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心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

208

4年前。

覚えてることたらたらと。

 
もう、すぐそこの桜花を待ちつつ、
ガクセイの長い休みを謳歌し、
前日までは、トーキョーオーサカキョートへリョコー
TDLからUSJから、KM寺は行かなかったっけ。
戻ったその日はちょうど学習ボランティアの日だった。
 
大1の後期、週1のボランティア。
校庭駆けたり丸つけしたり、自由単位えせ教育実習生。
 
11、12と19歳は近くて遠くて、
ジドウのシドウが、ベタに難しく
お勉強、教えるこっちがお勉強。
その時のことはいつかまとめるとして。
 
その日3.11、その時14:46。
僕は埼玉のとある小学校の校庭にいた。
 
確か午前授業の日だったので、
13時半くらいの下校に、思えば助けられた。
 
ばいばーーいと見送って、程なくランドセル置いてまた来るワンパク達。
待ってたぜってキックオフ。ライバル校のキーパーみたいに
「へっへー、甘いぜ。」
「なにを?しまったやられた!」
そんな、いつもの、午後だった。
 
突然、酔っ払ったかのように地面が揺れたのを覚えてる。
 
「どごぉごごぉ」は一方で、誰かの囁きにも聞こえた。
 
強風でサッカーゴールが倒れるのをよく見ていた野球部として、
すぐに「ゴールから離れろ」を言った
ワンパク達をグラウンドの真ん中に集めた。
 
「こりゃやべぇぞ」は11、12も19も変わらん。
 
職員室へ駆け上がる階段の、
窓から見えたプールのはみ出し。
 
ワンパク達から職員室へ。
こりゃやべぇぞから命の緊張感へ。
あれもきっと1つの大人の階段。
 
テレビが付いていた。
 
普段はユーモラスで熱血で、
学年主任のスキンヘッドのおっちゃん先生が、
泣きそうな顔で、ニュースを見ていた。
のちに再十再百繰り返される、その最初の映像を見ていた。
 
突っ立った。
目を伏せることなく、見ていた。
 
「やべぇ」すら出てこなかった。
「1人でも多く、生きててくれ」とだけ、願った。
 
数分か、数十分か、
ある子のおばあちゃんが迎えに来て、
「揺れたことで飛び出して車に轢かれてやないか」と。
そこらへんから少しずつ現実的に思えてきた。
校庭だけのテッテレーじゃないことが分かってきた。
 
自転車で帰った。
漕ぎながら現実に戻されると、急にちっさいことが気になりだして例えば、食器棚とか。
台風1つでべランダの壁が貫通し、4部屋がつながるオンボロ築30年アパートは不思議と無事で、
なぜだか、ピューと吹く!ジャガーの11巻だけが飛び出して倒れていた。
お前だけ慌てて飛び出したのかい、と
初めて少し、おちついた。
 
ご存じ慌しさはそこからで
翌日から買占めが起こり、バイト先の本屋の収拾に参加し、電車は動かず閉じ込められる@小手指
放射線が怖くて外に出られず 
計画停電に備えて冷蔵庫のモノを消費し続け、
情報は錯綜し、結局停電はなく、冷蔵庫にモノがなく、
シーチキンを食べたのを覚えている。
始業が1か月遅くなり、新歓の相談に何度も繰り出し、
持て余しを埋めに、ブックオフにも何度も繰り出し、
落ち着いてくると旅行の計画を立て、大阪京都へまた行った。
だからなんだよ、でしかないけど
僕がmixiを始めたのはその1か月間のことだった。
無事ですよ。無事ですか。
飽きて就活する頃には退会したけど。
 
なんで4年経った今年、3.11を綴るかと言うと、理由があって。
 
その1か月ののち、入学してきた1つ下の後輩は、
仙台出身だった。
 
共に過ごした3年間、
僕にとってもよくしてくれたし、
僕もできるかぎりよくした。
 
卒業を控えた彼を追い出しに先日飲んだ。
卒業し、東北に帰るらしい。
しかも配属が、岩手の海沿いだと言う。
 
僕はこういうとき不思議な魔法を使えると思っていて、
彼とはまたどこかで必ず会えて
きっと僕はいくつになっても彼に下半身を露出するんだって決めつけているけど、
だけど。
 
どこかでどこかで恐怖があって、
海にバカヤローと叫んだ北野武の気持ちがわかる。
それを作った佐々木宏氏の気持ちも少し。
 
彼への「がんばっていきましょう」は、
頑張って、生きましょう。に違いない。
 
長い長い人生の夏休みにすら行けなかった3.11後の東北に、
でかける用事が1つ、できた。