心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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紛れも無い事実、今日は最も死から遠い1日であり、1日1日1分1秒、自分でも思いのほかおじさんになっている。

26歳になった。26年と短くはない日々を生きてきたからそろそろ生きるのうまいねって言ってほしいところだ。へー、おじさんの才能あるんだね!でも良い。

 

何も見た目の老いだけではない。野球選手とアイドルとお笑い芸人の勇姿に心を震わせ、明日もわりと朝早く起きて出社する一小市民の名も無きおじさんである。思うに、他の誰かの活躍に自分を重ねるの、これおじさんなのかもしれない。多分だけどおばさんはそんなことしない。いや、あんましおばさんのその辺を知らないからなんともなんだけど。

 

冒頭の「今日が最も死から遠い一日なのだ」とは、幻冬舎見城社長の本からの引用。うおおって熱くなってすぐ、実はとっても冷めてる自分もいて、幸か不幸か自分の生きがいのハードルがとても低い事を思い出す。何かを渇望した経験が乏しい。成功しなくても、うけ(いれられ)たらそれでいい。

「もうなんなら自分から失敗を欲してるよね?」って同期から言われて、いや、へい!なんて返したけど、こないだ上司から「それ1年目がするミスだよ」と言われた時はさすがにちょっと可笑しくなってしまった。忘れっぽいのと、トンチャクがさらさらないこともまたおじさんなのかもしれない。多分だけどおばさんはそんなことない。いや、あんましおばさんのその辺を知らないからなんともなんだけど。

 

どこまでもコンテンツを消費する日々は、0→1ができないことをもはや軽く諦めている。お客さんはいつも贅沢で発明の大変さなんか知らない。いや、ジャルジャルすごかったじゃんか。「漫才」をメタで茶化す、コント「漫才」でなく、練習量極まりないマイク一本を前に、「ようお前ボケれんな」より「信じがたい」の方が個人的に笑えて、そして泣けた。語りたくなっちゃうのもまたおじさんだ。多分だけどおばさんはそんなことない。え、もういいって?やめ時はいつも分からない。

お笑い芸人さんに楽しませてもらって「価値」の話。

例えば野球選手はめちゃくちゃ上手に野球をやってお金をもらう人だけど、つまりは見ている人に勇気を与えたり感動させたりすることが彼らの「価値」であるし、同時にお客さんを集められることから広告としてスポンサーする「価値」があるし、お菓子メーカーなんかは選手のカードを付けてチップスを売るだろうグッズとしての「価値」もある。うへぇ、また出たよギャラード2枚もいらないよなんて。

そうそう、僕らが野球を始めたのは地上波日テレの野球中継がちょうど絶滅する直前で。見てるとモニターに映る選手の紹介として、彼らの座右を紹介していた。努力だとかフルスイングだとかに混じって番長清原は「世界平和」と書いていたし、元阪神ムーア投手の座右の銘は「主に低めを狙う」だった。違うよそういうことじゃないよ笑っちゃうよもう、このハゲー。

 

付加価値の時代なんて言われる。ロボットに取って代わられない価値ってなんだろうと考える。今思えば浅はか極まりなく非常に申し訳ないのだけれど、僕は一時期浪人生に憧れていた。トントン拍子、それも面白おかしく売れてくわけではなくトントン拍子に普通の人の普通の生活を送ってきたせいで、浪人してれば変わったかな、なんて思ってた。

だってよ、僕の周りの浪人経験者は思考の量が明らかに違って、出すアイデアとか視点とかその広さ深さに憧れて、その度に何も考えずレールの上を走ってきてしまった自分を恨んだのです、贅沢にも。隣の芝生は青い、そしてあの頃の僕も青かったみたい。

今だから分かるけど、自分みたいなタイプが浪人で1年与えられたとて怠けて過ごし、かつ目標は見失っていたに違いない。

先日の誕生日、ようやく使いこなせるようになって嬉しいのだろう母からLINEでこんなことを言われた。曰く「熊高で野球をやりたい」「早稲田でお笑いをやりたい」だけ繰り返す。今の実力は抜きにして、ぶれなかったところは感心するよと。

 

たしかに、高校は自分でも野球を続けられそうなところで言うと積極的な消去法、セイセイコウコウコウではなくクマモトコウコウだったし、

大学なんかはもっといい加減で、お笑い芸人になりたいですって進路面談で言ったら、大学ぐらい出なさいよと言われてそこから担任と母親で「早稲田はくりぃむしちゅー上田がいたわよね」「あとタモリも早稲田ですもんね」なんつって、あぁじゃあ早稲田に行こうかな程度の結論だった。(当時の担任はくりぃむしちゅーのお二人と高校の同級だったそうで、上田さんは学年の番長だったが、有田さんはクラスの隅っこで男数人集めてゲラゲラ笑いを取ってたらしい。なんだかいい話)。そんな風に考えると、社会人は選択肢が広すぎて視力0かよ全く見えてない。明日の予定すらギリギリだったりすることもあるけど、今日が死から1番遠い日。やりたいことと、提供できる価値はとことんシンプルにしていく方が性に合っている気がする。

 

やはり立ち返ると0→1はあまり向いてない。コンテンツを消費するのは大好きだけど、作り手にはならないなーと思う。

講談社の小林司さんはひとつの憧れで、出版社で編集部に所属しながら妄撮をヒットさせ、今はミスiDを立ち上げた。

新しいアイドル像を作る。可愛い、スタイルがいい、歌が上手い、踊れるって言う既存の価値基準から飛び越えて新しいスターを生んでいく。たしかにそうだ、見た目の美しさや声の綺麗さみたいな持って生まれた価値だけのヨーイドンだとしたら、人生に100年も要らないもの。にゃんこスターアンゴラ村長もこんなことを言っている「顔とか生まれとか変えられないものをさげすむ笑いは古い」と。

