心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

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前回(https://showkakeru.hatenablog.com/entry/2021/04/04/130012)の友人の結婚式のスピーチで不採用になったけど、個人的に気に入ってる没案。

「現役出版社勤務の2人が現役国語教員に挑む。」


実は我々2人は出版社に勤めております。毎日一緒に帰った3人のうち1人は国語教員へ、2人は出版社勤務へ。あの時交わしたたくさんの言葉によって今僕らは成り立っています。言葉には不思議な力があるものです。
そこで本日は「現役国語教員に挑め!難読漢字バトル」と題しまして、僕と谷村君どちらがより多くの難読漢字をスピーチに入れられるか対決したいと思います。ルールは簡単。どちらが難しい単語をより多くスピーチに入れられるか。もちろんアドリブです。私が読んでるこの手紙はもちろん白紙です(この辺は茶番)。先行は私ほしかわから行きたいと思います。どちらが良かったか最後に新郎新婦にジャッジしてもらいたいと思います。

 

・実はロマンチストな勇太。プロポーズには薔薇の花を贈って告白をしたとかしてないとか。
(後方のスクリーンにでっかく「薔薇」漢検一級と出る。)
こんな感じで1.2行ずつエピソードを紹介しながら漢字を入れていく。最初はルール説明。

・初めてのキスは檸檬のように甘酸っぱかったのではないでしょうか?

とか

・新婦の〇〇さんも勇太の直向き(ひたむき)さにグッときたことでしょう。

とか知的好奇心くすぐる感じの漢字を並べる。

・挙(こぞ)って参加したバーベキューでは勇太が焼(く)べる薪を見て、2人の恋が実ってくれと希(こいねが)ったものです。
みたいに難読漢字を並べたり、逆にほしかわだけ後半バテてきてやたら魚編の感じで勝負してきたり。
・あれは付き合って半年の水族館デート、鮃鰈鯛鰤鯱海豚河豚を見た時のことでした

みたいな。
後ろのスクリーンに魚の漢字がデカデカ出てくるのちょっとウケそう。 

谷村はちゃんとおおーってなってるのにほしかわがクソみたいで当然谷村が勝つわけなんだけどジャッジで谷村勝利ってなった後で、ほしかわが負け惜しみのようにこう言う。


いや〜私漢字が苦手でして。

難しい漢字とかけまして2人の愛と説く。どちらも永遠に書ける(欠ける)ことがありません。

勇太、結婚おめでとう。

 

⭐︎没になった理由:友人代表挨拶にしてはテクニカルすぎるのと、2人で完成されたものは笑いづらいのではないか。

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例えば、ガールフレンドができたことをどうやって伝えるか。

【嬉しいご報告】なんてつけてお世話になっている皆さんに伝えるのがfacebook。ケッコンシュッサンラッシュのタイムラインで今更ガールフレンドができたことを伝えるなんてけっこうこっけいもうけっこう。場所を変えよう。

次の町では直接伝えるのはヤボらしい。彼女がトイレに行っている間に撮ったコーヒーが2つ並んだ写真をあげて「あー、ほんとすきだ」って言葉を添えるらしい。あるいはデート終わりの帰り道、咲いたかどうかの桜の写真をあげて「きょうの服、かわいかったな」と呟くらしい。察して、がすごい。甘えるんじゃないよ。伝えろ、伝わるを待つな。助手席からの景色をあげて「いつも運転ありがと」じゃないのよ、直接言いなさいよ。インスタグラ村はルールが多い。喜色満面でニコニコしていぇーい彼女でけたよ~!って呟くのが何周かまわって正解では?って思うんだけど、これはこれで何周か回って不正解っぽい。向いてない。場所を変えよう。

で、戻ってくるのがTwitter。多分きっとこんな感じ。

“いつも眼と歯がきれいな人だなぁと思っているので「あたしのどこが好き?」ってとっさに聞かれてつい「眼と歯」って答えたら、とんだパーツ好きのサイコ野郎みたいな軽蔑した目で見られた。例のきれいな目で。ごめん、うそついた眼と歯とおしりが好きです。彼女ができました。大事にするよ~!”

ってなんか1つエピソードトークを入れなくちゃいけないっぽい。照れ隠し照れ隠し。

SNSに呟かれる内容なんてのはどこまでいってもよそ行きだから最近はあまり深く考えないようにして、飲みに行けない今は「お、生きてるな」ぐらいの生存確認にしている。もしもし、どんな春ですか?しばらく会ってない友人に会いたい季節になっちゃったぜ。

 

緊急事態宣言のさなか、PCR検査、タブレットの前の検温。マスクケースまで製品化される世の中。こういうのを見るとマスクケースが汚れるのを防ぐマスクケースケースみたいなものが延々と作れる気がしちゃう。バクの悪夢は誰が食べるのマトリョーシカ

僕の人生の大親友の1人、勇太の結婚式のため1年3か月ぶりに熊本に帰る。大親友のまた1人、谷村と2人でスピーチをしてほしいという。高校時代毎日3人で一緒に帰っては、部活の練習は1時間半で切り上げられたのに2時間半は語り合った3人の分かれ道。あの三角のところ、居酒屋うろこの前の三叉路、踏切。あの日あの頃あの場所で生まれたくだりはいまだに笑けてくるんだけど、僕ら3人以外に話してもそんなにウケた試しはなくて、「俺らが特別におもしろ3人組であったとかではなく、多分きっと1ミリも面白くない話なのにキモいくらい笑ってただけでどうかしていた」と谷村が言い、我々は腑に落ちる。コロナで難しくなったけど、同じ時間と空間を共有するって非常に尊い。これまでの感謝も込めて、前科やらかしがあるので入念に準備する。(前科、谷村の披露宴のスピーチで地獄のように滑り散らかした罪)

https://showkakeru.hatenablog.com/entry/2017/05/28/233924

 

