心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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「クリスマス~お正月~ナイ~スコ~ンボ~♪」と歌っている間に成人式も終わってるし、建国記念も春分も終わりエイプリルフールですやん嘘みたい。
下書きに眠らせていた年末正月からの日々を供養しようと思う。時の流れに身を任せ〜あなたの色に染められ〜より、流れてく時のスピードに負けないように〜立ち止まってしまわぬように世代です。こんにちはこんばんはいかがお過ごし?デイバイデイ新たな世界へ。

冒頭のももクロZ『サンタさん』の歌詞が好きで、「選挙の日ってウチじゃなぜか投票行って外食するんだ」ってモー娘。『ザ☆ピ〜ス!』みたく、その時が来る度に思い出しちゃうフレーズで、久しぶりにクリスマス時期に聞こうとSpotifyで検索したら『サンタさん-ZZ ver.-』という曲もある。2年前にリメイクされてたのを知らなかった。
たしかに元の方は、一にも二にもももかが爆裂に輝いてて、Oh!サンタァクロオォスのとことか超いいんだけどご卒業されて、残った4人バージョンのアレンジがこれまためっちゃ良(い)かった。
学生時代がアイドル戦国時代、夏草や兵どもが夢の跡。当時あーりんが歌ってた「今年で15回目クリスマス!」は「今年で何回目クリスマス!」に。ももかが歌ってた「赤い服の由来なんか気にしちゃいけない」のところは、「しじゅー ごじゅー ろくじゅになろうと はしゃぎマス クリスマス」と、れにちゃんが歌ってる。アイドルとして年齢を重ねることの難しさやらあると思うんだけど、10年以上経っても鮮やかに可愛いままアップデートされててあたしゃ感動しちゃった。見てよこれ。
多分だけど僕も40、50、60歳になろうと はしゃぎマス クリスマス。
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同棲が始まってもうすぐ1年。
思えば1人だらだらYouTubeを探る時間は当然だけどなくなった。レコメンドがレコメンドを呼び、乃木坂聞いてたはずなのに寝落ちして起きたらかまいたち傑作漫才集になってるような、自由気ままな不健康が懐かしい。
現在はコンテンツ戦国時代、仕事をしながら暮らす日々の隙間は、新しいものを見聞きするには足らなすぎる。友達が強烈にプッシュしてくれたFRUITS ZIPPERを早速聞いて早速ハマる。今のアイドルってここまで可愛いを詰め込められるのかと圧倒される。
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調べると元HKTがいたり、元天てれキッズがいたり、アイドル10年やってる子がいたりで、ドリームチーム具合は侍JAPANを彷彿させる。
調べるとこれまで多くのアイドル楽曲を手掛けてこられたヤマモトショウさんが作詞作曲編曲で、「tiktokでバズらせる曲を」ってオーダーにバチコンと返してて才能すげい。振付は元PASSPO☆槙田紗子さんで、ボイストレーナーが元アイドリング遠藤舞さんで、と時代が一巡りしてアイドルOG達がプロデュース側で支えてるのエモい。槙田さんは2018年、文春オンラインのインタビューでこんな風に言っている。

――アイドル界が縮小していく寂しさは感じていますか?

槙田 でも、絶対にまたブームはくるので。5年後くらいかな。いまは入れ替わりの時期だと思ってます。

――5年後は、槙田さんはアイドルを支える側としてブームを牽引していくと。

槙田 次のアイドルブームを狙ってグループを作りたいと思ってます。

ちょうど今年がその5年後。アイドル一時代を築いた方々が育てる側に回った結果、tiktokで6億回再生とかされてるの見てあたしゃ感動しちゃった。

最近ハッキリとわかったのだけど僕は、巡り巡るものや、積み重なるものや、日々の繋がりが好きらしい。
邦楽の中でも木村カエラ『happiness!!!』の“全てがちっぽけな積み重ね 集めたら届くと思うの 君と同じ 時はいつもめぐる”だったり、SMAP『freebird』の“どこかに答えがあるのなら いつか飛び回ることを忘れてしまうよ 君との距離も寂しい時間も回り続けるからいいんだと思います”だったりの歌詞は、人生観にも大きく影響している。
巡り巡って時は流れて積み重なって、社会人まる9年お疲れさまでした。今日から10年目のTenthホシカワでございます。

