心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

334

出来れば願わくば、明るく楽しい話を書きたいと思っている。現実はトントン拍子ではなく拍子抜けするし、日常は青ざめたり白を切ったり色々あるんだけどそれでも。少々の強がりもまぶして言うと、今、仕事が楽しい。おもしろの幅が広がってきている気がする。

 

早いものですでに複数回登壇したシンソツの説明会、毎回アンケートを取っている。お笑いサークル時代経験があるのだが、アンケートってけっこう重要。うけてたすべってたって肌の感覚的で、照明に照らされ客席の顔は見えないし、練習しすぎてもはやどこが面白いのか分からなかったりするから、5点満点で数値化されたり、面白かったですの声をもらったりすると安堵と嬉しさが込み上げてくる。で、そのあとの飲み会の気分がいい。別に1位になったから何になるわけではない。遊ぶように生きて、生きることを遊ぶのだ。

話戻して学生からのアンケート。中でも1番嬉しかったのが「知的欲求が掻き立てられました。」って声で、そうそうそれそれ~ってなった。うちの会社の間違いない魅力の1つだし、僕自身が学生の頃に説明会でまんま同じ魅力を感じていたことを思い出す。知識はアメーバ、情報と情報の掛け合わせ。美味しいものを食べるとほっぺが落ちる。物事の本質や実態が分かると目から鱗が落ちる。聞いた話と自分の経験がクロスして初めて腑に落ちる。いい話を聞いていい話を伝える人になりたいと思っていて、いい話を聞いた時、耳を用いた慣用句が何かあるといいんだけど見つけられず。調べたところ四十にして惑わずでおなじみ孔子論語で言うと、六十にして耳順(した)がうらしい。なんてこった、人の言葉を偏見無く聴く事ができるようになるのにあと30年以上、今まで生きてきた倍かかるらしい、なんとまぁ耳が遠い。

仕事柄、初めて出会った人の勤め先を聞くとたいていオフィスがどこにあって最近の業績がどうでマーケティング部長が誰で、ってのが分かる。もっと言うと各社の企業理念や、最近の広告コピーも知ってて、合コンだとまず最初に引かれるから言わないようにしてる。知識が知識を連れてきて、思えば遠くへきたもんだ。

1年目の尖った後輩が「まず三年頑張れってみんな言うけどなんで三年なのですかね?」ととても気にしている。わかる。超わかる。3年修行してるうちに変な話死ぬかもしれない。もし死ぬんだとしたらこれなんのための3年なのかって僕も思ってたことがある。ちなみに僕は3年目の春と夏に肺に穴を開けた。全身麻酔の手術で「万が一の場合死ぬ可能性もあります」という文章に同意せざるを得なかったとき、なんだこれって人生の無常を思った。「石の上にも3年」の石、ほんとにこれで合ってますかね?なんか僕のこの石、やたら座りづらいんですけどハードモードですかこれ?設定ミスですか?とかいろいろ考えてみてるけどクリティカルな答えは出てなくて、自分自身「3年、5年、10年というのはあるよ」とコピーライターの先生に言われた言葉だけを信じてやってきた。座るべくして座ったこの石を、あとは意地でも正解にしていくだけなのだ。なんで働いているのか、もう少し言語化していかないといけないっぽい。

5年やってようやく少し身に付いたのが、あれ?これもしかして僕も経済ゲームのプレイヤーの1人なんじゃない?感覚。「はいそれでは、皆さまのお手元に配りました100億円を使って何をやっていただいても結構ですのでお金を増やしてください。“お金増やし”に嫌悪感がある人がいらっしゃいましたら“幸せ増やし”、“愛増やし”、“ユーモア増やし”と捉えてもらっても構いませんよ。」と、脳内で謎の司会者が話しかけてくるゲーム。失敗したり成功したりしながらいろんな勘定といろんな感情を覚えて人生を彩り濃くしていくゲーム。遊ぶように生きて、生きることを遊ぶのだ。

学生時代、人数合わせで入れてもらったボードゲームカタンの開拓者たち」は僕はめっぽう弱くて、最初から1位を諦めトリッキーなことをやって3位を苦しめる4位みたいな立ち位置だった。マリオカートで言うと首位争いをしていないけどキラーが出てくる最下位でもない9位10位がやたら赤甲羅投げてくるみたいなプレースタイル。痛いよ。もう少し上位になってから赤甲羅使えよ。熊本弁で言うまぜくるスタイル。で、カタンが世界中で人気なのも、もっと言うと資本主義経済でここ200年ぐらい?みんなが働いているのも、ちょっとしたゲーム感覚なのかもと思う。俯瞰して見るとなぜ働いているのかの問いは、幸せ増やしゲームにヒントがありそうだって目から鱗鼻から牛乳。耳から〇〇(みんなで埋めてみよう!)。

まだまだできていないけど、会社目線と社員目線、現場目線とマネジメント目線の両方を行き来できるようになるときっともっと楽しい。マネージャーになるとハードじゃないですか?って前に先輩に質問したら、「全然。自分でやってもいいし、部下にやってもらってもいいし、自分でやるの1択から選択肢ができて、結果的にできることが増える」とあっさり言われてびっくりした。短い人生、早いところ選択肢を増やした方ができることが増えて楽しいんだろうなと思う。

 

最近聞いた「会議」の話。世の中無駄な会議は少なくないけど、こんな会議意味あんのかよーと言ってるだけのやつは永遠に伸びない。それはなぜか。口に出した瞬間に自分に返ってくるらしい言葉はブーメラン。つまり、意味ある会議1つ開くのがどれだけ大変か。価値ある仕事を作り出すことがどれだけしんどいか。こんな会議意味あるのかよーと言った時、同時に「自分は会議1つに意味を持たせられるのか」を問いかけて自分の首を絞めているのだ、という。「こんなの意味あるのかよー」とクリティカルな批判をした風に悦に入ってるその瞬間、同じぐらいの強さで「どうせ自分がやってもうまくはいかないだろうなー」の首輪に締められる。できないの箱に閉じ込められる。そして一生、当事者になれず巻き込むこともできず、大きな仕事が逃げていく。小さな意識1つでも意識は習慣化され、言動になって現れるっぽい。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。(と初めて使ってみたけど用法用量合ってますかねこれ?)