その男、勇太との出会いは実は小5の野球教室まで遡る。熊本のバッティングセンターで元プロがテニスコートでノックを打ってくる変な野球教室トウヤ。小4で野球を始めたもののあまりに下手すぎて心配した親が送り込んでくれたわけなんだけど、23球出てくるバッティングマシンの球をちゃんとバントが成功するまで打っちゃダメってルールがあって真冬、初球で右人差し指を挟んで痛くて泣いて1球もバット振れなかった、そんなうんちプレーヤーの僕を差し置いて、足は速いわバッティングは上手いわ足は速いわ守備も上手いわ足は速いわで輝いて見えた。いや足が速くてあんま見えてなかったかもしれん。

月日は流れてびっくり再会したのが中3の塾の夏合宿。例のごとく谷村といる僕に気づいて勇太が声をかけてくれた。我が中学は中体連の試合がローカルテレビに取り上げられたりしたもんで、「これがあの時の!あの骨折の!」と2人は初めて顔を合わせる。後日印象を聞くと、「骨折して松葉杖ついた谷村に睨まれた」と勇太は話し、目つきの悪い谷村は「まただよ、睨んでないのに」と嘆く。縁ってのはあるもので、そのあと熊高の体験授業でもお互い国語の授業を選択しており、65分の授業を同じ班で受ける。この時の体験授業で扱った夏目漱石夢十夜』第一夜を教えてくれた先生の65分の使い方が完璧で、最後どうして百合の花だったのか?という設問に僕らが「百(年目に)合(う)だ!!」と答えた瞬間にチャイムがなって沸いた。65分授業だったらここまで長くお題に向き合えるのか!って感動した記憶がある。いざ入学したら見事に体が順応せず、中学の頃の授業50分の分だけ起きておくのがやっとで、毎授業必ず15分は寝てしまった高校時代だったけど。こうして今、僕が広告とかコピーの出版社で働き、勇太は国語の教員になったのはきっと何かの不思議な力かもしれない。

で、高1でいよいよ同じクラス同じ野球部になってそこからはや15年ぐらい、楽しい記憶と笑顔でなくなる僕らの細い目。挨拶、谷村と2人、何しよう。僕がスピーチしている後ろで谷村がずっと難しい顔して無言でシャドーピッチングしてるって案は早々にキャプテン奥ちゃんにやばくない?って却下された。やらなくてよかった。あるいは谷村もまた絵本の出版社で働いているので言葉にこだわりのある2人で国語教員にスピーチを挑みます!って前フリしておいて、一言も発さないWORLD ORDERの始球式みたいなことしようって案も出た。

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練習時間があと3時間あったらやってた。

で、考えたのがトークテーマパーク勇太を表す100のエピソードトーク企画。

“新郎勇太はとにかく視点が面白くて普通は見過ごしてしまったり流してしまったりする話題でも「どう思う?」「これ〇〇じゃない?」と聞いてくるのでした。何より対話を好み、世界を広げようとする。会うたびに話題を提供してくれる彼についたあだ名は「トークテーマパーク」。そんなトークテーマパーク勇太に今日は僕らからトークのお返しをしたいと思い、勇太のエピソードトークを100個持ってまいりました。(蛇腹に畳んだ式辞に書かれた100のお品書きを取り出す)

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とはいえ所詮はエピソードトーク。知らない登場人物の話を繰り広げられても初見の方は辛いと思いますのでせめてもの双方向性、インタラクティブにいきたいと思います。これからランダムにご指名させていただきます。指名された方は1から100までの好きな数字を言ってください。それに合わせてこの中からお話しします。ではまず新郎の妹さんから行きましょう。”

 

なんて台本にして気づく、さすがに100個もねぇ。怒涛のエピソード集めが始まる。怒涛で思い出したけど勇太の「①怒涛の快進撃」。高1、芸術の選択授業で書道を選んだ勇太。先生が言う「好きに何でも書いていいよ」になぜか「怒涛の快進撃」と書く。意味わからなすぎる。それはそれは達筆だったもんでクラスの掃除箱の内側に掲げられ、掃除時間に飛び込んでくる書に僕らもちょっとモチベーションが上がったりした。「②反旗」そんな高1のお昼休み、他クラスの人もうちのクラスに遊びに来てて気づけば知らない同級生がワガモノ顔で弊クラスにたむろしている。乗っ取られることを恐れたのか急に勇太が言う「干川、反旗を翻さないか!」翻さないよ。なんだよ、変な抗戦に巻き込まないでくれよ。

1-6で一緒だったマエダもイケダも何の役にも立たなかったけどマサシはちゃんとエピソードをくれた。「勝手に勇太のことをのんびりした人だと思ってたけど、体育のソフトボールで打った後激走してたのが印象強かったね。ピッチャーゴロでアウトだったけど。土埃すごかった。」もっとかっこいいエピソードをくれよ。マサシはこないだ僕が熱出した時Twitterでお大事にねってくれたから、あいついつの間にかヤサシに改名した可能性あるな。在校生時代1回もお話したことないのですが、ムラタ君経由でエピソードくれた美人女医の園田さんありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。エピソードを卓上に並べてみるとどうしてなかなか変な人である。

