心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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新年あけましておめでとうございます。
って言うのはどうも間違いらしい。新年とあけましてが同じ意味を持つからだ。新年おめでとうございます、が正しいと言う。どっちだっていい。どっちだっていいよ。「間違いはふるさと。誰にでもある。」って相当すごいセリフで漫才の台本書いててとうてい辿り着く言葉ではない。たしかに人を傷つける笑いがウケにくくなってるのは分かるけどあれを「否定しない全肯定ツッコミが時代の空気感にハマって〜」だの「これからは人を傷つけない笑いだよね~」みたいなうんぬんかんぬんはさすがに寒くて震えちゃう。いろんな漫才を試した末に辿り着いた苦労が滲み出ていて、真摯にお笑いに向き合うプロはめちゃくちゃかっこよくてスーパー面白かったね~シビレタネ~ってまず感想を言ってくれよおなかいっぱい。時代の空気さえ読んだらM-1勝てるのかよそんなわけねぇだろもういいよ!空気って読むもんじゃなくて作るもんだろいい加減にしろ!どうもありがとうございました〜。

M-1をテキストベースで分析してくれる最高ブログをどこかのお笑いサークルの学生さんが書いてて、めちゃくちゃ勉強になる~!って読んでたんだけど、こういう文章が増えてみんなお笑い見る目が肥えて、その中でも愚直にお笑いやってる芸人さんやっぱスーパーかっこいいな。

ココがすごいよ今年のM-1(後編)|かべ|note

ってまとめてしまうと思考停止でもある気がしてそこらへんの文章を漁ってみる。『早稲田文学増刊号「笑い」はどこから来るのか?』の中で作家の品田さんが寄稿していた文章を繰り返し読んでいる。「個の笑い」と「公の笑い」があって相互に作用していくものの、最終的には「個の笑い」が優勢である。たった一人のいたって直接的な反応こそが良い笑いであるからだ。「誰も傷つけない笑い」が褒めそやされるとき、道徳的善悪と笑いの善し悪しの意図的な同一化があり、それは道徳による笑いの汚染であるとのこと。そうだよなそうだよなをちゃんと言葉で残しておかないと、伝わる解像度が低くなったり議論交渉のテーブルに座れてなかったりする。

 

年始。どうも風邪が長引く。あなたの風邪はどこから?病は気から。風は西から。

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熱が出ると文章に出る。悪態をつきたくなる不完全な人間アイムナットPERFECT HUMAN。オリラジ中田あっちゃんのYouTubeがデマ情報って炎上したらしく彼もまたPERFECT HUMANではないってわけ。間違いは昨日。気にすることはない。

 

明けたね〜今年は明けないかと思ったけどねってアンタッチャブルのネタを僕らはあと何度思い出すだろういよいよやってきたよ2020年。経済界の不景気予測。課題先進国。忍び寄る不況。ネガティブな文字面が並ぶ。こんだけイランのことを考えることは今まであっただろうかって風邪ひいてるうちにトヨタは街を作ると言い、ソニーはクルマを作ると言い、オープンイノベーションもディスラプション(創造的破壊)もフォース(この場合たぶん危機感)と共にあれ。この手のワードで一番かっちょいいのはパナソニックさんのGame Changer Catapult (ゲームチェンジャー・カタパルト)だと思いますがどうですかね。

僕の仕事、法人営業の醍醐味の一つはお客さんの出世。「○○さん息子さんいらっしゃいますよね?息子さんにいい自転車買ってあげたいですよね?」ってめちゃくちゃ仕事のできる上司が言ってて最初のころはなんだなんだ?だったんだけど、最近ちょっと分かるようになってきた。早いところ腹括っちゃったほうが楽で、仕事の報酬は仕事、ってのは口に出すには恥ずかしいけど知っておきたい真実。

激変する社会を引っ張っていくことはできなくても吹っ飛ばされないように掴まる居場所を探す日々。風邪が長引くのは年のせいか、3つ一気にできた口内炎が2つになる前に4つになるからもう治癒力と算数がめちゃくちゃでやれやれ口内暴力。

