心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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「クラスでおもしろい人ランキング」上位の人から、クラス外にも名前を知られる人へ、人生で初めて「顔を売る」経験をしたのはやはり高2の1月、予餞会だと思う。熊本県立劇場のステージ。全校生徒と保護者教員1500人の前で漫才をしたあの日からたしかに知ってもらって話しかけてもらえることが増えた気がするし、「そういう人」として認知されたこと自体、今でも高校の友人と仲良くさせてもらってることに繋がっててありがたい限り。
意外だったのは同じくらい「別におもしろくなくね」派の人も増えて、今にして思えばアンチ増えてるクソリプついてるこれきっと少し売れてる。そりゃ熊本の坊主2人が大々的にプロの漫才を完コピし、エセ関西弁を撒き散らしてたから鼻に付くのも無理はない。
部屋の掃除をしてたら出てきたDVDでも流しながら、約10年後の僕がいま考えてみる。気づく人は気づくだろうけど、これ、ツカミはまた別のプロの芸人さんで、2組もパクるなんていかにオリジナルのない「ノンスタイル」で、「アンタッチャブル」なやつらなんだ。

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女生徒会長が教室に訪ねてきて「ほしかわってやついるか?おもしれぇらしいな?」ってオファーをくれた日から、僕らの神さまナカシマ君が「オオタとなんかやれば?」ってそれまで同じ野球部でもろくに話したことのないオオタ君を当てつけて、なんなら走り込みより漫才の練習してた気もする部活後の駐輪場。一緒に帰る予定の彼女に少し待っててもらったりして。

結果的にオオタ君の飄々としたキャラクターは見事にハマってたし、その後学年一のマドンナと付き合ったりもした彼の人生にとってもあの漫才は転機になったんじゃないかな。先日「オオタ結婚します!」という野球部LINEの自己申告にはそりゃあ嬉しいものがあったし、前撮りだか袴着てスカしてる彼の写真に、これまでの数々のくだらないエピソードが思い出されて言いたくなる。「5月あけといて!」なんて言われたらへそ曲がり、行く必要のない人間ドッグとか行ったことない治験とか予定ぱんぱんにしよう。「ごめんオオタ行けないや!次回呼んでよ!」なんちって。

 

ハネるという表現は多分違うけど、勇気出した結果活躍のステージが上がったり、キャパを超えた結果関わる人が一気に増えたり、諦めなかった結果へとへとで立てないのに充足感に満ちたりした経験が、思い返せばいくつかある。分かりやすく全校生徒の前で漫才をするとか、1人でドイツに旅行するとか、the Best of だからなんだよなんだけどほんのちょっとの勇気と行動力で小向美奈子のストリップを観に行くとか経験体験コト消費。僕が「東京 イベント」でぐぐって出かけてるのも、根っこは単に"初めて"を覗きたいだけだ。初めてを求めるのは1つの逃げでもある。人間、レベルアップって難しいから。成長ってわからないから。シャワー浴びながら、お、こんなところに毛が生えてくるのね以外に進化を実感する機会が少ないのは社会人5年目あるあるなのでしょうか。まさか君、パタモンがエンジェモンになるなんて予想できましたか?っていう話。

 

千原ジュニアがエッセイにて「毎日ちゃんと死んでいるか?」と問うている。それはつまり、毎日眠りにつく時ちゃんとエネルギーをゼロにして使い果たしているのかと。体力知力持て余したまま眠りについて回復していないかと。この表現に共感する。何回か書いたことあるけど、Jリーグを創設した人の話を学生時代に聞いたことがあって「何度でも燃え尽きてください。燃え尽きるからまた立ち上がれるのです」と若い僕らにメッセージをくれた。今の僕はどうだろうか。最近どう?ちゃんと死んでる?

こういう時ほんとタイミングだなぁと思っていて、Negiccoのワンマンライブと話題の映画ボヘミアンラプソディーとM-1を齧り付くように観て、ステージに立って燃え尽きてまた立ち上がる人たちのキラキラにとても焦がれる僕がいる。特にボヘミアンラプソディを観た後は、電通のクリエイティブのトップの方のこのエッセイを思い出さずにはいられなかった。全てのものづくりに関わる人に読んでもらいたい、好きな文章である。

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語弊を恐れず言うと最近なかなか死ねていない。
「私の青春なんてホントだめだめよ!」
「どうしたんだい?何かあったのかい?」
「違うの、何もなかったの。」ってアメリカンジョークみたいな日々を過ごしてるまったく冗談じゃないよ。そういやM-1の2回戦はうんちみたいに滑った。やり尽きて燃え尽きてその結果少し道が見える経験もあるんだけど、同じぐらい人生で「飲まれた」経験もけっこう多い。M-1どうだった?飲まれた。という率直な感想。上には上が詰まりまくってる芸人さんを思うと、社会人の3ヶ月ごと1年ごとの締め切りはありがたくもあるなと。それなのに「締め切りは発明の母」と分かっていても時間にこれまた、飲まれてく。仕事はしてる。活躍はしてない。M-1 2回線、ごみ粒のようにくそみそに滑った僕は、立川談志の落語を聞いて落語家を諦めた伊集院光立川談志噺家を辞めた理由を話す話、これを思い出していた。

