心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

366

霜月下期、32歳になった。
20代後半から30にかけてのあの高揚感はとうに消え、自分のことなのに低体温で喜んでいる。
それでいい。30超えての誕生日にしては正解の反応だとも思う。よしよし、生きてる生きてる。
社会人10年目も早くもあとちょい。ナイキが「どこまで行けるか。」というコピーで部活動生に寄り添っていた時代の育ちなので、
「まだやれる、もっといける」と思って言い聞かせていた若手社会人を経て、
「まだやれる、もっといける」のなら早く結果を出せよ、本当はもうやれないんじゃないの?という、底なのか天井なのかいずれにせよできる範囲を狭められる気もする真っ只中。”無駄だ ここは元から楽しい地獄だ”と星野源も歌ってる。
星野源 – 地獄でなぜ悪い (Official Video) - YouTube


「40になった時、代表作のない人生を想像してみ?」
先日、数年ぶりに再開したコピーライターのお師匠からの言葉が、聞いてた僕含む弟子たちにぶっ刺さる。曰く、自身の若い頃に何の代表作もない40以上のおっさんを見て「この人なんなんだ?」と思っていたらしい。トガりすぎじゃない?
でも言われてみれば僕も高校の頃、野球部のOB会の方が夏の大会前にバットやボールを贈って激励の言葉をくれる機会に「誰やねんこの人たちは」って心中で思ってたもんな。わかもんあるあるかもしれない。

その飲み会の場で師匠に「32歳の頃どんな感じでしたか?」と尋ねると、出るわ出るわ名作の誕生の瞬間。「あの仕事は30の時だね。みんなの年齢の数年後にあれを手がけたよ。」などなど、自分は何やってんだろうってのも感じなくなるほど差を痛感した飲み会の最後は、
「次会う時までにみんな代表作を作ろう。作れなかったらその人のごちそうな」という、地獄の約束でお開きとなった。
よし頑張るぞ!と共に、誘われたら逃げよう!という情けない自分もいる。
どうです?同世代の皆さん、代表作あります?

社会人が10年経ったからなのか、2023年は自分について省みる機会の多い1年だった。得意、不得意、好みと嫌い。思考回路も性格も、苦手だからで片づけちゃいけないことも。軽いところから言えば、ちょっとした飲み会のトークテーマ「好きな異性の芸能人を3人あげよ」。1人だったら皆藤愛子さん一択なのだが、3人って難しい。その場で答えることができず後日、Negiccoのかえぽと、女優の穂志もえかさんに落ち着く。
どうです?同世代のみなさん、3人挙げられます?

恥ずかしながら、自分の卑怯さに気づくシーンも増えた。振り返るにヒキョウなやつだという自覚はずっとある。例えばおんなじ悪ふざけをしていてもほしかわだけは先生に怒られないみたいなことが小中時代によくあって、やったのはこいつですみたいな友達を差し出す二枚舌も意図的に使っていた。そもそも卑怯を自覚してこんなことを書いてる時点で、「そんなことないよ」待ちだったり、「認められてえらいね」待ちだったらする。根は深い、考えは浅い。

こうした姑息な立ち回りや論点ずらし、「別に良くない?」といった自分だけが特別に守られるルールを築いてきたことに、気付かされるのが妻との会話で。
相変わらず生活力の無さが迷惑をかけていて、指摘されても話を聞かずヘリクツこねる自分のダメさ。調べもせずこういうものだからと半ば諦念も持ちがちで、わりと真逆な我が妻は、僕にないものばかりで素直に尊敬する。

例えば、朝飯担当大臣をやらせてもらってるのだが、毎回食パンの袋をきれいにうまく開けられず謝るしかできない僕と、
「食パン 開け方」ですぐに調べて「上から開けるらしいよ、ほし下から開けてない?」と問題の根本から解決してくれる妻。
次はちゃんとやるね、という謝罪と意思表示で物事は解決しないのです。マジで当たり前なんだけど、僕の毎日はこういうことがあまりに多い。

接着面の下を引っ張るとこうなるので、上のピロピロを引っ張ること

あと食パンで言えば、ある日の朝、妻が食パンを半分に切って食べてるのを見て衝撃を受けた。
何言ってるか分かんないと思うけど、食パンは1枚食べるものだという謎の規則に縛られて、というかシンプルに自分の頭で考えていないから思考停止で食パン1枚をまま焼き続けてきた僕からすると、
その日の体調やランチの予定を見て、食事の量を減らす妻の状況分析力や判断力は、シンプルにすごいなと思えるのです。
たしかに、例えばランチバイキングの予定を控えた土日の遅めの朝は、食パン半分くらいがちょうどいいものである。
結果、朝に食べた食パン1枚のせいで胃下垂をパンパンに膨らませながら苦笑いでランチを食べる僕からしたら、妻ってすごいなぁと思うし、
何言ってるか分かんないかもしれないけど、食パンって食べたい分だけを食べればいいのです。

つまるところ、生きるというのは状況分析や、判断の積み重ねであり、思考と試行の回数の差が「生活力」に表れる。なにも、洗濯表示全部頭に入ってますという家庭科力に限らずに、自分で判断した経験値って絶対的だと思った。
どうです?同世代のみなさん、日によって食パン切ってます?(さすがに僕ほど生活力が低い人、あんま見たことない)

朝飯で言えば他にも、納豆2パックにタレ、卵、小葱、かつぶしを入れるホシカワズ納豆(これが1番美味い)を作るとき、
かき混ぜる器のフチが反り立つ壁みたいに内側に入り込んでいるため、ご飯の上にかけたら液が垂れて持ち手がベチャベチャになる不快感を
僕はティッシュで拭いて済まそうとするんだけど、
「こっちの丸くなってないほうでかき混ぜたら?」と、問題の本質を見抜いて指摘してくれる妻は、大げさかもしれないけどカッコ良さすらある。

戦いを略すのが「戦略」とはよく言ったもので、
「どう?このかき混ぜ方ならまだ許容できる範囲のベチャベチャだよ」とティッシュ片手にキショい「戦闘」でなんとかしようとする私は、
「戦略」から考え、判断し、最適解を選ぶ妻には永遠に勝てない、と思い至った。

フチが内側に閉じている、納豆オンザライスに向いていない器
フチが外側に開いている、納豆オンザライスに向いているボウル


2023年は自分について省みる機会の多い1年だった。と書いたが、一緒に暮らしている妻のおかげも多いもんで、
やはり同じ屋根の下、起こる出来事を共有し、怒る感情もぶつけながら、「ふたりが暮らした。」というハウルの動く城のキャッチコピーよろしく、「長い会話である」というニーチェよろしく、たくさんおしゃべりをしている。
MBTIという16タイプに分ける性格診断をやってみたところ、妻が「管理者」で、僕は「広報」。
この2つは基本相容れないらしいけど、あかんやん!と2人で笑えてるから大丈夫だと思う。マッチングアプリで性格AI診断なるものが搭載されたそうだけど、合わないからこそ楽しいこともあるよとは伝えておこう。

なにも、食に関することだけでなく、徹底したリサーチからルール作りまで「管理者」がぴったりの妻に対して
僕は僕で、ルールに異議なく従う力がアホほど高いのと、日々わりと穏やかな人間であるということを改めて知った。
おかげさまで一緒に暮らせてよかったなと思う回数はとても多いし、感謝の気持ちは「広報」していこうと思う。

ついでにちょっとしたエピソード。
妻が録画機能付きテレビで昔のドラマを撮り溜めていて、出歩けない悪天候時や面白いテレビがやってない夜に「兄さん、いいの揃ってますよ」と勧めてくる通称:妻フリックスがあるんだけど1つ難点があって、家主のモチベーションにより連ドラに歯抜けがあるのだ。
面白いか分からないから録画する熱量がなかったり、放送日に気づかなかったりで1話が撮れてない時は、もう想像するしかない。
この時点で解約したくもなるのだけど、たしかに十数年ぶりに『プロポーズ大作戦』に巡り合えた時はテンションが上がった。
高1の時、同級生がみな話題にしていたけど当時ドラマを見る文化が僕になく、実は1回も見たことないままオーベイビノーメイビを歌ってたのである。
夏季休暇の夜更かしタイムに(仕方なく)2話から見始めたらさすがピーヤマはかっこいいのに情けないし、ナガサワは全部が全部可愛い。
えー次どうなるの?の連続。どっぷりハマり睡魔もなんのその、最後はどうなってしまうんだぁ!?と最終回前まで夜通し見た結果、
「あれ?あ、ごめん、最後撮れてない」という最悪のユーザーエクスペリエンスで終わった。
プロポーズ大作戦失敗!!!!

「いや、プロポーズ大作戦はその後にスペシャル版があったんだよ!そっち撮れてるはず!、、、、、、、、撮れてなかった」
プロポーズ大作戦大失敗!!!!!!!!
明日晴れるかな?ドシャ降りです!!!!

妻フリックス、『グランメゾン東京』に至っては、1話が無いとか言うレベルではなく”物語が最終盤に差し掛かる前にもう一度おさらいしよう!”という1-9話のダイジェスト版をまず見させられた。
「今度は10話、11話は必ずあるから大丈夫!安心してまずこれ見て!ダイジェストだけど分かるように編集されてるから!」というイカれた視聴案内。
9話約9時間分を1.5時間分のダイジェストで見たんだけど、これつまり受け取る情報量が6倍で、常人だったらゲロ出ちゃうスピード感。
キムタクと鈴木京香が出会った5分後に沢村一樹が仲間になり、その5分後にミッチーが加わる。玉ちゃんは裏切ったり戻ったりするし、6倍の情報量ゆえ恋なのか何なのか分からないくだりもあるし、とりあえず中指薬指小指を立てるナマステスタイルがミシュラン三ツ星マークということだけは、かろうじて理解できた。
こみ上げてくるゲロを押さえて迎えた10話。そして最終回11話。
、、、いやまぁあれだね、面白いんだけど展開がおっそいね。そりゃこれまで6倍の情報量で見てたもんだからね、遅い遅い。止まって見えるぜ。
ジェットコースターみたいな加速減速に乗り物酔いしながら、どうだった?って聞かれても、「面白かった。けど普通に見たかった」と返すのが精一杯。
一息ついて聞こえてくる山下達郎の歌声で初めて、あ、これ主題歌山下達郎だったのねと知る。
なんせダイジェスト版はエンディングがカットされてたので、主題歌を初めて聞くのが最終話。
これが妻フリックス。録画一覧からEXITかねちーにハマってた時期が明確に分かるのも妻フリックス。

かのアガサ・クリスティは「考古学者は女性にとって最良の夫である。妻が年をとれば取るほど彼女に関心を持つようになる。」と言ったらしい。
考古学者ではないけれど、飽きずに面白がれるマインドなのも「広報」タイプの特徴らしい。まだまだこの妻への興味は尽きなさそうである。


さて、2024年。
仕事も家庭もさらに高い目標や深い課題に向き合っていくことが求められそうだ。
独身の、文字通り独り身の気ままな暮らしでは思いもよらなかった自分の深い問題も表出し、「頑張ります!」だけでは解決しないことも知った。
そんな中で今年のテーマである一言を考えようとした時に、冒頭の僕らのコピーライターの師匠オカキンさんが、
そのまた師匠の岩崎俊一さんに言われたという言葉をふと思い出した。
著書から引用させていただく。

「慣れてる人より、燃えてる人。」

オカキンさん曰く、歳を取れば取るほどいいコピーが書けるようになるかと言うと、どうもそうとは限らない。
そもそも人は「不慣れ」を克服するためにがんばるもの。にもかかわらず「慣れ」のレベルが一定に達すると、それはとたんに性質を変え、自分に刃を向けてくる。
本来、「慣れ」は共同体への順応や、仕事のスキルアップやレベルアップであったはずなのに、
ある時点からテキトーにとか、だいたいのところでとか、こうすればいいに決まってんだろなどの諸症状が顔を出す。
詩人の吉本隆明さんはこれを「毒がまわる」と言ったそうだ。

社会人まる10年が経ち、だいたいのところで、という感覚はたしかに出来上がってしまっている。
妻との会話でも、俺はこういう人間だからと慣れすなわち諦め、他人任せの当事者意識のなさが、不要な諍いを生んでしまったりする。
人は慣れる生き物で、慣性に従うのはすごく楽なんだけど、それを奮い立たせるのが社会人11年目の目標なのではないか。
そこには「燃える」ほどのエネルギーは欠かせないはずだ。

”「慣れてる人より、燃えてる人。」
この言葉は若い人へのエールだったり、不遜な訳知り顔をぶっ飛ばせっていうアジテーションだったり。そういうことだと思うのですが、私はそれともうひとつ、慣れが足枷になった人でも、燃え続けることは一生できるぞっていう、人生の、むしろ後半戦へのアドバイスにも思えるのです。”
と著書『ステートメント宣言』にて、オカキンさんは語っていらっしゃる。


