心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

326

3月、少し散歩する。桜もいいけど梅もいい。蕾が丸くてシンプルに可愛い。梅もいいけど同じく椿もいい。つばきと言ったら"ウェルカムようこそ日本へ〜"とSMAPが歌う資生堂TSUBAKIのキャンペーンは、広告宣伝費50億を投下した社運をかけた新商品だったという。「日本の女性は、美しい」というコピーは実はそのまま商品コンセプトであって、"その対象が持つ一番大きい価値を言ってると強い"ってこれかなと思う。結果的に競合の「世界が嫉妬する髪へ」Asienceからも、高級路線高価格帯のユニリーバLux Super Richからもシェアを奪う大成功だったらしい。コピーって上手いこと言う言葉遊びじゃなく、商品が言える一番大きい価値を、市場環境やターゲットや開発者の想いを踏まえて言ってあげることが本質というわけです。

生業としてコピーを書いているわけではないけど、なりたい自分の1つにその辺の引き出しがパンパンに詰まった自分がいるから、例えば桜は散る、椿は落ちる、菊は舞う、牡丹は崩れる、紫陽花は萎む、と花の散り方の言い回しをわけもなく覚えておく。散歩してると元々興味のあったものが現実で繋がるから面白い。頭の中と実物が繋がった時、呟くほどでもないけど楽しい。3月、花が咲きまくってることに気づいて、そういや社名が”花の王”ってかっこよすぎるなって花王の由来を調べてみると、洗濯用の「洗い石鹸」に対する顔を洗う用の「顔石鹸」からきている当て字らしく、当て字にしてはズイブンど真ん中をいったなと感心する。王貞治が世界の王になれたように名は体を表すと思っていて、花王も実際強そうだし、なにより「買おう」って響きになってるの、メーカーとして超良くないですか?そうそう有名な話、エルとアールの発音の違いはLux Super Richを読んでみると学べるのでぜひ声に出して読みたい英語。

 

種から育ててる我が家のベランダのクローバーは思ったより不恰好だけど、映えなくたって生きて咲いてりゃそれでいい。昔、「日常的に花を買ってもらうコピー」というお題に「世話したくなる存在が、人を優しくする」と書いた人がいて、残しておきたい言葉だなってずっと覚えてる。”植物を愛する人はきっと優しい人だよね”で思考を止めず、「なんかいいよね」のその”なんか”をずっと考え続けてる人にしか書けない言葉だと思う。

散歩して気づく。花と同じく街にも色と匂いがある。街の匂いは家の匂い、生活の集合体。サラリーマン僕の帰り道、家々からするお風呂の香り。2階の僕の部屋の玄関が、お隣の民家の1階の台所の小窓に面してて、朝家を出てすぐのハムを敷いた目玉焼きの匂い。
季節は誰より足が速くてあっという間に過ぎていく。街が一つ一つの家の匂いの集合体だとしたら、会社は人の集合体。想いや熱の集合体。今のこの、年度末の慌ただしさはけっこう好きで、終わるから始まる。終わらないと始まらない。

花見したーいとか鍋したーいとかナイトプール行きたーいとか時期時期の欲望に耳を傾けること。ちょうどよく駆け足の季節のせいにして、抗うんじゃなくその時々を楽しむこと。そしたらきっと春が来るたび、春が上手くなると思う。旅立つ人にはそんな言葉で送り出してあげたい。


これは見方によってはヤボだけど、楽しかった会話の節々を覚えておこうとしてる。”死ぬときに思い出したい夜をどれだけ増やせるか”ってのは生きる楽しみにもなるし、ひょっとすると死ぬ楽しみにもなるから、お徳用ですよ奥さん。ところでお得のはずなのにお徳用って書くの、買い手がさもしい人だと思わせないための商人の工夫ってマジ?
こないだ、社会人になって初めてたこ焼きパーティーをやってみた。じいさんちみたいな居心地のオンボロアパート僕んちで。1人も関西人のいない中、想い想いの見よう見まねが楽しかった。どうやらたこはしずめないといけないらしい。串は爪楊枝じゃなくて竹串をそろえるべきだって。どおりで半円にタコがむき出しのまま乗ってる、タコ専用の円盤みたいなのがいくつも出来上がったし、爪楊枝で挑む先輩はあっついあっつい言いながら何本も楊枝を犠牲にしてたかわいい。そもそも自炊すらロクにしない一人暮らしに、つまようじのボトルは多いって言ったじゃないですか買い出しの時。そんなに歯にもの詰まらないし、確実に今回の人生じゃ使いきれないから、僕たぶん来世つまようじのボトル持って生まれてくる繰り越しシステム。仕事終わりに家帰ってトイレ行ったら一人暮らしなのにトイレットペーパーが三角に折ってあって、あれ?もしや誰かいるなこの部屋ってめっちゃ怖くなってしばらくトイレから出られなくなったけど、よく考えたらその時のタコパの誰かの優しさで、そういやその日以来家でトイレしてなかっただけというお話。ちなみにその日余ったタコを使って次の日、父たかしが30年以上前の学生時代から作り続けてるタコのオリーブにんにく炒めを初めて自分で作ってみて、"父上、あなたの魂はしかと受け継ぎましたよ"の気分です。タコは水気をよく切らないといけない。オリーブオイルは弱火で熱してにんにくの香りを事前に付けなければいけない。町の匂いは家の匂い。オリーブオイルとにんにくと、こたつとたこやきとこれまた大量に余った青のりの匂い。


