心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

247

「ヤメル時もスコヤカナル時も、トメル時もマズシイ時も。

支えアイ、慰めアイ、助けアイ、変わることなく愛することを誓いますか?

アイ、よろしい。ハヤカッタですね。クイギミでしたね。

 

それではヨイですか。誓いのキスを交わす前にワタシから一つだけ、たったの一つ。

この世に、美魔女など、存在しません。

 

アナタ方は本日ケッコンします。愛し合うフタリは互いの手を取り合い、これから家族になります。少し丁寧に言うとご家族です。ヨッ、ご家族。少し後ろをミテミテください。ワタシから見て左側はシンロウのご家族。メガネ多め。ワタシから見て右には、シンプのご家族。やだなワタシじゃないですよ。いやワタシもあなたもシンプですけど、それ今言いますほらヘンな空気。純白に着飾ったシンプ、そうアナタ。そのご家族。イログロ多め。ご両家が本日をモッテしてご家族になります。ヤーイ、ご家族。

 

『ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う。』

こんなキャッチコピーを送ります。

 

『人生にティファニーを。

おたがいに甘えずに、自立しているふたりだからこそ、ふとしたきっかけを示しあう愛情が、心を強く動かします。
夫から妻へ。妻から夫へ。ティファニーの贈り物は、ふたりの絆をより強く深いものにするでしょう。』と続く、もうお分かりティファニーのコウコクだったりします。

 

フシギなものです。顔まっ赤にしてまっ赤な嘘つきまっ赤な他人が、家族になる。シツレイシッケイ、プロポーズは本気でした。それぞれの場所でそれぞれ育ち、ある時出会い恋に落ち、ジブン以上に大事な存在になったり、アイのあるSEXに精ェだしたり。なんだってまたすごいカシ。三木サンの綴るライムにやりきれない感情を覚えたものです。たまに、アイのないSEXに正座したり。

 

そうしてやがて、2人は3人になる。次のセダイが生まれる。3人が4人になることもある。明るい産声が、どこまでも響く笑い声が、世界を照らす。ときに責任感やプレッシャーがのしかかり、マヒ状態になったら『こんなのただの希望じゃないか』と呟いてみてクダサイ。『おやすみプンプン』いいよね。今度貸すからカンソウ聞かせて。

 

守るべきものができるとシンロウ、あなたはますます家で小さくなる。いえ、カイシャでは相当かっちょいい、ハズ。でもね、世の中のお父サンはみな家でちいちゃいんだ。

愛情を注ぐ先ができてシンプ、あなたは今より家で大きくなる。ライオンだってなんだって子を守る母は、つよいこわいウツクシイ。

 

シンロウ、あなたはシンプがどうやったら喜んでくれるか、今よりずっと考えなさい。髪切った?ネイル変えた?毎日尋ねなさい。アイヅチの練習をしておきなさい。聞く時間を作りなさい。

シンプ、シンロウは一生ガキのままです。あきらめてイヌだと思いなさい。テイシュ元気でティッシュがすぐ減る。昔の人はよく言ったものです。

 

こどもが生まれたらカワイイカッコイイじゃいられないのだから、敬いアイ、励ましアイ、良きチームメイトになりなさい。それはパートナーでアリ、乗組員でアリ、仲間でアリ。同じ方向に向かって舟を進める。

いいですか。

この世に、美魔女など、存在しません。

テレビやザッシにドウゾ踊らされないで。

 

そして、これだけは忘れないで。

いつモどんな時モ『母』がニコニコしてること。

ニコニコした母のあたたかい思い出がいつモどんな時モおモいだせれば、その子はきっと、大丈夫。そのために、そのためだけに、『父』モ頑張りなさい。ほら後ろ、ご両家のご両親モ肯いてる。メガネとイログロの。

 

エー、長くなってしまいましたのでスコシ巻き戻します。

ヤメル時もスコヤカナル時も、トメル時もマズシイ時も。

支えアイ、慰めアイ、助けアイ、変わることなく愛することを誓いますか?

