心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

289

はじめに申し上げますと、今回は過去記事の再録そしてその続きです。

 

当時、大学4年生。今よりちょっとだけ頭がトチ狂っていた頃の話。

地上波初放送の君の名は。を観て、少し長くなるけど、改めてまとめておこうと。

 

100 - 心頭滅却すれば火もまたスズシ

小学校の入学式の夜、父に「どうだ、かわいい子はいたか?笑」と聞かれ、「○○ちゃんと○○ちゃんと○○ちゃんと…」と初対面なのに10人くらいの名を挙げたらしい、そんな僕の初恋は、小3の2学期で、どベタに、転校生。

僕が東京湾の海沿いに住んでた頃、その子、Mさんは九州から越してきた。

ぶっとんで美人ってわけじゃなかったと思うけど、自分の好みの顔だった。というかMさんによって自分の好みが作られた。くしゃっと笑うっていうあれ。

あと、方言。覚えてるエピソードなんて片手分もないけど「なわとび」のイントネーションはすごく耳に残っている。

 

やいやいからかうと下心がばれちゃう小学生男子。僕はとにかく優しくした気がする。初めての、好きな子を笑わせる喜び、だったのかもしれない。他の男子で笑っているとシャクだったし、おかげで僕でよく笑ってくれていたと思う。多分僕、学級委員長的なポジションだったしお世話しながら「おれもばあちゃん九州なんだー」って共通点もあったかな。

もっと具体的な、体育館裏とか、下駄箱にラブレターとか出てくると盛り上がるんだけどいかんせん小3。写真すら残っているのは、学期末お楽しみ会のクラス写真1枚のみ。僕は劇の出し物のサルの格好で、Mさんはトナカイのカチューシャしてリコーダー吹いてるっていう1枚のみ。その写真を何回も見返した。

初恋の、Mさんは、ずっと小3のまま。

 

なんでかって僕が小4に上がる春に、九州に引っ越しちゃったからだ。

Mさんと過ごしたのはたった半年。しかも小3の、っていう微妙な半年。

 

引っ越すとき、クラスのみんなからお別れの手紙をもらった。先生は太ったおばちゃんで、楽しくて仲の良いクラスだった。

みんなは自分で紙と封筒用意してくれたんだけど、Mさんは先生が配った学校のTheお手紙セットに書いていて、なんだかそれが振られた気がして勝手に悲しくてあんまり内容は読まなかった。読んでも入ってこなかった。

「優しくしてくれてありがとう。九州でも頑張って」くらいだったかな。

良くも悪くも小3だったんだ。

 

話は飛んで、僕もそれからそれなりに生きて21歳。5月、就活で実家に帰ったときのこと。

ブログも始めていたし、過去を振り返ろうと中学ぶりくらいに小3のアルバムを開く、たった1枚の写真と、みんなからのお手紙の入った。

写真を見ながら1枚でも、残っていてよかったな、と思う。他の人は残念ながら半分以上名前を忘れているものの、Mさんの名前はフルネームでしっかり覚えている。今どんな人になっているんだろうなー。もう二度とニドトにどと、会えないけどさ。

 

お手紙も、読み返す。

当時こっぱずかしさと切なさから読み飛ばした、初恋の人からのお手紙を、しっかり読む。するとびっくり、手紙の右下に今まで度々読み返しても気づかなかった言葉が書いてあるではないか、まるで濡らすと文字が浮かび上がるペンみたいに。

 

「行かないで、寂しいよ><」

 

実際にあった話だが、ホラーでもなんでもない。これ、すごいちっさい文字で、しかも紙の色と同色の蛍光ペンで書かれてて、ごめんけど、見づらいよ><

何年と見逃しちゃってたらしい(勝手な解釈)あの子からの好意を、都合よく両想いだととらえる。男の恋は名前をつけて保存だなんて言う。塗り替えられるはずもない。

蛍光ペンがずっと、光ってる。

 

101 - 心頭滅却すれば火もまたスズシ

地元での就活が終わり東京に戻った。

手紙に隠された(勝手な解釈)あの子からの好意を、両想いにまで勝手に昇華させた僕は、SNSのお力を頼った。Facebookはとりあえず名前を入れてみたが、同姓同名がこうも多いとは。しかもご本人はいそうになく。

ツイッターで見つけるのはこれまた至難の業だ。本名を入れてもまず、出てこない。

最初は諦めたけど、色々なパターンを試すのが楽しくなってきてしまった。もう一度言うけど当時、大学4年生。今よりちょっとだけ頭がトチ狂っていた頃の話。

苗字、名前などいろいろ試した最後、あだ名と住んでいた海沿いの地名を入れたら、まさかまさかの、ビンゴ。幸いにもカギがかかっていなかった。どこからがストーカーなのだろうか。という不安はあったが覗いてみた。

偶然にも東京で大学生、彼氏はいるっぽかったがそんなことはどうでもいいくらい、今どうしているかが分かって、気持ち悪いのは分かるけど嬉しかった。

写真もあった。

びっくりするくらい変わってないあのくしゃっとした笑顔に、泣きそうになった。

引越しでもう二度と会えないと覚悟した初恋の子と、ネットの荒波で、13年ぶりに再会できたのだ。

いや、再会では、ないけど、まだ。

 

もう本当に申し訳ないのだけど、バイト先のカフェのことも書いていて。

僕の家から1時間ちょっとで、会いに行ける。今会えるカフェ店員(と書いてアイドルと読む)だ。

 

さて、ここで質問。このあと僕はどうすればいいのか。

今はお互い好きな人がいる。しかし、一目見たい。それもいつアカウントが消えるかいつ鍵をかけられるか分からないから、できるだけ早いところ。会うまで足げに通う覚悟も、大学4年生、時間はある。

 

問題は、会ってどうするか、だ。小3の頃のクラスメートと名乗る人物に偶然話しかけられて飲み込めるだろうか、いや、無理だ。しかも半年だけだし。

話しかけない方がいいのかもしれない。

カフェを去る時に「好きでした。会えて嬉しかったです。」と置手紙をしていくか。いや、キモイ。

思い切ってラインのIDでも残すか。いや、キツイ。

それか偶然を装って、あれ、Mさんじゃない?と話しかけるか。いや、キショイ。

間違ってもツイッター見ましたとは言えない。不自然なのはハナからだ。

 

そもそも声をかけられるのか。本当は声をおかけして覚えててくれているか聞いてみたい。 覚えていない、と思う。思い出してくれれば、と思う。僕だってエピソードはほぼない。

「なわとび」の発音にきゅんときました、なんて伝えてどうする。でも話しかけてみたいのだ。こんなアホみたいなこと今しかできないと思う。会わなきゃ、だめなやつなんだ。

一緒にすごした半年間から13年の月日が流れる。

 

いかにも君の名は。的にまとめているものの、言ったらただのネットストーカー。そしてここから先はブログに書いていないところ。

きっかけは2016年10月。ナイトショーで『君の名は。』を観た帰り道。映画自体は例のごとく「きれいかったなー」ぐらいしか思わなかったんだけど、なんだかこう不思議と自分に似たような経験がある気がした。まさかそんなわけあるか?いや、ある。覚えている。会いに行かなきゃ。会いに行かなきゃっていうあの切迫した胸の高まり。あの自分でも説明できない行動力。あの、あの。

もやもやを1つずつ解きながら、新宿から池袋過ぎの家まで歩いて帰った。帰りながら当時大学4年生の、続きを綴ってみた。

 

あのあと、実は会いに行った。

京急線のとある駅のとあるカフェチェーン。これもまた運命で、当時姉が横須賀で教員をやっていて、姉の住む最寄り駅のカフェでMさんが働いていた。

姉にメシ食おうぜとかって無駄に用事を作って帰りに1人でカフェに立ち寄る作戦。1回目はたしか無駄足に終わった。いなかった。がっかりした。無駄にコーヒーを飲んで黄昏れて、がっかりはしたけどある意味ほっとした。

それでも、2週間後ぐらいにまた行った。

そして、会えた。

会えてしまった。

とびきり綺麗になってて名札にMの名字が書いてあって、初恋の人に気付かれないまま接客された。声がすごい通る声で綺麗だったことを耳が覚えてる。

カフェオレを注文して少し待って受け取って座って飲み始める。レジ前の窓を向いた席。背中越しに聞こえるMさんの接客。

どうする?どうする?どうする?

