心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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日経新聞の日曜日版に「食の履歴書」という連載がある。最近読んだ山田ルイ53世の話から始めたい。

成績優秀、サッカー部レギュラー、児童会長も務める山田ルイ53世小学生は地元の名門中学へ進学。誰もが羨む未来明るい少年が一転、中2の夏に一変。恐らく前日に食べた牡蠣フライがあたったのか通学途中にウンチを漏らしてしまったことをきっかけに、学校へ行けなくなった。そこから6年に及ぶ引きこもり生活が始まる。食の履歴書という連載であるから思い出の飯を語るんだけど、それが父親が作ってくれたそばめしだったらしい。昼夜逆転生活の引きこもり。たまに勉強こそするが「人生が余ってしまった」という言葉の通り、ほとんど何もしない日々。だからこそめったに料理をしない厳しい

公務員の父が作ってくれた手料理に心を動かされたと言う。

それだけ聞くとほっこり日曜のステキ話で終わるんだけど、僕はむしろこの後に続く文章が好きだ。鮮烈な記憶に残るオヤジの味。これをきっかけに目標を見つけ、引きこもり脱却ーとなるほど現実は甘くない。しかもこのそばめしのレシピは父親が浮気相手から教わったと後から発覚する。愛人に習ったレシピを息子に披露するオヤジ。父の愛人発覚を利用して父母の間を取り持ちながら家の中のポジションを確保していく山田ルイ53世。そして飯とは関係なく引きこもりの終わりは突然やってくる。同年代の人たちの成人式のニュースを見て急に焦るようになり、検定試験を受けてなんとか大学に入学。その後上京しお笑いの養成所へ通ってヒット。周囲の人は「その経験があってこそ今があるのでは」と意味付けをするが、「引きこもりは完全に無駄な時間だった。後悔している」と本人は言い切る。おもしろい。

そうなんだよな。何か1つ感動的な出来事がきっかけで変わるなんてことは実はそんなになく、いつの間にかできるようになっていたり本人の気持ちとか全く関係なくパッと動き出したりその間に無駄な時間が確実にあったりするよな、と受け取る。入社4年目で初めて部下と呼ばれる存在ができたんだけど、当時は上手に指導ができずずっとモヤモヤしていた。わりとすぐチームは解散になった。7年目の今、改めて1年目と話すとここを丁寧に教えよう。ここは少し引き締めようみたいなコントロールができる(ようになっている。そんな気がする。そうだったらいいな)不思議。あの頃どうやったってできなかったし、当時かなり頭を抱えていたことが、頭を抱え続けた結果できるようになるとか言うことは呆れちゃうほどない。何か感動するきっかけがあったわけでもない。多分、時間が解決するってのは忘れさせるだけじゃなく、積み重ねてくれるという側面もけっこうでかい。漆塗りのように何度も春夏秋冬を塗り重ねて繰り返して、この季節の木々みたいに人もまた伸びていく。「人は、一生育つ。」というベネッセのコピーが好きだ。

昨年、新卒採用担当だった時、目をキラキラさせた学生さんから「どうして御社を選んだんですか?」って頻繁に聞かれたけど、ご質問ありがとうございますと共に、果たしてそれを聞いてどうするのかな?と疑問であった。今思うにおそらく、志望動機のきっかけ泥棒だったと思う。きっかけ探しのきっかけ横取り。はい、御社の採用担当の方の志望動機に共感したことが志望動機ですという構造。どうにもヒネクレ者なので「感動したい!」が透けて見える質問にはあえて「ここしか受からなかったんです。なんかごめんなさい笑」とまずガッカリさせた後、めちゃくちゃ分かりやすく自分の肌感覚のエピソードトークを1つして盛り返す、みたいなスタイルで答えていた。共感をしてくれるのは嬉しいけど、僕のきっかけは僕のものだ。多くのきっかけが後付けであるように、突然の「0→1」ってそんなにないんじゃないかなと最近思っている。日曜の新聞をそっと閉じる。

 

Official髭男dismを初めて聞いたのは幸運なことに、音楽関係のお客様からいただいた関係者限定チケット5曲やってくれるミニライブ。第一耳印象がとても良くて帰ってyoutubeで聞くとなになにどれも良いじゃんって第二耳印象まで良かったからハマった。その数か月後「pretender」でポーンと一気に跳ねたんだけど、彼らのyoutubeにいい曲が1曲だけだったらそれこそすぐグッバイになってしまったと思うのです。pretenderが当たったバンドって思われがちなんだけどそれが0→1ではなく、実は積み上げてきたこれまでの曲の0.1とか0.01とかが確実にファンの下地を築いてきたはず。偉そうで恐縮だけど、あ、これもいいじゃんこれもいいじゃんとyoutubeの次も再生してみようと思えるかどうかはこのコンテンツ戦国時代に結構重要で、確かに今までハマったアーティストもお笑いもそれがある。まじかSHISHAMOけっこういいじゃんもう1曲聞いてみようとか、マセキの赤もみじの漫才面白いなーもう1本見てみようとか。世間が気づいた時には既に追いつけないぐらい水面下で仕込み続けてきた良いネタが蓄積されている。仕事で自分ができるようになる瞬間もそれに近い。1日のすごく小さな成功体験、それは「成功」と呼べるほど何も成し遂げていないんだけど、自分を支えてくれる下地になる。何になるでもないどこへ向かうでもないブログだってそりゃ続けていこうと思う。あとこれは完全に余談なんだけど雑談でふざけて「髭男」ではなく「オフィシャル」と呼んだとき、すぐ「なんのだよ」って返してくれる地元の友人が嬉しい。Zoom飲みが新宿区と川崎市人吉市を繋ぐ。