4月、役割が変わる。求められるものに応えようと頑張るだけだ。漫画キングダムを読む週末、「戦略の敗北を現場の腕力で解決しようとするから嫌い」という意見をネットで見てへーそういう見方もあるのねと学ぶ。上司の発言を意識的にみておいて、途中からは遮ってこういうことですよね?と当てに行く。それが上司の考えを知る一歩目だと味の素伊藤会長の日経新聞私の履歴書から学ぶ。クノールカップスープとの交渉やピュアセレクトの開発秘話は面白かったし、伊藤会長曰く、勇気とは無茶をすることではなく、情報を積み重ねて判断する力のことであるとのこと。ちょっとキングダムの野郎に言ってやってくださいよ。

 

引っ越しが決まる。環境も変わる。1つのきっかけを飛躍台にして変えていけたらいい。街を去ることが決まってから見える夕焼けがまた綺麗で、ウェッティな僕は懲りもせず感慨に浸って思い出す。この家に来るとき、ベランダに入る小さめなサイズの洗濯機を探したこと。もっと昔、初めての一人暮らしで母親が慌てて買いに走ったけど、いざ家に置いてみたら全く使い道のなかったレンガブロック。要らないからと姉貴んちから送りつけられたネジのゆるい引き出し。ものより思い出って日産のコピーがあったけど、ものの思い出もばか強い。片付けはいつも捗らないけど、片付けが捗らない幸せってのもあるのではないでしょうか。

いつも通勤している電車も、5分遅れると5分違う生活動線の皆さんがいる。住む環境が変わるとまた新しい人とすれ違うようになる。学生時代の4年間より大学に近い暮らしは可笑しいんだけど、蘇ってくる街の思い出も、そっとしまって新しく刻んでいこうと思う。死ぬ時に思い出したくなる夜とか、結末が分かってても何度も楽しみに読んじゃう文章とか、そういうものを集めて生きていきたい。あわよくば誰かに伝えられるように。

 

日経新聞 春秋に書かれてた、何度でもこの季節読み返しちゃう一節を拝借して締めることにする。

----------------------------------------------

職場の身辺整理の際、引き出しから小さな鍵が。そう言えば…。引き出しから思い出がこぼれ出す。
家にも昔の車の鍵がある。握ると家族と一緒に走った道や車の匂いを思い出す。自分の親はなくなり、子どもは大きくなった。ちっぽけな鍵の中、大切にしていた日々が生きている。

晩年の53歳頃、萩原朔太郎は手品に夢中だった。白のハンカチを胸ポケットに入れ、いかにも威厳のある顔つきで出かけて。書斎の引き出しに秘宝のように大事に閉まっていた手品の道具は、死後、遺族が開いてみると、どれも安っぽく幼児の玩具みたいだったらしい。

人の心にも鍵がある。本当に大事な想いは自分にしか分からない。人に語らずしまっておきたい感情もある。
春が来て、人が動く。出会いと別れ、3月末は気持ちが揺れ動く。ならばカチリと区切りをつけるのが、生きるコツなのかもしれない。

心の中にある鍵さえ守れば、過去は優しいまま消えない。

325

すごくなんとなくで一時的なものかもしれないけど、よく寝て、ほどよく食べて、ちょうどよく疲れている今夜、どこかわくわくしている。予感、期待、心構え、心が前を向いている。

川上未映子さんの文体がすごい好きで、たまに広告コピーを書いてくれるのがうれしい。何度でも言うけどアディダスのコンセプトショップが東京にオープンするときのマニフェストのような言葉たち、いつ読んでも心がわくわくして熱くなる。これを読んで「本気」以外に「夢中」というがんばりの基準を持つことができた。最近、本気出してますか?今、何に夢中ですか?

ãã¢ãã£ãã¹ æ±äº¬ å·ä¸æªæ å­ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

目を留め心惹く、今だと”親指を止める”表現の数々。理念や、存在意義や、そこで働く人の想いを一言で表す企業コピーが好きで法人営業をやりはじめて5年、役に立ちたい会社さんが増え、企業のいい話を聞く機会も増えた。

知ってますか?業績右肩上がりの自動車メーカーマツダさんの「Zoom-Zoom」ってあれ、日本で言うところの子どもがブーブーと車を表すあの走行音の英語版らしいです。”子供の時に感じた動くことへの感動を愛し続ける皆様のために、心ときめくドライビング体験を提供する商品造りを目指すマツダブランドを表現したものです。”と公式サイトにもある。誰もが幼いころに描いた夢、憧れ、原体験を思い出させ突き動かすシンプルで力強い言葉だ。

もう一つ、幼い頃の夢を力に変え、100年の時を経てそれを実現させた企業がホンダだ。時は1917年、静岡浜松で開かれたアクロバット飛行ショーを見て、航空の夢を抱いたのが当時10歳の本田宗一郎。財閥三菱ですら撤退が報じられて止まない航空産業に、自動車メーカーホンダが挑み続け、ついに2015年、アメリカ航空連邦航空局の安全型式証明を取得した。つまり強度、性能、安全性、機能および信頼性などに関する厳格な基準を満たしたというわけだ。創業者のものづくりへの想い、空への憧れが脈々と受け継がれ、体現し続けた結果、ブランドができあがる。そのとき僕らは「The Power of Dreams」の言葉の意味を知る。

 

www.youtube.com

企業ブランドや、社内コミュニケーション活性。副業時代の働き方改革。モチベーションアップもエンプロイーサティスファイもカスタマーエクスペリエンスも。目指すところは収斂されていく気がする。どんな企業になりたいのか、それすなわち、どんな人でありたいのか。

 