伊集院光・立川談志との対談「噺家を辞めた理由」 | 世界は数字で出来ている

 

そんな中、いただいた佐賀出張は"初めて"だらけでありがたかった。まだまだ知らないことが多い。何もない田舎につけるコピーの1つに「ここには”何もない”がありました」みたいなレトリックを使いがちだけど、それ言うのも恥ずかしくなるぐらい何もない佐賀駅周辺。

そう思ってるくらいがちょうどよくて期待してない分、海苔の美味さにノリノリ。佐賀牛の美味しさに思わずウッシッシ。イカイカった、さっきまで生きてたのに上司がお醤油かけるから。連れてってもらったお店は雰囲気がよく、日本酒がまぁ美味しい。お酒も回りながらこの時代に出版社ができることは何かって話、男5人、囲炉裏はじんじんあったかい。

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「35歳までにイノベーションを起こした経験がないやつは一生起こせない」と、点と点を線にして線と線を立体にして1人エレクトリカルな仕事を作り上げてる上司が熱く語る。この方向性に憧れてなりたくなっても先がいるなと諦める。心地よく想像の先を行くツッコミとセンスで優勝した霜降り明星を見届けた後、東京ホテイソンはどうするんだろうとこれぞ素人の余計なお世話。どの業界も上には上が詰まり過ぎてる。僕は僕で自分の価値を見つめ直して、こうなったらどこまでもサーフェスを突き詰めてやろうかなと思う。

 

佐賀。ついでに足を伸ばして帰省。熊本駅はほんとに降りた途端、焦がしニンニクの香りがするから気をつけなんよ。8か月になる姪っ子を抱っこする。90になる爺さんと焼肉を食べる。

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「ここにちょうどよか石があるけんいつもちょっと休んで行くとよ」と神社までの道すがら、人ん家の石垣にすっぽりこしかけるお茶目爺さんはその昔電電公社に勤めており、54年前のオリンピックの話を今でも見事に話してくれるボケ知らず。そんな爺さんが同じ高校の先輩として誇らしくもあるし、孫が同じ高校って我ながら孝行したなと誇らしい。爺の頃も予餞会やってたのかな?理系だったから兵士には取られなかったらしい。戦闘機作ってた70年前の少年は、まさか後に自分の孫が母校で漫才をするとは思うまい。昨日のことのように話す東京五輪当時の電電公社の話は聞き飽きたフシもあるけど、社会人人生、繰り返し思い出したくなる"シーン"があることはとても羨ましかったりする。

わたしが一番きれいだったときと茨木のり子が語り始める。今でしょと林修が返す。オレは今なんだよとオレの中の桜木花道が言う。男は三十超えてからだよなんて言われると、えっあと3年もこんな感じなんですか?いや、いい!いい!ってなるぐらいびびったりもするけれど、自分に言い聞かしてるのは、ただただ置かれた場所で大満開。咲かない花はただの草。花も実もある根も葉もない。成し遂げる添い遂げるやり遂げる。遂げる。遂げたもん勝ち。ほんと遂げたもん勝ちですよいや、遂げたもん勝ちってなにー?

 

おかげサマサマ、先月27歳になりました。お祝いはいつも嬉しい。祝ってくれた人はちゃんとメモしておいて確実に返す。打ったら戻る真ん中に。祝われたら祝い返す確実に。期待をちょっとずつ上回ることが、できる営業マンの秘訣らしい。神経図太く嫌われる勇気。心を太くと書いて読み方心太(ところてん)。そう、ユーモアはいつも救いだ。
熊本帰った時飲んだ僕らの神さまナカシマくんは「こないだ”喉元過ぎれば”に書いてたね!」「今日の話もどうせ”喉元過ぎれば”に書くんでしょ?」と口にするけどごめんこれ、”心頭滅却すれば”なんだよな。彼国語得意なはずなのになと思いながらも、そのうち”犬も歩けば”とかになりそうだから今のうちにちゃんと訂正。"風が吹けば"、"虎穴に入らずんば"、"念ずれば"ってif系ことわざをいくら並べても1円にもならない言葉遊び。「20代は、いい30代過ごすための予行演習である」なんてのんびりしてたら見事に控えメンバーになってしまいそうで、そろそろちゃんと死にます死にますはいはい、あーもう今死のうと思ってたのに!(死ぬほど生きる)