心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

302

なんだか寝られずなんらか書きたい夜はスマホのメモを引っ張り出してくる。

そう僕は人から聞いた話でできている。帰り道に買い込んだ半額のお惣菜でできている。上司にご馳走になった焼肉でできている。その100分の1を後輩に焼肉を奢りながら生きている。水は高い所から流れる。流れる水は濁らず。万物は流転する。情報は回す。心を整える。生活は続く。

 

288 - 心頭滅却すれば火もまたスズシ

の続き。日経新聞のコラムや、街のフリーペーパーのちょっとしたインタビューを読むのが好きだ。読んでスマホのメモに寝かせる。たまに読み返してみて、あの時のそれとこの時のどれが紐づいて、すぐに理解できなかったことがようやく噛み砕けるようになる。そこで初めて自分のものになる。人に話せるようになる。いい話を聞いていい話を伝える大人になりたいとぼんやり考えていて、この何気ないメモは多分、”ライフワーク”と呼べるものにまでなっていってる気がしてる。

 

2015年夏~

 

AT&T アメリカ最大の通信会社。新卒数百名の中から能力など評価し、将来幹部になりそうなヤツリストを作成。30年後、50代になった彼らをリストと照らし合わせると、幹部の半分は予想通りリストに上がっていた。
ここで注目すべきは新卒時名前が挙がっていなかった幹部の半分。実は彼らには共通する20代の過ごし方の特徴が3つあった。
1.うるさ型上司
2.困難かつチャレンジングな仕事
3.ルーティンワークはしない

自分の20代はどうか。

 

小学3年生が作る俳句に衝撃、共感、嫉妬。
せんぷうき
あああああああ
おおおおお


「仕事でミスっちゃって凹んでるからあんたの失敗談聞かせろ。言うてみい。ほれ。」

って昔好きだった人からのLINEに心を揺さぶられる。

きっかけを探してるのさ、人はいつも。

 

小さな数字に本気になれるか。野球選手のホームラン数10本と11本は大きな違い。年収が変わる。2000本安打できるかどうかの場面で、いや1本くらい凡打してもいいっしょだと本気になれない。本気になれない環境は変える。組織が持つ評価基準を示してそこに本気にさせることしか上司にはできない。だから数字一つにこだわるし、死にものぐるいでその1打席にかけるわけで。いや、いいじゃないすか大の大人が。野球って9人じゃなくてもいいじゃないすか、は社会では通用しない。ルールがあってそこで戦って勝ち負けが出るということ。じゃあ勝つためには、、、。そこまでやっても負けることもある。だからリスクを回避する。先を見越す。数字で担保する。

 

なっぱいおめながらいんこをまじる。

 

ぼのぼのスナドリネコさんの名言。
ぼのぼの、生き物は、絶対、こまるんだよ。こまらない生き方なんか、絶対、ないんだよ。そしてこまるのは、絶対、おわるんだよ。どうだ、少しは安心してこまれるようになったか?
 

巨人→日ハムへ移籍した矢野選手
オフのグアムの自主トレ。若手がスパイクを履かずに練習靴で打撃練習をしていたことに猛激怒。プロじゃない。怪我の恐れもある。試合で結果を残すためにやっているのに練習靴練習気分でどうするのか。
マスコミにこう言って部屋を去った。早出特打ち、休日返上なんて書かないでくれ。あんなのは練習じゃない。
努力してるつもりでも努力になっていないことってけっこうある。勘違いしない。本番で結果を出すためにすべて。

 

とあるコピーライターの方に、なぜコピーライターになったんですか?
新聞記者を目指していた。上智の新聞学科で。でも知れば知るほど正義を暴くとか、真実を伝えるとか、悪く言えば性悪説の世界。向いてないなーと。
そこでコピーライターを知る。この商品っていいね。この人っていいよねっていう気持ちで仕事ができる。性善説の世界。自分には合うと思った。
同じ業界としてステキだと思う。まず疑うか、まず信じるか。


同級生いのちゃんの素朴ツイートシリーズが個人的にすごい好き。

”1週間帰省します。九州の皆さん、気にかけてくださいね”

”末っ子だからかわからんけど、熊本帰るたびに親戚家族みんな私がまだ7歳くらいだと思って接してくる。”

発見と共感に満ちた言葉、おみごとだなー。

 

内定者フォロー。学生時代ってそもそも不安、何になるのかどうなっちゃうのか。
何で助ける人になりたいかってこれちょっと真理なのかもしれない。何で人を幸せにしたいか。

 「一を聞き、十を知り、百を考え、千を伝え、万を動かす」
阿部広太郎さん電通コピーライター

 

20代の過ごし方。毎週土曜に飲むにしても50人会えるかどうか。
5分でもいいから会いたい人話したいことがあるか。惰性で誘ってないか。すごい人のすごい人に会うこと。人の集まるところ、物が動くお金が動く。目を背けない。ビビらない。野次馬根性。勘違いせず。ブレーキをかけず。

 

2015年は今思えば仕事に夢中になる覚悟を決める1年で、そんな中でお笑いサークル先輩からいきなりいただいたLINEに、焦るなよと言われた気がする。

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あのヨセケン木村さんがな
落語家になってもうた。

あん人が示してくれたんわ
君でいう三年後
俺でいう二年後
そこにまだ、
経歴手放しの選択肢があるということやねん。

自分で増やしてきたつもりの選択肢なんぞ、要らんのや。書類にしかならんや。

ほんまに血ぃ流れる選択肢は、これからやなくて、これまでにあってん。

前を向きすぎや。
目ん玉に騙されて
前、向きすぎてんねん。

せやろ?

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けどなんで関西弁だったんだろうか。

 

出張で浜松へ。見知らぬ土地の電車に揺られ、金沢特集の新聞を読む。
県民性ってあるなぁ。歴史ってあるよなぁ。
加賀百万石の前田家は本当は100万石以上持っていたらしいけど、軍隊ではなく文化芸能につぎ込んだそうな。名古屋は空襲にやられたが、金沢は400年の歴史が折り重なっている。「細い雪道を譲る」その言葉の美しさ。日常のこととして芸に関心が高く普段から美術館博物館に市井の人が行っている。自分には金沢がちょうどいいと思う人も多かろう。

 

足伸ばしてジャズバーベースライン@名古屋へ、最高
生よりシャンディガガフ。山崎or角ハイボール
お酒を飲むところだ酔っ払おうじゃない。
ご飯はソーセージ?ピスタチオ?生ハム?ピッツァはがっつり、アヒージョとかいいね。

太平洋戦争中は禁令や自主規制などでジャズは鳴りを潜めたが、学生や軍人の中でも密かにレコードを聴いて楽しむ者も多かった。特攻隊員の川柳に「アメリカと戦ふ奴がジャズを聞き」「ジャズ恋し早く平和が来ればよい」などと遺されていることからも分かる。

