心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

353

【ご説明】前回身内で好評だった企画、僕プラス友人4人のエッセイ当てクイズ。

showkakeru.hatenablog.com

今回は新メンバーとして僕らの高校の美女3人が参戦ありがたや。キャプテンには引き続き付き合ってもらって、また書くよ1人1000字の駄文散文。コロナコロナはもういいの。当たり前が当たり前じゃないって知った後で、当たり前じゃないのが当たり前になっていくのを目の当たりにする、これぞニューノーマルねって立ち向かうアラサー男女5人の胸の内、頭の中、心のお椀。前回以上に知らんがなだと思うので簡単に紹介します。

・あやのちん、メディア勤務。業界が近かったりするから仕事のお話もたまに。丁寧な暮らし。絶世の美女。高校の時話したことあったかな?って仲良くなれて嬉しい人の1人。僕を呼ぶ時は「ほしかわ君」。いいね、懐かしくなるね。


・磯やん、メーカー人事。中高同じで気付かなかったけど本当に綺麗になられた。メキシコからコロナで帰ってきてたくましくなった一方、将来の不安をたまにもらしてるけどきっと大丈夫ラキラキベイブ。僕を呼ぶ時は「ほしかわさん」。親しき仲にも礼儀ありってわけ、なんとなくリスペクトを感じるのいいよね、逆にね、逆に。


・みむさん、みんなの妹。無邪気、天真爛漫、面白さと可愛らしさと、あとたまに毒がある。解毒剤はない。僕を呼ぶ時は「貴様」。なんだろう、僕なんかしたかな?コロナ全盛期、元気?って連絡したら「言っちゃっていい?今死んだ人言っちゃっていい!?」って鬼滅の刃の展開言おうとしてきた。なんでだよだめだよ。


・奥ちゃん、霞ヶ関。前回に続いて参戦したがなかなか遅筆。新政権だから仕方ない。ゆっくり待つ。僕を呼ぶ時は「干しちんぽこ」。はい?干し椎茸みたいじゃない?って言ってくるけど、視力か聴力か学力かどれかが狂ってる。僕は彼を「奥ちんぽこ」と呼ぶのだがお互いめんどくさくなって、ちんぽこ今週ヒマ?ヒマだよ、そっちのちんぽこは?って奇妙な会話をしている。

 

・僕、出版社員。文章は僕、話す時は俺、仕事はわたし、照れたらわし。ちなみに2020年3月31日時点で歌詞が公開されているaikoの楽曲236曲のうち、自分のことを“あたし”と呼んでいる曲:88.5% 自分のことを“あたし”と呼んでいない曲:11.5%だそうです。で、面白いのが「あたし」の次に多いのが「わたし」ではなく「僕」なんだって。僕も、僕らも、私たちも今、表記揺れを生きてます。

aikoの歌詞「あたし率」はどれくらい? “指先”など登場回数の多い体の部位も調査 - エキサイトニュース

 

A、B、C、D、Eさぁ当ててみよ。(配点 菅新首相から新婚さんへ上限60万の補助金)

 

------------------------

A

10代の頃に見ていた恋愛バラエティで「合コン」という言葉を聞いて、私も大人になったらするのかな?イメージができないなぁと思っていたけど、たまにしている。梅酒が美味しいなと思っていた時期はあっという間に通り過ぎて、飲んだことない日本酒に出会うとわーいと楽しくなっている。大人になりました。銘柄は覚えていません。

認めたくないけれど25歳も26歳も27歳も28歳も年下なのである。19歳なんて住んでいる世界が違う。どんな音楽聞くのかな。19歳の時の自分はあまり思い出せない。思い出せないけど、楽しかった気がする。

大人になって変わったことはいくつかあるけれど、「かわいい」という言葉がそんなに好きではなくなってきた。よく知らない、あまり親しくない人に「かわいいね」って言われると、なんだかちょっとなめられている気持ちになる。嬉しかったはずの言葉が不愉快になるなんて驚く。だからこそ逆に、ずっと友達でいてくれる人からの言葉はとても信用できる。やたら画質の良いスマホはつまらない。