小さい頃から芸人になりたいとしか卒業文集には書いてこなかったけど、大学でお笑いサークルに入ってわりとすぐに夢は諦めた。ここらへんの折り合いをあまり立ち止まって考えてこなかったんだけど、きっと本気ではなかったんだと思う。本気で食っていける自信がなかった。それだけだ。というか正確には中3の自分が卒アルに「福を運ぶ話術で福話術師になる」とちんぷんかんぷんなことを書いてくれてて、これ”福を運ぶ話術で”の部分いらなくね?と友人に突っ込まれたりもしたけど、職業ではなく価値提供に目を向けて書いたのだとしたら15の僕はなかなかやる。

芸人という職業は早々に諦めてもミーハーな部分は変わらず、いろんな面白い人に会えて、人生が豊かになるようないい話を聞けて、人があまりできないような経験がしたいとだけは考えてた気がする。なんとなく面白そうだなぁという直感を信じて周辺を広げていった結果、今の会社に拾ってもらった。当時はそんな分析なんかできてなかったし、やる意味もないだろうなと今じゃ思うけど、お笑いを作る以上に言葉とか言い回しとか表現が好きだったし、いまいち何をやっている会社か分かってなかったけどかなりグッドチョイスをしたと思ってる。

こないだ部署の飲み会で、直属の上司が締めの挨拶で僕ら若手を前にして「皆さん、この会社に入ったということは、経験を積みたいということですよね?若くして新しいことができる、その可能性を信じて入ってきましたよね」と話し始めたの、心の中でそうだそうだの大賛成。僕みたいな浅瀬の前向きはたぶんどの会社に入ってもこりゃ大正解でいい出会いであったなと思うたちなんだけど、この仕事で役に立ったら嬉しいだろうなという想いはたしかにある。あまり書くと口ばっかになるけどさ。

 

仲のいい3つ年上のいとこがいて、彼は大学を中退して今料理人をやっている。大学4年の就活が始まるタイミングで、このまま社会に出てもなと思ったそうで、手に職をつけるため資格を取ろうと料理学校に通い始めたらしい。結果、厳しい銀座の料亭で修行してた時はおやっさんに殴られて鼓膜を破ったりしてたけど、懐石料理への夢は持ち続けて今では中目黒の超人気店で料理人をしている。さらなるステップアップのため2月いっぱいで辞めちゃうらしく、先日食べに行ってきた。手際よくカウンター越しに料理を振舞ういとこに「辞めようと思わなかったんですか?」なんてベタに質問したところ「料理やってるときが一番楽しい。料理しかできないからね」と笑って答えてくれた。腹をくくるってきっとこういうことだと思う。

会社の仲いい先輩に「自分の得意不得意が思いのほかはっきりしているなって気づいた5年目でした」なんて強がり半分、甘え半分でガス抜きしてみたら「はっきりしてるのが悪いことじゃないってことも大事よ!」と言ってくれて救われた。たしかにそうだ、何なんでもできますみたいな感じ出してんだよ調子のんなよと思えてきた。なんでもできますって抱え込んでゆっくり沈没してく最近だったから、できるできないがはっきりしてること自体は悪いことではないっていう言葉は事実は、今の僕にとって明るい。同じく「得意に没頭する覚悟は大事よ!」とも言ってくれて、その発破にも元気をもらった。人生がマルチタスクなのは別に今に始まったことじゃない。一つ一つしかも丁寧にやるだけです。上手く行かないときは一に自分中心になりすぎていること、二にインプットが少なすぎること、三に浮わっついていることがある。逆に言うと最低でもこの3点に気をつけておけばしばらくは迷わない。

 

で、なんでこんな話をしているかと言うと、大好きだった小学校の先生から嬉しいご相談。今5年生の担任をしてて、来年度6年生に持ち上がったときキャリア教育の一環でいろんな職業の人の話を聞くことがあって、もしお暇があればゲストティーチャーできてくれないかとのこと。12歳を前にして、せっかくなら働く喜びとコピーの面白さを伝えたいから、夢中を文字にしておこう。

すごくなんとなくで一時的なものかもしれないけど、よく寝て、ほどよく食べて、ちょうどよく疲れている今夜、どこかわくわくしている。外は雨でも、雨が降るたびあったかくなることを知っているこの季節は、ちょっとした気苦労もいずれ溶けていくと思ってる。

324

テレビが映らなくなって久しい。いいえ、別に壊れたわけではないのよ。困ったように笑って見せて電池のふた外して2,3回コロコロやってふた嵌めなおして赤い四角の電源ボタンを押してもつかない電池切れにまた困って笑って見せて手を広げたりして。一人暮らしも10年目。家具が少しずつ音を上げ始める。次買う家具たちは値を上げ始める。やれやれが様になってくる。「まいったな」とかって口に出してみる。10年経っておじさんの入り口に立ってコシバイに興じてる。たまにゴキゲンな時は「ただいまっと」って言ってる。これ「ただいま」じゃなくて「ただいま(お)っと(誰もいないんだっけ一人暮らしなのにおかしなもんだな)」までがみそ。声に出して読むほどでもない日本語が好きなんだ「イッケネ」とかさ。

ちなみに電池が働いたからと言って、受信料をちゃんと払っているのに、築30年近い僕のオンボロアパートはNHKが映らない。バカバカしいんだけど雨が降るとNHKが映り、その他の民放はすべて映らなくなる。雨が何かのスイッチを切り替えていることだけはたしかだ。雨が降るとNHKは映る。晴れるとNHKは映らない。あと東京にいるのに東京MXも映らない。大家さんに聞くと管理会社に言ってくれと言われ、管理会社に聞くと大家さんに言ってくれと言われる。めまぐるしい反復たらい回し。新種目反復たらい回し。そんなときは早々にリタイア、諦めが肝心である。これがなくてはならないものがあまりないことに、たまに救われる。1つだけ残念なのは甲子園が見られないこと。雨が降ると見られるんだけどそこは高校野球、雨天中止で嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ーーーー!(サイレン)