 

叔父さんが余命レベル。胸が痛い。言葉が出ない。今ある命を大切に。

 

日経より。バッタハンバーグというコラム。
即席麺に昆虫が、というクレームの、その麺にはエビが入っていて、どちらも節足動物なのになぁ。近い将来虫を食わなきゃ生き延びられない食糧難。考え方を変える必要。

 

電動歯ブラシ3ヶ月に一度ヘッド交換

ハイパーウルトラベリーしんどいでも前に進んでる。止まるなよ。これからだぜ、人と比べない。自分の仕事を。

 

27時間テレビの本気がすべってた中で、本気ってなんだろう。
もっと仕事に自分が入る意味とか価値を出さないと。人の役に立ちたい。売り上げたいではなく役に立ちたい。


こじらせまくってるお笑いサークル先輩の話
話の途中盛り上がらないことがわかると突然「愛してるぜ」「いや、だから愛してるぜって」で話を切り上げる。あるいは「怖い話持ってない?」ってすさまじい。わらう。

 

先輩、有無を言わさずロジックで叩きのめす。それが仕事をする上でみんなやりやすくなる。そのためにNOを言わせない提案をする。交渉の生々しさ。

 

エスカレーターの非常停止ボタンの位置、子どもに押してくださいと言っているようなもん。

 

実家の机まわり大掃除。ちらつく当時の彼女と、何一つ勉強してなかった高校時代。努力をしないと。いつまで中学の財産で生きているのだろう。本を読むとか新聞を読むとか社会的常識を掴む。

予餞会。山本先生のお言葉(うろ覚え)。余裕を見せつける会なのだと。まだ大丈夫、これからでしょ、余裕だぜってのを餞としてやる。どこもやらなくなった。ただクマタカは違う。もちろん二次の配点が高い大学志望ということもある。ただ全校生徒で余裕を見せつける。大丈夫であると言ってみる。だから大いに笑うし、先生たちが結構ガチで笑いを取りに来る。おもしろい学校だったと思う。テストの点なんかは本当にクラス平均の半分でうんこちんちんだったけど、今改めて頑張んなくっちゃ!

 

2015年6月~2015年8月の頭の中のこと。

301

今年もまた3月1日が来て就職活動が始まった。

 

今年もまたと書いてみて気づく、そういや僕らの時は12月1日からだったし時の流れは早い。つまりまる4年、ガクセイの代も被っていない後輩までも社会人になってきてロケット鉛筆。伝わるか分かんないけど、そのまま真上に押し出されても立ちはだかる先輩鉛筆の壁に、なんとか斜め上を探しながら押されて伸びるそんな春。隠してても滲み出るのが個性だとようやく気付いて来たところ。同じ黒鉛筆に見えて、濃さや太さで違いを出していけたらと思う。

 

3月1日の日経朝刊、就活特集の川村元気さんの言葉が良かった。著書『仕事。』の中で谷川俊太郎さんと対談されていて、谷川さんが言う「人類全体の無意識の集合体である"集合的無意識"にアクセスしたい」に共感したという。

みんな感じていても言葉にしない感情、気分を物語にしたい。これとても重要。『世界から猫が消えたなら』で本屋大賞を受賞された縁で各地の本屋を回っていると、お金持ちになる本があまりに多いことに気づいた。そこから、宝くじが当たった男のストーリー『億男』が生まれた。お金を考えていくと、同じように人間にコントロールできないことに気付く。それは死、そして恋愛。周りを見渡せば今みんなラブレスの時代、付き合ってないことに気づき恋愛小説『四月になれば彼女は』を執筆した。

 

川村元気さんはこうも話す。
自分のことしか考えられない、コスパ意識しかない人間が多い。ただ、ブレークスルーはコスパからは生まれない。何にお金を使ってますか?本を買わない人は本の編集はできない。映画館で見ない人は映画を作れない。そこの気分、気持ちをわかってない。

これ、就活生向けのインタビューとはいえとても重要。時代の風と深く呼吸し、言葉の先にいる人を思い至る。コピーライターのレジェンドの皆さんがとても優しいのと関係している。

 

「案外みんなこういうの卒業してくけどよく続けてるよな」とこないだ飲んだ時、このブログについて親友に言われる。生きてる証がないと不安だったりもするし、アウトプットがあるからインプットしようとしたりするし、自分の中での位置付けもだいぶ定まって来た気がする。

無意識の集合体にアクセスする。

可愛いなぁと思っていた人に最近春が来たと聞いて、なんでだかちょっとがっかりしちゃうのとか、何を食べるかどこで食うかより誰と食べるかが1億倍重要だなって高校の友人と馬鹿笑いするのとか、感情の画素数を上げて生きたい。

大学4年の8月〜社会人1年目の9月まで。101~200をまとめとく。

 

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お笑いサークルだったら誰もきっと「やってて楽しかったネタ」があるはず。コンテンツメーカーに憧れるもののカイシャのアイデア会議みたいなものの打率はさっぱりで。だからこそ新しいことをやる人はとにかくすごい。

 

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就活で木っ端微塵になりつつある頃にようやく気づく自分の原体験と興味。デジモンアドベンチャーが好きだった。その気持ちは今も一生も変わらないと思う。

 

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どこで、世の中に、出るか。就活も終わって内定者懇親会である意味ちゃんとビビらされて、不安しかないあの頃じゃないとこんなの書けない。

 

 

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社会人になる前の最後の夏休み。実家の引き出しから出てくるもらった自分の個性。おもしろいやつはおもしろいと言われて育つし、おもしろいと言われたやつはおもしろくあろうとして、おもしろくなっていく。ニワトリ卵じゃないけれど、そういうことがきっとあると思う。小4の思い出、貴重な原体験。

 

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ゼミの友だちは今でも集まるぐらいナカヨシなんだけど、北海道へのゼミ合宿もまた楽しくて、そこからaikoを聞くようになった。この北海道の半年後、ゼミの同級生と付き合うことになるわけで、思えばこの時から意識していたのかもしれない。

 

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度々登場してくれる高校の友人「神様」ナカシマさんと「リアリスト」タニムラ君とのすてきな三にんぐみ。11月に神様が式を挙げるそうで予定を立てねば。そろそろ連絡があってもいい頃だけど、10月神無月、神々の一人として出雲大社に招集されるだろうからきっとバタついてるのかもしれないな。

 

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大学4年はとことん原体験を追及していたらしい。後から振り返って有用だったと思う”暇”である。団地で過ごした7年間がコミュニケーションしたがり人間の僕を作った。ピンポンを押さずとも遊びに来てくれる友達はすごく有難いのだ。卒論のテーマも団地で生まれるコミュニケーションみたいなやつにした。

 

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同じく好きなこと。趣味グラビア鑑賞。

 