「③ヒロシ」僕らの野球部に勇太と同じ苗字の中嶋ヒロシというやつがいた。高2になりたての頃、部室前で何やら野球部の後輩たちに指導する勇太の姿「ええか、俺のことはナカシマさんと呼べ。中嶋ヒロシさんのことはヒロシさんと呼べ」ヒロシ知らないうちに苗字奪われた。暴君。「④ポケモン」周りがポケモン金銀をやる中、持ってないけど自分も話についていきたかった勇太少年。ソフト持ってないのに攻略本だけ買ったらしい。やってる人なら弱すぎて誰も使わないくそマイナーキャラ“アリアドス”にハマり「アリアドスもう出てきた?」ってやたら推してくる。アリアドスのエピソード持ってるの勇太だけだよ。「⑤ミニ四駆」同じ頃、ミニ四駆が流行ってた僕らコロコロ世代。よく知らない勇太が流行に乗り遅れまいと買ったミニ四駆は「メガ四駆」ってパチモンで、でかすぎてコースに入らずみんなとレースできなかった悲しい話。「⑥燃える」同じく子どものころ週刊ストーリーランドというトラウマアニメをやっていた。たまのたまにほっこりステキな話もあるんだけど、ほとんどは欲におぼれたり、人が死んだり鬱アニメ。その中で謎の老婆シリーズ「早くなるスプレー」というお話を以下Wikiから引用する。

100m走で9秒99の日本記録を達成したが、それまで全く無名だったため週刊誌でドーピング疑惑を報じられる男朝井。ある日、新聞で「2億円を盗んでバイクで逃走する」というニュースを見て「はやくなるスプレーを使えば簡単に金が手に入る」という事を思いつき、宝石店に侵入して盗みを行い「はやくなるスプレー」で逃走した。しかし、かけ過ぎてしまい、音速を越えるスピードで走り続け、空気抵抗による摩擦熱で足から出火し、全身に燃え広がり焼死した。朝井がいた場所には灰だけが残っており、夜明けに風が吹いて灰が吹き飛ぶシーンで終わる。その後のモノローグで「人生まで素早く駆け抜けてしまった」と語った。

謎の老婆 - Wikipedia

後味悪すぎるこの話を小さいころに真に受け、自分も足が速いから燃えちゃうんじゃないかと不安になったらしい。これだけならかわいい話なんだけど、怖いのが勇太、本当に指短いんだよな。。燃えたんじゃないかって僕と谷村で話してる。「⑦鹿児島遠征」短すぎる指は弊害を生む。鹿児島遠征谷村・勇太の急造バッテリー。スクイズ警戒で外さないといけないのに指が短い勇太のサインが上手く見えず意思疎通ができず最後スクイズで負けた。相手チームは夏の引退前の控え3年生。謎に花を持たせちゃった話。「⑧阿鼻叫喚」どれぐらい足が速かったか園田さんが証言してくれてる。“小学校高学年の頃、運動会でクラス対抗リレーがあってクラス30人くらい全員走るやつで、勇太君がアンカーだったんだけど、アンカーにバトン渡すまでにリードしてても、勇太君が運動場の半周くらいの差を逆転しちゃうくらい早くてみんな阿鼻叫喚だった。”いや、阿鼻叫喚て。「⑨ゆうたをプロデュース」野球部キャプテン、生徒会長。正義感とリーダーシップの塊勇太のすごいのが不良からも慕われていること。勇太がいるとみんなまとまるらしく人望がすごいと園田さん。文化祭で「野ブタをプロデュース」に倣って「ゆうたをプロデュース」って映像を生徒会で作って流したら大盛り上がりしたらしい。本当に学園のヒーローじゃん。でもこれ怖いのがどんな話だったか園田さんもアベッチも覚えてなくて、本当は盛り上がってなかったけど勇太が捻じ曲げたんじゃないかってこれも僕と谷村で話している。

 

みたいなことをつらつら書き出していく。キャプテン奥ちゃんもいいネタをくれる。「⑩オーヤン・フィーフィー」LINEのない時代、メールの一斉送信でチャットのようなことを楽しんでいた僕ら。勇太は着信音がうるさくなるのか終わらせたいタイミングで唐突に「ラブイズオーバー 悲しいけれど 終わりにしよう キリがないから」と送ってきて、以降誰もメールを送れなくなる。暴君。あまりにちいちゃい話なんだけど何故かいつもLINEグループを自ら退会する。「勇太が退会しました」って文字に、やべぇおれらなんかやらかしたっけ?ってなるけど煩わしいだけっぽい。僕らの帰省の集まりは勇太をグループLINEに加えるところから始まる。マイルールがあって自分の正義があってその生き様は「神様勇太様」なんて呼ばれもしたけど、我々の高校に「神」やら「社長」やらがあだ名の先生方がいて、集ってる感じがあった。「結果論のにしう」は結局いつも笑っちゃう。

なんとか捻り出しても100は届かず70個くらいは関係ない高校時代流行ったくだりを書いたり、思い出話を書いてしまった。卒業旅行で行ったパリはエッフェル塔で黒人に絡まれた僕がビビりまくって瞬足の勇太よりも早く駅に逃げ込んだ話とか、いつもの三叉路溜まり場でくっちゃべってる時「アニキ」ってあだ名の小中の友人が通ったから僕がデカめな声で「アニキ!!」って呼んだら全くの別人でビビらせてしまった話とか、たいていやらかした話ってのはずっとおもろい。いつ思い出しても笑えるくだりが結構ある人生が嬉しい。そんなん考えながら台本に起こしてたら一睡もできなくていざ、熊本!