アイ、よろしい。ハヤカッタですね。クイギミでしたね。

え、チョ、泣いてるの?ナンデナンデ。幾久しくウケル。」

246

死ぬようなそれでないにせよ、覚悟は決め、意は決し、腹は括る。

たくさんいただく「がんばって」のお届け先はこちらではなく執刀医さんへ。

生まれて初めて手術をしました。いや、受けました。肺気胸

 

麻酔の説明はやっぱり怖い。下手なお化け屋敷より怖いのは、それが確率論の話だからで、自分がその1/10000じゃないことを願うのみ。

今この教室に不審者が侵入したら僕はどうやって身を守りつつ好きなあの子を守れるか、あわよくばちょうどいい感じの怪我をするかって、男子なら誰でもそういうリスク的なこと考えてきたと思うんだけど、それで言うとあまりに他力本願あみだくじ運任せ。

輸血やらなんやら続く説明。最悪の場合の話に最悪かよってツッコミを入れ、納得してなくても進まないから同意書にサイン。美人の先生の「麻酔科の」って頭につける自己紹介、少し気に入る。僕も思わず「患者の」を付けそうになる。

 

翌日のゲーム(手術)に向け、ユニフォーム(オムツ)が支給される。背番号はなし。サイズはM。

さすがにビビってSNSに吐露すると、自身も手術経験のあるゼミの同期のクールボーイからリプライ貰って曰く「痛みを受け入れると楽になるよ!」って宗教的哲学的な励まし。

 

昨日は眠れましたか?ってこれマストで聞かれる手術当日の朝。案外、寝られたから、そんな執着ないかもしれない。

田舎から母が来てくれるものの、凍狂の電車に飲み込まれぎりぎりになる。ちらりと見送る姿から、多分違うけど赤紙というワードが浮かぶ。

扉の向こう側へ、小さくて大きな1マス進む。

 

「今日は何の手術ですか?」「どちらの肺ですか?」という質問も、事前の傾向と対策はバッチリで。なんならすでに右の鎖骨に☆印のカンニング

病室の貴重品の鍵やメガネを預かるおばあちゃん看護師さんがいれば、「麻酔科の」って例の美人先生もいた。「クランケの」って返しそうになって止めた。10名くらいに見送られ向かう。扉の中に8つくらい手術室があって、その中の6と書かれた部屋に入る。案外、明るい。

スピッツが流れていた。案外、明るい。ちょっと面白かった。詳しくない僕でも知ってる曲だったので多分あれベストだ。野球選手が試合前に球場に好きな音楽をかけてアップを行うみたいなもんで、そのハイパフォーマンスへのルーティーンに共感した。

痛み止めを打つために背中を丸めて差し出すこれが痛い。右乳首横にドレーンの管がつながれているまま、ベッドの上で体位を変えるこれが辛い。ソープものAVで見るようなモコついたベッドの上ではなかなかに体勢を変えられない。背中への注射は新鮮な痛みだった。そもそもずっと四六時中、右乳首横の管がむずむずしているのでこれで1本撮れそう。

 

右腕に、3分に1回膨らむ血圧測るやつ。右指先に酸素量測るやつ。左腕点滴。右乳首横にドレーンの管。頭は給食室のおばちゃんキャップと恐らく脳波的なの測るやつ。背中から痛み止め流すやつ。

これどうしたの?って僕の左肩にある痣について話しかけてくるくらいアットホームなオペ場です。7、8回右腕が膨らんだから20分ちょっと経った。整った。いざ、手術!

