心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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年末。

コピーライターほか広告関連の皆さんとの忘年会の話から始めよう。最近お付き合いすることができた僕の、ガールフレンドとのやりとりをすぐ見たがるのよやめてくれ。付き合う前の、一番最初の2人のやりとりをスマホ取られて読み上げられて、しょっぱなから節が全開の僕を見てみんな笑う笑う。節(ぶし)。ほしかわ節。

メッセージのやりとりができるようになった喜びと、なんかちょっとまだ丁寧さを保ってたい僕の最初のメッセージの文末「引き続き何卒へへへ!」。あまりのほしかわ節に僕も笑うしかない。「”何卒”の後って普通、”よろしくお願いします”じゃないの!?」と広告とか言葉とか大好きな人たちがいじるいじるさげすむさげすむ。こんなの序の口、一番最初に彼女から連絡もらって照れ隠ししたかったのか僕「恥ずかしいやら嬉しいやらの火曜日夕暮れ時です!」とかも送っていて、お前よくこのスタートで付き合うまでに至ったなと、終盤は褒められるまでになってた。

どこまでもいじられた後でガールフレンドにそのことを話してみたら驚かれた。どうやら僕の周りもみんなこんな感じの人たちだらけだと思ってたのだ。ごめん、全然そんなことないよ。1人、変なのよ。何卒へへへなんて、この業界誰1人言わないのよ。

 

かの有名なコピーライター糸井重里さんがコピーライターの殿堂入りとされるTCC(東京コピーライターズクラブ)「HALL OF FAME」を受賞された際のスピーチでこんなことを仰っている。

「コピーライターをもう44年やっている。コピーライターを44年やっているとどうなるのかと考えて、おかしいな、という気持ちがある。例えば、桶を作る仕事の人だったら座りだこができている、毎年神輿をかついでいるおじさんは肩にこぶみたいなものができている。プロフェッショナルになるということは、ずっとやっているがゆえに変形してしまう部分があるということ。ではコピーライターはどこが鍛えられているのか。44年やってても、どこかの筋肉が太くなったり、タコができたりしていない。それはすごいことじゃないか。やればやるほど、普通の人になっていく。それがコピーライターという職業じゃないかな、とこの頃思うようになった。あえて言うならば、どんどん余計な筋肉がなくなって、今流行りの言い方で言えば、インナーマッスルみたいなものだけで、自分を立てていっている。普通の人以上に普通のことを考えられる。今日いただいたホールオブフェイムは普通の人の証。これをもってさらに磨きをかけた取り柄のない人になっていこうと思う。普通の人でも何でもできるっていうのが僕の一つのコンセプト」。

TCC贈賞式開催される 糸井重里氏がスピーチ「どんどん普通の人になっていくのがコピーライター」 #ブレーン | AdverTimes(アドタイ) by 宣伝会議

 

中2の担任武藤先生が凄まじく教育熱心で、生徒に毎日日記を書かせていた。それだけじゃない。その中から季節感やイベントごと、生徒の成長が保護者にも伝わるような数人の日記を抜粋し、手写しした学級通信その名も「たけのこ通信」を毎日出していた。日記を書き写して〇〇君とか△△さんとか名前も入れて、もちろん時には日記の作者を匿名にして。学校生活で毎日学級通信が出たクラスは後にも先にも武藤先生くらいである、なんというたけのこ収穫祭、もうずーっと雨後(の筍)。

余談だが高1の担任、原先生はこれぞさすが体育の先生というだけあって4月に出た最初の学級通信のタイトル「号外」。いや、号外とは定期刊行物があって初めて成り立つ日本語である。結局「号外」は年に3回、1学期に1回ずつしか出ず、その刊行ペースだけは立派に”号外”だった。

で、今でも覚えているんだけど中2の正月明けの最初の日記。みんな「年末の時間の流れは特別でした」とか「親戚に会えて家族の温かさを感じました」とか書く中で、僕は生意気にも逆張り「大晦日も元日もいつもと同じ24時間で、何も特別なことはないんだなと思いました。」って書いた。「そんな普通の1日をこの冬休みも家族で無事に過ごすことができて、普通である幸せを感じました。」とか続けて。

思惑通りと書くとやらしいけど、次の日のたけのこ通信に載ることができた。別に毎日載りたかったわけではないけど、自分なりに日によって勝負をかけていたんだと思う。文化祭、体育祭、人生エピソードトークの始まりである。匿名で数人の正月の感想が載った学級通信を持ち帰って母に出す。不思議なもんで「これあんたやろ?」と、僕が書いた文章を一発で当てる。思えば文体の浮き具合が尋常じゃなかったんだと思うし、「何卒へへへ!」で笑われる今の今までそれがずっと繋がっている。多用するほしかわワードがいくつかあって、ヘンテコ、ゴキゲン、とびきり、助け舟がたった今沈没しました、何そのリトマス紙ゆるゆる!みたいな言葉遊びがずっと大好き。コピーライターではないにせよまだまだ普通の人にはなれそうもありません、糸井さん。

