心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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僕の中の”名言っぽいこと言いたいおじさん”が、イメージとしてはムーミンスナフキンみたいな感じでこう言ってる。
マッチングアプリにまともな人がいると思っちゃだめだよ。いないから楽しいんじゃないか。」
本格的に始めたのが肺に穴あけて仕事に穴あけた入院中の病床だったから、かれこれ2年近くマッチングアプリをやっている計算。なんなら少し前お付き合いしていた人もきっかけはtinderだった。
高校大学とヘンサチで括られて、高校大学と1人ずつお付き合いしてきた僕にとって、そんな人もいるのね!って発見の連続。彼女もいないし、遊ぶこともしないと世界の広さはそのままで歳だけ重ねてく。結婚とはまた違ったそんな焦りを感じてた頃に知ってしばらく試した。結果、今でも連絡を取り合う大のナカヨシもいるし、前述の通りお付き合いすることもできた一方で、会ってみたら写真の3倍お顔の余白がある、ぬり絵が大変そうな方もいたりした。
この夏、知り合いの作詞家さんが「20代の恋を、平成最後の夏に置いていく」って今までの恋愛を振り返るブログを書いてて、素人の恋の話を聞いてもつまらないよと言うなかれ、逆に芸能人の恋の話を聞いたってさして盛り上がるものでもない。そうじゃなくて住む場所育った景色は全然違うのに、あぁその感情あったなって共感したり、乙女心ってそうなのねって学んだり、何より書くことで救われることがあるってのは僕もよく分かってる。ここはいっそ3連休の最終日、大掃除して気づいた賞味期限切れの非常食でも食べながら、平成最後の夏に平静を装ってマッチングアプリ体験記をまとめてみようと思う。そうそう、1人暮らしも9年目になるとたいていの枕元の非常食は期限が切れている。おかげさま、無事で過ごせた数年に感謝しつつ、1人非常食をほおばる。夏の終わり。季節の哀愁を夕立に添えて。
数えたら、この2年で実際に会った人は16人もいて、他の皆さんの平均値が分からないけどすごい時代だなって思う。

さて、言うまでもなく写真と自己紹介が重要で、正解はないけど不正解はある気がするんですアプリの基礎知識。正解はないけど不正解はあるってのはこれ、人生と同じかな。女友達に聞けば自撮りとsnowのウケが悪い。どうしたってイケメンにはならないため、せめて楽しそうな写真をくりだす。最初美味しそうな馬肉の写真とかあげてたけど、そういうのいいから!って女友達に言われて了解承知かしこまり。
ちょっとした面接官の練習みたい、流れ作業を続けてると見えてくるものがある。自己紹介の貴重な文字量を費やしてでも「楽しいことが好きです」って書く人は、楽しいことが嫌いな人が周りにそんなにいたのだろうか。鼻の穴が2つありますって書いてるようなもんだなと思う。書かなくていい。「いまいち使い方分かってません」って書く人は初心ぶっているんでしょうけど、これだけ簡単なUIを分からない時点で、この先お話が楽しくなる気がしない。前も書いたけど「○○に似てるってゆわれます」の"ゆ"が死ぬほど嫌いで虫酸はダッシュするわ、苦虫を噛み潰すわ、好感度が虫の息。あとこれは人によるかもしれないけど僕は女性に面白さを求めることがないため、おもしろアピールは逆効果。「おもしろい人が好きです」もさっきと同様、面白くない人が好きな人はあまりいないし、自己紹介に二足歩行ですって書く人もそんないないでしょ。「友達に勧められて始め」たからなんだよ。親が勝手に応募してました的な恥じらいは嫌いじゃないですけどはいはい、あいあいさようでございましたかってなる。中にはびっくり「私の彼氏と3人で会ってください」みたいなアブノーマルな人もいてどうしろっていうのよお似合いですねってずっと傍らで言わされるのかな地獄だな。あと個人的にすごくヘキエキするのが胸を強調して撮っている写真で、女性性だけで戦おうとする楽さも嫌だし、これ見せとけば男は喜ぶんでしょみたいな理解のされ方も好きじゃないし、これ見ていいね!する男がいることも悲しい。そんなん僕だってキャン玉を強調して撮った写真をあげて応戦したいけどそれはNGなのもつらい。

 

思えば当時は付き合っている人もしばらくおらず、こうなったらなんでもエピソードトークだ!って飛びついてた時期で、ノーハプニングだったから胸張って言えるけど、いや別に、胸張って言うような話では絶対ないんだけど、土曜の夜にハプニングバーなるものに親友と行ったこともある。カウンターの後ろにソファやカーペットのフロアが広がる。土曜の夜は僕らみたいな冷やかしも多くって男30対女4ぐらいの比率。バスローブ着たおそらく昼の顔は社会的成功者のおっさんがなんとも言えないルックスの女の人の肩を抱いていたりとか。そのバスローブは持参したんか?かたやルームのこっち側では静かーに女性を縛り上げおもちゃを這わせてる人もいた。なにこれ、ほんとなにこれ。ハプニング見てるこっちはパニックパーティー(参照レッド吉田さん)。「俺はここで何人も抱いている。いいかおすすめは平日の昼、主婦だ!」って教えてくれる常連のにいちゃんのクソの役にも立たないアドバイスにもう絶対に来ないと決めた。AV女優さんのチェキ会に行ったりアイドルにハマったのもちょうどこの頃。野次馬根性を磨く時期だったんだと思う。知らないと否定も肯定もできない。知ってる今は否定も肯定もできる気がする。

 

そんな頃にtinderを教えてもらってやり始めたんだっけ。知らない人のために説明しとこう。異性の写真が出てくる。いいなと思ったら右にスワイプ(Like)。嫌いだったら左(Nope)。たまにどタイプだったら上にするとSuperlikeって言って相手サイドにも通知される。お互いがLikeしたらチャットに進む。あとはLINEを交換するなり煮るなり焼くなりコロ助なり。普通の友達と違って良くも悪くもいい加減でいいし、いつでも鹿十できる関係性でキャッチボールを続けさせるのはけっこう難しい。コントロールと肩の強さが求められる。この場合「よろしくー」「そうだよー」なんて一言だけ返すのは肩が弱いんです届いてないんです。僕も慣れてくるとありふれた予定調和な会話に飽きが来ちゃって「最近きゅんとした話あります?」「美味しいとろろそば屋さん知りません?」みたいな質問を何の脈絡もないタイミングで繰り出すことにはまってしまい困らせてしまった。そこから会話審査を終えたもののみが「よければご飯でも」に進むのである。

 

沿線が同じで住む家も近く出身も九州で同じだったユウコさんに親近感を覚えたものの、仕事を辞めたいのに辞めさせてもらえない激烈ハードな彼女の職場の愚痴を毎回聞いてシンプルに嫌になっちゃった。上司からきたメールの画面を見せられておいたわしや。こっちだって社会人2年目でふわふわしてた頃、何のアドバイスもできず1回ご飯食べたけどファミレスのハンバーグをご馳走してあのえっとその無理せずねって別れた。仕事辞められたのかな?

東北から出てきて東京で1人暮らし、保母さんをしてるアカネさんは、初めて会う前から風邪引いたから看病しにきて欲しいと連絡。こういうのわしが男だからいいものの面白がって行っては絶対にだめなやつ。行ってみた結果、病人の臭いと女の子の部屋の匂いが混ざったとにかく鼻に来る部屋で、ご本人も体調不良で顔が緑色。10分ほど雑談して帰ろうとしたら「帰らないで!」って腕を掴まれて、いやいや勘弁してよって振りほどこうとしても離れない。えええ剣道やってたの言ってよ。ひょろひょろの僕とパワーがトントン。いや、ちょっとほら帰りますので離してよ頼むぜ頼むよ頼みますから、いやさすがに強くない?なに?剣道ってそんな強くなるの?へー、こりゃ息子にやらそうかなお願いですちょっとほら、これもう元気じゃない?風邪ひいててこれなの?すごいよポテンシャル!なんて言いながら必死で振りほどいて大変だった。へらへらしてたけど内心めっちゃ怖かった。走って帰ったけど掴まれた感触が残ってて人が人ならトラにウマ。やばそうな人には会わないこと、そして僕はもう少し筋肉をつけること。2つも教えてくれた。やったね!