 

「麻酔流します」って流しそうめんみたいなプレイボールと、左腕から流れるひんやりに気付いてボーっとしてきて3秒。落ちる。前述のゼミの同期のクールボーイの言葉を借りると「ちょっとしたタイムスリップ感」を味わう。

手術自体は2時間程度で終わったらしいが、目が覚めたのは4,5時間後くらい。切り取った肺の一部を母は見たらしい。確かに白い風船みたい穴が開いてたよ、と。あぁそうですかまぁなんにせよ生きて戻りましたよ、と。

痛みに魘されると聞いていたもののそこまでひどくはなかったけれど。部位が部位、背中と肺なので、動けないし、息苦しさはどうにもこうにも。「痛みを受け入れると楽になるよ!」の真理を目の当たりにし、彼をますます崇拝する。

 

うつらうつらしたままスマホを開くと、

「昨晩の件、ふとした会話のときに「彼氏は今はほしくない」と、ぽつりと言われたので今回は告白やめました」って、愚直な後輩から恋愛相談のLINEが来ていて、あまりのアンマッチ具合にそれ術後の今じゃなきゃダメかねと笑う。

とは言え大げさな話、一度死ぬ覚悟をした手前「好きか嫌いかそれだけ聞かせてください。先のことは分からないですけど、いま僕が好きなのはあなたです。」なんて台本を返してみる。病気とか地震とか出会いとかケッコンとか、今年はいろいろアクシデントが多すぎる。せめて後悔しなさんなよと伝えるも「ロマンチストな言葉ですねぇ、、、!」と変な感じになったのでもう二度としない。こいつにはこれからLINEの初期設定のスタンプしか送らない。あれ使ってる人見たことないくらい絶望的にダサイし。

「2度目の入院だし今度こそナースを口説け!」なんて余計なアドバイスをしてくる友人がいれば、のど飴ホールズをくれた友人もいて、みんなちょっとバカにしているので、また明日からがんばろうと思う退院前日。「お見舞いいこっか?」って言ってくれるだけで嬉しかったりする。あとはもうヘロヘロになった今だから言えるけど「大丈夫?おっぱい揉む?」ってこれほんと魔法の言葉なので誰か録音でいいのでお願い申し上げたてまつりありをりはべりいますがり。

 

がんばってくれた病院の皆さまと、心配してくれた皆さまと、自分に感謝します。

245

ヒトの細胞は90日で入れ替わるらしい。

見聞き触れ嗅ぎ味わったものを書き残しておく。

 

今この時代のメッセージング、ディズニー『ズートピア』。差別や人権、マジョリティの暴力的な正義、マスコミュニケーションの危うさ、強制される共生。今さら書かなくても世の中には多くの称賛があり、あるある観た観たあのシーンこのシーンは少し置いて。

諸々の社会課題を超越するのは、エンターテイメントだなんて感じちゃった。僕らのクラブのリーダーはいつだって彼なのさ。しばらく立てなかった僕は何というか、人生で初めて彼にヒレフシタ。良い映画だった。

 

ところ変わって日も改めて『ピクサー展』。「芸術はテクノロジーの限界に挑み、テクノロジーは芸術にひらめきを与える。」なんて言葉にこれからのものづくりを想う。「キャラクター」「ストーリー」「世界観」という三要素。車に目ん玉くっつけただけじゃカーズは生まれないし、現実をただ映すだけなら実写の映画でいい。制約があってルールがあるから想像力が発揮される。

膨大なドローイングとインタビュー映像を観て確信したことは、彼らのアイデアはものすごい数、却下されているということ。その理由はとってもシンプルでずばり「もっといいアイデアがあるから。」である。

えっ、これがあのウッディ?というキャラデザインの山を書き分け掻き分け、これこれ、これじゃなきゃというウッディに辿り着く。未来の当たり前が出来上がっていく様にとても勇気づけられる、正解はないのに探しちゃうゆとり世代夏目漱石夢十夜』の第六夜にもそんな話があった気がする。

もっといいアイデアがあるから、を承知しておくだけで、否定する方も否定される方も、正確には否定ではないんだけど、ポジティブに失敗ができる。自分ごと自分事、全否定されたと思いこんじゃうさとり世代。別にクリエイターなんてかっちょいいお名刺ではないけれど、良い時間だった。最終日の2時間待ちも関係なくトイ・ストーリーを観たくなった。

 