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お老成な餓鬼だった小6の思い出。お悩み係を立ち上げて1日で解散したお話。

 

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「面白い建物とか見るだけで単位もらえるよー」ってサークルの先輩に唆されて門を叩いたゼミのおかげで建物を眺めることが好きになった。お上りさんのミーハーさんは今、東京の外回り営業マンになってあちこち行ける役得さを感じている。

 

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そしてたまにこういう不安が押し寄せてくる。追い払うように書く。何にも貢献してない気がして、自分の成長を感じるシーンも少なく、楽しかったけど、悔いはないけどこのあたり、学生時代には戻りたくないと思う理由かもしれない。

 

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そうかと思えば、誕生日おめでとうにシンプルに舞い上がっている。時間があると内へ内へとなってしまう悪い癖。外へ外へと向かわせるのは出会いだったり経験だったり新しさだったり。自分が見えなくなるときは、世のため人のために生きておけば間違いない。

 

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この、歌舞伎と落語の話が好きで人生観にもなっている。

業の肯定。ダメなことを受け入れること。間違いを許すこと。ツッコミは指摘だけじゃなく、赦しでもあると思う。くそみたいな合コンのくそみたいな女の子のくそみたいなボケでも絶対無視はしないと決めている。

 

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シャカイ人1年目の目標を決めた2014年の1月、ずばり「語ってもらう」。

いや、ホントは僕〇〇なんです~とか、こういうことが得意なんであっちをやらせてください!とかきっと言いたくなる。でもね、人から思われる自分がホントの自分だ。語るな、語ってもらえ。と言い聞かせていた。今、1年目の子と話すと「ホントはもっとできるんですが、」と言いたげで、違う違うぞ語ってもらえ、と伝える。ブランドとは、約束のことで、まずブランドを作って行かなければならない。

 

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実家のブラックジャック単行本17巻から個人的神7を選んでみた。暇人の為せる業。

 

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大島優子は卒論なんて書かなくても卒業できるんだって羨ましがりながら、卒論発表で学んだことをまとめてみた。案外読みやすい。

 

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上の117じゃないけど、面白い側面を覚えてくれた母のおかげで自分がある。覚えていてくれるのは、愛だ。だから僕はブログを書く。

 

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2010年の6月、飯田君ちで集まって見たワールドカップで、初めてサッカー観戦が楽しいと思えた。それを思い出しながらシャカイ人1年目の開幕前に書いたらしい。気づけば今年もワールドカップで、ブブゼラとか、飯田君ちの前の公園とか思い出しながら観るんだと思う。

 

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あっという間に社会人1年目の9月。いつの間にかはてなブログへ移行してきてちょうど200。このあたりからSNSに投稿するようになったのでソトヅラを整えていることが分かる。1年目の頃は、エネルギーをどこから供給しようかってのが難しくて、ゆかりの人に会って、自分で自分を前向きにさせてたんだと察する。

 

 

最後に、大学4年の僕を何度も励ましてくれた言葉を書いて終わる。

1行ポエムツイッタラー(@1linepoet)というアカウントの投稿で、普段はすごくくだらない笑いを届けてくれるんだけど、簡単な言葉の羅列なのに受け取った読後感がものすごく心地いい。頑張れ!負けるな!応援してるよ!好きだよ!より伝わるこの言葉を、今でもたまに思い出して読み返して深く吸い込んで反芻する。

 

「大丈夫。いつでも十分に壊れる。壊れても十分に直る。呼吸するように産む、螺旋を描いてのぼる。」 

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「ありがとう。この世界の片隅にうちを見つけてくれて。」

映画『この世界の片隅に』に出てくるこの台詞が好きだ。千と千尋みたく本名を名乗れなくなったことがとっても不憫なのでお名前を呼びますが、能年玲奈さんがとってもハマっていた。

 

大学を中退し、福岡で職を転々としていたタモリさんが東京に行くきっかけになった話が好きだ。簡単にまとめると下記の通りである。

”1972年、大学時代のジャズ仲間がコンサートスタッフとして福岡にやってきて、その友人のホテルで終電がなくなる時間ギリギリまで飲んでいた。

いざ帰ろうと部屋から出たら、やけに騒がしい一室があり、通りがかり様に半開きになっていたドアから中を覗くと室内には、同じくコンサートに同行していた有名ジャズメンバーがいて、なにやら乱痴気騒ぎをしている。そこにタモリさんは乱入する。

歌舞伎の舞を踊ったり、インチキ外国語を披露したりするうちに最初は動揺していたメンバーも呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。”らしい。そこから「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が発足。東京に呼び寄せる動きが始まっていく。

 

この2つに共通するのはそう。「見つけてもらう」ということ。

編集者の竹村俊助さんが先日こんなことをつぶやいていた。

”以前はSNSをやらない理由として「大物はSNSなんてやらないから」と思ってた。でも考えたら自分は大物じゃないし、タモリさんやさんまさんみたいな大物だって下積み時代は自分を見つけてもらうためにデパートの営業行ったり小さな劇場でアピールしてたんじゃないか、と思い直して発信することにした。”

ハッとした。何者でもない自分をそろそろ本格的に焦るようになってきた。

 

思えば、大学4年の4月。サークルは引退。内定が1社。

モラトリアムのラスト1年を切って、かと言って何するでもない不安。このブログを始めたのはそんな時だった。はじめはアメブロで。ポップでつながりを押し出す諸々が煩わしくなってはてなブログへ引っ越した。「心頭滅却すれば火もまたスズシ」は僕が一番好きなことわざで、「わるあがきはじめました。」という副題にはまさに当時の言い知れない不安、何者でもない焦り、動く勇気のなさ、自己顕示欲と承認欲求が見事に詰まっている。

不親切に数を追うだけのタイトルは、まる5年経って300回を迎えた。誰に頼まれずとも書いてきたこれらを、せめて好きなものだけでもまとめてあげようと思う。いつかきっと「見つけてくれてありがとう」に繋がると信じて。

 

記念すべき最初のエントリーからポエマー魂があふれ出ている。

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当時、神田川沿いに住んでいて夜の間に通り過ぎた爆弾低気圧のことを書いているらしい。当時ブログを始めたことは、お笑いサークルの同期1人にしか言ってなかった。開成から東大に落ちて浪人してさらに仮面してブンカコウソウ学部に入った彼の言っていることはさっぱり分からなかったけど、聞き入れるつもりもなかったしそれぐらいで良かった。たまに褒めてくれて嬉しかった。彼女追いかけてグンマに行って、彼女に振られて彼にはグンマだけが残った。

 

書き始めた当時は少ない分量で伝わるかどうかのぎりぎりを書くのが好きだったけど、何が正解か分からなくなってわりと早い段階でエピソードトークを繰り出している。

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広告のお仕事に内定が決まったので、キャッチコピーにも興味を持ち始めます。