2013年「循環を大きくする。」
2014年「語ってもらう。」
2015年「誰で、どこへ向かうのか。」
2016年「人間らしくやりたいナ。」
2017年「うけ(いれられ)たい。」
2018年「考えないは、ない。」
2019年「未来を助ける。」
2020年「名乗りを上げる。」
2021年「誰かのコップを満たす。」
2022年「自分に、値札を。」
2023年「生産者さんの顔になる。」
そして
2024年「慣れてる人より、燃えてる人。」

今年はこの一言を掲げて、公私に熱エネルギーを放っていこう。
ここ数年全然ブログを書けてなかったけど、会えなくなった友人でも「見てるよ」と言ってくれたりするので、今年は多く書こうと思う。

というわけで次回は、そんな真逆な性質の我々が力を合わせてお届けした結婚式
showkakeru.hatenablog.com
の続編でも書くつもりです。
今年もHOSHIKAWASをよろしくお願いします。

365

電通さんがやってた夏のインターン、今年の表現クリエイティブコースのエントリー課題①はこんなお題だった。
課題①「私だけが気づいていること」をテーマに400字以内の文章を書いてください。
みんなだったらなんて書く?400字って長いようで短くて短いようで長い夏のごとし、結構難しいぜ?なんて言っても残暑が長引くらしいから夏よ秋を縮めないでよ。私の生まれ季節なのよ少しでも長く過ごさせて。
秋の夜長に「私だけが気づいていること」をひとまず書き出してみる。
→"えー近所に「ひじかた眼科」って眼科があるのですが、一瞬、野球部専門かな?と思っちゃいますよね?ほら、ひじかたって野球部かよみたいな、、、私だけでしょうか?"
なんて話を書くには、少し余白が大きいぜ。白地は伸びしろ。のびしろしかないわって一周回ってダサい気もする。のびしろしかないわって自分のことだ!ってホッとしてる自分が1番ダサい気もしてる。
このお題を考えながらスタバで休憩していると、お隣の席の女性が「私40超えてから気づいちゃったのよ、」と静かなトーンで話し出したので、お、どんな気づき?と聞き耳を立ててたら「…ポテトチップスのおいしさに」とのことでフラペチーノ吹き出しそうになっちゃった。聞いてた2人の女性が一斉に「遅いよ〜」と突っ込んでてほっこりした。

「私だけが気づいていること」というレンズを与えられて初めて、見える世界は細かくなる。受信するアンテナを立てて初めて、日々の暮らしは解像度が高くなる。
これ結構大事なことで、どんなレンズをかけてますか?という話。「赤いもの」アンテナを立てて歩いたら目につくポストに八百屋のトマト、恋する乙女の頬の色。

「私だけが気づいていること」というお題に、1つだけ自信がある答えがある。
→"「階段を降りる瞬間を思い浮かべてください。今まさに階段を下りているその時、あなたのその2本の腕はどうなってますか?」これ、意識した次の瞬間からもうあなたは戻ってこられないくらい、腕の位置や使い方に違和感を覚えるようになります。"これです。
駆け降りるときに駆けるように腕を少し曲げたり、リズムとって振ってみたり、今まで無意識でできてた何気ない動きが、急に気持ち悪くなるのです。今度階段降りる時、ぜひ思い出してください。今んとこ友人知人2人に試したら、2人ともアレ?ん?って混乱してた。「やめてよ階段降りられなくなっちゃったじゃん!」とも言われ、しめしめにやにや。
これは僕しか気づいてない、今まで何気なくできてたことが突然できなくなる「イップスメーカー」だと思ってる。

こうした手触り感のある身体的な気づきこそ、人とカブらない引き出しになるような気がしている。そう信じてる。だからあちこち行ってその目その足で触れる味わうのが鍵だよね引き出しの、って思ってる。東京ディズニーランドと同じ名付け感覚(詐欺意識)で、千葉県袖ヶ浦市に"東京"ドイツ村というテーマパークがあるのだけど、罰ゲームのアイスをかけて戦うパターゴルフ対決がめちゃくちゃ楽しかった。言ってもパターじゃそんなに差がつかなくて「最終ホールはスコア3倍!」って友達が勝負に出たの面白かったし、最終ホールを待たずして最下位をほぼ確定させてしまったあたしは情けなかったな。ピエロにも技術は要るわけだ。へたくそを演じる芝居は上手じゃなくちゃ。

「私だけが気づいていること」というお題の、逆に言葉遊び系はたいていカブりがちである。「デスクトップの乱れは、心の乱れ」って中学の服装検査みたいなノリで、自家発電で思いついたんだけど、Twitter(現X)見てたらめちゃくちゃコスられていた。うまいと思ったんだけど先人がめちゃめちゃいた。
似たような話で、「体の相性と同じように、文体の相性がある」ってのもあると思う。おそらく既に何人もの人が気づいていることではあるけれど。
あぁその言い回し好きだなぁもあれば、それはちょっと苦手だなぁってのがあって。会社の後輩は「いわゆる」が口癖なんだけど毎回全然いわゆってなくて1人モヤモヤしている。指摘したら改めたんだけど代わりに「それこそ」を使い出したので、どうして君は毎回自分の発言のハードルを上げるのか?と頭を抱えている。
あとこれは僕もやっちゃうんだけど、どの範囲の話をしているか絞ったほうが伝わりやすいかなと「それで言うと」を頭に付けて話す癖が後輩に伝染してしまい、僕が「この件どうなった?」と聞くと「それで言うと〜」、「今日発注いただける案件ある?」と聞くと「それで言うと〜」と後輩が返してきて、「いや、、、それで言えよ!!」ともはやちょっと可笑しくなっている、若手が多い我がチームです。10年目を迎えた僕とは違ってみんな、のびしろしかないわ。


「体の相性と同じように、文体の相性がある」はけっこう芯食ってると思ってて、例えば「!」と「笑」を多用する"岸くん構文"はどうですか?アリですかナシですかTOBEですか?
僕もよくやっちゃう「!」とか「笑」とかは、仲良くなるにつれだんだんなくなっていく不思議。度々遊んでもらっている高校野球部のキャプテンは、最近なんと「ぴょす」からLINEを始めてくるようになり、随分と丸くなられたなとわらう。親しき仲には「!」と「笑」なし。
“岸くん構文”なんてのはまだかわいいもんで、巷には“ビックモーター副社長構文”なんてのもあるらしい恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖死刑死刑死刑死刑死刑。言うまでもなく文体の相性は最悪である。

もう誰も口にしてないけれど、今年読んだ文章の中で1番心に残ってるのが広末涼子さんのあの手紙で、キモいとかドン引きとかはもう百も承知、千も了解。あんなフルスイングのラブレター、いったい何年書いてないだろうと遡っても多分さすがのぼくも書いたことない。
文字に書き起こすのはさすがにヤボヤボの実なので適宜調べてもらいたいけれど、「○○してくれて○○してくれて○○してくれて、本当にほんとに、ほんとうに、、ありがとう。心からのありがとう。」って、例えば本当にを3種類にも書き分けているあたり、結構好きなんだよな。そういう意味では文体の相性いいのかもしれん。
部外者が見てうわぁって、ぐはぁってなればなるものほど、恋する2人には愛おしいものなんだと思いました。そうそう、そう来なくっちゃとすら思いました。

ちなみにこれは友達とお酒の席でやったんだけど、あの広末さんのお手紙を1分間で覚えて暗唱できるか選手権めちゃ楽しいのでお酒も回る22時台の遊びにオススメです。
友達がやたらと「入ってくれて」をすぐ繰り出してきて(たしかに声に出して読みたい日本語ではあるが)、「ちがう、”出逢ってくれて、会ってくれて、合ってくれて、くっついてくれて”が先!」「すぐ入りすぎ!」って突っ込まれてて笑った。こんな恥じらいもデリカシーもない遊びを生み出すのが楽しい。こういった面白さはきっと自分だけが気づ、あ!「私だけが気づいていること」、これだ!!!!!!!(岸くん構文)

と、ここまで書いたのはマイワイフが不在にしていた週末のことで、話し相手がいないと人は独り言が多くなる。と気づく。いつも話を聞いてくれる存在のありがたみにまた気づく。
まだまだテレがあり、妻と言うか奥さんと言うかお嫁さんと言うか悩むことがあって、どうにも立場差がある呼び名が多くて世の男性陣困りません?奥の方とか、女偏に家とかイニシエの家制度、身分や主従関係を感じさせるの抵抗ありません?
学生時代気が強かった女の子ほど結婚した途端、Instagramで「主人の友達が~」「主人の職場で~」と主人呼びする傾向が強いと思うのは私だけでしょうか?主な人て!アルジて!と毎回ぞっとしてる。そっとしとけばいいのに。似てるけど「旦那」をえらぶ人もなんかちょっとヤだな。僕ならいっそ「ホシカワのダンナ」ぐらいにふざけて呼んでもらいたいな。

ちょっと前のあたしはよくもまぁくだらない文章をたくさん書いたなぁと思うけど、こうして頻度が減った今、一つ屋根の下で暮らしてる楽しい同居人にたくさん聞いてもらって、おかげで穏やかで健やかで柔やかな暮らしができている。にこやかって柔やかって書くのね今知ったわ知ってた?これも後で教えてあげようって話したいことがまたひとつ増える。
「夫婦生活は長い会話である」ってまじニーチェ良いこと言うやん。話し相手がいない週末はさびしさもそうだけど、それよりつまらなさが身に迫ってきてマジたくさん長い会話してぇと帰りを待ち望んでおりました。王の帰還みたいな妻の帰還である。よくぞ戻られた。殿、温めておきましたぞと秀吉ばりに我が家をあたためておこうと、いっちょヒロスエさんみたいなラブレターを書きたくて、こうして書き残しておく。

364

「クリスマス~お正月~ナイ~スコ~ンボ~♪」と歌っている間に成人式も終わってるし、建国記念も春分も終わりエイプリルフールですやん嘘みたい。
下書きに眠らせていた年末正月からの日々を供養しようと思う。時の流れに身を任せ〜あなたの色に染められ〜より、流れてく時のスピードに負けないように〜立ち止まってしまわぬように世代です。こんにちはこんばんはいかがお過ごし?デイバイデイ新たな世界へ。

冒頭のももクロZ『サンタさん』の歌詞が好きで、「選挙の日ってウチじゃなぜか投票行って外食するんだ」ってモー娘。『ザ☆ピ〜ス!』みたく、その時が来る度に思い出しちゃうフレーズで、久しぶりにクリスマス時期に聞こうとSpotifyで検索したら『サンタさん-ZZ ver.-』という曲もある。2年前にリメイクされてたのを知らなかった。
たしかに元の方は、一にも二にもももかが爆裂に輝いてて、Oh!サンタァクロオォスのとことか超いいんだけどご卒業されて、残った4人バージョンのアレンジがこれまためっちゃ良(い)かった。
学生時代がアイドル戦国時代、夏草や兵どもが夢の跡。当時あーりんが歌ってた「今年で15回目クリスマス!」は「今年で何回目クリスマス!」に。ももかが歌ってた「赤い服の由来なんか気にしちゃいけない」のところは、「しじゅー ごじゅー ろくじゅになろうと はしゃぎマス クリスマス」と、れにちゃんが歌ってる。アイドルとして年齢を重ねることの難しさやらあると思うんだけど、10年以上経っても鮮やかに可愛いままアップデートされててあたしゃ感動しちゃった。見てよこれ。
多分だけど僕も40、50、60歳になろうと はしゃぎマス クリスマス。
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同棲が始まってもうすぐ1年。
思えば1人だらだらYouTubeを探る時間は当然だけどなくなった。レコメンドがレコメンドを呼び、乃木坂聞いてたはずなのに寝落ちして起きたらかまいたち傑作漫才集になってるような、自由気ままな不健康が懐かしい。
現在はコンテンツ戦国時代、仕事をしながら暮らす日々の隙間は、新しいものを見聞きするには足らなすぎる。友達が強烈にプッシュしてくれたFRUITS ZIPPERを早速聞いて早速ハマる。今のアイドルってここまで可愛いを詰め込められるのかと圧倒される。
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調べると元HKTがいたり、元天てれキッズがいたり、アイドル10年やってる子がいたりで、ドリームチーム具合は侍JAPANを彷彿させる。
調べるとこれまで多くのアイドル楽曲を手掛けてこられたヤマモトショウさんが作詞作曲編曲で、「tiktokでバズらせる曲を」ってオーダーにバチコンと返してて才能すげい。振付は元PASSPO☆槙田紗子さんで、ボイストレーナーが元アイドリング遠藤舞さんで、と時代が一巡りしてアイドルOG達がプロデュース側で支えてるのエモい。槙田さんは2018年、文春オンラインのインタビューでこんな風に言っている。

――アイドル界が縮小していく寂しさは感じていますか?