よく聞く「ポジティブであれ」のその理由を考えたことはなかったけれど、楽観的や積極的でだけでは言葉が足りず、能動的もっと言うと自分の人生、自分が主人公たれということなんじゃないかと思う。で、たぶん今僕が仕事が楽しいのは、元々の楽観的で積極的でポジティブな自分が、自分の人生の主人公になるための能動性を理解し動き出しつつあるからなのだと思う。これはこれは、目から鱗瓢箪から駒。二階から目薬。

 

さて主人公、へいジャリボーイ。映画ミュウツーの逆襲を21年ぶりに見て、相も変わらず「俺はマサラタウンのサトシ!」と名乗る彼に、「僕は熊本市のカケル!」を名乗っていこうかなと思う。オビヤマタウンのがいいかな?きっとオビヤマタウンは、やたら人の多い街で現実社会の縮図。ジムリーダーはウエノ先生。きっとかくとうタイプの使い手だ。

僕は緑版でゼニガメを選んだのでゼニガメで話をすると、今の自分はゼニガメレベル36みたいな感じ。いや、いつまでゼニガメのままレベル上げてるのよ進化は!?カメールカメックスは?ってなってる。人としての成長進化変化ってのは責任を持つことだと思う。できる仕事のサイズを増やしていく。カメックスになった僕に乞うご期待ですお楽しみに。限られた社会人人生、うまくいこうがうまくいかなかろうが70で引退。ポケモンもレベル100以上は上がらない。終わりが見えているなら早めに世界を広げておいた方が楽で、楽しい。進化変化への憧れが強まる。映画、エンドロールの風といっしょにが超超良くて人生賛歌。

歌詞でも書いておこう。

歩きつづけて どこまで ゆくの? 風に たずねられて たちどまる

ひとつめの たいこ トクンとなって たったひとつの いのち はじまった

やがて なにかを もとめて 小さな 手のひらを ひろげ
きみは すぐに みつけたね きみじゃない だれかを

誕生日祝う ローソクふえたけど たったひとつの ふるさと 旅立った

いまも なにかを もとめて大きな ひとみ かがやいて
きみの ポケットの なかにはきみじゃない だれかとの‥‥

いくつもの であい いくつもの わかれ まぼろしのような 思い出も すこし

歩きつづけて どこまで ゆくの? 風に たずねられて 空を見る

歩きつづけて どこまで ゆこうか 風と いっしょに また歩き出そう

大地ふみしめ どこまでも ゆこう めざした あの夢を つかむまで

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沢山の出会いと別れを思い出しながら映画館を出る。知ってる人みんなが笑顔で愛とユーモアにまみれてくれてたらいい。風といっしょにを口ずさみながら歩いて帰る。家に帰ったら信じらんないけど鍵をなくしている。おいなんだこれ。そういえば映画中にニャースが出てきたとき、左下でチャリンと小判みたいな音がしたな。最先端の4Dかと思ったけどあれ俺のカギだな、ひっかく攻撃。

Twitter開いてタイムラインを見るに、オビヤマタウンからの大親友が病院にいるらしい。いよいよ彼がパパになるのだ。俗に言うパパ活である。思えば彼の結婚報告を聞いたのは僕が肺に穴を開けて病床にいる時で、おいおいこの差はどこで?ってなったんだけど、彼がパパになるその時に、僕はなくした家の鍵を探しに大雨の中、映画館まで戻ってるのおいおいまじでこの差はどこで!?我ながら笑えてくるけど、今後彼のハッピーニュースの度に僕にプチ不幸が訪れると思うと少々怖くもある。

 

ひとつめのたいこがトクンとなって、たったひとつのいのちがはじまった。父になって着実にレベルアップして責任を負って進化していく彼を見て僕はとても感動したわけですこりゃとってもおめでとう。ふわふわしている僕(と奥ちゃん)に彼がくれたアドバイスがくそほど刺さったのでここに書いておきます。

「ただ人として相手をしっかり見ること。それだけ。」

すげぇなこの人、人生何周してるんだよミュウツーみたいなこと言うやん。カケルはめのまえがまっしろになった!

333

今年頭に福岡に行った時せっかくだからと卒業後福岡で働く大学の後輩を誘ってもつ鍋を食べた。再開の喜びも束の間、まだ鍋が沸騰する前に後輩から一言、「先輩ひげ濃いですよね」。驚いたのは確実に僕よりもその後輩はひげが濃いのである。言われて初めて自分がひげが濃い部類なのだと思った。いや、たしかにひげが薄い人間ではないのは分かってて、それはもう首毛ですよね?みたいなエリアからもひげがニョキニョキと顔を出すようになっているんだけど、それでも君に言われるのはちょっとなと思った。で、どうやら話を聞くと数十万をかけてひげ脱毛を始めたらしい。気づいた。追い越そうとしている。彼は「(俺もひげ濃いけど今に見てろ今に)お前は(俺より)ひげ濃いぞ(もしくは濃くなるぞ)。」という宣言をかましてきたのだ。久しぶりに会って仕事の話とか休みの話とか福岡のおいしいものの話とかそういうのを一切置いて、ひげの話をぶち当ててくる彼のひげ意識がなんだか怖くなって結局1時間半で解散した。人間、コンプレックスを抱えていると他人のコンプレックスに目が向くことがある。コンプレックスは人のコンプレックスに目を向けさせる。例えば「せーので目の前の人を傷つける一言を言ってください。」というお題を出すと、みんな自分が言われて一番腹立つ一言を選択する。当たり前の話なんだけど、そんなことがある。

 

「隠そうとすると、逆に目立つんですよね~」とテレビから聞こえてくる説になんとなしにアグリーする。先ほどのコンプレックスの話然り、悪目立ち。大学の大教室、あちらこちらで「おーす!」「おい!」「久しぶり~!」が聞こえる中、自分は気にしてませんけどって何を見るでもなくケータイを開いたその瞬間、あれ浮いているなぁ自分、のあの感じ。普通にしてりゃいいのに意識してしまった自分の情けなさ恥ずかしさ敗北感。隠そうとすると逆に目立つ。人間の心理、人生の真理。ふとテレビ画面に目をやる。「今年の水着特集」まさか水着のお尻の隠し方とはな。なるほど大きいお尻を隠そうと包むこむような大きいパンツは、逆にお尻の大きさを伝えてしまうという。「逆に出しちゃった方がいいんですよ~」と話す店頭のスタッフさんは、この短時間に「逆に」を2回言った。逆も真なり。高校の野球部の先生がもう絶望的に言語化が苦手で、それでいて時々の自分の流行りを元に指導する人だったから部員同士で目を見合わせて困惑することが度々度々あったんだけど、Aという指導をした後に、「逆も真なり」と伝えることがよくあり、自己否定でコミュニケーションをとってくる斬新なスタイル。「いいか?いいか?お前はこうなってるんだよ(動かすことは得意なのでガバっとジェスチャー)。お前はがーっとなってんの。これ、こうしてみるといいよ。こう。でもね、それを意識しすぎるとだめ。逆も真なり。」え、どっちよ?彼の語録は、それだけで野球部の僕らは朝まで語れるぐらい豊富なんだけど、先生もまた自分の伝え方の拙さを隠そうとすると逆に目立つ。逆も真なり。

 