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このあたりは言い知れない不安の真っ只中で、作り話を始めてます。

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爆笑問題集』って本が自分のバイブルで、太田光が文を、田中裕二が紙粘土を作るエッセイ集なのだが、そこでの太田光に憧れまくって自分でお話を書きたかったんだと思う。

 

そんな中で前を向くきっかけをくれるのは、新しく聞くいい話だったりする。これは自分でも結構好きな話。ウォルトディズニー社の副社長が大学の講義で来てくれたときのお話。

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野球から学んだことも多い。大谷翔平デビューイヤーらしい。

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ブログっぽいテーマ設定「街で見かけたヘンな人」

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かと思えばすごく意味のないことも書いていて創作話「からしとわさび」

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自分にないオモシロを持つ人が大好きで、その中の1人、小学校の同級生せっちゃんとの思い出も書いている。

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読み返してたら思い出した。僕のブログを好きだと言ってくれてるみねちゃんっていう後輩がいるんだけど、みねちゃんのバレーについて山梨2位のセッターがあいつは伸びるって言ってて、その理由はずばり「体幹が強い」から。

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時間ができたので頑張って本とか映画とかインプットをしようとしたけど、重松清読んでるって文学部の政治大好き後輩に話したら、「あんなの水ですよ、水」って言われた大学4年生。

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本屋から始まってイベントスタッフやってプールのお兄さんやって最後はパン屋さんでした僕のバイト人生。特にプールのお兄さんはお笑いサークルの伝統でフセさんが言い出した「チョロ出し」ってフレーズが忘れられない。

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100まではこんなもんにして。

101-200編、201-300編はまた今度。どこかの真夜中に。

299

「考えないは、ない。」

と、今年の目標を掲げて3ヶ月が経った。

元来考える習慣がなく脊髄反射で繰り出してきた僕にとってはなかなかハードルの高い目標ではある。けれどもそれでこそ目標、チャレンジングにいこうじゃないか。強烈な南風に吹き飛ばされそうになりながら、追い風にできたらいいなって思ったりする。

 

カイシャからの目標もまたチャレンジングである。

「あなたは今年、これとあれとそれをやってください」ってのをいただいて思ったのは、これとあれとそれをやりきった自分はこれぐらいの地点に到達していて、それはきっとこうなったらいいなっていう人生のゴールと同じそっちのベクトルで前進しているんだろうなぁと、「成長」という字を辞書で引いてみたらこう書いてあるんじゃないかなって思うけどあまりに指示語が多すぎて辞書としては無価値、むつかちい。

なりたい自分があって、なりたい自分を作り上げるためには置かれた場所でめちゃくちゃ咲くことだし、「ちょっとスンマセンここでも咲いていいですかね?自分、きれいかったり喜ばせたりしますんで」って自分の領地や、できることや、仲間と味方を増やしていくことなんだと思う。

そういう部分で桜もいいけど、たんぽぽも好きだ。童謡たんぽぽを手話付きで歌った小学3年生の思い出もそうだし、公園でデートしてたら何気なく彼女がたんぽぽの綿毛を手にして、あっフーーってするのかな可愛いなって思って眺めてたら、おもむろに手のひらで挟んで、でんでん太鼓の要領でスリスリスリってやりだして結果、全然わた毛飛んでいかなかった高校1年生の思い出もそう。原体験がちゃんとあるからたんぽぽは好きだ。一瞬で散ってく桜の美しさはそりゃかなわなくても、綿毛を飛ばして少しずつできることを増やす。冬の寒さを耐え忍び、そんなとこ咲いてたんかい。そんなとこ時間割いてたんかい。

 

その昔、就活してた時とか、並のサラリーマンの波を見ながら、「こうなりたい」より「こうなりたくない」が増えることが、大人になるってことだな。なんてかっこつけて「」つけてたりしたけど、そんなこともないな。むしろ年次を重ねることで「こうなりたい」がすこしずつ具体的になっていて、そのためのステップに仕事を使っている(まだその境地にまでは達せてないけど)。

同時に、いい加減成長なさいよ、と上司諸先輩シニアマネージャーの方々から口々に言われてハラハラ。ヘラヘラはできんぞと組織人として腹をくくるくくる。いわゆる自分の成長が会社の成長で、仕事は楽しくて、難しくて、うーん楽しくて、えーと難しくて、やっぱり楽しい。

 

最近、頭をずーっとぐるぐるさせていることをまとめとく。

きっかけはタイムラインに流れてきたこんな呟き

「25歳まで自我なかったな、ほんと。」 

中学の友人の何気ないツイートにめちゃくちゃ共感する。彼女のそれとは少し違うかもしれないけど、これやりたいな!とか、これがやっぱり好きだな!とか、こういう時ムカムカするな、みたいな自分インタビューの深掘りの結果、自分が分かってくる。与えられる側から与える側になって、そこでようやく見えてくる。僕なんて社会人1、2年目のころはあまりのできなさにゼツボウしっぱなしで、あまりのできなさに会社の同期LINEを自ら退会したこともある。お恥ずかしながら当方、多分きっとメンヘラ。百歩譲って退会自体は別にどうでもいいんだけど、そのくせ飲み会の連絡だったりは個別で確認させてもらってただの二度手間じゃんってヨシオカさんとやまちゃんには感謝している。

そんなぐちゃぐちゃな日々から学ぶことがあって例えば、人ってないものに憧れる。僕がもの作ったりネタ書いたり歌って踊れる人にめっぽう弱いのはそういうこと。アイデアマンとは実は対局だったりする自分がようやく分かって、さーて来週のあたくしは、どんな三本立てで行こうかしら。戦略なんて大げさなことではないけれど提供価値を考えることは楽しくて、ジャンケンポン!ウフフフフフーである。

 

25、26歳ぐらいを何かの記念日にしたい。人生100年時代の成人式は26歳ぐらいなのかもしれない。

指南役さんもTwitterでこう言っている。

"人間は26歳の時になりたいと思った人間に最終的になれるという。26というと、大卒なら就職して4年目。そこで初めて人生でやりたいことが見えるらしい。だから就活で「やりたいことが分からない」と焦る必要はない。とりあえずどっかへ入って3年我慢。そこから。"

 

漫才師上岡龍太郎さんもこう言っていたそうな。

"ああいうモン(自分の芽)はすぐ出るモンやなくて、何年か経った時に花がドーンと開くものですからね。いつ開くかという芽は、男は必ず26才にあると思う。
26才の時に
「何を考え」
「何を夢見て」
「何をしたい」
と思っていたか。
今までの作家にしろノーベル賞の人間などは、26才に思ったことが花開いているだけなんです。
40才になってから、新しいことなんか出来ない。
26才の頃に思ったことが40才になって、その力を得て実現出来るだけ。
26才の時に何をやりたいと思っていたかで一生が決まる。
これが「男26才原点説」