 

「ただいまご紹介にあずかりました、新郎の友人、谷村と申します。勇太、〇〇さんこの度はご結婚誠におめでとうございます。どうぞお座りください。

誠に僭越ではございますがご指名いただきましたのでお祝いの言葉を述べさせていただきます。なお、大変緊張しております。慣れないこともあり噛んでしまうかもしれませんが、耳を傾けていただけると嬉しいです。それではホシカワが読み上げます。」

って谷村が読み上げてあとは一通り僕が話す。やっぱり寄せ集めエピソードはそんなに強くないから春のそよ風みたいなウケしかなかったけど、勇太の妹さんの旦那さんだけ爆笑してくれてて、勇太、彼はいいやつだから優しくしたげてくれ。LINE退会したり苗字奪ったりしないでさ。僕が最後までエピソードをいくつか話し合えた後、谷村にバトンタッチする。

「大変拙い挨拶ではありましたけれども、最後まで聞いてくださりありがとうございました。これから、楽しいこともあれば辛いこともあると思いますが、いろんなことを2人で乗り越えて、2人で、2人らしい素敵なエピソードを作ってもらい、またいつか話を聞かせていただければと思います。2人の末長い幸せを願って私たちからのお祝いの言葉とさせていただきます。」

 

一仕事終えて1年3ヶ月ぶりの実家でくつろぐ。開いた高1のクラス文集の勇太のページ「最近笑ったこと」と「最近怒ったこと」の両方にHOSHIKAWASって書いてあってうける。我が家を建てたとき「この家にはホシカワが4人いるからHOSHIKAWASだ!」って血迷った親父が表札にSを付けて複数形にしたんだけど、それを見た勇太が「井の中の干川ズ」と名づけるのdisりがすごい。それがいつの間にか僕ら3人のLINEグループ名になる。今のグループのアイコンはzoom飲みしててアホな顔で固まった私の顔面。

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「俺らが特別におもしろ3人組であったとかではなく、多分きっと1ミリも面白くない話なのにキモいくらい笑ってただけでどうかしていた」って谷村の評はいまだにズバリ当たってる。

なにか、その人のエピソードを文章に書くときLINEを遡る癖が僕にはあるのだけど、今回もまた掘り起こし遡り思い出に浸る。あれはコロナブームの直前2020年2月、生徒のための企業訪問で東京に来ていた勇太と奥渋にあるお洒落バーで3人飲んで帰った次の日、勇太からこんなLINEが届く。

「昨日はありがとう!久しぶりに楽しかった。またオリンピック周期ぐらいのスパンで集まれるときは集まろう!誰かが死ぬか入信するまで」

このザワザワする読後感で軽く不謹慎なんだけど、好きな言い回しのひとつ。彼らとまた変なくだりを作りたいので長生きしようと思うし、入信しないでおこうと決める。いや、入信て笑

 

家族以外の誰より長い時間を過ごしたあの日々にとてつもなく影響を受けていて、そういう意味ではすでに「入信」済みなのかもしれない。僕の口癖が「たしかに」なのは激論を展開する君と谷村の影響だし、僕の目が細いのは君らにたくさん笑わせてもらったからに違いない。逆にもし、そんなわけないのだけど、君の目が細いのは谷村と僕がたくさん笑わせたからだったとしたら、信者にとってこりゃとんでもなく光栄である。

勇太、結婚おめでとう。末長くお幸せに。

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とある商談後のこと。「主張があってこそ、腹に落ちてこそ言葉は出てくるもんだ」と同席いただいたボスから教わる。早速手帳に書き留める。反芻する。丑年だしな。牛の胃袋は4つある。頭の遠くの方からメロディが流れてくる。ウシのいぶくろは4つある。あれ?何の歌だっけ?って調べたらむしまるQで流れてたらしい。むしまるQかよ。いや、むしまるQて。子どもの頃聞いた曲は頭からこびりついて離れない。胃袋の4つの名前ミノ、センマイ、ハチノス、ギアラは毎回聞いても忘れちゃうのにな。あれ、さっき頼んだこのコリコリしてるのは何?ホルモン?あ、ホルモンは総称なの?レイヤーが違うのね。もつは?え、もつも総称なの!?

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「主張があってこそ、腹に落ちてこそ言葉は出てくるもんだ」の裏を返すと、こうして言葉が勝手に出てきて何か書きたくなってる時、ひょっとして僕にも主張はあるのかしらとほのかに期待する。孫さんの「髪の毛が後退しているのではない。 私が前進しているのである。」よろしく、バカリズムの「心が折れそうだけど、実際に折れることはない。棒状じゃないから。」よろしく、こうした当たり前の視点を変えてくれる言葉遊びがずっと好きで「助け舟が、沈没する」とか「揚げ足をとるなよ」「いや、お前が勝手に足を上げてるんだろ」みたいなくだりに興奮しちゃうので、言葉攻めしてください。友人のシノくんのワーディングが高校時代からずっと好きで彼の口から副詞としての「死ぬほど」をよく聞くんだけど、前に山登り一緒にした時だったか疲労困憊になりながら「いや、死ぬほど死んだ!」って言ってておかしかった。さてこんな思い出なつかしみおじさんに何の主張があろうか。20時過ぎたら閉店する街の居酒屋。静かなご飯の森の影から。毎年の年末に展開されていたぐるなびの広告「忘年会はお祭りだ。」というコピーが懐かしい。コロナ禍ももうすぐ一年。みんなでワイワイの「ワイワイ」が「ドードー」みたいに絶滅危惧種になっている。「昔パパも友達とワイワイやったんだよ。」「ねぇパパそのワイワイってなあに?」みたいな。

 

