心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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92になるうちのじいさんはたしか昭和の3年生まれで、昭和の1桁台生まれってことにちょっとした畏怖すら抱くんだけど、たまたま僕も平成の3年生まれ。いつかそんなじいさんになるのかなと思ってIf I were you.お前んちのじいさん平成1桁生まれじゃんスゲー!みたいになったりするかな時間旅行。個々人の呟きの中に時代の空気感を感じられることが増えて「悪しきジェンダーロールは、うちら令和の時代に終わらせようぜ」って口調を見る度、変わっていくべきなのは分かるけど、いやあなたも平成を生きたじゃん、先行かないでよって少しだけ取り残された気分になったりすることがある。

終わっていく平成への手向けを歌った折坂悠太はインタビューで、“昭和は戦争や、それに続く高度経済成長などいろんなことがあったわけですけど、平成は「自分たちの時代を作るんだ」という意識もそれほど共有されないまま、経済だけがひたすら下っていった印象があるんです。自分はまさにそういう時代に生まれ、そういう時代を生きてきたというコンプレックスが少しだけあるんだと思います。”(https://www.cinra.net/interview/201810-orisakayuta)って言ってて、先ほどの令和の自分たちのそれと比べて、より一層納得と共感がある。

 

さて今回は平成の終わりを歌った曲をもう一つ紹介したい。フィロソフィーのダンスヒューリスティック・シティ』。最近こればかり聞いていて、よければどうぞお聞きください。

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まだまだ浅瀬のファンなんだけどフィロのスのいくつかある魅力の確かな一つは、とにもかくにもヤマモトショウさんの作詞だと思ってる。

“さよならを 好きだって言えるうちに 次の時代いきましょう
わたしが覚えておくから、今を”

って平成から令和へ、なんて前向きな別れ方。

 

身の回りでケッコンが増えるその一方、別れを選ぶ友人カップルも増えた。僕らはそういうお年頃なのだ。うわー周りがどんどんケッコンしていくよおおうしかし出会った頃は童貞だった君が彼女ができてプロポーズ成功するなんて歓喜感涙心からおめでとう!の一方で、あ、ケッコンまではいかなかったのねまた探して行きましょ女も男も星の数ほどいるよちなみに星の数って僕らの太陽系で2000億個らしいよごめんそんなに人類いないねははは。なに、ケッコンだけが正解じゃないよってケッコンしたことないやつが言ってみる。ねぇ!女子の相談にコタエ出そうとしなくていいの!って散々お叱りをいただいてきたけど、だとしたら僕に、聞いてほしいだけなの!を求めるのはキャベツとケーキみたいなロール違い。ねぇ別れたんですけど!ってちゃんとホウレンソウしてくれたある1人の友人に向けて書くとする。慰めだったり励ましだったりあるいは少しの無常だったり伝えられる言葉を探してみる。落ち着いたら読んでよ。

 

前述のヤマモトショウさんが自身のnote(https://yamamotosho.com/n/n822e1c6dbca1)に書いてたんだけど、別れってマイナスのイメージを持たれがちだけど死別も含めて人と人の別れは必然であるわけだ。「平成」にいながら「平成」を振り返ることができないように、通り過ぎて行ったあとの未来から過去を思い出すしかできなくて、この、別れてからじゃないと思い出せないってのが恋の辛いところである、気持ちはわかるぜ。いつもそうなんだ。76年の小学館文庫のコピーに「俺もずい分いろんな美人とつきあってきたなあ。」ってのがある。きっと本の中の素敵なヒロインに出会って現実の自分の恋を重ねて振り返る読書の瞬間を切り取った気持ちだと思うんです。とても男性心理だけど、本読んでとか買ってみたいな直接的な訴求よりよほどぴったり文学的。

“平成がおわり、まだこの時点では名前のない新しい時代がすすんだとき、街はどのようになっているでしょう。例えば、今街にあふれている車たちはすべて自動運転になっているかもしれません。自動運転の車で、ドライブデートをするカップルは車の中でどんな会話をするのでしょうか。その行き先は、必然的に決定されています。我々の意思は、その決定や結論をみて、「おそらく、こういう理由でこうなったのだ」ということを考えるのでしょうか。”ってヤマモトショウさんの文章を読みながら、「別れ」をテーマにした歌の詞を頼まれたときに、終わっていく平成と、次の時代のカップルのドライブデートを一緒に描く作者の想像力の豊かさに満腹感服。受け手の半歩先を想像するからこそ刺さる言葉が書けると思うのです。創造に大切なのは、創造することよりも想像することなのである。

 

正月、実家で久しぶりに大好きな野球漫画『キャプテン』を読み返してけっこう色々考えたりして、鈍感で自己中心的で自信家な4代目キャプテン近藤くんが、ノンプロでいいとこまで行ったお父様の入れ知恵で1年生をとにかく抜擢する。ワイは考えたんや。キャプテンの評価は何も試合に勝つことだけではない。引退した後にどんなチームを残せたかである。って近藤君の台詞にハッとするわけ。人と人の関係もそういうことってあるよねそういえば。通り過ぎて行った後に何が残るかってあってさ、じんわり温かな心地とか言われて嬉しかった言葉とか通り過ぎなきゃ分からないのがもどかしいんだけどそこに残り続けるものがある。思えばさ、思い返せばなんだけど、付き合ってた人といるときの自分、なんだかすごい好きだったんだよなぁって気持ちない?わし、あるのよ。これは好きでよく使うんだけど「言葉は刺激物、読後感こそ作品。」であるならば「出会いは刺激物、さよならだけが人生だ。」ということかもしれない。

