心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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えーこちら30、こちら30。聞こえますか?どうぞ。25になる新卒3年目ぐらいから「アラサー」というワードがチラついて「30になって何か変わりましたか?」と諸先輩方に尋ねては「何も変わらないよー」とかわされて、「ま、そっすよね」と返してた幾度のやり取りを経ていよいよ自分も30になり、思うことを綴ろうと思う。「何も変わらないじゃん」とぼんやり思いながら。「ま、そっすよね」と自分に相槌を打ちながら。

何か変わった?何もないよ、いや本当に何もないってばと何かを隠すように言ってみる。ただ、20代が終わったという事実はやっぱり重みがある。今っぽくいうと重たみがある。10の位が上がるのと、もう戻れない一抹の寂しさ。ガッチガチがカッチカチくらいには衰えてくるいちもつの淋しさ。これだけ意識しちゃう人間なので20代最後の日は一人アホみたいにドキドキしながら過ごしていた。刻一刻と近づいてくる明日の誕生日が嬉しいのになぜか不安で、20代最後の帰り道か。20代最後の晩御飯か。など考えてたら通いに通った早稲田駅は武蔵野油学会に並んでいた。並盛りと大盛りが同じ値段というイカれた価格設定に貧乏学生は幾度となく救われたワケなんだけど、多分私は30代も結構な頻度で食べに来そうな気がする、さすがにダーワセから引っ越す日も近い。そんなこんなでアメトーークを見ながら0時を回る。生まれた生まれた。正確には朝の7時半くらいに産まれたらしいのでまだ7時間ぐらいあるんだけど、窓を開けてちょうど30年前の福岡市博多区の空気を想う人の時を想う。この、自分にとっての特別な1日は、嵐の大野君にとっても関ジャニの丸山君にとっても筒香選手にとっても特別なんだろうなと思うと不思議な感じがしてくるけれど、同じ誕生日の有名人にここ数年フワちゃんが出てきてだいぶ持ってかれてる。同じ誕生日の有名人に年下が出てくるのも30ならではだと思う。

そういえば中学2年か3年の時に「立志式」というイベントがあった。あったということだけを記憶していて内容は一切忘れたのだけど、孔子論語『吾、十有五にして学に志し』に由来する、中学生に志を確認する機会。卒業アルバムに「腹話術師ではなく福を運ぶ福話術師になりたい」と補助線まみれのトンチンカンな志を記した15歳からはや15年、『三十にして立つ』が待ち受ける。入社以来お世話になっている直属の上司から「三十にして立つ」を教わる。悪い意味で若手のまま責任を果たせてない心当たりはあって、いよいよと言うよりいち早く立たなければならない。志を立てた後で、自分の足で立つのだ。

今年の夏を迎える前、呟いたこんなツイートに大学の同級生アイドルからいいねをもらう。そのアイドル性はもちろんのこと、ソロアイドルとしてしっかり立っている姿はいつもまぶしい。

 

どだい「心頭滅却すれば火もまたスズシ」なんてタイトルをつけてるからか、過去を断ち切って感情を捨てて今に集中することに美学を感じやすい。例えば営業職をしているが、受注の見込みがないお客さんに対してかなり早いタイミングで諦めている。次行こう次、振られても仕方ない合う合わないはあるさ人間だものと都合の良いみつをに隠れたり助けられたことも少なくない。じっくり考えるのは得意でないからこそ、フットワークの軽さでは負けないようにしたい。「お前は何で飯を食うのよ、そこで負けたらお前がいる意味ないだろ」というボスからの言葉は厳しいが本質だと思っている。ジェネラリストよりスペシャリスト。ジョブ型の働き方が浸透する中である種の尊重を感じる。

