心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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久しぶりにやっときます?いつもの。

問題.

「大事だ」とか「気にかけている」を伝えなさい。

ただし、「好き」や「愛してる」を使わないものとする。

 

これね、前も言ったかもしんないですけど僕(25歳8か月)の答え、

「お茶つごっか?」で、お願いします。

 

想像しましょうまず、一緒に食卓を囲んでること。このクソ忙しい現代のシャカイ人それでも、ご飯を共にするっていう最初の関門。何を食べるかどこで食べるかより美味しさを左右するのって、誰と食べるかですよね。

で、その時、空いたコップに気付くこと。

そう、注文じゃないんです。もちろんその人の好きな飲み物を知っておいて、ビール2杯の次はハイボールだからすみませんハイボールでって言うのもいいんですけど、何と言うかそこまでは背負い込みすぎと言うか。こっちが疲れちゃう「おもてなし」って続かなくないですか?差別は大事ですけど。特別は大切なんですけど。

実は案外、自分のを注ぐついでについで、ぐらいの感覚なんですよね備え付けの水差し。お、つごっか?みたいな割と簡単な。

 

質問系で言うと、髪切った?もいいんですけど、やっぱ少し抵抗があるなって。違ったらどうしようとか。そんなに気に入ってなかったらどうしようとか。お茶よりプライベーターじゃないですか。

それで言うとネイル変えた?なんてのはザ、プライベティストですよ。ないわそんな比較級。

 

で、なんですかそっちの答え。言わないのナシですよ。まさか解なしって、まさか甲斐なしですよ。

「昨日何食べた?」ですか?ほうほう。

確かに気にかけてますよね。自然な会話ですし。そこに興味を持ってくれてるんだっていう。やっぱご飯の話、強いですね。

ただどうですかね?あ、ニンニク食べたの分かっちゃった?みたいになりそうですけどね。その緩みもなんかいいんですかね。

 

別候補「ちょっと1駅歩かない?」ですか?

それはどうでしょう、やや自分本位な気がしません?相手の子、せっかく張り切ってヒールの高い靴かもしんないですし、言う勇気は自分にはないなぁ。それは付き合って、忙しくてたまにしか会えない時に使いたいかもですね。君の駅まで送ってくからさ、ちょっと1駅歩こうよって2人だけの時間。星とか月とか眺めて。うまく見えない夜なら、好きな花の名前とか、人んちの帰ってきたパパと子どものお風呂の匂いとか。

あ、今、なんかわかった気がします。感動とか、いや感動って言うほど大きくなくていいんですけど、きれいだなとか美味しいなとか、心の+方面への動きを、互いに共有できればいいなぁって。

ああ、そんでなんかわかった気がします。前聞いたんです。永六輔さんが、小6女子から「好きな人に告白する言葉を教えて」って質問が来た時に、

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言葉は一番大切です。

でも、好きな人に「あ、この子好きだな」とか「いい人だな」と思われるには、「おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う」、「夕やけを見て、両方が美しいなと思う」というような同じ感動を同じ時点で受け止めるのが一番効果があります。

例えば、「いただきます」とか元気な声で言っていると、それだけで「あの子いただきますって言ってるな。きっといい子なんだろうな」と思うじゃないですか。「あなたがすき」ですとか、「キミを僕のものにしたい」とか、「世界のどこかで待ってる」とか、そういうのはあんまり効果がありません。

「きれいだな、おいしいな、うれしいな」ということが同時に感じあえる環境が一番大事。

だから、「好きです、嫌いです」という言葉ではなく、いい言葉を使っている子は好きになれる。

「あの人ならこの言葉は好きだろうな」と思った言葉を何気なく使っているときの方がドキンとします。「あなたが好きです」というのは最悪な言葉です。

だから、いっしょの環境にいるときに同じ感動をする場面に出来るだけいっしょにいる。

スポーツの応援でもいいです。そうすると、使いあっている同じ言葉にドキンとすることがあって、それが愛なんです。

自分でいうのもおかしいけど、ひとりでご飯を食べてておいしいことないです。ひとりで野菜を食べているときは本当にさみしい。やっぱり家族、好きな人といっしょのほうがいい。

二人っきり、まずはふたりになること。きれいな言葉を使いあうこと、きれいなことに感動すること、ふたりで声をそろえて感動してください。

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って。すみません。長いですよね。すみません。

昔聞いた時は、いやそんなんでうまくいくならananのsex特集いらねぇだろって、腹立ってたんですけど違いますかね。いや、なんでもないです。そもそも読んだことないです。

 

本繋がりで話変わりますけど、こないだ『愛の訳し方』って本見つけたんです。紀伊国屋、面陳でしたよ売れてるんでしょうね。読みながら思ったんですけど、「好き」の2文字に任せきるの、これやっぱすげぇもったいないですよね。心もとないと言うか心ここにあらずと言うか。

近しいとこで、『世界は言葉でできている』ってフジテレビの番組があったの知ってます?その中で「I LOVE YOU.」を訳してくださいって問題、もうまさに。バカリズムさんの「おやすみなさい。」がよかったなー。でもって、若林さんの「コンビニ寄るけどなんか要るものある?」も、すごい近いなって。

 

すいません、ちょっとお茶飲んでいいですか?あ、要ります?