青年の主張。小学生の頃からの友達古森氏にいつだったかこんなことを言われた。そん時もたしか山登りに連れてってもらった時のこと。「ほしかわブログはレビューみたいに答えや主張がないけど、共感や発見はある。さらっと読んだら言葉遊びに終始してる文で何かしら意見があるはずなのに、スタンスははっきり言わずじれったい。細かさはすごい出てるのに、結論はどっちでもない。総合するとなんなの!?」ってじれったさを豪速球でぶつけられたことがあって思わずそのままメモしてた。郷土の星、演歌歌手の八代亜紀さんが「聴き手が感情移入するためには、歌い手が主観で感情を込めてはいけない。悲しい唄も悲しい表現で歌わずあえてサラッと歌う。その方が共感してもらえる」って言っててたまに意識してる。出来上がった粘土を全力でどうだ!ってぶつける時もあるけど、まだ成形前の粘土を境界線を探りながらそっと誰かに合わせて形作るみたいなイメージ。およそこれ読んでる人は僕の友達か周辺の人たちできっとみんなポリンキーのCMで踊り出したことがあるし、出会ったり付き合ったり嫌いになったり振られたりしたことがあるし、やば!もうアラサーじゃん!って嘆きながらも為す術はなく時の流れに身を任せてたりするから、自分が思ったことをわざわざ「主張だぜ!」なんて言わずともそっと伝わってくれるありがたみ。自分のあるあるは同世代のあるある。これ「あるある」あるあるアル。マクロで見ると同一民族、悔しさとか何クソとか今に見てろよという思いって実はわりかしみんな持っているから、そこに特別なんてのはそんなにない。俺だけ特別なんてことはないのよ、なぜならみんなが特別だから。いい加減目覚めなさい女王の教室

野球やってたから分かるけどキャッチボールは投げるより受け取る方が技術がいる。ショーバンも逆シングルも時には胸に当てて止めに行ったり、受け取る人あってのコミュニケーションだよなぁと夜中に1人文章書いてて思う。zoom飲みしてて誰かがトイレに立った時とか飲み物を取りに行く時とかに、その人の形がそのまま空いたような部屋の景色を見て、あぁこの人はこんな暮らしをしてるのだなぁと思いを馳せたりするって誰かが言ってて、なるほどなるほど人間は人の間。薩摩酒造が造ってる芋焼酎白波のラベルにこんなコピーが書いてある。「白波や 酔えば逢いたい人ばかり」。書いてて思うけど、素面でも会いたい人がけっこういます。いますよね?

 

『リング』や『らせん』を書いた小説家鈴木光司さんはこんなことを言っている。

“花は美しいというと「美しくない花もある」という人が出てくる。そのクレームを想定し「美しい花もあるが美しくない花もある」と書く。それはもはや言う必要のない文となる。全ての人が納得する文では表現にならない。勇気が必要である”と。これを読んで中学の卒業アルバムの苦い思い出が蘇ってきた。

学年400人を超える社会の縮図。卒アルの顔写真の下、1人20字まで好きなことを書いていいと言う。「マヂ3-10ラヴ♡我ら友情永遠に♡」みたいなギャルもいれば、「一生野球を続ける。」って書いた次の春、高校でボートを始める元球児もいて、いや一生とは?って八代亜紀もびっくりの人生いろいろ。我が母の教え「あんたマス目があるならギリギリまで書かんね、さぼんな!」が染み付いてる僕はなるべくマス目たっぷりに書こうと試みる。で、これだ。 

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腹話術師ではなく福を運ぶ福話術師になる

いや、くさいくさい!中学から仕上がってたな君!ってのはおいておいて言わんとすることは恐らく伝わるのでこの場合「腹話術師ではなく」の部分が完全に蛇足なのです。「美しくない花もあるが」状態。もっと言うと「福を運ぶ」すら要らなかったんじゃないかとも思うけど、「福話術師になる」とだけ書くときっとクラスメイトのバカゴリラ川畑あたりに「お前漢字間違っとるバイ、だご恥ずかしかろ!?」って笑われるので丁寧めに説明しておいてよかったと思う。こんな風に主義や主張はありそうでまるでないが、エピソードトークやら笑った話を放り投げて通り過ぎた後に何か残ってたら、死ぬほど、嬉しい。

 

「見えないものと闘った一年は、見えないものに支えられた一年だと思う。」ってカロリーメイトのコピーは、今年の受験シーズンも受験生の胸を打ちまくってて好きだな、死ぬほど。公式サイトを覗いてみるとこうある。

カロリーメイト公式サイト | 大塚製薬

“見えないものと闘った一年は、見えないものに支えられた一年だと思います。
今年の生徒と先生は、例年以上に“戦友”のような関係だったのではないでしょうか。

その見えない絆の強さこそ、きっと底力の正体です。
「見せてやれ、底力。」すべての受験生と、そして先生に贈るCMです。”

カロリーメイトを食べる時。もっと言うと誰かにカロリーメイトを渡す時。手に握りしめてる時、言葉が届く。これまでのコピー「見せてやれ、底力。」の真ん中はブレさせず、今の受験生に寄り添っていてすごいコピーだなぁってただ感動する。「見せてやれ、底力。」の前のコピー「とどけ、熱量。」が生まれた背景、コピーライター福部さんのインタビュー記事を調べてみると、当時世の中はカロリー0、カロリーハーフの時代。訳したら“カロリーの友”のこの商品が売れるのか?できれば名前を変えたかったらしいけど、商品名はやすやす変えられない。であれば「カロリー」という言葉の意味をアップデートするしかない。そこから“熱量”を持ってくる。最初「その熱量に、カロリーメイト」というコピーでプレゼンは通ったらしいが、少し弱いと悩んだ。そこで生まれたのが「届け、熱量」。さらにアートディレクター榎本さんのアイデアで「とどけ、熱量」と漢字を開くことになる。裏話、クライアントの大塚製薬からは「とどけ、情熱量」にしたいと言われ、必死で説得したらしい。満島ひかりが歌うファイトはいまだに年末の歌番組で歌われている。

 