トイレの個室が埋まってて並んでいる人達がいる。やがて個室が空いて中から1番始めに出てきた人に対して並んでるみんなの心の中の「なげぇよ」「スマホいじってんじゃねぇよ」「こっちは限界なんだぞ」とまなざし。いやいや、どのタイミングで個室が埋まっていったかは分からないけど、少なくとも彼は最も最初に出てきた人であり、むしろ感謝されるべきなのではないか。「なげぇよ」は、今まさに個室に入っている他の人に向けられるべきだ。正直に名乗り出たのに叱られた理科の実験みたいな気分だ。中学の時、泥岩砂岩礫岩がフィルムケースに3つに分かれて各班で見てみようという実験で、僕と瀬戸口君は泥岩砂岩礫岩をまぜこぜにしてしまった礫砂粘土岩石泥砂石鹸。隠そうと思えば隠し通せたが嘘をつくくらいなら何も話してくれなくていいあなたは去っていくのそれだけは分かっているから、僕と瀬戸口君は名乗り出た。当時大学出たての臨採マツモト先生(女性)は僕らをこう諭す。「あんたらがやったことはほんとしょうもないことだけど、正直に名乗り出たところは、、、えろい!」マツモト先生は肝心なところで噛んでしまった。正直に名乗り出たのにえろいと言われた。今で言う、えちえち。大卒のまだ若いマツモト先生。頬をあからめるマツモト先生。ざわつくクラスメイト。言い当てられてまいったなぁってなぜか照れてる瀬戸口君。当時のマツモト先生より3歳ぐらい歳を重ねた今でも、たまに思い出す話。えろい、いやえらい大間違いだ。

 

ってな感じで、何気ないことでも過去の経験と回数を重ねることで解像度が上がって、これは意外と先々までとどめておきたい言葉だなとか、このシーンのこの感情はあの時のそれと実は同じだなみたいな気づきとか、誰に言うでもなく書いておくのにブログはちょうどいい。SNSは反応を気にしちゃってだめだ。

大学4年の頃、サークルの先輩のブログを数年分振り返って読んでた時があって、その中の一文に僕はショウゲキを受けたことがある。久しぶりにそのブログを遡って拝借するけど、僕なんか文章を書こうとするときどうも、面白いことやためになる話をしてやろうと肩の力入りまくり、型にはめまくりになっちゃうんだけど、その先輩の着眼点に圧倒されたのです、それがこれ。

 

モスバーガーがあの垂れて垂れて仕方ないミートソースを全く改善しようとしないのはなぜか(あれを気にしないというのは、もはや長年の慣れから、モスバーガーの本社内がミートソースまみれになってるのではないかという結論)

 

流れる水のようにスッと、しなやかで、事象と心象を交差させて、ユーモアに着地させている。いつかそういうことが書けるようになりたいから練る。寝る。

332

夏至。北半球における日照時間が1年でもっとも長い今日の新宿区は小雨。傘は差さなくても問題なさそうな小雨。明るい陽が見えるからそのうち止むだろう小雨。日中が長い。平日はパックでかき混ぜハイおしまいの納豆も、時間のある土曜日は卵入れたりかつ節入れたり。手間かけるにもヒマは必要、マヒしてないか幸福の解像度。

時計を見てもまだ午前中。日中が長い。洗濯物を回す。洗い上がるまでの数分、布団に寝転ぶ。昨日飲み会からの帰り道1人ラーメン屋に入り、水をお代わりしようとしたときに、高い椅子の足を踏み外してぶち当てたスネが痛い。痛点はいつもシンプル。解像度を上げると幸福に気づきやすくなる一方、さみしさにも気づきやすくなるんじゃないかとぼんやり考える。SpotifyThe Beatles『Eleanor Rigby』をかける。 

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All the lonely people Where do they all come from?

孤独な人々よ、彼らはどこからくるのか。

 

27.5歳を過ぎて数字上は30歳が明確に見えてきたのに、30になる自分が全く描けていないのこれいかに。毎週やってくる土曜日に心は安らぐけれど、また今週も同じようにテレビから旅サラダを垂れ流しているこの変わらなさが怖くもなる。学生の頃からもう何回納豆ご飯を食べているんだよ!ってレベルアップしていかない恐怖をぶつけてもナットウキナーゼに罪はない。僕がブログを書き始めたのが大学4年の就活が終わってからでこのまま社会人になることに異様に怯えて、華々しくも何もない学生生活をどうにか変えたくてわるあがきはじめましたというわけだ。幸い、時間はある(と信じてみよう)。

たしか糸井さんだったか、ねぇねぇこれだけ傷ついたの僕見てこれって自分の傷を見せるのが子どもの表現だとしたら、ここまで立ち直ってるぜって見せるのが大人の表現だということを言っていた。爆笑問題太田光の本を小学校の頃から読み漁っていて「表現とは」ということについて彼の思想に影響されている。エッセイ集『爆笑問題集』は今でも時々読み返すお気に入り。その中から好きな一節を拝借する。

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チャップリンの“ライムライト”の中にこんなセリフがある。「薔薇は美しくあるために咲くのではない。ただ、咲きたいがために咲いているのだ。だからこそ美しいのだ。」注目されたいがために咲いた薔薇は、美しくも何ともない。

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また、「太宰と賢治」という項では、少年時代に太宰の死に憧れた自分が、歳を重ねるたび宮沢賢治の存在に憧れを感じるようになったエピソードを書いている。曰く、ナルシストの自分を憂い、何度も自殺未遂を繰り返す太宰の弱さ。太宰治三島由紀夫芥川龍之介そういった文人たちの自殺を自分の存在証明だととらえ、そういう“存在の仕方”に憧れていた頃があった。以下、拝借。

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太宰が生きたほぼ同じ時代。東京の文学界とは遠く離れた、岩手県花巻に「宮沢賢治」はいた。賢治の作品は、生前、ほとんど評価されなかったという。『銀河鉄道の夜』のテーマは“死”だが、それは太宰の扱う“死”とはスケールの大きさが違う。宇宙、自然、人間、全てにおいて表現のレベルが高い。太宰は賢治を読んだだろうか?農学校の教師として農業に身を捧げ、子どものために童話を書き続けた。小説を書くということは、自分の存在証明でもあるが、同時にその作品のために自分を消すことでもある。“ものを創る”というのはそういうことだ。歳を重ねるたびに、太宰治よりも宮沢賢治の存在に憧れを感じるようになった。存在を証明するということは、派手なことをすることではなく、“地味に生き続ける”ということでもある。

