心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

202

ところで、

1年半続けて、200回を超えてきた、このブログのタイトルのワケ知ってる?

興味ない?だよねー!

 

小3まで暮らした横須賀の、ダンチメイトと会ってきました3連休。

144(144 - 心頭滅却すれば火もまたスズシ)にもございますが

わたくし生まれは九州、育ちは団地にございます。

 

なんだろう14年ぶりの再会って。

14年てそれあんた、

小学生だったチビどもが、成人して所得税納めるほどの年月やーん。

 

然様でした。

 

何がすごいって横須賀からみんな羽搏きに羽搏いて

北海道から九州まで飛んでったもんで。

そこから僕、姉はじめ、ちかちゃん、てっちゃん、もこっちが大集結。

みーちゃん、あおちゃんは次回、また、必ず。

 

小学生は小学生なりに悩みを抱えていてそれはすべて妖怪の仕業だ、っていうコンテンツが爆発的にヒットしておりますが、

当時9歳の僕は何を悩んでいたのでしょう。

あったかくたのしい、おもひでぼろぼろ。

公園は。

お祭りは。

登下校は。

商店街は。

 

どうやら僕は

漢字の練習、図画工作の【画】が覚えられなくて泣いてるてっちゃんに、

「メロンをハコに入れるって覚えるんだよ」って教えてあげたらしいです。

僕以外みんな覚えてました。

 

ぶっとんだシャチクぶり。土曜夜23時半にホテルについても、変わんないねに出迎えられ

14年が変えたものと言ったら、一番ノッポだった姉を、一番前にしたことくらい。

 

ホテルから団地までもう当然終電はないのに、

ノスタルジックにかられタクシーで飛び出す僕とてっちゃん。

1階下に住んでた、1こ下のてっちゃんは兎に角大親友で

「俺が青台を、てっちゃんは赤台を」と分担したポケモンピンボールは今はもうセーブできない。

懐古に追い打ちをかけるのは、

なんとまさかタクシーのうんちゃんが僕の当時の同級生のオヤジさんで

荒れてた代だったことを、聞かされる。

小3で引っ越した僕と、小6までいたてっちゃんの、

この町の喜怒哀楽は違うのかもしれない。

 

そうして着いた、真夜中の京急久里浜

商店街は。

登下校は。

お祭りは。

公園は。

 

「これ、夕方に来て夕日見たら、泣いてたかもしれない」って、

てっちゃんの言葉はまったく然様。

「ここでワリオランド3をやったよね、案外コンクリが崖なんだよね」

「びわの木はなくなっちゃったんだ」

「ここでバザーやったね、ポケモンカード売ってさ」

「ここに住んでたやつ、灘と開成受かってさ」

「(僕が)いなくなってから難しい時期もあったよ、塾も行き始めたからキョリカンできちゃって。」

毎日一緒に学校に行き、毎日日が暮れるまで遊び、

突然引っ越した小3の僕と、引っ越された小2のてっちゃんが、

今こうして14年ぶりに町内を歩く午前2時。

 

14年という時間はあるいは残酷で「親の介護」というワードも飛び出す。

「カイシャってのはフェーズがあるから」って直属の上長によくご指導頂くんだけど

ヒトもまた然り。

14年前、あったかくたのしい、守られ愛されたフェーズは、

将来の決断、家族の責任、選択のフェーズへ移ったことを知る。

海辺の町は、流れ込む川の潮風のほうが鼻を刺す。

 

ただ「あー戻りてぇー!」って言うだけの社会人の僕とは少し違って

「戻れるなら1日、そんでお祭りの日がいいね。

お祭り行って帰ってきても、また団地で集まってみんなで花火をするみたいな。

親たちが話してるのを見て、話終わるなって願う、あの。」

とてっちゃん。

上書きした通学路はきっと、小学校じゃない場所へ続いているのかもしれない。

 

冒頭の話に戻そう。

てっちゃんママからいつか聞いたことがある。

「あーた、昔っから本よく読んでたよねー。『心頭滅却すれば火もまたスズシ』なんて普通、低学年は言わないって。笑」

 

覚えてくれているのは、愛だ。

一番好きなことわざは、一番愛してもらった時代のタイムカプセルなのかもしれない。

 

「次会うときは結婚だねー」ってちかちゃんが言ってた。

ちかちゃんも、姉も、

僕の記憶では3歳で止まっているもこっちも、結婚できる年になり、

一緒に64のコントローラーを握った僕とてっちゃんは、ほろよいを握れる年になった。

あのとき、

実は母たちも月1でだれかの家に集まってお酒を飲んでいたらしい。

子育てや仕事、旦那のぐち。酒のつまみは想像にたやすい。

彼女らもきっとダンチメイトなのだと思う。

 

次のフェーズ、を考える。

愛に満ちた日々から、愛を与える日々へ。

下の代の、誰かの、あったかくたのしい、おもひでぽろぽろを。

いや、そんなカッチョイイ話じゃなくて、

家族を、友人を、改めて大切にしようと思う。

全国に散り、14年ぶりに会っても、一夜で笑いあえる友人が、僕には、いる。

 

オシマイに。

子ども達の共通言語ってのがやっぱりあって

なんてことない団地の横の通りも「ドッジボールの場所」で通じるもんで、

なんでそこだったのかって言うと、

コンクリートに線が引ける「かける石」が取れるからで、

「かける石」ってなんだよ!

「かける石」て!

ってなんかすげぇ笑っちゃった。