心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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四半世紀連れてきた面の皮を眺めていると、もう間違いない確信する。近づいていくのかくるのか、彼の存在。

そう。年々、平井堅に似ていく。

 

気づいたのは14。それ以前から似てるかもなとは思っていたが、小学生にとっての彼はそこまでヒーローではないのでそっとして。母姉の前でだけ、たまに『瞳をとじて』いた。

 

気づかせてくれたのは中3クラスの美人ヤンキー。思春期真っ只中のヤキューブボーズは、女の子の目を見て話せるなんてまぁなく、加えて先方不良少女。ご近所の席で勝手に恐れていた僕に「ほっしーって平井堅に似てるよね」と話しかけてくれた。イノベーターである。横で取り巻きも「たしかに」って続いてくれてこちらはアーリーアダプター

我が家ではすでに感づいていたことでも、そこで「あぁ、知ってる」なんて冷めて返したら僕の学園生活はそこで一瞬でtheEND。諦めなくても試合終了です。さも初めて聞いたかのようなド新鮮なリアクションで「おお?平井堅!?まじか!いや、まじですか!え、こう?こんな感じ?こんな感じでしょうか?」って表情を寄せた。ウケた。That's命拾い。

 

それからの日々はおれがあいつで、あいつがおれで。給食の時間に『POP STAR』が流れると数人が僕を見る。初めのうちはいや、違う違う俺じゃないよ!で成立していたが、だんだん飽きがくる。これは、、、踊れなければならない。恋ダンス以上にマストで覚えなければならない。あのサングラスしたアフロの男性のステップを。なんかクマの着ぐるみとか出てくるあのMVを。そうなったらもう、めちゃくちゃCDを聞く。MVを見る。フリを覚える。骨格が似てるのか、実は声も似てるぞと気づいたのはこの頃で。

 

芸は身を助く。

ガクセイでもシャカイ人でも、カラオケに行くといつの間にか『POP STAR』が入れられていて、全力で応えることで僕はいつもコミュニティに受け入れられてきた。たまに本当にファンの人がいて「もうちょい肺活量鍛えるといいよ」とガチでアドバイスをくれたりした。引き続き精進いたします。

実はここだけの話、ホントは僕は『君の好きなとこ』という、恋に落ちた盲目っぷりがチャーミングな一曲が好きなのだ。でも「え、まだモノマネやんの?もういいよ。」という空気感が怖くて、泣く泣くデンモクを手放したことも少なくない。

 

恋愛において単純接触は大きな効果をもたらす。

僕にとっての平井堅もまさにそうで次第にファンになっていった。僕が大学1年の頃には、なんと平井堅がクマモトに来るぞということで、何の気を利かせたのか母がチケットを取り、友人といざ、ご本人!

会場に着くとさすが堅様、年齢層の高いおばちゃま人気が高い。レストランでカレーを食べていたら、周りおばちゃまばかり、僕らのようなガクセイはいないなーと思っていたら、どうもむこうの方のおばちゃま数人がざわざわしている。明らかに僕を指さしたりもしている。これは給食時間に平井堅の曲が流れてきたときの視線と全く同じだ。そのうち意を決した一人の勇敢なおばちゃまが近づいてきて、写真を撮ってくれと声をかけられた。イノベーターである。本物のファンに認められた瞬間、光栄なこと極まりない。いざ隣に並んで、僕も僕で少しでもそれっぽく表情を寄せてみたら「いやそういうのはいいから」と制された。鬼くそ恥ずかしかった。「息子に送っとくわ~」と言って去っていたおばちゃまを見て、息子も困るだろうなと思った。それに続くおばちゃまはいなかった。

 

参考までに彼の卒アルも載せておくが、もうこれを見て察してほしいところである。

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40を越えて、果たして様々なお噂は本当なのだろうか。

これからも彼が新曲を出す度に真っ先に覚えて、いつでも応えられるようにしてゆく。

 

