心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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くその役にも立たないけれどマメである。自分で言うからには多分本当にマメで、自分で言うくらいには本当に何の役にも立っていないけど、自分が楽しいから課してるTwitterマイルールの紹介から始めようと思う。しっ、知らねぇ~と返してください。最初の「しっ、」がポイントです。いきますよ、せーの、しっ、知r

①誕生日前日と当日に数字を記録して言い聞かせている。

気が付けば8年前からやっているらしい。誕生日をお祝いしてくれる人がいるのはいくつになっても嬉しいし、Twitterで繋がっている高校の友達の1人目の娘さんが同じ誕生日で、お風呂好きな子に育ちますぜいい風呂の日のお生まれ。いい○○の日がずっと続くポジティブな11月が好き。おかげさまさま29歳になりました。

 

②健康診断終わりには今の自分の肉塊具合を保存している。

毎年真夏の8月のくそ暑い時期に新大久保の病院で健康を診断する。ちゃんと前日夜9時以降何も食べてない腹を抱えて健康かなどうかなって血を取られた帰り道、いい香りに誘われて韓国料理を食べながらツイートする、甲子園よりピンポイントな風物詩。太ったり痩せたり、増えたり減ったりしながら生きている。とか言って2年で5キロ太った肉塊がここにいる。

 

③どこかに行くときには、「いざ、○○!」

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あちこち行くのが好きすぎる。幸福度は移動した距離に比例するという研究結果もあり、どおりでなと首を縦にシェイクする。時にはアーティストのライブに行ったりNYにまで行ったりしてるのに、肺気胸の手術に一番いいね付いてるのちょっとわらう。ニューヨークではスリでもなんでもないところで財布を無くし、飛行機を乗り過ごして死にかけたのも今ではちょっとわらえる。現地で助けてくれたゼミの友人には頭が上がらず御恩と奉公いざ、鎌倉。

 

④銭湯に行くときは「ちょいと銭湯!」

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個人的な偏見、サウナ行った後に「整った」って言ってる人はなんだか信用ならないって叔父さんの甥が言ってた。それに比べて銭湯はなんて安い娯楽と気分転換。その昔お笑いサークルの交流戦で、同志社大学キゲキ研究会のとんでもない荒くれ者たちを東京観光に連れ出して、1泊2日ボケてつっこんでヘロヘロになりながらも無事に終わった帰り道、1人入った銭湯が涙が出るほど気持ち良くて、それ以来頑張った日と切り替えたい日は銭湯に行ってよいものとする、してる。お笑いライブが終わって打ち上げの飲み会までの間にひとっ風呂浴びたワセダの松の湯は、昨夏70年の歴史に幕を下ろしたけど、夏は夜。銭湯の帰り道、自分からいい匂いを漂わせて歩くのが良い。また、ほんの一つ二つ、誰かが持ち帰ったから欠けてる靴箱の札も良い。雨の降るのもまた良い。

 

これだけ書くと細かいこだわりが多い面倒な奴だと思われたりもするけどむしろ、自分のゴキゲンの作り方を知っているからどこでもやってけるさ。元々は「こだわり」がないことがコンプレックスだったこともあるくらい無頓着に日々を重ねてきたけれど、「こだわり」=「融通が利かない」「必要以上に気にする」「何いっちょ前にこだわってんのよまったく」みたいなマイナスな意味を上司に教えてもらってラクになったりした。ここは世の流れに棹さしていこうじゃないか。文化庁のサイトを調べたら「流れに棹さす」は本来「流れに乗って,勢いをつける」だそうですが、最近の国語の世論調査では「流れにさからう、勢いを止めようとする」という誤った意味で覚えている人の方が多いようです、言葉はナマモノ。

レッドブルが成人の日に合わせて新成人に送ったメッセージ「くたばれ、正論」って広告に僕のタイムラインは賛あり否あり。せっかく積み上げ培ってきた「翼をさずける」があるのだから「くたばれ」なんて強い言葉を使わなくても「翔び越えろ、正論」くらいが良かったんじゃないかって同期と話してた、言葉はナマモノ。

「共感」を作るのがますます難しくなる今、自分はどこに位置を取るのか、どのシーンにいるのかが大事だってレイザーラモンRG星野源の対談集の中で話しててなんとなく指標にしている。ブログもTwitterも自分が楽しいから続けてるのだ。なんなら中2から今も日々つけている日記には、毎日1とか4とか0とか数字が書いてあって、毎年大晦日にその数字を集計して、自分が1年に何回1人でするのかを把握してたりもする。これはマジで1番何の役にも立ってないけど、話すことなくなった合コンで推測クイズを出題するとちょっと盛り上がるフェルミ推定。年齢にはあらがえない自分もまた、ナマモノ。

