心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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霜月下期、32歳になった。
20代後半から30にかけてのあの高揚感はとうに消え、自分のことなのに低体温で喜んでいる。
それでいい。30超えての誕生日にしては正解の反応だとも思う。よしよし、生きてる生きてる。
社会人10年目も早くもあとちょい。ナイキが「どこまで行けるか。」というコピーで部活動生に寄り添っていた時代の育ちなので、
「まだやれる、もっといける」と思って言い聞かせていた若手社会人を経て、
「まだやれる、もっといける」のなら早く結果を出せよ、本当はもうやれないんじゃないの?という、底なのか天井なのかいずれにせよできる範囲を狭められる気もする真っ只中。”無駄だ ここは元から楽しい地獄だ”と星野源も歌ってる。
星野源 – 地獄でなぜ悪い (Official Video) - YouTube


「40になった時、代表作のない人生を想像してみ?」
先日、数年ぶりに再開したコピーライターのお師匠からの言葉が、聞いてた僕含む弟子たちにぶっ刺さる。曰く、自身の若い頃に何の代表作もない40以上のおっさんを見て「この人なんなんだ?」と思っていたらしい。トガりすぎじゃない?
でも言われてみれば僕も高校の頃、野球部のOB会の方が夏の大会前にバットやボールを贈って激励の言葉をくれる機会に「誰やねんこの人たちは」って心中で思ってたもんな。わかもんあるあるかもしれない。

その飲み会の場で師匠に「32歳の頃どんな感じでしたか?」と尋ねると、出るわ出るわ名作の誕生の瞬間。「あの仕事は30の時だね。みんなの年齢の数年後にあれを手がけたよ。」などなど、自分は何やってんだろうってのも感じなくなるほど差を痛感した飲み会の最後は、
「次会う時までにみんな代表作を作ろう。作れなかったらその人のごちそうな」という、地獄の約束でお開きとなった。
よし頑張るぞ!と共に、誘われたら逃げよう!という情けない自分もいる。
どうです?同世代の皆さん、代表作あります?

社会人が10年経ったからなのか、2023年は自分について省みる機会の多い1年だった。得意、不得意、好みと嫌い。思考回路も性格も、苦手だからで片づけちゃいけないことも。軽いところから言えば、ちょっとした飲み会のトークテーマ「好きな異性の芸能人を3人あげよ」。1人だったら皆藤愛子さん一択なのだが、3人って難しい。その場で答えることができず後日、Negiccoのかえぽと、女優の穂志もえかさんに落ち着く。
どうです?同世代のみなさん、3人挙げられます?

恥ずかしながら、自分の卑怯さに気づくシーンも増えた。振り返るにヒキョウなやつだという自覚はずっとある。例えばおんなじ悪ふざけをしていてもほしかわだけは先生に怒られないみたいなことが小中時代によくあって、やったのはこいつですみたいな友達を差し出す二枚舌も意図的に使っていた。そもそも卑怯を自覚してこんなことを書いてる時点で、「そんなことないよ」待ちだったり、「認められてえらいね」待ちだったらする。根は深い、考えは浅い。

こうした姑息な立ち回りや論点ずらし、「別に良くない?」といった自分だけが特別に守られるルールを築いてきたことに、気付かされるのが妻との会話で。
相変わらず生活力の無さが迷惑をかけていて、指摘されても話を聞かずヘリクツこねる自分のダメさ。調べもせずこういうものだからと半ば諦念も持ちがちで、わりと真逆な我が妻は、僕にないものばかりで素直に尊敬する。

例えば、朝飯担当大臣をやらせてもらってるのだが、毎回食パンの袋をきれいにうまく開けられず謝るしかできない僕と、
「食パン 開け方」ですぐに調べて「上から開けるらしいよ、ほし下から開けてない?」と問題の根本から解決してくれる妻。
次はちゃんとやるね、という謝罪と意思表示で物事は解決しないのです。マジで当たり前なんだけど、僕の毎日はこういうことがあまりに多い。

接着面の下を引っ張るとこうなるので、上のピロピロを引っ張ること

あと食パンで言えば、ある日の朝、妻が食パンを半分に切って食べてるのを見て衝撃を受けた。
何言ってるか分かんないと思うけど、食パンは1枚食べるものだという謎の規則に縛られて、というかシンプルに自分の頭で考えていないから思考停止で食パン1枚をまま焼き続けてきた僕からすると、
その日の体調やランチの予定を見て、食事の量を減らす妻の状況分析力や判断力は、シンプルにすごいなと思えるのです。
たしかに、例えばランチバイキングの予定を控えた土日の遅めの朝は、食パン半分くらいがちょうどいいものである。
結果、朝に食べた食パン1枚のせいで胃下垂をパンパンに膨らませながら苦笑いでランチを食べる僕からしたら、妻ってすごいなぁと思うし、
何言ってるか分かんないかもしれないけど、食パンって食べたい分だけを食べればいいのです。