さて、似ているフシギ。

その他、言われて嬉しかったのは、速水もこみち氏だったり元KAT-TUNの田口氏だったり。いずれも本物のファンが止めて二度と言わないで口に布地詰めるよと言いだしそうなレベルなので、えぇ!?それほら多分恋じゃない?盲目って言うし。そうそう平井堅にもちょうどそういう盲目の曲があってね。ってなんとか話を戻す。

 

もう一人、どうしようもなく似ている人物がいる。母親だ。

魔女みたいな鼻の形をはじめ、授業参観での親当て神経衰弱はレベル1初級編。加えて性格もまぁこんなんで、僕が二十歳の誕生日には、家族からメールが届いて姉「がんばれよ」親父「がんばりすぎるなよ」母「あんたが生まれるとき、うんこかと思った」といった具合にエピソードトークには事欠かない。

 

ところが一昨年くらい、前橋の叔母の家。親父のガクセイ時代の写真を見て驚愕した。僕とあまりに瓜二つだった。今でこそMax90キロに迫るような大男が、学生時代はひょろっひょろで笑った顔まんま僕。彼もまた平井堅のそっくりさんだったのだ。いや、時系列的には親父←(似ている)平井堅←(似ている)僕なのかもしれないが。

昔っから群馬の親戚なりが「お父さんにそっくりだな」と声をかけてきたワケがようやく分かった。物静かで、本の虫で、真面目で、我慢強いという彼の特徴は、見事に僕が持ち合わせてないものばかりなのだけど、僕みたいな親父が写っていて、親父を見てこうなっていくのかと思いながら、血の繋がりを確かに感じる。

 

親父もまた子どもの頃は体が弱くて、そこもまた似ている。聞けば中学の時に大手術をしたらしい。そういや赤ずきんの狼のようにお腹を真っ二つに開いた跡があったっけ。今年、肺気胸をやってみて、親子そろってメスの入った体か、やれやれだよって、ヘンに安心する。ちなみに親父、その中学の入院時代にアタマが良すぎて、通っていた院内学級でハブられていたらしい。そんなことあんのって笑っちゃうんだけど、病人が嫉妬するくらいの地頭の良さと彼のマジメさがよく表れた、好きなエピソードの一つである。

 

運命の実話・家族の絆特番みたいなので「タカシ。今まで黙っていたが実はお前は父さんと母さんの子じゃないんだ」「いや、僕の本当の父さんは父さんだけさ!」っていう感動再現シーンが流れる度、いつも母は決まって「よかったね~あんたは母さんたち以外に親いないって一発で分かるもんね~」って言ってた。

はいはい、うるさいよだからなんだよ。なんて雑に返していたけれど、すげぇとんでもなく有難いことだなって、言葉じゃなくて理解している。

 

おかげ様で25歳。

男は40になったら自分の顔に責任を持て。なんて言うけれど、25なりにその覚悟の端っこは持っていたい。

できるだけ目尻が下がって、口角が上がるような日々を。どうかこれ以上オモナガにはならないことを願って。

そっくりさんである親父、母、そして平井堅に恥じないように。

25歳、何卒よろしくお願い申し上げます。

257

3年前も2年前も、毎年この時期記憶を失っている。まったくもってスマートじゃない。

 

水辺にボールが落ちちゃったとき、まったくためらわずびちゃびちゃになって取りに行くってやつガクセイのころからよくやってて、こないだ会社のバーベキューでやってみたらスーンってダダすべったんだけど、上司のお子さんたちにはめっちゃウケました。

良かったです。

んで、スマホが亡くなりました。

 

年々何かを失うリスクは大きくなる。

ちびっこのころは雨に濡れてもつゆしらず。「雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって先も雨だ。」って坂本龍馬の名言も、え、いや一刻も早く屋根の下行きたくない?ねぇねぇ行きたくないぜよ?