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SNS大好き人間であるけど、距離感の難しさを思う。昨今SNSで力を持つ人が増える中、まるまる@ほにゃほにゃみたいな、アカウント名で自己紹介をする人が増えたんだけど自分はやらないだろうなと思う。それでいて自意識が少しばかり過剰なのでSNSのアイコンにこだわっていてTwitterFacebook、インスタグラム、そしてこのはてなブログは全部自分で書いたルパン三世の顔にしている。社会人2年目ぐらいの鬱屈している頃、スケッチブックとペンを買ってきて夜中3時ぐらいまで丁寧に丁寧に描いたやつ。あのころのもどかしさをいつも思い出せるようにしている。あとは単純にルパン三世が好きなのと、179cm63㎏の彼に178cm63kgの僕が追いつきたいなというわけです。逆にLINEはその時々の一番笑っている自分にしている。マッチングアプリをやっていた頃「あれ、お写真と違いません?」というずれが度々あったので2,3か月に一度変えるようにしている。最近どうも、年齢なのか哀愁が漂っていると言われることが増えた。心の奥底に中学野球部の禅道場での体験があったり、そもそも心頭滅却すれば火もまたスズシなんてブログ書いてる人間だ。水木しげるさんの死生観が好きでこれこれ~ってなってる。

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しかし一方で昔好きだった女の人に「我慢することにあまりにも慣れてるから妥協するところ」が腹が立つと言われたことがあって的確過ぎてわらう。「心頭滅却すれば火もまたスズシ」なんて書いている場合じゃない。次回から始まる新ブログ「求めよさらば与えられん」どうぞお楽しみに。人間自分にないものを求める、と職場のボスは教えてくれるんだけど、そういえば今まで僕が好きになった人がみんな「これって決めたことをやり抜く」人だったことに気づいてビックリ。あぁ夏至。日中が長い。

 

せっかく読んでくれている人がいるのなら有益な情報を書いておきますが恋愛学という授業で学んだ話、卒アルの写真が笑顔でない人は、笑顔の人に比べて離婚率が5倍だそうです。また、プロ野球選手の選手名鑑の写真、笑顔の人はそうでない人より平均寿命が長かったそうです。はい今、アイコンが笑ってない人今すぐとびっきりの笑顔の写真にかえましょう。男も女もその方がかわいいですから。

 

明るくなってる空を見上げて昼過ぎに出かける。僕が家出た途端に雨足が強まるのホントMr.雨男だすごいな。貯金しなくちゃと思いつつも、大きな変化は瞬時に起きないけど自分の好きなものにお金をかける日々を始めていく。成長のための読書とか映画とかって結局残らず、本を読むことそのものを、映画観ることそのものを楽しめる時の方が自分に残るものが多い。

業界の偉大なプランナーの方がこんなことを仰っててすぐにいいねしたツイートがある。

散々、自分の中で愛だの間の恋だの表現だの仕事だの考えてベースはできてきたと思うので、時間をかけて磨いていくフェーズなんだろう27.5歳。人生100年で見たときに今、守破離の破になるための栄養分を取り込んでいくイメージ。そこに全くさみしさのない人生も味気ないだろと強がる。

 

広告界隈で話題の『ウィーアーリトルゾンビーズ』が面白かった。広告クリエイターの監督さんが楽しんで作っている。隠そうとしても出てきちゃう自分の好きな表現が踊ってる。インタビューを読むとなぜ広告クリエイターが映画を?と聞かれてこう答えている。「次第に「僕自身が伝えたいものを作りたい」という思いがふつふつと湧いてきたんです。そこから映画を撮らざるを得ない気持ちになって、また作り始めました。」この〇〇せざるを得ない気持ち、は何かを創作する上で欠かせない。

「ウィーアーリトルゾンビーズ」特集 西川貴教×長久允インタビュー|フラグ折りまくり! 西川貴教、摩訶不思議なナガヒサワールドを体験 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

この対談、読みごたえがあって監督が忌野清志郎から感じた「ユーモアやニヒリズムみたいな客観性を持てば、弱い部分があっても生きていける」というメッセージは優しいし、「子供たち4人はあきらめているうえで悲観せず、淡々とヘラヘラしながら歩み続けてい」るこの姿勢を“ジャパンクールスピリット”と表現されているのとか、かなり共感。「日本は経済的にはすでに停滞しているのに、そこまで悲観的じゃないように見える」「ZENや仏教的、浄土真宗的な感覚なのかもしれない」とあるのも分かる。

作品と出会うタイミングってあると思ってて、変わらない日常に若干の諦念を持ちつつある30前、それでも悲観はしていないし、僕だって淡々とヘラヘラ歩んでいく。現実はヒーローもいないし、ラスボスもいない。当然ラスボスを倒しても人生は続いていく。僕らにできることはコンティニューするだけだ。どこかで聞いたことあるな。存在を証明するということは、派手なことをすることではなく、“地味に生き続ける”ということでもある。悲しいことはあるけど涙は出ない。さみしさも一緒に連れていくだけだ。淡々と。ヘラヘラと。

映画を見てもまだ14時半。夏至。日中が長い。幸い、時間だけはある。冒険を続ける。

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話はとある若い研究者の「失恋」から始まる。

論文だけが生きがいの彼は、四六時中、論を考え、考えに考え、書いていた。しかし実際のところ論文なんて呼べるものなんて一つもなかった。理由は彼の研究スタイルにある。彼はいつも自分の身の回りに起こることを中心に研究していた。自分はこの時どう思うのか。事象は心象にどんな変化を及ぼすのか。そんなもん研究と呼べないことは彼も分かってはいた。それでもメモを取り続けた。考えてはメモを取り、メモを取っては「論文」にまとめた。それはあっという間に100字を超え、1000字を超え、10000字を超えた。彼は書き続けた。彼は実験が好きだった。自分で確かめなきゃ気が済まない性格だった。仮説、検証を繰り返して学説を提唱したかった。そんな彼が恋をした。彼は彼女が大好きだった。

あまりにn数が少なすぎる彼の論文は当然どの学会からも相手にされなかった。統計も何も、n=1では法則性すらろくに見いだせなかった。それでも彼は研究を続けた。時には、新しい業界の基準になるような権威ある学説にすら噛みついた。「この論文を私は否定したい!」そうやって声高らかに叫べど「なぜなら私に当てはめた場合、この部分は当てはまらないからだ!」と、否定はいつも自分の体験に基づくものでしかなく、駁説にも反論にもなっていなかった。「僕はそう思わない。なぜなら、僕はそうは思わないからだ。」と繰り返しているようなものだった。それでも彼は自分の身をもって感じることしか信じなかった。自分の身をもって、自分の頭をして、自分の肌で感じたことそれだけが、それこそが、正しいと思っていた。

誰に届くことのないメモの山、紙のごみを積み重ね、あーでもないこーでもないと一人もがく。もがきながら書く。幸か不幸か、脳内裁判1人遊びは幼少期から得意だったらしい。書いていくうちに彼は気づいた。100ある自分の感情を、100のまま残しておきたかった。どうやっても受け取る時、100は80とか50とか場合によっては170とか202になる。100を100のまま残しておくこと。彼曰く、どこかの世界の自分がそれを読んだとき、自分と同じ人がいるぞって気持ち悪くも少し可笑しく、共感してくれたらそれでよいということらしい。いつ誰がそれらの紙ごみを読み返しても100のままの自分がいる。いつ読み返しても、その中の自分の100が100のままであれば、彼は永遠に生きられるのでは、とさえ思うようになっていた。くすくす笑ってくれればよかった。論文はいくらでも書けた。