声をかけるかどうするか。たまたまを装っているとは言えやってることはドが付くほどストーカー。時間も21時半。閉店も近い。空いたカップを下げる。意を決する。

「あの、、Mさんって、、Mさんだよね?」無駄な小芝居をする。

「小学校同じクラスだった、ホシカワです。」って言ってみる。

Mさん、完全に戸惑ってる。

そりゃそうだ小6ならまだしも3年生で引っ越したやつを誰が覚えていようか。僕ですら覚えていない。

後悔した。急に後悔がこみ上げてきた。うわー。

「あ、、って言っても覚えてないよね。ごめんまた今度!」って逃げた。すぐさま電車に乗った。会えて嬉しかったのは間違いないんだけど困らせてしまった。申し訳なさでいっぱいになった。

1時間半の帰り道が永遠に感じられた。

 

もう最後にしようって決めて、その日帰ってからMさんのツイッター見てみたら「ホシカワくん?干川くん?」っていうつぶやきがあって、何人かが「引っ越しちゃった背の高い子だよ!」みたいな返信をしていた。Mさんはおぼえていなかったっぽいけど、周りの人は覚えててくれる人もいたみたいだった。

それから一切見ていない。今はアカウント名も何一つ、忘れた。

 

そんでもってそんなことがあった上であぁもう運命ってすげぇなって事実は小説よりもなんとやらだなって思うのが、その翌年から僕らは社会人だったんだけど、Mさん教員免許取って試験に受かってなんと横須賀で教員になられた。

なんで知っているかって?

 

配属されたのが姉のいる学校だった。

「あれ、もしかしてうちの弟もMさんと同い年なんだよー!」

って姉すごく仲良くなったらしい弟の初恋相手と。

その弟が、バイト先見つけちゃって会いに行ったことは姉には内緒の話だし、姉も今は地元九州に戻ったので、組紐が交わうことはきっともうない。

 

あの日、あの駅前のカフェで。13年ぶり、小3の僕とMさんが。

瀧「あの!オレ、君の事どこかで...」
三葉「私も...」
瀧&三葉「君の名前は」

とはならなかったけど、それでも。

忘れたくない人がいて、九州と横須賀を繋いで飛び越えて、時間のいたずらの中で、また巡り合えた。

 

これが僕の、君の名は。

288

それは2014年の秋から。

そう、iPhoneに替えてから書き溜めてきたメモがいよいよパンクしそうになっている。なにもデータの話ではない。見返す際、あまりの縦スクロールに親指の指紋がなくなりつつあるのだ。まいった、ログインができなくなる。

で初の試み、普段メモにシタタめたメモをそのまんまメモしてみようと思う。いつ道で倒れたとて、パラレルワールドの僕がこれを見つけてまたお話が再開すればいい。いや、単に、当時の悩みとか、感情の些細な上振れ下振れとかをそっと飾っておいてあげたい。

題して、メモ1。

まんまだな。メモ太郎、メモ二郎方式にしてもいいけどきっとメモ四十七郎とかになっちゃう気がしてる。そもそも毎回のタイトルだってただの数字である。288て。カテゴリー分けしたり、タイトルで釣ったりすることもできるんだろうけど、アクセス数や成果報酬型広告で暮らしてるわけじゃないし、そこまで編集したら読後感も変わっちゃうよなと思い、ママで行きますトルツメせずに。

 

メモ1


活躍するとはつまり、誰かをヒーローにしちゃ、させちゃいけないということ。

サニーレタスばいんばいんの不親切サラダ、飛び散りドレッシング

色気:イヤホンをほどくとか。2014版好きな女性の仕草
東横線って綺麗な人が多い、土曜の夜、特に。

 

おでんくんとかバクチュー問題とかピタゴラホームアローンも。ビジュチューンも。子ども向きなんだけど、哲学的で大人が見ても面白い。

投票。票を、投げるor票を、投じる。

 

江戸川乱歩没後50年。今主流の緻密で科学的なミステリーではなく、大胆かつ荒唐無稽なトリックに心踊る。社会が見失ってるものを見せてくれてるような気がする。

アンディ・ウォーホル

絵画を権威ある美術館のコレクションのためではなく、商品の包装、広告、マンガと同様の表現スタイルを乗っ取って、今を生きる時代の本質を晒そうとしたポップアート

 

「いかに生きるべきかは嫌い。生きてることの面白さに興味がある。」作家河野多恵子

新聞広告全15段、中学受験。みんな努力とか戦いとか人生とか、その歳で(笑)。そこへきて、早稲田中に受かった子だけ、気楽に。って、いいなと思う。
王さんの履歴書、終わりが今日で明日からのキャンプインのことに触れるあたりおしゃれ。56年前、18歳、寝台特急高千穂に乗り込んだ。今年も若い人たちが胸ときめかせてグラウンドに散る。

 

ご乗車に対してお疲れ様でしたってすごいな。運転お疲れ様って言うべきだ我々は。

最近何やってるの?に対して、頑張ってる途中

 

伝説の商社、鈴木商店
大正の第一次大戦中にはGNPの10%、米騒動で買い占めを噂され焼き討ち。日本の総合商社の源流。製造業を中心に会社を興し買収。金融中心の三井、三菱の財閥ではなく、ものづくり大国の礎を築く。
金子直吉・丁稚奉公で外国商館から屈辱的待遇。日本の地位向上、国益重視の商魂が芽生える。ビジネスで日本を発展させるということ。

 

今日の桝アナ
ジップ1000回、全く見てない毛嫌いしてたけどスピーチが良かった。子どもの頃眠れない時ひつじを数えていた。でも1000匹まで数えられたことはなかった。千載一遇、一騎当千、この千という数字、いつもより少し誇らしく、胸を張ってお届けします。

インスタグラムハッシュタグ文化
もっと遊べるのに。今はまだ見てるとうわってなるものばかり。♯大事♯大切ってめっちゃバカじゃない?

水勢ってなんぞや、ウォシュレットちゃん

美術館。見てるあなたが絵なのかも。
ベビレでんちゃんのインスタグラムのコメントより。

 

いい匂いだなポップコーンかな、新宿の地下だしな、なんだろう、あっ、靴磨き屋さんだ。

たとえ、書店で買った本がブックオフで売られていたとしても!

