心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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テレビが映らなくなって久しい。いいえ、別に壊れたわけではないのよ。困ったように笑って見せて電池のふた外して2,3回コロコロやってふた嵌めなおして赤い四角の電源ボタンを押してもつかない電池切れにまた困って笑って見せて手を広げたりして。一人暮らしも10年目。家具が少しずつ音を上げ始める。次買う家具たちは値を上げ始める。やれやれが様になってくる。「まいったな」とかって口に出してみる。10年経っておじさんの入り口に立ってコシバイに興じてる。たまにゴキゲンな時は「ただいまっと」って言ってる。これ「ただいま」じゃなくて「ただいま(お)っと(誰もいないんだっけ一人暮らしなのにおかしなもんだな)」までがみそ。声に出して読むほどでもない日本語が好きなんだ「イッケネ」とかさ。

ちなみに電池が働いたからと言って、受信料をちゃんと払っているのに、築30年近い僕のオンボロアパートはNHKが映らない。バカバカしいんだけど雨が降るとNHKが映り、その他の民放はすべて映らなくなる。雨が何かのスイッチを切り替えていることだけはたしかだ。雨が降るとNHKは映る。晴れるとNHKは映らない。あと東京にいるのに東京MXも映らない。大家さんに聞くと管理会社に言ってくれと言われ、管理会社に聞くと大家さんに言ってくれと言われる。めまぐるしい反復たらい回し。新種目反復たらい回し。そんなときは早々にリタイア、諦めが肝心である。これがなくてはならないものがあまりないことに、たまに救われる。1つだけ残念なのは甲子園が見られないこと。雨が降ると見られるんだけどそこは高校野球、雨天中止で嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ーーーー!(サイレン)

かまってもらえるのが嬉しいわんころみたいな性格をしているので、そういや初めてNHKさんが来たとき、僕はばかみたいに「はいはーい!」なんて勢いよくドアを開けた気がする。開けて目が合ってNHKなんですけど、と言われて数秒のきまずさ。たぶん向こうからしてもこんなに勢いよく出迎えてくれた人はいないと思う。そんでもって「受信料ですよね?」とこっちから切り出すぐらいに空気を読む人間だ。薄ら笑いか苦笑いを浮かべて「はい」と頷く集金の方を前に、「ちょっと考えます」と一度ドアを閉めてしまった。止める足も入れられないぐらい素早く。さて何を考えると言うのか。開けたが最後なのは変わらないのに。ドアに背を当てて一瞬考える。さながら「お母さんなんて知らない!」と自分の部屋に閉じこもった思春期の娘である。どうしよう、どうにか払わないで済む手はないか。使ってないクレジットカードを出そうか。今持ち合わせがなくてと答えようか。一度閉めることに成功したこのドアのかぎをガチャンとかけてあとは布団にくるまってただただ時が過ぎ去るのを願おうか。2秒くらい考えて諦めた。諦めが肝心である。できれば心の中のやましさを減らして生きたいものだ。天知る地知る我知ると、中学野球部の上野先生も言っていたし。戦うと決めたら思ったより最後まで戦う必要が出てくる。今まで戦った経験が少なすぎて知らなかったぜ。

 

NHKが映らないうちのテレビはついに最近全チャンネルが映らなくなった。なに、リモコンの電池が切れたのだ。ここで問題次の文を英訳しなさい。「単4電池ってどこに売ってるのですか?」。"乾電池"とだけスマホのメモに残しても、買い物中にスマホのメモを開くことがないから意味がなく、帰り道にあるコンビニに僕らが吸い込まれていくように、人間、導線がないと動線にない動きはなかなかしない。せっかくスマホに「乾電池」とメモしたとて、メモを開く機会は街で見かけた素敵な広告コピーをメモしようとするときしか開かなくって、あ、この言い回しいいなーメモしなくっちゃと開いて飛び込んでくる「乾電池」の文字これなんの広告?

そういえば。一人暮らしを始めてから一度もテレビのリモコンの電池を変えたことがなかった。見た目はそのままなのに経年、10年前の自分はもういないのよ。彼はどこに行ったんですか?はい。Where did he go?

そういえば。うちの家、テレビのリモコンのことを「チャンネルポン」と呼んでたな。中学生ぐらいの頃に「チャンネルポンって何?リモコンじゃなくて?」と友達に尋ねられて、そう呼んでるのうちだけだと気づいたときは妙にショックだった。あと友達んちに行ってエアコン、テレビ、DVDのリモコンがなぜか全部ラップでぐるぐる巻きにされてたのも妙にショックだった。そんなことを思うと、少し前までケッコンは両家の愛情と愛情のぶつかり合いだと思っていたけど、両家の生活と生活のぶつかり合いでもあるし、マイルールとマイルールのぶつかり合いでもあるよなと思えてきた。ケッコンした人がみな大人に見えるのってそういうことな気がするな。ドライヤーも、電子レンジも、僕も、ベランダのウメモドキも見えなくても歳をとっていく。生活を共にすることはすごいことだ。勝てないなって思う。頭が下がりますって思う。

ほっこりやエモいばかりに囲まれると案外疲弊して何もしたくないー!って時って、本当に何もしたくないことは実は少なくて、眠たかったり深呼吸したかったり酔っぱらってみたかったり誰にも邪魔されずに白線部分だけ歩きたかったり誰かに聞いてほしかったりするな。同じように「休日」って単に仕事が「休みの日」じゃなく「休む日」だと自ら決めて、休むためにも人に会ったり何処かに行ったり美味しいもの食べたりバカ笑いしたりすることが大事なんだと思いました。疲れたり落ち込んだり心にヒビが入ったりその言い方は無くないですか?と思ったり言いたいことがあったりなかったりするけど、活躍はしたいしなりたい自分は確かにあるしこれぐらいでくじけるのはシャクだし今に見てろよと思うし別に我関せずでも構わないし意思と大志を持って幹を太くしようと思いました。

キリン  缶コーヒーFIREのコピーを置いておきます。

「疲れた時は、この仕事に就きたくて就きたくてたまらなかった頃の初心を思い出してみる。」