『一年一組せんせいあのね』という本がある。
日記を書きなさいと言われても戸惑うけど、「せんせいあのね」とお題を決めてあげると鉛筆が進む。小学一年生が書いた「あのね帳」をまとめた一冊の、調べると編集者は『兎の眼』の灰谷健次郎らしい。教員一家だったからか、そういう本に囲まれて育った。
「おとうさん」
ぼくがおとうさんにおこられようとき
おとうさんがおならをしたから
おとうさんがおかあさんにおこられた
「けっこん」
ぼくはけっこんしたら 2かいめをしません
したらまた ダイヤモンドを あげないといけないから
ぼくは1かいめのおよめさんを だいじにします
つくづく、教員ってのはオモシロそうな仕事だなと思う。いい仕事してるなって親父、母さん、姉貴を思う。
話変わって、こんな記事を読んだ。僕のこれだって、せんせいあのねの延長だなって共感した。
インターネット上に持て余した表現欲を吐き出し、ここにいるよと承認欲を満たしてるのも、「おもしろいから読めやい」というより「せんせいあのね」のほうが近い。実際のところ1日の訪問者は10もいない。それでいいのだ。吹けば飛ぶよなアリんこメディアでも、少なくともやってて楽しいし、命令されなくてもいくらでもできる気がする。
ブログで言うと、こんな曲がある。銀杏BOYZの峯田さんがラジオに出た時、即興で『キラキラいいにおい』という曲を歌った。
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「キラキラいいにおい」 峯田和伸
僕はインターネット上で ブログというものを書いている
もう一年以上書き続けているが 訪問者数はまったく伸びない
昨日の訪問者数も たったの「1」
昨日の訪問者数も たったの「1」
でも僕はこう考えることによって
悲しい気持ちを紛らわせている
この一人の訪問者が
長澤まさみちゃんであると信じて
昨日の訪問者数も たったの「1」
昨日の訪問者数も たったの「1」
キラキラいいにおい
キラキラいいにおい
キラキラいいにおい
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1日10もいない訪問者の中に、僕だったら皆藤愛子さんがいてくれたらいいな。またはNegiccoのかえぽさんがいてくれますように。
糸井重里さんがやってるほぼ日刊イトイ新聞の、糸井さんが毎日書くエッセイのようなもの「今日のダーリン」にも、いつも最後、今日も「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。と書かれている。広告の偉人で、個人メディアの先駆者で、モノを売ったり人が集まったり、そんなヘンでスゴイ方が丁寧に出迎えてくれる。しかと心得ようと思う。
何も成し遂げていない若造が言うのはスーパークサいけど、何というか言葉に丁寧に生きてたいナ~と思ってる。本やスポーツ、音楽マンガ映画そんでもってお笑い。コンテンツ屋さんを広く浅く好きな人間として、その大元の言葉には丁寧でいたい。単に、丁寧な言葉を、とは違って。
それは例えば、お笑いサークルの飲み会で一つ上の先輩が放つ、ミリ単位まで精工な、それでいて快闊で笑っちゃうようなツッコミフレーズだったり。それは例えば、プレゼン百戦錬磨のクリエイターの企画書の表紙をめくった1枚目「おはようございます。コピーライターの○○です。」って毎回必ず挨拶をして始めることだったり。曰く誰でも気持ちよく仕事したいじゃないですかっていう、流行り廃りじゃない華美じゃないそういう人間の本質みたいなことだったり。
サラリーマン3年やってみて企画書ってのは、これ絶対オモシロいからぜひとも一緒にやりましょうっていう味方増やしツールなので、もっともっとできるようになりたい。当然そこに入れる言葉にも丁寧にこだわって。
春。
ちょっとだけ、出世しました。
昨年の今ごろ、同期入社が先に主任になったときは「常々、スーツのコスプレをしてサラリーマンのごっこをしていると思っている僕は、同期入社の出世はなんだかとってもオツでした。」なんてツイートをカマしてスカしてたんだけど、いざ自分のこととなると嬉しいし、僕以上に離れた父母が喜んでくれてて嬉しい。職員室にはあるのかな、ないような肩書きをぶら下げてまたがんばるとする。学校の先生になるんだろうなと思っていた時期もあったけど、踏み出してみてよかったと言えるように。
最後に、最近いいなって思った言葉。6年ぶりに日本球界に復帰したホークス川崎選手のジャパニーズサラリーマンを勇気づけるような言葉を。
「向こうでポジションをたくさんできるようになった。どこでもできるのがポリシー。監督の起用に対して、日本人らしくイエスと言いたい」