でもその時は残念ながら力もないし、自分でやる場所もない。
でも、その思いはずーっ と埋もれ火のように胸に秘めとく。
それが35か40か50かもわからんけど花開く。
それがない人は、幾つになってもダメ。

だから、それを誰にも言わんでもエエから、
自分で「そういえば俺、26才の時こんなことやりたいと思っていたな。
ああ、その割にいまは、ちょっとサボってるな。」とか「ちょっと違う方向に来てるな」と思ったら、そこへ修正していったらね、
大体…その人は自分の思う道を歩けるんじゃないんでしょうか。"

「男26歳原点説」上岡龍太郎 | のための

 

友人フルの「25歳まで自我なかったな、ほんと。」を見て思い出したのは、大手人材会社の元社長の方から聞いたこんな言葉だった。

 

「欲望がどれだけ甚だしいか。行動がどれだけ甚だしいか。」

 

ずばり、新卒採用の最終面接で何を見ているかというお話。

ご存知Will、Can、Mustの中で、CanとMustがあまりに多い世の中だからこそ、Willはものすごいエネルギーを与える。人間の脳みそは10%しか使われていないなんて話もあるし、これはガセだって話もあるけど、とにかくWillは強い。

英語をどれだけやれと言われてもやらなかった子どもが、ただ一度でも、外国人のサッカー選手と握手をする。その日の帰り道、電車に乗りながら目を輝かせて父ちゃんに言うわけだ「俺、、英語勉強するよ!」。原体験が彼を英語の勉強に掻き立てる。そんなことがよくある。どんなWillを持てるか。そしてそれがどれだけ「甚だ」か。欲望の大きさ、これはもうちょっとした1つの才能だと思う。松屋ユニクロでいいやって思ってた学生時代の僕が、自我に気付いて少しずつ欲望を膨らませている。

 

同じく、そのためにどんな行動をしてきたか。そしてそれがどれだけ「甚だ」か。

皆藤愛子さんに会いたいがあまり、「皆藤愛子 イベント」で毎日ググってたあのころが懐かしい。笑われてもいい。欲望と行動で笑われるぐらいがいい。

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こないだ、シンガーソングライターやってる仲良しのやつが、夜中に酔っぱらって電話かけてきた。「歌わせろよ!」「あたしに歌わせろよ!」って。あーはいはい、あーはいはいってあしらいながら、途中「ばかかよ!」「頭だいじょうぶかよ!」ってなじられたりもしながら、なんかすげぇかっこよかった。歌いたい!っていいな。歌わせてあげたいな。

 

自我が芽生えて、欲望に気付いて、行動する。

そんなことを考えて先日姪っ子ちゃんに会いに実家帰って、研究したり人前で話したりする仕事をしてる親父の書斎を見てこれだ!って思った。

あの親父さん、ウケたさがすごい。

欲望と行動が甚だしい人がこんな近くにいた。

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298

「生きる TERRY&DOLLY」

 

てれれれってててーれーてーれー てれれれってててーれーれー

生きてるってなあんだろ 生きてるってなあに

生きてるってなあんだろ 生きてるってなあに

ドリー(原田泰造)「ハァ」

テリー(堀内健)「ドウシタンダヨお兄ちゃん!ため息なんてついて。ジャブの練習しようよ!」

ドリー「昨日もジャブ、今日もジャブ、明日もジャブ、明後日もジャブ。マイニチマイニチ同じコトのクリカエシ。兄ちゃん生きてる気がシナインダヨ!」

テリー「兄ちゃん生きてる気がしないの?じゃアツアツオデンだよ!」

ドリー「テリーこれダイジョブ?ユゲとかデテルヨ」

テリー「ダイジョブダイジョブ~テリーをシンジテ~も少しも少し~」

ドリー「アッツイヨ!!」

 

おなじみもおなじみ、笑う犬の名作コント「生きる」をふいに思い出す年度末。

桜は咲き乱れ芽”生”えの季節、”生”意気な学”生”も増えたりしてお”生”憎様。

先週は風邪引いちゃって養”生”しなきゃって”生”姜飲んだりしたけれど、

もうだめだとまだやれるを繰り返してる。このばたばたを”生”きてる感じだと思う。

先月の将棋の羽”生”さんやスケートの羽”生”さんも感じてたのかな。

どの口が言ってんだって話だけど”生”来、”生”真面目なもんで、

”生”え抜きの4年目、なんとか弥”生”を送り出せそうな気がしてる。

 

エイギョウという仕事をしていると当然モクヒョウってのがあってカッタマケタを突きつけられる。今まで4回あったんだけど実は肺に穴あけた年以外、1,3,4年目はタッセイしていたりするの、これホントすごくないですか。何がって僕の上司、すごい。

 

そんな3月30日。

まだ実感のないカイシャの締めのパーティーの最中、母からのLINE。

 

「生まれました。産声も元気」

 

姪っ子が"生”まれた!

 

赤ちゃんができたと聞いた8月は、人生で初めてぶわぁってなってしまった。まだ8週間の生命体にすら。ぶわぁ。

「ばあちゃんの初抱っこ!」って姉が送ってくれた写真の母さん、目元超まっかっかで笑って、泣きそうになった。

「どうよ?顔とか似てたりする?」って送ってみたら「おでこの狭さは完全にわたし!」って返ってきて、いやいや、俺だっておでこ狭いからって嬉しくって、泣きそうになった。

 

 

前に、パンパースがこんなWebムービーを作ってた。

「赤ちゃんの1歳。それはママの1歳でもある。」

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比較的アイスハートで、卒業式とか泣かないタイプだったんだけど今見たらこれちょっとやばいですあれですあれ、ぶわぁ。

気が早いなぁ、まだ生まれて18時間ぐらいだと思うんだけど、姉ちゃんママになって18時間。親父爺も母さん婆さんも、そして僕叔父さんも18時間。

どうかな?叔父感出てきたかな?

 

関係者全員が嬉しくてたまらなくなるサプライズだなんてやだなぁ誰も教えてくれなかったじゃんか。

「生」の読み方を調べてみてめちゃくちゃ多いだなんてやだなぁ誰も教えてくれなかったじゃんか。

 

生きてるってなあんだろ 生きてるってなあに

生きてるってなあんだろ 生きてるってなあに

 

今まで弟として26年やってきましたけど、これからは責任持って叔父さんも務めてまいります。

 

そうそう、親父爺、なんか年取るごとに変人になっていくんだけど、カッコつけてんのか、「俺がいるからってなにが変わるわけでもねぇ」って自分の孫が生まれるその予定日に一人旅に繰り出してるのまじでいかれてるな。旦那さんの両親は勢揃いしてたってのにな。

 

そのくせ家族のLINEで天使とか言い出すの、超かわいいな。

 

来週叔父さんが会いに行くからね。

親父爺に照れてんじゃないよ!って叱ってやろうと思います。

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「世界の名言集」を読み漁るマセガキが、中・高・大学と加速度的にオモシロい人たちのオモシロい言葉に触れ、こうなりました。今後は社会にて仕上げていきたく思います。選んで頂いた企業様、および両親に感謝します。


これ、学生時代に運良く受賞したとある広告賞での、僕の受賞コメント数えたら4年も昔。何を今さら、過去の栄光に浸りたいってわけじゃなくって、当時の自分のコメントが的を射まくっていることに気づく5年目を迎える春。え?的を得る?射るじゃない?とまぁ、このくだりがまったく的を射てないわけで。え?得る?射るじゃない?