槙田 でも、絶対にまたブームはくるので。5年後くらいかな。いまは入れ替わりの時期だと思ってます。

――5年後は、槙田さんはアイドルを支える側としてブームを牽引していくと。

槙田 次のアイドルブームを狙ってグループを作りたいと思ってます。

ちょうど今年がその5年後。アイドル一時代を築いた方々が育てる側に回った結果、tiktokで6億回再生とかされてるの見てあたしゃ感動しちゃった。

最近ハッキリとわかったのだけど僕は、巡り巡るものや、積み重なるものや、日々の繋がりが好きらしい。
邦楽の中でも木村カエラ『happiness!!!』の“全てがちっぽけな積み重ね 集めたら届くと思うの 君と同じ 時はいつもめぐる”だったり、SMAP『freebird』の“どこかに答えがあるのなら いつか飛び回ることを忘れてしまうよ 君との距離も寂しい時間も回り続けるからいいんだと思います”だったりの歌詞は、人生観にも大きく影響している。
巡り巡って時は流れて積み重なって、社会人まる9年お疲れさまでした。今日から10年目のTenthホシカワでございます。

(あ、もう1つ。あのちゃんのTHE FIRST TAKEがめちゃくちゃよかった。本人も携わってる作詞の韻の踏み方に惹かれるし、歌ってる途中に乗ってくるのが伝わってくる。あのちゃんっぽいインフルエンサーやらの可愛い子がどれだけ増えたとしても、この人にしか出せない魅力を持っててホンモノだ!ってなった。一挙手一投足に目が奪われちゃうから、あのちゃんは今も昔もずっとアイドルなのだよきっと。のんきに動画見てたらなんとご本人がYouTubeにコメントしてるじゃないですか、その言葉もホンモノだから言えるものだなぁと感心しちゃった。)
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はじめまして。anoです。あのちゃんて呼ばれてます。

歌を歌ってます。歌は自由だなって思います。苦しくもなるし楽しくもなれる。それをありのまま等身大でいることが許される気がする。だから好きです。

是非、たくさん聴いてみてください。

YouTubeはここで一時停止して外に出る。家から歩いて少しのところにお米屋さんがある。
師走に入り、年末に受け取れる搗き立ての餅の予約をしてみた。なんせ幼少期からきなこもちが好きなのでわくわく。「A4サイズぐらいです」と米屋のおっちゃんが教えてくれるも、自分の中で“A4”と“餅”が紐づかないどきどき。
朝8時から受け取れるそうで年の瀬の朝、早起きして1人取りに行く。寒いけれど晴れて澄んだ空気に「冬はつとめて」という一説が思い出される。帰ってきて直方体に餅を切る。食べきれない分はラップで包んで、彼女のご実家にもお裾分けしたりする。この汚れは何汚れかって酸性かアルカリ性かを意識する大掃除。ふるさと納税で頼んだふぐ鍋を食べる大晦日。初めて2人で過ごす年末は日常の画素数が上がる気がして、僕なりの丁寧な暮らしってこういうことだと知る。これまでの僕が見えていなかった世界や、素通りしてきた日常に目を向け解像度が高まる感じ。自分以外のレンズを手にするのが、誰かと暮らす楽しさの1つかもしれない。環境によって人は変わっていく。

2月頭、コロナ以降久しぶりにゼミの友人らで集まる機会があった。アメリカで働くキャリアウーマンもいれば、お子さんを連れて数年ぶりに顔を出してくれたママもいたり、あれだけ酒豪だったのにソフトドリンクを頼んでるからもしやと気づかれ、ご懐妊を祝われているプレママもいた。僕がTenthホシカワであるのと同様、卒業から10年近く経ったみんなもTenthなわけで、各々が人生をたしかに歩んでいる。
集合時間に遅れてしまったお詫びも兼ねて、商業施設で配ってた風船を1つもらって友達のお子ちゃんに渡したら喜んでもらえたんだけど、それ以上にママになった友達から驚かれた。「カケルがまさかそんなことをする大人になったなんて!」と、学生時代おとなしかったその子は言う。どうやら彼女から見た当時の僕は「飲み会で過剰な盛り上げをするあまり、顔を踏まれそうになった」り、「言い返したら何されるか分からないから何も言えなかった」「手がつけられない男子」という印象だったらしい。まじかよそれ本当に僕ですか?であるならば心底ごめんなさい過ぎる。
「かけるが変わってくれたって安心できたから、これからは飲み会にも顔を出せそう」と笑って言ってくれて、今まであまり顔を出してなかったのは育児の忙しさだけじゃなく苦手な野郎つまり僕がいるからだったのかって、自分の「人間の出来てなさ」をひどく後悔した。
たしかに今思えば、変な空気を多々持ち込んでしまった気がする。例えばゼミの先生が生協の「野菜バー」っていう塩味のビスケットが好きって聞いてたので、誕生日にみんなで渡す横で、ウケるかなって生のキュウリを渡して困らせたことがある。当時は(あろうことか)誰も突っ込んでくれなかったことにガッカリしたりしてたんだけど、全然面白くない。面白くないどころか困らせている。そりゃ嫌われちゃうよお前さんと言ってあげたいし、こうして素直な友達が素直に変化に驚いてくれたことで素直に気づくことができた。ノサカさんとそのお子さんには取り返すように今後優しくしようと決めるけど、逆に不審がられちゃうかもしんないな、ママあのおじさん何なの?って。

コロナも明けてきて、こうした久しぶりの再会がちらほらあった。
サークルの仙台の後輩が東京に来るからって、そいつの同期の女の子と僕の代のイケメンに声をかけて4人で飲んだ時の話。
お店探そうと「何食べたい?」ってグループラインに、後輩女子から真っ先に「ラーメン!」って返ってきて、いや飲み会だよ?いきなりシメになっちゃうよ!って笑ったけど、その女の子は今では1児の母。聞けば日頃、気軽に外食ラーメンなんてできないわけ。たまのたまに旦那に子どもを預けて外でご飯を食べられるからこそ、久しぶりのラーメン欲を何の罪悪感もなしに満たせるのだと。そっか、そうだよなとまたしても後から気づく。
大学の卒業ぶりに集って思い出話や僕以外3人は子育て話に花を咲かせ、約束通り東京駅のラーメンストリートで締める。平日夜の、言っても数時間の食事だったんだけど帰宅したその子から
「みなさまご馳走様でした!私のわがままにお付き合いいただきありがとうございました!!
久しぶりすぎなのに大学生の頃みたいに話せてとっても楽しかったです✊✊✊✊✊
しばらくは明日からも頑張れます✊✊✊」
ってメッセージが来て、こちらからしたらただのよくある飲み会でも、1人のお母さんの明日からも頑張れる理由になれたのがホクホクじんわりうれしかった。
会うことのハードルが上がった今、皆それぞれライフステージが変わった中、そのうえ、あいつがいるなら行かないでおこうみたいに人と人はいらんマイナスもあったりするからこそ、しばらくは明日からも頑張れるおしゃべりって大事だなぁと思った。
SNSでは一切繋がってないけど僕のブログだけは読んでくれてる会社の辞めちゃった先輩とかもいたりするから、届いたらいいなってできる限り書いておこうと思う。次会う時にはあたくし分かりやすいところだと指輪を付けていたり、あとヒゲが濃くなったりしておりますよと。
今年は、いや、今年度は誰に会えるかしら。


2013年「循環を大きくする。」
2014年「語ってもらう。」
2015年「誰で、どこへ向かうのか。」
2016年「人間らしくやりたいナ。」
2017年「うけ(いれられ)たい。」
2018年「考えないは、ない。」
2019年「未来を助ける。」
2020年「名乗りを上げる。」
2021年「誰かのコップを満たす。」
2022年「自分に、値札を。」
と毎年、自分なりの価値基準を設けてその年のコンセプトを決めてきた。早くも3か月が過ぎてしまった今年のコンセプトを考えてる間にWBCは優勝に終わり、いろんなインタビューを読んで何か成長のヒントを探すサラリーマン。
この記事のプロ論は仕事にも通じる話だと思う。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a00783c38592b95672daf4e60d2c2e2e04902453

元メジャーリーガーでヤクルトの青木と最年少三冠王の村上は師弟のような関係で、青木は野球以外にもメンタルから食事まで指導しているらしく

「うまくいかないとき『メンタルの問題』と言う人は、そこで考えることを止めた人。プロなんだから、なぜ打てないのか、なぜケガをしたのか、逆になぜ打てたのか。それを自分で説明できないといけない。『メンタルのせい』と逃げる人が多いけど、ロジカルにならないといけない」

ってのを読んで、我々もお金をもらってる時点でプロなのだから、できない理由できた理由をロジカルに説明できるようになって、部下後輩に再現させないといけないと腹落ちした。
もっと言えば、誰かが用意してくれた道を走ること自体は、その辺を歩いている一般の方でもできるわけで
Tenthだから他の人より慣れていて、結果「少し上手に、または早く道を走れます」程度であれば、取って代われちゃう存在にすぎない。
勝ち馬に乗っかる消費者マインドばかりでは成長していかず、自分で考えて道を作れる生産者側のモチベーションを持つ必要がある。

2023年「生産者さんの顔になる。」

ここで言う生産者さんとは、もちろん野菜のパッケージにてニコニコしているおじさんではない。これ僕の仕事ですと顔出しで伝えることではなく、仕事を作る側や提供する側のプロとして理由が落とし込めている状態やそのモチベーションを目指そうという話である。
「明日大雨だから畑仕事さぼれるラッキー!」は消費者で「明日大雨だから今日のうちに対策しておこう」ってのが生産者であり、
「この野菜は流行ってるからただ作っておけばいい」って乗っかり型ではなく、「うち独自の技術と改良で美味しくできた」農家の方が当たり前だけど高く売れるわけだ。
何言ってんスカ当たり前じゃないスカそんなレベル低くないスヨってこうして例に出されると分かるんだけど、いざ仕事をしてると、それ思考停止で野菜育ててない?みたいなことがよくある。いや、大雨なの分かっててなんで何もしなかったのよみたいなことが。

冒頭のアイドル論は最たる例で「フルーツジッパーの松本かれんちゃんがどれだけ可愛いか」を熱く語ってるうちは消費者で、「アソビシステムっていう決してアイドル界では大きくない事務所で、なぜ激バズりを起こせたのか」を自分で考えて説明できるのが生産者だ。多くの模倣者を産むあのちゃんの存在も、いかにも生産者に当たる。逆にとかくオタクという立場存在はそもそも消費者臭が強めだと思った。
tiktokでウケるキャッチーなメロディ&歌詞と振り付け。その結果総再生数6億回のバズがテレビ・雑誌などマスへの情報連鎖が呼び、実は元天てれキッズでしたって報じるべき個人プロフィールのニュース価値まである。
余談だけど、元テレ東のテレビプロデューサー佐久間さんは最初に記念受験で事業部志望で受けたフジテレビの面接で、ご自身でのめり込んでたライブシーンやエンタメコンテンツの話をしたら、かなりの作り手目線だったのだろう、「制作受ければいいのに」と面接官の亀山千広さんに言われ、制作を志すようになったらしい。

性根として与えられた道を走るかなりの消費者マインドでここまで生きてきてしまったので簡単なことではないと思うけど、それこそ大谷さんの「憧れるのはやめましょう」よろしく生産者をリスペクトしつつも同じ目線でモノを見られるようになりたいな、ならなくちゃ、絶対なってやるとサトシ引退に寄せてみる。RPGのストーリーやキャラデザより何より「通信」が革命的で売れ続けたポケモンに対して、1人で育てて終わりなたまごっちの第一次ブームは98年に終了した。そこから「通信」の要素を取り入れて04年に復活。今じゃオンライン上でたまごっちを他のたまごっちとデートさせるさながらマッチングアプリみたいな機能もあるらしい。
結局、生産者さんの顔になるためには知識を得、研究し続けなければならんというわけだ。
https://toyokeizai.net/articles/-/616819?display=b

と、ここまで6000字以上書いて、こんな長い文章は誰も読まないよという「消費者マインド」も持ち合わせるべきだ。2つを行き来できることが理想である。

ここまで読んでくれた方にせめてもの御礼として、この時期何度でも読み返したくなる8年前の日経新聞「春秋」の名作を残しておきます。

今年も、いや、今年度もよろしくお願いします。


2015.03.29
職場の身辺整理の際、引き出しから小さな鍵が。そう言えば…。引き出しから思い出がこぼれ出す。
家にも昔の車の鍵がある。握ると家族と一緒に走った道や車の匂いを思い出す。自分の親はなくなり、子どもは大きくなった。ちっぽけな鍵の中、大切にしていた日々が生きている。

晩年の53歳頃、萩原朔太郎は手品に夢中だった。白のハンカチを胸ポケットに入れ、いかにも威厳のある顔つきで出かけて。書斎の引き出しに秘宝のように大事に閉まっていた手品の道具は、死後、遺族が開いてみると、どれも安っぽく幼児の玩具みたいだったらしい。

人の心にも鍵がある。本当に大事な想いは自分にしか分からない。人に語らずしまっておきたい感情もある。
春が来て、人が動く。出会いと別れ、3月末は気持ちが揺れ動く。ならばカチリと区切りをつけるのが、生きるコツなのかもしれない。

心の中にある鍵さえ守れば、過去は優しいまま消えない。

363

入れた入れたよ入籍し、挙げた挙げたよ結婚式。「プロポーズされたらゼクシィ」の前後は分断がすごくて、受験は戦争、結婚はとかく情報戦である。やったやったよコロ助なり。

愛する2人が一緒になりたいと願い、片方が結婚の意志を伝え、もう片方が受け入れる儀式ことプロポーズを終えた瞬間から何をやればいいのか右も左もワケわかめ。まず何をするの?一緒に住む?ってことは家探す?え、ちなみに家の更新まであと何年残ってる?両家の挨拶いつ行く?そもそも家族に報告しないとよね?式は挙げる?子どもは何人欲しい?学歴は?彼氏は?調べてみました!って記事最近全然見なくなったね淘汰されたね健全なインターネットだね。

え、入籍って既にある戸籍に入ることなので、再婚の時とかに使う言葉なのね?じゃあ籍入れるってなんだよ、婚姻届け出すって言えばいいのね。婚姻と婚約って何?何を持って婚約で何を持って結婚なんだい?