 

2021年、30になる年が始まった。 

「アラサー」と言われる年齢になってからの体感が結構長い。四捨五入したらアラサーさ~なんてほざいてたのが25とかなので、そこから軽く5年経つ。5年って人生の1/6とか結構な割合なので、今25歳でもうアラサーっすよって言ってる後輩がいたら「そこからだよ」って言ってあげようと思う。コロナの1年でさえとんでもなく変わったでしょうと。

それはある日曜のこと、いつものごとくツイートした「ちょいと銭湯!」の帰り道。SNSを開いて飛び込んでくる子育てに奮闘する同級生の姿を見て、日曜の夜遅くに一人で銭湯に行けることの、行けてしまうことの、この、いかにも他人を抜きにした自分本位な幸せがちょっと怖くなった。人と人の間で生きるから僕らは人間なんだみたいな言葉遊びに照らすと、あまりに人として単体も単体、単体女優だ。日曜の夜にふらっと銭湯に行ける「自由」を得るためのほぼほぼ交換条件の「責任」はなんだろう?果たして果たせてるのかしら?風呂上りのコーヒー牛乳130円を飲みながら考える。入浴料470円と合わせてもたったの600円と小一時間で得られる自分のためだけの「快」に、冷めた気持ちでサンドウィッチマンみたいなトーンでもういいぜと思う時がある。何より5年前の僕と幸せの種類が変わってないことが1番怖いまんじゅう怖い。

極め付きは2021の年越しだ。帰省もできずついに1年じじばばちちはは姪1姪2に会えなかった年末、1人でひっそり家で年を越す寂しさがあまりにイヤすぎて、学生時代から7年ぶり2回目の山手線一周1人ナイトハイクを企てる。せっかくなら2020年を象徴する場所で年を越したいと思い、コロナ真っただ中の3月、ひそやかにオープンした山手線の新駅、高輪ゲートウェイ駅に寄りたいと考える。ちなみにひそやかって漢字で書くと出たな表れたな今年の漢字「密」。

外回り営業マンがオンライン商談マンになった2020年。12月31日は18時半高田馬場から始まって山手線は内回り、新大久保→新宿と足を進める。インスタのストーリーを切り取り線みたいにして各駅の写真を上げていく。トークテーマくださいって質問に「こんな大晦日は嫌だ、どんなの?」って面白がってくれる友人がありがたい。大喜利全然得意じゃないんだけど「紅白で瑛人がはしゃぎすぎて、あのウッチャンでさえ引いてる」って返す。自分がどっちの組かぐらいは分かるだろ。なんでもドルチェ&ガッバーナのせいにすればいいと思うなよ?

例年恐らくお祭り騒ぎの渋谷も新宿も人が消える。有楽町から新橋へ、女性が10分歩けば50人に声を掛けられるとんでもないナンパスポットコリドー街もさすがに大晦日、人っ子1人いなくて安心する。7年前とは大違いの筋肉量じゃひざは恵比寿当たりで違和感、かかとは品川あたりで爆発。当然、「何をやってるんだおれは!?」がずっと付きまとってくる延べ3万歩の半周を経て

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きっっしょいフォントぉぉおおお!(おいでやす小田さん)

多くの駅看板の文字はゴシック体なのに、和のコンセプトという提案から明朝体を採用してるらしいが、見にくいの醜いのなんのって。

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医療関係の皆様もフォロワーに多い僕なりの感謝と敬意を、東京好きな景色に変えて。もちろん出歩くんじゃないよって話だけど、一人黙々と一言も話さず人っ子一人いない町を行く。こんな自己満足な年越しは最後だろうなって辿り着いた東京駅、ぼわーっと光る駅舎を見ながら2020をそっと見送る。五輪のワールドワイドスポンサー、時計のOMEGAさんのオブジェが「2020年東京オリンピックパラリンピックまであと〇日」を指し示す中2021年を迎えようとする、TENETもびっくりのタイムリープ。とんでもない1年が終わる。数組東京駅に来ていた若者の「オメデトー」「今年もよろしくー」が大声で聞こえる1月1日0時5分、やってみてよってリクエストもらってインスタライブをやってみたら地元の友人から「あけおめ」をいただく一方で「帰れ」「歩いて帰れ」って新年早々湧いて出るアンチコメントにわらう。情けない話、下半身の疲労でヘロヘロになり、もう半周を歩く気力もなく、さらに終電があると知ってしまった僕は0時15分の電車で馬場に帰る。結局何だったんだろう。「家は寂しいからって山手線一周歩くと宣言するも、疲労感と終電の誘惑で半周でギブアップしたらアンチから叩かれる」は、「こんな大晦日は嫌だ」の1つの解だと思うけど、コメントくれた乙ちゃんどうでしょう?