ところ変わって日も改めて気持ち切り替えてNegiccoニューアルバム『ティー・フォースリー』。ホントめっちゃめちゃいい。音楽詳しくないけどポップスっていうジャンル、耳に超楽しい。とは言え大衆受け狙いではなく、すさまじいアーティストからの無理難題を忠実に再現しようとする中で、お三方らしさがありあまっている感じ。田島貴男さんが「僕がオリジナル・ラブを結成して目指してきたことはずっとそれだけ。渋谷系でもなんでもない。普通の良いポップスが一番難しいし凄い。普通だから舐められることも多いけど、本当はそれが一番クリエイティブなんだ。そこに近づいてきてるNegiccoT43は大したもの」とまで呟かれていて、最&高

1曲1曲、曲順へのこだわりも受けて、シャッフル機能はオフにして。ユメトコスメさんのつぶやきからは、0コンマ何秒のたった1語の発音に鳥肌を走らせる。曰く「ポップミュージックに特別な魔法が宿る瞬間は、こういった一瞬に拠るものだと僕は想う。何度聴き返しても、この瞬間をずっと待っている。」って、音楽づくりの醍醐味なのでしょうきっと。神は細部に宿ると言うのなら、もうきっと神さまとハイタッチできるようなとんでもないところまで連れてってくれる、そんな一瞬が鏤められた名アルバムで、最&高

 

いい仕事してますか?って逆に問いかけてみる自分の中の中島誠之助先生。おんなじインプットでもガクセイ時代とは少し違った捉え方に、いい仕事してますよって言いたくなるし、いい仕事してますねぇって言われたい日曜日、病院、ベッドの上。

気胸再発してしまい、悔しい情けない申し訳ない手術は怖い大丈夫になりたい。奪われて初めて知るこの「働きたい」も早くも2回目で、3回目は許されない。

 

ヒトの細胞は90日で入れ替わるらしい。

3か月ぶりの、またしても空いてしまった肺の穴ぼこを埋めるため、見聞き触れ嗅ぎ味わい続ける。会社がある南方に頭を下げながら。

 

244

「あ~、しんどかった。」

 

ご存知、星野さんの名言も13年前になり。

アカホシ選手のすごさより、ホシノ監督のすごさを思う。少しづつマネジメントを意識している自分に気付く。野球選手をカタカナで書くのはマツイくんの影響である。

最近思うのが、勝ったから言えるのだ。言えたのだ。「あ~、しんどかった。」

「しんどい」はいつも過去形にして、笑顔で繰り出そうと決める。日常のあまりある劣等感や、目指す自分との器の差に絶望する、もう、げぼしちゃうくらいの時があるけどそれでも、「しんどいなう」は指が裂けても、呟かない。呟かないよ。

 

時事を語るスタイルは僕には浮いちゃうんだけど、北海道の男児が無事に保護されたニュースに感動している。生きてーてーよかったーとフラカンさん『深夜高速』。

彼は忍者だの、実は彼にだけ小さい神さまが見えていて導かれるように訓練施設へ。時間を忘れるほど遊んで最後、保護されたとき誰もいないはずの空間に向かって手を振っただの、

無事だったから言えるのだ。少年「あ~、しんどかった。」

彼の言葉はとっても聞いてみたいけど、あとはそうっとしてあげて。

終わりよければ、ハッピーエンド。繰り返すだけの和製英語。とにかく笑えればーとウルフルズさん『笑えれば』。

 

映画『明日があるさ』で博士がロボットへの想いを語る。曰く「これは夢なんかじゃない。意地なんだ。」と。

もう2周、3周先にやりたいことができそうな気がしていて、そのときにはもうでかい声で「しんどい」を過去系にして言ってやろう、ふへへ。

そんなこと考えながらいざ、土曜シュッシャ!