大学生モエちゃんは愛嬌あるよく笑う人で仲良くなって彼女の地元にドライブに行ったりもしたんだけど、ふと俺が今やってるこれは年齢差を生かした位置エネルギーを振りかざしているだけであって、無条件に大人で余裕があるように見えているだけで、同じステータスならそうカッコよくは見えないはずだなんて考えてたら自己嫌悪に陥って、そっと距離を取ってしまった。完全に自分が悪い。学生さんと話して今何にハマってるの?とかどういうメディアを普段読む?みたいなことは、ある意味仕事にも役立つので聞いたりするけど、カッコイイだのカワイイだのは同じレベルでは理解されないものだと思ってる。自分より大人が仕事ができるのは当たり前でそれは単なる年齢年次を距離にした時に前に進んでいるだけである。自分より年下がカワイイのは庇護欲とかロリコンとか日本人特有のコンプレックスも含まれる。先輩と付き合ってる女の子が言う「同級生男子はガキ。やっぱ男は年上よねー」みたいなものがちょんちょんに嫌いだったくせに、自分が今そうなってしまっているのではと思ったら一気に情けなくなっちゃって勝手に近づこうとして勝手に離れてしまった。もう会うことはないでしょうけど、社会人でもあの笑顔で頑張ってくれてたらいいな。

ララランドを一緒に観に行った韓国人のスルギさんは大学も同じで仲良くなれたら良いなと思っていたものの、映画の後行った居酒屋で「好きなタイプは優しい人。歩いててこっち歩きなよって車道側を代わってくれるときゅんとする」って言ってたのを真に受けて帰り道に早速「車道側代わりますよ」って繰り出したら「いや、早速だな!」ってバシーンと突っ込まれてその後LINEは返ってこなくなった。むずいよ!

かけるさん副業とか興味ない?って言ってきたシホさん。旅行行くだけでお金がもらえてたまるかよ!アムウェイ以外にもネズミっているらしく、ネズミ捕りがネズミにならないようにしないとね。

ワインに詳しい4つ下の建築学生のゆりさんにはワインを回す方向が違うと叱られた。それだと相手にかかっちゃうでしょって言われてへーいって、もうびっくりしたよ人間恥かくとワインの味って感じなくなるんだね。僕のほっぺだけ白からみるみるロゼに染まってく。
そしてプロフィール写真から3倍ぐらいお顔の大きいまゆさんは申し訳ないけどどのトークテーマでも顔を見るたびに吹き出しそうになっちゃって無理だった。加工ってすごい。プロフ写真は何が写ってるかじゃなく、何が写っていないかにこそ目を向けないとね。すぐに切り上げちゃった。

 

で、まぁこれだけ会って結局乙女心のおの字も分からないままなんだけど、へ~化粧水のあと乳液ってものをしないと水分が蒸発しちゃうのね~みたいな女子にとっては当たり前でも野郎どもの間では絶対話さないような話を聞けたのはとてもよかった。僕のお洒落レベルが4くらい上がった。前髪が決まらないこととか、1kg太ることがどれほど悩みの種になるかって話だし、趣味が合って会話も合って3回デートして2年半ぶりにお付き合いできた方もいる。SNSで出会った人の方がもともと趣味が分かってるから長続きしやすいらしい。ネットの出会いも当たり前になってきつつある。

 

好きなブロガー、ウイさんのこの記事は国語か道徳か保健体育でもいい、何かの教科書に載せるべきレベルでとてもいい文章で大好きなんです、もう読んでますよね?

www.zentei-happy-end.com

 

いろんな女性に多少なりとも会ってみて、外見とかスタイルはホントどうでもいいなぁって思うようになった。可愛いけど嬉しいポイントが分からない女性には自分の持っている価値を1つも提供できないし、恋愛市場が文字通りマーケットであるからにはスペックやら付加価値やら選び方は見た目以上に重要な尺度も見えてきた。

平成最後の夏、夕立も止んでスズムシが静かに鳴いている敬老の日19時時点での自分の3つの条件を書いておこうと思います。

1、ツッコミどころの多い人。

えぇ、何そのオリジナルルール!?みたいな会話を死ぬまでしていたい。お前ほんと好きだよねって昔からの知り合いには言われるんですけど、変わった人がずっと好きです。

2、自立してる人

ここでも登場”名言っぽいこと言いたいおじさん”が昔の自分に言ってやりたいのは、「依存を許すのも一種の依存」。会いに来てと言われたら行っちゃいがちな自分の反省点で、僕がいないコミュニティでも時間でも楽しく過ごしててほしい。自立してると他者へのリスペクトも出てくると思います。

3、音楽が嫌いじゃない人。

3つ目の条件は難しいんだけど、風呂でも料理しながらでも家の中でよく歌っちゃう人間なので音楽が嫌いじゃなければいいな。クリスマスとかは2人でいろんなクリスマスの歌を歌ったりしたい。

この3つに当てはまる人がいたらすぐSuperlikeをしようと思います。

今年は短い秋だと思いますが、皆さんもぜひ3つの条件を考えてみてはいかがでしょうか。

おしまい。

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最近読んだ文章の中で面白かったものが2つあって、1つはナイツ塙さんのM-1の記事。

shinsho-plus.shueisha.co.jp

そしてもう1つが星野源『アイデア』の特設サイト内のコラム。

www.hoshinogen.com

 

これ知ってると楽しめるよってもう一段上、もしくは深掘りだとしたら一段下?の視座をくれる。知識と分かりやすさ。マニアと一般人の間を繋いでくれている。書店で売れている本を見てもそうで、とかく分かりやすさを求められる世の中。1ページに1つでかでかとメッセージが書いてあって対面ページに簡単な、ごくごく簡単な解説があるような本が売れている。実際、90年代半ば~2000年代半ばに生まれた若者(Z世代)の集中力って6秒なんですって。ちなみに金魚の集中力は9秒らしい。

昔母さんから「あんたは固いもんば食べんけん、アゴが細ってから顔長くなるったい!」って言われて、いやそれ母親が言うかね?って衝撃だったことがあるんだけど(そして実際オモナガになってしまったわけだけど)、知識の咀嚼力みたいなものも気にするお年頃である。僕が入社する前のことだけど、うちの会社2011年に「みなさーん、勉強しなくても生きていける時代は終わりましたよ。 」って広告してたらしい。最近どう?噛み砕けてる?知識。

「いいコピーには発見がある」ことはコピーライターの常識だけど文章もそうで、自分の知らない世界をのぞいたり追体験したりするのって、そういや書を読む行為のダイゴミだったなって冒頭の2つのコラムを読んで思い出したわけです。一サラリーマンの何が面白いかよくわかんねぇブログを300回以上更新してみて思うのは、おそらく読む人は6秒以上の集中力は要してくれているわけだし、何となく心地良い読後感を残したいなと思って書いてる、欲張る。

 

で、星野源へのコラム。朝ドラの主題歌にもなっている『アイデア』の2番の歌詞を読むと、とても朝ドラの世界観とは遠いことに驚く。楽しくて明るいパブリックな自分が1番だとしたら「生きてただ生きていて 踏まれ潰れた花のように にこやかに 中指を」って自分の陰を歌ってるのが2番。中指立てちゃったよこの人。どしたんだよって思うけど分かるような気もしていて。華々しい人ほど、気持ちが沈み孤独感に苛まれるときのギャップが大きい。一小市民の僕もSNSで楽しさややり甲斐を発信する一方で、現実はあほみたいに叱られることもあるし、30歳以降の自分がまるで見えていなくて笑ってる。(注:この「笑ってる」は「泣いてる」ということです。)きっと30代以上の皆さんが通ってきた道かもしれないけど、がっつりびびってる。うああああって声には出さず、スマホのメモに書いている。アホすぎて泣けてくる。(注:この「泣けてくる」は「笑けてくる」という意味です。)

 

突撃しながら「あ、これやられる」って分かるバトル漫画みたいな感覚で、そっと感受性を殺す。殺すというかオフにする、の感覚が近いかもしれない。スイッチ1つ。はい。

でね、こういうこと書くと病んでる?大丈夫?仕事がきついんだなみたいな推測されるのがとてもシャクでイヤで悔しい。少なくとも文章にしようと試みている時点で、俯瞰して見ているので大丈夫。自覚的である限り死にやせん。恋するフォーチュンクッキーで言うところの、へへいへい状態ですよ。

