心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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まんまるの鏡に映る、おもながの顔。

髭の生え方も少しづつサマになってきた。

毎日伸びては毎日剃って、毛は生えるのに不毛な争い。

昔デッドボールを受けた左太ももの裏にここだけの話、きれいにボール一個分、きたない体毛密集地。ひとり人体の不思議展

 

銭湯に行き、テルマエロマエみたいな裸を見ながら、自分の生まれた日を想う。

湯船が恋しくなるこの季節。

1126(いい風呂)の日に、24歳になりました。

 

「年齢を意識しなさい」という教えを意識しなさい。

ハローハロー、偉人さん。僕と同じ年のころ何をしていましたか。

尊敬するタモリが世に出たのは28歳、あわてないあわてない。一休み一休み。

なんて言っているうち、

鳥山明は24歳で『Dr.スランプ』を世に出しているからまったく、ポクポクポク。

世界に目を向ければ、チャップリンの映画デビューも24歳だそうでまったく、チーン。

 

ミスタービーンのようなコメディアンになる。って言ってた12の僕へ、

今もその夢は変わらないよ。と、24の僕。

人に福を運ぶ話術の、福話術師になりたい。ってトチ狂ってた15の僕はいったん消して。

 

とは言えサラリー生活も悪くなく

可笑しく可哀しい『笑う犬』小須田部長の言葉を胸に生きる。

色んな人に会いたいって、自分にきっと合っていて、

今こそ「福話術師」にならなければと、エイギョウマンは思うのです。

「がんばれ〜負けんな〜力の限り生きてやれ〜。」

 

誕生日プレゼントに、スーツを一着新調。

「服を買うことは、未来を買うことだ。」ってなんて素敵なコピーかしら。

ハローハロー、こちら24歳の僕から、未来の僕へ。

老け顔に実年齢が追い付く未来を、けっこう楽しみにしている。

 

ただそのままで、いいわけはなく。

進化しなければと、言い訳はなく。

同期のめちゃくちゃできる営業ウーマンから、ラミーのボールペンをいただいて曰く

「100円のカチカチボールペンが貧乏くさいので」と。

たはは、真っ黒に塗りつぶされる僕のメンツメンボク。でもその通り。

「がんばれ〜負けんな〜力の限り生きてやれ〜。」

 

話変わって今月の私の履歴書、洋画家の方。絹谷幸二氏おはなしいとをかし。

がかかよ無用と踏んでましたが、前言撤回、踏み絵します。今後の自分のヒントになるな、さすが霜月さすが日経。

 

エピソード①

長嶋茂雄氏と親交があった関係で松井秀喜にバッティングの指導をしたことがあるらしい。曰く、よく見ること。モノを見るのは実は目ではない。見ているのは目の奥の柔らかな脳であり、割れたガラス片を見ただけで頭が痛くなるのもそのためなのだ。つまり、見るとはその場の状況を捉えること。

僕の好きなコピーライターの方の名言「言葉は刺激物。読後感こそ作品。」に近い。

 

エピソード2

自分の名の付いた賞レースを立ち上げた方である。植物も人間も芽の出始めはつぶされやすい。そんな時に肥料をやって応援すれば力をつけて立ち上がれる。ご自身も受賞したのが31歳のころ。将来への期待と不安。手応えはあるが、家族も増え生計を立てなければならないそんな而立の30代へ、そのまま頑張りなさいと背中を押す激励が大変大きい。

お笑いをやっていたガクセイ時代。好きでやりたくてやっていたことがつまらないと言われ続けたあの頃、100組くらい出た大会の決勝16組に選ばれたことがどれだけ嬉しかったことか。30代の僕はさて、どんな賞レースに出てるだろう。

 

エピソード③

時折、絵を描くことと方向性の違う仕事に取り組むのは何故か。絵の修行はもちろん大事。大事だが、鍛えなければならないのはあくまで技量ではなく、心の持ちようである。

本業が上手くなるのは本業をやるからだ。と同時に、仕事が上手くなるために生きているのではないことに気づく。その向こう側に気づかされる。名コピー「人間らしくやりたいナ」の世界。そのための、心の持ちようを鍛える。という価値観が新しい。

 

お陰様、24年間生きてきて。

似顔絵が描けたなら、ギャグができたなら、もしもピアノが弾けたなら。

もっと分かりやすく「大事だ」とか「気にかけている」を伝えられるのに。

でもだから、少し、ほんのすこうし得意な書くことで、

こうやって感謝をお届けできればと思っとりますです。あ、誤字。

 

24歳、

今後とも何卒宜しくお願いいたします。