「年賀状に書くから今年の抱負送ってくれ」って親父のリクエストに、「30になる嬉しさを感じつつ、1人の年越しはさすがにもういいので、来年は誰かと過ごすためにも男を磨きます」って返したのは言うまでもない。これからも第一は自分のために生きるのだとしても、年齢ゆえの胃袋サイズみたいに、同じ幸せにはすぐお腹いっぱいになる感じ、伝われ〜。

 

寝て起きて朝。営業の先輩からの年賀状の言葉「自身へのハードルを一段階上げましょう」が目から鱗。うんうんうーんうんうんってなる。とても分かる。「今年こそブレイクを」って役員が書いてくれてるんだけど、今までの年賀状を見返すとその役員の方、毎年同じことを書いてくれてて、突き抜けてない跳ねてない自分を突きつけられる。たいてい世のネクストブレイクは、ブレイクする前に忘れられてる。ひそやかに。

「結果出しゃええつた、誰も過程なんか興味ないけん。結果出しゃええ」って、高校時代、野球でスランプに陥った自分に野球部の1つ上の偉大な先輩高島さんがこんなメールをくれたことがある。まさにそんな気持ちで新年を迎えている。「高島を採った高校が甲子園に行く」とまで言われた熊本の逸材高島さんも幾度のケガを乗り越え、最後の夏の大会に向けて完璧に仕上げてらっしゃった姿を見ていたので、この言葉に勇気をもらう。調べたら草野球のブログが出てきて相も変わらずかっちょええ。

東京建物不動産販売〝隠し玉〟慶大硬式の高島 1失点完投

かたや高島さんと同じ代、お会いする度、生き物としてのフォルムが面白くなってるキャプテン小林さんは先の12月、『パワー月間』と称して毎日ステーキ、唐揚げ、ラーメンと飯の写真をfacebookにあげてらっしゃった。30を迎えた成人男性の『パワー月間』ってワードがワケわからなくて面白すぎて、なんか大丈夫そうな気もしてきた。食べ過ぎにだけ気を付けよう。

 

30を意識したり、コロナがあったり、考え方はコロコロ変わるので今年もこの時期に毎年恒例の方向付けを。分かれ道でどちらを選ぶか迷ったらこれに照らす、という指標を。これもまた自分で勝手に楽しいからやりはじめて9年目。細長く知られてないところで続ける力はあるらしい。悪い気はしない。

 

2013年「循環を大きくする。」

2014年「語ってもらう。」

2015年「誰で、どこへ向かうのか。」

2016年「人間らしくやりたいナ。」

2017年「うけ(いれられ)たい。」

2018年「考えないは、ない。」

2019年「未来を助ける。」

2020年「名乗りを上げる。」と決めて臨んだけれどコロナの"おかげ”か、いや、"せい”か、シンプルに実力が足りてないと痛感した。コールドゲームの完敗タオル投げ入れお手上げほかにどんな言い方あったっけ?せっかく出世させてもらったのに①役不足、②力不足。正解は②の力不足。①役不足は割り当てられた役に不満を抱くこと。名乗りを上げると言えど名前を出してやった仕事はスピードワゴンさんとのyoutubeを楽しくお届けしたぐらい。これすらもただの運だし、素人のくせ、もっと面白い返しできた気がしている。

www.youtube.com

 

成長意欲を持ち、新しいことにチャレンジし、自身へのハードルを一段階上げる。分かっていても30年生きてみて、自分の満たし方を分かっちゃってるのが難しいところ、なんせ600円で幸せになる男だ。ブログを書き始めたおかげで、こいつはこうすると幸せでこうすると楽しいと思うってのが掴めるようになり、コントロールしやすくなったんだけどそこから自身へのハードルを一段階上げるのは結構難しい。で、どうするよ?