はいこれです、どうよ?え、全然?むっずー。

 

そうそう、好きな動画があるんですよ、もう何て言うか自分の人生を変えたみたいな。

www.youtube.com

知ってます?トリビアの種。この動画をオンタイムで当時中学生ですかね?見てうおおってなってました。言葉スゲェって、1つのきっかけになってる気がします。

ちょっと自分語りしていいですか?すみません。

 

僕、小学校で図書委員やってました。ズッコケ三人組を全巻読み終えた後、低学年の列をバーコードリーダーで捌きながら、片手で世界の名言集を読み漁って。そんなマセガキが中学でお笑いにハマってって、高校大学でさらにオモシロい人に出会って無意識のうちに感度が上がってって。

でね、シャカイ人4年目に差し掛かって、これまた聞いた話ばっかで恐縮なんですけど今、仕事でご一緒している方がこう教えてくれたんです。

「言葉は刺激物、読後感こそ作品。」って。

このたった15文字のそれこそ読後感が、すでに自分の人生のなにか1つの指標になってる気がしてるんです。

 

でですね。でですね。ちょっと酔ってきましたけど。そうなんです最近お茶で酔っぱらえるんですよ。自分の中で最近ぐるぐる回ってる文章がありまして、田中泰延さんっていうとんでもない物書きの方が映画『ラ・ラ・ランド』を評したとんでもない長い文章があってその最後のほうでこう書いてらっしゃるんですよ。

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一回しか生きられない我々の人生での究極の体験は、出会うこと、恋をすること、だと思うんです。別の人生を、受け取ること。
一回しか生きられない我々の人生への究極の反撃は、表現すること、創作すること、だと思うんです。別の人生を、生きること。

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そしてこう続く。リンク送っとくんで暇なとき読んでみてください。

ラ・ラ・ランド【連載】田中泰延のエンタメ新党 | 田中泰延 | 街角のクリエイティブ

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その一回性の中で、恋に賭ける生命と、表現に賭ける生命を、両方が渾然となった形で、あの響いて消えてしまう空気の振動、つまり音楽と、あの大気に弧を描いて消えてしまう軌跡、つまり踊りで観せつけられたら、そら、泣きまっせ。

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この文章を読んだとき、いっつも感動しながら少し、絶望するんです。それは自分は、圧倒的に人生で体験していないなんじゃないかって。読書量とか映画を観た量とか、コンプレックスとの向き合い方とか思考量とかが足りてなくて、猛烈に悔しくなるんです。いや分かってますよ。別に、創作物を世の中に送り出しているお仕事ではないんです。が、言葉を使って日々誰かに何かを伝えている人間として、何をも成し遂げていないことが突き刺さってくる感じありません?生きがいってなんですか?って後輩に愚直に相談されたときに初めて、俺実は目をつむって見ないようにしてきたものがありやしないかって。

一回凹んでまた膨らんで、こうなったら経験したことを書くしかない、伝えてくしかないって思うんです。あれです、あれ。星野源曰く「才能がないから続けてくんだ。」ってやつ。吉田兼好曰く「これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一つとしてない。」ってやつ。

 

すみません、ぼちぼちお会計しましょう。明日も早いですしね。

 

そうそう、こないだスヌーピーミュージアムに行ってきたんですけど良かったですよ。生みの親チャールズ・M・シュルツがですね、高校の授業ぶりに名前聞きましたよ「ピーナッツ」の登場人物についてこう言ってました。

「クリエイティブなことをする人間は、だれもが作品に自分自身を注ぎ込む必要がある。登場人物のだれもが、どこかわたしなのだと思う。ルーシーが口にするような厭味は、わたし自身が同じように厭味な人間でなければ思いつけないし、わたしにはチャーリー・ブラウンのようなところがたくさんある。いや、チャーリー・ブラウンにはわたしのようなところがたくさんあると言ってもいいな」って。

 

冒頭の問いもそうですし、こんだけ手垢のついた世界で、先人の発見の数々に畏れを持ちながら、自分が感じて経験して蓄えた都度の感情と表現を、発信していくしかないんだなーと。これからがんばりますよ。いやぁ今週は特に疲れましたねすみませんでした。

はい、おやすみなさい!

あ、ちょっと1駅歩きます?絶対やですけど。へへへ。

 

※この発言は個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません。

って一度言ってみたかったやつです。へへへ。