そんなの幸せ絶頂の2人は誰もなんにも気にしないと思うんだけど、気になって気になってプロポーズ後に向かう三省堂書店有楽町店。ジャンケンで負けたほうが買うことねってジャンケンしたら僕が勝ったんだけど、謎のものいいが入ってなぜか僕がゼクシィを買わされた。WBCアメリカみたいにルール変えてきよる後出しジャンケン

コロナで広告収入が減って薄くなったらしいけど、それでもまだ大人の中指2本ぐらいの分厚さのゼクシィを買って「プロポーズ後 まず何から?」を調べようとしたら、表紙開いてすぐこれが出てきて早速の白目スタート。

多いな!1冊にまとめろよ!

何のためにこんなに分厚いんだよ!!

 

目次を見てみよう。

全体的になんか、、、、、やだなぁ。

学生時代、絶対違うグループだった、そんな言語圏だな。

僕より言葉が軽いメディアもめずらしいな。

 

スヌーピーすぎる(はあと)ってどういう状態?もはや犬なん?名詞すぎるとは?

 

ちょっとうるさいなぁ。。

そんな感じで計1226P。もう一度書く1226P。これ、4冊も読まにゃならんのですか、、?大学なら教科書の多さでもう挫折して単位落とすレベル。いやこれが仮にクリスマス入籍の2人に向けた1226からスタートだねってメッセージだとしたら粋なんだけど、にしてもおなかいっぱい。結局、入籍と結婚の違いは書いてなかったし。

とはいえ、楽しい結婚式が終わった充実感に浸る今、ゼクシィってものを眺めながら二人で会話する時間こそ楽しいの始まりだったなと振り返る。ゼクシィの掌の上、同じ新婚なら踊らにゃソンソン。

 

さて。

やりたいことやれて、2人らしい式だったねと言ってもらえてお陰様で素敵な時間を過ごすことができた結婚式を振り返って、感情やら景色やらを残しておきたいなと思う。本当に僕は友人や周りの皆さんに恵まれている。おれの友達すげぇぜって友人自慢をやりがちなんだけど、誇らしいとすら思っている。人生で一番おめでとうを言ってもらえた当日はとっておいて、今回はWeb招待状に寄せられた友達からのメッセージを紹介したい。

 

便利な世の中、招待状はWebに変わった。“ご芳”名と”ご”住所と“様”に二重線を引かなくていい時代になった。あ~返事出さなきゃなぁという小さなストレスは紙からスマホに変わって残ったけど。

挙式自体は仏滅だったが招待状は大安に送る様式美、形式美の可笑しさ。管理する側としてもWeb招待状は有難くて、みんなからのメッセージをタイムリーに見られるのもホクホクして、当日への期待値を高めてくれた。31歳で挙げる式はちょっとしたコミュニティの同窓会。許可を得て一部を紹介したい。

 

まずは大学最初の友達から。バレーボールで汗を流し、彼の家で局部を晒し。迷惑もたくさんかけたけど、おかげで楽しかったでしょう?と胸を張る。

メッセージ欄があるから仕方なく書きます。
ただただ他人の家荒らして、事ある毎に局部や尻を出してた奴が結婚だなんて、さぞかし心の広いお相手なんだと思っている今日この頃です。
久しぶりに会えることも楽しみだけど、大切な友人の一生に一度の晴れ姿をお祝いできることを楽しみにしていますね!

いや、やっぱごめんなさいだわ。彼には文字通りたくさん恥ずかしいとこ(陰部とか局部とか)見せちゃったな。

続いて同じサークルで仙台から来てくれる後輩から。

ご結婚おめでとうございます!
Chúc mừng đám cưới của bạn
お二人にお会いできるのを楽しみにしてます。
không thể chờ đợi để nhìn thấy cả hai bạn

ベトナム語に訳さなくていいよ!読めるよ!

リスペクトを感じないナメ腐った後輩だ。

 

続いては野球部。高校時代一緒に漫才をやったタマ達、間違えた友達。あっという間にいい大人になりパパになり、3次会で会ったらべろべろに酔っ払ってておじさんになってた。

ご結婚おめでとうございます!
慶んで出席させて頂きます。

当日はたぶん泣いちゃいます!
















笑いすぎて。

こういう手が込んだものを見ると、わざわざ改行してくれたんだなぁとジーンと感動しちゃう僕もまた、おじさんになったもんだ。

 

 

ご結婚おめでとうございます
翔ちゃんのドレス姿を楽しみにしています

着ないよ。想像してわらけてきた。

中学からの親友がアホほどシンプルでばかばかしくてわらう。スピーチありがとう。

 

Hoshikawasの仲間が増えたこと大変嬉しく思います。
当日二人の晴れ姿が見られること楽しみにしています。

気をつけよ、井の中のホシカワズを命名したやつである。夫婦揃って生贄にされそうな僕らの神。スピーチおもしろかったなぁ。僕ができるまでを覚えててくれる貴重な2人である。

 

続いてゼミの友人(シティボーイで僕が一方的に憧れている爽やかイケメン)はお洒落で素敵な表現で、ふふふとわらった。

おめでとう!
かけるが東京會舘でふざけ回って出禁、二度と結婚式しないで幸せに暮らすとこまで見えた!
楽しみにしてます!

文章は人柄が出るなぁ。

 

 

健康診断は毎年しっかり受けましょう。

書いてくれたの野球部同級生のお医者さんなんだけど、文に人柄というか職業柄出てるなぁ。てか何のメッセージなんだよ。夫婦ぐるみでお世話になってるこの人は、ほんとふざけた人で、アレルギーの欄に

花粉と黄砂は苦手です

ってあって夫婦2人で笑った。違うのよ、食事を提供する際とかご懐妊中の列席者のためのアレルギーチェックであって花粉と黄砂は知らないのよ。もうすぐで研修を終えてまた東京に戻ってくるそうなので今からとっても楽しみ。

 

お次が最後。僕らの野球部のキャプテンで、みんなで遊ぶ企画もやってくれるとにかく人間ができた人。彼女と付き合いたての頃から一緒に遊んでくれてたので、乾杯の挨拶をお願いした。彼なら間違いないだろう。

どれどれ

 

おめめる👁️

こわい、頭おかしい。

見たことない。

え、結婚式の招待状の返信だよねこれ。「おめでとう」のおめは分かるんだけど「おめめる👁️」ってなに、、、?

 

この男がそれはそれは素敵な乾杯のスピーチをしてくれるわけである。そりゃ、結婚式ってのは楽しいものだ。

この他にも個人的な内容で紹介しきれないけれど、自分の結婚を我がことのように喜んでくれる友人がたくさんいて、本当にありがたいなぁと思った。社会人になってから出会って友達になった沖縄の空間デザイナーは、思いのほかエモに浸る長文を寄こしてくれて、当日は会場で1人指笛まで鳴らしてくれた。愉快な人生である。

自分が感じたありがとうとか、楽しさ面白さを少しでも返していきたい、そんな内祝いのつもりでこの文章を書いている。この機に「内祝い」ってものを調べると、ご祝儀で多くいただいた方へのお返しの意味以前に本来は、「わが家でいいことがあったので、その幸せをお祝いの品という形でおすそ分けします。ぜひ一緒に喜んでもらえたらうれしいです!」というものらしく、幸せマウントだのネタミソネミヒガミヨネミだのを明後日へ吹っ飛ばす、この時代にチャレンジングなどこまでも性善説でびっくりした(ヨネミは野球部の友人ヨネミツ君のあだ名)。

新婦側のメッセージも並べると、僕らだけじゃなくみんなも「楽しみにしてるよ~」と送ってくれたのがとてもありがたかった。これまで参列する側で、余興する側で、自分がウケるかすべるかしか考えられてなかったのが恥ずかしくなった。「ダイエットにはおからがいいよ」って教えてくれる新婦側の友人もいて、笑わせてくれる友人もありがたいし、受け手目線で欲しい情報をくれる友人も素敵だなぁとしみじみ思った。おめめるだけは永遠に分からない気がする。

 

かくして3月18日、いよいよ結婚式を迎えるわけである。

いや、寒の戻り!!

362

 

個人として4回目の引っ越しは、メルカリで4万荒稼ぎするほどの断つ捨てる離れる。1人暮らしから2人暮らしへ。この度の、この旅の関門を突破した本だの漫画だのDVDだのは将来的に連れ添う予感がしている。爆笑問題のエッセイシリーズや、千原ジュニアのDVDや、藤子・F・不二雄のSF短編集がそれだ。そのSF短編集に「値踏みカメラ」というお話がある。お話のお話から始めようと思う。ちょうど、冒頭のツイートでひんやり涼んだところでしょうから。

「値踏みカメラ」※お時間ある方はこちらのWikipediaをご覧ください。

カメラマン志望の主人公・竹子は青年実業家の倉金から好かれている。つぶれかけの骨董品を営む両親からは結婚を勧められるが本人は乗り気ではない。仕事仲間でフリーカメラマンの宇達に倉金のことを話すが、ひそかに竹子を好いている宇達にからかわれる。

家に帰ると骨董品屋にヨドバという男が珍しいカメラを売りに来ている。そのカメラは4つのドットで被写体の価値を図る「値踏みカメラ」。竹子の父は買い取りを断るが、興味を持った竹子は部屋にヨドバを招き入れる。左上のドットを押すと原材料費の「本価」、右上は「市価」(カメラの場合だと正札価格)、左下はこれから生み出す利益を計る「産価」が出ると説明されるが、母に見つかりカメラを置いたままヨドバは追い出されてしまう。試しに値踏みカメラで、持ち込まれた赤絵の「市価」を撮影すると価値が全くない偽物ということが分かる。

そこへ倉金が現れ、赤絵を偽物と暴き、そのまま竹子を音楽会に連れて行った後プロポーズをする。返事を迫られるがハッキリした返事をしない竹子は家に帰してもらえない。竹子は持っていた「値踏みカメラ」で倉金の「産価」を測ると文句のつけようのない大きな額が。そこへ宇達が現れ、倉金と竹子の取り合いに。宇達の「産価」を測ってみるが倉金とは比べ物にならないぐらい少なかった。そこにまたヨドバが現れ、4つ目のドットの説明を始める。一方で竹子は、倉金と宇達のどっちを選ぶかを迫られる。果たして竹子が選んだのは。。。

というお話。どうやら長澤まさみ主演で映像化もされているらしい。オチはいったんお預けするとして、自分がいくらでできているか、将来いくら生産するか。この話を読みながら30歳も半年ちょいが終わり、そんな考えが頭をぐるぐるする。記録的円安。政府の骨太方針。黒田総裁の発言も原文を読むとそうは言ってないだろという結論にもなり、暑さに音を上げる。

「値踏みカメラ」で今の僕を撮影するといくらだろうか。いくら痩せとはいえ、およそ炭素と脂肪の集合体である自分の「本価」はそんなに人と変わらないだろうけど、「市価(この場合年収なり転職相場での自分の価値なり)」と「産価(これからまだあと40年ぐらいでいくらの価値を産み出すのよ)」がえぐいほど周囲と差が出るお年頃。インサイト突きまくり広告No.1と言ったら「うわっ…私の年収、低すぎ…?」だと思う。いくらが妥当か誰も知らないくせに。

非上場企業に勤めていると株価を意識する機会はなく、株主のプレッシャーを感じる機会はほぼない(すなわち守られている)のだけど、脱炭素に関する仕事が増えて気づくのは、時価総額の考え方ってめちゃ大事ですやんと思ったり。たとえ今はまだ小さくても市場性、可能性、期待しててね投資してよねって未来の約束、背負う十字架。例えば2021年のトヨタのグローバル販売台数は約1,049万台で、一方のテスラモーターズは約93万台とその差は10倍以上あるにもかかわらず、時価総額はテスラ(約107兆1,000億円)がトヨタの3倍超らしい(参照)。いくら今売れていても2035年EUや日本で販売が禁止されているガソリン車を扱う既存メーカーに対して、いち早くEVを牽引したテスラに市場が期待しているというわけだ。もちろんトヨタが今後巻き返すかもしれないし、はたまた次のプレーヤーが現れるかもしれないが。ここで言いたいのは、市場が期待するというワード。自分でも婚約者でもほかの誰でもない"市場"が期待するというワード。