まったく電源が入らないiPhoneの何がスマートなんだ、まったく。黒い機械のかたまり、ここはどこ私は誰君の名は。びちゃびちゃのおズボン、ジュクジュクのVANSを引き摺って帰宅して、えーいすっぽんぽん、PCに打ち込む「スマホ 水没」。スマホ すの時点で予測変換に出る水没の文字、服着ることも後回す鏡の自分の姿見て、ははーん、さてはお主溺れる者だなってうるさいよ。すがるよ藁にも萱葺にも。

いくつかの解決策と言う名のデマを潜り抜けたところ、一番怪しいお米に入れるっていう今日の献立風ソリューション。なにやらお米って吸水力高いんですって奥さん。あらやだ知らなんだ。用意するものはジップロックとお米三合、そして隠し味でありメインディッシュ。何一つリアクションを取ってくれなくなった、そんなあの子の思い出もたくさん詰まったiPhoneをさっとね。んでシャカシャカ振る。あ、うそ、シャカシャカはちょっとレシピっぽくしただけ。

 

ジップロックの艶めき、スマホの通夜めき。穴と言う穴に米粒が入り込んで、ずいぶん攻めたプレイね、ジョブズもびっくりイヤホンジャック米。なんだかもうこのころにはちょっと愛しさすら覚えてきて、わしゃわしゃわしゃーって愛でてたワシゃ話者。そんなことをしてもこいつが生き返らないってのは分かっていたんだ、ほんとはさ。きれいな顔してるだろ。嘘みたいだろ。濡れてんだぜ、それで。なんて繰り出すとだいぶ破廉恥、青春の日々。何も言えねぇ。し、お米まみれのそれをひたすらワシャつく、チョー気持ちいい。

 

失って初めて気づくっていう人類がひたすら繰り返してきたベタをもう何周目か、通る。世間も2016年、色々あったみたいだけど個人的にも今年は、おばあが亡くなったり、肺に穴空いたり、姉がケッコンしたり、10年ぶりに自分にとってアイドルみたいな同級生と再会したり、言葉があまりに追いつかないくらい感情を揺さぶってきてたから、

2年分のおはようも、お疲れ様も、ありがとうも。あんま言った覚えはないけど好きですだって、あと多分言ったことないけど友達からお願いしますだってなんだって全部四次元の彼方に消えてった。あーあ。の次の言葉も出てこなかったから、きっとそれすら四次元の彼方に消えてった。あーあ。あーーーあ。

 

新人は5日後くらいに入荷して体験入店。あまりにまっさらで途方に暮れ、一から一つ一つ(アプリ)入れるもぎこちなく。電話帳すら誰一人いなくなり、ここはどこ私は誰君の名は。2回目。何かを失わなきゃ何かを得られないっていうなら、過去を見ながら後ろ歩きで進んでるような僕にとってはそれくらいのショック療法が必要ってことか。そんなこと考えながら「モノより思い出」ってコピー、偉大すぎるなって思う。

 

どんなに笑ったお写真も、心あったまるメールも、ふと気づくと向こうは1,2行なのに僕だけ3、4行で全然釣り合ってないLINEも、メアド変えましたってメーリス回ってきてアドレス見てがっつり破局してますやんって吹き出した電話帳も、形あるものはいつかなくなる。

次へ次へと持っていけないのなら、ただひたすらに心にあっためてぎゅっとして大事にするもよし、たくさん引き出すもよし。本当に好きな人なら数人だけだけど、スマホなんてなくても誕生日とか忘れないもの。一緒に過ごした時間は、写真1枚じゃはみ出すし。新しい思い出作りましょう!って、忘年会しましょう!って誘って、いや忘れる気満々やん!って笑われる。16よりも32よりも64よりも大きな脳みそで、間に合わなくなるくらい、いろんな人と思い出を作って行こうと決める。

 

最後にこれだけは憶えていてほしいんだ。たったひとつのメッセージ。

本来ちゃんとやってりゃ、バックアップってのがちゃんとあるんだけどね。

256

「おいしくなーれ。おいしくなーれ。

 