僕が個人的に日記をつけ始めたのも中2だ。内容で到達できないから華美に頼る。華やかで美しいことと、動植物に寄生し、あるいは飲食物・衣類・器具などにも生ずる、下等の菌類カビが同じ音って日本語どうなってんの?とまたこねくったりしながら。

 

年始。

2013年からブログを書き始めて毎年考えてるその年のコンセプトがある。

2013年「循環を大きくする。」

2014年「語ってもらう。」

2015年「誰で、どこへ向かうのか。」

2016年「人間らしくやりたいナ。」

2017年「うけ(いれられ)たい。」

2018年「考えないは、ない。」

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たいてい新年は目標を聞かれがちだけど目標とは少し違って、迷ったとき選ばなければならないとき、「だって今年のコンセプト〇〇だからこっちだよ」と道しるべになってくれるような、1年間のコンセプトを今年もまた掲げる。

2018年「考えないは、ない。」と掲げて、相当数間違えたり失敗したりした。力及ばずだったり、良くない憧れだったり、謙虚と強気、感受性と変化の兆し、考えようとしても考えが及ばないことばかり。それでも、前述の素敵ガールフレンドがほどいてくれることが多くて、やっぱり周りの人に笑わされることも多くて、こうなりたい自分が今までより明確になってきた。「考えないは、ない。」手ごたえ、あり。

 

さぁ2019年。なりたい自分が見えたのならそこに向かっていざ、ゆけ無敵の若鷹軍団。これ少し野球と似てて、短距離のキャッチボールをいくら繰り返しても手投げの癖がつくだけでフォームは小さく固まっちゃう。実はロングスロー、体全部使って長い距離を投げることも大事。ボールを遠くに投げることで、初めてわかる使えてない筋肉、修正点。あれやりたいこれやりたくないを整理して、過去と未来をバランス良く繋ぎたいなと考える。と言うのも例えば今日めちゃくちゃ努力して徹夜で間に合わせて頑張ったー!じゃあねで人生って終わらないから。今日を伸ばすと、明日が縮む。当たり前すぎるこの事実も、その場しのぎの間に合わせ、やれてます雰囲気だけでここまで生きてきてしまったためけっこう脆い。「未来」と「バランス」をコンセプトに入れたいなと考える。

年末、体操部出身の友人とビリヤードして一通りプレーしてさぁ帰るぞってなった時に「ほっしーこう打ってるからもっとこうしたら?」とフォームのアドバイスをもらって、やってみたらめちゃくちゃ上手くできたわけ。さすが体操部、完璧な指導を受けて思う「帰る時間なのに!?」、これも1つ「未来」と「バランス」。サバイブ力がないくせに準備をしないって何よ。イワヤマトンネルで泣きたくないならちゃんとフラッシュを覚えさせるべきだし、「今」を引っ張って苦労するぐらいなら「未来」が「今」を助けに来なくちゃと思う。なにそれ~伝われ~。

年末、何でもお見通しのボスとのミーティングでも「役に立つ苦労もあるのに、お前みたいにぼーっとしてるからしなくていい苦労になっていく」って言われてオミトオシ~。ビリヤード終わった後にビリヤードのフォーム身に着けることほど徒労はない。徒労は取ろう、取り除こう。大きな目標を掲げて人生を一本の数直線で見ることができるようになりだしたからこそ、今が未来を助けるのだ。

 

2019年「未来を助ける。」

今年はこれを掲げて、迷ったら未来の自分に感謝される道を選ぼうと思います。今年もまたたくさん口先をこねくり回しながら。

 

正月、地元の街を歩くだけで30人以上の同級生が自然と集結して、とびきり居心地が良かった。こんな何も得るもののないサラリーマンの言葉遊びブログを読んでくれる友人も多少いて、限りなく嬉しい限り。

ラグビー部のハマダ君は飲みながら「お前のブログ面白いけん毎回読んどる」と言ってくれたところまでは嬉しかったけど、「1つだけお願いがあるつたい。1回で良いけんお前のブログに俺を出してくれん?頼む!どうしても!分かった、ちんちん出すけん!」

彼は人のブログをなんだと思ってるんだ。別に僕は、誰のちんちんがどうだったというちん評ブログを書いているわけではない。くだらなくて笑える。ナカシマ君がこのブログを「喉元過ぎれば」と呼べば、タニムラ君は「船頭多くして船山に上る」と呼ぶ。くだらなくて笑える。

くだらなくて笑える今もきっと、未来を助けてくれる。そんな気がしてる。