次の世で亭主に会ったら手だけ振る

 

大きく出る!そしてそれに追いつく。そうやって成長していく。目標数字は最もシンプル。
来て感謝される営業!情報産業。あなたと話すといいことがある。これまさにこれ。

 

寄席研究家、正岡容の弟子であり、師から、
伝統ある上方落語復興に貴公の生命をかけろ。
この一言で桂米朝は落語家になる。
落語家は洒落が命の、人をバカにした芸であり、落語家はいくら人気が出ようと世の中のおあまり。が口癖。笑は庶民の尊い文化だが、ブームになるとかそんな大層なものやない。とも。

 

きっかけを探している。例えば納豆を逆回転でかき混ぜるとか。左手でケツを拭くとか。

期待感の渦に飛び込む。自分ゴト化する。

 

珍しく日経の春秋がよい。
机の引き出しの鍵。なんのだっけ?ロッカーでも書棚でもない。異動で身辺を整理する時、引き出しの底から思い出がこぼれ出す。筆者も車の鍵を取っている。手のひらに握ると家族と一緒に走った道や車の匂いを思い出す。自分の親はなくなり、子どもは大きくなった。ちっぽけな鍵の中に、大切にしていた日々が生きている。

晩年の53歳頃、萩原朔太郎は手品に夢中だった。白のハンカチを胸ポケットに入れ、いかにも威厳のある顔つきででかけて。書斎の引き出しに秘宝のように閉まっていた手品のよう道具はどれも安っぽく幼児の玩具みたいだったらしい。
人の心にも鍵がある。本当に大事な想いは自分にしか分からない。人に語らずしまっておきたい感情もある。春が来て人が動く。出会いがあり別れがある。3末は気持ちが揺れ動く。ならばカチリと区切りをつけるのが、生きるコツかもしれない。心の中にある鍵さえ守れば、過去は優しいまま消えない。

 

江戸っ子上司語録 言葉は画素数
不義理。素っ頓狂。野暮。とんちんかん。逆なで。わらける。


安い酒を飲み、語り合った。ってみんな言うんだけどいや、どうなのその美化は。ベタもベタ

コアラのマーチくんパンとは?ガリガリ君なら分かるがマーチくんとは?

更新してなかった定期、病院の診察カード、その中に19歳の僕がいる。生きてる。

ふじそばの 券売機前 ググってる。きつねとたぬき 春の長雨。

 

学生からの長い付き合いをからかわれたとき、ゼミの教授が源氏物語の紫の上を引き合いに出し、長い時間をかけて理想の女性になってもらえるとしたら、男性にとって最高の幸せではないでしょうか。と。

 

仕組みで勝つ。
日本サッカーの例。なぜ弱いか。いい選手連れてくる。教育する、じゃだめ。仕組み化が必要。
→レフリーを連れてくる。DNAを否定はできない。持って生まれたものは変わらない。世界基準のジャッジでプレーさせる。ハードを固めるからこそソフトで差がつく。そういうこと。

慣れることは成長ではない。

ふと、私は半額でできているのだと、スーパーにて。

本番で結果を出す人のワガママさ。自分の特技を100%出し切れば負けるわけないということ。インザーギは相手を利用して交わすことが得意だった。相手のレベルが高ければ高いほど。オフサイドでも一回通れば一点だ、パスをよこせ。それにパスがないと相手の出方も分からない。

新幹線で日本の大動脈を辿る感じたまんないね。日本を通過中。えーただいま、日本を通過中。

先輩の顔見てたら元気出てきました、ってすごいな後輩女子力。京都人に気をつけよう。
男性が胸に目が行くの、違和感からってのもある気がします。男性サイドで股間張って出てきたらどうよ。そりゃ見るもん、違和感からだもん。かくしてしまって大事な人にとっておいて。

 

日立相談役河村さんの私の履歴書
副社長時代。経済危機、不況、希望退職。ただどこか当事者意識はなかった。膨大な仕事量は一種の逃避。忙しく髪を振り乱して働いている人間が本来の仕事をしているとは限らない。

続けて、日立で副社長。悔しくもあったが3つ上が社長。10年スパンじゃ仕方ない。グループ会社社長へ。そこで、マネジメント楽しい!2000億〜3000億コントロールできる全体が見える。若手も意見を言い風通しが良い。グループ会社で経営を学ぶ体感する。

一度こうなってみようよ、と理想像を、提示してくれることは理想の上司。3ヶ月先が見えているか?
ホームランを狙いつつもヒットも打つ。打率2割8分はどれだけ調子悪くても打てるように。

 

駅でのすれ違い、女子高生と女子大生は鼻への当たりが全然違う。
電車男子中学生、ちれき、て。使わなくなる言葉があるなぁ。

本気より、熱中。
本気はどうやったらいいかわからないけど、熱中はなんか分かる気がする。

仕事のもやもやは、いい仕事が晴らす。

 

ビールがそうしろと、言うのでね。
夏にビールを飲んじゃうこの気持ち。

 

メモ1

2014秋〜2015夏まで。

287

同郷の大師匠、八代亜紀さんが「歌に気持ちを込めてはだめなんです」と言っている。

 

曰く「聞き手が感情移入するためには自分が主観で感情をこめてはだめだ」とのこと。「名言は好きですが、名言を言おうとする人は嫌いです」というタモリさんの言葉にも通ずるのでは。「私、優しいんです!」を100回繰り返されるより、たった1回の「ハンカチ落としましたよ。」の方が優しさが伝わる。

ここんとこガの強いことばっか書いてたので冷静に。早起きした冬の朝にはもってこい。

 

11月27日生まれの友人がいる。つまりは僕より1日年下。ゼミが同じで毎年Twitter上でお祝いしあってもう5年くらいが経つ。身長すらーっとしてて、とってもチャーミングな女の子なんだけど言動の節々に感じる「あ、この人さては埼玉出身だな?やっぱね」感。埼玉の皆さまには大変申し訳ないんだけど、言葉の魔法、ダサイタマってあると思うの。関係ないけど「ヒロキ」って名前のやつでケンカ弱いやつ見たことないそういうの。

どうも良縁にめぐまれておらず、焦りなさんなよと悪い男にだまされるなよを毎年交互に伝えている。それに対して今年のお返事、

「悪い男に気をつけても、いい男は寄ってこないよ!」

って言われて、笑った。ストンと腹に落ちた。たしかにな、そうだよな。

これけっこういろんなシーンで使えそうな構文だなぁって思って、「うんこ踏まないように歩いているけど、100万円落ちてないよ!」って言い換えてみたら、そりゃそうだろってなっちゃった、なんかごめん。いつかあの子に5円でも10円でも見つかりますように。できればギザジュウとか、生産数が少ない年の高価なやつとかで。「やだ、100万円がいい!」って言われそうだけど。そういうとこがチャーミングなんだけど。

 

願わくば天国だと思いたいけど、シゴトはやっぱり戦場で。地獄ではないからご注意、勝ったり負けたり。

案件ばかり進行してって、追いつけ追い越せ借金大王。信用だけは失ってはならんと、激怒はしないが日々走れメロス。そんな状況だから同期との事務連絡、チャットの画面に

「了解ウォッチ!」

って来た時は、ほんの少しだけ救われた。頬が緩んだ。くだらないの中に愛が、と星野さんも歌っている。いい言葉だなぁって思う。

それを真似したのか、その後のくだりで

「承知ウォッチ!」

って返した同期の男子がいて、この、システムを理解せずやっちゃうあたり古典落語時そば、あるいはこぶとりor花咲か爺さん?もちろん分かってやってるんだろうけど、これにも笑った。ほんの少しだけ救われた。くだらないの中に愛が。人は笑うように生きる。

 

パクチー」のことを「パクティー」という上品なマダムがいらっしゃいましたよ。語感の良さ耳障りの良さ下半期1位。

 