243

楽しい時間は過ぎるのが早いと言うのなら、

あっという間の築いた時間は、楽しい時間であったと気付く。

 

3年目をやっている。

あっちへ行ったりこっちへ行ったりすることを人は「春」と呼ぶのです。桜は散るのは一瞬で、あの花びらはどこへ行ったんだろうと気にかける間もなく、街に緑が押し寄せるから、僕らはよく楽しいに置いていかれる。

常々、スーツのコスプレをしてサラリーマンのごっこをしていると思っている僕は、同期入社の出世はなんだかとってもオツでした。とは言え今年もニューフェイスが入ってきて、シャカイのロケット鉛筆が回転する。ありがたいことに上が詰まっていないのに、僕のトンガリ具合じゃまだダメだということを、ようやく感じる突破力。

世間じゃ5月の風が吹き、新人に便利な言葉「5月病」。自分の生産性の低さを、寄らば大樹の陰。なんでもそう、名づけることが居場所を与える。「肩凝り」だって夏目漱石の発明品。

「モチベーションなんて言葉はプロじゃない」って経営者の方のお言葉も、理解できるようになる3年目。プロ野球選手は野球をやっているんじゃない、仕事をしているのだ。なんて考える。とは言え今年もニューフェイスが入ってきて、モティベートしてあげる。長くなりましたが、そんな話を。

 

飲み会。「なんで働いているんですか?」っていう愚直な新人からの質問に「なんで働いているんです」を話す。

思い返せばシュウカツの時、いろんな人に会いたいです!しか言ってなかった。最終面接で、いろんな人に会えるよ!って副社長に言われたのでこりゃいいやって思った。諸々の知識のなさが、のちにまぁ今でも首を絞めることにはなるんだけど、それはまた別のお話。

 

水道橋博士が芸能界のルポライターになりたいって、楽屋のエピソードとか芸能界のいい話をメモしてるのにすごく共感する。

メーカーさんのモノづくりへの想いって、本当にすごいモノ。さらに言えばモノよりコトの世の中、以前書いた「サケで世界中の人を笑顔にしたい。大げさかもしれないけど」の意味がようやく分かってきた3年目。

216 - 心頭滅却すれば火もまたスズシ

世界は手に負えないくらい広くて、僕らが生み出せる幸せはとってもちっぽけで。それでも僕が、よし行くぞって着こなすスーツにも、時間通り着いてくれよって乗り込む電車にも、今日も疲れたなって喉を通るビールにも、あほ面白いなって笑っちゃうテレビ番組にも、それぞれ「OK、このエリアの幸せは、笑顔は、俺に任せろ!」って、数えきれないほどのみなさんが働いている。企業の利益は、社会貢献の先にある。感謝するのって、どうやら親だけじゃないみたい。

そしてそんな世の中のちょっといい話を、もっと伝えたい広く知ってほしいって情熱を燃やすアイデアマンが豊富な業界があって。

そしてそんな彼らのちょっといい話を、もっと伝えたい広く知ってほしいって情熱を燃やす僕がいて、だから、誰にでも会える今の会社に勤めているんだと思う。

そしてそこにはこんな原体験があって、ナカムラさんにも感謝してます、元気してるかな。

122 - 心頭滅却すれば火もまたスズシ

 

この春は、入院したり、地元が揺れたり。僕自身も石の上にも3年目。少しはあったまってきたかな。地震のせいでしばらく自宅待機していた母からの「ちゃんと仕事していないと、休みも楽しめないわけで。」ってメール、きっとなにかの正解。

20代は、いい30代を過ごすための予行演習だとしたら、たくさん引っ張って、体壊さないほどに引っ張って、、、

チョロQビューン!

242

ここ数日の心の動きは何かに残しておこう、からっきし役に立てないということも含め。

 

育った街が揺れに揺れ、「余震400回だって、もう一生分揺れたよ」って親父からの電話の3分後にテレビに字幕、緊急地震速報。親父、次の人生分も揺れてる。

水を買う文化がないくらい、水道ひねればミネラルウォーターが出る街なんだ。水が合わないを理由に田舎へ帰った人を何人も知っている。死活問題。生きる干からびる問題。給水の情報は流れてきても、水はまだ流れてこない。