そんな彼が、失恋をした。なに、よくある話だ。この世界中に溢れかえっている失恋の1つ。一人が一人と出会って恋をして惹かれ合って愛し合ってすれ違って別れて気が付けば元通り独り独りになった。気丈に振舞ってるなという感じが出ているぐらいには気丈に振舞っていた。さすがに振られた直後の数日は目も当てられなかったが。

数日後、彼はまた今まで通りタイピングに向かっていた。外出中はいつものペンとノートを取り出した。また論文を書き始めるのだろう。元気になってくれたらいい。大丈夫。大丈夫になるための行動だ。最初のメモを見せてもらった。「三大欲求のうち食欲と性欲が、死ぬ。」とある。ははぁ、なるほど。彼は振られたことすらも論文にする気らしい。100を100のまま残す。世の中、パターン化することで零れ落ちるものも多い。数多のカップルがくっついたり別れたりしているが、だれかが恋を失ったとき、100を100のまま残している記述はほとんど見たことがない。僕は彼の研究を応援することに決めた。

もともとの彼の貧相な薄型なで肩は、たしかに痩せ細って滑り台。ちゃんと寝られてるならまずは大丈夫だと言ってやったが、人間ずっと寝てられることもなく起きてぼけーっとしてまた寝る生活を重ねる。「腹はすかない。食べてないのに吐き気はする。」「空いてないか、穴が。鏡で確認する。空いてないことに安心する。空いてないんかいとガッカリする。」彼の「論文」を今こうしてこっそり読んでいる。100を100のまま伝えるのだ。憐みも哀しみも同情も励ましも要らない。寄り添うように「論文」を読む。

 

どうやら彼が振られたようだ。失恋4日後の「論文」には「“失恋”でプレイリストを探して出てくる加藤ミリヤメドレー、一ミリも共感しない。」とある。少しづつ失恋あるあるを書くようになっている。かと思えば「人生にバッドニュースはつきものだ。だからこそハッピーがあるんじゃないか。」とどこかの洋画で拾ってきたような言葉も並ぶ。

「この切なさを全人類が通っていく道だとしたら、毎度みんなこんな気持ちになってんの?なぜ恋してんの?なに恋なんかしてんの?」と急に言葉使いが若返ったなと思えば、「愛しい」とだけ書いてある日もあって読み方に詰まる。かなしい。「Lovers Again×。もう恋なんてしない△。マリンスノウ〇。かたちあるもの◎。」どうやら失恋ソングの共感具合をランク付けしているらしかった。かたちあるものの◎の右下、小さい文字で「柴咲コウに似てたから」とある。綺麗な人だったのだろう。感情移入の仕方は人それぞれだ。

 

以下は振られて6日後の「論文」より。

タモリさん高橋さん八嶋さんこんばんは。よく青春漫画で主人公が失恋したときに、主人公の友人がそんなに落ち込むなよ、女なんて星の数ほどいるよといったセリフがありますが、太陽は1つしかないだろと私はいつも思ってしまいます。そこで思ったのですが、振られた友人にかけてあげる一番優しい言葉ってなんなのでしょうか。これってトリビアになりませんか。このトリビア、つまりこういうことになります。「振られた自分が友達に声をかけられて最もうれしい言葉は〇〇」。懐かしいバラエティ番組風に彼は自分を使って検証を始める。

「よし、次の恋いこう!」しばらくけっこうです。が勝る。そうじゃない。「そんなにいい人逃しちゃったならこりゃもう皆藤愛子と付き合うしかないね。」バカらしさに救われる。矢先、モテない代表格の芸人さんが超有名女優と結婚するニュースも入ってきたし。「ちゃんと振ってくれた優しさってあるよ。」振られる側の多い彼には最初はしっくり来なかったけど、だんだん理解できるようになってきている。「今の時代、好きな人が現実にいて、その子が生きているということだけで幸せなことだよ。」ハードルを下げる作戦に出てみたり。「好きでいるにも、我慢はいるのね」分かる。「去る者追わず、追ってもまた去る。」という言葉の破壊力。「女なんて星の数ほどいるさ」は本当にそう。そうなんだけど、言われても何も思わない。なぜなら太陽は一つだから。太陽が眩しすぎて他の星なんて見えないし、見ようとも思わないわけ。「人生に無駄なことはない」ってのはすがりたくなるぐらい、信じたくなる言葉。そうだと思う。そうだと思いたい。自然と出会えたことへの感謝につながる。「出会いと別れを繰り返し 歩いてきた道を かけがえのないものと思う 今の自分ならば」とあるのはこれ平井堅の好きな曲の一節。

そんなこんなで彼が◎を付けていたのが「振られたからってなにもしないのが一番だめだよ」という幼馴染の言葉。そうだよね。うんうん。その日から筋トレを始めてみた。腕立て伏せを1日30回。たったの30回でも思い出す度に止めることができなくて、これもしや死ぬまで続けられそうな気がしている。少しだけ大きくなったおっぱいに、温かさはないけれど。

 

10日後から17日後には失望怒りやるせなさのターンと、いとしさ会いたさ存在への感謝のターンが交互に訪れる。「そこはお相手がいることですので」とだけ書いてある。まるで芸能人が交際をスクープされた時のリアクションじゃないか。「好きな人がいて、生きててくれるだけでなんて素晴らしいことなんだ。」「好きが通じた喜びを知っちゃったからきついわけなんだが。」を繰り返し書いているあたり、彼の中で葛藤していることが窺える。100を100のまま伝えるのは難しいと、彼も気づいていた。

20日後、なんと合コンに誘ってもらって参加しているではないか。心配して損をした!ただ「合コンとはいったいなんだこれは。誰も知らないだろう。今日のメンバーに毎日胸が痛く定期的に吐き気を催している若い研究者がいるなんて。そう思うと笑えて来る。」笑えるものではなかった。「昔、家の近くにあったスーパーのポイントカードみたいなものだ。失恋ってそういうことだ。」誰かにとって必要不可欠なものが、必要不要になる瞬間。誰も悪くない。かなしさだけがそこにある。

 

話はとある若い研究者の「失恋」から始まる。

彼はチャンスだと思った。チャンスにしようとたしかに思った。振られた自分の身に起こる感覚全てをメモにしておこう、何になるでもなくただただ。大好きな人に出会えた奇跡みたいなものを抱きしめて眠る。悔しさも腹立たしさもそれ以上のかなしさもあるけれど、寝れば朝は来る。腹はいつか減る。人生は続く。こうなりゃ皆藤愛子さんと結婚しないことには報われませんよ。合コン中にまさか誰も傷心中とは思うまい。ごめん、今欲求が2つも欠けてるんだ。そうそう、筋トレを始めてみたよ。もう会えないのかもしれないけど、次会う時ほんのちょっとだけ胸がある僕になってるよ。感動するぐらい素敵な出会い方の僕らだから、たぶんきっとまたどこかでいつか必ず会えると思うんだ。今はまだとっても好きだから会いたくないけどさ。君が話してた馬刺し、いつか食べに行けたらいいなと思います。どうか早めに時間が流れて次に会えるその日までスキップしてくれ。一回でも二回でも休んで待ってるから。