迷っている。今年の目標が決まらない。

毎年恒例の自分の指針が決まらない。

たいてい年末年始にかけて紅白をダラダラ眺めてる父母をだらだら眺めながら考えたり、1年最後の風呂に浸かりながら「今年の汚れ、今年のうちに」って花王のコピーと1年を思い返してみたり、1月1日の朝、初夢こんな夢だったよ!って勢いよく報告したら「あんた馬鹿だね初夢は1月1日、今日の夜見る夢のことだよ」ってちびまる子ちゃんのワンシーンみたいな会話を母親としたりしながら浮かんでくるのだけど今年は全く出てこない。

 

中学から日記をつけているので何の驚きもないけどブログ書き始めてもう7年。2000年代をゼロ年代、2010年代をテン年代というタイプのカルチャーの評論とか読むと何それかっちょいいなってなってたけど2020年代はさてなんと呼ばれるのでしょう。

 

2013年「循環を大きくする。」

2014年「語ってもらう。」

2015年「誰で、どこへ向かうのか。」

2016年「人間らしくやりたいナ。」

2017年「うけ(いれられ)たい。」

2018年「考えないは、ない。」

2019年「未来を助ける。」と掲げた1年は仕事で居場所を与えてもらったり、社会人お笑いをやり始めたり、振り返った時よく動いた1年だったと思います悪くないだろう。一つ一番の大誤算は、平成のうちに思い出をって高校から大学と付き合ってた人のことを5000字ほどブログに書いたら、その頃お付き合いしてた人から愛想を尽かされちゃったの完全にばか者おろか者。「反省してください」って振られたの、未来を助けるにしては高すぎる授業料。で、反省しながら2019年の末、反省文を書き始めたらびっくりするぐらい思い出と感謝が止まらなくて8500字過ぎたあたりでPDFにして大晦日に送りつけてしまいましたここだけの話。そんな一方的な自己表現にも「ほっこりしました」って言ってくれて、あぁ。この優しさにたまらなく救われてたんだなってちょっぴり泣きそうになる。今年の感謝、今年のうちに。自分の未来を助けてくれるのは自分だけじゃないっぽい。

 

2020年。書いては消して、決しては欠いて。

年明けの広告、何回「さぁ2020年」を目にしたことだろう。世間の期待とは裏腹に、来る年にそこまで何かを期待した経験の少ないバブル崩壊91年生まれ。オリパラとも少々の距離を置いて付き合っていきたいと思うのはだって「えーいやいや、別にそんな好きじゃなかったじゃん」の後ろ指に怯えたりしてるから。働き始めるとき親戚に「オリンピックまで東京で頑張ります~」ってなんとなく言ってた五つの輪っかが意外と迫ってきて、さてオリンピック後はどこで何するの?がまた分からなくなる。

人生、仕事だけじゃないさって分かった上で、仕事をする。最近聞いた腹括りワード、剣術家柳生宗矩が言ったとされる言葉「一歩踏み込め、そこは極楽」。欧米の刀がまっすぐで突き刺すフェンシングスタイルだった当時、日本の湾曲した曲刀の殺傷力って凄まじかったらしい。刀の握る部分(柄)を相手の眉間に当てるように一歩踏み込んで切りかかるから相当な威力。死ぬかもしれない状況で、一歩踏み込め、そこは極楽って言われたら背中押されるよ言葉のマネジメント。反対に、ある日先輩がポロリと言ってたんだけど「仕事って逃げると大きくなるよね」ってのは社会人5年くらい逃げ続けた僕にはよく分かる。切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 一歩踏み込め そこは極楽。

いまだ朝ぼらけには「熊本のテレビスターになりたーい」みたいなことを思ったりもするけど、30代の足音が聞こえてくる今「いい話を仕入れていい話を伝える人になる」方針を形にしていく1年にしたい。例えばだけど知ってます?ソフトバンク創業者の孫さんはなんと19歳で「人生50年計画」を打ち立てたらしいその中身がこれ。「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を1000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ」。1年単位見通すのもやっとの自分がいる。

30代で1000億円貯めることを自分に課した孫正義氏のチャレンジング発想法 | 超ロジカル思考 発想トレーニング | ダイヤモンド・オンライン

 

年始。あけて1月の2日。高校卒業10年の大同窓会。ありがたいことに司会を任せてもらったのに、徹頭徹尾一つも気の利いたことを言えなくてこれ今年ずっともやもやするやつだ。壇上ではラグビー部だったマツオカ君が自分の元気なイチモツが招いた離婚のテンマツを話して学年のやんちゃな人から順に沸き立った一方、最前列中央の恩師たちはまるでこの世の終わりみたいな顔して両手で顔を覆ってた。個体としての心臓の強さを見せつけられた。

