心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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今年頭に福岡に行った時せっかくだからと卒業後福岡で働く大学の後輩を誘ってもつ鍋を食べた。再開の喜びも束の間、まだ鍋が沸騰する前に後輩から一言、「先輩ひげ濃いですよね」。驚いたのは確実に僕よりもその後輩はひげが濃いのである。言われて初めて自分がひげが濃い部類なのだと思った。いや、たしかにひげが薄い人間ではないのは分かってて、それはもう首毛ですよね?みたいなエリアからもひげがニョキニョキと顔を出すようになっているんだけど、それでも君に言われるのはちょっとなと思った。で、どうやら話を聞くと数十万をかけてひげ脱毛を始めたらしい。気づいた。追い越そうとしている。彼は「(俺もひげ濃いけど今に見てろ今に)お前は(俺より)ひげ濃いぞ(もしくは濃くなるぞ)。」という宣言をかましてきたのだ。久しぶりに会って仕事の話とか休みの話とか福岡のおいしいものの話とかそういうのを一切置いて、ひげの話をぶち当ててくる彼のひげ意識がなんだか怖くなって結局1時間半で解散した。人間、コンプレックスを抱えていると他人のコンプレックスに目が向くことがある。コンプレックスは人のコンプレックスに目を向けさせる。例えば「せーので目の前の人を傷つける一言を言ってください。」というお題を出すと、みんな自分が言われて一番腹立つ一言を選択する。当たり前の話なんだけど、そんなことがある。

 

「隠そうとすると、逆に目立つんですよね~」とテレビから聞こえてくる説になんとなしにアグリーする。先ほどのコンプレックスの話然り、悪目立ち。大学の大教室、あちらこちらで「おーす!」「おい!」「久しぶり~!」が聞こえる中、自分は気にしてませんけどって何を見るでもなくケータイを開いたその瞬間、あれ浮いているなぁ自分、のあの感じ。普通にしてりゃいいのに意識してしまった自分の情けなさ恥ずかしさ敗北感。隠そうとすると逆に目立つ。人間の心理、人生の真理。ふとテレビ画面に目をやる。「今年の水着特集」まさか水着のお尻の隠し方とはな。なるほど大きいお尻を隠そうと包むこむような大きいパンツは、逆にお尻の大きさを伝えてしまうという。「逆に出しちゃった方がいいんですよ~」と話す店頭のスタッフさんは、この短時間に「逆に」を2回言った。逆も真なり。高校の野球部の先生がもう絶望的に言語化が苦手で、それでいて時々の自分の流行りを元に指導する人だったから部員同士で目を見合わせて困惑することが度々度々あったんだけど、Aという指導をした後に、「逆も真なり」と伝えることがよくあり、自己否定でコミュニケーションをとってくる斬新なスタイル。「いいか?いいか?お前はこうなってるんだよ(動かすことは得意なのでガバっとジェスチャー)。お前はがーっとなってんの。これ、こうしてみるといいよ。こう。でもね、それを意識しすぎるとだめ。逆も真なり。」え、どっちよ?彼の語録は、それだけで野球部の僕らは朝まで語れるぐらい豊富なんだけど、先生もまた自分の伝え方の拙さを隠そうとすると逆に目立つ。逆も真なり。

 

トイレの個室が埋まってて並んでいる人達がいる。やがて個室が空いて中から1番始めに出てきた人に対して並んでるみんなの心の中の「なげぇよ」「スマホいじってんじゃねぇよ」「こっちは限界なんだぞ」とまなざし。いやいや、どのタイミングで個室が埋まっていったかは分からないけど、少なくとも彼は最も最初に出てきた人であり、むしろ感謝されるべきなのではないか。「なげぇよ」は、今まさに個室に入っている他の人に向けられるべきだ。正直に名乗り出たのに叱られた理科の実験みたいな気分だ。中学の時、泥岩砂岩礫岩がフィルムケースに3つに分かれて各班で見てみようという実験で、僕と瀬戸口君は泥岩砂岩礫岩をまぜこぜにしてしまった礫砂粘土岩石泥砂石鹸。隠そうと思えば隠し通せたが嘘をつくくらいなら何も話してくれなくていいあなたは去っていくのそれだけは分かっているから、僕と瀬戸口君は名乗り出た。当時大学出たての臨採マツモト先生(女性)は僕らをこう諭す。「あんたらがやったことはほんとしょうもないことだけど、正直に名乗り出たところは、、、えろい!」マツモト先生は肝心なところで噛んでしまった。正直に名乗り出たのにえろいと言われた。今で言う、えちえち。大卒のまだ若いマツモト先生。頬をあからめるマツモト先生。ざわつくクラスメイト。言い当てられてまいったなぁってなぜか照れてる瀬戸口君。当時のマツモト先生より3歳ぐらい歳を重ねた今でも、たまに思い出す話。えろい、いやえらい大間違いだ。

 

ってな感じで、何気ないことでも過去の経験と回数を重ねることで解像度が上がって、これは意外と先々までとどめておきたい言葉だなとか、このシーンのこの感情はあの時のそれと実は同じだなみたいな気づきとか、誰に言うでもなく書いておくのにブログはちょうどいい。SNSは反応を気にしちゃってだめだ。

大学4年の頃、サークルの先輩のブログを数年分振り返って読んでた時があって、その中の一文に僕はショウゲキを受けたことがある。久しぶりにそのブログを遡って拝借するけど、僕なんか文章を書こうとするときどうも、面白いことやためになる話をしてやろうと肩の力入りまくり、型にはめまくりになっちゃうんだけど、その先輩の着眼点に圧倒されたのです、それがこれ。

 

モスバーガーがあの垂れて垂れて仕方ないミートソースを全く改善しようとしないのはなぜか(あれを気にしないというのは、もはや長年の慣れから、モスバーガーの本社内がミートソースまみれになってるのではないかという結論)

 

流れる水のようにスッと、しなやかで、事象と心象を交差させて、ユーモアに着地させている。いつかそういうことが書けるようになりたいから練る。寝る。