日本シリーズ、ホークスファンにとって嬉しいシーズンが終わった。神ってたサファテはヒゲとか身長とか、本当に神さまみたいだった。1ダホーは悪くないのだ、熱男が良すぎるんだ。そんでもって古田さんの解説はいつも素敵。冷静に、でも言葉が熱い厚い。

柳田に当てる左の砂田。第2戦で打たれててももう1回当ててくるラミちゃん采配に古田さんの解説。

「勝負だから結果は出る。結果はどうなるかわからない。けど、自分はここで仕事をするんだ!という強い気持ちでぶつかって欲しい。」

自分はここで仕事をするんだという強い気持ち、だけが頭で響いた。その後、抑えた砂田に敵ながらあっぱれ。古田さんの一言で見方が変わる。もちろん、味方も。

 

同じく野球ネタで締めようと思う。勝ったり負けたりが転がっているグラウンドはやはり戦場で、それだけいい言葉が多く生まれるのかもしれない。

工藤監督が今シーズン、ホークスの若き4番柳田選手にかけ続けた言葉がある。曰く、

「心の中を穏やかに、今日も1日過ごそうね」

一喜一憂するんじゃなく次どうするか。プレーは続く。

出勤しながらこいつを書いている。心の中を穏やかに、今日も1日過ごそうね。と呟いてみる。

 

淡々と日々は続く。淡々と日々を綴る。

 

286

紛れも無い事実、今日は最も死から遠い1日であり、1日1日1分1秒、自分でも思いのほかおじさんになっている。

26歳になった。26年と短くはない日々を生きてきたからそろそろ生きるのうまいねって言ってほしいところだ。へー、おじさんの才能あるんだね!でも良い。

 

何も見た目の老いだけではない。野球選手とアイドルとお笑い芸人の勇姿に心を震わせ、明日もわりと朝早く起きて出社する一小市民の名も無きおじさんである。思うに、他の誰かの活躍に自分を重ねるの、これおじさんなのかもしれない。多分だけどおばさんはそんなことしない。いや、あんましおばさんのその辺を知らないからなんともなんだけど。

 

冒頭の「今日が最も死から遠い一日なのだ」とは、幻冬舎見城社長の本からの引用。うおおって熱くなってすぐ、実はとっても冷めてる自分もいて、幸か不幸か自分の生きがいのハードルがとても低い事を思い出す。何かを渇望した経験が乏しい。成功しなくても、うけ(いれられ)たらそれでいい。

「もうなんなら自分から失敗を欲してるよね?」って同期から言われて、いや、へい!なんて返したけど、こないだ上司から「それ1年目がするミスだよ」と言われた時はさすがにちょっと可笑しくなってしまった。忘れっぽいのと、トンチャクがさらさらないこともまたおじさんなのかもしれない。多分だけどおばさんはそんなことない。いや、あんましおばさんのその辺を知らないからなんともなんだけど。

 

どこまでもコンテンツを消費する日々は、0→1ができないことをもはや軽く諦めている。お客さんはいつも贅沢で発明の大変さなんか知らない。いや、ジャルジャルすごかったじゃんか。「漫才」をメタで茶化す、コント「漫才」でなく、練習量極まりないマイク一本を前に、「ようお前ボケれんな」より「信じがたい」の方が個人的に笑えて、そして泣けた。語りたくなっちゃうのもまたおじさんだ。多分だけどおばさんはそんなことない。え、もういいって?やめ時はいつも分からない。

お笑い芸人さんに楽しませてもらって「価値」の話。

例えば野球選手はめちゃくちゃ上手に野球をやってお金をもらう人だけど、つまりは見ている人に勇気を与えたり感動させたりすることが彼らの「価値」であるし、同時にお客さんを集められることから広告としてスポンサーする「価値」があるし、お菓子メーカーなんかは選手のカードを付けてチップスを売るだろうグッズとしての「価値」もある。うへぇ、また出たよギャラード2枚もいらないよなんて。

そうそう、僕らが野球を始めたのは地上波日テレの野球中継がちょうど絶滅する直前で。見てるとモニターに映る選手の紹介として、彼らの座右を紹介していた。努力だとかフルスイングだとかに混じって番長清原は「世界平和」と書いていたし、元阪神ムーア投手の座右の銘は「主に低めを狙う」だった。違うよそういうことじゃないよ笑っちゃうよもう、このハゲー。

 

付加価値の時代なんて言われる。ロボットに取って代わられない価値ってなんだろうと考える。今思えば浅はか極まりなく非常に申し訳ないのだけれど、僕は一時期浪人生に憧れていた。トントン拍子、それも面白おかしく売れてくわけではなくトントン拍子に普通の人の普通の生活を送ってきたせいで、浪人してれば変わったかな、なんて思ってた。

だってよ、僕の周りの浪人経験者は思考の量が明らかに違って、出すアイデアとか視点とかその広さ深さに憧れて、その度に何も考えずレールの上を走ってきてしまった自分を恨んだのです、贅沢にも。隣の芝生は青い、そしてあの頃の僕も青かったみたい。

今だから分かるけど、自分みたいなタイプが浪人で1年与えられたとて怠けて過ごし、かつ目標は見失っていたに違いない。

先日の誕生日、ようやく使いこなせるようになって嬉しいのだろう母からLINEでこんなことを言われた。曰く「熊高で野球をやりたい」「早稲田でお笑いをやりたい」だけ繰り返す。今の実力は抜きにして、ぶれなかったところは感心するよと。

 

たしかに、高校は自分でも野球を続けられそうなところで言うと積極的な消去法、セイセイコウコウコウではなくクマモトコウコウだったし、

大学なんかはもっといい加減で、お笑い芸人になりたいですって進路面談で言ったら、大学ぐらい出なさいよと言われてそこから担任と母親で「早稲田はくりぃむしちゅー上田がいたわよね」「あとタモリも早稲田ですもんね」なんつって、あぁじゃあ早稲田に行こうかな程度の結論だった。(当時の担任はくりぃむしちゅーのお二人と高校の同級だったそうで、上田さんは学年の番長だったが、有田さんはクラスの隅っこで男数人集めてゲラゲラ笑いを取ってたらしい。なんだかいい話)。そんな風に考えると、社会人は選択肢が広すぎて視力0かよ全く見えてない。明日の予定すらギリギリだったりすることもあるけど、今日が死から1番遠い日。やりたいことと、提供できる価値はとことんシンプルにしていく方が性に合っている気がする。

 

やはり立ち返ると0→1はあまり向いてない。コンテンツを消費するのは大好きだけど、作り手にはならないなーと思う。

講談社の小林司さんはひとつの憧れで、出版社で編集部に所属しながら妄撮をヒットさせ、今はミスiDを立ち上げた。

新しいアイドル像を作る。可愛い、スタイルがいい、歌が上手い、踊れるって言う既存の価値基準から飛び越えて新しいスターを生んでいく。たしかにそうだ、見た目の美しさや声の綺麗さみたいな持って生まれた価値だけのヨーイドンだとしたら、人生に100年も要らないもの。にゃんこスターアンゴラ村長もこんなことを言っている「顔とか生まれとか変えられないものをさげすむ笑いは古い」と。

 

さて、勘のいい読者なら気づいたかもしれない。ってこれ一度言ってみたかったやつ。

そうなのだ。基本僕は引用ばかり、コーテーションマークでコーティングされているコールドゲーム

苦い思い出がある。就活生時代、業界2位の広告会社の3次試験のグループワーク。どうやったら○○を流行らせられるかというオーソドックスなお題。まず5分考える。その後発表、ディスカッション、グループごとにアイデア発表というオーソドックスな流れ。