オイシイって無敵だと思うのです。目立てるし。

すべってもあとで絶対おもろくなるし。

すべればすべるほど、ときが経てば経つほどおもろくなるし。

羨ましいくらいです。オイシくやってください。」

 

音楽やってる友人が、音楽を発表する場いわば音楽会、いや普通にライブがあって、珍しく緊張してたので送ってみた。翌朝「ライブ中何回も唱えたよ!」って御礼の言葉をいただいて、うれしいとかよかったとかほっとしたとか、そんな感じ。

 

「じゃんじゃん世に出てください!」

 

中学のクラスメイトで努力と才能と美の塊みたいな友人がいて、ついこないだその子の誕生日、SNSにコメントを送ってみる。SNSの誕生日ってのは言葉取り競争で、どれだけウケるかどれだけ浮けるかを意識してる。「ほっしーの言葉はやっぱり力というか、気持ちが込もってるのを確り感じるよ!」って御礼の言葉をいただいて、うれしいとかよかったとかほっとしたとか、そんな感じ。

 

限られた人生、1日1日しっかり確実に死に向かって生きてる僕らの、その人の中でずっと生き残る言葉を丁寧に伝えたいと思う。「ずっと一緒にはいられないから、今はずっと一緒にいよう。」ってグリコの名コピーにも通じる気がする。

サボテンにきれいな言葉をかけるときれいな花が咲く。水においしくなーれと言い続けると本当に美味しくなる。みたいなところまで行くとちょっとそれはまぁさすがに吹いちゃうけど、例えば人生で初めての彼女にベタ惚れだった僕は、世界の名言集を読み漁って、できる限り喜んでもらいたくて、毎日別パターンの「可愛い」を繰り出してた。そしたら元々もったいないくらい可愛かったんだけど「君と付き合って可愛くなったねって言われることが増えたよ。君のおかげかね」って言われたことがあって、そうなのか!って納得感心照れ笑いしたし、この言葉自体僕の心の中でずっと生き残ってるから、ほらね。ほらね。

 

限られた人生、1日1日しっかり確実に死に向かって生きてる僕の、ポエマー魂溢れるinstagramを職場の後輩にフォローされたので、僕の会社の中での死は近い。ほらね。ホラーね。

255

僕の自伝がもしあるのなら、10歳くらいまでのお話に伏線がもうめちゃくちゃちりばめられていて、それが2016年かなり回収されていってるから、きっと今年は読み応えがある。それ単体でなにか成し遂げる章ではないんだけど、謎が解けてすっきり進めていける、そんな未来に繋がるような。

 

移動距離の長い転校を経てきたので好きな人があちこちにいる。

先日の姉の挙式、姉の大親友ユッキーが1000kmを超えてかけつけてくれた。ユッキーの弟たっちゃんと僕もまた大親友で、6~8歳が同じクラスだった。ポケモン世代ど真ん中の僕らは自由帳に「改造ポケモン」略して「改ポケ」なるキャラクターを書いて遊んでいた。僕はクワガタをモチーフにしたとても世界観の合わない目つきの悪いキャラを書いていた。周りにはゆう君がいてヒロちゃんがいて横ちゃんがいてウノッチマンとかヒロトとか、ひっそり好きだったMさんとか帰り道が同じだった高橋さんとか。ドッジボールして野球してケンカして、2000年問題とは程遠い何のプレッシャーもない温々としたそんな日々があった。

披露宴でユッキーに挨拶した時「たつも会いたがってるよ!」と言われて、そうなったら早いのが僕らデジタルネイティブゆとり世代。小2以来、16年ぶりにたっちゃんに再会した。

 

「改ポケ?そんなんやってたっけ?ごめんなんだっけ」って、いやいやあなた暑中見舞いにご丁寧に水彩で改ポケ書いてくれてたじゃない。泣いた。「横ちゃん?あぁ横さんね」って距離感が変わっててちょっと笑った。ウノッチマンもヒロトも荒れまくって地元の族に入ったらしい。笑った。僕にとっては温々とした低学年ライフは高学年で一転、学級崩壊で先生が3人も変わったらしい。笑った。いや、笑えない。そんな中たっちゃんは高橋さんと中学で一時期付き合ってたらしい。やっぱり笑った。