いいよ続ける。

 

人生エピソードトーク

分け入っても分け入っても青い山。ほじくってもほじくっても昔は昔。自分自身の中から生まれる新しさに新しさはそんなになくて、だったら経験するしかない。それはやっぱり人に会ったりどこかに行ったり何かを味わったりすることだと心得ている。もっと言うとこのWeb時代、更新を意味する「2.0」がほうぼうで聞こえてくる。アップデートや学び直しが求められる今、冒頭の自分のコメントは、ほどよく元々の自分を諦めた上で、戦い方を考えなさいよと教えてる。

僕個人のおもしろさで戦ったら一撃で負けるってわかっている分、面白い人たちに会いまくって、いい話を仕入れ続けて、少しでも提供価値を増やしていけたらと思う5年目を迎える春。

 

てなわけで行ってきましたまいど大阪!おおきに春分、ありがとう文春。この時期、ガクセイのうちしか旅行いけねぇって1ヶ月に3カ国詰め込んだ4年前の僕に言ってあげたい言葉は、いやいや案外行けちゃうよ、である。

なんてツイてるんだ!って言い続けてると本当に運勢が回ってく不思議。平日休みの友人と大阪勤めの友人にいっぺんに会えるなんてなんてツイてるんだ!2年前、肺に穴を開け即入院したその同じ日とは思えない春分の日に感謝感激春一番

 

仕事終わりに東京駅に向かう。スマホを泉に落っことさないよう気をつけて、トイレで着替えを済ます。スーさんが待っている。スーさんってのはたまにしか呼ばないあだ名。そりゃそうさこの時代、ブログに実名書くわけにはいかないもんねっ、鈴木くん。

ちょっとした憧れ、駅弁とビール、気分は学生自由席。平日休みのスーさんと泊まりの旅行なんてスーパー嬉しくて、ガラにもなく今好きな人の話とかしながら通り過ぎる静岡名古屋。はいできました。新幹線とかけまして、ポコチンととく。その心はどちらもエキを飛ばします。

えっ?気心知れた関係はいくらでもすべっていいってルールでしたよね?一旦止まって京都駅に確認する。

 

23時にたどり着く新大阪1年ぶり4回目。

右側が埋まるエスカレーターにワクワクしちゃう。身の回りにいる男前ランキングで上位に食い込むクールな顔したスーさんですらゴキゲンなのかドリカム大阪LOVERを鼻歌ってる。「何度ふふふふふふっふー」って歌詞知らんのかいこいつまじ。「めっちゃすっきゃねん」って最後関ジャニで終わるんかいこいつまじ。

イケメンってのはこれで許されるからすごい。おにぎり食べてて目が合っただけで「ちょwラマみたいwwこっち向かんでくれんwww」って同級生女子から言われたことある僕とは大違いだ。

 

荷物置いて繰り出す繁華街。旅の恥はかきすて。冒頭のコメントじゃないけど面白い人を引き寄せる才能があるらしい。飲み屋でたまたま隣にいたシノさん(24歳会社員)は、聞けばお父さんが東北で彫刻家やってるらしく、家業を継いでくれるお婿さんを絶賛募集中。なにその独特な婚活条件の設定。「なんで東北から関西に来たの?」「だって関西弁かっこよくないですか?」「ほう?」「関西人みたいに自己主張できる人に憧れて、それで配属選ぶ時に大阪に〇を付けました」「ほう?東京にもいるよ自己主張できる人」「東京は都会だから怖い」「ほう?」

少し話して悩み相談みたいになって、グータラをどうかしたいと話すシノさん。曰く「2周目が来ちゃうんです」とのこと。例えばハサミを出して使う。あー片付けなきゃと思いながらもグータラゆえ片付けることができず数日放置。そうこうしてるうちにまたハサミが必要なタイミングが来ちゃうとのこと。「つまり物は片付けない方がいいんですよ」と一番やっちゃいけない答えを彼女が出したところで僕らはお会計をしたんだっけ。もう会わなくても言っちゃう「またね」。「東京のイメージが変わりました!」って最後に言われて嬉しくなるけど僕熊本人。いい跡継ぎが見つかりますようにって願いながらスーさんと歩いて帰るホテルまでの道、雨男。

 

ホテルで死んだように眠る。生まれたように起きる。ねっむぅ。しかも雨さっむぅ。

夜から合流する予定の友人ともひろ以外ノープランで、とりあえず繰り出す道頓堀。たこ焼き屋はスーさんオススメのあっちち本舗食べる。フワトロあつあつタコタコでこれがまぁうまい。それでは聞いてくださいあっちち HAPPY DAY。

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なんでしょう、この耳残りのよさ。今後もし大阪の曲と言えば?と問われたらドリカム大阪LOVERでも関ジャニでもなくあっちち本舗と答えようと思う。

 

食いだおれ君もグリコ君も写真撮るときスーさんが全部右手で押さえやがって隠れちゃってるのくだらない。腹ごしらえは串カツ屋さんへ。ここでも引き寄せちゃう変な才能、接客してくれた外国人(ベトナムとかそのへん)の女の子は「ハジメテナンデス」ってバイト初日が祝日の今日?ゆっくりでいいよ、ゆっくりでいいよって優しくしてみたらゆっくり押し間違えちゃった。スピードメニューナスの浅漬けのはずが、時間かかった上に衣ついたナスが串に刺さって出てきてわらう。なに無問題、昼間っからビール飲んで串カツ食べて幸せとはこういうことじゃないか。もうちょっと酔っぱらおうかって黒霧のお湯割り頼んだら、水割りが出てきて寒くて一気に酔いがさめるわらう。

 

通天閣に行きたいって駄々こねて、途中通った新世界は東京で言うと秋葉原っぽくておたく風の方々も多かったんだけど、すれ違う大学生ぐらいのオタク二人組が「へーそれは生きる価値のないフレンズだね〜」って言ってたの今すごく気になっている。

通天閣では観光地あるある、エロすぎるガチャガチャがあって500円。ちょっとやってみてよと言われたらやっちゃうタイプ。「なんと私見つけちゃいましたよ!」なんてスーさんのカメラでユーチューバーごっこ始めたらゾクゾク中高生が集まってきちゃってさぁ大変。出てきたパンティーを被ってなんとかスベり倒すことは避けたけど、あぁパンティー被る向きが逆だったなとか、顔引きつってんなとか反省反省。

