心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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「考えないは、ない。」

と、今年の目標を掲げて3ヶ月が経った。

元来考える習慣がなく脊髄反射で繰り出してきた僕にとってはなかなかハードルの高い目標ではある。けれどもそれでこそ目標、チャレンジングにいこうじゃないか。強烈な南風に吹き飛ばされそうになりながら、追い風にできたらいいなって思ったりする。

 

カイシャからの目標もまたチャレンジングである。

「あなたは今年、これとあれとそれをやってください」ってのをいただいて思ったのは、これとあれとそれをやりきった自分はこれぐらいの地点に到達していて、それはきっとこうなったらいいなっていう人生のゴールと同じそっちのベクトルで前進しているんだろうなぁと、「成長」という字を辞書で引いてみたらこう書いてあるんじゃないかなって思うけどあまりに指示語が多すぎて辞書としては無価値、むつかちい。

なりたい自分があって、なりたい自分を作り上げるためには置かれた場所でめちゃくちゃ咲くことだし、「ちょっとスンマセンここでも咲いていいですかね?自分、きれいかったり喜ばせたりしますんで」って自分の領地や、できることや、仲間と味方を増やしていくことなんだと思う。

そういう部分で桜もいいけど、たんぽぽも好きだ。童謡たんぽぽを手話付きで歌った小学3年生の思い出もそうだし、公園でデートしてたら何気なく彼女がたんぽぽの綿毛を手にして、あっフーーってするのかな可愛いなって思って眺めてたら、おもむろに手のひらで挟んで、でんでん太鼓の要領でスリスリスリってやりだして結果、全然わた毛飛んでいかなかった高校1年生の思い出もそう。原体験がちゃんとあるからたんぽぽは好きだ。一瞬で散ってく桜の美しさはそりゃかなわなくても、綿毛を飛ばして少しずつできることを増やす。冬の寒さを耐え忍び、そんなとこ咲いてたんかい。そんなとこ時間割いてたんかい。

 

その昔、就活してた時とか、並のサラリーマンの波を見ながら、「こうなりたい」より「こうなりたくない」が増えることが、大人になるってことだな。なんてかっこつけて「」つけてたりしたけど、そんなこともないな。むしろ年次を重ねることで「こうなりたい」がすこしずつ具体的になっていて、そのためのステップに仕事を使っている(まだその境地にまでは達せてないけど)。

同時に、いい加減成長なさいよ、と上司諸先輩シニアマネージャーの方々から口々に言われてハラハラ。ヘラヘラはできんぞと組織人として腹をくくるくくる。いわゆる自分の成長が会社の成長で、仕事は楽しくて、難しくて、うーん楽しくて、えーと難しくて、やっぱり楽しい。

 

最近、頭をずーっとぐるぐるさせていることをまとめとく。

きっかけはタイムラインに流れてきたこんな呟き

「25歳まで自我なかったな、ほんと。」 

中学の友人の何気ないツイートにめちゃくちゃ共感する。彼女のそれとは少し違うかもしれないけど、これやりたいな!とか、これがやっぱり好きだな!とか、こういう時ムカムカするな、みたいな自分インタビューの深掘りの結果、自分が分かってくる。与えられる側から与える側になって、そこでようやく見えてくる。僕なんて社会人1、2年目のころはあまりのできなさにゼツボウしっぱなしで、あまりのできなさに会社の同期LINEを自ら退会したこともある。お恥ずかしながら当方、多分きっとメンヘラ。百歩譲って退会自体は別にどうでもいいんだけど、そのくせ飲み会の連絡だったりは個別で確認させてもらってただの二度手間じゃんってヨシオカさんとやまちゃんには感謝している。

そんなぐちゃぐちゃな日々から学ぶことがあって例えば、人ってないものに憧れる。僕がもの作ったりネタ書いたり歌って踊れる人にめっぽう弱いのはそういうこと。アイデアマンとは実は対局だったりする自分がようやく分かって、さーて来週のあたくしは、どんな三本立てで行こうかしら。戦略なんて大げさなことではないけれど提供価値を考えることは楽しくて、ジャンケンポン!ウフフフフフーである。