幸いなことに、家族で家にいるらしい。建って10年くらいの準新築の部屋中の壁に、イカヅチみたいな亀裂。送られてきた僕の部屋の写真はマンガ棚がぶっ倒れてて、F先生と水木先生と手塚先生が夢のコラボごっちゃごちゃ。帰ったら交通整理してあげないと。

ショッキングだったのは食器棚がシンクの上にぶっ倒れてて、バッドデザイン賞使いづらいというか使い物にならない。お皿の生存確認はひと段落したらしい。靴って大事だ。家の中でもあっちゃこっちゃガラス片。

Facebookの情報を僕がチェックし実家にリポートする日々。テレビでは高校の同級生が僕ら視聴者にリポートする日々。ものすごい胸が打たれる。当たり前なんだけど人の役に立っている人は、寝てない自慢なんてしない。医師の友人の使命感もまた。

それに引き換え「情報格差がすごいと思います。」って友人が呟いていて、まがりにも情報を届ける仕事をしている端くれの端くれとして、ものすごく無力で悔しい。そうだ。その通りだ。おじいちゃん、おばあちゃんの誰が、市の公式アカウントをフォローして@をつけてリプライをしたり【拡散希望】をリツイートしたりするだろうか、いや〜ない。超くやしい。メディアのあり方は今回もまた、給油横入りやプロペラの騒音など疑問視され、むらじゅんさんがまっとうなことを呟いている。

必要なものリストにある「帽子」は、この中で仲間はずれはどれだゲームをしたら真っ先に選んでいたと思うんだけど、避難所の生活を想像できればすごく必要だと分かる。ついこないだ入院し、お風呂に9日入れず、若い女性のカンゴシさんに、べたべたで香ばしくなった自分の頭皮を近づけさせるのが、右乳首横に管ぶっ刺さってることより嫌だったのだから。同時に僕らはよくわかってなかったけど女性のことをもう少し知る必要があるなと思った。まだ僕には姉貴がいるんだけど、本当に男兄弟しかいない友人は、女性はおならしないってけっこう本気で思っていたりするし。そういう用品がなんなのか、キョリカンはとてもムズカシイんだけど知っておかないと。

あと避難所では、声を出せる場所を作ってあげるのも大事。ちびっこは泣いてもいい。叫んでもいい。感情をふさぎこませず、一緒に遊んであげようと思う。幼稚園で習う歌を、もう一度復習しよう。ずいぶん昔、親父に「ゲイニンになりたい」って言ってた一時期、いつも彼からの答えは「いいよ」でも「だめだ」でもなく「パッチ・アダムスになれ」だった。平和のためにクリエイティブになる。例えば、死の床でアメイジング・グレイスを歌う。また地震が来たら、ふとっちょのあいつのせいにしちゃっておいやめろふとっちょ、いや俺じゃないよあははと笑おう。

 

それで言うと我らが熊本のヒーローはまさにそうで。くまモンが何も呟いていないことを受けて熊本県ブランド推進課の方のお言葉、参照ネットニュースはもう何も言えないくらい感動した。

「飲まず食わずという人がいて、ほかに注力するところがあります。まだ、くまモンが動くのは時期尚早だと思っています。ただ、くまモンは県の幸せの象徴。避難所の訪問など、必ず役割はあると考えています」

 

Facebookはやや感情的だから、ちょっとお腹いっぱい。お写真と長文と、持っておくべきもの、やっておくべきこと、気づかい、不安、デマ全て。一方でTwitterの生の温度感はしっかり伝わってきて、「民間の物資が届いたのか業者が通常運転にまで回復したのか、飲み物が複数本入手できる状態」なんていう何気ない言葉に遠方はとっても勇気づけられる。ありがとうさねちゃん。

もちろん僕にもできることはある。トマトを買う。デコポンを買う。銀座熊本館のいきなりの行列はムネアツで、心のいきなり団子があったまる。渋谷の募金も政治家と見極めて、想いを託したい。そんで周りの人にめちゃくちゃ熊本を売り込もうと思う。