思い出の答え合わせは見事に外れた。

残念と言うよりそりゃそうだよな。日記なんかをつけてきた手前、僕は人より日々の楽しいやありがとうを色濃く覚えてる傾向がある。半分くらいはこっちの感情だけが勝手に舞い上がっちゃってて、物足りなさを感じることも多いんだけど。でも、港町のべらぼうに美味しい魚を食べながらシゴトの話は楽しくて、別々の離れた場所で20年近くお互い色んな感情を覚えて生き延びて、こうして同じ社会人3年目をやっていることがなにより嬉しかった。一緒に通学路なんかを歩いてみたりした。

 

で、だ。

君の名は。』をようやく見た。

新海さんの映像と同じくらい美しい女友だちに、今月は忙しいって断られたから1人で。まだ腹落ちしてないからモスコシゆっくり考えたいと思うんだけど、実は僕も似たような経験がある。

移動距離の長い転校を経てきたので好きな人があちこちにいる。

 

100 - 心頭滅却すれば火もまたスズシ

101 - 心頭滅却すれば火もまたスズシ

 

読み返すといかに頭がとち狂ってたかが分かる。

続きは書いていないけど、実は会いに行った。行ってしまった。とある沿線のとあるカフェチェーン。これもまた運命で当時姉の住む最寄駅のカフェでMさんが働いていた。

姉にメシ食おうぜとかって無駄に用事を作って帰りに1人でカフェに立ち寄る作戦。一回目は確か無駄足に終わった。いなかった。がっかりはしたけどある意味ホッとした。それでも、大学4年の僕は頭がとち狂っていて2週間後くらいにまた行った。

そして、会えた。会えてしまった。

とびきり綺麗になってて名札にMの苗字が書いてあって、初恋の人に気づかれないまま接客された。声がすごい綺麗だったことを覚えてる。カフェオレ注文して少し待って受け取って座って飲みはじめる。どうする?どうする?どうする?声をかけるかどうするか。たまたまを装ってるとは言えやってることはドが付くほどストーカー。時間も21時半。閉店も近い。空いたカップを下げる。意を決する。

「あの、Mさんって、Mさんだよね?」無駄な小芝居をする。「小学校同じクラスだった○○です」って言ってみる。Mさんを見ると完全に戸惑ってる。そりゃそうだ一緒に卒業してるならまだしも3年生で引っ越した奴を誰が覚えていようか。後悔した。急に後悔が込み上げてきた。「あ、って言っても覚えてないよね、ごめんまた今度!」って逃げた。すぐさま電車に乗った。会えて嬉しかったのは間違いないけど困らせてしまった。申し訳なさで一杯になった。1時間半の帰り道が永遠に感じられた。

 

もう最後にしようって決めてその日帰ってからMさんのツイッター見てみたら「○○くん?」って僕の名前のつぶやきがあって、何人かが「引っ越しちゃった背の高い子だよ!」みたいな返信をしていた。Mさんは覚えていなかったっぽいけど、周りの人は覚えててくれる人もいたみたいだった。それから一切見ていない。アカウント名も何1つ忘れた。

 

そんでもってそんなことがあった上であぁもう運命ってすげぇなって思うのが、その翌年から僕らは社会人だったんだけど、Mさんの内定先、配属先が姉と全く同じ職場だった。

「あれもしかしてうちの弟もMさんと同い年なんだよー」って姉すごく仲良くなったらしい弟の初恋相手と。僕がバイト先見つけちゃって会いに行ったことは姉には言っていない。

これが僕の『君の名は。』 

 

話は戻って現在。

たっちゃんに聞いたら「あぁMさんこないだ結婚したよ」って聞いてぎゅんってなった。「確か9個上の人と」って聞いてぎゅんぎゅんってなった。上手く説明できないけど"きゅん"と似てるけど全く非なるものです。

