心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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「聞いて驚くな。実家は意外とやることないぞ。」

いいコピーの条件が1にも2にも“発見”と言われる広告の世界、昨年末のNetflixのコピーから話を始めたい。余所者(よそもの)、オノボリさんの多い東京の山手線で掲出したこの広告は、これから帰省を控える人を中心に刺さったようで話題になっていた。

この夏の僕も例のごとく6日間帰省。前半3日は友人と遊び、後半3日はまるまる食っちゃ寝の日々。もっと言うと、起きて二度寝して朝飯があって甲子園を見てピアノを弾いて母校の小学校にボールとグローブを持ってって壁当てをして家に戻って庭で素振りをして寝て食べて寝て食べてあそこの指遣いはこうしたらいいかもなって思い出してまたピアノを弾いて懐かしい漫画パーマンを読んでブラックジャックを読んで夜になってさすがにこれじゃダメだなと思って明日からだなと誓って寝て起きて二度寝してそんな日々。この怠惰さを見てもNetflixが正論を言っていたことが分かる。高校球児もあっという間に10個下になった。体脂肪が当時の倍近くに増え、本当に僕はこの暑さの中ピッチャーをやってたのだろうか、とすら思う。

恥ずかしい話、けっこうな年齢まで甘やかしてもらったと自負している。覚えているのが、中学に入るぐらいまで体調が悪いと夜中にわざと大声でうなされて寝ている親を起こしたり、病院の待合室、自分より小さな子が我慢して待っているところで人目もはばからず横になりあーもうだめ死ぬなんてほざいたり、「さすがに幼稚でダサいよ。大人になろうぜ」と半分大人の自分がもう半分の子どもの自分に言う。そんな時期が確かにあった。甘えていた時期をはっきりと自覚していて、その恥ずかしさと家族への借りがあると思っているせいかその後の反抗期はちっともなかった。育ててもらってどうもすみませんありがとうございますの意識がけっこうある。普通こういうのはケッコンのあいさつとかケッコン前夜とかに考えるもんだと思うけど、フライングして感謝を述べる。そういや乳児の頃はアレルギーで芋しか食べられず、3歳で肺炎で入院し、5歳で水疱瘡で全身に疱疹ができて、ぜんそくは12歳ぐらいまで続いた。心配かける君、迷惑かける君と言われ、こいつ育てるのさぞ大変だっただろうな~と、どの写真見ても片手に芋を持ってる乳幼児の頃の自分の写真を見て思う。当たり前だけど育ててもらった恩を返すにはまだまだ足りず、何をどうすりゃいい?ってぼーっと考える実家の自室のベッドの上、パーマンにもブラックジャックにもその方法は書いてない。

 

8月頭に親父が還暦を迎え、お祝いメールの返事には「この子が将来どんな人になるか楽しみだね」と1歳5か月の、僕にとっての姪、彼にとっての孫娘のことが書かれていた。めちゃくちゃベタなこと言いますけど、子どもって本当にすごい。すごくないですか。こないだまで首も座っておらず目も開いてるのか寝てるのか起きてるのかちっこい人形みたいに固まってた生命体がこの夏にはぺたぺた家中を歩き回り、いないいないばぁどころか姉の「ゆりやんやって」の一声に、全米を沸かせたゆりやんレトリィバァのあの手の動きを真似するのだ。子どもって本当にすごい。君はちょっと前までどこにいて、これからどうなっていくんだい?孫が生まれてからというもの我が家の生活は激変、親父がまず庭を大改造して裸足でも歩けるようにと芝生を植えて、家庭菜園を作り、砂場も作った。あと窓からすぐ出られるためのデッキの縁側も。実家で寝て起きて寝て起きてしてる僕おかまいなしにガガガと朝からDIY。あっという間に棚を加工したキッチンもできたではないか。普段は基本的に家でゴロゴロしていて親父の仕事は家でゴロゴロすることなんだ税金とか大丈夫かな?と幼少期は思っていたけれど、あの男やると決めたことへのエネルギーは本当にすごいねと母と僕とで舌を巻く。思えば群馬の山奥から、この教授の元で学びたい!と九州の大学に1人乗り込んできたような男である。おまけに手先が器用ときたもんだ。

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隙あらばこのとんでもなくかわいい1歳5か月で写真フォルダがいっぱいになりそうになったんだけど、僕はあえてみんなでわちゃわちゃしてるとこをこっそり何枚も撮っていた。のこぎりギコギコやってる親父と姉と旦那さんの元へ、姪が近寄らないようガードしながら木くずを掃除機で吸う母と、全ての中心にいる姪っ子を映して、あなたの周りにはあなたを大好きで仕方ない人たちがこんなにいるのよと、たまに帰る叔父さんからの愛を写真に変えて。独身でお相手もいない僕の妄想か願いみたいなもんだけど、自分より大事な存在が増えて、存在そのものが喜びだったりする人を増やしていくのがケッコンの素晴らしいところなんだと思う。家族ってのはいいもんだ。そんなことを思いながら来月の友人の結婚式に向け頼まれた余興をぼーっと考える実家の自室のベッドの上、これまたパーマンにもブラックジャックにも書いてない。どうしよう。好きなブラックジャックのシーンでも1人で再現しようかな。

 

 

 

 

90になるじいさんは実は僕の高校のOBである。例えば熊本から新幹線で帰る6時間、暇すぎて06:49新横浜、08:12名古屋みたいに毎駅通り過ぎるたび時刻をメモしていたんだけど、じいさんの手帳に全く同じ書き方でバスの時刻メモがあって、マメなメモ魔はじいさんに似たんだなとハッとする。当時は熊本中学校という名前で、メモ魔のじいさんはさすがのボケ知らずで熊中のエピソードを今でも語ってくれる。「天皇陛下から放送があるち聞いて、日本は今度はソ連に宣戦布告すって思ったったい。ばってんどっかの学者さんが日本は負けたて言いよって、そんなわけあるかいて思っとったとよ。」という話を8月15日に聞く平和の尊さ。「で、みんなしていざラジオば聞いとってもガーガーガーガー言うてからいっちょん聞こえんだった!」と僕らを笑かしてくれるさすがじいさん。そういえば僕が高校受験に受かったことを一番喜んでくれたのがじいさんで、僕が投げる試合も毎回観に来てくれていた。「制球難。四球多し。」みたいなメモは恥ずかしいから止めてほしいけど。仮に孫娘が親父の母校に合格したら親父は死ぬほど嬉しいだろうし、僕の受験結果1つでじいさんの生きる喜びを与えられていたんだとしたら、少し借りを返せた気がして嬉しい。帰省してそんなことを考える。実家は意外とやることはないんだけど、昔の自分と地続きで答え合わせができる貴重な場所である。

 

僕が熊本から上京した2010年4月のNHKみんなのうたBUMP OF CHICKEN『魔法の料理 〜君から君へ〜』だった。熊本前半の3日間、阿蘇をドライブしてるときたまたま流れてきたこの曲を久しぶりに聞いて胸を打たれ、東京戻ってから早速聞きまくっている。18歳まで住んだ実家の部屋から1人暮らしの東京の部屋へ。僕から僕へ、今聞けて良かった1曲ですよろしければどうぞ。

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楽しみにして でも覚悟して

君の願いはちゃんと叶うよ 怖くても よく見て欲しい

これから失くす宝物が くれたものが今 宝物

君の願いはちゃんと叶うよ 大人になった君が言う

言えないから連れてきた思いは 育てないままで 唄にする

叱られた後にある 晩御飯の不思議

その謎は 僕より大きい 君が解くのかな

こんな風に 君に説くのかな