心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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「同窓会行くの?」の次の会話に

「お父様元気?」って聞いてくれる、そんな関係。

「お姉ちゃん結婚したよ」と続き、

「今度は僕が」と終わる。

ちょっと前、11月。好きだった人からの誕生日おめでとうが嬉しく

ついこの前、1月。好きだった人への誕生日おめでとうを考える。

 

間に12月。帰省を挟んで

当時の日記に恋心を挟んで。

野球と彼女の思い出しかないコーコー時代のドーソー会は、変に緊張した。

実際はみんなと思い出しまくりだったけど

お目当てのあの子は結局、いラっシャってラっシャラなくてなんだか、シャラシャラ。

 

年が明けてやってきた誕生日、

好きだった「グミ」の画像を送ってみる。誕生日おめでとうに添えて。

数えたら10年弱の長いご縁は、

「あなた営業向いてないわ」って

自己暗示をかけ必死で騙してきたものにすぐに気付かれ

節々に「死ね禿げ笑」「社畜っち笑」という呼び名を築かれ

もう、敵わない。

もう、叶わない。

 

会いたいと思ったら負け。声聞きたいと思ったら負け。

そんなチキンレースからようやく降りることができて、さて、こんな関係を何て呼ぶのでしょう。

恋した人に元を付けるのもどうかと思うのです、

友だちに戻るってのも。

好きとか嫌いとか置いて、

あの日の「お父様元気?」に僕はきっと感動をしたのです。そうだそうだ。

 

答えは見えず、気持ちはもやけ、開いたTwitterのタイムラインには、

「好きになった人の名字っていつまでも破壊力あるなあ」だって。

 

余計に答えは見えず、気持ちはもやけ、今日読んだ千原ジュニア師匠

『あながち、便所は宇宙である。』の一節には、

『笑』という字は解釈を間違えたまま中国から伝わっている、と。

人が笑うのに、なぜ竹冠なのか、と。

実は本来『笑』は「咲く」という意味であり、

では『咲』こそ口偏がついてますから「笑う」という意味である、と。

 

好きになった人の漢字っていつまでも破壊力あるなあ。

このタイミング感たるや。

 

あんたに言われなくても、なお話ですが、

幸せでいてほしい人がいまして、

その人にはずっと

大爆咲をしていてほしいな、と思います。