かまってもらえるのが嬉しいわんころみたいな性格をしているので、そういや初めてNHKさんが来たとき、僕はばかみたいに「はいはーい!」なんて勢いよくドアを開けた気がする。開けて目が合ってNHKなんですけど、と言われて数秒のきまずさ。たぶん向こうからしてもこんなに勢いよく出迎えてくれた人はいないと思う。そんでもって「受信料ですよね?」とこっちから切り出すぐらいに空気を読む人間だ。薄ら笑いか苦笑いを浮かべて「はい」と頷く集金の方を前に、「ちょっと考えます」と一度ドアを閉めてしまった。止める足も入れられないぐらい素早く。さて何を考えると言うのか。開けたが最後なのは変わらないのに。ドアに背を当てて一瞬考える。さながら「お母さんなんて知らない!」と自分の部屋に閉じこもった思春期の娘である。どうしよう、どうにか払わないで済む手はないか。使ってないクレジットカードを出そうか。今持ち合わせがなくてと答えようか。一度閉めることに成功したこのドアのかぎをガチャンとかけてあとは布団にくるまってただただ時が過ぎ去るのを願おうか。2秒くらい考えて諦めた。諦めが肝心である。できれば心の中のやましさを減らして生きたいものだ。天知る地知る我知ると、中学野球部の上野先生も言っていたし。戦うと決めたら思ったより最後まで戦う必要が出てくる。今まで戦った経験が少なすぎて知らなかったぜ。

 

NHKが映らないうちのテレビはついに最近全チャンネルが映らなくなった。なに、リモコンの電池が切れたのだ。ここで問題次の文を英訳しなさい。「単4電池ってどこに売ってるのですか?」。"乾電池"とだけスマホのメモに残しても、買い物中にスマホのメモを開くことがないから意味がなく、帰り道にあるコンビニに僕らが吸い込まれていくように、人間、導線がないと動線にない動きはなかなかしない。せっかくスマホに「乾電池」とメモしたとて、メモを開く機会は街で見かけた素敵な広告コピーをメモしようとするときしか開かなくって、あ、この言い回しいいなーメモしなくっちゃと開いて飛び込んでくる「乾電池」の文字これなんの広告?

そういえば。一人暮らしを始めてから一度もテレビのリモコンの電池を変えたことがなかった。見た目はそのままなのに経年、10年前の自分はもういないのよ。彼はどこに行ったんですか?はい。Where did he go?

そういえば。うちの家、テレビのリモコンのことを「チャンネルポン」と呼んでたな。中学生ぐらいの頃に「チャンネルポンって何?リモコンじゃなくて?」と友達に尋ねられて、そう呼んでるのうちだけだと気づいたときは妙にショックだった。あと友達んちに行ってエアコン、テレビ、DVDのリモコンがなぜか全部ラップでぐるぐる巻きにされてたのも妙にショックだった。そんなことを思うと、少し前までケッコンは両家の愛情と愛情のぶつかり合いだと思っていたけど、両家の生活と生活のぶつかり合いでもあるし、マイルールとマイルールのぶつかり合いでもあるよなと思えてきた。ケッコンした人がみな大人に見えるのってそういうことな気がするな。ドライヤーも、電子レンジも、僕も、ベランダのウメモドキも見えなくても歳をとっていく。生活を共にすることはすごいことだ。勝てないなって思う。頭が下がりますって思う。

ほっこりやエモいばかりに囲まれると案外疲弊して何もしたくないー!って時って、本当に何もしたくないことは実は少なくて、眠たかったり深呼吸したかったり酔っぱらってみたかったり誰にも邪魔されずに白線部分だけ歩きたかったり誰かに聞いてほしかったりするな。同じように「休日」って単に仕事が「休みの日」じゃなく「休む日」だと自ら決めて、休むためにも人に会ったり何処かに行ったり美味しいもの食べたりバカ笑いしたりすることが大事なんだと思いました。疲れたり落ち込んだり心にヒビが入ったりその言い方は無くないですか?と思ったり言いたいことがあったりなかったりするけど、活躍はしたいしなりたい自分は確かにあるしこれぐらいでくじけるのはシャクだし今に見てろよと思うし別に我関せずでも構わないし意思と大志を持って幹を太くしようと思いました。

キリン  缶コーヒーFIREのコピーを置いておきます。

「疲れた時は、この仕事に就きたくて就きたくてたまらなかった頃の初心を思い出してみる。」

323

忘れらんねえよというバンドの歌う「いいひとどまり」という曲にこんな一節がある。"いい人どまりのぼくは優しさしかない。なのにさ それすらなくしてしまいそうなんだ"。この一行が聴きたくてリピートする。分かる。今風に言うと分かりみ。分かりみが深い。でも意地でも分かりみとか使いたくないからいっそ”分かる”のニュアンスで「分からず〜!」って言ってみたくなる。めちゃくちゃ相槌の間合い整えて、ひとしきり話聞いてあげた後に「分かる〜」の空気感で「分からず〜!」って言ったらうけるかな。

「なんとかなるやろ」でこれまで生きてきてしまった功罪の功が楽観的でポジティブなわたしだとしたら、罪はなんとかしてくれた人への恩を軽視しがちなことかもしれない。がんばりどころも、がんばり方も、学生時代とはまったく異なる。自分のマネジメントができないやつに、部下のマネジメントがどうしてできようか。いや~ない。心のお椀を必死で上に向けたとて合わない水はたまらない。このキャラクターでその巻き込みしたらそりゃヘイト稼ぐだけだって分かってても、開き直って居直ってることがある。3年5年10年の壁があると聞いたことがあって3年が一人前になる壁だとしたら、5年目は自分の実力を正しく認識して周りを巻き込めるかどうかだと思う。会社員をやっているということは自分1人の限界はとうに気づいていて、それ以上に世の中に意義ある大きいことをやろうと気づいているはずなのだが、そのための巻き込み力は今年度の課題だ。喜怒哀楽も過ぎるとリアクションが取れない。分かってます、分かってますが、っていうのはたいてい分かってないことが多い。人って変わらないけど、変わらないのは分かってないからだ。じゃ、分かるってなんだ。分からず〜!