 

帰り道最近覚えたスポティファイで『SWEET MEMORIES』を聞く。失った夢だけが美しく見えるのは何故かしら。たっちゃんと別れた時は降ってなかったのに、車窓から見える雨、赤い電車。思い出をしょいこみ過ぎるから、いつもこうなる。人生のこれからの章に、警鐘。土曜の夜、終電間際、一人ひたひたに浸る帰り道。

突然!仮装した外国人留学生が15人くらい乗り込んできて囲まれた。爆音でクラブミュージックを流し、ウイスキーを回し飲みし、僕が少しでも寝たふりするとUZAI?UZAI?って聞いてきた。

えぇいあぁ君からもらいノリ。「Sounds nice!」と「Have Fun!」で応戦した。7駅くらい一緒に乗ってたノッてた。荒療治だけど、思い出は時にこうやって上から塗り潰してくのかもしれない。それも悪くないな。いややっぱそっと取っておきたいな。

そんな2016のハロウィンでした。

254

「脳みそがある人間だったら誰でも思いつくわ!」

ってこないだ、1つ上とんがった元代表の先輩が、コントの王様を決める大会を見ながら発した言葉をずっと心に刺してる。「ものを考えられる人間なら誰でも」とも。

 

お笑いを好きな人たちと日本一のお笑いを見てたこないだ。審査員日村さんの「これどうやって思いついたの?」って、半ば呆れながらのコメントに「逆に他のネタはどうやって作るかわかるってことでしょ?それの何がすげえんだよ!なぁ!」って元副代表の先輩も続ける。

よくこんな中で80年代みたいなベタベタなことやらせてもらってたなと、過去の命拾いに気づく。

 

日本一のコントを決める2016年の秋は、どうにか新しいものを見せてくれと願ってた。どうにかこうにか見たことないものを見たい。賛否は極論どっちでもいい。そしてそれをオカズに白飯をみんなでたいらげたい。これはあぁだ。あぁそれだ。なるほど発明だね。たしかに発見だね。自分じゃできないのは百も千も万も承知。だからこそ見せてほしいのだ。消費者はいつも底なしの欲張りだ。もう新しいものなんてこの世にないって分かった上でそれでもそういう空気感に包まれてた。未知の価値の勝ち。

逆にちょっとでも読めちゃう展開、ボケ、いや口パサパサなるわには、オモシロいかどうかは置いて、もうある種の恐怖に近いものがある。もういいよ!がテレビの前から聞こえる。もういいだろ!とも。感じてないから声出してないのに、あれ照れてんの?感じちゃったの?いいよ我慢しなくてって聞いちゃうそういうやつ。経験あるでしょ。あ、ない。うい。

 

脳みそがある人間だったら誰でも思いつくわ!

とんでもないツッコミその通り。お笑いだけじゃない。あえて言う。誰にでもできる仕事はチャンピオンになっちゃいけないのだ。全国大会は学級会の頑張ったで賞とはやっぱり違っててほしい。一角獣を待っている。突き抜けた存在を渇望している。明日の当たり前を作る。四角い頭を丸くする。後輩の仕事は、先輩を超えることだ。

歴史が止まっちゃうことが何より怖い。時代が回らないことが何より虚しい。ヒィヒィ言ってるお客さんはもうほんと何なんだよ。いいのかよそれで。止まっちゃうよ。回ってかないよ。プロはお客さんを悪く言っちゃいけないが、お客さんはお客さんを悪く言ってもいい。言っとくけどこれ全部ホシュ的でイノベーティブの真逆にいて言われたことしかやってない今の自分へのもういいよ!です。やめさしてもらうわ。

 

脳みそがある人間だったら誰でも思いつく仕事をしていないか。

ものを考えられる人間なら誰でもできる発想をしていないか。

砂漠でバウムクーヘン、いや口ぱさぱさになるわをやっちゃっていないか。

じゃ僕店員で、ボクお客さんやります。「ウィン」「ウィン」ここどこなんだよを入れていないか。

 

「なんてクセが強い日だ!」とかやってしまいがちな僕の脳内で「つき~ぬけ~たい~」って桜井さんが歌ってる。

253

お姉ちゃんが結婚した!