 

5分後Aさんが答える。「○○だと思います。」Bくん「△△ではないでしょうか。」Cさん「まるばつさんかくしかくしかく」のようにみんなして、まずは自分の意見を言い合う場にもかかわらず回ってきたあたくし「Aさんの案はここがすばらしい。」「B君の意見はここがこうで、でもこういう点はいいですよね」と、あろうことかお話をまとめてしまった。いや、誰やねんである。どの立場で言うてんねんである。続いたD氏は「記号記号記号」と持論を展開し、流れは戻っていった。あぁここには僕は必要ないのだなと感じた。箸にも棒にもとはまさにこのこと、生きる箸にも棒にも、箸にも棒にもが服着て歩いてる※スーツじゃなくて結構ですよ。あなたらしい格好で歩いてる箸にも棒にもである。

そんな感じで後半はただ、喋るでもなく、とは言え真顔も意味不明なので不必要にへらへらしていた僕に帰り道、同じ班だった人たちが「みんな受かるといいんですけどねー」なんて言ってくれて、僕はあーねって言った。

 

「その程度のコンプレックスなんか、100個くらい集めないとショウカできないよ」と会社のお偉いさんに言われて納得する。消化か、昇華か、はたまた消火?こちら変換合ってますでショウカ?

こんなことがあったんですよーとどこかにはけ口を求めるでなく、自分の中で抱えて溜め込んで強烈に自覚して初めて「価値」になるのだと思う。

そうやって浪人生に憧れてた僕が25,6になってようやく、しかもちゃんと立ち止まることなく「自分取材」を繰り返すことができているの、きっと一つの収穫。ここんとこエピソードトークが増えているのは、地元の友達(例えば中1のクラス一の美女、堀内さんとかも読んでくれてるってさ、まじかよ嬉しいな)だったりが面白いって言ってくれてるからってのもあるけど、○○をやりたい以外の選択肢があまりに多いシャカイ人、自分の原体験を掘り起こすためだ。お笑い芸人になりたい!という夢が、いい話を仕入れて、いい話を伝えて、心地いい読後感を作るという価値になった。

睡眠不足で眠たいけど、自分を見る目は冴えている。

 

0→1が苦手なら徹底して編集をすればいい。

そういう意味で、たまたま今、出版社に勤めているのはおもしろい。編集部員ではないし、前述のとおり社内外のすべての人にお叱りをいただくレベルなんだけど、自分はここで成長したいと思っている。

最近よく読んでいるとあるブログの中の人もまた編集者であり、例えばこの記事なんかしこたまおもしろい。

さよならクックパッド | KOMUGI

 

そしてそのブログの中で、彼は「編集者」の価値をこのように説明してくれている。 

"しかしながら、なぜたくさんの方々に自分の記事を読んでいただけるのだろうか、と立ち止まって考えました。同じ会社に松島倫明さんという私がリスペクトしてやまない先輩編集者がいるのですが、先日ランチをいっしょに食べていたときに「シロウトであるはずの本の編集者が書く記事を、なぜ読んでもらえるのでしょうか?」と質問してみました。すると「編集者は学問から文化、トレンド、ビジネス、テクノロジー、エンターテイメントなど、横断的に知識やネットワークを持っているからなのかもしれないね」と答えが返ってきました。「たしかに!」と思いました。"

 

またある時はツイッターでこう仰っている。

"コメントありがとうございます。実は「編集者」は「本(製品やサービス)」自体をつくるのではなく、「著者(サービス提供者)」に助言して、カイゼンを促すのが仕事なんです。自分で「本(製品やサービス)」をつくってしまうと、「編集」という仕事ではないんです。偉そうで、ほんとにすいません…。"

 

営業という立場なんだけど最近、若手の編集と取材に行く時は僕が台本を書いていて、解釈は任せるけど、すごく生きている気がする。結果出さなくちゃ。そういや、ちいちゃい頃からお話を作るのが好きだったし、お笑いもネタ書く側だったもんなぁ。うけ(いれられ)なくちゃ。

いよいよメジャーに挑戦する大谷選手が以前、WBCが始まる前のインタビューで周囲の期待について聞かれたとき、「一番期待しているのは、僕自身じゃないですかね?」と笑って答えた。お金でも、富名声でもなく、自分への興味、好奇心、期待。健全なナルシシズムとは何かをスターに学ぶ26のおじさんもまた、自分に期待している。「人は、一生育つ。」ってベネッセのコピーいいですよね。

 

憧れては悔しくなって、諦めたところから期待して。

0→1はできなくても何かしらアウトプットしていかないと夢精しちゃう質ので、好きな人への好きですは何かで返していきたいと思い、戌年用の消しゴム版画を作りました。そうそう、0→1ができなくても1を真似っこするのは得意なんです。

もし万が一欲しい人がいましたら年賀状書きますので住所教えてくださいね。耳障りのいい言葉と共に送りつけますので。

26歳もどうぞよろしくヒャッヒャッヒャ(ケンケン)。

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285

小1のクリスマスの朝、僕は泣いていた。

すきな女の子に振られたからとかじゃない。1年、いい子にしてたのにサンタさんが来てくれなかったからだ。いや、正確に言うと来なかったわけじゃないんだけど。

何と言ってもポケモン世代。当時の僕のサンタさんへのリクエストはずばり、「ポケモンカード」。裏がモンスターボールになっているあの初代のやつだ。デッキを組んでサイドカードは6枚。山札から7枚カードを引く。たねポケモンをセットしてさぁ勝負。カードを持っていないのに形から入る僕は、カードゲームに使うコインだけ何故か持っていて、試す機会のないコイントスの練習ばかりしていた。それなのに。

 

プレゼントの箱を開けると、出てきたのはポケモンの絵柄の「トランプ」だった。

オーキド博士ジョーカーのやつ。

泣いた。

 

大人になった今なら分かる。サンタだって大変だ。ただでさえ子育てなんてのは大変だろうし、そもそもちゃんと生まれてくるかも大変だし、何よりお相手を見つけるのだって大変で、オーキド博士もラクじゃない。タケシは一体いくつなんだい?それでも。ポケモンカードを期待していた僕は、何が楽しくてオーキド博士を引いたり引かれたり今さらババ抜きをしなければならないのか。えぇい、しねしねこうせん。

そんなことがあったからか、翌年の小2のクリスマスは今でもずっと忘れられない。前年の反省を生かしたサンタさんが執拗に僕に伝えてくる。「欲しいものはどの種類のどんなやつなのかハッキリと分かるように書いておきなさい」と。2年生は1年生よりいい子ではなかったけども、お言葉に甘えて大きく記す次のリクエストはそう、その年1999年の11月21日に発売された「ポケモン金・銀」である。

前置きが長くなった。

「このSNS時代、好きなものは発信しておくと勝手にそれを好きな人だけが集まってくるからどんどん好きなものを発信するといい」ということと、「20代、今まで自分が時間やお金をかけてきたもの(すなわち本気)を自覚しておくと、これからの人生を生きやすく(それはきっと行きやすくも活きやすくも)なる」ということを立て続けに学んだので、早速書いてみようという魂胆だ。

ポケモン銀が大好きだ。

お葬式には色とりどりのぼんぐりを棺に詰めて、エンジュシティのBGMで送り出してほしい。

www.youtube.com

 