つまるところ、生きるというのは状況分析や、判断の積み重ねであり、思考と試行の回数の差が「生活力」に表れる。なにも、洗濯表示全部頭に入ってますという家庭科力に限らずに、自分で判断した経験値って絶対的だと思った。
どうです?同世代のみなさん、日によって食パン切ってます?(さすがに僕ほど生活力が低い人、あんま見たことない)

朝飯で言えば他にも、納豆2パックにタレ、卵、小葱、かつぶしを入れるホシカワズ納豆(これが1番美味い)を作るとき、
かき混ぜる器のフチが反り立つ壁みたいに内側に入り込んでいるため、ご飯の上にかけたら液が垂れて持ち手がベチャベチャになる不快感を
僕はティッシュで拭いて済まそうとするんだけど、
「こっちの丸くなってないほうでかき混ぜたら?」と、問題の本質を見抜いて指摘してくれる妻は、大げさかもしれないけどカッコ良さすらある。

戦いを略すのが「戦略」とはよく言ったもので、
「どう?このかき混ぜ方ならまだ許容できる範囲のベチャベチャだよ」とティッシュ片手にキショい「戦闘」でなんとかしようとする私は、
「戦略」から考え、判断し、最適解を選ぶ妻には永遠に勝てない、と思い至った。

フチが内側に閉じている、納豆オンザライスに向いていない器
フチが外側に開いている、納豆オンザライスに向いているボウル


2023年は自分について省みる機会の多い1年だった。と書いたが、一緒に暮らしている妻のおかげも多いもんで、
やはり同じ屋根の下、起こる出来事を共有し、怒る感情もぶつけながら、「ふたりが暮らした。」というハウルの動く城のキャッチコピーよろしく、「長い会話である」というニーチェよろしく、たくさんおしゃべりをしている。
MBTIという16タイプに分ける性格診断をやってみたところ、妻が「管理者」で、僕は「広報」。
この2つは基本相容れないらしいけど、あかんやん!と2人で笑えてるから大丈夫だと思う。マッチングアプリで性格AI診断なるものが搭載されたそうだけど、合わないからこそ楽しいこともあるよとは伝えておこう。

なにも、食に関することだけでなく、徹底したリサーチからルール作りまで「管理者」がぴったりの妻に対して
僕は僕で、ルールに異議なく従う力がアホほど高いのと、日々わりと穏やかな人間であるということを改めて知った。
おかげさまで一緒に暮らせてよかったなと思う回数はとても多いし、感謝の気持ちは「広報」していこうと思う。

ついでにちょっとしたエピソード。
妻が録画機能付きテレビで昔のドラマを撮り溜めていて、出歩けない悪天候時や面白いテレビがやってない夜に「兄さん、いいの揃ってますよ」と勧めてくる通称:妻フリックスがあるんだけど1つ難点があって、家主のモチベーションにより連ドラに歯抜けがあるのだ。
面白いか分からないから録画する熱量がなかったり、放送日に気づかなかったりで1話が撮れてない時は、もう想像するしかない。
この時点で解約したくもなるのだけど、たしかに十数年ぶりに『プロポーズ大作戦』に巡り合えた時はテンションが上がった。
高1の時、同級生がみな話題にしていたけど当時ドラマを見る文化が僕になく、実は1回も見たことないままオーベイビノーメイビを歌ってたのである。
夏季休暇の夜更かしタイムに(仕方なく)2話から見始めたらさすがピーヤマはかっこいいのに情けないし、ナガサワは全部が全部可愛い。
えー次どうなるの?の連続。どっぷりハマり睡魔もなんのその、最後はどうなってしまうんだぁ!?と最終回前まで夜通し見た結果、
「あれ?あ、ごめん、最後撮れてない」という最悪のユーザーエクスペリエンスで終わった。
プロポーズ大作戦失敗!!!!

「いや、プロポーズ大作戦はその後にスペシャル版があったんだよ!そっち撮れてるはず!、、、、、、、、撮れてなかった」
プロポーズ大作戦大失敗!!!!!!!!
明日晴れるかな?ドシャ降りです!!!!