これから先出会う人と毎回、どうも、あなたともしかしたら何かあるかもねってメイクしたりするのはとことんめんどくさい。でも自分が思うきれいな自分でいたいなとは思う。上手にできた日は出かけたくなる。それこそ飲みに行きたい。ハイボールも飲めるようになった。しばらく新しい下着は買っていない。リップもプレゼントでもらったきり。なかなか減らない。脱毛はしててえらい。人生で一番高い買い物が脱毛になるなんて、恋愛バラエティは教えてくれなかったけど。

たまに、前に付き合ってた人の今の好きな人の話を聞くと、胸が狭くなる。この気持ちと付き合い続けなくちゃならないのねってあきらめる。嫌ならフォローを外せばいいだけのこと、会わないように考えないようにする。答えはいつも薄情。白状なさい。

何にでも笑を付ける人が苦手。「おはよう笑」ってやめて。「料理とかするの?w」ってなにがおかしいんだろう。身長とか見た目とかより、ちゃんとしてる人がいい。一歩間違えれば高望みしすぎだよって言われるから、好きなタイプはふつうの人って答えてる。きっと、ふつうは、ふつうの少し上。

気に入られようとするのを少しずつやめてみる。自分のために化粧をする。奨学金を返す。髪の毛先も指先も、なんだかいつも痛んでる気がする。可愛いと言われたいから笑うのではない。笑顔は自分のファイティングポーズ。自分のために笑う。自分のために笑う。(ミスドのメロディで)良いことあるぞ〜自らそう誓うっ。

------------------------

B

土鍋でご飯を炊くようになった。理由はしょうもないもので、一人暮らしを始めるときに親に買って貰った炊飯器がダメになってしまったから。家電量販店で買い替えようとするも、どのレベルのものを買うか悩むうちに、踏ん切りがつかなくなった。一人暮らしももう10年以上経ったのだなと思う。とりあえず土鍋で代用していたうちに、すっかり定着していたのだ。

 

この話をすると、「やっぱり、土鍋で炊くと違う?」とよく聞かれる。普段気にしたことは無かったので、この機会に考えてみたい。

 

炊き方はシンプルにやっている。洗ったお米を水に30分ほど浸したのち、土鍋に入れる。蓋をして、強火で約8分。鍋と蓋の隙間や蒸気穴から湯気が立ってきて吹きこぼれそうになるので、ここで弱火に変える。弱火にしても土鍋の温度は急には下がらないので、吹きこぼれ防止として蓋を開ける。するとふわっと蒸気で顔が包まれ、いい~香りに満たされる。心がほころぶ。蓋を戻して弱火で約10分、火を止めて約10分置いたら完成だ。

 

いざ食べようと杓文字でよそう時、鍋底の方にぱりっとお米がくっついているのが分かる。土鍋で炊くとよくおこげが出来る。1合炊きの場合で、3~4口分くらい。これは得した気分になる。肝心のお米の味は、炊飯器のときと明らかな違いは分からないけれど、お米の風合いがつやつやしている気はする。

 

山菜、あさり、梅しらす、鯛…、炊き込みご飯を作ることに身構えないようにもなった。具材と調味料を入れるだけで失敗無く仕上がってくれる。炊飯器でもできるけれど、汚したくないとかニオイを付けたくないと考えるせいか、以前は尻込みしていた。

 

そういえば、「子供の頃、家族が多くてしかもよく食べるのが揃ってたから、親が大きな釜で炊いていた」と話してくれたのは会社の次長。100キロ近い強面の男性の小さいころを想像して、不躾ながら可笑しくなった。「実家が農家でお米を作っているけど、土鍋を使ったことなんて一度も無い」と一蹴する人もいた。どう炊こうが美味しそうだ。面倒だから、家ではほとんど食べない人も。一気に炊いて冷凍する人も。人のお米事情も十人十色。