で、最近思うに「次行こう次」は「はいじゃあまた0から頑張りましょうよ」ではないよなぁと思っている。こっちの道が外れたから次こっち行きましょうよ!は、こっちの道が外れた(ってことはこういうことだと思う)から次こっち行きましょうよ!という過去からの学びがベースにないと毎度毎度の暗中模索。そうこうしてるうちに歳だけ重ねていく。日々確実に死に向かっていることを意識するのも、10の位が一つ上がった30歳だからこそ。「心頭滅却すれば火もまたスズシ」を都合よく“考えを断ち切った諦念”とも受け取っていたけど、そのある種の責任感のなさが30になっても“若手”と揶揄されてしまう理由なのかもとギクリとする。「積み上げたものぶっ壊して」と歌うスキマスイッチ全力少年は好きだけど、今僕に必要なのはその真逆、積み上げたものがあるから嗅覚や精度が上がるような働き方をしていかなければ、ここまではできるようになったよなという自分のささやかな自信ごとぶっ壊される可能性もある。「30歳になったから」「課長部長になったから」できることなんて何もない。いつかできるは、いつまでもできない。諸先輩が言う「何も変わらないよー」は実は残酷な意味でもあったと気づいてできることは日々を研ぎ澄ますことしかなくて、こうした節目を心に留める。ロシアの作家アントン・チェーホフは、人生を竹に見立てて「大きな出来事は竹の節であり、節と節との間にある生活の連続こそが人生である」と言ったらしい。「竹にはフシがある。そのフシがあるからこそ、竹は雪にも負けない強さを持つのだ。」とは本田宗一郎の言葉である。

 

最近Official髭男dism『アポトーシス』を機械のように繰り返し聞いている。

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同じ91年生まれのボーカル藤原さんが2020年の29歳の誕生日に、自分の残された20代があとわずかだと気づいて浮かんだ曲らしい。アポトーシスを調べると“細胞の自然死”。はてさて。オタマジャクシが成長の過程で尻尾がなくなるように、葉っぱが自動で色づき枯れ落ちていくように予測される死のことをアポトーシスと言うらしい。「君の運命の人は僕じゃない」と歌う『Pretender』はLGBTQの方々の心にも刺さってたと聞いて髭男すげぇって思ったんだけど、ヒットチャートをあれだけ賑わせた後の曲でも、まださらに美しいメロディと深い詞の世界を出せる髭男ホントすげぇ。公式サイトのインタビューでこんなことを語っている。

“藤原:まぁ普通にこのバンドっていう、この形をとってもそうだなと思うし。いつまで続けられるのかとかも正直わからないんですけども、続けられるうちは慈しみながらやるっていうことが大事なんだろうなっていうことしかできないというか。半分諦めに近いけど、そこに実は希望もあるっていう。”

Official髭男dism「Editorial」特設サイト | Official髭男dism

次行こう次ってあっさり諦めやってるうちに何も成さずに死ぬのはさすがに恐ろしく、どうなるか分からないけど自分が死んだ後に何が残せるのかみたいなことを考えると、もっと書かなくちゃなと思う。2021年はおかげさまでプライベートがものすごく充実していたんだけど、どこか刹那的で断続的でフロー型の楽しみばかりだった気がしていて、もっと省みてもっと書いて積み上げていくストック型の楽しみを増やしていきたいなと思っている。ここまでは歩いてきたなとか、次の街着いたらセーブしておこうとかたしかな一歩を積んでいきたい。

面白くも難しく、休日はそうはならないのに平日は布団から出るのが憂鬱になる時すらもある“仕事”を通じて知った言葉を書いておく。ある大御所芸人さんの言葉らしい。

「夢を語っている時間は楽しい。ただ、夢が目標に変わった途端に苦しくなる。それでも夢を目標にしない限り、夢は永遠にかなわない。」

これまで夢に対して「追い求めているうちに、ふいに夢は実現するものだ」という立松和平『海の命』(参照小学校の国語の教科書)の一節を信じてきたけど、夢を実現するための目標を立ててセーブポイントを刻んで向かっていかなければ(その道は楽しいだけではなく、エラくしんどい自分との向き合いの日々であるとしても)、望むものは形になって手に入らないと言う。「福話術師になりたいのならもっと書きなよ」と中3の僕が変な十字架を背負わせてくる。「なるようになる」とか「人は人、うちはうち」とかと同じ理解で「心頭滅却すれば火もまたスズシ」を使うのは違うよなって自分が一番わかっている。

 

