心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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話はとある若い研究者の「失恋」から始まる。

論文だけが生きがいの彼は、四六時中、論を考え、考えに考え、書いていた。しかし実際のところ論文なんて呼べるものなんて一つもなかった。理由は彼の研究スタイルにある。彼はいつも自分の身の回りに起こることを中心に研究していた。自分はこの時どう思うのか。事象は心象にどんな変化を及ぼすのか。そんなもん研究と呼べないことは彼も分かってはいた。それでもメモを取り続けた。考えてはメモを取り、メモを取っては「論文」にまとめた。それはあっという間に100字を超え、1000字を超え、10000字を超えた。彼は書き続けた。彼は実験が好きだった。自分で確かめなきゃ気が済まない性格だった。仮説、検証を繰り返して学説を提唱したかった。そんな彼が恋をした。彼は彼女が大好きだった。

あまりにn数が少なすぎる彼の論文は当然どの学会からも相手にされなかった。統計も何も、n=1では法則性すらろくに見いだせなかった。それでも彼は研究を続けた。時には、新しい業界の基準になるような権威ある学説にすら噛みついた。「この論文を私は否定したい!」そうやって声高らかに叫べど「なぜなら私に当てはめた場合、この部分は当てはまらないからだ!」と、否定はいつも自分の体験に基づくものでしかなく、駁説にも反論にもなっていなかった。「僕はそう思わない。なぜなら、僕はそうは思わないからだ。」と繰り返しているようなものだった。それでも彼は自分の身をもって感じることしか信じなかった。自分の身をもって、自分の頭をして、自分の肌で感じたことそれだけが、それこそが、正しいと思っていた。

誰に届くことのないメモの山、紙のごみを積み重ね、あーでもないこーでもないと一人もがく。もがきながら書く。幸か不幸か、脳内裁判1人遊びは幼少期から得意だったらしい。書いていくうちに彼は気づいた。100ある自分の感情を、100のまま残しておきたかった。どうやっても受け取る時、100は80とか50とか場合によっては170とか202になる。100を100のまま残しておくこと。彼曰く、どこかの世界の自分がそれを読んだとき、自分と同じ人がいるぞって気持ち悪くも少し可笑しく、共感してくれたらそれでよいということらしい。いつ誰がそれらの紙ごみを読み返しても100のままの自分がいる。いつ読み返しても、その中の自分の100が100のままであれば、彼は永遠に生きられるのでは、とさえ思うようになっていた。くすくす笑ってくれればよかった。論文はいくらでも書けた。

そんな彼が、失恋をした。なに、よくある話だ。この世界中に溢れかえっている失恋の1つ。一人が一人と出会って恋をして惹かれ合って愛し合ってすれ違って別れて気が付けば元通り独り独りになった。気丈に振舞ってるなという感じが出ているぐらいには気丈に振舞っていた。さすがに振られた直後の数日は目も当てられなかったが。

数日後、彼はまた今まで通りタイピングに向かっていた。外出中はいつものペンとノートを取り出した。また論文を書き始めるのだろう。元気になってくれたらいい。大丈夫。大丈夫になるための行動だ。最初のメモを見せてもらった。「三大欲求のうち食欲と性欲が、死ぬ。」とある。ははぁ、なるほど。彼は振られたことすらも論文にする気らしい。100を100のまま残す。世の中、パターン化することで零れ落ちるものも多い。数多のカップルがくっついたり別れたりしているが、だれかが恋を失ったとき、100を100のまま残している記述はほとんど見たことがない。僕は彼の研究を応援することに決めた。

もともとの彼の貧相な薄型なで肩は、たしかに痩せ細って滑り台。ちゃんと寝られてるならまずは大丈夫だと言ってやったが、人間ずっと寝てられることもなく起きてぼけーっとしてまた寝る生活を重ねる。「腹はすかない。食べてないのに吐き気はする。」「空いてないか、穴が。鏡で確認する。空いてないことに安心する。空いてないんかいとガッカリする。」彼の「論文」を今こうしてこっそり読んでいる。100を100のまま伝えるのだ。憐みも哀しみも同情も励ましも要らない。寄り添うように「論文」を読む。

 

どうやら彼が振られたようだ。失恋4日後の「論文」には「“失恋”でプレイリストを探して出てくる加藤ミリヤメドレー、一ミリも共感しない。」とある。少しづつ失恋あるあるを書くようになっている。かと思えば「人生にバッドニュースはつきものだ。だからこそハッピーがあるんじゃないか。」とどこかの洋画で拾ってきたような言葉も並ぶ。

「この切なさを全人類が通っていく道だとしたら、毎度みんなこんな気持ちになってんの?なぜ恋してんの?なに恋なんかしてんの?」と急に言葉使いが若返ったなと思えば、「愛しい」とだけ書いてある日もあって読み方に詰まる。かなしい。「Lovers Again×。もう恋なんてしない△。マリンスノウ〇。かたちあるもの◎。」どうやら失恋ソングの共感具合をランク付けしているらしかった。かたちあるものの◎の右下、小さい文字で「柴咲コウに似てたから」とある。綺麗な人だったのだろう。感情移入の仕方は人それぞれだ。

 