最悪「うわっ…私の年収、低すぎ…?」は目をつぶれたとしても、「うわっ…私の時価総額、低すぎ…?」と市場から諦められたら、その想像はけっこう苦しい。4月の引っ越しは数えたら13年ぶりの、しかも家族以外で初めての他人との同棲生活の始まりで、その上、末永くお幸せに暮らしましたとさを目指していく長期的な旅の始まりでもある。まさに今スタートを切ったというわけ。ほしかわ株を長く持っておこうと思わせて、将来性のある男ですよと思われて、それを続けていかなければならないの、初めて感じる類のプレッシャーかもしれない。「値踏みカメラ」で測る僕の「産価」はいくらなのだろう。人様の役に立って1円でも多く価値を生み出せているのだろうか。慣れに流され、楽を覚えて、「その刹那のてめぇの快楽の先に、何が待ってんの?」と見透かすボスは問う。と言うか激詰めされる。小さいころよく遊んだケイドロに、警察にならないと給与は増えないよと教えられる。

例えば、仕事の中には「ごっつぁんゴール」という他人のおかげさまでの成果の種類があり「えへへ、ありがたいことです」「自分はゴール前に立ってただけですから」と謙遜することがあるんだけど、自己顕示をなしにしても自分がここでこれをやったからこうなりました!と、自分の存在意義を当たり前に発信していく必要があるのだサラリーマンだもの。このあたりのパフォーマンスが性格的にも非常に苦手であり、ペシミストではないつもりだけど、別に自分でなくても上手くいったであろうよと思ってしまう。が、私がこれをやったから成果が上がりましたはもちろん、時価総額の観点で言うなれば、私が今後これをやっていくんです期待してくださいあとちょっとお給料あげてください、と旗を立てていかなければ、言わなければ、お給料渡す側もなんの評価ができないというわけだ。人生を通じても副副副キャプテンくらいの正義感と責任感で過ごしてきた結果が悪い意味で効いてきている。「いいんですいいんです、自分が打てなくてもチームが勝てば」って謙虚で組織人で、ある意味あるべき姿だと思ってたんだけど、みんながみんなレギュラーで打てなければファンはため息をつきブーイングをし、マスコミに酷評される。だからこそ本気のプレーにリーグのレベルは上がり、人は熱狂し、スポンサーが付きお金を払う価値が生まれる。やってることは少年と同じ野球でも。お前~が打たなきゃ誰が打つ♪が脳内に流れる。お金をもらう以上、僕らもプロである。落合博満『嫌われた監督』がぞくぞくするぐらい面白くて、プロとは何かがぶっ刺さる。「お前じいさんかよ、何をそんな守りに入ってるの?」とボスは問うてくださるが、挑戦しないと勝負しないと縮小再生産が始まっていく、思い当たる節が多すぎる30の節目です、この夏ちょいと暑すぎやしませんかね?

思ったよりまるで順調でないヘロヘロの中で、ふらふら朦朧としながら小学校の監督の教えが聞こえてくる。おかげさまのごっつぁんゴールでも、1点差でも、「勝って学ばなきゃいかん」。

 

ここ最近(と言ってもブログ更新が半年以上空いたため、およそ今年の上半期)はライブに行ける機会が多く、乃木坂46の10thライブを見に行ったり、先日はあいみょんのライブにお誘いいただいた。言うまでもなく「市価」「産価」が高い。お金を払う価値がしかと生まれている。乃木坂で言うと7万人を動員させるほどの大人気。あいみょんで言えば歌のうまさや曲の良さはもちのろん、全国14箇所を回るツアーをコロナ禍1人で立ち向かうその勇気。予想の何倍も乃木坂は麗しかったし、予想の何倍もあいみょんはえっちだった。終わった後の第一声「あいみょん絶対エッチ好きだよな」って言ったら誘ってくれた奥村氏も「あれは絶対エロいばい」とアグリーしてくれた。いろんなインタビューを読み漁るとあいみょんは「好きな女性に対する男性の必死な様が好き、なおかつ憧れらしく、男性目線の曲を多く作り出している」とのこと。見透かされている。僕らがあいみょんえっちだよなって話してるのも全部見透かされていて、そのあいみょんのにやにやした顔がとてもえっちだと思うのです別に溜まってはないです結局のところ君はさ、どうしたいの?まじで僕に愛される気あんの?

自分から何かを作る産み出す生き方は自分には厳しめと知り悟り諦め、それでも自分の経験を棚卸して、生まれ変わった自分がこれを読んだ時にちっとはマシに、いや少なくとも今世でもちっとは善く生きていくために書いていこうと思う、2022年初めてのブログです。

 

前回書ききれなかったもう一つの30歳記念イベントがある。

今とは違う、まだ青いぐじぐじした日々を過ごしていた社会人のはじめ、夜な夜な絵を描くのにはまっていた。当時NHK教育テレビの「びじゅチューン」にハマり毎日動画を見ていた。一番のお気に入りは『レーサーはゴーギャン』。誰も正解が分からないビジネスに揉まれる中で、名画の解釈の自由さに救われた思いがした。びじゅチューンの作詞作曲歌アニメなど全部手掛けるスーパークリエイター井上涼さんもまた広告会社のアートディレクターご出身で、夜な夜な仕事終わりに作品を作ってたらしく、勝手に自分を重ねた。早朝からスーツを身にまとい、帰ってきて深夜にスーツを書くのが楽しかった。

 
 
 
 
 
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同じ頃、この不思議な絵を描く町田メロメさんを知る。

 
 
 
 
 
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惹かれる。言葉にできないカッコよさは色気か。不穏な気配は哀愁か。そのオリジナルな空気に惹かれる。いつだったか、自分の中では満面の笑みを浮かべてピースしてる写真に「哀愁があるねぇ」と友達がコメントくれたことがあって、100%元気でポップでハッピーwowwowだけじゃない人になれたならと目指している。早速、真似する。早朝からスーツを身にまとい、帰ってきて深夜にスーツを書くのが楽しかった。

 
 
 
 
 
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そんな日々から早くも6年ほど月日は流れ、30歳記念に思い切って町田メロメさんにDMを送ってみる。メロメさんは今や売れっ子漫画家で『三拍子の娘』は宝島社「このマンガがすごい!2022」オンナ編の第14位にもランクインするほど。このブログを読んでくれてる人なら持ってるであろう言葉を面白がったりする感覚や、なんてこたない凡人の凡事に興味を持ってくれるそのヘンテコ精神には、とびきりの面白さを保証する。「日本語ってまだまだ足りないな」って作中のセリフがスーパー好きなので、ぜひ読んでもらいたい。

あとこの画像が大好きすぎて自分の作った曲にも引用させてもらってる。

f:id:showkakeru:20220802012631j:image

「わし30になるからアイコン書いてちょうだいよ」なんて、行き過ぎたクレイジーファンの奇行にもかかわらず、快く引き受けていただくなんと!しかも恐れ多くも「実は模写しておりました」なんて送り付けた上の絵に感謝してくださって、曰く「当時はまったく何者でもなかった頃だと思うのでホシカワさんのような支えがあって出版まで来られました」と謙虚さも兼ね備えているの、だからあんな素敵な漫画が描けるのねと納得首肯のヒザポン。お写真をお送りしてラフをあげていただく。わくわくしながら待ってみる。

 

送った写真から第一弾がこちら。

f:id:showkakeru:20220211135903j:image

かっ、可愛い~!!スーツのお色味もおしゃれ~!目がくりくりしとる!

ほしかわどうした30にしてキャラ変か?とざわつく前に「実物の私はそんなかっこよくはないのです、3枚目でしてこんなに男前ではないのです。。」と、いまこうして書いてて情けなくなる修正依頼を送ってみる。第二弾がこちら。

f:id:showkakeru:20220211135918j:image

おお、かなり近い!天パも上手!!インスタストーリーズで友達みんなに聞いてみたらなかなかの高評価!ちなみにインスタはストーリーズってしっかり複数形でカタカナが書いてあるのにみんな「ストーリー」「ストーリー」言ってて腑に落ちない。ストーリーズだよねって言ったら「ストーリーですよ」と後輩に指摘されるんだけど、えええ書いてあるじゃんと毎度ハテナの祭り。

けどまだかなり実物よりシュッとしてカッコ良すぎる気もする。お笑い芸人さんの感じより疲れたサラリーマン風の方が、30代を迎えるのにいいのでは?と思ったり。

第三弾はこちら
f:id:showkakeru:20220211135915j:image

よっ!色男〜!!

実にセクシーである。小泉進次郎的なセクシーさを感じる。30代を迎えるほしかわに「今のままではいけないと思います。だからこそほしかわは今のままではいけないと思っている」といった具合だ。これに関してはもはや多分、元々盛れた奇跡の1枚を自分ですとほぼ詐称して申告してしまった自分のせいだと思っており、もうちょっと喜色満面おじさんの自分の写真を、ありったけのお手間を取らせてしまい申し訳ありませんの気持ちと共にお送りする。

そうして出来上がったのがこちらである。f:id:showkakeru:20220211135922j:image

キタ!こうなりたい自分と、こうである自分のちょうどいいバランスだ!


f:id:showkakeru:20220211135909j:image

彩色いぇーい!


f:id:showkakeru:20220211135905j:image

これもなかなか好き!気分転換にたまに変えてみよう。本当にありがたい限りである。

度重なるわがままに最後まで付き合っていただき、実はこのほかにもかなりパターンを出していただき、30歳をココロオドルスタートを切ることができましてエンジョイ音楽は鳴り続ける。もちろんの薄謝をお支払いしつつ、直接感謝の気持ちをお伝えしようと、単行本2巻発売のサイン会にてご挨拶。自分が数年前に惚れたキャラクターを描いていただく。宝物がこうして増えていく。「産価」が高い人すげぇぜ!って伝えたくなって、こうして書き残しておく。

 

お家に帰り、冷房の効いた部屋で麦茶をぐっと飲み干して、今はまだ“同居人”である彼女にサイン本の興奮を伝える。「後でかーして」とスマホをいじりながら答える彼女。一つ屋根の下でのマンガの貸し借り。同棲が始まった。夏が始まった合図がした。昔読んだ川上未映子のエッセイを思い出す。

せっかくなので文字起こし。

===

~(中略)あるいは、友人のこんな話。恋人と一緒に住み始めた彼女に、他人と生活をすることで、一番素敵なことは何なのかと尋ねてみたことがある。すると、少し照れたような顔で考えるようにしたあとで、「物が、混ざりあっていくことかな」と答えてくれた。

「これまで、それぞれが大切にしていたものが、だんだん、棚とかクローゼットとか、キッチンとかで、少しずつ混ざりあっていくのを見ているのが、すごくいいなと思ったなあ。相手の大切なものは、わたしにとっては新しくて、わたしの大切なものは、相手にとっては新しくて、わたしの大切なものは、相手にとって初めてのもので。それが一緒に暮らしていくうちに、いつしか、ふたりの一部になっていく感じが、すごく、なんか、うん……よかったんだよね」。

すでにある大事な物を思いださせてくれる、新しい物に出会ったとき。手にとって、連れて帰るとき、友人のこのエピソードを思い出し、小さく高鳴っているわたしの胸はさらに幸せな気持ちに包まれる。もう始まっている何かと、これから始まる何か。それを教えてくれる、かけがえのない物たち。このふたつはいつも自分の時間のなかにいて、こつんと目が合うたび、すらりと指先がふれあうたび、このふたつがなければ生まれてはこない特別な何かを、いつだって与えてくれる。

===

まぁそうは言っても、一人暮らし同士の2人が一緒に暮らす時のどっちの家具残すか1on1、うちの13年目のベテラン選手たちはみな負けてしまってちょっとわらう。ここまでチームほしかわを支えてくれてどうもありがとうの気持ちである。

入籍はまだ少し先で、いわゆるプロポーズを受けていただけた関係であるので、一般的にはフィアンセである。調べたら女性だけでなく男性のこともフィアンセと呼ぶらしい。すなわち今うちには2人のフィアンセがいます。実家の表札でHOSHIKAWAとアルファベットシールを並べたら「いやいや、この家には4人のほしかわがいるからHOSHIKAWASだ」と独断で苗字にSをつけ、結果表札を見た友人にホシカワズホシカワズ井の中のホシカワズと呼ばれてた高校時代に比べて、今の我が家はフィアンセズである、言いにくいな。文法的に合ってるかはまるで知らん。「ケッコンしたの?おめでとう!」「ありがとうございます、まだ籍は入れてないんですけどね」という注釈付きの照れ隠しも、お祝いしてくださる気持ちもありがたい。帰り道が分かれる日本橋駅も、日曜の夜に泊まって朝始発で帰った4時半起きの月曜も、すべてはこの、食後に2人してヨギボーの沈みを調整しあって適所を探りあう平和な時間につながっていると思えば、これから先、歳を重ねることの不安もすこし軽くなっていく。いつもおいしい夜ご飯が待っててくれるので、朝ごはん担当大臣の僕は早いところレベルを上げてまいります。