最後は美学と少しの意地。ほんとそれだけ。大戸屋でサンマの塩焼きをできるだけ丁寧に食べながら思う。まさか大衆食堂で骨取って、骨撮ってるサラリーマンになるとは思わなかったな。

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そういう意味でお恥ずかしながら最近のマイブーム「感受性」。中1の一番最初の自己紹介で浦上君が「僕は感受性が豊かです」って挨拶したのを見て、こいつは大したクラスメイトができたぞって度肝を抜かれたことがあるんだけど、彼に笑ったのはこれが最初で最後だった。いいやつだったけどね。これまで比較的ノンストレスでやってきたので感受性の無さが自分の弱点だ。「お前はみんなを好きでいるようで、実は誰も好きじゃないんだよ!わかるか?」って前にお笑いサークル同期のチビギャガーに言われて、なんだそれって思いながら、なるほどって思ったこともあったり。

一方でたとえば小さいことでもプンスカしている人は、これもっとこうだったらいいのにな!みたいなアイデアが豊富。なんでこうしないんだよ!とか、この、これ、無駄じゃね?みたいな小さな怒りってめちゃくちゃ重要。マーケティングでいう、1にも2にもインサイトってやつだ。どんな時に人の心が動くのか。きりきり考え詰める。一度寝かしたり比べたりやってみたりする。そこに『アイデア』がある。

www.youtube.com

 

趣味人間観察って言っちゃう時点で、受け手の興覚めを観察できていないわけですよ。「いう」を「ゆう」って書いたり、「こんにちは」を「こんにちわ」って書いたりするやつとは美学が合わないわけですよ。wwwwをめっちゃ使う人も信用できねぇwwww

例のごとく好き勝手書いてまた今日もネットのゴミを増やしたわけだが、逆にSNSで好きな人もいて、言葉遣いとか品性とかやっぱり感受性みたいなものに刺激されることも多い。こないだ高校の友人コバ君の結婚式で久しぶりに会ったバスケ部の宮本君が「お前のSNS好きだわ」って言ってくれて、それだけであと8億個はゴミを増やせそうな気がする。ネガもポジも生まれてきた生々しさはせっかくなら生かしていきたいと思う。大丈夫な状態にして。

僕ぐらいの雨男になると、種蒔いた日から数日雨降りだしますからね。(ネガティブ)

それでも芽出してくれるクローバー、可愛すぎません?(ポジティブ)

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ふと見たスマホのメモに「創造できない僕は経験するしかない。」って言葉がぽつんと書いてあった。誰に何を言われたわけでもなさそうだし、いつ書いたのかも分からないけど、きっと書いたのは自分で、だろなって自分が思う。
思えばありがたいことに、たまに全社の前でスピーチする機会があって、こりゃ役に立つ話をって一丁前に偉人のエピソードや成功者の心構えを拝借したりするんだけどこれがまぁ伝わらない。話してて上滑りする感覚はお笑いサークルのネタ見せ以来で、そんな時たいてい自分の焦りが伝わって相方が地獄のように噛んだりして。
逆に「今日のスピーチよかったよ!」と言ってもらう時もあって、たいていそれは実体験の話だ。単に見た読んだ聞いたではなく、目の前のお客さんから言われた言葉とか、自分なりに必死になって考えた工夫とか、そういう話が伝わる。経験って手触り感だと思っている。

平成最後の夏、僕はニューヨークに行った。
なんでNYに?と問われたら、ゼミの友人が現地で働いてるのよとか、一度は行って見たくない?とか、ははは彼女と別れちゃってさとか、後付けはいくらでもできるけど正直大した理由はない。DMM亀山会長の考え方が好きで、今でも年に1.2ヶ月は海外放浪をされるらしく、アフリカで沈む夕日を見ながら愛とは何か。自由とは何か。人生とは何かを考えるらしい。同じことをしてるつもり。残念ながらこの伝聞じゃ、伝わらないかもだけど。

何かを目的にそこに行くのではなく、そこに行くことを目的にしてるMr.コト消費。手段の目的化だって厭わない。普段ほとんどお金を使わないのに23万ぐらいぽいっと出しちゃう独身彼女なしやせ型の面長。そのくせ、現地で40ドルとクレジットカードをなくしたりする。なーに、肺気胸の治療費で45万ふっ飛んだことに比べればなんでも安い買い物さって、たまに狂う金銭感覚が気胸の何よりの後遺症かもしれない。

昨年のミュンヘンもそんな感じで、行くことが目的であとは現地でプー太郎。
最近じゃ休みがあればすぐ海外に行くからって、後輩たちからOLと呼ばれ始めた。
あとこれは余談だけど別れてしまったので「またマッチングアプリやるんすか?」と後輩にいじられて「うーん、今は自分磨き」とナチュラルに答えてしまい、ますますOLと呼ばれ始めている。あー、サップヨガしたーい。

さて、創造できない僕は経験するしかない。サップヨガよりもタピオカよりも原体験の手触り感だけが自分を作る。

ニューヨーク旅行記を。昨年まとめ損ねたミュンヘン旅行記も添えて。

基本設定がアナログ人間、それこそ自分の手触りしか信じてないのでクレジットカードは25になるまで持ってなかったし、amazonは人生で2回しか使ったことがない。いや、だってちゃんと払われてるか分からないし、ちゃんと届くか分からなくないですか?これを言うと大抵引かれるから、声に出して言う。あともはやこれはアナログとか関係ないんだけど、初めての土地でバスに乗るとどこかへ連れ去られるんじゃないかって、10kmまでなら迷わず徒歩を選択する。
クレジットカードなしで行ったミュンヘンは今思えば情報弱者の極み。カードがないとポケットWi-Fiも借りられず、空港とノイシュバンシュタイン城と宿のフリーWi-Fiスポットにて半日分の調べ物をして、行きの空港で買ったガイドブックに真っ黒になるまで隅々メモを残す。なにやらお店に入るときもドイツ語の挨拶は欠かしてはならないという。不審者だと思われるらしい。ダンケシェンダンケシェンダンケシェン。ありがとうありがとうありがとう。グーテンモルゲングーテンタークグーテンアーベント。おはようこんにちはこんばんは。なんなら語学の講義の試験前より必死だ。道に迷ったら死ぬ。彷徨ったらそのまま逝く。そんなビビるならガイドブックを事前に買っておいて、行く場所よく調べてから行きなさいよという話なんだけど、それができない。結果的に誰より真っ先にビビるくせに、何とかなるっしょで仕上がってしまった今、人様に迷惑をかけてばかり。とてつもないマイナスを作ってから、助けられながら0に戻す作業が染み付いている。生産性の真反対でダンケシェンって繰り返してる奴がいたらそれはきっと僕ですあのすみません、ドイツ語でごめんなさいってなんだっけ?

 

ミュンヘンはゼミの教授が留学されてて、「おいでよ」「まじすか」「来る?」「行きます!」で4日前に飛行機を取って行った。ニューヨークはゼミの同期が働いてて「きなよ」「いいね」「来る?」「行く行く」「チケットは?」「任せた」で行った。このままどこまでも日々は続いていくのだなぁという夜空ノムコウ状態を、案外簡単に「えいやっ」ってチャレンジできるのねってのが海外旅行の嬉しい収穫。比べるもんじゃないけどこの「えいやっ」だけは負けない気がする僕の能力表、フットワークB肩C準備力D調整力E交渉力F。

 

「喋って授業をジャマするぐらいなら頼むから最初から寝ててくれ」という世界史の平井先生の言葉を真に受けひたすら眠りこけてた奴が、行ってみて初めてヒトラーの影響力のでかさに興味を持ったり、親父に半分ぐらい描いてもらった絵で入賞しちゃうような奴がゴッホの油べちゃべちゃなひまわりに感動したり、ようやくライトのレギュラーを掴みかけた小学校高学年の頃、海を渡ったイチロー松井が活躍していたヤンキースタジアムの歓声に鳥肌が立ったり。死ぬかもしれないって現地で勝手にびびりまくってるからこそ、一つ一つの原体験が強烈に残る。

