心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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2013-11-08 23:43:45 

 

「一歩間違えば、そっち側だったな。」

なんて言われたら

一歩間違っておきゃ良かったって思ってしまう。

 

 

駅からバスで10分の我が城も、終バスを逃せば徒歩40分、この有様だ。

一旦、バスの便利さを知ってしまった老体にはコタえるな。

そんでもってきっかり15分、公園のベンチに腰掛けて考える。これだから計1時間の帰り道。

 

「あったか~い」缶コーヒーはすぐ冷めるからほら、だったら初めから「つめたい」ままでよかったんじゃないか。

前向きに行きましょう、も、元気出して生きましょう、そういうことじゃないんだよな。

とりあえず飲み干した缶をちゃんと屑かごに捨てて、また歩き出す。

この公園が汚れていく原因は俺じゃないぞ。

反社会的行動にゃ断固反対。汚れたら困るのは毎日利用してる俺なんだから。

そうして肩に少しだけ力を入れて玄関のドアを開ける。

 

3DKの公団住宅は5人で暮らすには、いや、広くない。

上の子と真ん中が、年明けダブル受験と来たもんだからなおさら家に居場所はなく。

妻を持ち、子ども3人と恵まれ、

入居当初は倍率が10を越えていたアコガレの公団住宅で暮らしていても、

ときどき襲われるどうしようもない閉塞感は、もうなんか一生続く気がする。

 

 

昼間、上司に言われた言葉を思い出す。

九州に飛ばされた末、会社を辞め、今は借金を抱えながら小料理屋を営んでる元同期。

「そっち側」って一体なんだ、どこだ、どうなっちゃうんだ。

あいつは本当にマチガッタのか。

いつもなら大抵10分考えれば何かしら答えという言い訳が浮かんでくる、そう付き合ってきた自分のノウミソも、

最近歳のせいか15分かかっても何も見えないことが多い。これが続けば俺は家に帰れなくなるかもな、なんて笑ってみようとしたけど、それが笑えないことだけはすぐに分かった。

実際、つい2ヶ月ほど前『うちへ帰れなくなったパパ』という児童書を子に読み聞かせたとき、憚ることなく泣いてしまったし。

そしてその涙は、すっかり母の顔をしちゃってる彼女にはさっぱり分からないのだ。

 

孤独なのだ。

結婚しようとしまいと子どもを持とうと持たまいと

仕事をしていようが金を借りていようが果ては生きていようが死んでいようが

孤独なのだ。

それは淋しい考えでも、逆に開き直りでもなく、ただそこに(実はいつも)あった孤独を、邪なフキコミを除いて向き合っていくしかないと、

 

 

ここで父の日記は止まっていた。

その下、薄く、けれど、力強い文字で

 

『妻がゐて子がゐて孤独 いわしぐも』

 

という句があって。安住敦さんという方の句であるようだ。

 

最近、僕は親父に似てきた。