調べてみたらまさか森山直太朗youtubeチャンネルに今年のCMのフルバージョンがあるじゃないですか。お願いがあるとしたら、もう4分36秒ください。この動画の全部の言葉と表情が、嘘みたいに素晴らしいから。ボディコピーの中にいいコピーが3つぐらい入ってるのが良いボディコピーの条件ってコピーライターの先生が言ってたんだけど、そんな感じ。食い応えのある言葉が2,3個入っててすごい見応えがあります。

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どこにも行けない一年は、想いを馳せた一年でもあったのではないでしょうか。

僕が住んでる学生街、駅には受験生を応援するメッセージが張り出される季節になった。受験生の頃の自分から軽く10年以上経った今でも、熊本から東京に出てきて3つくらい入試を受けた2月のあの1週間の緊張は冬空みたいにピンと思い出される。この季節、毎年思い出して話したくなる話があるので、書いておきます書いたら寝ます。

 

中学受験を知らないからあれだけど、都内では毎年2月1日が中学受験でその前日、1月31日の新聞には学習塾が応援の広告を出している。思わず撮ったこの写真は2015年のものなんだけど、自分の出身小学校と受かった中学校と実名付きで先輩として中1が直筆メッセージを書いていて、見れば「戦い」とか「強い意志」とか「○○で待っています」みたいな先輩風ビュービューの成功者の言葉たち。とは言えもしも自分がこの立場で後輩たちにメッセージをとか言われたら、もう鼻の下は伸びるわ鼻は天狗のそれになるわ、ご満悦に偉そうなワケわからん言葉遊びを述べると思うんですお恥ずかしながら間違いない。「勝者の心構え」とか「絶対に負けられない戦いがそこにはある」とか挙句の果てに「We Are the World~僕らのウォーゲーム~」ぐらいまでこねくり回してたと思うんだけど、そんな中「気楽に。」ってだけ書いた右下の子きっと優しい子。どや顔を一切見せずにナイーブになりがちな受験前日の後輩たちの胸に響かせる。主張があってこそ、腹に落ちてこそ言葉は出てくるもんだ。

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個人的には、何を書こうか迷いまくった結果、考えが回りまわって「笑顔」とニコちゃんマークだけ書いた真ん中の子もけっこうな大物だと思う。いや、「笑顔」はさすがに受け取り手分かんなくなっちゃうだろ。彼だけタレントスクールみたいなところを受験したのかな。はい、笑顔笑顔!

目下の人や後輩と話す時に、人としてこうありたいと謙虚な気持ちになる1月の終わり、2月の頭。「気楽に」って言える彼こそ、ひょっとして福話術師なのかもしれない。(腹話術師ではなく福を運ぶ方の。ってまた美しくない文章でおしまい。)

 

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『犬』

 

夕焼けはあっという間に暮れて いつもの道がいつのまにか1人の未知

明日なんてこなくていい このまま夜に溶けてもいい

寝て起きたら笑っちゃうくらいいつもの僕だ 

すぐに気づく間違い探し 隣にぬくもりがいないいない

ばぁかってつぶやく これまでの昨日を時間が忘れさせるなんて

ほんとかよ 何回一緒に歩いたと思ってんだよ

 

いつからそばにいてくれたんだっけ 出会ったことすら忘れてて

君とならどこへでも行けた 引っ張ってたのは僕じゃなく君だったんだね

居抜かれて空っぽな僕だ 犬みたいに懐く君はもういない

吠えていいんだよ また声聞かせてよ

 

夕焼けはあっという間に暮れて いつもの道がいつのまにか1人の未知

もう会えないってそんなきれいな目で見つめないで

願ってもない「どっか行けよ」 もうダメだ

 

いつものお散歩道 公園のベンチ 触れたあたたかさも 消えるわけない残ってる 

もっといい人がいるよなんて いるわけないだろ、そうだろ

 

いつからそばにいてくれたんだっけ 出会ったことすら忘れてて

君とならどこへでも行けた 車に乗って 自転車で並んで

射貫かれて動けない僕だ 犬みたいに優しい君はもういない

吠えていいんだよ おりこうじゃなくてもいいんだよ

 

いつからそばにいてくれたんだっけ 出会ったことすら忘れてて

君とならどこへでも行けた 引っ張ってたのは僕じゃなく君だったんだね

居抜かれて空っぽな僕だ 犬みたいに懐く君はもういない

吠えていいんだよ また声聞かせてよ

君がもし迷い犬だったら 連れて帰って一緒にいよう

窓のカギ開けてあるから 横であったかくして眠りに就こう

柔らかなその毛をなびかせて 今すぐ駆けてきておくれ

全力で抱きしめるから もう離さないから

 

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『猫』

 

夕焼けが燃えてこの街ごと飲み込んでしまいそうな今日に

僕は君を手放してしまった

明日が不安だ とても嫌だだからこの僕も一緒に

飲み込んでしまえよ夕焼け

家まで帰ろう 1人で帰ろう 昨日のことなど 幻だと思おう

君の顔なんて忘れてやるさ 馬鹿馬鹿しいだろ、そうだろ

 

君がいなくなった日々も このどうしようもない気だるさも

心と体が喧嘩して 頼りない僕は寝転んで

猫になったんだよな君は いつかフラッと現れてくれ

何気ない毎日を君色に染めておくれよ

 

夕焼けが燃えてこの街ごと 飲み込んでしまいそうな今日に

僕は君を手放してしまった

若すぎる僕らはまた1から 出会うことは可能なのかな

願うだけ無駄ならもうダメだ

 

家までつくのが こんなにも嫌だ 歩くスピードは 君が隣にいる時のまんま

想い出巡らせ がんじがらめのため息ばっか 馬鹿にしろよ、笑えよ

 