 

ミュンヘンはくもり。新ゴシック様式の新市庁舎。バイエルンミュンヘンの本拠地アリアンツアレーナ。ここでヒトラーは疲れた労働者に演説をしていたなんて逸話のビアホール。そんなヒトラー率いるナチス政権に反対するビラ配りなどを行った結果、逮捕され公衆の面前で斬首刑にされた勇気ある学生達の運動、通称白いバラ運動が展示されているミュンヘン大学

喜怒哀楽とくくっちゃうことで見失う感情とこぼれる表情がこんなにある。

「心は折れない。なぜなら棒状ではないから。」というバカリズム師匠の言葉にたまに救われたりするけど、心はこんなに震えるものだと知る。

ご存知シンデレラ城のモデル、ノイシュバンシュタイン城の築城主ルートヴィヒ2世は、俗世に嫌気がさして中世の城への憧れを19世紀に実現し、自分は進んでお城に閉じこもっていたなんて情報は、教科書だけじゃ入ってこないです平井先生。

社会人になってから影響を受けまくった人の1人、NHK教育びじゅチューン!の井上涼さんのおかげでびじゅチュにとても興味を持つようになった。社会人になる前に影響を受けまくった人の1人、平井堅さんがゴッホ展のために書き下ろした曲「太陽」という曲があり、その曲をケンズバーで聴いて以来、ゴッホに興味を持つようになったので、ノイエ・ピナコテークで見たゴッホの『ひまわり』が眼に心に焼き付く。

平井堅 - 太陽 - ニコニコ動画

長くは続かなかったけど美大出身の女の子と付き合ってたこともあって、アートに興味を持つようになった。人はきっと、影響でできている。

 

ニューヨークは雨。せっかく行ったのにそんなやついるのかな、セントラルパークには一歩も足を踏み入れず。クボタのいないヤンキースタジアム東芝のいないタイムズスクエア。ビジネスの中心地、人種のるつぼ。「ここにいると人の目を気にしなくなる」とゼミの友達は言う。サラサラな髪をしている人のほうが少ない。お尻が小さい人のほうが少ない。乳出てますやんっていう胸元、おっぱい観の差。違法滞在者はいて、僕らより英語が下手な外国人がいる。メキシコ人は背が低め。パトカーか救急車か、サイレンは四六時中。走り回るイエローキャブ。地下鉄の熱風。熱い寒いを一切顔に出さないニューヨーカー。いい加減な接客でビールを待たされたヤンキースタジアムの若い売店の女の子。ゼミの友人は事あるごとに「これがアメリカ」「これがニューヨーク」と諭すように教えてくれたけど、なんとかならんのかな?と思ったりもした。

ヨーロッパ人が見つけた大陸だけあって歴史はミュンヘンの方がとてもあるし、海外を見て初めて改めて、京都の悠久のときの流れを想ったりする。

だからこそ現代アートの革新がすさまじくMoMAの展示を5階から見ていったんだけど階を降りるごとにどんどん抽象的になってくのが可笑しかった。モネはずっと睡蓮描きすぎ。ゴッホの星月夜の静けさの中のおどろおどろしさ。ピカソの解釈は任せたぜ!の感じ。モンドリアンのブロードウェイ・ブギウギの抽象度が一番ちょうどよくてあれ以上いかれるとちょっと何でもありになっちゃう。置いてかれる。ルソー5(出典びじゅチューン!)はプリントした絵みたいに精巧。中でも個人的なハマリは広告クリエイターでもあったアンディ・ウォーホル。正しい美術史はこれから学ぶとして、貴族や王様達の似顔絵から始まったであろうヨーロッパの美術が、印象派、なんちゃら派、こんにちはみたいに分かれていく中、ポップアートと言われる大衆のど真ん中に刺さる芸術。シュールレアリスムとか派閥が細分化、先のパイが細っていく中で、風景とか人物画でなく並べたスープ缶を描く王道ど真ん中。サザンオールスターズMr.Childrenのすごさを爆笑問題太田さんはど真ん中の表現と話してて、サブカルやアングラに逃げずメインでポップなカルチャーを貫くアンディ・ウォーホルはウルトラかっこいいんです。当時の若者に刺さりまくる色づかい。奇抜さ、新しさの中の格好良さ。マリリン・モンローが亡くなってすぐにあのカラフルなモンローを描いたらしくてウルトラとんがってんじゃんもう。

一方メトロポリタン美術館(MET)の方は広い広い。ここでもゴッホゴーギャン、モネ、ルノワールを見て回る。今回ブロードウェイのミュージカルを断念したり、セントラルパークでのんびりを断念したり、実質2日間しかいなかったのであと1日、最低3日あればNYは楽しめると思いました。

野球少年の憧れヤンキースタジアムと並ぶぐらい楽しかったのが、夕方ダンボからマンハッタンに歩いて向かうブルックリンブリッジで、サイクリングではなく散歩をオススメ。これは至福の私服の時。高1の夏、好きな女の子と行った熊本は江津湖のきらきらした水面、湧き水がきれいで2人靴脱いで奥のほうまで探検に行って疲れたらおんぶしてあげてちょうどいいとこに腰掛けてイヤホン2人で分け合ってラッドウィンプス25コ目の染色体聞いて、に匹敵しそうな人生で最も美しかった景色の1つになった。他にも、プレスラウンジっていうビル屋上にあるバーから見る夜景もそれはそれはきれいで、100万ドルの夜景とはまさにこのこと。こいつもまた江津湖に匹敵するレベルだった。どんなカメラも美白アプリもごめんねニューヨーク、僕の中で江津湖が最強すぎるところがある。それぐらい良い景色を見ることができた。網膜とろけるほど甘やかしてきた。

ちなみに、その夜景に向かう途中のタクシーに財布を置いてきた。掏られたとかじゃない。置いてきちゃった。中身40ドルと、ミュンヘンから帰国後すぐに作ったお寿司柄のお気に入りのクレジットカードをなくした。

あと帰り道には飛行機の搭乗口変更に気がつかず、まさかシカゴ行きを乗り損ねた。出発10分前になっても機体が到着しない普通ならありえない展開にも「これがアメリカ」「これがニューヨーク」が呪文のように効いていて、のんびりしてた。ニューヨーク最終日の朝9時30分ラガーディア空港発シカゴ行きを逃した9時40分。搭乗口変更に気づきガタイのいい現地スタッフに相談するもお前が悪いとのこと。そりゃそうだけどさ、なんとかならんのかね?米国内を飛びまくるラガーディア空港と、米国内を飛びまくるアメリカ航空のおかげで10時30分発のシカゴ行きにスライドして奇跡的にキャンセル待ちで乗れる。成田行きのシカゴ発は13時05分。シカゴ到着予定時刻は12時25分。うおおおお。シカゴ空港を駆けて駆けてシカゴ滞在わずか数十分、なんとか成田発に間に合う。クレジットカードがない状況でアメリカから帰る飛行機を乗り過ごす、この死ゃれにならない死ょうげき的な死ーンに死ぬかと思った。どうぞ僕の能力表に、運Aを追加しておいてくださいませ。

一眠りしてなぜか死んだ夢を見てまたばくばく震える心臓を押さえながら窓へ目をやると、それはそれは美しい太平洋の青が広がる。本物の太平洋を見たことがあるだろうか。日本に帰れる安堵を抱え見る太平洋は、真っ青なんて絵の具の単色を想像しないでほしい。少し薄暗くて深みがかった吸い込まれるような静かな”蒼”。創造できない僕は経験するしかない。シカゴからの帰り道で見た太平洋のこの美しさだけは、僕は手触り感を持って伝えられる。きっと伝わるんじゃないかなと思ってる。(とまぁここで終わればいいものを、僕の乗った飛行機は手で開閉する日よけではなく、ボタンで操作するやつで深みがかった”蒼”とか言っちゃったあれ、完全に電子カーテンだった。ボタン操作して全開にしたら普通に海青かった。それに、単色だった。)

 

福岡(~2)→神奈川横須賀(~9)→熊本(~18)→埼玉所沢(~20)→東京新宿(~22)→東京豊島

不正解はあっても正解出すのは難しいfacebookの自己紹介。僕はずっとこの何歳までどこにいたかシステムを採用している。それしか書いてない。書いてある通り、あちこち力が高い。あちこち力なんてものはないけど、転勤族の帰国子女。書いてないけどミネソタに10ヶ月住んでいたり、会いたい人があちこちにいて、あちこちに行って想いを馳せる。

夏目漱石三四郎』に好きな一節がある。

 

すると男が、こう云った。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」

 

熊本から東京に出てきた自分に重ねてみる。創造できないなら経験するしかないし、経験が想像を豊かにすると信じている。ここじゃない世界があって、そこに人が住んでいて、野球場のなめくさった女の子はのんびり接客してて、なんでもイエスエス言ってる日本人に呆れたりして。セントラルパークは晴れてますか?ステーキは相変わらずバカみたいに高いですか?ブルックリンブリッジの夕日は今日もきれいですか?

