心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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「すべてのシーンは、未来につづいてる。」

 

ドラえもん のび太太陽王伝説』のコロコロコミック限定版ポスターは、歴代のドラ映画のモザイク絵になっていて、こんな一言が書かれている。実家の自分の部屋、机の横に貼り付けたお気に入りのポスターのワンフレーズに今、共感する。

余談だけど、僕は一貫してコロコロボーイだった。コロコロコミックの戦略のブレなさってすごくってズバリ「異性に興味が出てきたやつは去れ」である。お色気とかキュンキュンではなく徹底して小学生男子がバカ笑いできて胸が熱くなるそんなコンテンツ。小学校6年間読み続けた。宇宙人田中太郎の最終回は少しいい話風だったし、なんで桑田とピッピはあんな最低なキャラなのか分からなかったし、ドラベースは毎月の連載を律儀に切り取ってぼろっぼろのマイ単行本を作ったりしてた。おかげでやりもしないのにデュエル・マスターズキラカードは30枚近く溜まって、今じゃホコリがたまって、価格相場を見ながらにやけるメルカリ。負けるなコロコロ!勝てないよでんぢゃらすじーさん

 

冒頭のドラのポスター。実はこれ、僕の記念すべきインスタの1枚目。どうしてなかなかイイデビューじゃないか。いいね0でもいいねいいよね?

個人的にどうしても映えだけは使いたくなくって「寄り」とか「側」とか「っぽい」とかどうかなって思ってる。お前インスタ寄りだなー!まぁ俺インスタ側だしな。ちょっと待って今のインスタっぽくない!?「っぽい」は思ったより普通、っぽい。

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最近思う。ドラのコピーはこうとも言える。

 

すべての「あの頃」は、未来につづいてる。

 

この時期思い出すのはやっぱり受験、2010年の3月4月。

芸人になるなら早稲田ぐらい出なさいってぶっ飛んだ先生に言われて早稲田ぐらい出るかなって意識して、受験期1週間の東京滞在。 歴史の時間はこれでもかってぐらい寝てたから、なに1つ覚えてない日本史せぐっちゃんごめんなさい。こんだけ文系人間なのに文系学部は実は早々に諦めた。

日本史の時間に学ぶ人体の不思議、腕組むと寝ちゃうんよねってアホなお悩み相談する僕に、大津の神童シノくんが「あれつたい、騙されたと思って腕ぶら下げてみ、まじ目さめるけん!?」ってこれまたアホなアドバイス。おかげでペンも持たずメモすら取れなかった。騙された。

実は数学受験をしたのだが、家庭教師ヨシダ先生は僕の人生の恩師の1人。ダーワセの人間科と社会科と商学を受けた。初日の人間科が終わった後、僕は案の定ペイチャンネルの誘惑に負けてしまって、その後の試験はまぁひどかった。知らんがなだと思うけど一応国立も受けるかって埼玉大も受けた。なんでかって教養学部ってのがあって、その頃のなりたい大人が教養がある人、強要しない人だったからという、この辺りからサーフェス人間の本領発揮。

 

なんせ東京を1週間堪能する。馬場のサンルートから聖蹟桜ヶ丘のいとこ、ケン君ち。その後前橋のおばちゃんち、最後池袋のザビーホテルを転々とてんてんてん。ケン君との思い出はこっちにまとめてたりする。

showkakeru.hatenablog.com

時はバンクーバー五輪真っ只中。「真央ちゃんが頑張ってるから私もがんばる!」って当時お付き合いしてた女の子の健気さと、18歳の自分の胸のざわつきと不安を今でもたまに思い出してチクリとする。

 

それでも春はいきなりやってくる。気づいた時が春なのです。

受かったのは人間科。ペイチャンネルに手を出す前の受験で、上京のはずが所沢。それでいてさらに補欠合格ときたもんだから8年前のこの時期はバッタバタバッタトンボカミキリムシ、3月15日に補欠合格の知らせが来て22日に家探しに来て29日に一人暮らし始めるみたいな感じ。そりゃ親のありがたみも後から気づくってもんだ。

 

小手指の北口、スリーエフの方って言っても駅から徒歩13分のスリーエフなんざ誰も使わない。畑に囲まれて学生生活が始まった。

現役?浪人?じゃなく「君何浪?」って聞かれた時は素直に凹んだり。初めて一人で食う駅前のなか卯は頼んでないのにつゆだくだったり。スポーツ科と共にするキャンパスには180を超えた女性アスリートが両脇にバスケボールを抱えていたり。

待望のお笑いやりたいなって探しても、トコロザワにはお笑いサークルはない。仕方なく本キャンで彷徨うサークル探し。当時、早稲田にはお笑いサークルが3つあった。

50年近く続く老舗お笑いサークルがあって、そこから独立したインカレワイワイマンモスお笑いサークルがあって、さらにそこから独立した少人数のお笑いサークルがあった。ここだけの話、マンモスお笑いサークルの幹事長は今ひょっこりはんとして大活躍されている。当時は普通に漫才してて、普通にすごく面白かった。

一方老舗お笑いサークルの方は花見に行ってみたらトドみたいな女の先輩がいてずーっとパンツが見えてて「見る?」って言われて一気に帰りたくなった。しゃくれてた幹事長が優しかった。

 