昔、何かで読んだけど、「その人からもらった“嬉しい”の総和が一定ラインを超えると、人は人を好きになる」っての、当時は好きな女の子ができたらその子の嬉しいポイントを押さえて貯めていきたいな~くらいにしか思ってなかったけど、この「閾値」理論は自分が何かを閃く時にも何かを生み出す時にも有用な気がしている。そして0→1の最小単位が1とは限らない、いやむしろ小数点かもしれない。そんなことを考えている。

 

仕事で知り合った後輩とオンラインでさしで飲む。久しぶりに話したいですと連絡をくれて僕の嬉しいポイントが貯まる。将来は起業したいと志す彼の話に、若いね~て返しちゃう自分の中のおじさんに気づきつつも、事業を考えるのって面白い。どうやら今、オンラインスナックが熱いらしい。飲食業界はたしかに厳しいけど、話を聞いてあげられるママさんのスキルを活かしたオンラインスナックという需要が生まれているそうだ。一人1000円、ただのオンライン飲みなんだけどトークを回すママさんの安定感があるという。で、次のオンライン○○を探す。思えばマッチングアプリはちょっとしたオンライン婚活であるわけで、新しい何かが生まれる気配と予感と未来。オンライン○○を考えるのは楽しい。そんなとき「ロケットも、文房具から生まれた。」というトンボ鉛筆のコピーや、「想像力と数百円。」という新潮社のコピーから学んだ良いコピーの条件、「並ぶ言葉は意味が遠ければ遠い方が“効く”」という原則が自分のベースになっている。仕事の知識が思考回路に入り込んでてすべては繋がっているなと気づかされる。

続いてのお題「えっ!今そんなオンライン○○流行ってるの!?さて、何?」って大喜利を「オンライン肩たたき」「オンライン万引き」「オンラインだるまさんが転んだ」みたいにあーだこーだカシスソーダ。ふと思う「テレフォンセックス」って言葉は距離があってなかなかの破壊力。理論に照らすと「子ども店長」もヒットするわけだ。Zoom飲みは話しながら検索ができたり動画の共有ができたりするメリットはあるけれど、どうにも体験価値の共有はできないからここに市場のチャンスあり。こんなオンライン○○は嫌だ大喜利、皆さん考えてみてください。

その後輩がオンラインスナックに興味を持ったきっかけが、彼の兄が渋谷三丁目で焼き鳥屋をやっていて(めちゃくちゃ美味しい)、本人もそこで働いていたかららしくて人生は繋がっている。事業アイデアを考えようにも頭にないものは出てこない。僕には広告やコピーの下地が少しあって、彼には飲食やプログラミングの素養があって、0→1の間に0.1とか0.01とかもっと言うと肉眼じゃ見えない0.001があったりする。突然何の酒が回ったのか後輩が「ウェブ三丁目を作りたいんすよね~」と言い出す。何言ってるか全然分かんないけど響きだけで判断するに、聞きなれないワードの組み合わせで可能性を感じる。よさげ。「それってさ、ウェブの表記はカタカナ?もしくはアルファベット?」「どっちがいいっすかね~」「絶対アルファベットがいいよ!ちなみに3は漢数字だよね?」「3は漢数字っすね!僕の中で三丁目ってのは漢字なんですよ」「分かる~」そうなのだ。三丁目は漢数字なのだ。3丁目と書く人の気が知れない。言葉リテラシーが合わない。ウェブ三丁目とWEB三丁目とweb三丁目だとどれが良いか。WEB三丁目は字面がいかつすぎて看板みたい。Web三丁目とweb三丁目まで行くとけっこう好き嫌いだけど、個人的にはwebと三丁目の距離が大きくなるから全部小文字の方が心のひっかかりを作れそうだなって、気づけばあっという間に3時間ぐらい話す。オンラインでもお互いが感覚を共有して、対面ではなくても見えないものを言語化できると気持ちいい。自分の中にいくつか、まだ1に満たない0.001の集まりがあることに気づく。金曜のZoomをそっと退出する。

 

100年に一度、価値観がぐちゃぐちゃになる今を生きている。

人生は振り子と言うが、今回ばかりは揺り戻しは起きず、どこかまた違うところに飛んでいきそうだ。「女の子のわがままに振り回されて、遠心力でどこかへ飛んでいきたい」って高校野球部の先輩ジャックさんの名ツイートをなぜか思い出す。売り手市場から一転、一気に冷え込む就活市場とか、新しく生まれるオンライン○○とかこの数日この数か月はどこかへ行く途中、人生は地続き。生きてるだけで丸もうけみたいな豪快なメッセージングは二番煎じだし、自分がそこまで儲けてる実感もないからまだ発信に値しないんだけど、「生きてることはポイント制」くらいに思っている。外出自粛の今日この頃、あぁ君は映画ポイントが結構たまっているねとか、筋トレポイントとか自炊ポイントとか何気なく過ごす中で0.001が貯まっていく。つい「人生、無駄なことはないよ」と言いたくなっちゃうんだけど、ポイントだと考えると無駄もあるって受け入れられる。1回しか行かなかったカラオケ屋さんのポイントは還元できず何にもならなかったりもする。けどいつか、それらが閾値を超えて、生き血を得たとき、何かに変わる気がしている。

連休2日目お疲れ様です。今日は何をして何のポイントを貯めましたか。