 

調子こいて久しく会ってない親友にNYから暑中見舞いを書いてみたら、ふざけた表情のお返事が戻ってきた。まったくあのヤロウ、読まずに食べてやろうかしら。

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「ちょ、歩くの早くないすか?」

会社の後輩に言われて気づく。

そうかな?普通じゃない?と格好をつける。嘘をついた。知っていた。そうなのだ、僕は歩くのが早いのだ。尋常じゃなく。すぐ、えぇいもういいやーと腐りやすいという意味でも足が早い。腰は低く、尻は軽く。手に汗握り、喉から手が出るも、手も足も出ない。この辺りの慣用句に長けてたい。京大の学祭のテーマが好きなんだけど1番好きなのは「花も実もある、根も葉もない」である。にほんごでもっとあそぼ。

 

ついにこないだ品川駅港南口のコンコースを歩いている時なんか、周りが止まって見えたりした。えっ、えっ。スターウォーズでミレニアム・ファルコンが高速移動するみたい、人が後ろに流れる。時間よ止まれ!タイムマシンにおねがい。絶好調のバッターはボールが止まって見えると言う。ゾーン。その境地まで達している。歩き続けてどこまで行くの。風に尋ねられて立ち止まる。

 

自分がこんな体になったのにはもちろん理由がある。西武は新宿線高田馬場駅を降りて早稲田通りをまっすぐ行く。悲しいかな(そんなに悲しんでもないけれど)所沢体育大学と揶揄される学部だった僕は本キャンパスに友人が全くおらず、ガツガツと言うよりは何かぐつぐつしたコンプレックスを抱えながら毎日何人追い越せるか数えながら通学していた。お笑いサークルが所沢にはなかったから、キャンパスの違うサークルに入ってた。人って不思議で、1人でいる時よりみんなでいる時の方が孤独だったりする。所沢とは比にならない学生の波。数を数えるしかない通学路。100人/日(片道)が目標だった。

交差点、信号待ちはごぼう抜きのチャンス。先頭集団に追いつくと、同じく待っている人の数を数える。16、17、18。よし18人抜きだから、今合計57人抜き。あと43人。AOKIを超えて43人ってことは、よし、いける。なんてことを考えながらいつも通っていた。驕ることなくあえて死んだ目をして目標まで数える経験は今エイギョウで生きている。

ここら辺の1人遊びは結構ドン引かれることが多い。何かをしてる時に頭が空っぽになるのが好きで2駅ぐらいなら徒歩を選ぶ。これは中学野球部で連れてかれた禅道場の影響が強い。自分の呼吸を数えるのだ、坐禅をしながら。何か1つを思い浮かべるのはOK。ただしそこから連想をしてはならないという道場のルールがあった。例えば野球のことを考えるのはOK。ただ野球→チアガールはNGなので脳内をチアガールだけにする。野球を断ち切る。脳内をチアガールだけにする。すぐにチアガール→パンチラに繋がっていくのでNG。脳内をパンチラだけにする。脳内をパンチラだけにしながら、自分の呼吸を数える。中学生。集中力は0。はたまた100か。

 

ミヤコノセイホク、ワセダノモリニ。そんな競走馬がいそうな、そんな馬場。高田馬場駅から大学まで歩くことを”馬場歩き”と呼ぶ。

ある者は西(ワセダ)へ、ある者は文(キャン)を求め。僕らぐらいの年次がちょうど端境期、激安ゲロマズ熊ぼっこは跡形もなく消え去り、韓国系の雑貨屋へとまさかの転生を遂げた。生ネズミを初めて見たのは馬場のロータリーだった。ラーメン激戦区にカレー屋も立ち並び、ははぁインド大使館があるからだなって踏んだ予想は、これネパールカレーってニアミス。ネパールかい。雨でも東西線165円を使うことは許されないというか心の中のバンカラが許さない。早稲田近辺に住む人がいて、早稲田近辺だと絶対にたむろされるから馬場周辺に住む人がいてそれでもたむろされて、家賃的に結局野方や小平まで西へ北へ登っていく人がいて特例で僕らみたいな所沢小手指の人がいて。

ただ黙々と歩いた4年間。年々短く感じる全長1.6㎞の通学路は、変化の激しい青春の色濃い日々を染め上げた。そう、人生で大切なものは全て、馬場歩きが教えてくれた。

馬場歩きが教えてくれた3つのことを書く。

 

1.万物は流転する。

分かりやすくスケールダウンさせると「えっ!?すた丼今そこなの?」である。キッチンエルム。ラーメンほづみ。カレーのメーヤウ。どれも今はない。僕の進路に最も影響を与えた永遠の憧れ、皆藤愛子さんが学生時代ほづみによく行ってたと知った頃には閉店していて、聖地巡礼失敗トキスデニオソシ。

状況は刻一刻と変化する。ほんとに笑っちゃうぐらい。昨日と今日とでぜんぜん違う。1日返信が遅くなってしまった案件がトラウマになるぐらい炎上する。ふとしたきっかけ1つで疎遠になったりぐいと近づいたり。人間と人間の営みはこうも忙しく変わっていくのね、わらう。中学時代に頭良いと思われたくて手にした『バカの壁』で読んだ万物流転の意味が、大学生になって馬場歩きをしてこれか!と身を持って知る。

僕は麺珍より武蔵野アブラ学会派だったんだけどいつか潰れる日が来るのかな。サークルのお笑いライブの後、打ち上げまでの時間でみんなでよく行った金泉湯とか、学祭に来た親戚のおばさんと食べた東京らっきょブラザーズのスープカレーとか。このあたりの刹那性はアイドル好きにも通じる。

甲子園のこの時期、思い出す名コピー。ただ一度のものが、僕は好きだ。Canon 

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銀杏が押し寄せる前の季節の馬場歩きが僕は好きで、この季節まさに女心と秋の空。万物は流転する。だからこそ時々で今、何が楽しいんだっけ。誰に会いたいんだっけ。心に問いかけながら歩くのがとてもいい。平成最後もまた、夏が静かに終わろうとしている。

 

2.抜くのではなく、抜き去る。

こちらは仕事論。1日100人追い抜くぞと自分の頭で謎の目標設定をしたからには、日々が勝負の場だった。気を抜けばやられる。単に体調が優れない時、ネタ見せですべり散らかして惨めさと恥ずかしさと静けさに苛まれる日、楽しさの余韻を神様、もう少しだけって浸りたい夜。馬場歩きは続くよ、どこまでも。あぁこの前の集団を追い抜こう。そしたら少しスピードを下げられる、って調整してたらたいてい次の信号で追いつかれる。気まずさったらない。

これは仕事とも似ていると思っていて、努力して初めて現状維持プラス1°の成長角度。逆に何もしないとどんどん下ってく人間の甘さを思うと、追い抜いて終わりってことはまずない。目標達成ちょうどを意識しても必ず人間は甘さが出る。前の集団に追いついたなら、追い越してさらに置き去りにするぐらいでないと勝てない。僕だってたまには追い抜かれる側になることもあったんだけど、追い抜いて勝った気になっているやつは大体追い抜き返すことができた。馬場に着いたとき、キャンパスに着いたとき、そこですべてが分かる。それまでは歩き続ける。抜くのではなく、抜き去る。「後輩の唯一の仕事は、先輩を追い抜くことです。」って昔何かで見た。抜くのではなく、抜き去る。もはや抜き去ることも1つの優しさなのかもしれない。自分が勝っていると思うときは、実際はとんとんに並ばれている。自分が少し負けてるかなと思ったときは、実際は大きく負けている。自分がだいぶ負けてるなと思ったときは、もう永遠に追いつけないぐらい引き離されている。