君がいなくなった日々は 面白いくらいにつまらない

全力で忘れようとするけど 全身で君を求めてる

猫になったんだよな君は いつかまたあの声を聞かせてよ

矛盾ばっかで無茶苦茶な僕を 慰めてほしい

 

君がいなくなった日々も このどうしようもない気だるさも

心と体が喧嘩して 頼りない僕は寝転んで

猫になったんだよな君は いつかフラッと現れてくれ

何気ない毎日を君色に染めておくれよ

君がもし捨て猫だったら この腕の中で抱きしめるよ

ケガしてるならその傷拭うし 精一杯の温もりをあげる

会いたいんだ忘れられない 猫になってでも現れてほしい

いつか君がフラッと現れて 僕はまた、幸せで

 

 

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くその役にも立たないけれどマメである。自分で言うからには多分本当にマメで、自分で言うくらいには本当に何の役にも立っていないけど、自分が楽しいから課してるTwitterマイルールの紹介から始めようと思う。しっ、知らねぇ~と返してください。最初の「しっ、」がポイントです。いきますよ、せーの、しっ、知r

①誕生日前日と当日に数字を記録して言い聞かせている。

気が付けば8年前からやっているらしい。誕生日をお祝いしてくれる人がいるのはいくつになっても嬉しいし、Twitterで繋がっている高校の友達の1人目の娘さんが同じ誕生日で、お風呂好きな子に育ちますぜいい風呂の日のお生まれ。いい○○の日がずっと続くポジティブな11月が好き。おかげさまさま29歳になりました。

 

②健康診断終わりには今の自分の肉塊具合を保存している。

毎年真夏の8月のくそ暑い時期に新大久保の病院で健康を診断する。ちゃんと前日夜9時以降何も食べてない腹を抱えて健康かなどうかなって血を取られた帰り道、いい香りに誘われて韓国料理を食べながらツイートする、甲子園よりピンポイントな風物詩。太ったり痩せたり、増えたり減ったりしながら生きている。とか言って2年で5キロ太った肉塊がここにいる。

 

③どこかに行くときには、「いざ、○○!」

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あちこち行くのが好きすぎる。幸福度は移動した距離に比例するという研究結果もあり、どおりでなと首を縦にシェイクする。時にはアーティストのライブに行ったりNYにまで行ったりしてるのに、肺気胸の手術に一番いいね付いてるのちょっとわらう。ニューヨークではスリでもなんでもないところで財布を無くし、飛行機を乗り過ごして死にかけたのも今ではちょっとわらえる。現地で助けてくれたゼミの友人には頭が上がらず御恩と奉公いざ、鎌倉。

 

④銭湯に行くときは「ちょいと銭湯!」

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個人的な偏見、サウナ行った後に「整った」って言ってる人はなんだか信用ならないって叔父さんの甥が言ってた。それに比べて銭湯はなんて安い娯楽と気分転換。その昔お笑いサークルの交流戦で、同志社大学キゲキ研究会のとんでもない荒くれ者たちを東京観光に連れ出して、1泊2日ボケてつっこんでヘロヘロになりながらも無事に終わった帰り道、1人入った銭湯が涙が出るほど気持ち良くて、それ以来頑張った日と切り替えたい日は銭湯に行ってよいものとする、してる。お笑いライブが終わって打ち上げの飲み会までの間にひとっ風呂浴びたワセダの松の湯は、昨夏70年の歴史に幕を下ろしたけど、夏は夜。銭湯の帰り道、自分からいい匂いを漂わせて歩くのが良い。また、ほんの一つ二つ、誰かが持ち帰ったから欠けてる靴箱の札も良い。雨の降るのもまた良い。

 

これだけ書くと細かいこだわりが多い面倒な奴だと思われたりもするけどむしろ、自分のゴキゲンの作り方を知っているからどこでもやってけるさ。元々は「こだわり」がないことがコンプレックスだったこともあるくらい無頓着に日々を重ねてきたけれど、「こだわり」=「融通が利かない」「必要以上に気にする」「何いっちょ前にこだわってんのよまったく」みたいなマイナスな意味を上司に教えてもらってラクになったりした。ここは世の流れに棹さしていこうじゃないか。文化庁のサイトを調べたら「流れに棹さす」は本来「流れに乗って,勢いをつける」だそうですが、最近の国語の世論調査では「流れにさからう、勢いを止めようとする」という誤った意味で覚えている人の方が多いようです、言葉はナマモノ。

レッドブルが成人の日に合わせて新成人に送ったメッセージ「くたばれ、正論」って広告に僕のタイムラインは賛あり否あり。せっかく積み上げ培ってきた「翼をさずける」があるのだから「くたばれ」なんて強い言葉を使わなくても「翔び越えろ、正論」くらいが良かったんじゃないかって同期と話してた、言葉はナマモノ。

「共感」を作るのがますます難しくなる今、自分はどこに位置を取るのか、どのシーンにいるのかが大事だってレイザーラモンRG星野源の対談集の中で話しててなんとなく指標にしている。ブログもTwitterも自分が楽しいから続けてるのだ。なんなら中2から今も日々つけている日記には、毎日1とか4とか0とか数字が書いてあって、毎年大晦日にその数字を集計して、自分が1年に何回1人でするのかを把握してたりもする。これはマジで1番何の役にも立ってないけど、話すことなくなった合コンで推測クイズを出題するとちょっと盛り上がるフェルミ推定。年齢にはあらがえない自分もまた、ナマモノ。

 

2021年、30になる年が始まった。 

「アラサー」と言われる年齢になってからの体感が結構長い。四捨五入したらアラサーさ~なんてほざいてたのが25とかなので、そこから軽く5年経つ。5年って人生の1/6とか結構な割合なので、今25歳でもうアラサーっすよって言ってる後輩がいたら「そこからだよ」って言ってあげようと思う。コロナの1年でさえとんでもなく変わったでしょうと。