やったぜ、やりよったぜ、やっとだぜ、やらかしたぜ、やってくれたぜ、やれやれだぜ。おめでとう。ありがとう。本当に。本当に。

 

シャカイ人らしく結果から先に伝えてみた。

多幸感って言葉の消費、それでも。時間とお金と先方が許すなら赤の他人のでも出たいくらい結婚式が楽しくて嬉しくて良かったです。あんな幸せなことはない。お先真っ白、一寸先は光。

いいもん見させてもらいました。お先に勉強させていただきました。

誰が泣くかダービーはなんと主演姉がぶっちぎり。式場のドアが開いて出走の合図。親父と腕を組み歩く姉のボロ泣きの美しさ。わりと小さい頃から自慢の姉だったんだけど自信が確信に(ry。お互いの第一印象は?ってこっぱずかしい質問に旦那さん「ばっ!かわいか~!」ってこれまたこっぱずかしい人だなと思いつつ、でしょでしょって思っちゃう姉バカ弟。ん?姉への弟バカ。小中は姉のおかげで「あそこん家はしっかり者」のブランドが出来上がっていて。子育て上手って母が言われてて、その褒め方、息子も娘も母まで喜ばせる三方良しだなってにやける。アーメンというのはソウナリマスヨウニというイミです。って神父に教わる結婚式。

 

「姉の人生の最初の劇的な変化は僕の誕生でした。」

ってたまに届く田舎からの仕送りに混ざって母からのお手紙。披露宴用に司会者から頼まれて、昔のエピソードをあさって実感したらしい。

初めてのしかも気難しい子育てに奮闘する両親を途方に暮れさせた姉ちゃんが、僕が生まれたことによって「お姉ちゃん」という最強のアイデンティティを手に入れたこと。母から叱られても、僕だけは絶対に自分の味方だって、強くたくましく大きく変身できたとのこと。こっちからしたらおもちゃで奴隷でいい迷惑だったけど、幼少期の写真、爆笑する姉と不安そうな僕の表情が今は、わらけてくる。

例えばモーニング娘。の下敷きを使っていたり、あずきちゃんで乙女心を学んだり、女の人だっておならをするって知ったり、僕自身が姉に影響されまくってるわけなんだけど、なんと僕の存在も姉に一番大きな影響を与えていたらしい。存在の全肯定。果てしない愛。人生で初めてたった1日「新婦の弟」という肩書き。お色直しのエスコートを任命され一緒に歩く姉弟のフシギ。家族のキセキ。

 

育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ。それでも、こちらもそちらも全力で愛を受けこの日を迎え、ここから1つの家族になる。大変なこともあると思うんだ。いや私んちではこうだったって。いやここだけは譲れないって。そりゃ2人は別人で、言ったら何もかもが違うからさ。でもそれもきっとここまでの愛なんだし、これからの愛はこれから一緒に2人で作っていけばいいよねきっと。そうであればいい。ケッコンってすげぇんだから。そうなりますように。アーメン。

思えばただでさえ地震とか噴火とか忘れられない1年だ。ねえねえ泣かせたらただじゃおかねぇからなって、心の中で古波蔵恵達/山田孝之が言っている。これについてはちょっと言ってみたかっただけである。

 

昨晩、新婚さんの女友だちから突然連絡があって、ケンカして旦那が家出て行っちゃったってむかつくってお風呂入ってくるって。はいはいって大丈夫っしょって落ち着いたら仲直りしなっていつも通り適当に、でも気持ち早めに返す。

朝起きたら戻ってきたって2時半くらいにメッセージがあって安心する。なんせ若いんだからたくさん失敗すると思うからさ、そのたびたくさん許しあってほしいな。ケッコンってすげぇんだから。君たちはすげぇんだから。家族ってすげぇんだから。