今年の9月22日、ポケモン銀の3DS配信がスタートした。日中、決して暇な女子大生ではないんだけど、それでもやっちゃうのがポケモン世代。好きなポケモンバクフーン。ニックネームは付ける派。税込1200円の、飲み会より安いポケモン銀に感動する華金。おまけに付いていた第2世代の追加100匹のミニポスターを眺めながら飲む酒が美味い。

なぜポケモン銀かというと、これも1つの我が家のルール。姉が金、弟が銀、それだけだ。前年の不備を埋め合わせようと金銀両方を仕入れてくれたサンタさんには申し訳ないが、2つあってもいっぺんにはできない仕方ない。銀をプレイすることになった全国の弟くん、妹ちゃんは多いのではなかろうか。

 

スイッチを入れる。あの時の感動が蘇る。

コロコロコミックで情報を先に仕入れておいて、マダツボミの塔という施設があるからきっといや絶対最初は火タイプがいいはずだ。とか。アカネのミルタンク対策として実はヨシノシティに行く前に46番道路でイシツブテを手に入れておくべきだ、とか。そういや大村君ちでみんなでポケモンスタジアムやったなとか。てっちゃんに攻略本貸したりしたなとか。本で言うと、ポケモンファンブックみたいな雑誌もちゃんと買っていて、金銀の初期構想「サイレントヒルズ(=静岡)」とか「オールドシティ」とか名前だけは知っていた。実家帰ったら探してみよう。穴久保版ポケモン漫画も載っていて、野球の試合の設定で、相変わらずピッピがくそほどズルをする話だった気がする。

そんなこと考えながら、夜のゲームは禁止だったあの頃出会えなかったホーホーに会える夜、僕は自分が大人になったことに気付く。マダツボミの塔にゴースが出る夜、どちらかと言うと主人公ではなくオーキド博士側の人間になっていることに気付く。まだ若いからせめてウツギ博士か。ところでタケシは一体いくつなんだい?

そう、次のサンタクロースは、僕だ。

 

水面に向かってAボタンでなみのりができるの、当たり前じゃねぇからな。

ボックスがいっぱいになりそうなときマサキが電話かけてくれるの、当たり前じゃねぇからな。

自転車が一発で乗れるのも、ポケモンが持ち物を持ってるのも、色違いも、全クリした後の「きみはいま!カントーちほう への だいいっぽを ふみだした!」も、赤緑をちゃんとやったから分かる進化は全て、当たり前じゃねぇからな。

「あの頃はよかった」とは、「あのころまでは付いていけた」のことだと誰かは言う。実際、その通りだと思う。結果、僕はブラックホワイトまでしか付いていけていない。それでも、ポケモン銀のあの進化をあの感動をあの時代の流れの中で味わえたことはとても誇らしかったりする。全ては原体験。

個人的な最近の悩みとして、「本気で仕事に取り組む」ことがどういうことか考えた時、そう言えば本気を出した経験が少ないなって思い、立ち止まる。そんな時に「本気」を言い換えてみる。本気ってぐおおおって声を上げて、精神的に体育会系のノリを演じることではなく、「熱中」と言い換えてみるとストンと腹に落ちる気がしていて。頼まれなくてもやれちゃうこととか、そんなことして何になるのって言われてもヨーギラスミニリュウを増殖させたふしぎなアメに頼らずしっかりバンギラスカイリューまで育てちゃうこととか、「熱中」「熱狂」さらには「酔狂」をキーワードに自分を見つめなおす。ポケモン銀をやりながら、そんなことを考えている。

 

かの武田信玄はこう言った。

「真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳ばかり。」

本気だと、熱中すると、気づきも多い。ポケモン愛はツイートにまとめておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、まだまだバッジ4つなんだけどのんびりやっていく予定でつぶやきも更新していこうかしら。何でもすぐオシゴトと合わせて考えちゃうのはアホらしいけど、今一番時間をかけているものがそれだからある意味仕方ないのです。

 

最後にお写真を1枚。

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会いたい人に会えたり、自然にまみれたり、ホークスが優勝したりといい連休でしたが、余韻は心にしまっておいてこの写真。
いや、別にお気に入りじゃなくてもよくない!?って最初に突っ込んだ後で、うん、そうだよな、お気に入りの方がやっぱ美味しくなるもんな、井村屋さんさすがだな、って優しさを感じました。明日からまたお気に入りの服で、お気に入りの曲で、お気に入りの1日を過ごしたいところです。
こないだ日経新聞で読んだのですが、ロイヤルホストの黒須社長は社員に「Do you like your job?」とよく聞くそうです。お気に入りの仕事できるよう頑張らなくっちゃ。

 

あとポケモン回りで、読後感が好きな記事がこちら。余裕があればぜひ。

www.buzzfeed.com

最近、3000-4000字書く割に中身が薄まっているので、精進目指してピッピカチュウ~~~(オーキド)。

284

大学の講義に「恋愛学」というのがあった。

履修するのもこっ恥ずかしくなるこの講義の期末試験で、僕は学内1位の成績を取ったことがある。

 

1,2年でトコロザワの単位をなるだけ取って3年生からいざ、本キャン!所沢キャンパスの僕らからすると本キャンも文キャンも、なんならリコキャンだって本キャンなのだ。人生で大切なことはすべて馬場歩きが教えてくれた。

3年、4年と本キャンの単位を齧って貪ってたその中の1つ、220名程度の定員枠に800名が応募する超人気オープン科目「恋愛学」。他大学からモグリも絶えない本講義をざっくり言うと「人間の本能」と「人間の理性」から「モテ」を学ぶ講座だ。はいそこ、ちょっと引かない。すなわち前者は、原始時代からの種の保存。脈々と受け継がれる生物の進化学や進化心理学の観点から。後者は人間が動物でなく人間たるゆえん、社会心理学や経済学の観点から。

 

例を挙げて説明しよう。大昔から僕らのプログラミングは変わっていない。

優秀な遺伝子を残したいから、美男美女がモテる。安産の確率が上がるからって求められていた大きなお尻は、4足歩行から2足歩行になって大きな胸へと価値が変わる。狩猟採集してくれなくちゃ生きられないから男性には絶対的に体力が必要。それだけじゃなく空間察知能力、今で言う駐車が上手いみたいなのもモテる理由になる。

それぞれに、脳内伝達物質ドーパミンだったり男性ホルモン テストステロンだったり、生物的な知識を補強。知ってる?加齢臭の成分って「ノネナール」って言うんだぜ。美しい顔の条件にシンメトリー(左右対称)であることってあって、なんとシンメトリーの方が精子の質がいいらしい。左目奥二重、右目一重の僕は軽く絶望したりして。

男性は誰の子か分からないから、女性の体の浮気が許せない。女性は養ってもらわないとならないから、男性の心の浮気が許せない。生まれてくる子は確実に女性の子だけど、男性の子かどうかは分からないってことを表す英語のことわざまであるらしい。「mama's baby, papa's maybe」今度フリースタイルラップバトルで使ってみよう。

 

いやいやとは言え、この人間社会。本能だけで生きていたら大変なことになる。

みんな知ってる「吊り橋効果」も、こんなドキドキする環境にいるのにドキドキしないってことは私よっぽどこいつのこと好きじゃないんだ!っていう逆効果もあるらしい。

自分のルックスに100点満点で点数を付ける。と同時に自分の写真を異性100人に見せて点数を付けてもらい平均を出す。この結果、男性の方が自己評価と他己評価の点数に差が出るらしい。げげげっ。じゃあさ、60点のやつが80点の異性を落とすためにはどうしたらいいんさ。答えは簡単。市場を選ぶこと。理系キャンパスの女子とか、野球部のマネージャーとか、料理教室に通う男性とか。売り手市場に参入なさいよと市場経済は教えてくれる。