 

そうそう、冒頭の「値踏みカメラ」、その続きをお伝えしよう。

「値踏みカメラ」※お時間ある方はこちらのWikipediaをご覧ください。

悩んだ末に竹子が選んだのは、青年実業家・倉持への玉の輿ではなく、貧乏カメラマン・宇達への真実の恋であった。

右下のドットは、被写体の自分にとっての価値を計る「自価」。ヨドバが押した竹子にとっての宇達の「自価」は、桁が大きすぎて表示しきれないほどの額であった。

「市価」「産価」だけじゃなく、誰かにとっての自分の「自価」を1円ずつでも上げていけたらいいなと思う。

目まぐるしいぐらいあっという間に過ぎる時の中で恥ずかしながら8月の今、ようやくのようやく今年の目標を記しておきます。約7か月、便秘だったぜ。

 

2013年「循環を大きくする。」

2014年「語ってもらう。」

2015年「誰で、どこへ向かうのか。」

2016年「人間らしくやりたいナ。」

2017年「うけ(いれられ)たい。」

2018年「考えないは、ない。」

2019年「未来を助ける。」

2020年「名乗りを上げる。」

2021年「誰かのコップを満たす。」

そして2022年、「自分に、値札を。」

 

残り5か月を切りましたが、今年もどうぞよろしくお願いします。

ドラム式洗濯機の正解と、おうちで作れる朝食の大正解を募集しております。)

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えーこちら30、こちら30。聞こえますか?どうぞ。25になる新卒3年目ぐらいから「アラサー」というワードがチラついて「30になって何か変わりましたか?」と諸先輩方に尋ねては「何も変わらないよー」とかわされて、「ま、そっすよね」と返してた幾度のやり取りを経ていよいよ自分も30になり、思うことを綴ろうと思う。「何も変わらないじゃん」とぼんやり思いながら。「ま、そっすよね」と自分に相槌を打ちながら。

何か変わった?何もないよ、いや本当に何もないってばと何かを隠すように言ってみる。ただ、20代が終わったという事実はやっぱり重みがある。今っぽくいうと重たみがある。10の位が上がるのと、もう戻れない一抹の寂しさ。ガッチガチがカッチカチくらいには衰えてくるいちもつの淋しさ。これだけ意識しちゃう人間なので20代最後の日は一人アホみたいにドキドキしながら過ごしていた。刻一刻と近づいてくる明日の誕生日が嬉しいのになぜか不安で、20代最後の帰り道か。20代最後の晩御飯か。など考えてたら通いに通った早稲田駅は武蔵野油学会に並んでいた。並盛りと大盛りが同じ値段というイカれた価格設定に貧乏学生は幾度となく救われたワケなんだけど、多分私は30代も結構な頻度で食べに来そうな気がする、さすがにダーワセから引っ越す日も近い。そんなこんなでアメトーークを見ながら0時を回る。生まれた生まれた。正確には朝の7時半くらいに産まれたらしいのでまだ7時間ぐらいあるんだけど、窓を開けてちょうど30年前の福岡市博多区の空気を想う人の時を想う。この、自分にとっての特別な1日は、嵐の大野君にとっても関ジャニの丸山君にとっても筒香選手にとっても特別なんだろうなと思うと不思議な感じがしてくるけれど、同じ誕生日の有名人にここ数年フワちゃんが出てきてだいぶ持ってかれてる。同じ誕生日の有名人に年下が出てくるのも30ならではだと思う。

そういえば中学2年か3年の時に「立志式」というイベントがあった。あったということだけを記憶していて内容は一切忘れたのだけど、孔子論語『吾、十有五にして学に志し』に由来する、中学生に志を確認する機会。卒業アルバムに「腹話術師ではなく福を運ぶ福話術師になりたい」と補助線まみれのトンチンカンな志を記した15歳からはや15年、『三十にして立つ』が待ち受ける。入社以来お世話になっている直属の上司から「三十にして立つ」を教わる。悪い意味で若手のまま責任を果たせてない心当たりはあって、いよいよと言うよりいち早く立たなければならない。志を立てた後で、自分の足で立つのだ。

今年の夏を迎える前、呟いたこんなツイートに大学の同級生アイドルからいいねをもらう。そのアイドル性はもちろんのこと、ソロアイドルとしてしっかり立っている姿はいつもまぶしい。

 

どだい「心頭滅却すれば火もまたスズシ」なんてタイトルをつけてるからか、過去を断ち切って感情を捨てて今に集中することに美学を感じやすい。例えば営業職をしているが、受注の見込みがないお客さんに対してかなり早いタイミングで諦めている。次行こう次、振られても仕方ない合う合わないはあるさ人間だものと都合の良いみつをに隠れたり助けられたことも少なくない。じっくり考えるのは得意でないからこそ、フットワークの軽さでは負けないようにしたい。「お前は何で飯を食うのよ、そこで負けたらお前がいる意味ないだろ」というボスからの言葉は厳しいが本質だと思っている。ジェネラリストよりスペシャリスト。ジョブ型の働き方が浸透する中である種の尊重を感じる。

で、最近思うに「次行こう次」は「はいじゃあまた0から頑張りましょうよ」ではないよなぁと思っている。こっちの道が外れたから次こっち行きましょうよ!は、こっちの道が外れた(ってことはこういうことだと思う)から次こっち行きましょうよ!という過去からの学びがベースにないと毎度毎度の暗中模索。そうこうしてるうちに歳だけ重ねていく。日々確実に死に向かっていることを意識するのも、10の位が一つ上がった30歳だからこそ。「心頭滅却すれば火もまたスズシ」を都合よく“考えを断ち切った諦念”とも受け取っていたけど、そのある種の責任感のなさが30になっても“若手”と揶揄されてしまう理由なのかもとギクリとする。「積み上げたものぶっ壊して」と歌うスキマスイッチ全力少年は好きだけど、今僕に必要なのはその真逆、積み上げたものがあるから嗅覚や精度が上がるような働き方をしていかなければ、ここまではできるようになったよなという自分のささやかな自信ごとぶっ壊される可能性もある。「30歳になったから」「課長部長になったから」できることなんて何もない。いつかできるは、いつまでもできない。諸先輩が言う「何も変わらないよー」は実は残酷な意味でもあったと気づいてできることは日々を研ぎ澄ますことしかなくて、こうした節目を心に留める。ロシアの作家アントン・チェーホフは、人生を竹に見立てて「大きな出来事は竹の節であり、節と節との間にある生活の連続こそが人生である」と言ったらしい。「竹にはフシがある。そのフシがあるからこそ、竹は雪にも負けない強さを持つのだ。」とは本田宗一郎の言葉である。

 

最近Official髭男dism『アポトーシス』を機械のように繰り返し聞いている。

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同じ91年生まれのボーカル藤原さんが2020年の29歳の誕生日に、自分の残された20代があとわずかだと気づいて浮かんだ曲らしい。アポトーシスを調べると“細胞の自然死”。はてさて。オタマジャクシが成長の過程で尻尾がなくなるように、葉っぱが自動で色づき枯れ落ちていくように予測される死のことをアポトーシスと言うらしい。「君の運命の人は僕じゃない」と歌う『Pretender』はLGBTQの方々の心にも刺さってたと聞いて髭男すげぇって思ったんだけど、ヒットチャートをあれだけ賑わせた後の曲でも、まださらに美しいメロディと深い詞の世界を出せる髭男ホントすげぇ。公式サイトのインタビューでこんなことを語っている。

“藤原:まぁ普通にこのバンドっていう、この形をとってもそうだなと思うし。いつまで続けられるのかとかも正直わからないんですけども、続けられるうちは慈しみながらやるっていうことが大事なんだろうなっていうことしかできないというか。半分諦めに近いけど、そこに実は希望もあるっていう。”

Official髭男dism「Editorial」特設サイト | Official髭男dism

次行こう次ってあっさり諦めやってるうちに何も成さずに死ぬのはさすがに恐ろしく、どうなるか分からないけど自分が死んだ後に何が残せるのかみたいなことを考えると、もっと書かなくちゃなと思う。2021年はおかげさまでプライベートがものすごく充実していたんだけど、どこか刹那的で断続的でフロー型の楽しみばかりだった気がしていて、もっと省みてもっと書いて積み上げていくストック型の楽しみを増やしていきたいなと思っている。ここまでは歩いてきたなとか、次の街着いたらセーブしておこうとかたしかな一歩を積んでいきたい。

面白くも難しく、休日はそうはならないのに平日は布団から出るのが憂鬱になる時すらもある“仕事”を通じて知った言葉を書いておく。ある大御所芸人さんの言葉らしい。

「夢を語っている時間は楽しい。ただ、夢が目標に変わった途端に苦しくなる。それでも夢を目標にしない限り、夢は永遠にかなわない。」

これまで夢に対して「追い求めているうちに、ふいに夢は実現するものだ」という立松和平『海の命』(参照小学校の国語の教科書)の一節を信じてきたけど、夢を実現するための目標を立ててセーブポイントを刻んで向かっていかなければ(その道は楽しいだけではなく、エラくしんどい自分との向き合いの日々であるとしても)、望むものは形になって手に入らないと言う。「福話術師になりたいのならもっと書きなよ」と中3の僕が変な十字架を背負わせてくる。「なるようになる」とか「人は人、うちはうち」とかと同じ理解で「心頭滅却すれば火もまたスズシ」を使うのは違うよなって自分が一番わかっている。

 

そんなわけで30歳記念に何かしたいなと思い始めたのが5月ごろ。ストック型の楽しみへの挑戦だ。ブログを書くか。M-1 2回戦進出した時のネタを残しておくか。写真撮ってもらうか。好きな画家の方にSNS用のアイコンを書いてもらうか。曲を作るか。親と漫才するか。山手線一周歩くか。など洗い出した結果、これまで浴びるほどJ-popを聞いて育ったのでドかミかソで終わる、耳馴染みの良い王道ソングを作りたいなと思った。何よりやったことないからやってみたかった。作り方も分からないから知り合いの音楽好きを探す中、お笑いサークル同期の織内傑作を思い出した。彼は絵にかいたようなプータローでどこで何をしてるから分からない。いや嘘、芸人とミュージシャンの街高円寺に住み音楽とバイトで飯を食ってるらしい、DMを送る。「雰囲気とか歌メロとか歌詞あればギターとベースと打ち込みドラム作るよ」と即レス、初めてこの男が頼もしく見えた瞬間。相場が分からないから1万円で依頼してみる。万札を出した瞬間、神様みたいに崇められたことを覚えている。将来お金持ちになったら彼に無駄に曲ばかり作らせようかな。それからというもの、シャワーを浴びる時や帰りの電車で色んなメロディを口ずさんで、良いのがあったらすぐiPhoneのレコーダーに録音して、ということを繰り返す。やってみて面白かったのはブログと同じで頭にない言葉は出てこないものだ。その時に思ってることが自然と出てくる出てくる。当たり前だけどホシカワの引き出しにはホシカワしかないわけで最初のフレーズが出来上がる。それは「朝起きたら朝食が待ってるって幸せだよね」っていう干支1周分東京で一人暮らしをしてる僕だから分かる、実家の朝飯のありがたみと幸福感である。そんな幸せを君にお届けしたいというメッセージが整った。AメロBメロはなかなか進まず最初に依頼してから早3か月以上、ようやく織内傑作に曲を送ると、ものの1週間でめちゃくちゃ仕上がった音源が返ってくる。作詞作曲以上に編曲の味付けのインパクト。

10月24日は高円寺、初めてのスタジオに足を踏み入れ打ち合わせ。ベースギターに飽き足らずコーラスを自分で録音してわざわざハモリまで入れてくれて感激。「ハァ~」のハモリが気持ち悪くてわらう。

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こうしてサビ→Aメロ→Bメロ→サビまでできたけどまだまだありふれていてつまらない。どこかジャルジャルあんまりよくない歌、作る奴みたいになりそうで何かフックを探してた矢先、星野源とオードリー若林さんの『【公式】星野源×若林正恭『Pop Virus feat.MC.waka』 - YouTube』を聞いて見事に影響される。そういや初めて買ったCDはオレンジレンジだったしね。大学受験前にRIP SLYME聞きまくったしね。興奮して影響されてラップ入れてみたけど難しかった。語彙力が全く足りてない。デモを聞いた友人奥村君は「サクラップみたい」と、ある意味最大限のDisをかましてくれた。ファンの中ですら賛否分かれるあのサクラップじゃん。同じ翔だしねと谷村君は言う。傑作に相談してBPMとビートをすり合わせて出来上がったカラオケ音源がこれ。編曲がすごすぎるよね。

