2013-06-26 00:07:27
今読んでる三谷幸喜のエッセイの
自分に、勝負運がまるでない。
理由は分かっている。
勝つことより、その場を盛り上げることに神経を使ってしまうからだ。
ドラマチックな展開や、ゲームとしての盛り上がりを考えてしまう「作家魂」が原因だ。
という部分が、共感を通り越して、
僕そのものでした。
いや、確かにサッカダマシイは、恐れ多い。けど
僕も勝負事は、どうヒックリカエスかだと思っています。
大富豪では、
早く上がるより、革命、もしくは、革命返しを狙ってしまう。
7並べでは、
6や8が出ていないときは、僕が持っていると思ってもらっていい。
といった、びちゃびちゃに可笑しいたとえに、感心した。
けれど僕も、一字一句漏らさず、その気持ちを持っている。
僕なりに暮らす中で見つけた性格的自己分析を、こうもさらっと言われた悔しささえある。
思えば、高校野球。
先発した私は9回まで1失点。
3-1で勝ってたが、9回にボコ打ちされ一挙6失点で逆転負け。
相手チームは勢いをつけそのまま優勝した、ことがある。
もちろん力負けなんでしょうが、
私の中の勝負師が、あれまエンターテイナーに早変わり。自分が末恐ろしくて仕方ない。
世界中で愛されるボードゲーム「カタンの開拓者たち」でも、ハナから勝利には興味がない。
その時々での1位を邪魔することしか考えないのだ。
何でも、ひっくり返さにゃ。
今流行っている人狼。
やったことはないが、
僕なら占い師だとカミングアウトしたヤツを疑い続けるだろうし、ゲーム中に心筋梗塞くらいは装うだろう。
当然、真剣勝負に水を差すため、嫌われてしまうことにもなる。
これはそういう星の元に生まれたので仕方がないのだ。ひっくり返さにゃ。
これについては人生の美学なので、もう1つ書く。