以下は振られて6日後の「論文」より。

タモリさん高橋さん八嶋さんこんばんは。よく青春漫画で主人公が失恋したときに、主人公の友人がそんなに落ち込むなよ、女なんて星の数ほどいるよといったセリフがありますが、太陽は1つしかないだろと私はいつも思ってしまいます。そこで思ったのですが、振られた友人にかけてあげる一番優しい言葉ってなんなのでしょうか。これってトリビアになりませんか。このトリビア、つまりこういうことになります。「振られた自分が友達に声をかけられて最もうれしい言葉は〇〇」。懐かしいバラエティ番組風に彼は自分を使って検証を始める。

「よし、次の恋いこう!」しばらくけっこうです。が勝る。そうじゃない。「そんなにいい人逃しちゃったならこりゃもう皆藤愛子と付き合うしかないね。」バカらしさに救われる。矢先、モテない代表格の芸人さんが超有名女優と結婚するニュースも入ってきたし。「ちゃんと振ってくれた優しさってあるよ。」振られる側の多い彼には最初はしっくり来なかったけど、だんだん理解できるようになってきている。「今の時代、好きな人が現実にいて、その子が生きているということだけで幸せなことだよ。」ハードルを下げる作戦に出てみたり。「好きでいるにも、我慢はいるのね」分かる。「去る者追わず、追ってもまた去る。」という言葉の破壊力。「女なんて星の数ほどいるさ」は本当にそう。そうなんだけど、言われても何も思わない。なぜなら太陽は一つだから。太陽が眩しすぎて他の星なんて見えないし、見ようとも思わないわけ。「人生に無駄なことはない」ってのはすがりたくなるぐらい、信じたくなる言葉。そうだと思う。そうだと思いたい。自然と出会えたことへの感謝につながる。「出会いと別れを繰り返し 歩いてきた道を かけがえのないものと思う 今の自分ならば」とあるのはこれ平井堅の好きな曲の一節。

そんなこんなで彼が◎を付けていたのが「振られたからってなにもしないのが一番だめだよ」という幼馴染の言葉。そうだよね。うんうん。その日から筋トレを始めてみた。腕立て伏せを1日30回。たったの30回でも思い出す度に止めることができなくて、これもしや死ぬまで続けられそうな気がしている。少しだけ大きくなったおっぱいに、温かさはないけれど。

 

10日後から17日後には失望怒りやるせなさのターンと、いとしさ会いたさ存在への感謝のターンが交互に訪れる。「そこはお相手がいることですので」とだけ書いてある。まるで芸能人が交際をスクープされた時のリアクションじゃないか。「好きな人がいて、生きててくれるだけでなんて素晴らしいことなんだ。」「好きが通じた喜びを知っちゃったからきついわけなんだが。」を繰り返し書いているあたり、彼の中で葛藤していることが窺える。100を100のまま伝えるのは難しいと、彼も気づいていた。

20日後、なんと合コンに誘ってもらって参加しているではないか。心配して損をした!ただ「合コンとはいったいなんだこれは。誰も知らないだろう。今日のメンバーに毎日胸が痛く定期的に吐き気を催している若い研究者がいるなんて。そう思うと笑えて来る。」笑えるものではなかった。「昔、家の近くにあったスーパーのポイントカードみたいなものだ。失恋ってそういうことだ。」誰かにとって必要不可欠なものが、必要不要になる瞬間。誰も悪くない。かなしさだけがそこにある。

 

話はとある若い研究者の「失恋」から始まる。

彼はチャンスだと思った。チャンスにしようとたしかに思った。振られた自分の身に起こる感覚全てをメモにしておこう、何になるでもなくただただ。大好きな人に出会えた奇跡みたいなものを抱きしめて眠る。悔しさも腹立たしさもそれ以上のかなしさもあるけれど、寝れば朝は来る。腹はいつか減る。人生は続く。こうなりゃ皆藤愛子さんと結婚しないことには報われませんよ。合コン中にまさか誰も傷心中とは思うまい。ごめん、今欲求が2つも欠けてるんだ。そうそう、筋トレを始めてみたよ。もう会えないのかもしれないけど、次会う時ほんのちょっとだけ胸がある僕になってるよ。感動するぐらい素敵な出会い方の僕らだから、たぶんきっとまたどこかでいつか必ず会えると思うんだ。今はまだとっても好きだから会いたくないけどさ。君が話してた馬刺し、いつか食べに行けたらいいなと思います。どうか早めに時間が流れて次に会えるその日までスキップしてくれ。一回でも二回でも休んで待ってるから。

 

彼の論文を読み進めていくうちに僕はある一つのことに気づいた。

元々あれだけ自分のことばかり書いていた彼が、2人が付き合っている時の論文には一切彼が出てこないのだ。付き合っていた時の彼の論文は、全部が全部、彼女についてのものだった。「こんな話をしている時は楽しそう」「こういう音楽を聴くらしい」「見つめて向き合ってくれる包容力がすさまじい」「料理がとても美味しい」「口角をニッとするのが癖?」「彼女の匂いだけを肺いっぱいに持ち帰りたい」「信じられないぐらいに可愛い」

100の好きが100以上になって伝わってきたところで僕は論文の山を閉じる。

好きだったんだね。そりゃ幸せだったね。胸の真ん中は、まだ少し、もう少し、ずっと痛い。