心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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「ちょ、歩くの早くないすか?」

会社の後輩に言われて気づく。

そうかな?普通じゃない?と格好をつける。嘘をついた。知っていた。そうなのだ、僕は歩くのが早いのだ。尋常じゃなく。すぐ、えぇいもういいやーと腐りやすいという意味でも足が早い。腰は低く、尻は軽く。手に汗握り、喉から手が出るも、手も足も出ない。この辺りの慣用句に長けてたい。京大の学祭のテーマが好きなんだけど1番好きなのは「花も実もある、根も葉もない」である。にほんごでもっとあそぼ。

 

ついにこないだ品川駅港南口のコンコースを歩いている時なんか、周りが止まって見えたりした。えっ、えっ。スターウォーズでミレニアム・ファルコンが高速移動するみたい、人が後ろに流れる。時間よ止まれ!タイムマシンにおねがい。絶好調のバッターはボールが止まって見えると言う。ゾーン。その境地まで達している。歩き続けてどこまで行くの。風に尋ねられて立ち止まる。

 

自分がこんな体になったのにはもちろん理由がある。西武は新宿線高田馬場駅を降りて早稲田通りをまっすぐ行く。悲しいかな(そんなに悲しんでもないけれど)所沢体育大学と揶揄される学部だった僕は本キャンパスに友人が全くおらず、ガツガツと言うよりは何かぐつぐつしたコンプレックスを抱えながら毎日何人追い越せるか数えながら通学していた。お笑いサークルが所沢にはなかったから、キャンパスの違うサークルに入ってた。人って不思議で、1人でいる時よりみんなでいる時の方が孤独だったりする。所沢とは比にならない学生の波。数を数えるしかない通学路。100人/日(片道)が目標だった。

交差点、信号待ちはごぼう抜きのチャンス。先頭集団に追いつくと、同じく待っている人の数を数える。16、17、18。よし18人抜きだから、今合計57人抜き。あと43人。AOKIを超えて43人ってことは、よし、いける。なんてことを考えながらいつも通っていた。驕ることなくあえて死んだ目をして目標まで数える経験は今エイギョウで生きている。

ここら辺の1人遊びは結構ドン引かれることが多い。何かをしてる時に頭が空っぽになるのが好きで2駅ぐらいなら徒歩を選ぶ。これは中学野球部で連れてかれた禅道場の影響が強い。自分の呼吸を数えるのだ、坐禅をしながら。何か1つを思い浮かべるのはOK。ただしそこから連想をしてはならないという道場のルールがあった。例えば野球のことを考えるのはOK。ただ野球→チアガールはNGなので脳内をチアガールだけにする。野球を断ち切る。脳内をチアガールだけにする。すぐにチアガール→パンチラに繋がっていくのでNG。脳内をパンチラだけにする。脳内をパンチラだけにしながら、自分の呼吸を数える。中学生。集中力は0。はたまた100か。

 

ミヤコノセイホク、ワセダノモリニ。そんな競走馬がいそうな、そんな馬場。高田馬場駅から大学まで歩くことを”馬場歩き”と呼ぶ。

ある者は西(ワセダ)へ、ある者は文(キャン)を求め。僕らぐらいの年次がちょうど端境期、激安ゲロマズ熊ぼっこは跡形もなく消え去り、韓国系の雑貨屋へとまさかの転生を遂げた。生ネズミを初めて見たのは馬場のロータリーだった。ラーメン激戦区にカレー屋も立ち並び、ははぁインド大使館があるからだなって踏んだ予想は、これネパールカレーってニアミス。ネパールかい。雨でも東西線165円を使うことは許されないというか心の中のバンカラが許さない。早稲田近辺に住む人がいて、早稲田近辺だと絶対にたむろされるから馬場周辺に住む人がいてそれでもたむろされて、家賃的に結局野方や小平まで西へ北へ登っていく人がいて特例で僕らみたいな所沢小手指の人がいて。

ただ黙々と歩いた4年間。年々短く感じる全長1.6㎞の通学路は、変化の激しい青春の色濃い日々を染め上げた。そう、人生で大切なものは全て、馬場歩きが教えてくれた。

馬場歩きが教えてくれた3つのことを書く。

 

1.万物は流転する。

分かりやすくスケールダウンさせると「えっ!?すた丼今そこなの?」である。キッチンエルム。ラーメンほづみ。カレーのメーヤウ。どれも今はない。僕の進路に最も影響を与えた永遠の憧れ、皆藤愛子さんが学生時代ほづみによく行ってたと知った頃には閉店していて、聖地巡礼失敗トキスデニオソシ。

状況は刻一刻と変化する。ほんとに笑っちゃうぐらい。昨日と今日とでぜんぜん違う。1日返信が遅くなってしまった案件がトラウマになるぐらい炎上する。ふとしたきっかけ1つで疎遠になったりぐいと近づいたり。人間と人間の営みはこうも忙しく変わっていくのね、わらう。中学時代に頭良いと思われたくて手にした『バカの壁』で読んだ万物流転の意味が、大学生になって馬場歩きをしてこれか!と身を持って知る。