「Prey for Kumamoto」とかシャクだ勘弁虫唾ダッシュ。フォローしているグラビアアイドルがそう言っていて、言うだけ言っていて、わりとはっきりと腹が立った。ヤになってフォローは外した。恵比寿かなんかで馬刺し食ってろ。いや食べてくださいとびきり美味しいので。

歯学部の友人は歯を磨くことの大事さを分かりやすい言葉で教えてくれたし、整体の友人は無料で出張マッサージを施している。それぞれがそれぞれでできることはあって、でもそれぞれがそれぞれで動くと混乱するから、だから情報産業って絶対必要なはず。ACのあの裏で何十人もの大人が、何億というお金が動いている。ジシュクとかフキンシンとかは置いて、見たいもの聞きたいものを届けてあげてほしい。

ここ数日の心の動きは何かに残しておこう、分かりやすく何かのきっかけになる気がしている。

241

クマモトに引っ越したのは小4で。

それまではなつやすみにばあちゃんちに行く程度。当時、空港で出迎えるのはくまモンなんて革新的なキャラクターじゃなくて、国体の時のちょっとキモキモしいキャラクター、調べたらその名をヒックル、ミックル、モックル。火の国って設定もよく呑み込めないまま、「かけちゃん、このお城さんは日本三名城って言ってね」ってばあちゃんに教えられる鶴屋百貨店の屋上。

小4のカナガワからの転校ということで、左遷島流し都落ち。泣くほど嫌だった。「そうだべ」って向こうじゃ当たり前だった中居くんのカナガワ弁を使っても「え、北海道から来たんだっけ」って言われてまた泣いた。ドロケーがこっちじゃケードロだし、向こうじゃドッジボールで敵なしだったのに自分以上に上手いやつがめっちゃいた。足の速さも負けた。子ども心にクマモトは強い、と思った。

方言にも表れている。語気が強い。語力が強い。九州弁って言うと「~と?」がかわいいよねずるいよねなんて呑気な人がまぁ東京には多いんだけど、いざ「なんしよっとや」って言われるとびびるでホンマどないやねん。

そんな小学生時代のカルチャーショック異文化交流駅前留学を経て1つ、好きな方言がある。悪口を言われても、ちょっとくらいヤなことがあっても、クマモトの子どもはみなこう言う。

「だけんなんや。」

 

熊本が、大変だ。

母からのメールには停電、断水の文字が、倒れた食器棚の写メと並ぶ。メールのタイトルには「人生最大」ってあって、やっぱりこの人のコミュニケーションは少し変わってる。

あのくまモンですら何もつぶやけない熊本サプライズ

あれは前震で、今度のが本震で、なんて言わないで。

阿蘇山は噴火し、水は止まり、地震はいっこうに止まらないまじで頼むよヒックル、ミックル、モックル。

僕より強いはずの姉貴のLINEが弱ってる。精神的にしんどいと思う。

帰りたくても陸路も空路も閉ざされている。水って送れるのだろうか。

情報も、状況も、しちゃかちゃでい。

何もできない。でも、

「だけんなんや。」

 

がんばれ!熊本!超がんばれ!

頑張っている人に頑張れって言ってはいけません、って臨床心理学の講義で聞いたことあるけど、だけんなんや。9年過ごした出身の僕だからわかる。これくらいじゃ負けない。安全第一で耐えてほしい。

普段、特段、出身地を述べたり方言を使ったりはしていないのに、「実家大丈夫?」って聞いてくれる皆さんのありがたさを感じながら「熊本出身の」私として認識されていることに気付く。

パンツ脱いでから着替えの新しいパンツを探しちゃうようなちょっと抜けている野球部の友人でも、県外に出たメンバーに「実家に何かあった人は手伝うけん言ってね」ってLINEをくれる。

ゴールデンウィークは必ず帰る。昨年は達成賞与で帰ったけど、今年はそんなもんなくても帰る。肺気胸やっちゃったから飛行機は怖いんだけど、だけんなんや。帰る。

 

「だけんなんや。」

クマモトはきっと、強い。

がんばれ!熊本!超がんばれ!