく仰っている「26歳覚醒説」を引用させていただく。

 

"人間は26歳の時になりたいと思った人間に最終的になれるという。26というと、大卒なら就職して4年目。そこで初めて人生でやりたいことが見えるらしい。だから就活で「やりたいことが分からない」と焦る必要はない。とりあえずどっかへ入って3年我慢。そこから。"