 

彼の論文を読み進めていくうちに僕はある一つのことに気づいた。

元々あれだけ自分のことばかり書いていた彼が、2人が付き合っている時の論文には一切彼が出てこないのだ。付き合っていた時の彼の論文は、全部が全部、彼女についてのものだった。「こんな話をしている時は楽しそう」「こういう音楽を聴くらしい」「見つめて向き合ってくれる包容力がすさまじい」「料理がとても美味しい」「口角をニッとするのが癖?」「彼女の匂いだけを肺いっぱいに持ち帰りたい」「信じられないぐらいに可愛い」

100の好きが100以上になって伝わってきたところで僕は論文の山を閉じる。

好きだったんだね。そりゃ幸せだったね。胸の真ん中は、まだ少し、もう少し、ずっと痛い。

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デビルマンのうたって知ってます?

渋くて短くて好きでよく聞くんですけどね、もともと大学の先輩に教えてもらったんですけどね、歌詞が気になりまくるんで書いておきますね。

ちょっと聞いてもらっていいですか。1分半ぐらいなんで。ながらでいいんで。

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聞きました?気になりませんでした?少し話しますね。

「うらぎりものの名をうけて 全てをすてて たたかう男」って男の紹介はかっこいいけどそのあとに続く能力の紹介

「デビルアローはちょうおんぱ デビルイヤーは地獄耳 デビルウイングは空をとび デビルビームは熱光線」いや、地獄耳て。まじかよ。超音波出して空も飛べてビームも出せるのに、デビルイヤーの紹介地獄耳かよ。何かあっただろ。手を抜くなよ。

2番の始まりもめちゃくちゃ渋い。「はじめて知った人の愛 そのやさしさにめざめた男」ってこちらも男の紹介はくっそかっこいい。子ども向けとは思えないさすがデビルマン永井豪先生。ただそのあとの技の紹介がまたしても、なんです。

「デビルチョップはパンチ力 デビルキックははかい力 デビルアイなら透視力 デビルカッターは岩くだく」いや、〇〇力で統一するんだったら最後までいきなさいよ。最後岩くだくってなんか収まり悪い。ちょっとパンチ力と被ってそうだし。絶対〇〇力何かあっただろ。手を抜くなって。詰めの甘い曲、そこが大好きなんです。作詞阿久悠先生ありがとうございます。

 

同じく突っ込みどころの多いアニソンで有名なのがデジモンテイマーズのOPもありますよね。

ちょっと聞いてもらっていいですか。1番だけでいいんで。ながらでいいんで。

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聞きました?気になりませんでした?少し話しますね。

出だしがすごい。テンポのいい漫才みたいにたたみかけてくる。

「そう、僕は気づいたんだ」ほう、何に?

「ずっと宿題忘れてた」やばいじゃん、今気づいたの?ずっとって何?ずっと?

「それは一つの謎 謎 謎」謎じゃねぇよ、あるとしたら君の怠惰だよ、もしくは記憶喪失!

「僕は誰なんだろう」記憶喪失!

僕ら世代のツッコミ力向上に大きく影響を与えてくれている。

 

歌に突っ込むネタで言うとナイツの「俺ら東京さ行ぐだ」と「Hallo Goodbye」の漫才がモンスタースーパーハイパーマスター面白いのでぜひ調べてみてみてください。腹抱えて涙を流して笑えます。

 

最後にこないだカラオケですごく気持ちよく歌って時に、思わず突っ込んでしまったフレーズがあったので書いておきます。BEGIN 島人ぬ宝。

ちょっと聞いてもらっていいですか。シンプルに名曲ですので。

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ハイヤ~イヤサッサ~って言いたくなるこの沖縄ミュージックがとても心に響きます。沖縄の綺麗な海、空、星、自然すべて。減っていくサンゴにも触れつつ、島人の宝に思いを巡らせみんな沖縄の風に包まれる後半それはふいに。

「トゥバラーマも デンサー節も言葉の意味さえわからない」

いや、BEGINでもわからんのかい!

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社会人6年目の春、本格的に採用の仕事をしている。採用って面白い(と書いて難しいと読んで、難しいと書いて奥深いと読む)。

いつも立ちはだかる自分の弱点、まだ見たことない面白い企画を作り出す人間にはなれないけど、聞いたことない面白い話を伝えるのはだいすき人間であるので、「聞いて聞いてよ、うちってさ」と話し出すのがシンプルに楽しい。思えば学生時代、3社内定を持っている中で「自分が一番、何やっていくか分からない会社にしよう」と思った勘がうまい方向に行ったみたい。その辺の選択は今まで間違った試しがない。というのも何を選んだとしてもべストチョイスだったなーと捉えるおめでたい性格がキテるわけキいてるわけ。

まだ上手くまとめられてない就活解禁直後の3月のエントリーシートみたいな思いだけど、ほやほやを書きたいから書く掻き立てほやほや。

 

それは3月のこと。若手で代わりばんこに入ってた合同説明会にて説明している僕を見て、入社以来ずーっとケツ拭いてもらってた恩人上司が「あんな生き生きしている彼、今まで5年見たことないです」と上申してくれたことがきっかけだ。まる5年働いてさらなるステップを作っていただいた。社会人はじめのころ「3年、5年、10年の壁ってあるよ。」と教えてくれたコピーライターの大御所の方がいるんだけど、自分なりにそれを解釈すると、3年は1人前になる壁、5年は人を巻き込む壁、10年は社会を巻き込む壁なのではと捉えている。丸5年経った今だからこそ話せる話があるそりゃ上手くいかなかった話も含めて。

説明会を見た後輩からは「あんな『で、だ!』って塾講みたいな説明会やる人、どのブースにもいませんよ」と笑ってて僕も恥ずかしくて笑ったやめてよ。きっと先天的な能力は、うんとこしょ、どっこいしょでは光らない。はいせーので適材適所、任せていただくことになった。

 

これ何がよかったかって、一つは自分の人生を考えられることだと思っている。「頼んでもないのに昔の話をしだしたら、人生の下り坂」という言葉もあるけど、頼まれて仕事の時間に自分の学生時代から社会人生活を振り返られる機会は非常に貴重で超有用。「10連休明けに憂鬱になったら、その仕事が合っていない証拠です。」という意見は多少過剰な気もしたけど、なんで働いてるんだっけ?ってのは、時期時期年次で答えが変わるいいテーマ。令和元年10連休は正直長すぎた気がして社会復帰できないかもってユーウツを打破するには働くしかないなと思ってたところ。働きたい!って強がりもあるけど、いい仕事がストレスを溶かすことを実体験で知っている。その時の感情が「どんなもんじゃい!」ではなく「ただただよかったー」であることも含めて。そして最近じゃ、ただ仕事をするではなく、仕事で活躍しなくちゃなって思ってる。千と千尋の1シーンで言うところの「ここで働かせてください!」ではなく「ここで活躍させてください!」というわけ。

