心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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あまり共感してもらえないと思うけど、大事な人と初めて肌を重ねた日に見る夢に家族が出てくることがある。親父が出てきたり、今はもういない群馬のばあさんが出てきたり、175Rばりに何も言わずに遠くから見守ってくれる夢を、「この人を大事にしなさいよ」というメッセージなんだと勝手に受け取っている。朝、たいてい僕のほうが先に目が覚めて、このなんとも言えない幸せが愛しさってやつかよ!ってすやすや寝顔にしばし見惚れて、大事にしたいなぁって夢を思い出し、起こさないようそっと再び眠りに就く。おはよう。おやすみ。

 

群馬のばあさんはそれはそれは忍耐強い人だった。シベリア抑留も経験したじいさんに実は前妻がいたみたいな話をわりと後年に聞いて今かよって驚くことがあったんだけど、それもあってか気が強い。子を4人育て、じいさんがなくなってからは15年ぐらい、叔父の嫁にいびられたりしながらも言い返したりして、農業に編み物に力強く一人で過ごしていた。今の僕んちにもあるクッションとかセーターとかを気づいたら家族4人分作ってたりする、止めないとどこまでも働き続ける人だった。

そんな群馬のばあさんが90手前で亡くなる前、親父は毎週のように土日に駆けつけていた。熊本の家から羽田まで2時間半、羽田から群馬の山奥まで3時間半。片道6時間かけて親父はばあさんの見舞いに行っていた。時間もお金もかかる。こう言ってはなんだが治る見込みはなく、ぼけも始まり、いつその時がくるか分からないおばあさんに会いに片道6時間を毎週。話せもしないから会って何するでもなく一緒にいるために毎週。「お前も見舞いに行くか?」「おれだめだ土曜仕事だ。」「そっか。わかった。」何回かこんな会話をした。実家の群馬を二十歳そこそこで離れ単身九州に乗り込んで、九州人の母さんに出会って熊本で家庭を持って、亡くなる祖母を看取るまでの数週間、親父どんな思いだったんかなと想像する。群馬に向かう前に僕んちの近く池袋の西武百貨店に寄ってメイバランスを買ってくのがいつからか習慣になった。メイバランスってのは明治が作ってる栄養豊富な乳飲料。これなら飲んでくれるからって入院してるばあさんへの差し入れお見舞い感謝とお詫び。そんな感情があったと息子は察する。「買い物ぐらいは付き合え」って僕も百貨店のお供をよくしたんだけど、アンバランスな量のメイバランスだ!って思うほどできるだけ味をたくさん買い揃えて、少し満足して電車に乗っていく親父を見ていた。

あの時の、我慢強いばあさんの血を引く辛抱強い親父の姿を知ってるから、いつだったか外回りの東京メトロで「どんな人にも、食べられない時はある。」ってメイバランスの中吊り広告を見たとき、泣きそうになった。そうなんだよ、そうなんだよ。だからメイバランスがある。存在している。必要とされている。メイバランスを作った明治の方に御礼を言いたいし、このコピーを書いたコピーライターに御礼を言いたい。世の中の色んな人が日々をその自分の持ち場持ち場で働くことで、より良い世の中を作っている。「世界は誰かの仕事でできている。」とは缶コーヒーGEORGIAのコピーである。

 

さて現実。龍が如く例の如く仕事はそんなにうまく行ってない。経済が止まってしまうと仕事にならない部分もある。真っ先に止められてしまうのがコーコク予算だ。年齢と実力にもはやなんの関係もないアフターコロナの成果主義。エクスキューズミー、君いま何レベ?ポケモン初代のチャンピオンレベル高すぎません?

しかしながら入社して7年目、思えばこれまで好調な時の方が少なかったんじゃね?と聞いてくる自分は冷静で優しい。逆に質問ですけど大変でない時なんてありました?ひーひー言ってる自分に、なに大変ぶっとるのだね。まったくよく言うよってこれまでの自分が聞いて呆れる。「近道なんか、なかったぜ。」これはサントリーオールドっていうウイスキーのコピー。「思えば遠くへ来たもんだ。」これは武田鉄矢が作詞した海援隊の曲名。いつだって過去は簡単に見えて、今は大変に見えて、未来なんかろくに見えた試しがないからこうして振り返る。

 

仕事ってのはやはり人生の大半を占めていて考え方も自然と染まっていく。僕が見ているコーコク界もまた全体の一部だと思うから偏りはあるだろうけど、社会人1年目からコピーライターの方々と仕事をする中でその思考は根深く刺さって軸になっている。例えば、コピーライターはある種の傭兵。雇われであること。全く知らない事柄にも、対象に向き合って取材をして良いところ探しをして言葉で課題を解決すること。意見の主義主張ではなく発信者は別で存在すること。その人が言いたかったそうだよそれそれ!を形にすること。

先日、めでたく30を迎えた先輩から記念にお祝いの文章を書いてと言われ、元々言いたい大きな主張はない人間、お題があると頑張れる。思い出や周辺のエピソード、名前の由来みたいなことも調べ始め、気づけば3000字以上書いて送りつけた。喜んでくれてたらいいな。こういうのって対象を多少好きでないと書けないし、良いところ探しをする中で好きになっていく部分もあって、書いていくうちに大事な人だなぁと思ったりした。