 

3.みんな、道すがら。

1学年10000人以上いるような大学では、ホント誰やねんこいつ状態。知らないというだけで少し感じる自分の中の敵意は、道を譲ってくれたりすれ違いざまいい香りがしたりするだけで好意に変わったりする。気を張って歩いているせいか知り合いに会った時の緩み具合はひどく、やばい。キャンパスで知り合いを見つけた時の女子のテンションはよく小馬鹿にされているが、気持ちはちょっぴり分かる。「また飲み行こう」 というワードの便利さに甘える。1度も行ったことなくても言う。

抜くのではなく、抜き去る。とは相反するかもしれないが「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」という首都高のコピーもまた好きだ。平行だと思われた2本の直線に実は少しの傾きがあって、交わるその瞬間が嬉しい。色々な人に会える人生でよかったなと、ニューヨークに住む友人に会いに行った帰りに思う。

歩きながらこの人はどんな人なんだろうと考えるのもまた楽しい。前から来る人に直感であだ名をつける遊びも自分の中で流行ってて「きれいすぎる一重」「ドリンクバー大好き」「トランプゲームにやたら詳しい」「剃り残しボーイ」「ペットボトル菜園 上級」みたいなことをいい加減に考えてた。あだ名から再ブレイクした有吉さんよりは、笑っていいともでそっくりさんを紹介する人に即興であだ名をつける関根さんの気分。

みんな、道すがら。

思い出すのは、NO PLANのメンバーが長すぎて歌詞覚えらんねぇよって嘆いた1曲。NO PLANの人生という名の列車、お聞きください。

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傘の先っぽを振りながら歩く人はコピーライターに向いていない。ということを、コピーライターのレジェンドの方が仰っていた。気持ちを思い至ること。感情を慮ること。それが大事だと。

卒論で22号館に缶詰めになっている人。恋愛学の講義に潜りこんでいる法政大学生。大して活動に来てないくせに新歓期だけいっちょ前なやつ。それぞれに、それぞれの馬場歩きがある。みんな、道すがら。JTひとのときを、想う。が近い。

 

ここがヘンだよ我が母校は許せても、ここがすごいよ我が母校みたいな愛校心はむしろ引いちゃうときもあるんだけど、今でも馬場の駅に降りると胸が静かにあったかくなることがある。思い出す人がいる。食べたい味がある。絵にしたい景色がある。

秋になったら馬場歩きして、アブラ学会を食べて金泉湯にでも浸かろうと思う。

さて何人、追い越せるかな。

310

好きな話がある。

会社の後輩サイトウ君は大学までゴリゴリのサッカー部員で見るからに体育会系。体育会系をバカの言い換えで使うのはそりゃもうあらゆる方面に大変失礼なんだけど、サイトウ君は「将来の夢はW杯で日本代表を優勝させること」って就活の面接で宣言してまわるぐらい体育会系なのである。当然返ってくるのは半笑い。どの会社もどの会社も、聞いた側のくせにうーん、それは無理じゃないかな?とか。本当にできると思う?とかにやにや返され続けた。
そんな中、唯一笑わずに聞いてくれたのがなんとまぁ、うちの会社だったらしい。就活で笑わなかったからというなんとも変な入社理由に呆気にとられるけれど、W杯優勝のために今何が本当に必要なのか。マーケティングとクリエイティブで企業の活性、業界の発展に貢献しようとするうちの会社と共鳴し、彼は入社を選んだわけだ。

そして今。体育会系をアホの言い換えで使うのはそりゃもうあらゆる方面に大変失礼なんだけど、彼は体育会系みたいに大活躍している。つまりアホみたいにどこまでもノンストップで活躍し続けている。

 

遠くにボールを投げてみる。その着地点から逆算して日々を刻む。
何年と付けてきたサッカーノートが彼の支えであり、ビジネスシーンでも欠かさず毎週の動きを振り返っている。ちょっと勝ったら緩む。負けたら落ち込む。そんな人間のバイオリズムを吹っ飛ばして活躍を続けるサイトウ君は、勉強になるし刺激的だしかっちょいい。プロに年次はない。人間、後輩から学ぶこともまた多いってわけだ。
彼が凄まじいのは「W杯で日本代表を優勝させる」ために1日を生きていることだ。いや、僕も何言ってるか分からない。分からないけども彼曰く、1つの商談を終えて振り返る時、1日の終りに眠りに就く時、基準はただ1つたった1つ「今日で日本をW杯優勝に近づけられたのかどうか」それだけ。これが、僕の好きな話。

時折、「だめです、こんなんじゃW杯はまだまだ遠いです。」って落ち込んでるのも心から本気で信じているからできること。人生かけてでも成し遂げたい夢や見て見たい景色が比較的小さじな僕は、彼に適わないオモシロさに悔しくなったりしてる。

 

そんなサイトウ君の活躍っぷりを見ながら、大谷翔平選手の曼荼羅チャートを思い出した。当時高校1年生、156歳で既にここまで大きい目標を持っていたことに、プロに年次はないとは言え、ビビる。
遠くにボールを投げる、でかい夢を見るための地肩の強さみたいなものも必要らしい。

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268ヶ月、この真ん中をもうずーーっと探してる。

もう少しイキすぎると何故自分は生きるのか。この星のこの時代、愛とは生命とは宇宙とはって哲学と宗教が両サイドから駆け上がってきそうなんだけど、今日の1日はどこに向かうための1日だったのか、冷静に考えられるお年頃だと思うの268ヶ月。サイトウ君の日本代表のW杯優勝。大谷翔平高校生のドラフト18球団。×のほにゃららほにゃらら。SNSの登録名を☆(ホシ)(カワ)×(カケル)で統一したので名前だけでも覚えて帰ってください。

 

最近もまたいろんな感情に挟まれ、いろんな表情をしながら生きている。
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年前ドタキャンされた女の子に今年もまたドタキャンされたんですけど、普通そんなことあります?わらう。今回は幸い学友が乗っかって来てくれて、昨年みたいに昔付き合ってた人に声かけることなく済んでよかった。学友のブログに登場させてもらったのでこちらも書くことにしよう。

これは完全に私信なんだけど、好きになるハードルを少し下げてみて、下げ過ぎたならまた少し上げられるといいね。仲良かった友達と少しずつ合わなくなってきてるなら、近づきすぎた距離を巻き戻したりしてさ。ツッコミどころが多すぎるあなたの話は聞いててとても楽しかったっす。幸あれ!

平成の男 | まんまるダイアリー 夢のキラキラOL(*´˘`*)♡

 

ここ3週間。男2人の札幌旅行に始まって、仲良しメンバーとアイドル縛りのカラオケを歌って(最後は合唱曲で締めて)清竜人ライブで聞き惚れて、芸人やってる先輩の単独ライブに笑って、デザインあ展にも早速繰り出す。今日はこれからTokyo Idol Festivalが待ってるし、来週の盆休みにはニューヨークが待っている。

前述のサイトウ君は、1つの商談がW杯優勝に近づけたのかどうかに照らしてる。さて僕はこの徹底したコト消費と都度都度のシーンシーンの感情の振れ幅を何に照らしていこう。すみません、けっこうながいこと真ん中を探しているんですけど、このあたりなかったですかね私の真ん中?

