心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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好きな話がある。

会社の後輩サイトウ君は大学までゴリゴリのサッカー部員で見るからに体育会系。体育会系をバカの言い換えで使うのはそりゃもうあらゆる方面に大変失礼なんだけど、サイトウ君は「将来の夢はW杯で日本代表を優勝させること」って就活の面接で宣言してまわるぐらい体育会系なのである。当然返ってくるのは半笑い。どの会社もどの会社も、聞いた側のくせにうーん、それは無理じゃないかな?とか。本当にできると思う?とかにやにや返され続けた。
そんな中、唯一笑わずに聞いてくれたのがなんとまぁ、うちの会社だったらしい。就活で笑わなかったからというなんとも変な入社理由に呆気にとられるけれど、W杯優勝のために今何が本当に必要なのか。マーケティングとクリエイティブで企業の活性、業界の発展に貢献しようとするうちの会社と共鳴し、彼は入社を選んだわけだ。

そして今。体育会系をアホの言い換えで使うのはそりゃもうあらゆる方面に大変失礼なんだけど、彼は体育会系みたいに大活躍している。つまりアホみたいにどこまでもノンストップで活躍し続けている。

 

遠くにボールを投げてみる。その着地点から逆算して日々を刻む。
何年と付けてきたサッカーノートが彼の支えであり、ビジネスシーンでも欠かさず毎週の動きを振り返っている。ちょっと勝ったら緩む。負けたら落ち込む。そんな人間のバイオリズムを吹っ飛ばして活躍を続けるサイトウ君は、勉強になるし刺激的だしかっちょいい。プロに年次はない。人間、後輩から学ぶこともまた多いってわけだ。
彼が凄まじいのは「W杯で日本代表を優勝させる」ために1日を生きていることだ。いや、僕も何言ってるか分からない。分からないけども彼曰く、1つの商談を終えて振り返る時、1日の終りに眠りに就く時、基準はただ1つたった1つ「今日で日本をW杯優勝に近づけられたのかどうか」それだけ。これが、僕の好きな話。

時折、「だめです、こんなんじゃW杯はまだまだ遠いです。」って落ち込んでるのも心から本気で信じているからできること。人生かけてでも成し遂げたい夢や見て見たい景色が比較的小さじな僕は、彼に適わないオモシロさに悔しくなったりしてる。

 

そんなサイトウ君の活躍っぷりを見ながら、大谷翔平選手の曼荼羅チャートを思い出した。当時高校1年生、156歳で既にここまで大きい目標を持っていたことに、プロに年次はないとは言え、ビビる。
遠くにボールを投げる、でかい夢を見るための地肩の強さみたいなものも必要らしい。

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268ヶ月、この真ん中をもうずーーっと探してる。

もう少しイキすぎると何故自分は生きるのか。この星のこの時代、愛とは生命とは宇宙とはって哲学と宗教が両サイドから駆け上がってきそうなんだけど、今日の1日はどこに向かうための1日だったのか、冷静に考えられるお年頃だと思うの268ヶ月。サイトウ君の日本代表のW杯優勝。大谷翔平高校生のドラフト18球団。×のほにゃららほにゃらら。SNSの登録名を☆(ホシ)(カワ)×(カケル)で統一したので名前だけでも覚えて帰ってください。

 

最近もまたいろんな感情に挟まれ、いろんな表情をしながら生きている。
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年前ドタキャンされた女の子に今年もまたドタキャンされたんですけど、普通そんなことあります?わらう。今回は幸い学友が乗っかって来てくれて、昨年みたいに昔付き合ってた人に声かけることなく済んでよかった。学友のブログに登場させてもらったのでこちらも書くことにしよう。

これは完全に私信なんだけど、好きになるハードルを少し下げてみて、下げ過ぎたならまた少し上げられるといいね。仲良かった友達と少しずつ合わなくなってきてるなら、近づきすぎた距離を巻き戻したりしてさ。ツッコミどころが多すぎるあなたの話は聞いててとても楽しかったっす。幸あれ!

平成の男 | まんまるダイアリー 夢のキラキラOL(*´˘`*)♡

 

ここ3週間。男2人の札幌旅行に始まって、仲良しメンバーとアイドル縛りのカラオケを歌って(最後は合唱曲で締めて)清竜人ライブで聞き惚れて、芸人やってる先輩の単独ライブに笑って、デザインあ展にも早速繰り出す。今日はこれからTokyo Idol Festivalが待ってるし、来週の盆休みにはニューヨークが待っている。

前述のサイトウ君は、1つの商談がW杯優勝に近づけたのかどうかに照らしてる。さて僕はこの徹底したコト消費と都度都度のシーンシーンの感情の振れ幅を何に照らしていこう。すみません、けっこうながいこと真ん中を探しているんですけど、このあたりなかったですかね私の真ん中?

