2013-12-26 23:24:21
書きたいし、話したいし、ぶつけたいし、そっとしてたいし。
ナカミがないんじゃねぇかって、
でもんなもんわかもん、
なくて当然なんじゃねぇかって、
都合よく、トロさせて頂ける場所が有難い。
「ブランド」について考える。
GUかユニクロか、2択しかない僕のファッションの話ではなく。
ずばり、人の目にどう映ってるんかいな、というお話。
「悩みがなさそうでいいね」って言葉は完全に褒め言葉。
「毎日楽しそうだね」とか「ラクな仕事ばっかしてんな」とか。
そう、思われてるのか思わせてるのか、そこにヤリガイイキガイがありまして。
実は結構マギャクの人間であったりするのに、ばれてないやって勝った気になる
「ブランド」です。
例えば、はちべえだと思われたい。
ホントはハカセみたいに本が好きで腰が重かったり
ホントはもーちゃんみたいに平和主義だったりするけども
それでも自慢のフットワークで廊下を口笛吹いてかけてたい。ホントは口笛吹けないんだよこれが。
今からすでに、きっとそうなのだろうって思ってることが1つあって、社会に出たら絶対「俺もっとおもろい人間なのに」って思うのだきっと多分絶対。
もっと仕事できるし、もっと人としてフカミがあるし、なんならもっとかっこいいのにって、
視覚っていうわりと絶対的な感覚にまで失望することがあると思う。それも数え切れないほど。
でも、今のうちからあえて言い切ろう。
思われてる自分が飾ってない自分なのだ。
個性を消しても滲み出るのが個性だよ、と。
人と違うこと、じゃなく、人と同じことをして浮かんでくるのが個性だよ、と。
ナカミない人間ってよく言われるし、確かに脊髄反射で生きてることが多いけど、
それでもそれも、そういう「ブランド」にしてやろうって企んでる僕なりの最後のプチ反骨心。
僕の後輩に、いつもニコニコしてる愛嬌ふりまき子ちゃんがいて、
その子がふと呟いてたのがすごく僕のお気に入っちゃって。
「やべ今の自分ぜんぜんしあわせそうじゃない!へらへらに戻らなきゃ」
普段あほちんそうに見えて「ブランド」出来上がってて、その気配り、安心感、接しやすさたるや。
感動しちゃったのですよ。
魅せ方ってのに僕は人一倍うるさい演出よりなのだと思う。
魅せ方見られ方っていう観点でこないだ新聞広告、多部美華子ちゃんの一面バーンと。そのコピー、ボディコピー共に大賛成だったので、最後のっけてシメましょう。
僕がGUかユニクロを脱ぐとき、会いたい人がいるのでしょう。
「会いにいこう。」
カンタンにつながれる時代、とかいうけれど、
ちゃんちゃらおかしいわけです。
やっぱり、大切な人の、目がみたい。声がききたい。さわりたい。
あの場所の匂いをかぎたい。太陽を浴びたい。雨に打たれたい。
着ることは、会うことだ。
だからそろそろ、好きな服着て、自分の足で。
Rope' Picnic