”愛すること 信じぬくこと 馬鹿にされても揺るがないこと それさえあれば絶対に大丈夫だから そんな歌をうたいたいのに まだまだ僕は弱いよな

君の髪が風になびいて 微笑んだ顔 光に溶けて 世界で一番君はうつくしいひとだ
そんな歌をうたいたいから もう少しだけ強くなるよ”

いいひとどまりの歌詞はこう続く。誰かを励ましたり、笑わせたりしたいけど今の自分にそれができるのかな。現実は素直さだけじゃやっていけないと、心の開け閉めの方法が分かって、ぷつんと糸を切らしちゃうこともある。で、多方面に謝り続けてる。失礼しました。お詫びします。申し訳ございません。陳謝いたします。自尊心を自ら捨てに行くと、さすがに気づいて、いやそういう方向に向かうのは違うよなって方向修正。執着や根性がなく、いろいろ諦めたり捨てたりしてきたけどお叱りをいただく度にこみ上げる悔しさが、最後の希望なのかもしれない。そういえば一つ思い出したんだけど今じゃ長友選手のかわいいお嫁さんとして大人気の平愛梨さんが女優だったころ、映画20世紀少年の実写版で3000人のオーディションからカンナ役に抜擢された時に、劇中のカンナの役割”最後の希望”にかけて、私も女優を辞めようと思ってましたがこの役が私にとっても”最後の希望”です。と言ってたインタビューを見て、いや原作ファンからするとあなたの女優人生は関係がないし、別にそのコメント上手くないからな。と憤ったことを思い出した。まったくおこんないよーとゆるふわに生きているつもりでも、現実はこうやってプチ憤りが多くて、人としてかっこいいもんじゃないけど自分は死んでないなと嬉しくなる。臥薪嘗胆も悔しさを忘れない強さが必要。心のお椀も上を向け続ける強さが必要。実力をつけたいと思っても、実力なんて環境と評価でどうにでも変わるし、ならば評価されなくても自分の人生、経験を積んで人ができない体験を重ねて自分がなりたい自分に駒を進めていくだけだ。で、なりたい自分は各方面に迷惑をかけて謝り倒している自分ではないので、もう少しだけ強くなるよという歌詞が響く。

根つめて回ってないときでも、27歳めちゃくちゃ苦しんだよなという実感をあとから振り返りたいので、できることを一つずつやるとする。できれば周りに少しずつでも恩を返しながら。

 

322

自慢じゃないけどさ、と言って始まる話はたいてい自慢話だ。「ご飯なんでもいいよ、焼肉とか?」は焼肉って決まってる。じゃ寿司行こっかと言うと不機嫌になる。自慢じゃないけど体が弱い。自慢したくなるほど。書いておかなきゃ気が済まない。のどは痛む。熱は下がらない。咳をしても一人。と尾崎放哉が書くことで共感する人、数知れず。医療費は嵩む。念のため検査しておきましょうかで鼻を抉られる。自分の指じゃとうてい到達できない奥底にinfluenzaはいるらしい。来る前より止まらない鼻水。心が濡れて力が出ない。目に見えないものを信じない僕らは、あなたからの大丈夫そうですねを聞きたいだけ。お薬出しときますね。もらってはいさよならご自愛ください。病院も注射もお薬も慣れている。何回目の風邪だ軟弱記。

朝一番、あんたが出てくる時うんこかと思ったと母が言うくらいスルッと生まれてきたらしいのだが、貧弱軟弱、赤ん坊のくせ逆によく母を泣かせた。例えばご飯。米小麦卵牛乳全部だめ、パーフェクトアレルギー。はいどーも、パーフェクトアレルギーですよろしくお願いしますで飛び出してきた。実際に写真見たからマジなんだけどこの時期の写真いつも僕は手にさつまいもを持っていて、それしか食えなかったらしい。お父さんとお母さんとお芋農家さんに育てられました。3歳では肺炎で入院もした。以降も入院した記憶が度々ある。どうにも断片的で、病院の売店で買ってもらった力水とギンガマンのちっちゃいおもちゃを鮮明に覚えている。外回りしながらたまに力水置いてる自販機見るといつも買っちゃう。ブランドと原体験は相性が良くて力水作ってくれた人本当にありがとう!ギンガマン作ってくれた人ほんとセンスいいよあの一体一体揃ってくシステム素晴らしいよ!って思ったけど一体一体揃ってくシステムはガオレンジャーだったかもしれん。人間の記憶はあいまいだ。大丈夫な時、大丈夫でないことを考えるのは誰だって難しい。棒状の何かに穿られた鼻の穴ももう大丈夫。止まない雨はない。止まらない鼻水はない。病は気からと言うけれど、病院に行くから僕らは患者になるわけで、入院着を着たら一気に病人っぽくもなる。病も人も、見た目が9割。