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1:09にちゃんと「ハァ」ハモリも入ってる。彼も彼でトガってるから日ごろはまぁJ-pop風なぞ作ることはほとんどないらしく、だから逆に超J-popの王道っていう僕のオリエンはイメージしやすくてよかったらしい。せっかくなら収録までやりなよ、と白ホリ(と言うらしいTHE FIRST TAKEみたいな白背景)のスタジオの探し方を教えてもらってお別れ。11月23日、中野のスタジオで収録する。社会人になってからグッと距離が近づいて毎週のように遊び散らかしている奥村君と平田君に協力してもらう。余裕をもってしっかり3時間押さえたのに「一発撮りじゃなきゃ意味がない」というストイックな理系人に飲まれて一発撮り。残り2時間余してフィニッシュ。いや、撮り直してもよかっただろと今でも思う。それでは聞いてください。☆巛×人生初の作詞作曲、恐れ多くも糸井さんの名コピーから拝借して『おいしい生活

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おいしい生活
作詞・作曲・動画編集:☆巛×
編曲:織内傑作
Special thanks:ヒラタチヒロ、OKU

朝起きたら朝食が待ってる
そんな幸せを君にお届けしたいんだよ

朝が苦手な君のために
ほんのちょっとだけ早く起きて
早起きは三文の徳
卵焼きはうまく巻けないから
ハムの上に目玉焼きを
石の上にも三年

おはようとおやすみの積み重ねが
僕らを連れてくから
変な寝相もまくらの跡も
笑っちゃうくらい愛しくてさ

朝起きたら朝食が待ってる
そんな幸せを君にお届けしたくて
食べ終わった君が嬉しそうに
「まだまだだね」ってダメ出しをする
僕らしか分からないおふざけを

朝目が覚めたら 四季折々 味噌汁の香り
色とりどり朝から晩まで幸せはここに
一緒にいたいな Like an Olive & Garlic
調味料使いすぎて怒られたり
あなたという白ごはんに対して
明太子くらい嬉しい存在でありたいのさ
お手を拝借 いただきます

朝起きたら朝食が待ってる
そんな幸せを君にお届けしたくて
食べ終わったシンクのお茶碗が
いつのまにか洗って干されてる
口に出すまでもない幸せを

君にあげるよ
おはよう

 

リングライトも駆使してカメラ3か所から撮影し、緊張感に包まれながら無事に一発撮りを終えて時計を見るとまだ残り2時間もある。ほら見ろ何しよう。暇を持て余したアラサーの遊び。仲の良い先輩が教えてくれた日本和装さんのきものソングコンテストに応募することにする。きものっ♪きものっ♪着物が着られる~の後に続く歌詞とメロディを考えて動画撮ってTwitterで応募するコンテストなんだけど、一等賞が賞金150万円+CM出演権という確実にやりすぎてるアワード。あんま公募で150万円+CM権をもらえるアワードはそんなないです日本和装さん。

日本和装|きもののうた オーディション開催中!

 

コンセプト作りは奥村氏。すでに応募されてる数作品を見て、着物の魅力をそのまま着物を着て伝えても若い人には響かない。せっかくTwitterで応募するからには僕ら世代に何かフックになるものを入れた方が良いと言う。なるほど賛成。冷静に分析したかと思えば「それ煮物」「干物」ってずっと着物のダジャレを言っている。何がフックだよ。コンセプトどこ行ったんだよ。

演者は僕。SNSに恥を晒すのは慣れている。ネットの海にゴミを出し続けて数年が経つ。そして動画編集が平田氏。平田氏は奥村氏の大学の友人で、僕らの高校で集まる時にはいつも確実にアウェーなんだけど、持ち前のやんばるの風ハイサイの海、いつも気さくに話してくれるTheいいやつで僕らみんな大好き。飲み会の途中でも撮った写真をステキな音楽をつけてちょろっと編集して動画作ってLINEで送ってくれる、アーティスティックな気遣いの塊人(かたまりんちゅ)。そうしてできた動画がこちら。これに関しては3パターンも撮ってて、いや30歳記念ソングは一発撮りで、なんでこっち万全の状態でスリーテイクもしてんだよとおかしくて可笑しいけど、楽しかったから良い。

その①やっぱ着物編。世界に誇れるよねという観点から、わりと演者力で押し切ったやつ。「いいかもしれないこれは」と奥村コンセプターの声が入っちゃってる素人臭さをどうぞ笑ってください。

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その②クイズ編ver1。仕掛けがないとフックにならない、クイズというフォーマットを作っちゃえばいくらでも転用ができて二次創作を生む!と強気なんだけど、要はダジャレきっかけである。というかもう着物が着られる~♪のフレーズを一切無視している。

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その③クイズ編ver2。これぞ奥村氏のズラし方。こういうズラし方がけっこう好きで、もう着物全然関係ないんだけど今年っぽくて楽しかった。小慣れてきた僕が裏拍で振り付けてるのも見ものです。

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ハッシュタグで♯大谷翔平をつけるふざけっぷり。応募時点ではRTやいいね数は結構よかたんだけどな。そりゃ着物に関係ないから落ちるわな。

応募概要を見ると12月5日応募締切で最終審査会が12月20日にあり、紅白歌手純烈さんの前で歌うという。150万とったら50万で山分けだな。でも今年の確定申告締めちゃったからもらえるなら来年がいいなと、バカみたいな取らぬ賞金の皮算用。2週間ワクワクして待ったが何の連絡も来ず。「残念だったけど、待ってる数週間はコロコロの応募者抽選プレゼントに出した気持ちでわくわくしたよ」と話す奥村氏の顔はどこか清々しかった。前述の『おいしい生活』のSpecial thanksに2人の名前を入れたんだけど、僕の思いつきを呆れずに付き合ってくれるステキな友人がいるのは誇らしい。ちなみにもう1人よく遊んでいる村田君はスケジュールが合わなかったから、彼からもらったジャケットを着て収録しようと決めてたのはここだけの話。30歳記念にあほなことやったよねと将来思い出せるのが嬉しい。40になったらまた曲を作ろう。着物か干物かどちらか当ててもらおう。

 

30になってこうして思うに、僕は相変わらず友達に恵まれている。誕生日祝いをしてくれた人の誕生日はどうか覚えておいてお返しをしたいなって思っている。そのための楽しい引き出しをパンパンにしておきたい。仲良い友達がお祝いのメッセージをくれて曰く「ほしかわ戦法と名付けていいくらい、『おれならこう闘うぜ』が確立されていてかっこいい。らしさ溢れるフィールドをお持ちで羨ましいくらい。これからも言葉を味方に、大切にしてね。」とのこと。もう名前からしていかにも弱っちそうなほしかわ戦法ではあるが、僕は僕なので比べず尊重しあって愛とユーモア生きていきましょうよみたいなことを考える。高校野球部の谷村君ちに遊びに行ったら、それはそれは可愛い2歳の天使が「かけちゃん」って呼んでくれてほっぺた落ちちゃったし、彼の作るカレーにもほっぺた落ちちゃった。日当たりのよい窓際で娘さんに絵本を読み聞かせている彼のパパ活っぷりはもうCMのそれで、幸せな家庭からの帰り、僕と奥村君の独身の軽薄さで「好きなタイプ聞かれたら今の君ならなんて答える?」って谷村に振ると「なんでも話してくれる人、そしてこちらの話も聞いてくれる人」って大人な答え。哲学者みたい難しい顔して女性陣を近寄らせなかった高校時代の彼からは想像もつかないけど、そういえば「夫婦生活は長い会話である」ってニーチェが言ってたよ哲学。谷村君の奥さんへ、素敵なおうちにお邪魔しました。大変なこともあると思いますが彼があんなにやさしく微笑むようになったのはきっとあなたのおかげです。またぜひお会いしましょう。次は僕と奥村君とで山手線ゲームお題「谷村の変なところ」をやりましょう。僕ら以上にきっと詳しくなっているだろうからいい勝負になると思います。

同じく野球部の士野君とこは、これまたお父さんお母さんに似て朗らかによく笑う天使がいて、どこが似てる?目はパパかな鼻はママかなよく笑うところは2人にそっくりだね笑顔って似るんだなと思った。あの手この手で息子を笑わせようとする僕らと違って、なぜかずっと意地悪をして自分が一番げらげら笑ってる村田君を見て、こいつは将来ろくな親父にならないぞと思いました。

何と言うか、確実に想像の何倍も大変だと思うし、そんな軽々しく言わないで!って叱られるかもしれないけど夫婦で日々を歩んだり、お子を育てたりってのはストック型の最たる例だと思っている。楽しみの種類を変えて自分だけでなく人のために生きている皆さんは、ケッコンだけがコソダテだけが全てじゃないこの時代でも、素直にすごいなぁと尊敬する。

前述のほしかわ戦法を命名した仲良しの女友達と、前に彼女との近況を報告したら“いつまでも「わかんねぇ~」って困り笑いしながら臨機応変創意工夫で乗り切るひとでいてほしい。はいはいこういうことでしょ、みたいな恋愛のしかたは似合わない気がするから。”って言われてハッとした。30年、年を重ねて出会いが増える一方で、こう来たらこう返す、こういうパターンの人にはこう誘うみたいなことを無意識にやっちゃってたのか、やはりどこか営業と同じで「はいはいこういうことでしょ」「次行こう次」の繰り返しで諦めが早くなっちゃってたり。「去る者追わず、追ってもまた去る」って考え方はユーモラスで好きなんだけど、本当に大事な人にすら執着しないのはもう何をカッコつけとるんだね?と胸に手を当てて疑問符。恥を晒してでも不器用でも心頭滅却すれば火もまたスズシでも、大事な人にはちゃんと心で向き合っていきたい。

 

30を迎える1年、僕の週末が充実していたのは間違いなく彼女のおかげである。とはいえ遡るとズレてたり合わなかったりもそりゃあったけど、これまでだったら諦めてただろう価値観の違いも向き合おうと意識してきたことが分かる、というか今見返すと僕の生活力が低すぎて、よくこんな自分と付き合ってくれてるなと有難い。今風に言うと有難みがある。彼女ありがたみ~

「はいはいこういうことでしょ」なんてカマせないぐらい育ってきた環境が違うと、ダメなところは直して学んで、僕がお返しできる部分でお返ししていきたいなと思う。作った曲『おいしい生活』はほぼ彼女との話で、調味料使いすぎて怒られたり、上手く巻けない卵焼きどころか目玉焼きすら割れてぐちゃぐちゃになっちゃったり笑い話というよりもうごめんなさい話なのよ。それでも、オイルに香りを移すようにいい温度感と安堵感で一緒にいられたらなと思う。

紹介で知り合って付き合って、いつも眼と歯がきれいな人だなぁと思っているので「あたしのどこが好き?」ってとっさに聞かれてつい「眼と歯」って答えたら、とんだパーツ好きのサイコ野郎みたいな軽蔑した眼で見られたりした、例のきれいな眼で。付き合う前、このブログを読んでくれてたらしくベッドタイムストーリー的に読んでますって言われて変な人だなぁって惹かれてった。好きな人の条件を3つ挙げるとしたら?みたいな話がある時、たいてい僕は「自分で笑ってくれる人」「僕がいない時も楽しめる自立した人」「僕がよく歌っちゃうので音楽が嫌いじゃない人」みたいなことを答えていたんだけど親友奥村氏曰く「お前は何もわかっちゃいない、お前は尊敬できる人が好きだろ!」って決めつけられてまぁたしかにそうだなぁと思った。自分のことって自分が一番分からないですよね。上記3つの条件を満たしてても好きになるかは分からないけど、尊敬できたり自分にない知識を持っている人だと一緒にいてずっとわくわくする。例えば一緒にお散歩をしていた時に、良い匂いがする〜あ、沈丁花だ!って一発で言い当てたの、本当好きってなった。

あれはたしか友人家族数組と1泊2日で山梨旅行に行った時、宴の時間に次々に明かされるそれぞれの来年。たとえば「海外赴任が決まったわ」とか「万博まで大阪行くことになったわ」とか「研修のため栃木に1年行くわ」とかとか。寂しくなるねぇが文字以上に心に来た時、この毎週のように遊び散らかしてた友達が散り散りになることを知った帰りの電車に揺られながら、どんなに環境が変わってもこの人には隣にいてほしいなって思ったことがケッコンしたくなった瞬間です。