そんなわけで30歳記念に何かしたいなと思い始めたのが5月ごろ。ストック型の楽しみへの挑戦だ。ブログを書くか。M-1 2回戦進出した時のネタを残しておくか。写真撮ってもらうか。好きな画家の方にSNS用のアイコンを書いてもらうか。曲を作るか。親と漫才するか。山手線一周歩くか。など洗い出した結果、これまで浴びるほどJ-popを聞いて育ったのでドかミかソで終わる、耳馴染みの良い王道ソングを作りたいなと思った。何よりやったことないからやってみたかった。作り方も分からないから知り合いの音楽好きを探す中、お笑いサークル同期の織内傑作を思い出した。彼は絵にかいたようなプータローでどこで何をしてるから分からない。いや嘘、芸人とミュージシャンの街高円寺に住み音楽とバイトで飯を食ってるらしい、DMを送る。「雰囲気とか歌メロとか歌詞あればギターとベースと打ち込みドラム作るよ」と即レス、初めてこの男が頼もしく見えた瞬間。相場が分からないから1万円で依頼してみる。万札を出した瞬間、神様みたいに崇められたことを覚えている。将来お金持ちになったら彼に無駄に曲ばかり作らせようかな。それからというもの、シャワーを浴びる時や帰りの電車で色んなメロディを口ずさんで、良いのがあったらすぐiPhoneのレコーダーに録音して、ということを繰り返す。やってみて面白かったのはブログと同じで頭にない言葉は出てこないものだ。その時に思ってることが自然と出てくる出てくる。当たり前だけどホシカワの引き出しにはホシカワしかないわけで最初のフレーズが出来上がる。それは「朝起きたら朝食が待ってるって幸せだよね」っていう干支1周分東京で一人暮らしをしてる僕だから分かる、実家の朝飯のありがたみと幸福感である。そんな幸せを君にお届けしたいというメッセージが整った。AメロBメロはなかなか進まず最初に依頼してから早3か月以上、ようやく織内傑作に曲を送ると、ものの1週間でめちゃくちゃ仕上がった音源が返ってくる。作詞作曲以上に編曲の味付けのインパクト。

10月24日は高円寺、初めてのスタジオに足を踏み入れ打ち合わせ。ベースギターに飽き足らずコーラスを自分で録音してわざわざハモリまで入れてくれて感激。「ハァ~」のハモリが気持ち悪くてわらう。

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こうしてサビ→Aメロ→Bメロ→サビまでできたけどまだまだありふれていてつまらない。どこかジャルジャルあんまりよくない歌、作る奴みたいになりそうで何かフックを探してた矢先、星野源とオードリー若林さんの『【公式】星野源×若林正恭『Pop Virus feat.MC.waka』 - YouTube』を聞いて見事に影響される。そういや初めて買ったCDはオレンジレンジだったしね。大学受験前にRIP SLYME聞きまくったしね。興奮して影響されてラップ入れてみたけど難しかった。語彙力が全く足りてない。デモを聞いた友人奥村君は「サクラップみたい」と、ある意味最大限のDisをかましてくれた。ファンの中ですら賛否分かれるあのサクラップじゃん。同じ翔だしねと谷村君は言う。傑作に相談してBPMとビートをすり合わせて出来上がったカラオケ音源がこれ。編曲がすごすぎるよね。

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1:09にちゃんと「ハァ」ハモリも入ってる。彼も彼でトガってるから日ごろはまぁJ-pop風なぞ作ることはほとんどないらしく、だから逆に超J-popの王道っていう僕のオリエンはイメージしやすくてよかったらしい。せっかくなら収録までやりなよ、と白ホリ(と言うらしいTHE FIRST TAKEみたいな白背景)のスタジオの探し方を教えてもらってお別れ。11月23日、中野のスタジオで収録する。社会人になってからグッと距離が近づいて毎週のように遊び散らかしている奥村君と平田君に協力してもらう。余裕をもってしっかり3時間押さえたのに「一発撮りじゃなきゃ意味がない」というストイックな理系人に飲まれて一発撮り。残り2時間余してフィニッシュ。いや、撮り直してもよかっただろと今でも思う。それでは聞いてください。☆巛×人生初の作詞作曲、恐れ多くも糸井さんの名コピーから拝借して『おいしい生活

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おいしい生活
作詞・作曲・動画編集:☆巛×
編曲:織内傑作
Special thanks:ヒラタチヒロ、OKU