 

真ん中探しのための自分探しは何も海外に行くことだけではないと思う。

振り返れば大学4年から社会人1年目にかけて、千原ジュニアのコラム本を読み漁った。女を喜ばすと書いて「嬉」って男前すぎでしょ?この漢字好きやわ~って彼の「言葉」への興味と、大喜利でもっといい答えが出せたんじゃないかってお笑いへの飽くなき探究心がとてもとても痛快で。そんな彼が40の歳に両国国技館で行った単独ライブは、過去の自分と大喜利対決をしたり、松本人志とすべらない話をしたり、出川哲郎とリアクション芸をやったり、ケント・モリと一緒に踊ったり、春風亭小朝からネタをもらって落語をやったりと盛り沢山。DVDを繰り返し見て、何か対象に熱狂的に憧れ尽くす経験は初めてだったんじゃないかなと思う。

こないだ、大学の先輩の単独ライブを見て、もしかして僕は死ぬまでに単独ライブがやりたいのでは、と思えてきた。芸人さんじゃないのに?恐れ多くも一旦真ん中に入れて埋めてみる。なお、メンタル、体づくり、人間性と運のテーマは大谷選手から拝借。

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で、書いてみて思ったんだけどサイトウ君のように果たして単独ライブの成功のために生きられるか?って問うと、そうでもないなって早速のちゃぶ台返しちゃぶ台返しは早いほうがいいさって開き直ってもう一度自分を見つめる。

そんな中、先日デザインあ展に行ってみてそういや自分は教育テレビが大好きだったことを思い出した。

にほんごであそぼで聞いた、ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん(中原中也)とか、神田山陽さんがテンポ良く教えてくれる講談とか。天才テレビ君で歌って踊る同級生ぐらいの1軍の皆様を見ながら憧れて(カンペキって曲知ってます?いい曲ですよ)

「カンペキ」井出卓也 - YouTube

キッチンアイドルアイ!マイ!まいん!は必須科目のごとく踊りを覚えたし、おでんくんのオープニングの前口上「なんでもしってるつもりでも、本当は、知らないことがたくさんあるんだよ。」って、くだらなさの中にたまにある本質にハッとさせられたり。

おでんくんでとりわけ好きなくだりがあって。登場人物に主人公のおでんくんにそっくりな、と言っても実際はそんな似てないその名もニセおでんくんというキャラクターがいるんだけど、彼が登場すると毎回たまごちゃん達はこう言うわけ。「きゃーおでんくんのにせものよ!」それに対して、ニセおでんくんはこう返す「違う、僕は本物のニセおでんくんさ!」って。でたまごちゃん達は毎回はてなマークを頭に浮かべて混乱するっていう超くだらないくだり。いや、もしかしたら本物と偽物って何が違うんだろうっていう問いかけかもしれないし、視聴者や読み手の思考力が高ければ高いほど遊べるコンテンツ、深読みできる余白があるものが好きで、特に僕の周りにはそういう人が多かったので格好の教科書になったものだ。さすが、”教育”テレビである。

この時期、小学校の夏休み。野球部の練習が午後からだったから午前中はひたすらピタゴラスイッチを見ていたこと。ピタゴラスイッチ。ご存知の方も多いだろうが、生みの親は元電通のCMプランナー佐藤雅彦さんである。ポリンキーのCMも彼が作っている。友達の家に電話をかける。「はいもしもし」「ポリンキーポリンキー三角形の秘密はね~ポリンキーポリンキー美味しさの秘密はね~」「ちょっとなんですか?誰なんですか!?」「教えてあげないよ、ジャン」のジャンで電話を切るいたずらが僕を中心に流行ったんだけど、それぐらい心を鷲づかみにしてくれたクリエイターがコーコクギョーカイの出身で、今の仕事の延長にそういう方との出会いがある気がしている。確信している。そんな時、僕が見てきた教育テレビの価値、本質、立場、視点はきっと活かされると信じている。それは、ひょっこりひょうたん島などの劇作家井上ひさしさんが仰る「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」の考え方だと思う。

小学校6年間毎月欠かさず買ってたコロコロコミックの話がツイッターに流れてきて、「子ども向け」と「子どもだまし」についてこう語られていた。子ども向けコンテンツとは「大人の自分が本当にかっこいい、おもしろいと思っていることを分かりやすく伝えているコンテンツ」であり、「これは絶対に子どもだっておもしろい!と感じるはず。でもちょっと難しいかもしれないから、分かりやすくしよう!」これが子ども向け。一方子どもだましは「大人の自分はあまり好みじゃないけど、多分子どもはこういうのが多分好きなんだろうと思って作られているコンテンツ」だという。子どもっぽいノリを想像してこういうのが好きなんだろう?と押し付けるのではなく、子どもよ、こういうのがオモシロいのだ!おじさんが教えてやろうという気概が大事らしい。子どもにとっても大人にとってもかっこよさ、おもしろさは平等だという言葉に、僕が愛読していた理由が集約されている気がする。


教育テレビ的な人になりたい。というか、教育テレビになりたい。何を言っているか分からないけど、自分の人生の点と点をつなぐと必然的にそういう答えになる気がする。それは、父母姉が教員で、自身もコピーライターの学校で働いているからこそ描ける未来だ。

それはきっと、未知にわくわくする人だし、知らなかったことを教えてくれる人だし、読み書き話す以外にも歌ったり踊ったり伝える術を多く持つ人だし、世の中のいい話を伝えてこの世界は生きるのに値するよって思わせてくれる人だと思う。

そうなりたいし、きっとそうなってるだろうなーってなんとなく思ってる。

猛暑による幻覚じゃないといいな。