 

愛社精神みたいなものの正体は分かってるようで分かってないけど、人が積めない経験値を積める面白い会社だと思っている。これからは会社に使われるのではなく、会社を使うようにならなければ、といった話がタイムラインに頻繁に流れてくる。そんな中で2020の採用コンセプトが「電通を、つかえ。」である電通さんはさすがかっちょいい。気になって調べてみたら「心を動かすことから、すべてが始まる。」と博報堂さん。「すごい会社に入るより、すごい会社を創る。」ってサイバーエージェントさんのコピーもぴったりの相応しさ。

組織と個人は揺り戻す。その人が過去に出品していたもののリストから資産価値を算出し、相互のやり取りやトラブルの件数から信用スコアを制定し、融資を行ったり後払いを認めたりというメルカリの金融事業メルペイに代表されるような「個人」の時代において、会社勤めをする理由はやっぱり1人じゃできないことをやりたいからで、そこには企業が向かってくビジョン、理念が重要だ。

思い出すのは学生の頃、夕方のニュースをたまたま見ていた時の話。その日はサケの輸入販売を行う商社マンの特集だったんだけど、その商社マンが最後に「サケで世界中の人を笑顔にしたい。大げさかもしれないけど。」と言っていて、当時学生の自分からしたらなんて部分的でちっぽけな野望なんだって戸惑ったんだけど、世の中、何で困っている人を助けるかって場所取りがあることを今は思う。その時の戸惑い、からの腹落ちを社会人になってこんな風に書いている。自分の中の文体の流行の癖があまりに強くて、いくら出ちゃいそうなんだけど。

showkakeru.hatenablog.com

みんな大好き鳥貴族の企業理念って知ってます?「焼鳥で世の中を明るくする」なんですよ。店舗の店長さんもアルバイトさんも、本社の経理の方も、もちろん関ジャニ∞大倉クンのお父様も本気でそれを信じている(そうであってほしい)。なんて部分的でちっぽけな野望と今は思うまい。法人営業のやりがいの一つ、知らなかった企業を知れること。二つ、その会社の発展に貢献できること、三つ、その会社の理念の実現につながること。仕事柄、コーポレートブランドフェチというと変だけど、その会社だけが持つカルチャー、理念、哲学が好きで、会社で働いてその組織の考え方に染まるって洗脳じゃんなんて不必要にビビってた学生時代の僕よ、とても魅力的なことだと思うのよ。むしろ40年働く中で何の価値観にも染まらず自分の旗だけ立ててやっていくことの方が怪しくて、脆い気もする。

今のSONYの前身、東京通信工業の設立趣意書の文言が大好きなので書かせてください。「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」とある、この“自由闊達にして愉快なる理想工場”の字面から溢れる風通しの良さ、モノづくりの喜びたるや。企業理念に愉快って入っている会社、超よくないですか。そして実際、ここから世界を驚かせたウォークマンやペット型ロボットの先駆けaiboが生まれている。NIKEのJust do itが奮い立たせる心も、AppleのThink Differentが広げる創造性も、これらはビジョンというよりコピーの力が大きいけど、哲学に染まる喜びなんじゃないかと思うわけです。ちなみに弊社の企業理念は「宣伝・広告界の発展に貢献する」。広告業界でないのがミソ。広告業(広告会社、メディア、クリエイター)のためだけではなく、広告主を含めた宣伝・広告に携わるすべての人たちが成長し、発展していくことで社会にお金が回って経済が豊かになっていく。それを信じて働いている。広告はもはや嫌われ者という意見も散々見てきたけど、マーケティングとクリエイティブに悩める広告主(企業に個人に公官庁)は多くって、地域含めて必要な情報を届けていくことに使命を感じる命を燃やす。

ちなみに少し変わってるこの企業名は65年前、民間のテレビ放送が始まったころ、一体全体テレビCMってのはどういう風に広告に使っていけばいいんだい?っていうのを、現在のアステラス製薬、当時の山之内製薬の宣伝部長さんが、知り合いの宣伝部長を集めて議論を交わしたその議事録が創刊第一号だからである。変わった社名も何も、まんま議事録ってなわけだ。自社の成り立ちだけでへーって興味を持っていただける会社にいるのは楽しい。そう、聞いたことない面白い話を伝えるのがだいすき人間なのである。

いい会社ってなんだろうとか、モチベーション高く働ける組織ってなんだろうとか、五月病ってなんだろうとか巷じゃ一生かけても読み切れない本が出ているから、まずは自分で経験と感情を言語化していかなければならない。「この会社で働くやりがいってなんですか?」「入社してからのギャップを教えてください」「ご自身の就活時の挫折を教えてください」それ聞いてどうするの?っていう学生さんからの質問にも、うそ偽りなく分かりやすく、それでいて欲を言えば聞いた人がいいな~って思ってもらえるよう伝えていきたい。

最高経営責任者をChief Exective Officer(CEO)、最高財務責任者Chief Financial Officer(CFO)と、CまるまるOという役職が企業にはいくつか存在するが、昨今CHOなるものが出てきているそうだ。ずばりChief Happiness Officer、従業員の幸福をマネジメントする専門の役職らしく人が資産のこの産業にもきっと必ず必要なはず。元々お笑いとかユーモアが大好きで、ことあるごとに救われてきた自分だからこそできることが、そこに何か鉱脈があるのではと虎視眈々しこしこ狙ってる。ちょっと前に書いた北九州は炭鉱のスカブラもそう。かのオードリーヘップバーンも「I love people who make me laugh.」って言っている。少し採用からは脱線したけれど、一緒に働きたいと思われる担当者になりたいから元気のいい挨拶ってコスパがいいし、心穏やかに、頬にこやかに、努めて勤めて採用担当を務めようと思う。

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本当は違う言葉が正しいのかもしれないけど、心と体が時速に追いつかない日々を勝手に「怒濤」と呼んでいる。過酷とか忙殺とかネガティブな文字面はぐっと飲みこみ、変化とか激動とかその辺の感情をぐっと込めて怒濤を使う。ちなみに社会人のメールマナーの本曰く「忙」という字は心を亡くすと書くから縁起が悪くNGで代わりに「ご多用」を用いるらしい、言葉遊び好きとして覚えておかなくちゃ。ちなみに怒濤を使う理由は高校1年の頃、選択科目で書道を選んだ僕らの学年の神様ナカシマさんが、何でも好きな文字を毛筆で自由に書いていいですよという時間に「怒濤の快進撃」と書き上げた話が好きで、そこから拝借している。怒“涛”じゃ弱い。怒“濤”を選ぶ。なんでそれ書いたの?と尋ねると「なんかかっこいいから」と言われて、当時はその訳の分からなさゆえに神格化していたんだけど、今思えばただの厨二病の可能性すらあるな。ちなみにナカシマさんは自分のことを自分と呼ぶんだけど、これは「僕」から「俺」への転換期を慎重に見極めようとする余り、適切な時期を逃したからである。

