2013-11-03 23:33:08
ガクサイ。
うちのサークルの諸々の中で、僕は学祭が一番好きだったことを思い出した。
他のサークルが表へ前へ我こそ今こそ、やってる中
バカみたいに長い時間ずーっと内々にやるっていうあのブレない感じが。演目名から溢れるお試し感覚のばからしさが。
それでいて午後は対決っていう本気もあるし、何よりアドリブ感、ばたばた感がすんげぇ楽しいのだ。
もちろんしこたま疲れるんだけど、去年の達成感ったらなかった。崩れ落ちる達成感って、そう多くは無い。
1年目、1つもいい手ごたえのあった企画はない。ただドラフト合同の班長が速筆でばかができる人でこの人とできたことは後々ちょくちょく影響されたなと思う。楽しかった。あと3年対4年の対決で初めて4年のピンの先輩のネタを見たのだが、生まれて初めて涙が出るくらい笑った。あんな芸風見たことない。ただただファンだ。
2年目、ウケた数÷出た数で言えば打率5割くらいだろうか。楽しみ方を覚えた。バカ合同はすさまじく楽しかったし、場つなぎのお喋りも任された。ここでも1年目の班長とやる機会を頂いて当日の朝に合わせたのを覚えている。「当日の朝」準備することなんて人生でもうないんだな。
3年目、一番の仕事量が求められる中、風邪により全く声が出なくなる。多大なご迷惑をかけたから分かるんだけど、僕はひたすらみんなに支えられていた。打率は6割くらい。対決で、尊敬する発想ボケのツッコミ名人に勝てたことは僕は一生誇るだろう。今まで浅いとか弱いとか下手とか散々言われてきたし自覚も重々、限界を感じてた中で全部が報われた。声はからっきし出てなかったけど。
そうして迎えた4年目、僕は諸事情で出られなかった。
毎日考えてしまう。前以上にサークルのことを考えるようになったのは皮肉なものだ。平然と生きてはいるが、人に話したくて謝りたくてたまらなくなることがある。でもそうしたところで…というものなので何事もなかったかのように生きていくしかないと腹をくくった後メーリスのおもしろさにまた頭を抱える。これからもこの話題を表に出すことはないと決める。でも今日尊敬する先代にたまたまお会いしてちょっぴり泣きそうになってしまったことはショナイの話。
さて、前置きが長くなってしまった。
「おちこんだりもしたがなんのこれしき わたしは元気です」
故郷から母来る。
晴れ舞台を見せたかったが止むを得ない。
僕、僕の母、僕の母の友人、僕の母の友人の娘、でミヤコのセイホク祭を案内してきた。
ウチにいるうちに、ソトの人に案内するのは貴重な機会だった。失ったものはあれ有難いのかもしれない。
男子チア、ドラえもん検定、ゴスペラーズの後輩、怪獣の同盟、バンザイを研究する方々、ダンサーもコスプレイヤーも漫画大好きっ子ちゃんが描く似顔絵なんかも。
これにアイドルや芸能人を一瞥できたてたら、もう僕はきっと多分マスターだ、なにかしら。
エネルギーが大漁だった。
もちろん、目立つことが全てだと考えている人間を手放しでサイコーって言うほど僕はサワヤカ君じゃないし、
うるせぇなバカ誰が手前らの打ち上げ代に消えてくフランクフルトなんか買うかよ。っていう覇気をまとってはいたものの、
人が集まって何かやってる場所がただただ好きだ。どの集団に属していようがどんな作品だろうが敬意は表したつもり。いい場所だね、大学って。
あと、母ちゃんというものを、テレを通り越してちょっと笑えるようになったことも成長したと思う。本意ではないが、親孝行できた、かもしれない。
ドラえもん検定なるものに、4人それぞれ初級編でチャレンジした。
「ドラえもんの妹の名前は?」なんていう初級編。
僕と娘さんは余裕で合格したものの、4、50代のおばちゃんには難しかったようで
みな黙々と解いている検定会場で「ちょっとあんたここ何?」って聞いてくるあたりさすがうちの母。「言えるかよ」って言っといた。
そんな母の「わからなくても埋めようとするファイト」がいくつかのずれ回答を生み採点官の学生を笑かしたので、
母のずれ回答@秘密道具クイズ、3連発でお別れです。
Q:「もしもこんな世界だったら」と思ったことを実際に体験することができる。
A:もしもボックス
母:もしもドア
(惜しい。どこでも、があるなら、もしも、もあるとでも思ったのだろうか残念。)
Q:手にはめて「ドカン」と言うと空気のたまを発射することができる。
A:空気砲
母:ドカン手袋
(うーん。問題文からの推測は間違っちゃいないんだけど、しこたまダサい。)
Q:食べると、その表面にうつしたことを覚えることができる。
A:暗記パン
母:コピーまんじゅう
(すげぇ、近いのか遠いのかすら分からない。大変よくがんばりました。)