ナンジャクモンなモンでなんじゃかんじゃ年中風邪ひいてる感じな患者。久しぶりにLINEくれた友達が最近元気?と聞いてくれて、「風邪だよ!」って正直に返したら「元気?って聞いて元気じゃないパターンあんま無くないですか」って言われて笑った。「本来体調不良かどうか尋ねる質問ではない」って言われて笑った。マスクすると自分の息の匂いに絶望しません?風邪が長引くようになって自分の歳を思うけど、なんのこれしき風邪の治し方も分かってる。大丈夫と言い聞かせる。ウルフルズの『大丈夫』って歌が好きで、よく聴いてる。僕は大丈夫。今はそう言える。忘れたいことあるけど。

3月だか5月だか先々の予定を立てている時に、同級生の訃報が届く。元クラスメイト。保健室登校が多かったその子とはたった一度しか話した記憶がなくて、でもなぜか鮮明に覚えていて。全校生徒の前で漫才した高校のその日、出番直前。会場の外でネタ合わせしてた僕らの前を、保健室登校が多くてみんなとは別行動がちだったその子が通った。普段なら話したりしないだろうにキンチョーなのかコウヨーか「俺らこれから漫才するけん!」って僕から話しかけた。誰かに話しかけたかったんだ。「へー、頑張って」って笑ってくれた。ような気がする。それは微笑みだったのか、どんな声だったのかも覚えてるようで覚えていない。思い出はいつも一方通行だ。ビューティープラスよりもスノーよりも思い出は美化させる。それだけ。その一度だけ。その子はもうこの世界にいない。あの時が最初で最後の会話でしたよね?って話しかけて、いや、あれが最後なら今のこれなんなのよ。なんてくすくす確かめることもできないのは寂しい。そりゃ寂しい。そりゃあ。関わったことある人たちは、もう関わらなくなっててもいいからどこかで生きててほしい。確かめるチャンスがないと分かると、思い出も飛んでけないや。小学校で仲良かったやつも高校の頃亡くなったらしい。体が弱いわりに死にそうになった経験がそこまでないから、どうにも体調不良の延長で死ぬことがイメージできない。お薬飲めば治る気がしているし、温かくして力水飲んでたらみのゼリーを食べて学校を休んで昼まで教育テレビを見ていいともと昼ドラ見てお昼寝したら親が帰ってきてちゃんと寝てたか?と聞かれてうん!って答えたら治る気がしている。死ぬことのイメージがなかなかできなさすぎて、絶対やらないけど急行の通過待ちをする瞬間、身を投げたら一瞬なんだろうなと考える。もうだめだが押し寄せて迷惑をかけまくる日々を生きてても、死にたくだけはない。死ぬほど死にたくない。

自慢じゃないけどさ、生きてるよ。風邪はもう治りそうだよ。痰も鼻水も汚いけどさ、生きてくよ。

321

年末。

コピーライターほか広告関連の皆さんとの忘年会の話から始めよう。最近お付き合いすることができた僕の、ガールフレンドとのやりとりをすぐ見たがるのよやめてくれ。付き合う前の、一番最初の2人のやりとりをスマホ取られて読み上げられて、しょっぱなから節が全開の僕を見てみんな笑う笑う。節(ぶし)。ほしかわ節。

メッセージのやりとりができるようになった喜びと、なんかちょっとまだ丁寧さを保ってたい僕の最初のメッセージの文末「引き続き何卒へへへ!」。あまりのほしかわ節に僕も笑うしかない。「”何卒”の後って普通、”よろしくお願いします”じゃないの!?」と広告とか言葉とか大好きな人たちがいじるいじるさげすむさげすむ。こんなの序の口、一番最初に彼女から連絡もらって照れ隠ししたかったのか僕「恥ずかしいやら嬉しいやらの火曜日夕暮れ時です!」とかも送っていて、お前よくこのスタートで付き合うまでに至ったなと、終盤は褒められるまでになってた。

どこまでもいじられた後でガールフレンドにそのことを話してみたら驚かれた。どうやら僕の周りもみんなこんな感じの人たちだらけだと思ってたのだ。ごめん、全然そんなことないよ。1人、変なのよ。何卒へへへなんて、この業界誰1人言わないのよ。

 

かの有名なコピーライター糸井重里さんがコピーライターの殿堂入りとされるTCC(東京コピーライターズクラブ)「HALL OF FAME」を受賞された際のスピーチでこんなことを仰っている。

「コピーライターをもう44年やっている。コピーライターを44年やっているとどうなるのかと考えて、おかしいな、という気持ちがある。例えば、桶を作る仕事の人だったら座りだこができている、毎年神輿をかついでいるおじさんは肩にこぶみたいなものができている。プロフェッショナルになるということは、ずっとやっているがゆえに変形してしまう部分があるということ。ではコピーライターはどこが鍛えられているのか。44年やってても、どこかの筋肉が太くなったり、タコができたりしていない。それはすごいことじゃないか。やればやるほど、普通の人になっていく。それがコピーライターという職業じゃないかな、とこの頃思うようになった。あえて言うならば、どんどん余計な筋肉がなくなって、今流行りの言い方で言えば、インナーマッスルみたいなものだけで、自分を立てていっている。普通の人以上に普通のことを考えられる。今日いただいたホールオブフェイムは普通の人の証。これをもってさらに磨きをかけた取り柄のない人になっていこうと思う。普通の人でも何でもできるっていうのが僕の一つのコンセプト」。

TCC贈賞式開催される 糸井重里氏がスピーチ「どんどん普通の人になっていくのがコピーライター」 #ブレーン | AdverTimes(アドタイ) by 宣伝会議

 

中2の担任武藤先生が凄まじく教育熱心で、生徒に毎日日記を書かせていた。それだけじゃない。その中から季節感やイベントごと、生徒の成長が保護者にも伝わるような数人の日記を抜粋し、手写しした学級通信その名も「たけのこ通信」を毎日出していた。日記を書き写して〇〇君とか△△さんとか名前も入れて、もちろん時には日記の作者を匿名にして。学校生活で毎日学級通信が出たクラスは後にも先にも武藤先生くらいである、なんというたけのこ収穫祭、もうずーっと雨後(の筍)。