 

近々、参鶏湯を作りたいと思っている。鶏もも肉をどんと鍋で茹で、生姜・ニンニク・八角・ナツメ…など、スパイスを入れて煮込むようだ。お米もほんの少し入れてスープをたっぷり吸わせて。うーん美味しそう! 今は土鍋のある生活を楽しんでいる。

------------------------

C

『誰にでも不幸でいる権利がある。』

大学生のころに見たフランスのおしゃれ映画「アメリ」の中のセリフを最近になってふと思い出すことがある。

見た当時は、内容がさっぱりわからなかったし何となくおしゃれな女の子とパリの素敵な街並みだけが印象的な映画とだけの記憶だったけど、なんとなくこのフレーズを最近になって思い出したときちょっぴり救われたような気持になった。

近頃はなんだか漠然と周囲から「幸せでなくちゃいけない」とか「美しくなければいけない」といった圧力を勝手に感じてしまうことが多い。

 

『ブスはブスなりにもって生まれた自分の顔を結構気に入ってたりするのよ、でも周りがそうさせてくれないんじゃない。』-堺雅人主演リーガルハイ第3話-

整形美女と結婚した旦那の裁判のお話で整形美女妻が語るセリフ。

これも最近になってよく思い出すフレーズ。雑誌やテレビやyoutubeは似たようなメイクや髪形、ファッションで溢れていて、イエベの人はこのメイク!とかウェーブ体型の人はこれを着たらNG!だとか、流行りはめくるめく勢いで変わっていくしなんだか息苦しさを覚えちゃう。

 

『大切なのは彼女が年を忘れること。』-ハウルの動く城 宮崎駿インタビュー

ちょっと肌寒くなり秋を感じる季節になると観たくなる映画の一つが私にとっては「ハウルの動く城」。子供のころ初めて見たときは突然老いたり若返ったりするソフィーの描写についていけず、「駿、狂ったか。」と思っていたけど、後に彼女の心の年齢を表していると知ってからは「やっぱり駿、狂ってるな(いい意味で)」という評価に転じ、キムタクの美声も相まって好きなジブリ映画の一つになった。

もし今自分の心の年齢の見た目になったら、私は何歳くらいなんだろう。

思えば、小さいころからずっと少女のようにあほで何も考えていない幼稚な自分と、おばあさんのように枯れて一歩引いたところから冷ややかに世間を見ている2つの自分がいると感じていた。年を重ねるにつれて少女と老婆のバランスは多少変わっていったり、その時々の状況に合わせて調整のようなことをするようになっていったけど、うすうす気づいていたことがある。『年頃の自分』がどうもいないのだ。10代後半~20代、まさに今の等身大の自分くらいのわたし。たぶんそれがこれまでに感じてきた生きづらさとかの大きな要因の一つなのかなと思う。いつの時も実年齢と心の年齢があまり一致してこなかった。

そのせいなのか、学園青春物のドラマや映画をどうも心から楽しめない。

決して若者の青春へのやっかみではないと信じてもらいたい。

 

なんだか、ここまで読んだ方には「アラサー独身OLが病んでいるみたいだけど大丈夫だろうか。」と不安になると思うが、私はいたって元気いっぱいであるし、特に悩みもない。(強いて言えば寝つきが悪い事と、実家にお化けがいるかもしれないことを悩んでいる。)

 

ありのままの自分を受け入れ、不幸も楽しんじゃえるような、少女のような好奇心を持ち続けている女性になりたいと心から思う。

------------------------

D

昔から自分を晒すのは苦手だった。

色んな体験と考えを綴る彼には敬意と羨望と。

徒然なるままに日ぐらし、硯に向かっても、走るのが苦手な私の筆が勝手に走る訳もなく。

本当は硯に向かうこともなくひねもすのたりのたりかな。

やおいかんなんて使ったこともないふるさと言葉片手に初恋の話でもしてみようかな。

 