 

写真撮ってくれて気に入ったら買うシステムの通天閣の写真コーナー。

「はい、つう、てん(パシャ)、かく認しまーす。」とか「上手にとれタワー!」とかおっちゃんたちはのせるのが本当に上手で、パンティー被る向きが逆だったことを反省している自分がちっぽけに思えてきた。僕にもう少しユーモアをと願う、ビリケンさんの足の裏。

 

天王寺動物園は横目で通り過ぎるだけ。2人ともそろそろトイレに行きたくなったのでいざ、あべのハルカス!目的はきれいなトイレ、それだけ。ばちあたりかもしれませんが、優雅な時間を過ごさせていただきました。ふー。

ふーっと気合を入れて歩いてみる飛田新地。4週目に入ったら冷やかしだと思われて怖いお兄さんたちに連れていかれるゾなんて噂を聞いていたけど、真剣に選んでいる人たちは何周もしていて、もっと言うと車をすごいゆっくり運転して見定めている人もいた。うわ、あの子芸能人みたい!とかうわー妖怪みたいだったな今のとか異世界を味わってお腹いっぱい。最後のご飯へ向かう。

 

僕、スーさん、大阪勤めほぼ卒業以来のともひろに加えて、かけつけてくれたサークルの先輩まさるサン。このまさるサン、名字が花田だからお前はまさるだって理不尽極まりないあだ名を付けられても笑って許してる心優しい先輩もしくはバカ。そういや僕らもマツモトカズナリっていう後輩に嵐って名づけてたし、あるあるなのかもしれない。

千房のお好み焼きがおいしいのはもちろんのこと、あれ俺こんな顔してたっけってぐらい笑い過ぎてて、楽しい時間は過ぎるのが早いし、顔面が溶けちゃうね。まさるサンは聞いてもいないのに「俺は飛田に3回行った」と素人っぷりをアピールしてきた。彼が一番楽しそうだった。頼んでもないのに僕ら用に忖度まんじゅうをお土産に買ってくれた。「いい人。贅沢していい人。」っていう缶コーヒーのコピーを思い出した。

 

10月、ともひろの結婚式でまた会えたらいいね。今度こそ来られなかったジュンさんも一緒にさ。ゆうやの娘にも会っておかなくっちゃな。あいつに似たらブスになっちゃうな。いや、奥さんに似てもブスだろ。うわ最低www

会いたい人があちこちにいる。

いつ会っても楽しそうな自分でいたいと思う。

 

この時期。会う人会う人に「よい春を。」って言うようにしてる。

それは夏、秋、冬じゃやっぱり違くて、旅立ったり環境が変わったりする春だからこそ成立すると思ってて。

スーさんも、結婚するともひろも、素人童貞を極めるまさるサンも。グータラな飲み屋のシノさんも、串カツ屋初日のあの外国人も。もちろん僕もまた。

どうぞそれぞれに、よい春を。

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「すべてのシーンは、未来につづいてる。」

 

ドラえもん のび太太陽王伝説』のコロコロコミック限定版ポスターは、歴代のドラ映画のモザイク絵になっていて、こんな一言が書かれている。実家の自分の部屋、机の横に貼り付けたお気に入りのポスターのワンフレーズに今、共感する。

余談だけど、僕は一貫してコロコロボーイだった。コロコロコミックの戦略のブレなさってすごくってズバリ「異性に興味が出てきたやつは去れ」である。お色気とかキュンキュンではなく徹底して小学生男子がバカ笑いできて胸が熱くなるそんなコンテンツ。小学校6年間読み続けた。宇宙人田中太郎の最終回は少しいい話風だったし、なんで桑田とピッピはあんな最低なキャラなのか分からなかったし、ドラベースは毎月の連載を律儀に切り取ってぼろっぼろのマイ単行本を作ったりしてた。おかげでやりもしないのにデュエル・マスターズキラカードは30枚近く溜まって、今じゃホコリがたまって、価格相場を見ながらにやけるメルカリ。負けるなコロコロ!勝てないよでんぢゃらすじーさん

 

冒頭のドラのポスター。実はこれ、僕の記念すべきインスタの1枚目。どうしてなかなかイイデビューじゃないか。いいね0でもいいねいいよね?

個人的にどうしても映えだけは使いたくなくって「寄り」とか「側」とか「っぽい」とかどうかなって思ってる。お前インスタ寄りだなー!まぁ俺インスタ側だしな。ちょっと待って今のインスタっぽくない!?「っぽい」は思ったより普通、っぽい。

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最近思う。ドラのコピーはこうとも言える。

 

すべての「あの頃」は、未来につづいてる。

 

この時期思い出すのはやっぱり受験、2010年の3月4月。

芸人になるなら早稲田ぐらい出なさいってぶっ飛んだ先生に言われて早稲田ぐらい出るかなって意識して、受験期1週間の東京滞在。 歴史の時間はこれでもかってぐらい寝てたから、なに1つ覚えてない日本史せぐっちゃんごめんなさい。こんだけ文系人間なのに文系学部は実は早々に諦めた。

日本史の時間に学ぶ人体の不思議、腕組むと寝ちゃうんよねってアホなお悩み相談する僕に、大津の神童シノくんが「あれつたい、騙されたと思って腕ぶら下げてみ、まじ目さめるけん!?」ってこれまたアホなアドバイス。おかげでペンも持たずメモすら取れなかった。騙された。

実は数学受験をしたのだが、家庭教師ヨシダ先生は僕の人生の恩師の1人。ダーワセの人間科と社会科と商学を受けた。初日の人間科が終わった後、僕は案の定ペイチャンネルの誘惑に負けてしまって、その後の試験はまぁひどかった。知らんがなだと思うけど一応国立も受けるかって埼玉大も受けた。なんでかって教養学部ってのがあって、その頃のなりたい大人が教養がある人、強要しない人だったからという、この辺りからサーフェス人間の本領発揮。

 

なんせ東京を1週間堪能する。馬場のサンルートから聖蹟桜ヶ丘のいとこ、ケン君ち。その後前橋のおばちゃんち、最後池袋のザビーホテルを転々とてんてんてん。ケン君との思い出はこっちにまとめてたりする。

showkakeru.hatenablog.com

時はバンクーバー五輪真っ只中。「真央ちゃんが頑張ってるから私もがんばる!」って当時お付き合いしてた女の子の健気さと、18歳の自分の胸のざわつきと不安を今でもたまに思い出してチクリとする。

 