商社マンのオカベ君とは在学時代ろくに話したことないのにそれほど飲まずにのんびりしてたら「ほしかわさんそれでいいのかよ?」となんでだか煽りに煽られ、こいつが煽り運転の申し子じゃない?って思ったけど「いやいやそういうのじゃないから」しか言えなくてごめんねオカベ君。もし次の機会があればおれも対抗して胸元のボタンを3つ、いやいっそ6つくらい開けて両の乳首をちらりとさせながら瓶ビール瓶ごと飲み干すやつやるから待っててちょっと特殊な訓練詰んでくるから。

2次会の締めはもうみんな好き勝手やって締まるに締まらず、ここでも振ってもらったのでネズミ年だしちょいとネズミの小話をしようと立ち上がり、

「おお!かかったぞ」

「どうしたんだいそんな大きい声を出して」

「ねずみだよ、ねずみ!こいつがうちの倉庫のコメを勝手に食べてて大変だったんだ」

「そうかい、だからってそんなに大きい声を出さなくていいだろうに」

「何言ってんだい、こんな大きいネズミ捕まえたんだぞ!驚くだろう!」

「はぁ?大きいネズミ?そんなのはどこにでもいるよ!小さいネズミだね」

「なんだと?十分大きいだろ!」

「いーや、小さいね!」

「大きいね」

「小さいね」

「大きい」

「小さい」

「大きい!!」

「小さい!!」

間でそれを聞いてたネズミが、、、

「チュウ!」

って言おうとしたら野球部キャプテンが「ネズミだけに~、チュウ!」みたいななんか収まりの悪いオチを先に言っちゃってそりゃもう地獄絵図。商社マンのオカベはずっと「ほしかわさんそれでいいの?」って煽ってくるけど俺だってそれじゃよくないよ、胸元は閉じろよ真冬だぞ君が赴任してるインドネシアとは違う日本の冬だぞ!

身内いじりなのに身内すら笑っておらず「個の笑い」でも「公の笑い」でもなく普通にすべっちゃったというわけ。で、僕も僕であろうことか普通にすねちゃって怒っちゃってそれについてはもう本当に心より深く丁重にお詫び申し上げます。「あいつオチ言われて怒ったらしいよ」「えええ?それぐらいで怒る!?」って後日ちょっと噂になってて死ぬほど恥ずかしい。こんなことならお笑いやってるって言わなければよかった。2020年「お笑いやってるらしいけど司会やらせても一つも面白いこと言わないし、小話遮られてブチ切れてるプライドだけ高いヤバサラリーマン」爆誕である。

「ほしかわの話遮っちゃやばいよ怒られるよ」みたいなくだりができたのがせめてもの救い、小話で済まない事故話。正月早々、袋のネズミ。

 

そんなこんなで改めて思ったわけです今年の方針、居場所を作る、居場所を大きくする。今こんなことをやってますよを遠く離れた熊本に伝える。いっそインドネシアくらいまで広まっても全然かまわない。こういう考えなんですを示す。実力もつけないと個体として食われる。広告業界ってもっともらってると思ってた~とか、お笑いやってるなら面白いことやってよ~とか、日々現れるキワのキワそれぞれで鬱屈しないでいいようになろう。野球でもよくギリギリ取れるか取れないかの「球際」に強くなれと言われたりするけど、人と人が接するときの「人際」にもう少し強くならないと自分が面白いと思うものすら何も伝えられず、ちょっとした李徴になってしまうのではないか如何にも自分は隴西の李徴である。

 

今年もまた大した主張はなく、世界を変えたいとか誰かを救いたいとかは1つもなく、ただただ自分の周辺に起こることを怒ることを整理したいと思う長谷部誠で言うところの心を整える、僕にとっての痰を出しやすくする薬ムコダイン的な心頭滅却すれば火もまたスズシであります。名刺代わりの仕事とか、取扱説明書的なウィキペディアができる1年になればいい。思えば2021年には30歳が来るわけで、最後の20代は孫さんにあやかるのも悪くないだろう。

 

2020年「名乗りを上げる。」

 

そんなとき文具メーカーパイロットさんの企業広告に救われたりして今日はこれでおしまいです。今年もよろしくお願いします。

「泣くか。食べるか。書くか。」

norihiko_okimura