(あ、もう1つ。あのちゃんのTHE FIRST TAKEがめちゃくちゃよかった。本人も携わってる作詞の韻の踏み方に惹かれるし、歌ってる途中に乗ってくるのが伝わってくる。あのちゃんっぽいインフルエンサーやらの可愛い子がどれだけ増えたとしても、この人にしか出せない魅力を持っててホンモノだ!ってなった。一挙手一投足に目が奪われちゃうから、あのちゃんは今も昔もずっとアイドルなのだよきっと。のんきに動画見てたらなんとご本人がYouTubeにコメントしてるじゃないですか、その言葉もホンモノだから言えるものだなぁと感心しちゃった。)
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はじめまして。anoです。あのちゃんて呼ばれてます。

歌を歌ってます。歌は自由だなって思います。苦しくもなるし楽しくもなれる。それをありのまま等身大でいることが許される気がする。だから好きです。

是非、たくさん聴いてみてください。

YouTubeはここで一時停止して外に出る。家から歩いて少しのところにお米屋さんがある。
師走に入り、年末に受け取れる搗き立ての餅の予約をしてみた。なんせ幼少期からきなこもちが好きなのでわくわく。「A4サイズぐらいです」と米屋のおっちゃんが教えてくれるも、自分の中で“A4”と“餅”が紐づかないどきどき。
朝8時から受け取れるそうで年の瀬の朝、早起きして1人取りに行く。寒いけれど晴れて澄んだ空気に「冬はつとめて」という一説が思い出される。帰ってきて直方体に餅を切る。食べきれない分はラップで包んで、彼女のご実家にもお裾分けしたりする。この汚れは何汚れかって酸性かアルカリ性かを意識する大掃除。ふるさと納税で頼んだふぐ鍋を食べる大晦日。初めて2人で過ごす年末は日常の画素数が上がる気がして、僕なりの丁寧な暮らしってこういうことだと知る。これまでの僕が見えていなかった世界や、素通りしてきた日常に目を向け解像度が高まる感じ。自分以外のレンズを手にするのが、誰かと暮らす楽しさの1つかもしれない。環境によって人は変わっていく。

2月頭、コロナ以降久しぶりにゼミの友人らで集まる機会があった。アメリカで働くキャリアウーマンもいれば、お子さんを連れて数年ぶりに顔を出してくれたママもいたり、あれだけ酒豪だったのにソフトドリンクを頼んでるからもしやと気づかれ、ご懐妊を祝われているプレママもいた。僕がTenthホシカワであるのと同様、卒業から10年近く経ったみんなもTenthなわけで、各々が人生をたしかに歩んでいる。
集合時間に遅れてしまったお詫びも兼ねて、商業施設で配ってた風船を1つもらって友達のお子ちゃんに渡したら喜んでもらえたんだけど、それ以上にママになった友達から驚かれた。「カケルがまさかそんなことをする大人になったなんて!」と、学生時代おとなしかったその子は言う。どうやら彼女から見た当時の僕は「飲み会で過剰な盛り上げをするあまり、顔を踏まれそうになった」り、「言い返したら何されるか分からないから何も言えなかった」「手がつけられない男子」という印象だったらしい。まじかよそれ本当に僕ですか?であるならば心底ごめんなさい過ぎる。
「かけるが変わってくれたって安心できたから、これからは飲み会にも顔を出せそう」と笑って言ってくれて、今まであまり顔を出してなかったのは育児の忙しさだけじゃなく苦手な野郎つまり僕がいるからだったのかって、自分の「人間の出来てなさ」をひどく後悔した。
たしかに今思えば、変な空気を多々持ち込んでしまった気がする。例えばゼミの先生が生協の「野菜バー」っていう塩味のビスケットが好きって聞いてたので、誕生日にみんなで渡す横で、ウケるかなって生のキュウリを渡して困らせたことがある。当時は(あろうことか)誰も突っ込んでくれなかったことにガッカリしたりしてたんだけど、全然面白くない。面白くないどころか困らせている。そりゃ嫌われちゃうよお前さんと言ってあげたいし、こうして素直な友達が素直に変化に驚いてくれたことで素直に気づくことができた。ノサカさんとそのお子さんには取り返すように今後優しくしようと決めるけど、逆に不審がられちゃうかもしんないな、ママあのおじさん何なの?って。

