心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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「とある文芸賞、応募の大半が定年退職した人が書いたその人の過去の恋愛話ばかりで読むのがつらいという。」

あれま。このブログもそうなっている気がして注意、留意。

いや、だって。「恋をしましょう。」とBEAMSが昔、言ってた。分かる。

「あいたいって、あたためたいだ。」とキリンがこないだ、言ってた。これはちょっとわからない。そうなんかな上白石さん。

あいたい頬も、あたためたい指も特にいない冬は、どうしても寒くって、じっと春を待つ。とは言え「Mで待ってるやつ もう Good night」ってSuchmosは歌ってて、できるだけ朗らかに笑いながら春をこちらからお迎えに。忘年会には間に合わなかった恋ダンスならぬ恋ピアノは、選んだ楽譜がレベルが高くて、新春隠し芸大会にも間に合いそうにないので、Aメロだけ弾きこなしてきた実家の音出し一軒家最高。動画に収めたからyoutuber僕の幕開けは近い。

短い年末年始の思い出を、語ると長い充実さ。野球部時代は大人しく、なんなら顔がそれに似ているからという理由だけで金玉オオタマといじられていたオオタ君は立派に商社マンになり勝者マンになり、文字通りブイブイ言わせていた。そう、ビクトリーのVである。2016年のベストオブイイ女なんて下衆い話になり、彼が差し出すスマホに写る確かな美女のお隣で、照れながら微笑んでるオオタ君の両脇に松葉杖。いや、こっちの方が気になるわ。なんでそうなるのよ。そんなオオタ君におこぼれをいただこうとするコバンザメ、ポケモン世代的に言えばマンタインにくっつくテッポウオが僕たちで。彼に合コンをセッティングしてもらい本場もんを学ばせていただこうと楽しみにしていたら彼から「乳首ドリルできる?」ってLINEがあって、早速白目向いちゃったし、ちょっとゲロ吐いちゃったあけましておめでとうございます。

 

違う違うそうじゃそうじゃない。

232 - 心頭滅却すれば火もまたスズシ

毎年決めているエネルギーを注ぐ先、航海図、はじめの一歩を。

2013年「循環を大きくする。」

2014年「語ってもらう。」

2015年「誰で、どこへ向かうのか。」

2016年「人間らしくやりたいナ。」って掲げておみごと、肺に穴を空けちゃって、しかも2回。シャカイ人人生を振り返った時イイ小休止になればイイ。サラリーマン以外の1日のタイムスケジュールを知られたことが実はすごくよかったって思ってる。ベッドの上の患者さんにも、叱られてばっかりの新米看護師にも同じ1日があって、痛かったり落ち込んだり嬉しかったり、そうやってみんな生きている。

自然にまみれたくなって1人長瀞、川下りをしたり、中学の日記には登場しない日がないくらい僕のアイドルに会いに福岡に行ってみたり。取り壊しの日が近い東京湾沿いの団地だって、クリスマスのお墓参りだって、オシゴトはもちろん、すごく生きていた。故郷の地震も、姉のケッコンも、大好きなNegiccoも、すごく生きていた。ちゃんと人間らしく。

 

そうして迎えた2017年が、これけっこう難しい。野望も期待も、こうはなりたくないもある。長所短所に好き嫌い。星野源「日常」が染みるんだけど、自分にばかり目を向けていてもちっぽけで。原体験を一通り振り返って振り切って外へ。今年はこれで行きましょう生きましょう。

 

2017年「うけ(いれられ)たい。」

 

ものすごいシンプルな価値観、自分の中で結局かなり強い説。

この業界でおなじみワード、インサイトに照らすと男性はいくつになっても「モテたい」が行動動機だなんて説もあるけど、僕にとってのそれがつまり「うけたい」なんです。そんでもって時代の空気・温度・湿度を読む上で「うける」以前に「うけいれられる」がハズせない。こんな発見もある。


4年目になる。

3年同じシゴトをするな、なんてことも言われるビジネス現場。ヒリツキは変わらない。シホン主義の数字の絶対さをイイカゲン理解してくるお年頃。選挙だって受け入れられなきゃ天国地獄でしょ一票の格差。和牛が好きでも銀シャリが勝つでしょ多数決。

尊敬する今田耕司カメラマンの写真集1万字インタビューには、バランスを取って、相手の反応を見て「ちゃんと自分がいることで、成立させたい」という司会業へのスタンスが綴られており、これこれと思う。テトリスでもジグソーでも合コンの人数合わせでもきれいにハマりたい。

 

こういう毎年やる作業を、ちゃんとやること。

どんなにくだらない文章でも、毎年年賀状をちゃんと書くこと。

キレッキレかつ個性的で耳に残るツッコミをかましまくってたお笑いサークルの先輩のポートフォリオサイトが超かっちょよくて、その中のブログ第一回「継続させること」にこんな言葉がある。

"ださいのはださいよ、だって俺ださいもの。って言う感じでやっぱ過去の作品も包み隠さず開け放って、そこに自分の手癖のような痕跡が存在していて、いつかなんかちょっとはかっこいいものを作ったときに、「この学生時代のこのうんこみたいにださいこの作品が実は今回のプロジェクトのルーツでした。」とか言う風に一連の活動の中でストーリーにできたら、そんなすてきな事はないと思う。"

 

日々の心のさざ波も、冒頭酸っぱい浮いた話も、いつかへ向けて、今年も続く。

よろしくお願い申し上げます。