 

そんなことを学んで15週、期末試験で1位を取った。

実はちょっとした裏話があって、どうにも人気講義の大先生ゆえ、鼻高々の自信満々、強気でこう仰る「私の試験は相当難しいからまぁせいぜいがんばってよ」って。そして名刺サイズの紙切れを1人1枚もらう。「カンニングペーパーとして持ち込んでいいからまぁせいぜいがんばってよ」って。とってもシャクだが、何を隠そう僕は小さな文字を書くのが得意なのだ。実はポケットサイズの日記を10年書いている。小さい文字を10年書いてんだよ。『普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?』ってBerryz工房も歌ってる。

びっちり裏表に書き込む15週間の成果から、ほとんど出題された。1位を修めた。

教授から「恋愛学の達人」と書かれたサイン本をいただいた。見返してまたこっ恥ずかしくなる。

 

ここで勘のいい人だったら気付くかもしれない。おい、恋愛学の達人とやら、君は学んだ内容を活かせているのかよと。そうなのだ。結局、たまに参加する合コンとかで恋愛のうんちくたれる盛り上げ人間でしかない。女性の最高出産人数は69人ですが、さて男性は何人でしょう?正解は888人です。へー!(この合コンおもしろくはなさそう)

思い返せば「気付かなくていいところに気付くクセに、気づいてほしいところに気付かないよねー」って同期の女性に言われたこともある。おい、恋愛学。長いことお付き合いした方に「もう好きじゃないんだよねー(にこっ)」ってお台場で海見ながら言われたこともある。おい、恋愛学。息してるか!?

近頃じゃ好意の出し方すら分からなくなっている。中高なんてのは、毎朝おはようって言ってくれる。あ、笑ってくれた。好きだ!ってくらい単純だったんだけど、この年になると一歩間違うとすぐ「誰やねんこいつ」状態になる。これけっこう色々な人に共感してもらえる。合コンとか紹介で出会って食事行ってわりかし楽しくっても、ふとお手洗いに行って鏡を見ながら考える。生まれも育ちも違う僕の目の前にいるこの人は一体誰だろう。どんな時に笑って、どんな人生を歩んで、何に対して不機嫌になるんだろう。何から聞いていいか分からなくなって、当たり障りないオモシロ話に逃げる。

いつの間にか好きの閾値は自然に高まって、頭の中でグルグル考えてるとどうにも今度はこちらが「異性」として見てもらえなくなっていることに気づく。これはこれでまずいなってある時には最近見たAVの話をしてみるも当然ハマらず。それ完全に間違いだよって高校の同級生じゅんこさんといずみさんにご指摘いただく。

Twitterでフォローしているアイドルさんには何の気兼ねもなく「好き」だの「可愛い」だの言えるのに。普段現実じゃ発散できない中学生みたいなまっすぐな好意を、非現実世界のアイドルさんにお届けして、いいねをもらえるだけですごい嬉しくて、また喜んでもらえそうな言葉を考える。気づけば大学の頃に好きだった人と別れてからすでに2年半が経っていた。

その間、親友のケッコンだったり、姉のニンシンだったり。絶対的な素晴らしいとか圧倒的な希望とかそういう感情に触れて、いい意味で諦められるようになった。それはつまり、結局他人だし、それでも好きだしみたいな関係もありだなと。言っとくけどゼクシィのコピー「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです」って、まさか僕にもめちゃくちゃ刺さっているからな。そんな時、そんなタイミングは信じていいと思うのです。

 

嬉しいお知らせ。

2年半ぶりに彼女ができました。早速、手を繋いでみました。

初めて手をつないだのは渋谷の人ごみ歩いてて「はぐれないように手をつないだ方がいいと思うんスけど」って言ってみたら、だからそういうこと言わないの!って言われて、でも手は繋いでくれて、恋ムズカシー。思うに、何でも言葉にしちゃうのとか、心情を聞いちゃうのとか、全部説明しちゃうのとかヤボでブスイでロマンがないらしく、例のごとく軽く絶望したりして。恋愛学の達人にはほど遠くって、ご指導ご鞭撻をお願いします。

「早生まれの同い年、眼科の専門学校通ってる小さい女の子」って、仲良しのふるもっさんに報告してみる。「キーワードの端々にほっしーの心うずかせる感じの子が想像できるわw」「溺愛しとるやろ」なんて、さすがふる。

分からんよ、騙されとるかもしれん。そんなもんかもしんないな。一歩間違うとすぐ誰やねん状態になったとしても、同じ中学ガーとか共通の友人ガーじゃなくっても、最低限の衛生レベルをクリアしていて、一緒にいて少しでも幸せ側に針が振れれば、付き合ってみませんか?っていう。そりゃ、幸せ側に振れるよう努力はするからさ。この胸の久しぶりのときめきを大切にしたいと思ってる。

好きなマンガは?どんなとき爆笑する?地球最後に食べたい料理はなに?少しずつ教えてね。覚えるから。暗記力は別に自信ないけど、ほら俺小さい字書いて覚えるの得意なんだ。

 

久しぶりに履修しております。試験勉強、忙しくなるぜー。単位取れるかな?

引き続きご指導ご鞭撻よろしくお願いします。

283

四番 ピッチャー 大谷。

恐らく日本最後の登板を完封で締めた彼の活躍を、「漫画みたい」って形容する朝のニュースを聞きながら、昔、僕らのチームにも四番ピッチャーがいたことを思い出す。

めっきり涼しくなってクールビズはおしまい。ネクタイ締めて気持ちも引き締めサラリーマン。電車に揺られながらさっきの続き、そういや小学校の頃の僕らは最強だったなと思う。それこそ「漫画みたい」に勝ち続けて、熊本市内を制覇したっけな。

 

名作野球漫画『キャプテン』の、三代目キャプテンイガラシ君はこんなことを言っている。全国制覇を目指して、鬼のようにきつい合宿を部員に強いて、それこそ「漫画みたい」(漫画なのだが)剣道の防具をつけさせ至近距離からノックを受けさせたり。当然、新入生はへろんへろん。それでも、イガラシの弟ほか残ったメンバーはシャワーを浴びながら、草野球時代に優勝したっけなと思い出話をしているシーン。1年生の会話を聞いたイガラシは、どうして目を輝かせながら言う。

「そうそう脱落するはずはない。たとえ草野球だ地区対抗だとはいえ、優勝をした喜びを知っているやつらだからな。」

自分自身の仕事を振り返ってみて、久しく優勝から遠ざかっている。「勝ちたい」欲求を呼び起こすため、少し思い出してみる。

 

小4で熊本へ引っ越したタイミングで、友人ウッディに誘われて野球部に入った。ウッディはものすごい面倒見のいいやつで、引っ越してすぐの僕を雷魚釣りに連れ出してくれたりした。それまで基本的に、喘息持ちですぐ死にそうになっていた虚弱ボーイだったため、両親は野球を始めることに猛反対。母親は本気で合唱部をすすめてきたし、一方、父親はニヤニヤしながら「緑の少年団」(通称みどしょう)をすすめてきた。