朝起きたら朝食が待ってる
そんな幸せを君にお届けしたいんだよ

朝が苦手な君のために
ほんのちょっとだけ早く起きて
早起きは三文の徳
卵焼きはうまく巻けないから
ハムの上に目玉焼きを
石の上にも三年

おはようとおやすみの積み重ねが
僕らを連れてくから
変な寝相もまくらの跡も
笑っちゃうくらい愛しくてさ

朝起きたら朝食が待ってる
そんな幸せを君にお届けしたくて
食べ終わった君が嬉しそうに
「まだまだだね」ってダメ出しをする
僕らしか分からないおふざけを

朝目が覚めたら 四季折々 味噌汁の香り
色とりどり朝から晩まで幸せはここに
一緒にいたいな Like an Olive & Garlic
調味料使いすぎて怒られたり
あなたという白ごはんに対して
明太子くらい嬉しい存在でありたいのさ
お手を拝借 いただきます

朝起きたら朝食が待ってる
そんな幸せを君にお届けしたくて
食べ終わったシンクのお茶碗が
いつのまにか洗って干されてる
口に出すまでもない幸せを

君にあげるよ
おはよう

 

リングライトも駆使してカメラ3か所から撮影し、緊張感に包まれながら無事に一発撮りを終えて時計を見るとまだ残り2時間もある。ほら見ろ何しよう。暇を持て余したアラサーの遊び。仲の良い先輩が教えてくれた日本和装さんのきものソングコンテストに応募することにする。きものっ♪きものっ♪着物が着られる~の後に続く歌詞とメロディを考えて動画撮ってTwitterで応募するコンテストなんだけど、一等賞が賞金150万円+CM出演権という確実にやりすぎてるアワード。あんま公募で150万円+CM権をもらえるアワードはそんなないです日本和装さん。

日本和装|きもののうた オーディション開催中!

 

コンセプト作りは奥村氏。すでに応募されてる数作品を見て、着物の魅力をそのまま着物を着て伝えても若い人には響かない。せっかくTwitterで応募するからには僕ら世代に何かフックになるものを入れた方が良いと言う。なるほど賛成。冷静に分析したかと思えば「それ煮物」「干物」ってずっと着物のダジャレを言っている。何がフックだよ。コンセプトどこ行ったんだよ。

演者は僕。SNSに恥を晒すのは慣れている。ネットの海にゴミを出し続けて数年が経つ。そして動画編集が平田氏。平田氏は奥村氏の大学の友人で、僕らの高校で集まる時にはいつも確実にアウェーなんだけど、持ち前のやんばるの風ハイサイの海、いつも気さくに話してくれるTheいいやつで僕らみんな大好き。飲み会の途中でも撮った写真をステキな音楽をつけてちょろっと編集して動画作ってLINEで送ってくれる、アーティスティックな気遣いの塊人(かたまりんちゅ)。そうしてできた動画がこちら。これに関しては3パターンも撮ってて、いや30歳記念ソングは一発撮りで、なんでこっち万全の状態でスリーテイクもしてんだよとおかしくて可笑しいけど、楽しかったから良い。

その①やっぱ着物編。世界に誇れるよねという観点から、わりと演者力で押し切ったやつ。「いいかもしれないこれは」と奥村コンセプターの声が入っちゃってる素人臭さをどうぞ笑ってください。

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その②クイズ編ver1。仕掛けがないとフックにならない、クイズというフォーマットを作っちゃえばいくらでも転用ができて二次創作を生む!と強気なんだけど、要はダジャレきっかけである。というかもう着物が着られる~♪のフレーズを一切無視している。

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その③クイズ編ver2。これぞ奥村氏のズラし方。こういうズラし方がけっこう好きで、もう着物全然関係ないんだけど今年っぽくて楽しかった。小慣れてきた僕が裏拍で振り付けてるのも見ものです。

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ハッシュタグで♯大谷翔平をつけるふざけっぷり。応募時点ではRTやいいね数は結構よかたんだけどな。そりゃ着物に関係ないから落ちるわな。