僕は麺珍より武蔵野アブラ学会派だったんだけどいつか潰れる日が来るのかな。サークルのお笑いライブの後、打ち上げまでの時間でみんなでよく行った金泉湯とか、学祭に来た親戚のおばさんと食べた東京らっきょブラザーズのスープカレーとか。このあたりの刹那性はアイドル好きにも通じる。

甲子園のこの時期、思い出す名コピー。ただ一度のものが、僕は好きだ。Canon 

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銀杏が押し寄せる前の季節の馬場歩きが僕は好きで、この季節まさに女心と秋の空。万物は流転する。だからこそ時々で今、何が楽しいんだっけ。誰に会いたいんだっけ。心に問いかけながら歩くのがとてもいい。平成最後もまた、夏が静かに終わろうとしている。

 

2.抜くのではなく、抜き去る。

こちらは仕事論。1日100人追い抜くぞと自分の頭で謎の目標設定をしたからには、日々が勝負の場だった。気を抜けばやられる。単に体調が優れない時、ネタ見せですべり散らかして惨めさと恥ずかしさと静けさに苛まれる日、楽しさの余韻を神様、もう少しだけって浸りたい夜。馬場歩きは続くよ、どこまでも。あぁこの前の集団を追い抜こう。そしたら少しスピードを下げられる、って調整してたらたいてい次の信号で追いつかれる。気まずさったらない。

これは仕事とも似ていると思っていて、努力して初めて現状維持プラス1°の成長角度。逆に何もしないとどんどん下ってく人間の甘さを思うと、追い抜いて終わりってことはまずない。目標達成ちょうどを意識しても必ず人間は甘さが出る。前の集団に追いついたなら、追い越してさらに置き去りにするぐらいでないと勝てない。僕だってたまには追い抜かれる側になることもあったんだけど、追い抜いて勝った気になっているやつは大体追い抜き返すことができた。馬場に着いたとき、キャンパスに着いたとき、そこですべてが分かる。それまでは歩き続ける。抜くのではなく、抜き去る。「後輩の唯一の仕事は、先輩を追い抜くことです。」って昔何かで見た。抜くのではなく、抜き去る。もはや抜き去ることも1つの優しさなのかもしれない。自分が勝っていると思うときは、実際はとんとんに並ばれている。自分が少し負けてるかなと思ったときは、実際は大きく負けている。自分がだいぶ負けてるなと思ったときは、もう永遠に追いつけないぐらい引き離されている。

 

3.みんな、道すがら。

1学年10000人以上いるような大学では、ホント誰やねんこいつ状態。知らないというだけで少し感じる自分の中の敵意は、道を譲ってくれたりすれ違いざまいい香りがしたりするだけで好意に変わったりする。気を張って歩いているせいか知り合いに会った時の緩み具合はひどく、やばい。キャンパスで知り合いを見つけた時の女子のテンションはよく小馬鹿にされているが、気持ちはちょっぴり分かる。「また飲み行こう」 というワードの便利さに甘える。1度も行ったことなくても言う。

抜くのではなく、抜き去る。とは相反するかもしれないが「追い越したって、みんなゴールは、違うんだから。」という首都高のコピーもまた好きだ。平行だと思われた2本の直線に実は少しの傾きがあって、交わるその瞬間が嬉しい。色々な人に会える人生でよかったなと、ニューヨークに住む友人に会いに行った帰りに思う。

歩きながらこの人はどんな人なんだろうと考えるのもまた楽しい。前から来る人に直感であだ名をつける遊びも自分の中で流行ってて「きれいすぎる一重」「ドリンクバー大好き」「トランプゲームにやたら詳しい」「剃り残しボーイ」「ペットボトル菜園 上級」みたいなことをいい加減に考えてた。あだ名から再ブレイクした有吉さんよりは、笑っていいともでそっくりさんを紹介する人に即興であだ名をつける関根さんの気分。

みんな、道すがら。

思い出すのは、NO PLANのメンバーが長すぎて歌詞覚えらんねぇよって嘆いた1曲。NO PLANの人生という名の列車、お聞きください。

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傘の先っぽを振りながら歩く人はコピーライターに向いていない。ということを、コピーライターのレジェンドの方が仰っていた。気持ちを思い至ること。感情を慮ること。それが大事だと。

卒論で22号館に缶詰めになっている人。恋愛学の講義に潜りこんでいる法政大学生。大して活動に来てないくせに新歓期だけいっちょ前なやつ。それぞれに、それぞれの馬場歩きがある。みんな、道すがら。JTひとのときを、想う。が近い。

 

ここがヘンだよ我が母校は許せても、ここがすごいよ我が母校みたいな愛校心はむしろ引いちゃうときもあるんだけど、今でも馬場の駅に降りると胸が静かにあったかくなることがある。思い出す人がいる。食べたい味がある。絵にしたい景色がある。

秋になったら馬場歩きして、アブラ学会を食べて金泉湯にでも浸かろうと思う。

さて何人、追い越せるかな。