コーコク的視点その2「何を言うか」と「どう言うか」。「この文章、何も言ってないのと同じですよ」ってよく社内で言われるダメ出しなんだけど、What to SayとHow to Sayを意識すると案外分かる。先月号の校了前、先方の社長さんが入れてきた赤字を「こうこうこういう理由でそれはおかしいです。こうしませんか?」って言えたことは誰にも気づかれないけど自分にとっての大きな一歩。はい!承知しました承りかしこまりいたします!ってのは営業の仕事でもなんでもない。そもそも仕事でカシコまるなよ。頻繁に使いがちだけどその「幸いです」はホントかよ。「お返事いただけますと幸いです」の幸せのハードルの低さ。好きな人の寝顔を眺めて何気ない日常を幸せと呼ぶことに比べて、メール1通のささやかな御礼に使っちゃう幸せのそれとこれとは。お金なんかに比べて、時間と言葉はずっと怖いですよ、どう使うかで人が変わるから。

先日読んだ新聞、令和時代の文学がまとめられている中にkemio氏のベストセラーが語られていた。氏のことはよく知らないし、本も読んだことないし、インフルエンサーとしてフワさんと氏がキャストされすぎててどのコーコク主も同じに見えちゃうよくらいに思っているのだけど、彼の鮮やかな文体の向こうに「生きる切なさや諦念」が垣間見えると言う。引用する。

「『ずっと』はない。だったら今を楽しむべきなのかな。将来も心配だけど、将来の心配ばかりしていたら、今の心配は誰がするの?って思う」

「悲しいって思っても、どうせ違う悲しいが来るから、この悲しいに使っている時間はないと思う。次の悩み事が流れてくるので、そっちに対処しなきゃいけない。人生ってその繰り返し。」

なるほど。日本人の心の奥にある無常観とも遠く響き合っている、と評されている。時代の空気感というものがたしかにあると思ってて91年生まれの僕で言うと、バブル崩壊後に生まれて10歳になる年に飛行機がビルに突っ込み20歳になる年に東日本大震災を経験して今は新型コロナウイルスである。野心と諦念。なに言ってるか分かんないだろうけど、ポジティブにネガティブをやっている。この辺を分かってくれるととても居心地が良くてえらく懐きます。

けどだからってずっとマリオの1面を解いてたいわけじゃない。「絶望するってダサい」って気持ちいいくらい言い放ってくれた『WE ARE LITTLE ZOMBIES』は超いい映画だから見てください。一度死んだ側から生きることを見て作った平井堅の曲『ノンフィクション』は超いい曲だから聞いてください。自分も含めて何かになりたい人ばかりのSNSを見るに、諦めるって悪いことじゃないよって思う。仏教用語に由来する「諦める」とは「明らかに見極める」ことらしい。現実を受け入れてから夢を見る。

宇野なずきさんという方の短歌を2つ紹介したい。

「誰ひとりきみの代わりはいないけど上位互換が出回っている」に心を抉られた後、

「いつまでもそこで苦しまなくていいきみの代わりはいくらでもいる」に救われる。

昨年採用担当をやっていて「『まるまるさんにお願いしたい』『まるまるさんでよかった』と言われるまるまるさんになりたいです!」という学生さんの将来像が結構多いことに驚いた。あくまで僕の話だけど丸6年、僕がまるまるさんだからできた仕事ってあろうか、いやない。自分への期待値を間違うと、苦しむのは自分だよ。枠をぶち壊してく爆笑問題太田さんに憧れたものの、中小企業の小さな仕組み一つ壊せずもがいている自分に気づいた時、「人ってないものに憧れる」というボスの指導が初めてストンと腑に落ちた。明らかに見極める。決して悪いことではない。

上位互換が出回っている。だからなんだ。一度諦める。諦めてから目指す。何かに憧れる暇はない。なりたい自分を定義して目指すだけ。寝て起きて寝て起きた時間を味方にできたらいい。アイデアは距離に比例する。あちこち行く人の方が幸福度が高いというデータがある。自分より何かが得意な人がいるなんて保育園から知ってたぜ。だから役割とか存在意義をたまにでも考える。数年前、公私にお世話になっていた高校大学の先輩から急にLINEで「会社帰りにふらふらお散歩してた時、心頭滅却ブログに影響されすぎて、景色見ながら頭の中でほっしー調でずっと喋ってた。」って言われたときの嬉しさをいまだに覚えている。この先輩やっぱ変人だなって覚えている。七五調、体言止めと、あと駄洒落。小学校高学年の知識とこれまた小学校6年間習ってたピアノのおかげ、音感とリズム感が少しある。総力戦で差別化だ。

 

時代と環境、節々で自分が出来上がった要因がある。そこにはやっぱり家族があって、達観して我慢強い父方ホシカワと、口八丁で面白い母方カイのそれぞれの血でできているんだなと自粛でしばらく会えない実家を思う。オンライン帰省という名のテレビ電話もしたけど93になる熊本のじいさんも2歳になる姪っ子どちらも目が全く合わないのわらう。そんでもってようこそ新メンバー、4月に生まれた姉貴の2人目、僕の2人目の姪っ子の額の狭さと鼻筋が親父に似ていてあら不思議。姉から生まれてきたのに親父に似てるってどういう物理か生物かおもしろ。いや、それあんたサークルオブライフですがな人生は続く。あえて日本語をへたくそに使うけど、自分の娘から生まれてきた自分に似ている小さな孫を誇らしそうに抱いている親父の写真を母が送り付けてきて息子である僕は目頭が熱くなる。僕が子どもの頃、親父はよく「お父さんはもうお前たちを生んだからいつ死んでもいいんだ」なんて話してて、達観しすぎて希死念慮でもあるのかなと不安に思っていたけれど、次の世代に自分の種を残すことができるってのは生き物としてけっこうな喜びなんだと思う。やれ愛だの恋だの言うとりますけども、なんとなくの節目350記事目にそんなことを考えました。

おはよう。おやすみ。