応募概要を見ると12月5日応募締切で最終審査会が12月20日にあり、紅白歌手純烈さんの前で歌うという。150万とったら50万で山分けだな。でも今年の確定申告締めちゃったからもらえるなら来年がいいなと、バカみたいな取らぬ賞金の皮算用。2週間ワクワクして待ったが何の連絡も来ず。「残念だったけど、待ってる数週間はコロコロの応募者抽選プレゼントに出した気持ちでわくわくしたよ」と話す奥村氏の顔はどこか清々しかった。前述の『おいしい生活』のSpecial thanksに2人の名前を入れたんだけど、僕の思いつきを呆れずに付き合ってくれるステキな友人がいるのは誇らしい。ちなみにもう1人よく遊んでいる村田君はスケジュールが合わなかったから、彼からもらったジャケットを着て収録しようと決めてたのはここだけの話。30歳記念にあほなことやったよねと将来思い出せるのが嬉しい。40になったらまた曲を作ろう。着物か干物かどちらか当ててもらおう。

 

30になってこうして思うに、僕は相変わらず友達に恵まれている。誕生日祝いをしてくれた人の誕生日はどうか覚えておいてお返しをしたいなって思っている。そのための楽しい引き出しをパンパンにしておきたい。仲良い友達がお祝いのメッセージをくれて曰く「ほしかわ戦法と名付けていいくらい、『おれならこう闘うぜ』が確立されていてかっこいい。らしさ溢れるフィールドをお持ちで羨ましいくらい。これからも言葉を味方に、大切にしてね。」とのこと。もう名前からしていかにも弱っちそうなほしかわ戦法ではあるが、僕は僕なので比べず尊重しあって愛とユーモア生きていきましょうよみたいなことを考える。高校野球部の谷村君ちに遊びに行ったら、それはそれは可愛い2歳の天使が「かけちゃん」って呼んでくれてほっぺた落ちちゃったし、彼の作るカレーにもほっぺた落ちちゃった。日当たりのよい窓際で娘さんに絵本を読み聞かせている彼のパパ活っぷりはもうCMのそれで、幸せな家庭からの帰り、僕と奥村君の独身の軽薄さで「好きなタイプ聞かれたら今の君ならなんて答える?」って谷村に振ると「なんでも話してくれる人、そしてこちらの話も聞いてくれる人」って大人な答え。哲学者みたい難しい顔して女性陣を近寄らせなかった高校時代の彼からは想像もつかないけど、そういえば「夫婦生活は長い会話である」ってニーチェが言ってたよ哲学。谷村君の奥さんへ、素敵なおうちにお邪魔しました。大変なこともあると思いますが彼があんなにやさしく微笑むようになったのはきっとあなたのおかげです。またぜひお会いしましょう。次は僕と奥村君とで山手線ゲームお題「谷村の変なところ」をやりましょう。僕ら以上にきっと詳しくなっているだろうからいい勝負になると思います。

同じく野球部の士野君とこは、これまたお父さんお母さんに似て朗らかによく笑う天使がいて、どこが似てる?目はパパかな鼻はママかなよく笑うところは2人にそっくりだね笑顔って似るんだなと思った。あの手この手で息子を笑わせようとする僕らと違って、なぜかずっと意地悪をして自分が一番げらげら笑ってる村田君を見て、こいつは将来ろくな親父にならないぞと思いました。

何と言うか、確実に想像の何倍も大変だと思うし、そんな軽々しく言わないで!って叱られるかもしれないけど夫婦で日々を歩んだり、お子を育てたりってのはストック型の最たる例だと思っている。楽しみの種類を変えて自分だけでなく人のために生きている皆さんは、ケッコンだけがコソダテだけが全てじゃないこの時代でも、素直にすごいなぁと尊敬する。

前述のほしかわ戦法を命名した仲良しの女友達と、前に彼女との近況を報告したら“いつまでも「わかんねぇ~」って困り笑いしながら臨機応変創意工夫で乗り切るひとでいてほしい。はいはいこういうことでしょ、みたいな恋愛のしかたは似合わない気がするから。”って言われてハッとした。30年、年を重ねて出会いが増える一方で、こう来たらこう返す、こういうパターンの人にはこう誘うみたいなことを無意識にやっちゃってたのか、やはりどこか営業と同じで「はいはいこういうことでしょ」「次行こう次」の繰り返しで諦めが早くなっちゃってたり。「去る者追わず、追ってもまた去る」って考え方はユーモラスで好きなんだけど、本当に大事な人にすら執着しないのはもう何をカッコつけとるんだね?と胸に手を当てて疑問符。恥を晒してでも不器用でも心頭滅却すれば火もまたスズシでも、大事な人にはちゃんと心で向き合っていきたい。

