トントッ、トントン、トトンッ、ットット。
慣れない包丁裁きが、不安定なビートを刻む。
誰が決めつけた家庭の味、デキに差が出る過程の匙。
カレーは決してハッピーの代名詞じゃないぜ。
年に数回、心の片隅に真っ白な空ができるとき、僕はカレーを作る。
表向きは、簡単・健康・家庭的。表向きは、ね。
寂寞や遣る瀬なさやそのまんま将来の不透明さを、ぐつぐつ。
イモやニンジンや変色するまで炒めたタマネギを、ぐつぐつ。
カレーの行方は、誰も知らない。
まるでマグマ。カレーはマグマ。
劣等感を。無力さを。不遇を。不遇のせいにする弱さを。
孤独を。無責任さを。批判を。批判を99回再生しやがる脳内再生機を。
弱い。狡い。拙い。オモシロい。
ぐつぐつは繰り返す。
本当に自分はダメだと思う日がたまのたまにあって、誰の役にも立てていなくて。
怒りという名のおイモと、憎しみという名のニンジンと、
不安という名のタマネギと、嫉妬という名の牛肉(節約時は、ヤキモチという名の豚肉)を痛めに炒め、
一通りの感情という名の火が通ったら、表面上の優しさや甘さ、見た目だけの包容力、取り繕ったお世辞という名の水を加え、一度沸騰するまで待ち、
その間にも決して忘れてはならない、ふつふつ湧き出るリメンバーパールハーバーという名のアクを取り、悪を取り除き、
全人類の大小様々なアラソイの歴史を思ひながら、空一面を埋め尽くすそのあまりにも黒く巨大なルーという名の…それ、ええと、いいや、ルーを投下する。
そのとき僕はこう呟くのさ「あぁ神よ。どんなカレーが美味しいかい?」ってね。
はっ!
まただ。
カレーを作るといつも、何かが僕に憑依をしているように感じるんです。今もそうでした。
その瞬間の記憶はなく、気付くといつの間にかそこに美味しいカレーができていて、それを食べると僕は明日も頑張ろうと思えるのです。
平日の、情けないほど、カレーはおいしい。