「五感が自殺してる。」
最近よく聞くよく効くご指導。くよくよせずによくよく考えてみる。
成果が出て初めて、あ、自分頑張ってたんだなと思う。頑張ってるんですよ、じゃなく、頑張ってるらしいですよと自分ゴトも他人事にしてる。勝ち負けスポーツを9年やっていたプロフィールのわりに、そこらへん日陰でヒンヤリしていることに加えて、所謂「気にしぃ」でもある。
公務員一家初の民間ってのもあるかもしれない。自分が今やってる大中小もところ変わればそりゃ知らないしそんなもんだし、親御さんってのはそもそもちゃんと生きてることだけで安心してる。だからいつも「君の仕事おもしろそうね」って言われると「あ、これはおもしろそうなのか」って発見する。そこからもっとおもしろくなってる。
さて、期末。
勝ったり負けたり出る結果。頑張ってなかったんだなとおおいに反省。やるからには勝ちたいという僕もベンチに控えてるんだけど、もっと言うと日々のちっちゃな変化、プチ達成、リトル清原。そういうものに感情の波がそれほど起こらない。
中学野球部の修行が影響しているのかも。
禅道場に通わされ、雑念も、思考も、水泳の授業後の女子ってなんであんなどきどきしちゃうんだろも断つ。無になるムムム。長距離が得意だったのは、ものすごい無表情で走るのが好きで、自分の呼吸だけ数えてたら20km近い全校マラソンもサッカー部のよっちゃんに続いて学年2位だったりした。
高校時代のハイソサイエティが影響しているのかも。
先生のあだ名って普通「ハゲ」とか「短パン野郎」とか見た目発進が多いと思うんだけど、「結果論の西浦先生」と名づけるあたり傍観俯瞰客観。あいつは指導法が結果論だからってあだ名つけるコミュニティに、書いてて思ったけど、僕もあの頃の僕らから「結果論の僕」って名づけられるだろう。ここで一句。メタ認知 してる自分を メタ認知。
そうした自分の恥ずかしながら美徳生き様行動指針に対して、冒頭の「五感が自殺してる」。
人の目気にせず感情を出す出さないだけの話ではないけれど、日々の変化へのアンテナが弱い。立ってない。アンテナED更年期。こりかたまってる。いやどっち?
負けに慣れ、このままがんばってりゃいつかうまくいくだろうってやつはずっと負け続けるって、キングカズもコラムで言っている。
「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。」
って、アインシュタインのお言葉がこれこれ~と刺さりまくる社会人3年目。「昔から知っていたけどこの瞬間のこれこれ~だったのか名言集」はまたの機会にまとめるとして、
正解だと信じていたものをぶち壊され、アンパンマン、新しい価値観よ!って投げつけられる日々が続く。アレルギーとか摩擦とかそりゃそうだろ、公務員しか知らないやつが民間に潜り込ませてもらってるわけで。そういう意味ではやっぱり時間が大事で続けなくちゃなって思うんですって、昨晩行った近所の洋食屋のマスター石原さんに話してみたら「それは本当にそう。続けてたらいいことある。絶対誰かが見てくれてるから辞めちゃいけない。私も会社員を30で辞めてこの店立てたんだけど」って、いや辞めてんのかーいって、憎々しいくらい肉々しいハンバーグドリアに喰らいつく。
早くも10月。
今年もまた、ずるいよ金木犀の香りをまとって、もうすぐ自分の生まれた季節がやってくる。クールジャパン的にクール俺だと思ってた考え方がなんとまぁ「五感の自殺」だったらしく、いっちょ人格を組み立てなおそと、ちょっと楽しんでる期待してるワクワク膨らませてる。君の声を聞かせて、と星野源が歌うように、君の価値観を聞かせて。
センスやひらめきとかじゃなく、持って生まれて育てた五感をみすみす自殺させないように。