さて師走。クリスマスにプロポーズしたいなって情報収集を始める。試しに大学の友人藤原君とティファニーに入って色々聞いた結果、めちゃくちゃ素敵すぎて指輪おもしれ〜ってなって黙っておくにはもったいなさ過ぎて帰ってすぐ彼女に言っちゃった。そしたら一緒に見たい!となったのでノンサプライズで一緒に選ぶことになった僕のプロポーズ大作戦。新宿のティファニーに男2人で見学に行ったら、接客された方がさすがのプロで、これはこういう理由でこういうデザインなんです~ってのを15分ほど浴びてたら、一気に指輪選びの楽しさに目覚めちゃって、彼女もいないし全く予定のない藤原君まで「さっきのやつもう一度見せてもらっていいですか?」って乗り気になってて面白かった。別の指輪屋さんにて「いつの予定ですか?」「クリスマスとかにできたらなって」「あっ、早くても2ヶ月かかります」「あっ」「あっ」ってなる、これも私のプロポーズ大作戦。人の口に戸は立てられぬを体現している人間なのですぐ言いたくなっちゃうからサプライズはへったくそ。「全部言っちゃうのね」と呆れられたりしながらも、結果が分かり切っているプロポーズを銀座のお寿司屋さんにて。指輪の箱にリボンがかかっててそのままだとやりたかったパカってやつができないからいちいち僕が「これはリボン取る?」「パカってする?」って聞いてしまった結果、プロポーズの返事は「おっ、おう」っていう現場監督みたいな声だったけどひとまずおめでとうありがとう。とは言え最後の最後、行きつけの居酒屋さんにてサプライズでバラの花束を渡せたのは、やるじゃんと自分に言ってあげたい。ハイシーズンなもんでバラの本数の確保が難しかったりお花の通販の時間指定ができなかったり、ここでも苦戦。バラの花束50本は結構なサイズって村田君に聞いてたから30本くらいかなって予約したんだけど知ってます?どうやらバラって本数にも意味があるらしく、40本「真実の愛」や108本「結婚してください」とかの中で、30本は「ご縁があると信じています」っていうアピール弱いやつで笑った。訴求弱い!けど「ご縁があると信じて」るからそれもいっかなって思った。案の定笑ったくれたし、居酒屋に居合わせた地元のおっちゃんおばちゃんらがワーってなってくれて照れちゃったぜ。あなたに出会って僕の人生がおいしくなりました。これからも2人でおいしく過ごしましょう。

 

こないだの11月、親父が乃木坂46のライブが当たったと東京に来るというからこれは紹介しようと、彼女を会わせてみる。アラカンで乃木坂にハマった親父は数万人の東京ドームの観客の中でも最高齢に近かったと思うけど、Negiccoを追いかけてる僕と血は争えない。呆れながらも愛想を尽かさない母さんがすごい。

「ご兄弟はいるのですか?」「おうちはずっと東京ですか?」って面接官みたいに質問を浴びせる親父に、もうちょっと気さくに話してくれよと思いつつ、同じく乃木坂ファンの彼女から「最近は誰推しなんですか?」って質問に堰を切ったように話し始めて「筒井は~」「弓木が~」と呼び捨てで非主要メンバーについて語りだす。親父のやばさがバレてしまう、思いのほかリスクだらけのトークテーマだったけどドン引きされなくてよかった。息子の彼女に会えたことより、乃木坂愛を伝えられたことに満足げな親父は熊本に帰っていった。何しに来たんだ?あ、そもそも乃木坂見に来たのか。そりゃ満足げだな。

問題はここからで家に帰った親父に母が問い詰める。「かけの彼女どんな感じだった?乃木坂で言うと誰に似てた?」ってハイレベルな選択肢から選ばせるなよ!乃木坂にはいないと親父が答えたら「きれいじゃないの?」ってもう勘弁してくれ!親父も親父で絞り出したヒントが「丸顔であひる口」だったから勝手に「おでんくん」を想像しているらしい。年明けに会わせるのが楽しみでもあり、ちょっと不安でもあるでんがらがった~でんが~でんが~。ばあちゃんからも生きてるうちにと急かされては毎回「お相手がいることですので」って芸能人みたいに返してたけど、ちゃんと彼女はいますよと伝えたらひとまず安心してくれた。「出世するよりお嫁さんもらう方が親は喜ぶよ」と直属の上司から聞いていたけど、まる30年の恩返しができたら嬉しい。

 

毎年、実家が出す年賀状に親父から求められてコメントを載せている。

2018年

「言葉は刺激物、読後感こそ作品」と大御所コピーライターの方が仰ってました。心地いい読後感をお届けできる人になれるよう精進します。

2019年

いい30代を過ごすための予行演習も終盤に差し掛かり、なりたい姿も見えてきました。全国各地で活躍します!

2020年

「これまでの人生がこれからの人生を決める」のではなく、「これからの人生がこれまでの人生がどうだったかを決める」という言葉を知りまして、理想の未来と今までの自分を繋げられる1年にしたいです。

2021年

30を迎えられることを嬉しく思いつつ、できれば1人ではなく誰かと迎えたいので、男を磨きます。

そして2022年。実家からの年賀状にはこんなメッセージを載せようと決めた。

「30にして立つ」とは本当によく言ったもので、次世代「干川家」を築いていけるよう頑張ります。

 

今年もたくさんお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

#プレ花婿さんと繋がりたい。(決して繋がりたくはない、ってかプレ花婿さんってなに!?)

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元来あちこち行くのが大好きで「東京スペースイベント」でググって出かけていたような人間なので、なんだかもうずっと“緊急事態”である。なんせイベントがないのだ。「東京スペースイベント」の後に「予測変換コロナ」が続き、ググった先にはあー今年もやらないみたいねが続く。あー20時までだ、とか、あーお酒は出してないなみたいなのも含めて。「酒提供2人以下90分以内っていろいろ思うところはあれど、めちゃくちゃ恋が始まりそうなルール」ってぱいぱいでか美さんが言ってて頷き。90分一本勝負てそれあなた少年野球と同じですやん最終回は5回の裏。そのお酒の席を迎えるまでのお喋りや、その日の帰り道の「今度また飲みに行きたいです」までがセットです、見えなくなるまで見送ること。間違っても「よかったらご飯行こう笑」って何が面白いのか笑に逃げないこと。

震災の時の「あの時何してた?」トークは平成から令和を生き抜いた僕らの1つのコミュニケーションだけど、ここまで長引くコロナ禍の「あの頃何してた?」は、ある点として語るにはあまりに長すぎるし、出かけられない出られない環境では何も出来なかったよねしか出てこない。みんなうっすら気づいてるけど、Zoom飲みは確実に消滅に向かっている。ちょっと前、仕事で「美容院に行きたくなるコピー」というお題に「リモート飲み会は接近戦。」と書いた人がいて確かになと思わされた。技術が行くところまで行ったスマホは写して欲しくない毛穴まで写してる。お出かけしないとたまらない写真フォルダはさびしくてたまらない。

そりゃそうだけどお化粧品の中ではコロナ禍、口紅の売り上げが落ちたそうです。興味深かったから覚えてるのは日本人と欧米人の絵文字の違い。日本の顔文字は(>_<)(^_^)(*_*)(T_T)(´・_・`)って目で伝えるものが多く、欧米人は:-( :-) :-〉:-pって口で感情を伝えるものが多いらしい。目は口ほどに物を言う。マスクが向いてる国民性。

みんなだいぶ気づいているけれど、clubhouseもあっという間に消えてった。通り過ぎて残ったのは、人がしゃべりたい欲求にスポットを当てた功績。ワンポイントアドバイスですがLINEの通話が繋がりにくい時、clubhouseで鍵部屋を作ると良いよ。「飲みたい」欲以上に「飲み会」欲が高まる。答えが出ない話を朝までしてたい。話も尽きてきた頃「仕方ないから最近見て印象的だったAVの話でもするか」ってもうひと盛り上がりするやつやりたい。「浮きブラ奥さん」ってなんぞ??

ワクチン接種が進んでも、僕らの年齢も進んでいくのよ。独身は結婚し、子どもが生まれ、家を建てた友人すらも出てきた。コロナ明けたらね〜のifが叶わないことはとっくのとうに気付いてて、あの、夜通しひたすら喋ってた飲み会が懐かしい。お酒飲むと酔って眠くなっちゃうからってストイックにコーラコーラコーラコーラジンジャーエールしてた飲み会を、アメトーーク「大学お笑いサークル芸人」を見て思い出す。「いや、酔ったら面白い話できねぇだろ(酒飲むなんて馬鹿かよ)」って当たり前のように言われたサークルを経て、たとえお酒がなくても楽しませたいなって思う90分一本勝負。少し前に入ったおばあちゃんが1人でやってる小料理居酒屋でお酒出せないの大変ですねって話したら、「あいつら恋したことないんじゃないか。」「あいつら仕事で疲れたことないんじゃないか。」って政治家に不満をぶつけてて、酒好きに響く言葉だなぁと思った。M-1戦士ゆにばーす川瀬名人がうちのイベントに出てくれた時「ニュースこそ面白いものはない。」と話してて、聞けば新聞を読みニュースを見てSNSで空気感を察してネタつくりの参考にしていると言う。お笑いサークルの1つ下の後輩に、ライブのエンドトークでいつも政治家の名シーンを再現して爆笑をとっていたやつがいて彼がニコニコしながら言ってた口癖「政治超面白くないですか?」って言葉、人の金メダル勝手に噛んじゃう市長を見て意味がやっと分かった気がした。狂ってるのかよ、事実は小説よりも奇なり。

 

と、ここまで下書きに溜めていた。久しく何も書いてなかった。ブログ書き始めてここまで何も書かなかった日々はない。どこか自分が自分に置いてけぼりにされてる感じ、そんな20代のラストスパートを生きている。

 

推しアイドルNegiccoかえぽのツイート3連投になぜかぐっと共感してしまう。

 

 

Twitterなんて議論のためでもインプットのためでもない、独り言をぶつぶつ言っていいツールなんだと忘れてく感覚。遠ざかる記憶。同級生アイドルの達観した死生観に自分なりに重なる部分を探す。

 

別に病んでるわけではない。とは言え流れてく情報量に「考えない」に陥りがちで、お前は提案がないなと叱られる。「打ち合わせを“しのぐ場”にする人と、“勝負の場”にする人。その差は言うまでもない。」とコピーライターのレジェンド谷山雅計さんは指摘する。「とりあえずこれだけ書いていけば先輩や上司から怒られないだろう」と、打ち合わせの場を気分よく過ごすことが目的になってしまってないか。 しのぎ上手になってないか。若手こそ上司の喉に突きつけるくらいの気概でコピーを書けと仰っていた。「正解は誰も分からない。市場こそが正解」と、これは僕のボスの言葉。

別に病んでるわけではない。こないだふざけてガールフレンドとマルチの勧誘ごっこをやったらやたら上手で笑った。さてはやってた?この世には4種類の人がいます。労働者。雇用者。自由人。お金でお金を稼ぐ人。いや、土俵も階級も違うじゃんって笑った。

コロナ禍増えてるそうです。書店でバイトしていた経験から今勤めてる会社を知ったわけなんだけど、書店で勤めてたからこそマルチネットワークの専門誌があることも知っている。アメリカではわりとちゃんとしたビジネスでもある。なぜか知らないがあたくしマルチによく話しかけられるのである。

2021年4月2日は金曜で、仕事終わりスマホ見ながら駅まで歩いてたらイケイケの兄ちゃんとプリプリの姉ちゃんに話しかけられるわけ。僕ら飲み会までの時間潰してて、この辺りで美味しいお肉屋さんありませんかー?って。お兄さんお若いですねを7回くらい言われて老け顔を気にしてるあたしは馬鹿だねゴキゲンになる。8年目のオモテサンドを自慢がてら、どんな肉ですか?安くてワイワイならここだし、しっとり舌鼓ならここだし、肉以外もありですか?実はここの魚が超美味しくてって気づいたら9件くらい紹介してた。最後にLINE交換してバイバイ。いいことしたなぁと満足げに駅に向かって歩き出した矢先、LINE開いたらなんじゃこいつ。

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SNSにあげたらこの時期多いんですって。上京したてで友達いなそうな病んでるやつを狙ってるって藤木くんかよヒキョウなやつだな。何より、入社8年経ってもなお表参道で自分もそう思われたのが悲しくて悔しくて女々しくて辛いよ。

自分ってのは柔らかすぎても硬すぎてもダメらしい。よく言われるマズローの欲求の話にしても自己実現の手前に「所属」「承認」の欲求があると気づく。気づいてあげる。いきなり「自己実現」を目指そうとするから道に迷う気がしてる。何成し遂げたいの?その仕事ほんとにしたかったこと?とマルチは問うてくるけれど、一足飛びにマズローを駆け上がるでない。「いま、自叙伝を生きてます。」というearth music&ecologyのコピーが好きで、このシリーズを書いておきます。今歩いているこの道が、いつか懐かしくなればいい。

 

いま、
自叙伝を
生きてます。

 

挫折があって
よかったと、
いつか言ってみる。

 

はたして、
2014年の
秋のページは
面白いのか。

 

神様。
どんな人生なら、
ベストセラー
でしょうか?

 

平々凡々を
甘く見ないでと、
いつか言ってみる。

 

いま、
人生の
第何章だろう。

 

展開が
わからない
という幸せ。

 

そうよ、
早すぎる
自分語りは
かっこ悪い。