 

30を迎える1年、僕の週末が充実していたのは間違いなく彼女のおかげである。とはいえ遡るとズレてたり合わなかったりもそりゃあったけど、これまでだったら諦めてただろう価値観の違いも向き合おうと意識してきたことが分かる、というか今見返すと僕の生活力が低すぎて、よくこんな自分と付き合ってくれてるなと有難い。今風に言うと有難みがある。彼女ありがたみ~

「はいはいこういうことでしょ」なんてカマせないぐらい育ってきた環境が違うと、ダメなところは直して学んで、僕がお返しできる部分でお返ししていきたいなと思う。作った曲『おいしい生活』はほぼ彼女との話で、調味料使いすぎて怒られたり、上手く巻けない卵焼きどころか目玉焼きすら割れてぐちゃぐちゃになっちゃったり笑い話というよりもうごめんなさい話なのよ。それでも、オイルに香りを移すようにいい温度感と安堵感で一緒にいられたらなと思う。

紹介で知り合って付き合って、いつも眼と歯がきれいな人だなぁと思っているので「あたしのどこが好き?」ってとっさに聞かれてつい「眼と歯」って答えたら、とんだパーツ好きのサイコ野郎みたいな軽蔑した眼で見られたりした、例のきれいな眼で。付き合う前、このブログを読んでくれてたらしくベッドタイムストーリー的に読んでますって言われて変な人だなぁって惹かれてった。好きな人の条件を3つ挙げるとしたら?みたいな話がある時、たいてい僕は「自分で笑ってくれる人」「僕がいない時も楽しめる自立した人」「僕がよく歌っちゃうので音楽が嫌いじゃない人」みたいなことを答えていたんだけど親友奥村氏曰く「お前は何もわかっちゃいない、お前は尊敬できる人が好きだろ!」って決めつけられてまぁたしかにそうだなぁと思った。自分のことって自分が一番分からないですよね。上記3つの条件を満たしてても好きになるかは分からないけど、尊敬できたり自分にない知識を持っている人だと一緒にいてずっとわくわくする。例えば一緒にお散歩をしていた時に、良い匂いがする〜あ、沈丁花だ!って一発で言い当てたの、本当好きってなった。

あれはたしか友人家族数組と1泊2日で山梨旅行に行った時、宴の時間に次々に明かされるそれぞれの来年。たとえば「海外赴任が決まったわ」とか「万博まで大阪行くことになったわ」とか「研修のため栃木に1年行くわ」とかとか。寂しくなるねぇが文字以上に心に来た時、この毎週のように遊び散らかしてた友達が散り散りになることを知った帰りの電車に揺られながら、どんなに環境が変わってもこの人には隣にいてほしいなって思ったことがケッコンしたくなった瞬間です。

さて師走。クリスマスにプロポーズしたいなって情報収集を始める。試しに大学の友人藤原君とティファニーに入って色々聞いた結果、めちゃくちゃ素敵すぎて指輪おもしれ〜ってなって黙っておくにはもったいなさ過ぎて帰ってすぐ彼女に言っちゃった。そしたら一緒に見たい!となったのでノンサプライズで一緒に選ぶことになった僕のプロポーズ大作戦。新宿のティファニーに男2人で見学に行ったら、接客された方がさすがのプロで、これはこういう理由でこういうデザインなんです~ってのを15分ほど浴びてたら、一気に指輪選びの楽しさに目覚めちゃって、彼女もいないし全く予定のない藤原君まで「さっきのやつもう一度見せてもらっていいですか?」って乗り気になってて面白かった。別の指輪屋さんにて「いつの予定ですか?」「クリスマスとかにできたらなって」「あっ、早くても2ヶ月かかります」「あっ」「あっ」ってなる、これも私のプロポーズ大作戦。人の口に戸は立てられぬを体現している人間なのですぐ言いたくなっちゃうからサプライズはへったくそ。「全部言っちゃうのね」と呆れられたりしながらも、結果が分かり切っているプロポーズを銀座のお寿司屋さんにて。指輪の箱にリボンがかかっててそのままだとやりたかったパカってやつができないからいちいち僕が「これはリボン取る?」「パカってする?」って聞いてしまった結果、プロポーズの返事は「おっ、おう」っていう現場監督みたいな声だったけどひとまずおめでとうありがとう。とは言え最後の最後、行きつけの居酒屋さんにてサプライズでバラの花束を渡せたのは、やるじゃんと自分に言ってあげたい。ハイシーズンなもんでバラの本数の確保が難しかったりお花の通販の時間指定ができなかったり、ここでも苦戦。バラの花束50本は結構なサイズって村田君に聞いてたから30本くらいかなって予約したんだけど知ってます?どうやらバラって本数にも意味があるらしく、40本「真実の愛」や108本「結婚してください」とかの中で、30本は「ご縁があると信じています」っていうアピール弱いやつで笑った。訴求弱い!けど「ご縁があると信じて」るからそれもいっかなって思った。案の定笑ったくれたし、居酒屋に居合わせた地元のおっちゃんおばちゃんらがワーってなってくれて照れちゃったぜ。あなたに出会って僕の人生がおいしくなりました。これからも2人でおいしく過ごしましょう。