 

さて、勘のいい読者なら気づいたかもしれない。ってこれ一度言ってみたかったやつ。

そうなのだ。基本僕は引用ばかり、コーテーションマークでコーティングされているコールドゲーム

苦い思い出がある。就活生時代、業界2位の広告会社の3次試験のグループワーク。どうやったら○○を流行らせられるかというオーソドックスなお題。まず5分考える。その後発表、ディスカッション、グループごとにアイデア発表というオーソドックスな流れ。

 

5分後Aさんが答える。「○○だと思います。」Bくん「△△ではないでしょうか。」Cさん「まるばつさんかくしかくしかく」のようにみんなして、まずは自分の意見を言い合う場にもかかわらず回ってきたあたくし「Aさんの案はここがすばらしい。」「B君の意見はここがこうで、でもこういう点はいいですよね」と、あろうことかお話をまとめてしまった。いや、誰やねんである。どの立場で言うてんねんである。続いたD氏は「記号記号記号」と持論を展開し、流れは戻っていった。あぁここには僕は必要ないのだなと感じた。箸にも棒にもとはまさにこのこと、生きる箸にも棒にも、箸にも棒にもが服着て歩いてる※スーツじゃなくて結構ですよ。あなたらしい格好で歩いてる箸にも棒にもである。

そんな感じで後半はただ、喋るでもなく、とは言え真顔も意味不明なので不必要にへらへらしていた僕に帰り道、同じ班だった人たちが「みんな受かるといいんですけどねー」なんて言ってくれて、僕はあーねって言った。

 

「その程度のコンプレックスなんか、100個くらい集めないとショウカできないよ」と会社のお偉いさんに言われて納得する。消化か、昇華か、はたまた消火?こちら変換合ってますでショウカ?

こんなことがあったんですよーとどこかにはけ口を求めるでなく、自分の中で抱えて溜め込んで強烈に自覚して初めて「価値」になるのだと思う。

そうやって浪人生に憧れてた僕が25,6になってようやく、しかもちゃんと立ち止まることなく「自分取材」を繰り返すことができているの、きっと一つの収穫。ここんとこエピソードトークが増えているのは、地元の友達(例えば中1のクラス一の美女、堀内さんとかも読んでくれてるってさ、まじかよ嬉しいな)だったりが面白いって言ってくれてるからってのもあるけど、○○をやりたい以外の選択肢があまりに多いシャカイ人、自分の原体験を掘り起こすためだ。お笑い芸人になりたい!という夢が、いい話を仕入れて、いい話を伝えて、心地いい読後感を作るという価値になった。

睡眠不足で眠たいけど、自分を見る目は冴えている。

 

0→1が苦手なら徹底して編集をすればいい。

そういう意味で、たまたま今、出版社に勤めているのはおもしろい。編集部員ではないし、前述のとおり社内外のすべての人にお叱りをいただくレベルなんだけど、自分はここで成長したいと思っている。

最近よく読んでいるとあるブログの中の人もまた編集者であり、例えばこの記事なんかしこたまおもしろい。

さよならクックパッド | KOMUGI

 

そしてそのブログの中で、彼は「編集者」の価値をこのように説明してくれている。 

"しかしながら、なぜたくさんの方々に自分の記事を読んでいただけるのだろうか、と立ち止まって考えました。同じ会社に松島倫明さんという私がリスペクトしてやまない先輩編集者がいるのですが、先日ランチをいっしょに食べていたときに「シロウトであるはずの本の編集者が書く記事を、なぜ読んでもらえるのでしょうか?」と質問してみました。すると「編集者は学問から文化、トレンド、ビジネス、テクノロジー、エンターテイメントなど、横断的に知識やネットワークを持っているからなのかもしれないね」と答えが返ってきました。「たしかに!」と思いました。"

 

またある時はツイッターでこう仰っている。

"コメントありがとうございます。実は「編集者」は「本(製品やサービス)」自体をつくるのではなく、「著者(サービス提供者)」に助言して、カイゼンを促すのが仕事なんです。自分で「本(製品やサービス)」をつくってしまうと、「編集」という仕事ではないんです。偉そうで、ほんとにすいません…。"

 

営業という立場なんだけど最近、若手の編集と取材に行く時は僕が台本を書いていて、解釈は任せるけど、すごく生きている気がする。結果出さなくちゃ。そういや、ちいちゃい頃からお話を作るのが好きだったし、お笑いもネタ書く側だったもんなぁ。うけ(いれられ)なくちゃ。

いよいよメジャーに挑戦する大谷選手が以前、WBCが始まる前のインタビューで周囲の期待について聞かれたとき、「一番期待しているのは、僕自身じゃないですかね?」と笑って答えた。お金でも、富名声でもなく、自分への興味、好奇心、期待。健全なナルシシズムとは何かをスターに学ぶ26のおじさんもまた、自分に期待している。「人は、一生育つ。」ってベネッセのコピーいいですよね。

 

憧れては悔しくなって、諦めたところから期待して。

0→1はできなくても何かしらアウトプットしていかないと夢精しちゃう質ので、好きな人への好きですは何かで返していきたいと思い、戌年用の消しゴム版画を作りました。そうそう、0→1ができなくても1を真似っこするのは得意なんです。

もし万が一欲しい人がいましたら年賀状書きますので住所教えてくださいね。耳障りのいい言葉と共に送りつけますので。

26歳もどうぞよろしくヒャッヒャッヒャ(ケンケン)。

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