心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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忘れらんねえよというバンドの歌う「いいひとどまり」という曲にこんな一節がある。"いい人どまりのぼくは優しさしかない。なのにさ それすらなくしてしまいそうなんだ"。この一行が聴きたくてリピートする。分かる。今風に言うと分かりみ。分かりみが深い。でも意地でも分かりみとか使いたくないからいっそ”分かる”のニュアンスで「分からず〜!」って言ってみたくなる。めちゃくちゃ相槌の間合い整えて、ひとしきり話聞いてあげた後に「分かる〜」の空気感で「分からず〜!」って言ったらうけるかな。

「なんとかなるやろ」でこれまで生きてきてしまった功罪の功が楽観的でポジティブなわたしだとしたら、罪はなんとかしてくれた人への恩を軽視しがちなことかもしれない。がんばりどころも、がんばり方も、学生時代とはまったく異なる。自分のマネジメントができないやつに、部下のマネジメントがどうしてできようか。いや~ない。心のお椀を必死で上に向けたとて合わない水はたまらない。このキャラクターでその巻き込みしたらそりゃヘイト稼ぐだけだって分かってても、開き直って居直ってることがある。3年5年10年の壁があると聞いたことがあって3年が一人前になる壁だとしたら、5年目は自分の実力を正しく認識して周りを巻き込めるかどうかだと思う。会社員をやっているということは自分1人の限界はとうに気づいていて、それ以上に世の中に意義ある大きいことをやろうと気づいているはずなのだが、そのための巻き込み力は今年度の課題だ。喜怒哀楽も過ぎるとリアクションが取れない。分かってます、分かってますが、っていうのはたいてい分かってないことが多い。人って変わらないけど、変わらないのは分かってないからだ。じゃ、分かるってなんだ。分からず〜!

”愛すること 信じぬくこと 馬鹿にされても揺るがないこと それさえあれば絶対に大丈夫だから そんな歌をうたいたいのに まだまだ僕は弱いよな

君の髪が風になびいて 微笑んだ顔 光に溶けて 世界で一番君はうつくしいひとだ
そんな歌をうたいたいから もう少しだけ強くなるよ”

いいひとどまりの歌詞はこう続く。誰かを励ましたり、笑わせたりしたいけど今の自分にそれができるのかな。現実は素直さだけじゃやっていけないと、心の開け閉めの方法が分かって、ぷつんと糸を切らしちゃうこともある。で、多方面に謝り続けてる。失礼しました。お詫びします。申し訳ございません。陳謝いたします。自尊心を自ら捨てに行くと、さすがに気づいて、いやそういう方向に向かうのは違うよなって方向修正。執着や根性がなく、いろいろ諦めたり捨てたりしてきたけどお叱りをいただく度にこみ上げる悔しさが、最後の希望なのかもしれない。そういえば一つ思い出したんだけど今じゃ長友選手のかわいいお嫁さんとして大人気の平愛梨さんが女優だったころ、映画20世紀少年の実写版で3000人のオーディションからカンナ役に抜擢された時に、劇中のカンナの役割”最後の希望”にかけて、私も女優を辞めようと思ってましたがこの役が私にとっても”最後の希望”です。と言ってたインタビューを見て、いや原作ファンからするとあなたの女優人生は関係がないし、別にそのコメント上手くないからな。と憤ったことを思い出した。まったくおこんないよーとゆるふわに生きているつもりでも、現実はこうやってプチ憤りが多くて、人としてかっこいいもんじゃないけど自分は死んでないなと嬉しくなる。臥薪嘗胆も悔しさを忘れない強さが必要。心のお椀も上を向け続ける強さが必要。実力をつけたいと思っても、実力なんて環境と評価でどうにでも変わるし、ならば評価されなくても自分の人生、経験を積んで人ができない体験を重ねて自分がなりたい自分に駒を進めていくだけだ。で、なりたい自分は各方面に迷惑をかけて謝り倒している自分ではないので、もう少しだけ強くなるよという歌詞が響く。

根つめて回ってないときでも、27歳めちゃくちゃ苦しんだよなという実感をあとから振り返りたいので、できることを一つずつやるとする。できれば周りに少しずつでも恩を返しながら。