 

真ん中探しのための自分探しは何も海外に行くことだけではないと思う。

振り返れば大学4年から社会人1年目にかけて、千原ジュニアのコラム本を読み漁った。女を喜ばすと書いて「嬉」って男前すぎでしょ?この漢字好きやわ~って彼の「言葉」への興味と、大喜利でもっといい答えが出せたんじゃないかってお笑いへの飽くなき探究心がとてもとても痛快で。そんな彼が40の歳に両国国技館で行った単独ライブは、過去の自分と大喜利対決をしたり、松本人志とすべらない話をしたり、出川哲郎とリアクション芸をやったり、ケント・モリと一緒に踊ったり、春風亭小朝からネタをもらって落語をやったりと盛り沢山。DVDを繰り返し見て、何か対象に熱狂的に憧れ尽くす経験は初めてだったんじゃないかなと思う。

こないだ、大学の先輩の単独ライブを見て、もしかして僕は死ぬまでに単独ライブがやりたいのでは、と思えてきた。芸人さんじゃないのに?恐れ多くも一旦真ん中に入れて埋めてみる。なお、メンタル、体づくり、人間性と運のテーマは大谷選手から拝借。

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で、書いてみて思ったんだけどサイトウ君のように果たして単独ライブの成功のために生きられるか?って問うと、そうでもないなって早速のちゃぶ台返しちゃぶ台返しは早いほうがいいさって開き直ってもう一度自分を見つめる。

そんな中、先日デザインあ展に行ってみてそういや自分は教育テレビが大好きだったことを思い出した。

にほんごであそぼで聞いた、ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん(中原中也)とか、神田山陽さんがテンポ良く教えてくれる講談とか。天才テレビ君で歌って踊る同級生ぐらいの1軍の皆様を見ながら憧れて(カンペキって曲知ってます?いい曲ですよ)

「カンペキ」井出卓也 - YouTube

キッチンアイドルアイ!マイ!まいん!は必須科目のごとく踊りを覚えたし、おでんくんのオープニングの前口上「なんでもしってるつもりでも、本当は、知らないことがたくさんあるんだよ。」って、くだらなさの中にたまにある本質にハッとさせられたり。

おでんくんでとりわけ好きなくだりがあって。登場人物に主人公のおでんくんにそっくりな、と言っても実際はそんな似てないその名もニセおでんくんというキャラクターがいるんだけど、彼が登場すると毎回たまごちゃん達はこう言うわけ。「きゃーおでんくんのにせものよ!」それに対して、ニセおでんくんはこう返す「違う、僕は本物のニセおでんくんさ!」って。でたまごちゃん達は毎回はてなマークを頭に浮かべて混乱するっていう超くだらないくだり。いや、もしかしたら本物と偽物って何が違うんだろうっていう問いかけかもしれないし、視聴者や読み手の思考力が高ければ高いほど遊べるコンテンツ、深読みできる余白があるものが好きで、特に僕の周りにはそういう人が多かったので格好の教科書になったものだ。さすが、”教育”テレビである。

この時期、小学校の夏休み。野球部の練習が午後からだったから午前中はひたすらピタゴラスイッチを見ていたこと。ピタゴラスイッチ。ご存知の方も多いだろうが、生みの親は元電通のCMプランナー佐藤雅彦さんである。ポリンキーのCMも彼が作っている。友達の家に電話をかける。「はいもしもし」「ポリンキーポリンキー三角形の秘密はね~ポリンキーポリンキー美味しさの秘密はね~」「ちょっとなんですか?誰なんですか!?」「教えてあげないよ、ジャン」のジャンで電話を切るいたずらが僕を中心に流行ったんだけど、それぐらい心を鷲づかみにしてくれたクリエイターがコーコクギョーカイの出身で、今の仕事の延長にそういう方との出会いがある気がしている。確信している。そんな時、僕が見てきた教育テレビの価値、本質、立場、視点はきっと活かされると信じている。それは、ひょっこりひょうたん島などの劇作家井上ひさしさんが仰る「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」の考え方だと思う。

小学校6年間毎月欠かさず買ってたコロコロコミックの話がツイッターに流れてきて、「子ども向け」と「子どもだまし」についてこう語られていた。子ども向けコンテンツとは「大人の自分が本当にかっこいい、おもしろいと思っていることを分かりやすく伝えているコンテンツ」であり、「これは絶対に子どもだっておもしろい!と感じるはず。でもちょっと難しいかもしれないから、分かりやすくしよう!」これが子ども向け。一方子どもだましは「大人の自分はあまり好みじゃないけど、多分子どもはこういうのが多分好きなんだろうと思って作られているコンテンツ」だという。子どもっぽいノリを想像してこういうのが好きなんだろう?と押し付けるのではなく、子どもよ、こういうのがオモシロいのだ!おじさんが教えてやろうという気概が大事らしい。子どもにとっても大人にとってもかっこよさ、おもしろさは平等だという言葉に、僕が愛読していた理由が集約されている気がする。


教育テレビ的な人になりたい。というか、教育テレビになりたい。何を言っているか分からないけど、自分の人生の点と点をつなぐと必然的にそういう答えになる気がする。それは、父母姉が教員で、自身もコピーライターの学校で働いているからこそ描ける未来だ。

それはきっと、未知にわくわくする人だし、知らなかったことを教えてくれる人だし、読み書き話す以外にも歌ったり踊ったり伝える術を多く持つ人だし、世の中のいい話を伝えてこの世界は生きるのに値するよって思わせてくれる人だと思う。

そうなりたいし、きっとそうなってるだろうなーってなんとなく思ってる。

猛暑による幻覚じゃないといいな。

309

親父の方のじいさんばあさんはどちらももう亡くなっちゃったんだけど、じいさんは五目並べを、ばあさんは笑点を僕に教えてくれた。群馬の田舎の奥のほう。1時間に1本あるかないかの電車。四方を畑と小川に囲まれた家で2人と一緒に過ごした時間は、いつ思い出しても温かくって楽しいものである。

働き者ってググったら上位表示されそうな親父の母ちゃん僕のばあちゃんは、それはそれは忍耐強く畑仕事に勤しむ口数の少ない小さなおばあさんだったけど、意外にも結構くだらないお笑いが好きだった。覚えてるのはオールスター感謝祭。お笑い芸人のローション相撲を見ながらひぃひぃ笑い泣きしてるばあさんと親父を見たとき、幼心に親子でツボ一緒ですやんって感動した記憶がある。古典的なお笑いの破壊力を知った。今年入ってきた平成は8年生まれの後輩はテレビはおろかPCすら持たない新世代で、家に帰ったらまずテレビをつける親父のもとで育った自分とは大違いだ。さとり世代はその感情を何ゴミに吐き出すの。ローション相撲の面白さは彼に伝わるだろうか。

 

笑点の司会者桂歌丸師匠が亡くなった。歌丸さんの話で思い出すのは前に朝刊で読んだ師匠のインタビュー。
20歳のころ当時の師匠に反発し、2年間破門状態に。そのとき化粧品の営業をやっていた経験が落語に生きているらしく「この人はこんなことに困っているのでは」と相手が見えるようになり、「営業マンは商品を売るんじゃない、人間を売るんだ」という言葉が今に繋がっていると。

曰く、薄情な人間は薄情な落語しかできない。人情味のある人だから人情味のある落語ができる。まさに「芸は人なり」。「若いころの苦労は買ってでも」と同時に忘れてはいけないのは「何年か先、その苦労話を笑い話に変えなさい」という古今亭今輔師匠の言葉。

苦労は大事だけれど、あんまりその苦労が染み込んじゃうと、芸が暗くなる、芸に「汚れ」が出ちゃうっていうんです。
背負った苦労を、一度フィルターにかけて、陽気な笑い話に変える。これが噺家の仕事です。苦労話は、まくらに使うぐらいがちょうどいいんです。

とのこと、かっちょいい。

 

僕自身、案外そんなに想像もしてなかったエイギョウマンという仕事を4年と3ヶ月と9営業日やらせてもらっている。Mr.ミスとばかりに先輩上司に尻拭いをお願いするばかり、切れ痔になりそうな日々だけど、いい30代を迎えるためのちょっと炎天下多めの予行演習の日々だと思えば力は尽きない。そもそもミスするって残念なカタカナ英語。正しくはmake a mistakeだし、get wrongだし、カツオだしコンブだし。背負った苦労を、一度フィルターにかけて、陽気な笑い話に変える。「あなたのようにあたしも大丈夫になりたい」とaikoが歌う『雲は白リンゴは赤』のこの一節、たまに呟いてみたくなる。

正直と野暮は紙一重。石橋を叩きすぎるノンデリカシー。僕もたまにやっちゃうんだけど、起こったことや怒ったことをまんま書いちゃうのはワロシ、わろえない。「あったことをそのまま書くほど落ちぶれたらあかんで」と田辺聖子先生は仰っている。あの時お誘いしてたら2次会付き合ってくれました?なんて後で聞いても嬉しくない答え合わせは書いちゃ聞いちゃ悔いちゃならないのである。それに、ホントの答えはいつも誰も持ち合わせてないから、自分がどうしたいかが大事だったりする。

