はい、じゃお願いします。
えー明転飛び出しで、はいどーもで始まりまして、、、オチ前からやります。
「いやそれ、ヤマダ電機の電子ピアノコーナーでヤマダ電機のメロディ弾くとちょっとウケるし、なんなら店員さんはちょっと照れてるやつ!もういいよ。」
で暗転で、ハケます。
後輩の卒業ライブを観させていただき、この話だけで2兆字書けるなと思いまして。
何年ぶりか、学館と和室とB202と。
何回だろか、照明写真のとこと、書類記入する受付のブラインドカーテンのある窓の前での練習、すなわち、諍いも。
片方から入って、もう片方から出ていくそんなハコがあるとして、ならば入れ替わるはずなのに。学館の匂いも、集団の文化も変わっていなくてそりゃそうだろそうなのどうだろ勝手に組織論。
実は、中MCの発明もセンターマイクを置く発明も俺らの一個上からなんだぜなんて、OBの革命武勇伝なんか知らなくていいのさ気にしないで楽しんで。「やりたいようにやりなさい」が、その革命の代の幹事長からの教えだったしさ。
くだらなさの中に見えるありあまる才能。
あの時デニーズで辞めたいって言ってたツッコミは、もうなんかちょっとドヤ顔まで作ってツッコんでて嬉しくなった。あんな風に相方使えると楽しいだろうなって、参った。演技のヘタウマや、パフォーマーとか女性の活かし方とか、個々の強みがさらに発揮されてて、笑った。いや、こいつの顔でこの言い方だったらそりゃもうずるいよってのも何個もあった。プロへ進む彼らが完成度を見せつけてくれてよかったし、最後の合同のあの作り方、一生忘れない気がする。挨拶できなかったけど、入部時はあまりにブスブス言う集団だから完全にドン引いてたあのスタッフさんも、のちに自らの飲み会での失態を笑えるようになったくらいだし、楽しかったことでしょう。
奇しくも、通された席は最前列で、あの日あのときの和室と同じ。小道具の座布団の懐かしさ。
お疲れ様です。えー、そうだな、あーむずかしいな、俺コントよく分かんないんだよね。うん、面白かったです。面白くない箇所もあったと思うんだけどどこだったけな笑っちゃったしね。いいんじゃないかな。お疲れ様です。
コメントの下手さは変わらない。あの時と変わったのは、隣がプールのおじちゃんだったことくらい。
7回くらい演ツーかよって思ったし、100回くらい嫌だけどコンビは同じ彼とでもいいからまた戻りてぇなって思った。
ブルーライトの舞台裏の袖の緊張感を一度味わってしまったら。
もっと言えばその昔対決ライブなんかで、先に相手の漫才がすんごいウケててとてもとてもプレッシャーで逃げたくなって、でもそういう時の方が意外と上手くいってウケて結果勝てた時あの時の、有能感というよりは安堵感にとても似てる。どうだ!ではなく、ただ良かったっていうあの感覚を一度味わってしまったら、
スーツ着た日常はまだまだどうもどうしても物足りない。やっぱキンチョーしなきゃダメなんですよね。『憂鬱でなければ、仕事じゃない』。
エンドトークのあの感じ、勝手にコカ・コーラのCM「こんなに楽しいのに、なんで切ないんだろう。」ってコピーを思い出してた。どんな楽しくても、終わらないコントはないのです。
今でも覚えてる、僕が一番最初に見たこの研究会の「卒業ライブ」。
ギャガ―が複数いらっしゃった代で、ギャグ合戦みたいになって、進行しなきゃいけないメガネの方が笑いながら「おんもしれぇなぁ」ってものすごく普通のこと言ってたこと。
僕はㇵッ。ツッコミって、ツッコまなきゃ正さなきゃとかじゃなくって、まずお客さん目線で共感してあげるっていうことなんだ、それがこれか!と思って勝手に尊敬してた。そもそも入部したのはこの人がきっかけだったし。のちに落語家さんになるこの人のポンコツエピソードをそのあと山ほど聞いて、あれは深読みだったことを知るんだけど。
同じように何のエイキョウも与えてないんだけど彼らの代の卒業は、もうライブを観に行くことはないなーと、僕自身にとっても卒業だったことを思う。いや、とっくのとうに追い放たれてるんだけど。同期の小さい彼もようやくシュウショクらしい。相方の彼はもう少しお休み。シャブだけはやめてね。
あー、2兆字書けるネタなんだけど、ちょっと疲れちゃったから続きはまた今度どこかなにかで機会があれば。
お酒まったく飲まない飲み会で。