それでも春はいきなりやってくる。気づいた時が春なのです。

受かったのは人間科。ペイチャンネルに手を出す前の受験で、上京のはずが所沢。それでいてさらに補欠合格ときたもんだから8年前のこの時期はバッタバタバッタトンボカミキリムシ、3月15日に補欠合格の知らせが来て22日に家探しに来て29日に一人暮らし始めるみたいな感じ。そりゃ親のありがたみも後から気づくってもんだ。

 

小手指の北口、スリーエフの方って言っても駅から徒歩13分のスリーエフなんざ誰も使わない。畑に囲まれて学生生活が始まった。

現役?浪人?じゃなく「君何浪?」って聞かれた時は素直に凹んだり。初めて一人で食う駅前のなか卯は頼んでないのにつゆだくだったり。スポーツ科と共にするキャンパスには180を超えた女性アスリートが両脇にバスケボールを抱えていたり。

待望のお笑いやりたいなって探しても、トコロザワにはお笑いサークルはない。仕方なく本キャンで彷徨うサークル探し。当時、早稲田にはお笑いサークルが3つあった。

50年近く続く老舗お笑いサークルがあって、そこから独立したインカレワイワイマンモスお笑いサークルがあって、さらにそこから独立した少人数のお笑いサークルがあった。ここだけの話、マンモスお笑いサークルの幹事長は今ひょっこりはんとして大活躍されている。当時は普通に漫才してて、普通にすごく面白かった。

一方老舗お笑いサークルの方は花見に行ってみたらトドみたいな女の先輩がいてずーっとパンツが見えてて「見る?」って言われて一気に帰りたくなった。しゃくれてた幹事長が優しかった。

 

お笑いやりたがってた割に最初に入部したのはバレーボールサークル。なんでかってシンプルで、本キャンのサークル入ると所沢キャンパスに友達ができないどころか、ゼミが始まる3年まで本当に居場所がないからだ。トトロのモデルになったとされる狭山の山の中、閉鎖社会の辛いところである。

4月1日、入学式に向かう道で声かけた大学最初の友人が聞けば山梨2位のセッターで、あれよあれよとバレーボールサークルの門を叩いてた。こう言う時は乗っかるに限る。不思議なご縁、家庭教師ヨシダ先生の弟もなんとそのバレーサークルにいて、一緒に持ってきたグローブ達が多少寂しい顔をしても、所沢に居場所をくれたバレーサークルの皆さんに感謝感謝。あと大学最初の友人にも。つい今週娘さんが産まれたというから、こういう時は乗っかるに限る。僕も娘にはリンカちゃんと名付けようと思う。

 

トコロザワに居場所ができた僕は真剣に2つのお笑いサークルで揺れ動いてて、決め手になったのはなんてこたない飲み会のクソみたいな話だったりする。それは老舗お笑いサークルの飲み会で、楽しすぎてトド女先輩のパンツのトラウマはすぐに忘れた。

「ホシカワって変な名前だな」

「(失礼だなぁ)はい、珍しいですよね」

「こいつも名前ムゲンって言うんだぜ」

「(うわ変だな)まじすか」

「いやお前も変なイトウだろ」

「そうなんだよ俺イトウってんだけどさ、イトウのイの字は依なんだよね」

「(うわ変だな)まじすか」

「で、こいつニレイ」

「ニレの木って知ってる!?」

「(知るワケねぇだろ)いえ知りません」

みたいなテーブルに変な名前が4人集まっててその1つ1つにげらげら笑っちゃった。

「おーおつかれ」

「あ、お疲れ様です!」って入ってきた先輩がキムラさんっていうめっちゃ普通の名前で、童貞で、この人がとんでもなく面白い人で僕はヨセケンに入部を決めたんだった。

木村さんはエピソードがすさまじくて、童貞のまま大手広告代理店入ったけど辞めて落語家になって、ネーミングライツヤフオクに出したら地下アイドルに買われて、一時期名前が立川仮面女子っていうアイドル名になってた立川談志のひ孫弟子のお方なのだ。

落語家「立川仮面女子」が街頭ビジョンで改名発表

 

あと又聞きで恐縮なんだけど、木村さん、親に冗談で「あんた早く彼女作りなさいよ!笑」って言われて「ごめん、俺色盲だから運命の赤い糸が見えねぇんだ」って言って、ウケると思ったらそのまま親が「ごめんね、、、、!」って泣き崩れた話とか、超好き。何度聞いても笑っちゃう。

とにもかくにも面白い人たちがいっぱいいた。「野球なんて木の棒振り回して炎天下の中走ってあんなのはバカがやるスポーツ」みたいな説を大声で唱える先輩、ムゲンさんがいて、これまで野球しかしてこなかった僕からしたらむかつくんだけど目からうろこ。そんなカルチャーショックが毎日起きて飽きなかった。僕含めクズしかいなかった。

新歓で「見てみ、全員ちょっとずつ変な顔してるでしょ」なんて1年生に紹介するサークルはきっとそうそう他にない。サークルで一番まともなやつが社会に出たらだいたいちょっとポンコツ、ってのは今の僕がまんまそうで、ミスしてお叱りをいただきながらたまに脳みそが少し笑ってる。

 

そうそう。

2月のこのブログはたかだか500PVとかで、そんなちっぽけなブログを続けている理由もお笑いサークルにある。代はかぶっていないんだけど、とある先輩がずっと綴っていらっしゃったブログを学生時代からひっそり読んでいた。就活の失敗とか社会人の鬱屈とか、それでも消えないお笑いへのストイックな情熱とかめちゃくちゃかっこよかった。お笑い、野球、音楽など少なからず影響を受けたと思う。一回だけブログにコメントをしたことがあって、その返事で「俺は4年目くらいから状況が徐々に良くなったので、まだ時間もあるし若いから、自分の武器を磨いてください!」って仰っていただいて、今まさに4年目。相変わらず弱点ばっか目に付くけど、なんか書いてたいっていうのはもう、ちょっとした武器だと思って、くだらなくてもサーフェスでも書こうと思う。舟橋さんっていう先輩のおはなし。

www.creativevillage.ne.jp

 

すべての「あの頃」は、未来につづいてる。

 

「あー、レ点ね!」なんて国語の時間のエピソードトークをみんなで語り合って共感を得られたら単位をもらえるという一風変わった講義その名も「国語という授業を考える」。この講義をたまたま一緒に取っていたすらっとした見た目も言葉遣いも麗しい女の子は、地下アイドルからグループに所属して脱退して、この時代に珍しくソロアイドルになって、そこからとんでもない努力を重ね、しかもそれを全く見せない表情で今も前線でアイドルを続けていて、寺嶋ゆっふぃーも早稲田の尊敬する人の一人である。

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すべての「あの頃」は、未来につづいてる。

お世話になった先輩が結婚したり、親友の子どもが生まれたり、知ってる人がまたいい仕事をしていたり。

この時期の不安をいつもふっとばしてくれる「あのころ」がある。

地続きの未来が、少し嬉しい。