I have a dream~とキング牧師が語ったのはもう50年以上前。

皆さんなら~には何が入りますか?夢を叶えた大人が夢を持つことの大切さを教えることは多いけれど、身近な人の夢は知らなかったりする。

彼の演説の本質では全くないけれど、夢中について考える今日この頃。

行ったり来たり道は広がっても自身の幹の細さに絶望する夜がある。

そんなときのために大器晩成って言葉はあるのよ。自分に言い聞かす。元気になる。

脈略のない話を続ける。

子どもの頃ってどうしてあんなに毎日が楽しかったのだろう。登下校すら冒険だった。実家に帰って二日酔いの私のところに甥っ子がやってくる。お昼寝に誘ってもすーすーすーはいお終いと言われる。最強。結果お昼寝ビームを10発も放てば2時間経っている。すっかり昨晩のお酒も抜ける。眠さは増す。

 

好きなタイプを聞かれることが増えた。

品のある人だなんて答えをするけど、子どもの目を開くタイミングが同じ人なら素敵かも。ずっと一緒にわくわく。あなたはもう少しオトナになりなさいって言葉にはアラサーの耳をそっと閉じる。

 

悲しいニュースが続く。

きっと悩みに年齢や能力は関係ないのだろう。雲の上の金メダリストにもノーベル賞受賞者にも悩みがあって甥っ子にも悩みがある。私も人並みに苦しいことはあるけどヒーローショーで大きな音がする度泣いちゃう甥っ子ほどの悩みは今のところない。

 

鏡を覗く。コンタクトを外してすっぴんの顔は見えないけれど、そのままえいやと走りだす元気くらいある。

季節を感じる機会が少なかった今年。気づけば秋。今年はどんな秋になるだろう。私にもあなたにも実りの秋になりますように、栗ご飯を食べながら願いを込めて結局初恋の話はしない雑文にひとまず幕を下ろすことにする。

------------------------

 E

最近私の中でひそかにブームになっているものがある。
おっとっとである。
皆さんも慣れ親しんだスナック菓子だと思うが、最後に食べたのはいつか覚えている人はいるだろうか?
きっとこの美味しさをすっかり忘れてしまっているのではないだろうか。

 

おっとっとの最大の魅力、それは食べきりにちょうど良いサイズ感そしてノンフライであることだ。私も今や立派なアラサー、口にするもののカロリーは気になるお年頃である。サイズ感と「カルシウムたっぷりノンフライ」のあおりは私の間食に対する罪悪感を和らげてくれるのである。ちなみにおっとっとは1982年に発売を開始し、約40年の歴史を持つロングセラー商品である。それだけの期間、子供たちのために販売が続いているということは体に悪いものであろうはずがない。私はこれからも安心しておっとっとを買い続ける。

 

そしてなんと今はポケモンとおっとっとがコラボしている。おっとっとのバーコードを3枚集めると抽選でポケモンのぬいぐるみが当たるのである。私はすでに4口分ほど応募できるだけのバーコードを集めている(応募はがきの年齢欄に年齢を記入するとき少し辛い)。
また、スナックの形も海の生き物だけではなくポケモン型も入っている。最新のものばかりでなく、ピカチュウやらゲンガーやらカビゴンもいるのだ。第一次ポケモン世代というべき我々アラサーの心をも掴む演出である。

 

そんなおっとっとの憎いところは、欲しいと思ったときには売っていないことだ。ドラッグストアやコンビニで出会ったことはまず無い。私の最寄りのスーパーでは特売の日に設置される什器にたまに陳列されることがあるので、この日は迷いなくおっとっとを買いだめする。大きなイトーヨーカドーに行くとうすしお味とコンソメ味が両方置いてあるのでどうしてもおっとっとを買いたいときはヨーカドーへ行くことにしている。皆さんにもぜひ、自宅の一番近くでおっとっとを買える場所を探していただき、「よく知っているけれども探すと意外に出会えない」感覚を味わっていただきたい。そしておっとっと沼にはまっていただけることを期待しています。