余談だが高1の担任、原先生はこれぞさすが体育の先生というだけあって4月に出た最初の学級通信のタイトル「号外」。いや、号外とは定期刊行物があって初めて成り立つ日本語である。結局「号外」は年に3回、1学期に1回ずつしか出ず、その刊行ペースだけは立派に”号外”だった。

で、今でも覚えているんだけど中2の正月明けの最初の日記。みんな「年末の時間の流れは特別でした」とか「親戚に会えて家族の温かさを感じました」とか書く中で、僕は生意気にも逆張り「大晦日も元日もいつもと同じ24時間で、何も特別なことはないんだなと思いました。」って書いた。「そんな普通の1日をこの冬休みも家族で無事に過ごすことができて、普通である幸せを感じました。」とか続けて。

思惑通りと書くとやらしいけど、次の日のたけのこ通信に載ることができた。別に毎日載りたかったわけではないけど、自分なりに日によって勝負をかけていたんだと思う。文化祭、体育祭、人生エピソードトークの始まりである。匿名で数人の正月の感想が載った学級通信を持ち帰って母に出す。不思議なもんで「これあんたやろ?」と、僕が書いた文章を一発で当てる。思えば文体の浮き具合が尋常じゃなかったんだと思うし、「何卒へへへ!」で笑われる今の今までそれがずっと繋がっている。多用するほしかわワードがいくつかあって、ヘンテコ、ゴキゲン、とびきり、助け舟がたった今沈没しました、何そのリトマス紙ゆるゆる!みたいな言葉遊びがずっと大好き。コピーライターではないにせよまだまだ普通の人にはなれそうもありません、糸井さん。

僕が個人的に日記をつけ始めたのも中2だ。内容で到達できないから華美に頼る。華やかで美しいことと、動植物に寄生し、あるいは飲食物・衣類・器具などにも生ずる、下等の菌類カビが同じ音って日本語どうなってんの?とまたこねくったりしながら。

 

年始。

2013年からブログを書き始めて毎年考えてるその年のコンセプトがある。

2013年「循環を大きくする。」

2014年「語ってもらう。」

2015年「誰で、どこへ向かうのか。」

2016年「人間らしくやりたいナ。」

2017年「うけ(いれられ)たい。」

2018年「考えないは、ない。」

290 - 心頭滅却すれば火もまたスズシ

たいてい新年は目標を聞かれがちだけど目標とは少し違って、迷ったとき選ばなければならないとき、「だって今年のコンセプト〇〇だからこっちだよ」と道しるべになってくれるような、1年間のコンセプトを今年もまた掲げる。

2018年「考えないは、ない。」と掲げて、相当数間違えたり失敗したりした。力及ばずだったり、良くない憧れだったり、謙虚と強気、感受性と変化の兆し、考えようとしても考えが及ばないことばかり。それでも、前述の素敵ガールフレンドがほどいてくれることが多くて、やっぱり周りの人に笑わされることも多くて、こうなりたい自分が今までより明確になってきた。「考えないは、ない。」手ごたえ、あり。

 

さぁ2019年。なりたい自分が見えたのならそこに向かっていざ、ゆけ無敵の若鷹軍団。これ少し野球と似てて、短距離のキャッチボールをいくら繰り返しても手投げの癖がつくだけでフォームは小さく固まっちゃう。実はロングスロー、体全部使って長い距離を投げることも大事。ボールを遠くに投げることで、初めてわかる使えてない筋肉、修正点。あれやりたいこれやりたくないを整理して、過去と未来をバランス良く繋ぎたいなと考える。と言うのも例えば今日めちゃくちゃ努力して徹夜で間に合わせて頑張ったー!じゃあねで人生って終わらないから。今日を伸ばすと、明日が縮む。当たり前すぎるこの事実も、その場しのぎの間に合わせ、やれてます雰囲気だけでここまで生きてきてしまったためけっこう脆い。「未来」と「バランス」をコンセプトに入れたいなと考える。

年末、体操部出身の友人とビリヤードして一通りプレーしてさぁ帰るぞってなった時に「ほっしーこう打ってるからもっとこうしたら?」とフォームのアドバイスをもらって、やってみたらめちゃくちゃ上手くできたわけ。さすが体操部、完璧な指導を受けて思う「帰る時間なのに!?」、これも1つ「未来」と「バランス」。サバイブ力がないくせに準備をしないって何よ。イワヤマトンネルで泣きたくないならちゃんとフラッシュを覚えさせるべきだし、「今」を引っ張って苦労するぐらいなら「未来」が「今」を助けに来なくちゃと思う。なにそれ~伝われ~。

年末、何でもお見通しのボスとのミーティングでも「役に立つ苦労もあるのに、お前みたいにぼーっとしてるからしなくていい苦労になっていく」って言われてオミトオシ~。ビリヤード終わった後にビリヤードのフォーム身に着けることほど徒労はない。徒労は取ろう、取り除こう。大きな目標を掲げて人生を一本の数直線で見ることができるようになりだしたからこそ、今が未来を助けるのだ。

 

2019年「未来を助ける。」

今年はこれを掲げて、迷ったら未来の自分に感謝される道を選ぼうと思います。今年もまたたくさん口先をこねくり回しながら。

 

正月、地元の街を歩くだけで30人以上の同級生が自然と集結して、とびきり居心地が良かった。こんな何も得るもののないサラリーマンの言葉遊びブログを読んでくれる友人も多少いて、限りなく嬉しい限り。