252

「五感が自殺してる。」

最近よく聞くよく効くご指導。くよくよせずによくよく考えてみる。

 

成果が出て初めて、あ、自分頑張ってたんだなと思う。頑張ってるんですよ、じゃなく、頑張ってるらしいですよと自分ゴトも他人事にしてる。勝ち負けスポーツを9年やっていたプロフィールのわりに、そこらへん日陰でヒンヤリしていることに加えて、所謂「気にしぃ」でもある。

公務員一家初の民間ってのもあるかもしれない。自分が今やってる大中小もところ変わればそりゃ知らないしそんなもんだし、親御さんってのはそもそもちゃんと生きてることだけで安心してる。だからいつも「君の仕事おもしろそうね」って言われると「あ、これはおもしろそうなのか」って発見する。そこからもっとおもしろくなってる。

 

さて、期末。

勝ったり負けたり出る結果。頑張ってなかったんだなとおおいに反省。やるからには勝ちたいという僕もベンチに控えてるんだけど、もっと言うと日々のちっちゃな変化、プチ達成、リトル清原。そういうものに感情の波がそれほど起こらない。

中学野球部の修行が影響しているのかも。

禅道場に通わされ、雑念も、思考も、水泳の授業後の女子ってなんであんなどきどきしちゃうんだろも断つ。無になるムムム。長距離が得意だったのは、ものすごい無表情で走るのが好きで、自分の呼吸だけ数えてたら20km近い全校マラソンもサッカー部のよっちゃんに続いて学年2位だったりした。

高校時代のハイソサイエティが影響しているのかも。

先生のあだ名って普通「ハゲ」とか「短パン野郎」とか見た目発進が多いと思うんだけど、「結果論の西浦先生」と名づけるあたり傍観俯瞰客観。あいつは指導法が結果論だからってあだ名つけるコミュニティに、書いてて思ったけど、僕もあの頃の僕らから「結果論の僕」って名づけられるだろう。ここで一句。メタ認知 してる自分を メタ認知

 

そうした自分の恥ずかしながら美徳生き様行動指針に対して、冒頭の「五感が自殺してる」。

人の目気にせず感情を出す出さないだけの話ではないけれど、日々の変化へのアンテナが弱い。立ってない。アンテナED更年期。こりかたまってる。いやどっち?

負けに慣れ、このままがんばってりゃいつかうまくいくだろうってやつはずっと負け続けるって、キングカズもコラムで言っている。

 

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。」

って、アインシュタインのお言葉がこれこれ~と刺さりまくる社会人3年目。「昔から知っていたけどこの瞬間のこれこれ~だったのか名言集」はまたの機会にまとめるとして、

正解だと信じていたものをぶち壊され、アンパンマン、新しい価値観よ!って投げつけられる日々が続く。アレルギーとか摩擦とかそりゃそうだろ、公務員しか知らないやつが民間に潜り込ませてもらってるわけで。そういう意味ではやっぱり時間が大事で続けなくちゃなって思うんですって、昨晩行った近所の洋食屋のマスター石原さんに話してみたら「それは本当にそう。続けてたらいいことある。絶対誰かが見てくれてるから辞めちゃいけない。私も会社員を30で辞めてこの店立てたんだけど」って、いや辞めてんのかーいって、憎々しいくらい肉々しいハンバーグドリアに喰らいつく。

 

早くも10月。

今年もまた、ずるいよ金木犀の香りをまとって、もうすぐ自分の生まれた季節がやってくる。クールジャパン的にクール俺だと思ってた考え方がなんとまぁ「五感の自殺」だったらしく、いっちょ人格を組み立てなおそと、ちょっと楽しんでる期待してるワクワク膨らませてる。君の声を聞かせて、と星野源が歌うように、君の価値観を聞かせて。

センスやひらめきとかじゃなく、持って生まれて育てた五感をみすみす自殺させないように。