心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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「アサヒに入社したら、キリンは一生飲まなくなるのよ。本当よ。」と、

新卒ジョブハンティング時代に、とある会社の熱心な人事に言われたことを、

大ほら吹くもんだなぁシャカイ人はと思っていたけれど、

うちの品物がお店屋さんに並んでいるところを見るとすこし嬉しくなったり、奥の方にあると前の方に並べちゃったり、

持ってる時間の大半を過ごす環境に、染まってくそんな3年目。

 

1日5回は眠たい疲れた腹減ったが話しかけ、

1日4回はどうか平穏な日々をと願う。

1日3回は貢献度の低さから逃げたくなるけど、

1日2回は認められたい褒められたいがくすぐってくる。

僕のマズローのてっぺんはなんだろう。ちょいと自己実現でぐぐってみる。

 

Negiccoの連載を読むためだけに毎月630円払っているアイドル誌にはライター募集の広告が出ていて、そんな気はなくてもそんな気を起こさせる。朝長美桜のグラビアはまた違ったそんな気を起こさせる。あぁできない、が積み重なる日々は、あっちだったらと言い訳をしがち。

自分の居場所を作れない軟弱モンには『会社を替えても、あなたは変わらない』なんて書籍タイトルが刺さる刺さる。人一倍、自分の弱いところが明確で明白で、コンプレックスですらなるようになると逃げ続けてきたツケが重い重い。お会計して~。

 

有難くも今年もまた、浜松のお客様からお仕事をいただく。

タクシーの運転手さんが、聞いてもないのだけれど、楽器の町と言われる所以を話してくれて曰く。

時計や医療器具の修理工だった山葉寅楠のもとに、近所の小学校からオルガンを直してくれないかと修理の頼み事。時計や医療器具が直せるならオルガンもできるっしょと相当な無茶ぶり。

西洋からの輸入品である高価な木製オルガンの蓋を開けると、彼はすぐに壊れた個所に気がついた。修理を行うとともに、彼は構造をスケッチし、これくらいなら自分でも作れると言った。国産にすれば半分以下の費用でもっと良いオルガンが作れると。そうすればもっと日本の音楽教育は普及すると。

2か月後、自らの手で日本初の国産オルガンを完成させる。試作には地元の飾り職人をしていた河合喜三郎も協力していた。実はこの河合喜三郎の親戚で、山葉寅楠に弟子入りしていた河合小市という人物が、のちの河合楽器の創業者でもある。キョウゴウ、いとをかし。

ここからはよくコピペされてる話なんだけど、ピアノを作る木工ノウハウがたまったから家具を作る。家具作れるなら木製のプロペラも作れるっしょと陸軍から頼まれて作る。その実験用のエンジン開発がのちのヤマハ発動機へ続く。バイクを作ったりテニスラケットを作ったり音響機器を作ったり。なければ作るの文化が創業以来ずっと続いてきた。

 

浜松の言葉に「やらまいか」という言葉がある。

「とにかくやってみよう」「やろうじゃないか」という意味であり、チャレンジ精神が言葉に根付いている。ちょっとしたシリコンバレーのよう、ヤマハ、ホンダなど多くの起業家を生んだ。

 

そしてもう1つ、楽器の街の浜松は、出世の街でもある。

天下を取るため、まず武田信玄を倒さなければと考えた徳川家康岡崎城を長男に譲り、浜松城を築城。浜松在城の17年の間、姉川、長篠、小牧・長久手の戦い三方ヶ原の合戦など、のちの徳川260年を支える試練の時代を過ごしたと言われている。

当時、睡魔を耐え凌ぐだけのある意味試練の時代だった日本史の時間を、10年近くたってようやく後悔する。せぐっちゃんごめんなさい。

 

僕のマズローのてっぺんに、今んとこ出世の文字はボールペンくらい細いんだけど。なんとなくこういう生き方をしたいなってものはあって、そろそろ名前をつけないとと思う。それは例えば、いとうせいこうが売れなくても書けなくても自分は作る人だって言い張って「作家だ」って名乗っていたように。『何者』は何も、シューカツ生だけの悩みじゃないぜ。

分かりやすく星野源に励まされ、『化物』を聞いて泥のような日々の自分にそれでも期待する。彼の、いろいろをぐちゃぐちゃにしてアウトプットするという生き方がとても好きだ。

そういうイミではいろいろを与えてくれる今の環境は逃げるにはあまりにもったいない。なければ作るってのは、モノもそうだし、シゴトもそうだし、イバショもそうだと思う。ギョーカイが大きく変わるポスト2020に向けて、自分がどのシーンに身を置くか考えはじめる。なに、キャッチコピーを10本も書かせれば、その人のモノの見方はよくわかるもんなのです。キャパシティの割りに合わない自己顕示承認欲求が、今日もグッジョブ!を探してる。

 

やらまいか。

海水浴に行けない夏は、ネットの海に、心のおもらし。