ラグビー部のハマダ君は飲みながら「お前のブログ面白いけん毎回読んどる」と言ってくれたところまでは嬉しかったけど、「1つだけお願いがあるつたい。1回で良いけんお前のブログに俺を出してくれん?頼む!どうしても!分かった、ちんちん出すけん!」

彼は人のブログをなんだと思ってるんだ。別に僕は、誰のちんちんがどうだったというちん評ブログを書いているわけではない。くだらなくて笑える。ナカシマ君がこのブログを「喉元過ぎれば」と呼べば、タニムラ君は「船頭多くして船山に上る」と呼ぶ。くだらなくて笑える。

くだらなくて笑える今もきっと、未来を助けてくれる。そんな気がしてる。

320

”好きなタイプは音楽が好きな人。クリスマスソングとかたくさん知ってる人だと嬉しい”みたいなことを前に書いた。分かる~って言ってくれた人が意外と多くて興味深い。11月26日生まれの僕にとって誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント、お年玉とイベントが続くから子どもの頃からこの季節が大好きだった。同じように、嫌いな人は少ないんじゃないかなと思う。世界一面白い映画は『ホーム・アローン』。異論は認めるけど、聞く耳は持たない。

そりゃ細かい部分を話すと、小学校1年生のクリスマスに「ポケモンカード」をサンタさんにリクエストして、朝起きてみたら「ポケモンのトランプ」だった時は絶望以外の何物でもなかったけどね。ジョーカーはオーキド博士とジムリーダーなんやそれ。「ちゃんといい子にしてたらね~」の母のフリがめちゃくちゃ効いてて、望み通りのものが得られなかったこと以上に「これ以上いい子にしようがないくらいいい子だったのに、来年どうすりゃいいんだよ」と絶望した。泣いた。それもあって翌年「ポケットモンスター金・銀」をリクエストして、前年のこともあったからどっちかだけでも来てくれたらいいな~くらいにハードルを下げて待ってて朝起きたら枕元にポケモン金・銀がどっちもあって、飛び跳ねて喜んだこともしっかり覚えている。あと小4の頃「ゲームキューブがほしい」とリクエストしたら「高いんじゃない?」と母に言われて、サンタこの人だ!ってなったこともしっかり。

なんにせよ「もういくつ寝ると」って楽しみに待つ日々は間違いなく幸せで、社会人のライフハックの一つ、楽しみの時限爆弾を増やすことは上手くなった気がする。ちょいと余談、昔何かのうんちく恋愛コラムで読んだんだけど、男性は突然誘われると嬉しくて、女性は前々からこの日って誘われると嬉しいらしい。どうやらその日を楽しみにお化粧やお洋服を考えるらしく、これからデートに誘う男性の皆さんは意識してみてはいかがでしょうか。

そんな、クリスマスまであと2日。クリスマスソングをまとめておいて脳みそのサーバーを軽くしようと思うでござんす。ござんすと書いたのは【1、北風小僧の寒太郎】より、この歌の大好きなところは何といっても冬でござんすヒュルルンルンルンのところ。笠を被って出かけたい。〇〇でござんすってコントやりたい。

www.youtube.com

 

1曲目から全くクリスマス関係なくなっちゃったな。方向修正、クリスマスのゴキゲンな感じはこちらに収束される【2、Santa Claus Is Comin' To Town】。人間、圧倒されると笑うと思ってるんだけど、ちびっこマイケルジャクソンの声の高さが圧倒的で笑う。Oh yeahとか言いたくなる。

www.youtube.com

【3、あわてんぼうのサンタクロース】クリスマス前にやってこられましても。

【4、あかはなのトナカイ】いや、鼻赤くても光らないでしょうよ。

【5、ジングルベル】シングルですシングルですという独り者の替え歌もあります。

【6、サンタが街にやってくる】聞けばあーってなる、スーパーで流れてるイメージ。

【7、We Wish You a Merry Christmas】エンダハッピーニューイヤーまでセット。

【8、きよしこのよる】”きよしこ”という女の子がいるもんだと思ってた。

尽きない。山ほどあるな。気づけば僕はこの動画を33分フルフルに見てました。

www.youtube.com

ここに【9、恋人はサンタクロース】とか【10、クリスマス・イブ】とか【11、クリスマスキャロルの頃には】とかまで入ってくる引き出しは無限。なんのトンガリもなくJ-popばっか聞いて育ったのでWaT【12、僕のキモチ】とかも歌っちゃうし、【13、メリクリ】はもうタイトルの勝ちでメリクリ~って言っちゃうもん何気なくでも、BoAすごい。かたやタイトなジーンズにねじ込むわたしという戦うボディは一度たりとも共感したことない。面白いのが「BoA」で検索すると関連ワードに「タイトなジーンズ」が出てきて笑う。曲名「valenti」が永遠に覚えられない。そして、この時期忘年会シーズンの嵐は最強で【14、Wish】で花より男子を思い出してくれれば何よりです。(個人的にはカラオケで何か盛り上げなきゃやばいときは、ラキラキベイブきっと大丈夫とかスウィスウィTrouble Makerを歌って役目を果たしてます。)

好きな日本語の1つに「よいお年を。」があって、年末会う人会う人に言ってくの素敵な文化だと思うし、ちっちゃかった頃みたく楽しい思い出に包まれた「よいクリスマスを。」ってのもある気がする。こちらのクリスマスで言うとこれは単なる自慢ですけど平井堅師匠のKen’s Barに行ってくるでよ~【15、白い恋人達

www.youtube.com

 

今年もまた平井堅師匠にたくさん助けられてなんとまぁ地上波にも映っちゃったりしたから感謝の意味を込めて。よいクリスマスを。

www.youtube.com