自分自身、失恋した後は色々と考えるようにしていた。普段読まないくせにやたらめったら本を読んでみた。「去る者追わず、追ってもまた去る。」という言葉のどうしようもなさに正しく諦められて少し救われたりした。眉村卓『妻に捧げた 1778 話』って知ってます?余命宣告された妻のために、小説家である夫は1 つの約束をした。それは毎日一篇のお話を書き続けること。五年間頑張った妻が亡くなった日の最後の原稿、最後の行に夫が書いた言葉は「また一緒に暮らしましょう」。妻のために書かれた 1778 篇から 19 篇を選び、妻の闘病生活と夫婦の長かった結婚生活を振り返るエッセイを合わせたちょっと変わった愛妻物語(と概要を拝借)。読み終えてその本のあとがきより。

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1 日一話は実は妻には迷惑だったのではないか?ひとつひとつ記憶が蘇るたびにあの時こうしておけばと悔いる。しかも正解は未だ分からない。確かめるすべもない。ガンになった当人でもない。妻の心境をいくら推察しようとてわかるはずがない。
そして私は思う。人と人がお互いに信じあい、共に生きてゆくためには何も相手の心の隅から隅まで知る必要はないのだ。生きる根幹、目指す方向が同じでありさえすれば、それでいいのである。私たちはそうだったのだ。それでいいのではないか。

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作家、平野啓一郎が愛について語っている文章を読む。曰く愛とは、誰かのおかげで自分を愛せるようになること。ほらさ、その人といるときの自分が好きだった経験きっとあるんじゃないかな。普段は言わないような冗談を言えて心から笑えたとか、一緒に眠る幸せの尊さとか、自分も知らなかった自分が次から次にってこれはback numberが歌ってたやつだすまん。

 

以前「シェアハウスのコピー」を考える時、コピーライターの先生が話してくれたんだけど、広い家に安く住めるとか1人じゃない安心感とかコミュニケーションの楽しさとかメリットをいくつか書き出す中で考えが深まっていって、シェアハウスって一生住む家ではないよな→それってそこに暮らす人たちって貯金してたり経験を積みたかったりするわけだよな→つまり住む人は皆どこかへ向かう途中なんだよな。そこから

「みんな、旅の途中。」

というコピーを書いた人がいたらしい。一見シェアハウスのコピーとは思えないけど、ものすごく大きな、ど真ん中にある価値を感情に寄せて言っている。こんなん言われたらシェアハウスがなんかいいものに感じられるし、その「なんか」を言葉で作るのがやっぱり半歩先の想像力なんだと思う。

人と人の出会いが別れが避けられないものだと分かった上で、どこからどこに向かう途中の共演者なのか、通り過ぎて行った後に今、何が残っているか考えてみるといいかもしんないよ。失恋は辛くポッカリ穴が開いて実際心理学の実験でも出てるんだけど自己肯定感が著しく下がり自信は持てず心が塞ぎこむこともあるだろうけど、じゃあ今、心に何が残っているかって言うと一緒に過ごした日々にもらったものやあげたものが確かにあると思うのよ。個人的な経験も含めてだけど、失恋後はたくさんの感情がよぎってくだろうけど、出会えてよかったなってのがそのうち強くなっていくと思います。そのうちね。無理しなくていいから。

日本で初めてUSBメモリを作ったコンセプト開発のプロ、イノベーションクリエイターの濱口秀司さんの言葉はとにかく発見が多くて拝借。

「旅は視点を広げ、

芸術は問いを広げ、

哲学は本質を広げ、

恋愛は感情を広げ、

技術は可能性を広げ、

デザインは解法を広げ、

そして、ビジネスは大風呂敷を広げる。」

最後のユーモアは一旦置いといたとして、恋をする理由は人それぞれだけど、結果恋をしてたしかに残るのは感情の広がり。喜怒哀楽だけじゃなくて喜幸嬉快怒笑満癒和懐欲慈辛惨焦哀楽泣愛みたいな心の画素数で、また次の何かに恋ができるから。きっと大丈夫だから。それに喜怒哀楽って喜と楽が被ってるから。ディズニーのインサイド・ヘッドは名前の通り頭の中の気持ち達が主人公なんだけど、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリの5種類でいや、気持ちの画素粗いな!

別れた後に場所場所を思い出しちゃうのとか、返ってこないLINE眺めたりとか、家にあった部屋着の処分に困ったりとかしてる瞬間、感情の幅は広がっていくわけ素敵な恋であればあるほど。お喋りなもんで失恋話を黙ってうんうん聞くのは苦手なんだけど、身に付けた知識の中で肯定してあげることはできると思います。さよならを 好きだってわかるように 次の場所で会いましょう。

あなーたがーほしーいー、あなーたがーほしーいー、もっと奪ってわたしをー。ってよく実家で母親が熱唱してた曲for you…などでおなじみの歌手高橋真梨子さんのベストアルバムのコピーを最後に教えてあげよう。

 

「恋には大事なことが三つある。出会い方、別れ方、そして、忘れ方。」