閑話休題

問題.「大事だ」とか「気にかけている」を伝えなさい。ただし、「好き」や「愛してる」を使わないものとする。なんて答えますか?1つの解は、「お茶つごっか?」だと思っている。食事中、相手のコップが空になっていることに気づく気配り、注いであげるほんのちょっとした行動。その人からもらった嬉しいの総量が閾値を超えたとき、人は人を好きになると思っていて、嫌われる勇気みたいな言葉もあるけどせっかくなら好かれたい人好きなので、繰り出せる嬉しいの種類は多い方がいい。自分のコップの満たし方は分かったし、たぶん幸か不幸か元々そこまでコップが大きくない人間なので今年はこんな自分になりたいと描きます。自身へのハードルを一段階大きくするにはもはやこれしかないのではとも思う。

 

2021年「誰かのコップを満たす。」

 

お茶がいいのかな。お茶でいいのかな。コーヒーが飲みたいかな?スタバの新作マスカルポーネペペロンチーノのラテがいいのかな?いや、そんなのあったっけな?イメージとしてはシャンパンタワーの上から下へ、自分で留めず誰かに返していくイメージ。誰かのコップを満たそうとすることが、自分を満たすことにもなる。当然自分が満たされていないと誰かにも分け与えられない。そもそも自分が提供できる種類の幸せ(と言うと恥ずかしいけど)で満たすことができるのか?足りてる?お口に合う?「誰か」と聞いて浮かぶ顔それぞれに問うてみると、コップのサイズも中身も人によって違って、僕から提供できるものがハマるかどうか、そこには自分の市場価値とか将来性とか否が応でも向き合わざるを得なくなったりして怖くもなる。「うわっ、、、私の年収低すぎ、、、?」はインサイトぶっ刺さりの名コピーだと思うけど、じゃあいくら欲しいの?そのための価値は?をちゃんと問うてくる前門の虎後門の狼。挟まれて逃げたくなることもあるけれど、大晦日に1人東京をうろつく自由と楽しさは本当にお腹いっぱいになったので素直に誰かに返そう。

何もそれだけが正解じゃないって断った上で、世の中のケッコンした2人はそこを乗り越えたんだよなぁって気づくと頭が上がらない。とんでもない筋肉痛で夕方まで寝てた1月の2日。照れながら踊るガッキーを目に焼き付けて、逃げ恥を見ながらそんなことを考える。「逃げるは恥だが役に立つ」ってハンガリーのことわざなのね、知ってました?

ちょっと前に僕らの野球部の中で誰よりも早く父親になった親友が「ただ人として相手をしっかり見ること。それだけ。」と結婚の心構えを語ってくれたことがあったんだけど、誰かのコップと向き合うってこれか!ってなってる。作業的に満たすのではなく、giveの精神、for youの面構え、take careの心配り。関係ないけどtake careって語感が好きで、お笑いライブを一緒にやってる先輩が急造コンビを組むことになったので「テイクケアーズ」ってコンビ名を提案してみたらけっこう高評価。いいね!をもらって調子こいて別の案、先輩2人が埼玉と札幌の出身なので「タマポロ」はどうですか?って出したら速攻で却下されて恥ずかしかった。誰かにあげたいコンビ名を考えるのは楽しい。誰かのコップを満たすのは難しい。

あんまり占いは信じないけどゲッターズ飯田氏によると今年の僕は「楽しいことや面白いことの質が変わる年」でもあるらしく、そんなの誰でも新年はそういうものだろ!って最初は思ったけど、「質が変わる」って語の言い回し自体は芯を食ってて納得した。こだわってるように見えて底浅ですぐに満たされる自分のコップは早々に満たし、次の誰かのコップを満たそう。満たせるかな?30になる年にそんなことを思う。人って変わらないと思ってて、自分のコップの中身はそう変わらないからこそ、誰かに与えたくなるのかもしれない。

 

昨年、仕事先のある社長さんが話してた言葉が印象的だったのでスマホのメモに書き留めている。コロナの影響をどう捉えるか。ピンチはチャンスなんて使い古された現実逃避のお慰みじゃなくて、コロナで売り上げも確実に減ってしんどい思いをしてるはずなのに、淡々と現実と向き合い、話されていた。

「たしかにネガティブな影響をもたらしているけれど、必要に迫られなきゃ人って変わらない。善し悪しはさておき、コロナもペストも戦争も大きな変化のきっかけになった。その時、誰も“戦争”があってありがとうとか、コロナの“おかげ”だなんてのは口が裂けても言わない。言えないし、言いたくもない。できればない方がよかった。けれど、そもそも変わるってのそういうものでしょ?」

なかなかご飯もいけないですが、必要に迫られてる僕から言わせてください。お茶つごっか?って。今年もよろしくお願いします。