心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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2013-05-03 03:38:26 

 

先輩にすすめられ

1週間だけ変なバイトをしたことがある。

 

朝の通勤ラッシュ

改札を抜けホームへ向かう階段に立ち

心を亡くしたスーツ戦士たちに

「急げ!急げばまだ間に合うぞ!」

と言うことが仕事だった。

 

電車がちょうどホームに来ているときはまだよかった。

急いで階段を駆け上ることで

1つ前の電車に乗せてやることができたからだ。

 

そんな時は

僕がその人たちの少し先の余裕を持ってきてあげた

と考えるようにした。

 

居心地が悪いのはまだ電車が来てないときだった。

決して若くはない人たちを急かして階段を駆け上らすのはだいぶん申し訳ない。

駅のホームから

「くそっ、まだ電車、来てねぇじゃ、ねぇか、この野郎」

と息を切らした怒鳴り声が聞こえてくるときもあった。

 

朝が早かったが、時間の割に給料はよかった。

さらに日給として給料を手渡しされるのでできれば長く続けたかったが

先輩の話では、1週間が経とうとする頃「明日からこなくていい」と言われるのだそうだ。

 

そもそも、こんなことをしてどっからどう利益が出るかも分からない。

ただ言われたまま

忙しい時間

忙しい人を

急かしてきた。

ある意味で単純作業に僕も3日目くらいから心を亡くし機械のようにこなしていた。

 

そして1週間が経つ頃

先輩から聞いていたとおり僕も「明日からこなくていい」と言われた。

つくづく変なバイトだったと思いながらも

いつもの場所に立ち(正直通勤者にとってはとても邪魔な場所なのだが)声を出した。

「急げ!急げばまだ間に合うぞ!」

「急げ!急げばまだ間に合うぞ!」

「急げ!急げばまだ間に合うぞ!」

 

これで最後だと思うと一層ゲシュタルト崩壊を起こした。

自分は何をやっているのか

考えても無意味だからと封印したはずなのに

自我が消えない。

考えがまた別の考えを呼んで来て立ちくらむ。

もしかしてこれは通勤者に言ってるのではないんじゃないかとさえ考えるようになった。

 

毎日同じように大学で講義を受け、

フットサルのサークルでたまに汗をかき、

バイトでそこそこお金を稼ぐ。

夢も目標もいつのまにか見失い、変な楽観主義と自信だけで生きてきた自分が急に

ものすごく不安になってきた。

同時に、

しごくもったいないと思えてきた。

 

そのときだった。(そのときのことははっきりと覚えている)

自分の声と似た別の声で

「急げ!急げばまだ間に合うぞ!」

と誰かがそう言っていた。

 

ふと前を見ると

行き交う人の中にスーツ姿で疲弊した顔をしている

歳をとった将来の自分が立っていた。

 

僕はハッとした。

 

少し立ち尽くしたそのすぐ後

日給を受け取ることも忘れて

階段を全力で駆け上っていた。

 

「急げ!急げばまだ間に合うぞ!」

と言い聞かせながら。