さて、お笑い論に振ろうか、仕事論に振ろうか、はたまたこないだ早稲田松竹で見た『勝手にふるえてろ』の松岡茉優の拗らせたメンドくささが醸す愛おしさの素晴らしさに振ろうか。アウトプットが乏しい時は、インプットが乏しい時だとも言えるけど、見えてないようでいて今回のゴールはユーモアとサービス精神という話になりそうな気がするしています。

タイの洞窟に閉じ込められてしまった13人の子どもたちが無事に全員救出された世界的ハッピーニュースはあまりに逸話だらけ。英国人ダイバーが最初に子どもたちを見つけた瞬間、そのうちの1人の子どもは隣の子に向かって「マジかよ!オレたち、水から逃げているうちにイギリスまで来ちゃったぜ!」とボケをかましたらしい。この優しさよ。この"大丈夫さ"よ。

新宿タワレコNegiccoの最新アルバムを買って、袋詰めを待つ間にきっと僕にこにこを隠しきれなかったんだと思うけど、店員の女性が商品渡すとき笑顔で一言「Negiccoさん15周年おめでとうございます!」ってこの優しさよ。この"心配りさ"よ。単なる接客マニュアルの1つかもしれないけど、それで嬉しくなるなら言わない手はない。「髪切った?」とか「コンビニ行くけどアイスいる?」とか繰り出す機会を伺っている。

 

「その人からもらった"嬉しい"の総量がある一定ラインを超えたとき、人は人を好きになる」って個人的に思っていて、もし万が一、両想いのおまじないみたいなものがあるとしたらそういうことだと思ってる。お笑いにしても営業にしても、大丈夫であること。心を配ること。ユーモアとサービス精神を持つこと。嬉しいを届けること。そりゃま、悲しいかな周りが続々とケッコンし、パパママになる中で結果が伴ってないのは恥ずかしさ以外の何物でもないんだけど、もうちょい時間をかけて学習なさいよということだと思って、"嬉しい"の種類を考えることにする。

幸い、僕の周りのおもしろい人みんなすごく優しい。誰かにとって、この夏1番嬉しかった人になりたいなと思う。

308

ミッキーは悩んでいた。お決まりの「ハハッ」って笑い声が悲しく響いた。

 

ミッキーとはもちろんマウスのことである。いつも、僕らのクラブのリーダーは、とメロディに乗って紹介されるあのあれ。えっとはい、ただいまご紹介に預かりましたリーダーです。城嶋茂も、古くは渡辺正行と同じく。グーフィーもドナルドもプルートだって周りを見渡せば最高に楽しい仲間たち。あ、もちろんミニーも。リアルが充実しているリア充って言葉が2018年も半分終わった今あるか分かんないけど世界の帝王、愛と平和の象徴の彼も時折不安になる。リーダーは嫌われる覚悟がないと引っ張っていけないぞ。どうやったって敵は出てくるんだからって、昼間上司に言われたことを思い返していた。
来る人拒まず去る者追わずの精神はとても大事でこれまでやってきたけど、来る人が増えるとけっこう簡単にキャパ越え。みんなにいい顔して結果みんなから去って行ったり。できないことはできません。好きでない人とは距離を置く。それができたらいいのにと嘆きつつ、みんなに愛されようとする自分は時に誇らしい。
とは言えいい顔ばっかしていると言いなりになってしまうのも悪い癖。「それでいいんじゃない」「はいおっけー。」なんて調子でやってても上手くいかない時があり、責任取れよってえぇぇってそのタイミングで笑っても火に油を注ぐだけさ、ハハッ。

 

ミッキーはその日ある相談を受けていた。女の子からの恋の相談だった。

ミッキーには弱点があった。それは最愛の人(ネズミ)、ミニーだ。ミニーには頭が上がらず、どんな時もミニーの幸せだけを願って生きている。この気持ちに嘘はない。だけど。ミニーがいるから、こいつは手出ししてこないだろうという安心感が彼の女の子からの人気の最大の理由で、同じくらい最大の弱点だった。ミッキー!ミッキー!と笑顔で手を振ってくれるみんなを眺めてる時この職業を選んで本当に良かったと思うものの、中の人のことはそりゃそうさ誰も知らない。みんなに視線を送っても、みんなが見ているのは可愛らしいきらきらした偽物の目ん玉だ。ここだけの話、しゃべるときはボイスチェンジャーを使ってる。

安心して頼られれば頼られるほど、そうでない自分とのギャップに苦しむ。ネズミのくせにネコかぶって生きている。グーフィーはこういう時いいやつで聞き相手になってくれる。イントネーションが少しだけ聞きづらいんだが仕方ない。何言ってるか分からないドナルドに比べたらマシだ。男でよかったと思う彼らとの夜を知っている一方、男でいることがヤンなる夜もまた、ある。女の子からの恋の相談を受けながらカッコつける自分もシャクだし、今気に入られようとしておるなワシという下心が自分に見える瞬間、何故だかとてもみじめな気持ちになったりする。自意識過剰ならぬ、ミッキー意識過剰。こうして第35代(そうそう、ミッキーは1年制なんだ)のミッキーになれた理由は、自分のこの過剰なまでのミッキー意識にあると思っている。「白波や酔えば会いたい人ばかり」と芋焼酎白波のラベルがいうならば「白波や酔えば謝りたい人ばかり」と返したくなるよ字余り。

一度だけ思い切って「落ち着いて聞いて欲しいんだけど、私は浮気をする可能性があるクソ鼠です」とミニーに伝えてみたことがある。ミニーはびっくりしていつも以上に目をパチクリさせていたけど「ミッキー、あなた疲れているだけよ」って言ってくれた。「次のパレードはプリンセス達のやつだからここで休んでて」って。

プリンセス達の相談ってのは解決策は求めてなくってただ聞いてほしいだけだっていうあるあるを思い返して黙ってみる時いつも自分の好かれようという想いが見えてヤンなる。歴代のミッキーさんたちは何考えてたんだろう。複数車線の道路の横断歩道の真ん中に取り残されながら、進めないし戻れないことってあるなってわらう。

ええいもういっそ、ハイタッチとかハグとか一切しないでやろうと思ったりもする。窮鼠猫噛み「ミッキーハグしてー!」って近寄ってくれる女の子達は全員ガン無視だ。この子今日誕生日なんですー!とか、青森から会いに来ましたー!とかの黄色い声にうつつを抜かさず調子に乗らないためにも愛想笑いと会釈をマスターするだけ。顔で笑って心で泣いて。得意なんだ元々そういうの。ほら、笑い方ハハッってさ。それか逆にさ、どこまでもエンターテイメントを突き詰めてやろうとも思う。誰かを大事にすることが誰かを大事にしないことなら、誰とも一線を引いておいてただ不愉快だけはないように与えられた役割を演じるに限る。

この歳になると好きとか嫌いとか以上に「大事」ってあるよなぁと思う。大事な人がいる、それだけで心がぽっと暖かくなって嬉しさがこみ上げて来たりする。大事な人を思い浮かべるだけで、少なくともネズミの道は外れない自信がある。そんな、親でもないのに、生まれて来てくれてありがと!って言いたくなっちゃうような大事な人さ。まさにミニーやグーフィーがそういう存在でとっても大事なんだよ。ミニーに言わせればそれは逃げよって言われちゃうんだけど。うーん、雌鼠(と書いてオトメ)心は難しい。

僕みたいなミッキーが仮にもし万が一好きですって言ったところできっと本気にされない。いやいや、本気にされないのはまだマシ。え?マジで言ってんのきっつーみたいに蔑まれるのだけは避けたいところオリエンタルランドが黙っちゃいないから。じゃあどうやって大事だとか気にかけてるよって伝えりゃいいんだって、こうしてネズミのちっぽけな脳で悩んだところで、大山鳴動してネズミ一匹、なんてこたない。なんてこたない。明日も幕張はきっと暑い。パレードはずっと続いてく。

好きな匂いのする方へ駆けていけちゃうプルートがちょっとだけ羨ましくなるけどハハッ、僕ミッキー。誰もいないセンターオブジアースの地下の控え室。笑い声が悲しく響いた。