お笑いやりたがってた割に最初に入部したのはバレーボールサークル。なんでかってシンプルで、本キャンのサークル入ると所沢キャンパスに友達ができないどころか、ゼミが始まる3年まで本当に居場所がないからだ。トトロのモデルになったとされる狭山の山の中、閉鎖社会の辛いところである。

4月1日、入学式に向かう道で声かけた大学最初の友人が聞けば山梨2位のセッターで、あれよあれよとバレーボールサークルの門を叩いてた。こう言う時は乗っかるに限る。不思議なご縁、家庭教師ヨシダ先生の弟もなんとそのバレーサークルにいて、一緒に持ってきたグローブ達が多少寂しい顔をしても、所沢に居場所をくれたバレーサークルの皆さんに感謝感謝。あと大学最初の友人にも。つい今週娘さんが産まれたというから、こういう時は乗っかるに限る。僕も娘にはリンカちゃんと名付けようと思う。

 

トコロザワに居場所ができた僕は真剣に2つのお笑いサークルで揺れ動いてて、決め手になったのはなんてこたない飲み会のクソみたいな話だったりする。それは老舗お笑いサークルの飲み会で、楽しすぎてトド女先輩のパンツのトラウマはすぐに忘れた。

「ホシカワって変な名前だな」

「(失礼だなぁ)はい、珍しいですよね」

「こいつも名前ムゲンって言うんだぜ」

「(うわ変だな)まじすか」

「いやお前も変なイトウだろ」

「そうなんだよ俺イトウってんだけどさ、イトウのイの字は依なんだよね」

「(うわ変だな)まじすか」

「で、こいつニレイ」

「ニレの木って知ってる!?」

「(知るワケねぇだろ)いえ知りません」

みたいなテーブルに変な名前が4人集まっててその1つ1つにげらげら笑っちゃった。

「おーおつかれ」

「あ、お疲れ様です!」って入ってきた先輩がキムラさんっていうめっちゃ普通の名前で、童貞で、この人がとんでもなく面白い人で僕はヨセケンに入部を決めたんだった。

木村さんはエピソードがすさまじくて、童貞のまま大手広告代理店入ったけど辞めて落語家になって、ネーミングライツヤフオクに出したら地下アイドルに買われて、一時期名前が立川仮面女子っていうアイドル名になってた立川談志のひ孫弟子のお方なのだ。

落語家「立川仮面女子」が街頭ビジョンで改名発表

 

あと又聞きで恐縮なんだけど、木村さん、親に冗談で「あんた早く彼女作りなさいよ!笑」って言われて「ごめん、俺色盲だから運命の赤い糸が見えねぇんだ」って言って、ウケると思ったらそのまま親が「ごめんね、、、、!」って泣き崩れた話とか、超好き。何度聞いても笑っちゃう。

とにもかくにも面白い人たちがいっぱいいた。「野球なんて木の棒振り回して炎天下の中走ってあんなのはバカがやるスポーツ」みたいな説を大声で唱える先輩、ムゲンさんがいて、これまで野球しかしてこなかった僕からしたらむかつくんだけど目からうろこ。そんなカルチャーショックが毎日起きて飽きなかった。僕含めクズしかいなかった。

新歓で「見てみ、全員ちょっとずつ変な顔してるでしょ」なんて1年生に紹介するサークルはきっとそうそう他にない。サークルで一番まともなやつが社会に出たらだいたいちょっとポンコツ、ってのは今の僕がまんまそうで、ミスしてお叱りをいただきながらたまに脳みそが少し笑ってる。

 

そうそう。

2月のこのブログはたかだか500PVとかで、そんなちっぽけなブログを続けている理由もお笑いサークルにある。代はかぶっていないんだけど、とある先輩がずっと綴っていらっしゃったブログを学生時代からひっそり読んでいた。就活の失敗とか社会人の鬱屈とか、それでも消えないお笑いへのストイックな情熱とかめちゃくちゃかっこよかった。お笑い、野球、音楽など少なからず影響を受けたと思う。一回だけブログにコメントをしたことがあって、その返事で「俺は4年目くらいから状況が徐々に良くなったので、まだ時間もあるし若いから、自分の武器を磨いてください!」って仰っていただいて、今まさに4年目。相変わらず弱点ばっか目に付くけど、なんか書いてたいっていうのはもう、ちょっとした武器だと思って、くだらなくてもサーフェスでも書こうと思う。舟橋さんっていう先輩のおはなし。

www.creativevillage.ne.jp

 

すべての「あの頃」は、未来につづいてる。

 

「あー、レ点ね!」なんて国語の時間のエピソードトークをみんなで語り合って共感を得られたら単位をもらえるという一風変わった講義その名も「国語という授業を考える」。この講義をたまたま一緒に取っていたすらっとした見た目も言葉遣いも麗しい女の子は、地下アイドルからグループに所属して脱退して、この時代に珍しくソロアイドルになって、そこからとんでもない努力を重ね、しかもそれを全く見せない表情で今も前線でアイドルを続けていて、寺嶋ゆっふぃーも早稲田の尊敬する人の一人である。

www.youtube.com


すべての「あの頃」は、未来につづいてる。

お世話になった先輩が結婚したり、親友の子どもが生まれたり、知ってる人がまたいい仕事をしていたり。

この時期の不安をいつもふっとばしてくれる「あのころ」がある。

地続きの未来が、少し嬉しい。