心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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2013-05-12 02:39:08 

 

飽くなき好奇心

燃え上がるような自信

ひらめきを追求する勇気

誰もが惹かれる普遍性

 

これらをすべて兼ね備えたリーダーが

ウォルトディズニーだった。

 

「明日は今日よりおもしろい」

「夢は必ず叶う」

ずば抜けて前向きであった彼は、

それはそれは数え切れない人々に夢を与え続けてきた。

 

「すべては一匹のネズミから始まった。」

 

そう、ご存知ミッキーマウス

今年は東京ディズニーリゾートの30周年記念。

夢はまだ、終わらない。

 

今や世界のスターになったミッキーマウス

その陰でミッキーよりも先に世の中に出た

「しあわせウサギのオズワルド」を

ご存知だろうか。

 

この話は、

すべてを失ったウォルトの、決して諦めない前向きさを表すストーリーである。

 

 

(と、ここまでアンビリーバボーの出だしっぽくキレイに書けたのだが、

むしろここからが大変なのだなぁと一度手を止め頭を抱えている。

要は、先日知人から聞いた話を、多くの人に又貸ししたいだけである。)

 

 

1927年、ウォルトは仲間と共に一匹のウサギのキャラクターを生み出した。

それが、『オズワルド』。

 

オズワルドは、1作目こそ世に出なかったものの、

その親しみやすいデザインから徐々に人気を博し

後に全26作も制作され、サイレントアニメーションの大ヒットを記録した。

 

弱冠20代半ば、ウォルトの最初の成功である。

(すべては一匹のウサギから始まっていたのだ!)

 

しかし最初の成功は長くは続かなかった。

配給先であるユニバーサル社と版権をめぐり対立

若さゆえか、契約書など細かいことの知らないウォルトは、

人気キャラクターのオズワルドを、泣く泣く他社に譲るはめになってしまう。

 

不運はそれだけではない。

ユニバーサル社は、ウォルトの有能な部下であるアニメーター達もごっそり引き抜いたのだ。

結果、ウォルトはビジネスだけでなく、仲間も一度に失ってしまった。

 

 

(しかしというか、もちろんというか、ウォルトは一ミリもひるまなかった。

これにはもう、一度くらいどんより落ち込めよとも思う。やはり偉人は違う。)

 

 

決裂した交渉の地、ニューヨークからの帰りの電車の、その車内で、

ウォルトはもう次のキャラクターを描いたのだ。

(いや、うん、一度くらいどんより落ち込めよ)

 

それが、何を隠そう、

ミッキーマウスである。

(落ち込めって)

 

田舎へ向かう電車が途中の駅に停車するとウォルトは電車をおり、地元の兄へ電報を送った。

 

「心配しないで。もう新しいのがあるから」と。

(せめてちょっとオズワルド引きずってやれよ)

 

オズワルドの反省を活かして

ミッキーマウス保護には厳戒態勢であたった。

かつ、新しい挑戦も忘れてはいない。

そうして生まれた『蒸気船ウィリー』は、

世界初のトーキーアニメーションとしてまさに大成功であった。

 

「ミッキーはスペシャル」

この言葉の意味も、理解できるだろう。

こうしてミッキーマウスは、長い年月をかけ、

ウォルトの手から世界中の人々のスターになったのだ。

「オズワルドではスターになれたか分からない」と

ウォルト・ディズニー・ジャパン社のポール社長は語る。

 

 

そして、

このストーリーはまだ、終わらない。

 

(と、ここまで書くと、いよいよアンビリーバボーの世界だ。20時50分ごろのテンションだ。

キレイにいきすぎて元々アンビリーバボー出典だったのではないかとアーカイブスを辿りたいくらいにびびる)

 

 

その後、オズワルドはどうなったのだろうか。

結論から言おう。

今ではユニバーサルからディズニーへ権利が戻ってきている。

 

実はユニバーサルに移った数年で、オズワルドはキャラクターデザインが大きく変わり

ファンを裏切る形になってしまった。

1928年に移ってきたオズワルドは、

1943年を最後に、作品が作られなくなる。

 

時は流れ、2006年。

アメリカは企業がテレビを買収することが多いのだが、

ユニバーサル社の持つNBC(National Broadcasting Company)が、

ディズニーカンパニー傘下のABC(American Broadcasting Company)に

アナウンサーの移籍を打診した。

 

対してABCは移籍と引き換えに、

あるものの返還を求めた。

 

もうお分かりだろう。

ウォルトが手がけたオズワルドの全26作品の版権を要求し

返還に成功したのだ。

 

こうしてオズワルドもディズニーの仲間に戻ってきたのだった。

 

 

ハッピーエンドも

ディズニーの、欠かせない、DNAだ。。

 

最後におまけ。

アメリカで最初にディズニーワールドが開園したとき

ウォルトディズニーは、麦藁帽子をかぶって園内でアイスクリームを売っていた。

「楽しんでますか?」

「困ったことはないですか?」

と、声をかけながら。

 

彼の盛ったアイスクリームは

溢れんばかりの大盛りだったそうな。