コロナも明けてきて、こうした久しぶりの再会がちらほらあった。
サークルの仙台の後輩が東京に来るからって、そいつの同期の女の子と僕の代のイケメンに声をかけて4人で飲んだ時の話。
お店探そうと「何食べたい?」ってグループラインに、後輩女子から真っ先に「ラーメン!」って返ってきて、いや飲み会だよ?いきなりシメになっちゃうよ!って笑ったけど、その女の子は今では1児の母。聞けば日頃、気軽に外食ラーメンなんてできないわけ。たまのたまに旦那に子どもを預けて外でご飯を食べられるからこそ、久しぶりのラーメン欲を何の罪悪感もなしに満たせるのだと。そっか、そうだよなとまたしても後から気づく。
大学の卒業ぶりに集って思い出話や僕以外3人は子育て話に花を咲かせ、約束通り東京駅のラーメンストリートで締める。平日夜の、言っても数時間の食事だったんだけど帰宅したその子から
「みなさまご馳走様でした!私のわがままにお付き合いいただきありがとうございました!!
久しぶりすぎなのに大学生の頃みたいに話せてとっても楽しかったです✊✊✊✊✊
しばらくは明日からも頑張れます✊✊✊」
ってメッセージが来て、こちらからしたらただのよくある飲み会でも、1人のお母さんの明日からも頑張れる理由になれたのがホクホクじんわりうれしかった。
会うことのハードルが上がった今、皆それぞれライフステージが変わった中、そのうえ、あいつがいるなら行かないでおこうみたいに人と人はいらんマイナスもあったりするからこそ、しばらくは明日からも頑張れるおしゃべりって大事だなぁと思った。
SNSでは一切繋がってないけど僕のブログだけは読んでくれてる会社の辞めちゃった先輩とかもいたりするから、届いたらいいなってできる限り書いておこうと思う。次会う時にはあたくし分かりやすいところだと指輪を付けていたり、あとヒゲが濃くなったりしておりますよと。
今年は、いや、今年度は誰に会えるかしら。


2013年「循環を大きくする。」
2014年「語ってもらう。」
2015年「誰で、どこへ向かうのか。」
2016年「人間らしくやりたいナ。」
2017年「うけ(いれられ)たい。」
2018年「考えないは、ない。」
2019年「未来を助ける。」
2020年「名乗りを上げる。」
2021年「誰かのコップを満たす。」
2022年「自分に、値札を。」
と毎年、自分なりの価値基準を設けてその年のコンセプトを決めてきた。早くも3か月が過ぎてしまった今年のコンセプトを考えてる間にWBCは優勝に終わり、いろんなインタビューを読んで何か成長のヒントを探すサラリーマン。
この記事のプロ論は仕事にも通じる話だと思う。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a00783c38592b95672daf4e60d2c2e2e04902453

元メジャーリーガーでヤクルトの青木と最年少三冠王の村上は師弟のような関係で、青木は野球以外にもメンタルから食事まで指導しているらしく

「うまくいかないとき『メンタルの問題』と言う人は、そこで考えることを止めた人。プロなんだから、なぜ打てないのか、なぜケガをしたのか、逆になぜ打てたのか。それを自分で説明できないといけない。『メンタルのせい』と逃げる人が多いけど、ロジカルにならないといけない」

ってのを読んで、我々もお金をもらってる時点でプロなのだから、できない理由できた理由をロジカルに説明できるようになって、部下後輩に再現させないといけないと腹落ちした。
もっと言えば、誰かが用意してくれた道を走ること自体は、その辺を歩いている一般の方でもできるわけで
Tenthだから他の人より慣れていて、結果「少し上手に、または早く道を走れます」程度であれば、取って代われちゃう存在にすぎない。
勝ち馬に乗っかる消費者マインドばかりでは成長していかず、自分で考えて道を作れる生産者側のモチベーションを持つ必要がある。