 

さて、大学4年の2014年2、3月の話から始めよう。怒濤の話。

当時の予定帳を開くと、どうやったって待ち受ける社会人の前に、最後の最後の悪あがき。赤青緑に予定を塗り分け結局真っ黒カレンダー。名古屋、卒論、家探し、カンボジア、鍋、引っ越し、デート(付き合う前)、グアム、内定者研修、モノマネ番組オーディション、バルセロナ、パリ、追いコン、鎌倉、デート(付き合った後)、卒業式とひっきりなし。30時間ぐらい起きてることがままあった。計画性は度外視で体力のまま連れてってもらうことがままあった。自分の性格診断テストなんかをやると思うんだけど、どちらかと言うと保守的で、例えばお笑いをやるにしても絶対ウケる過去ネタがあれば新ネタを作らずに済ませたい人間だ。フットワークもそこまで軽くないと分かってて、考えれば考えるほど動けなくなるから、それならば考えないうちに自分をその環境に置こうというソリューション。時間があると不安になるなら、できれば忙しくしていたい。あ、間違えたご多用でいたい。AとBとCの書類を上から順番に重ねてDの封筒に入れる、いわゆるアッセンブリ作業が実は好きだったりする。

おかげで上司にも恵まれ、よちよち歩きの社会人をスタートできた。慌ただしくやってたその幸か不幸か、あまり記憶がない。卒業式前に付き合うことになった同級生は1年ちょっとで別れちゃったんだけど、こないだその子のLINEの名字が変わっているのを見て、おお、おめでとう!と思った。

 

この2019年4月、5月も引けをとらないほどの怒濤。高校の友人に誘われたり、採用説明会を任されたり、名古屋で仕事し、大阪で仕事し、仙台で結婚式の余興をやった。その間に5年住んだ家を離れて引っ越しを挟んで、史上最大の10連休はダムに沈む前の八ッ場でバンジーをして、寂れた釧路の町を歩き、知床で雨に降られ、弘前公園は桜を逃し、小岩井農場は閉館時間で入れず、わんこそばも食べ損ね、数年ぶりの夜行バスで体バキバキになりながら戻って今ブログを書いている。マイナスだけ書くとそんな感じだけどそれ以上に楽しい体験、経験ができた。創造できない僕は、経験するしかない。

休みの度に旅行に行くからって、職場の後輩から「OL」と呼ばれはじめてる。体が2つあればいいのにと思ったりするけれど、今のスキルセットのままの僕が2人いても使えない気がする無用の長物コピーロボット

 

チラシの裏紙に〇日棚、〇日キッチン、〇日粗大ごみと計画だけは一人前なんだけど何一つ手を付けてないから呆れて笑われて引っ越しは大変だ。埃を吸いすぎる。咳と鼻水が止まらない。告白しなかった恋はどこへ行くんだろう。ほじらなかった鼻くそはどこへ行くんだろう。願いましては97点の本、漫画、雑誌を中古で売って3510円ナリ。105円と108円が混じるBook-offに時代を感じる。
その合間にも名古屋へ行って働いて、大阪行って働いた。新幹線でPCをいじるとなかなかに酔う。「明太子マヨネーズ明太子マヨネーズ明太子マヨネーズ明太子」って大阪の後輩がメッセージくれるやめてくれ。新宿の地下より大阪駅の地下の方が迷宮だと思うのですが、これってトリビアになりませんか?日帰り大阪、帰りの新幹線では結婚式 名言をググるよ。0時過ぎに家に着いて7時間後には仙台へ向けて出発する怒濤。怒濤は繰り返される。お願いです、出発前の飛行機とスタバとPCをSNSにあげて「エアポートおじさん」を僕がやってたらどうか気兼ねなく戒めてください。それと、クリスマスの24日深夜に子どもの寝顔とプレゼントを撮って「任務完了」ってあげてたらどうかボコボコにしてください。「平成生まれ 自己顕示欲 消化?昇華?」で検索する。

 

久しぶりのこの感じ、時間と体力の原資を意識するも体がついていかない感じ。仙台の彼に久しぶりに会う。18から知っている彼よ、結婚おめでとう。そして零れる笑顔が素敵な新婦さん、余興を頼んでくれてありがとう。そして何より平井堅さん、今回もまたウケましたありがとうございました。

 

大阪樟蔭女子大名誉教授の夏目先生がライフイベントのストレスを数値化していて、それによると結婚のストレスは50点。引っ越しは47点らしくけっこう高いな。この1年のストレスが300点を超える人は気を付けた方がいいらしいんだけど、なにも警鐘を鳴らしたいわけじゃなくてさ、今のストレスを客観視することがとても大事。アンハッピーだけじゃなく、ハッピーすらも時にはストレスになるんだから。無事でやってる?ちゃんと寝てる?なにもなかった退屈な1日たちが、有事の際に踏ん張ってくれる力強い1日になるって信じてる。

https://www.nhk.or.jp/special/stress/01.html

 

上京し損ねた埼玉は小手指の6畳一間の2年間。畑に囲まれた熊本より田舎の暮らし。

都内に憧れて2年で所沢の科目を取り終え飛び出してきた下落合の2年。

そして一人暮らし3軒目。干川が千川に住んだらうけるかななんて企みは「え、干川が千川に住んでるの!?」って言われても返しの正解を最後まで見つけられず、ことごとく変な空気にしちゃったんだけど、社会人よちよちの頃を支えてもらったいい街といい部屋でした。30㎡以上の広さで風呂トイレ別に6万台で住めた千川は素晴らしいよほんと。星の綺麗な千川で、季節関係なく見上げたオリオン座。下に住む大家の子どものドタドタ。10年近い一人暮らしは思い出だけでなくモノも増やしてて、結局引っ越しの日は40時間ぐらい起きていた。怒濤。やれやれ、怒濤。

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A地点からB地点へ。B地点からC地点へ。万物は流転する。流転する事実だけが、流転しない真実。サンセットサンライズサンセットサンライズ、「百年はもう来ていたんだな。」っていう夏目漱石夢十夜。気づいたら元号も変わってた。

元号とは、見えない時の流れに名前を付ける行為。怒濤に置いて行かれそうな時こそ、怒濤を書いておかないと。いつか思い出す平成も令和も、昔住んでた家も、可愛がっていた後輩も、あちこち行った話も。