妻フリックス、『グランメゾン東京』に至っては、1話が無いとか言うレベルではなく”物語が最終盤に差し掛かる前にもう一度おさらいしよう!”という1-9話のダイジェスト版をまず見させられた。
「今度は10話、11話は必ずあるから大丈夫!安心してまずこれ見て!ダイジェストだけど分かるように編集されてるから!」というイカれた視聴案内。
9話約9時間分を1.5時間分のダイジェストで見たんだけど、これつまり受け取る情報量が6倍で、常人だったらゲロ出ちゃうスピード感。
キムタクと鈴木京香が出会った5分後に沢村一樹が仲間になり、その5分後にミッチーが加わる。玉ちゃんは裏切ったり戻ったりするし、6倍の情報量ゆえ恋なのか何なのか分からないくだりもあるし、とりあえず中指薬指小指を立てるナマステスタイルがミシュラン三ツ星マークということだけは、かろうじて理解できた。
こみ上げてくるゲロを押さえて迎えた10話。そして最終回11話。
、、、いやまぁあれだね、面白いんだけど展開がおっそいね。そりゃこれまで6倍の情報量で見てたもんだからね、遅い遅い。止まって見えるぜ。
ジェットコースターみたいな加速減速に乗り物酔いしながら、どうだった?って聞かれても、「面白かった。けど普通に見たかった」と返すのが精一杯。
一息ついて聞こえてくる山下達郎の歌声で初めて、あ、これ主題歌山下達郎だったのねと知る。
なんせダイジェスト版はエンディングがカットされてたので、主題歌を初めて聞くのが最終話。
これが妻フリックス。録画一覧からEXITかねちーにハマってた時期が明確に分かるのも妻フリックス。

かのアガサ・クリスティは「考古学者は女性にとって最良の夫である。妻が年をとれば取るほど彼女に関心を持つようになる。」と言ったらしい。
考古学者ではないけれど、飽きずに面白がれるマインドなのも「広報」タイプの特徴らしい。まだまだこの妻への興味は尽きなさそうである。


さて、2024年。
仕事も家庭もさらに高い目標や深い課題に向き合っていくことが求められそうだ。
独身の、文字通り独り身の気ままな暮らしでは思いもよらなかった自分の深い問題も表出し、「頑張ります!」だけでは解決しないことも知った。
そんな中で今年のテーマである一言を考えようとした時に、冒頭の僕らのコピーライターの師匠オカキンさんが、
そのまた師匠の岩崎俊一さんに言われたという言葉をふと思い出した。
著書から引用させていただく。

「慣れてる人より、燃えてる人。」

オカキンさん曰く、歳を取れば取るほどいいコピーが書けるようになるかと言うと、どうもそうとは限らない。
そもそも人は「不慣れ」を克服するためにがんばるもの。にもかかわらず「慣れ」のレベルが一定に達すると、それはとたんに性質を変え、自分に刃を向けてくる。
本来、「慣れ」は共同体への順応や、仕事のスキルアップやレベルアップであったはずなのに、
ある時点からテキトーにとか、だいたいのところでとか、こうすればいいに決まってんだろなどの諸症状が顔を出す。
詩人の吉本隆明さんはこれを「毒がまわる」と言ったそうだ。

社会人まる10年が経ち、だいたいのところで、という感覚はたしかに出来上がってしまっている。
妻との会話でも、俺はこういう人間だからと慣れすなわち諦め、他人任せの当事者意識のなさが、不要な諍いを生んでしまったりする。
人は慣れる生き物で、慣性に従うのはすごく楽なんだけど、それを奮い立たせるのが社会人11年目の目標なのではないか。
そこには「燃える」ほどのエネルギーは欠かせないはずだ。

”「慣れてる人より、燃えてる人。」
この言葉は若い人へのエールだったり、不遜な訳知り顔をぶっ飛ばせっていうアジテーションだったり。そういうことだと思うのですが、私はそれともうひとつ、慣れが足枷になった人でも、燃え続けることは一生できるぞっていう、人生の、むしろ後半戦へのアドバイスにも思えるのです。”
と著書『ステートメント宣言』にて、オカキンさんは語っていらっしゃる。


2013年「循環を大きくする。」
2014年「語ってもらう。」
2015年「誰で、どこへ向かうのか。」
2016年「人間らしくやりたいナ。」
2017年「うけ(いれられ)たい。」
2018年「考えないは、ない。」
2019年「未来を助ける。」
2020年「名乗りを上げる。」
2021年「誰かのコップを満たす。」
2022年「自分に、値札を。」
2023年「生産者さんの顔になる。」
そして
2024年「慣れてる人より、燃えてる人。」

今年はこの一言を掲げて、公私に熱エネルギーを放っていこう。
ここ数年全然ブログを書けてなかったけど、会えなくなった友人でも「見てるよ」と言ってくれたりするので、今年は多く書こうと思う。

というわけで次回は、そんな真逆な性質の我々が力を合わせてお届けした結婚式
showkakeru.hatenablog.com
の続編でも書くつもりです。
今年もHOSHIKAWASをよろしくお願いします。