 

25、26歳ぐらいを何かの記念日にしたい。人生100年時代の成人式は26歳ぐらいなのかもしれない。

指南役さんもTwitterでこう言っている。

"人間は26歳の時になりたいと思った人間に最終的になれるという。26というと、大卒なら就職して4年目。そこで初めて人生でやりたいことが見えるらしい。だから就活で「やりたいことが分からない」と焦る必要はない。とりあえずどっかへ入って3年我慢。そこから。"

 

漫才師上岡龍太郎さんもこう言っていたそうな。

"ああいうモン(自分の芽)はすぐ出るモンやなくて、何年か経った時に花がドーンと開くものですからね。いつ開くかという芽は、男は必ず26才にあると思う。
26才の時に
「何を考え」
「何を夢見て」
「何をしたい」
と思っていたか。
今までの作家にしろノーベル賞の人間などは、26才に思ったことが花開いているだけなんです。
40才になってから、新しいことなんか出来ない。
26才の頃に思ったことが40才になって、その力を得て実現出来るだけ。
26才の時に何をやりたいと思っていたかで一生が決まる。
これが「男26才原点説」

でもその時は残念ながら力もないし、自分でやる場所もない。
でも、その思いはずーっ と埋もれ火のように胸に秘めとく。
それが35か40か50かもわからんけど花開く。
それがない人は、幾つになってもダメ。

だから、それを誰にも言わんでもエエから、
自分で「そういえば俺、26才の時こんなことやりたいと思っていたな。
ああ、その割にいまは、ちょっとサボってるな。」とか「ちょっと違う方向に来てるな」と思ったら、そこへ修正していったらね、
大体…その人は自分の思う道を歩けるんじゃないんでしょうか。"

「男26歳原点説」上岡龍太郎 | のための

 

友人フルの「25歳まで自我なかったな、ほんと。」を見て思い出したのは、大手人材会社の元社長の方から聞いたこんな言葉だった。

 

「欲望がどれだけ甚だしいか。行動がどれだけ甚だしいか。」

 

ずばり、新卒採用の最終面接で何を見ているかというお話。

ご存知Will、Can、Mustの中で、CanとMustがあまりに多い世の中だからこそ、Willはものすごいエネルギーを与える。人間の脳みそは10%しか使われていないなんて話もあるし、これはガセだって話もあるけど、とにかくWillは強い。

英語をどれだけやれと言われてもやらなかった子どもが、ただ一度でも、外国人のサッカー選手と握手をする。その日の帰り道、電車に乗りながら目を輝かせて父ちゃんに言うわけだ「俺、、英語勉強するよ!」。原体験が彼を英語の勉強に掻き立てる。そんなことがよくある。どんなWillを持てるか。そしてそれがどれだけ「甚だ」か。欲望の大きさ、これはもうちょっとした1つの才能だと思う。松屋ユニクロでいいやって思ってた学生時代の僕が、自我に気付いて少しずつ欲望を膨らませている。

 

同じく、そのためにどんな行動をしてきたか。そしてそれがどれだけ「甚だ」か。

皆藤愛子さんに会いたいがあまり、「皆藤愛子 イベント」で毎日ググってたあのころが懐かしい。笑われてもいい。欲望と行動で笑われるぐらいがいい。

showkakeru.hatenablog.com

 

こないだ、シンガーソングライターやってる仲良しのやつが、夜中に酔っぱらって電話かけてきた。「歌わせろよ!」「あたしに歌わせろよ!」って。あーはいはい、あーはいはいってあしらいながら、途中「ばかかよ!」「頭だいじょうぶかよ!」ってなじられたりもしながら、なんかすげぇかっこよかった。歌いたい!っていいな。歌わせてあげたいな。

 

自我が芽生えて、欲望に気付いて、行動する。

そんなことを考えて先日姪っ子ちゃんに会いに実家帰って、研究したり人前で話したりする仕事をしてる親父の書斎を見てこれだ!って思った。

あの親父さん、ウケたさがすごい。

欲望と行動が甚だしい人がこんな近くにいた。

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