どうも、校内の木々や植物が異常に多い小学校だったので、「緑の少年団」というドラえもんの映画タイトルみたいな心優しい部活があったのだ。何やってるかはイマイチ分からないんだけど、ドラえもん のび太と緑の少年団。というフィット感だけは分かる。のちに、みどしょうにはみっちゃんとマツフジ君という優しい2人組が入部した。みっちゃんはぽっちゃりしていて声が高くて語調が女々しいやさしい男の子で、マツフジ君は、スナイパーに銃口を向けられて言葉を発したとたん射殺される設定なのかってくらい、一言も発さない静かでやさしい男の子。余談だけど大人になって、インスタに現れるみっちゃんはそれはそれは男前になられて、地元熊本でお洒落雑貨屋さんをやってるっぽい。人間、分からないものだ。今度お店にお邪魔することがあったら、男性ホルモンの目覚めはいつだったか聞いてみたい。

 

話を戻そう。

体が弱いとは言え、物心ついた頃よりホークスファンで、団地の空き地でプラスチックバットを振り回していたし、みどしょうと野球部を天秤にかけたら答えは明確だったので迷わず野球部に入部。

そして僕らの代は、あほみたいに野球の上手いドリームチームだった。

あまりに野球が上手すぎる子たちだったので、信じらんないけど1~8番までライト以外のメンバーを固定。残った7人くらいで9番ライトをかけてレギュラー争いをするという、金持ちの道楽みたいなサドンデスが繰り広げられていた。ある意味、楽しさ優先の少年野球の概念からは大きく外れるんだけど、不平不満が出ることはないくらいのレベル差はちびっ子ながらよく分かっていたし、あとはやっぱり、チームが勝つのが何より最高に楽しかったんだ。僕なんかはベンチの盛り上げ役に徹して、毎試合声がガラガラになるまで応援した。監督さんや保護者がちゃんと見ていてくれたのが、子ども心に嬉しかった。

 

オーダーを発表しよう。

一番サードりゅうた。一番神風特攻隊長りゅうた~♪という、今の時代、問題にならないわけがない応援歌。俊足巧打、引っ張ったときの打球が早い早い。エラーするたびによく泣いてたっけ。高校時代、地元メディアから安打製造機と呼ばれるまでに成長する。

二番セカンドおが。とにかくいやらしい。ストライクゾーンがくそほど狭い小柄なバントの名人。バントの構えでバットをぐるぐるさせるんだけど、相手投手が胃潰瘍になりそうなくらいストレスフル。セーフティもバスターもエンドランも、センスが異常。

三番ショートヨッシー。この人くそほどイケメン。堅実なバッティングと華麗な守備。髪の長さの制約がない少年野球で、他チームから女子と思われることもあった。

そして、我らが四番ピッチャーまさお。体が人一倍大きく、投げては快速、豪快に三振を取り、打ってはレフトスタンドへ見事な放物線。

りゅうたがライト前にはじき返して、おががセーフティバントを決め、ヨッシーがレフト前で満塁の後、まさおがホームラン。4人で4点取るような横綱野球だった。

五番ファースト川畑のセカンドゴロで、敵も味方も保護者も監督も、ようやく一息つく。川畑君は小中と同じユニフォームで野球をしたんだけど、幾度彼のセカンドゴロを見たことか。顔だけはライトスタンド。松井秀喜と同じく「ゴロキング」の異名を欲しいままにした。

六番キャッチャー翼。彼もまた僕らの精神的支柱だったし、眼鏡でキャッチャーだったのでなんか頭脳派っぽかったし、実際よく野球を知っていた。彼は主将も務めていたので、いわゆるキャプテン翼である。野球チームなのにややこしい。

多少打順の入れ替わりはあったけど、7番レフトウッディ、8番センターまことも、いとも簡単にヒットを放って塁上を駆け回る。下位打線とは思えない超強力打線。

そして、前述の通り、9番ライトを7人ぐらいが争う地獄絵図。恐らくひーぶー4割、僕3割、他もーちゃん、せっちゃん、じゅんき、まーぶーで3割くらいの割合だった気がする。途中入部の転入生すけもり君ですら9番ライトを競わされるのであった。

僕なんかは九州大会の初戦に使ってもらったものの、ライナーをバンザイしてしまったり、大事なところでことごとく役に立てない戦力だった気がする。神山監督、ご期待に沿えず大変恐れ入ります。何卒よろしくお願いいたします。

 

2003年熊日旗学童軟式野球大会で僕らは優勝した。これ、なんとびっくり元ソフトバンクホークス馬原選手たちが優勝した以来、母校の優勝となった。

決勝のスコアを残念ながら覚えていないんだけど、初回2点取られて裏にすぐ4点取って、からの多分13-7みたいなおもしろシーソーゲームだった気がする。僕はと言うと満塁で代打で出て、ガチガチに緊張した結果振り遅れて、ボヨヨーンって高く弾んだファーストへの内野ゴロ。けれどもどこにも投げられず、勝ち越しとなるタイムリー内野安打になった。翌朝の熊日新聞に、1打数1安打1打点って記されて、いい感じに仕上がった。祖父母が尋常じゃなく喜んでくれて、いまだに親戚の集まりで話題にしてくれるんだけど、あの夏から14年経ってる。活躍を更新できておらず大変恐れ入ります。何卒よろしくお願いいたします。

 

実家にあるメダルはほとんど小学校時代の野球部のもの。

中学では上手いやつらはみんなシニアに行っちゃったり、野球部に入ったやつもタバコ吸って退部になっちゃったり、人生いろいろだ。高校にあがって、まさか自分がピッチャーになってりゅうたや翼と対戦するとは、人生いろいろだ。相変わらず野球が上手い彼らに5割くらい打たれた気がする。なんだか嬉しい悔しさである。

 

僕がピッチャーをやりはじめたのは中学野球部で、上野先生にカーブならってちょっと覚醒したんだけど、思えばその前に少しきっかけがあって。

小学校野球を引退して冬。早くもシニア入りを考えてトレーニングを積むまさお、ヨッシー達の練習に混ぜてもらって、彼ら相手にバッティングピッチャーをやっていた。別にそれまでピッチャーをやったことなく、初めてのマウンドから元四番に胸を借りる、これすげぇ楽しかった。全球全力で投げて、全球痛烈に打たれた。打ち損じは打ったやつが、ヒット性の打球は打たれたやつが取りに行くルールだったんだけど、ん?おかしいな、いっつも僕が取りに走ってへろへろになってまた打たれてちょ待って無理チェンジコールドゲーム

これまた「漫画みたい」なんだけど、あまりに打たれすぎるからってまさおに左打席に立ってもらって思いっきり投げたら、左打席から託小のプールに放り込まれたこともあった。松井ですやん。ゴジラですやん。

四番ピッチャーの僕らのチームは、最高で九州ベスト8に輝いた。

のちに、まさおは神奈川大学野球連盟ベストナインに選ばれたりした。

僕の周りには、後々、売れてったり日本一になったりすごい人間がとっても多くって、友人自慢だけじゃ寂しいから、そろそろその流れに乗っていかないと、と凡人は焦るのである。

 

野球つながりで、1つ。

オリックス宮内オーナーが「キャンプは順調です。」と聞いて、こう指摘した。「昨年最下位だったチームが順調ということは今年もまた最下位ということだ」と。

サラリーマンの僕はと言うと持ち前の「やれてます感」が年々通用しなくなっていて。繰り返す日々に安定を求めて本気の出し方を忘れそうになるけど、ここは1つ、優勝した喜びを信じて思い出して燃え上がりたいところ。勝ってもないし、完敗してもない今は、あれこれまずくね?と凡人は焦るのである。

 

唯一の救いは、優勝する喜びを知っていること。そして、たとえ打たれたとしても、本気で投げた結果であればスッキリするって知っていること。

どちらも、「四番ピッチャー」が教えてくれたことである。