 

こないだの11月、親父が乃木坂46のライブが当たったと東京に来るというからこれは紹介しようと、彼女を会わせてみる。アラカンで乃木坂にハマった親父は数万人の東京ドームの観客の中でも最高齢に近かったと思うけど、Negiccoを追いかけてる僕と血は争えない。呆れながらも愛想を尽かさない母さんがすごい。

「ご兄弟はいるのですか?」「おうちはずっと東京ですか?」って面接官みたいに質問を浴びせる親父に、もうちょっと気さくに話してくれよと思いつつ、同じく乃木坂ファンの彼女から「最近は誰推しなんですか?」って質問に堰を切ったように話し始めて「筒井は~」「弓木が~」と呼び捨てで非主要メンバーについて語りだす。親父のやばさがバレてしまう、思いのほかリスクだらけのトークテーマだったけどドン引きされなくてよかった。息子の彼女に会えたことより、乃木坂愛を伝えられたことに満足げな親父は熊本に帰っていった。何しに来たんだ?あ、そもそも乃木坂見に来たのか。そりゃ満足げだな。

問題はここからで家に帰った親父に母が問い詰める。「かけの彼女どんな感じだった?乃木坂で言うと誰に似てた?」ってハイレベルな選択肢から選ばせるなよ!乃木坂にはいないと親父が答えたら「きれいじゃないの?」ってもう勘弁してくれ!親父も親父で絞り出したヒントが「丸顔であひる口」だったから勝手に「おでんくん」を想像しているらしい。年明けに会わせるのが楽しみでもあり、ちょっと不安でもあるでんがらがった~でんが~でんが~。ばあちゃんからも生きてるうちにと急かされては毎回「お相手がいることですので」って芸能人みたいに返してたけど、ちゃんと彼女はいますよと伝えたらひとまず安心してくれた。「出世するよりお嫁さんもらう方が親は喜ぶよ」と直属の上司から聞いていたけど、まる30年の恩返しができたら嬉しい。

 

毎年、実家が出す年賀状に親父から求められてコメントを載せている。

2018年

「言葉は刺激物、読後感こそ作品」と大御所コピーライターの方が仰ってました。心地いい読後感をお届けできる人になれるよう精進します。

2019年

いい30代を過ごすための予行演習も終盤に差し掛かり、なりたい姿も見えてきました。全国各地で活躍します!

2020年

「これまでの人生がこれからの人生を決める」のではなく、「これからの人生がこれまでの人生がどうだったかを決める」という言葉を知りまして、理想の未来と今までの自分を繋げられる1年にしたいです。

2021年

30を迎えられることを嬉しく思いつつ、できれば1人ではなく誰かと迎えたいので、男を磨きます。

そして2022年。実家からの年賀状にはこんなメッセージを載せようと決めた。

「30にして立つ」とは本当によく言ったもので、次世代「干川家」を築いていけるよう頑張ります。

 

今年もたくさんお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

#プレ花婿さんと繋がりたい。(決して繋がりたくはない、ってかプレ花婿さんってなに!?)