2023年「生産者さんの顔になる。」

ここで言う生産者さんとは、もちろん野菜のパッケージにてニコニコしているおじさんではない。これ僕の仕事ですと顔出しで伝えることではなく、仕事を作る側や提供する側のプロとして理由が落とし込めている状態やそのモチベーションを目指そうという話である。
「明日大雨だから畑仕事さぼれるラッキー!」は消費者で「明日大雨だから今日のうちに対策しておこう」ってのが生産者であり、
「この野菜は流行ってるからただ作っておけばいい」って乗っかり型ではなく、「うち独自の技術と改良で美味しくできた」農家の方が当たり前だけど高く売れるわけだ。
何言ってんスカ当たり前じゃないスカそんなレベル低くないスヨってこうして例に出されると分かるんだけど、いざ仕事をしてると、それ思考停止で野菜育ててない?みたいなことがよくある。いや、大雨なの分かっててなんで何もしなかったのよみたいなことが。

冒頭のアイドル論は最たる例で「フルーツジッパーの松本かれんちゃんがどれだけ可愛いか」を熱く語ってるうちは消費者で、「アソビシステムっていう決してアイドル界では大きくない事務所で、なぜ激バズりを起こせたのか」を自分で考えて説明できるのが生産者だ。多くの模倣者を産むあのちゃんの存在も、いかにも生産者に当たる。逆にとかくオタクという立場存在はそもそも消費者臭が強めだと思った。
tiktokでウケるキャッチーなメロディ&歌詞と振り付け。その結果総再生数6億回のバズがテレビ・雑誌などマスへの情報連鎖が呼び、実は元天てれキッズでしたって報じるべき個人プロフィールのニュース価値まである。
余談だけど、元テレ東のテレビプロデューサー佐久間さんは最初に記念受験で事業部志望で受けたフジテレビの面接で、ご自身でのめり込んでたライブシーンやエンタメコンテンツの話をしたら、かなりの作り手目線だったのだろう、「制作受ければいいのに」と面接官の亀山千広さんに言われ、制作を志すようになったらしい。

性根として与えられた道を走るかなりの消費者マインドでここまで生きてきてしまったので簡単なことではないと思うけど、それこそ大谷さんの「憧れるのはやめましょう」よろしく生産者をリスペクトしつつも同じ目線でモノを見られるようになりたいな、ならなくちゃ、絶対なってやるとサトシ引退に寄せてみる。RPGのストーリーやキャラデザより何より「通信」が革命的で売れ続けたポケモンに対して、1人で育てて終わりなたまごっちの第一次ブームは98年に終了した。そこから「通信」の要素を取り入れて04年に復活。今じゃオンライン上でたまごっちを他のたまごっちとデートさせるさながらマッチングアプリみたいな機能もあるらしい。
結局、生産者さんの顔になるためには知識を得、研究し続けなければならんというわけだ。
https://toyokeizai.net/articles/-/616819?display=b

と、ここまで6000字以上書いて、こんな長い文章は誰も読まないよという「消費者マインド」も持ち合わせるべきだ。2つを行き来できることが理想である。

ここまで読んでくれた方にせめてもの御礼として、この時期何度でも読み返したくなる8年前の日経新聞「春秋」の名作を残しておきます。

今年も、いや、今年度もよろしくお願いします。


2015.03.29
職場の身辺整理の際、引き出しから小さな鍵が。そう言えば…。引き出しから思い出がこぼれ出す。
家にも昔の車の鍵がある。握ると家族と一緒に走った道や車の匂いを思い出す。自分の親はなくなり、子どもは大きくなった。ちっぽけな鍵の中、大切にしていた日々が生きている。

晩年の53歳頃、萩原朔太郎は手品に夢中だった。白のハンカチを胸ポケットに入れ、いかにも威厳のある顔つきで出かけて。書斎の引き出しに秘宝のように大事に閉まっていた手品の道具は、死後、遺族が開いてみると、どれも安っぽく幼児の玩具みたいだったらしい。

人の心にも鍵がある。本当に大事な想いは自分にしか分からない。人に語らずしまっておきたい感情もある。
春が来て、人が動く。出会いと別れ、3月末は気持ちが揺れ動く。ならばカチリと区切りをつけるのが、生きるコツなのかもしれない。

心の中にある鍵さえ守れば、過去は優しいまま消えない。