それはある日曜のこと、いつものごとくツイートした「ちょいと銭湯!」の帰り道。SNSを開いて飛び込んでくる子育てに奮闘する同級生の姿を見て、日曜の夜遅くに一人で銭湯に行けることの、行けてしまうことの、この、いかにも他人を抜きにした自分本位な幸せがちょっと怖くなった。人と人の間で生きるから僕らは人間なんだみたいな言葉遊びに照らすと、あまりに人として単体も単体、単体女優だ。日曜の夜にふらっと銭湯に行ける「自由」を得るためのほぼほぼ交換条件の「責任」はなんだろう?果たして果たせてるのかしら?風呂上りのコーヒー牛乳130円を飲みながら考える。入浴料470円と合わせてもたったの600円と小一時間で得られる自分のためだけの「快」に、冷めた気持ちでサンドウィッチマンみたいなトーンでもういいぜと思う時がある。何より5年前の僕と幸せの種類が変わってないことが1番怖いまんじゅう怖い。

極め付きは2021の年越しだ。帰省もできずついに1年じじばばちちはは姪1姪2に会えなかった年末、1人でひっそり家で年を越す寂しさがあまりにイヤすぎて、学生時代から7年ぶり2回目の山手線一周1人ナイトハイクを企てる。せっかくなら2020年を象徴する場所で年を越したいと思い、コロナ真っただ中の3月、ひそやかにオープンした山手線の新駅、高輪ゲートウェイ駅に寄りたいと考える。ちなみにひそやかって漢字で書くと出たな表れたな今年の漢字「密」。

外回り営業マンがオンライン商談マンになった2020年。12月31日は18時半高田馬場から始まって山手線は内回り、新大久保→新宿と足を進める。インスタのストーリーを切り取り線みたいにして各駅の写真を上げていく。トークテーマくださいって質問に「こんな大晦日は嫌だ、どんなの?」って面白がってくれる友人がありがたい。大喜利全然得意じゃないんだけど「紅白で瑛人がはしゃぎすぎて、あのウッチャンでさえ引いてる」って返す。自分がどっちの組かぐらいは分かるだろ。なんでもドルチェ&ガッバーナのせいにすればいいと思うなよ?

例年恐らくお祭り騒ぎの渋谷も新宿も人が消える。有楽町から新橋へ、女性が10分歩けば50人に声を掛けられるとんでもないナンパスポットコリドー街もさすがに大晦日、人っ子1人いなくて安心する。7年前とは大違いの筋肉量じゃひざは恵比寿当たりで違和感、かかとは品川あたりで爆発。当然、「何をやってるんだおれは!?」がずっと付きまとってくる延べ3万歩の半周を経て

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きっっしょいフォントぉぉおおお!(おいでやす小田さん)

多くの駅看板の文字はゴシック体なのに、和のコンセプトという提案から明朝体を採用してるらしいが、見にくいの醜いのなんのって。

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医療関係の皆様もフォロワーに多い僕なりの感謝と敬意を、東京好きな景色に変えて。もちろん出歩くんじゃないよって話だけど、一人黙々と一言も話さず人っ子一人いない町を行く。こんな自己満足な年越しは最後だろうなって辿り着いた東京駅、ぼわーっと光る駅舎を見ながら2020をそっと見送る。五輪のワールドワイドスポンサー、時計のOMEGAさんのオブジェが「2020年東京オリンピックパラリンピックまであと〇日」を指し示す中2021年を迎えようとする、TENETもびっくりのタイムリープ。とんでもない1年が終わる。数組東京駅に来ていた若者の「オメデトー」「今年もよろしくー」が大声で聞こえる1月1日0時5分、やってみてよってリクエストもらってインスタライブをやってみたら地元の友人から「あけおめ」をいただく一方で「帰れ」「歩いて帰れ」って新年早々湧いて出るアンチコメントにわらう。情けない話、下半身の疲労でヘロヘロになり、もう半周を歩く気力もなく、さらに終電があると知ってしまった僕は0時15分の電車で馬場に帰る。結局何だったんだろう。「家は寂しいからって山手線一周歩くと宣言するも、疲労感と終電の誘惑で半周でギブアップしたらアンチから叩かれる」は、「こんな大晦日は嫌だ」の1つの解だと思うけど、コメントくれた乙ちゃんどうでしょう?

「年賀状に書くから今年の抱負送ってくれ」って親父のリクエストに、「30になる嬉しさを感じつつ、1人の年越しはさすがにもういいので、来年は誰かと過ごすためにも男を磨きます」って返したのは言うまでもない。これからも第一は自分のために生きるのだとしても、年齢ゆえの胃袋サイズみたいに、同じ幸せにはすぐお腹いっぱいになる感じ、伝われ〜。

 

寝て起きて朝。営業の先輩からの年賀状の言葉「自身へのハードルを一段階上げましょう」が目から鱗。うんうんうーんうんうんってなる。とても分かる。「今年こそブレイクを」って役員が書いてくれてるんだけど、今までの年賀状を見返すとその役員の方、毎年同じことを書いてくれてて、突き抜けてない跳ねてない自分を突きつけられる。たいてい世のネクストブレイクは、ブレイクする前に忘れられてる。ひそやかに。

「結果出しゃええつた、誰も過程なんか興味ないけん。結果出しゃええ」って、高校時代、野球でスランプに陥った自分に野球部の1つ上の偉大な先輩高島さんがこんなメールをくれたことがある。まさにそんな気持ちで新年を迎えている。「高島を採った高校が甲子園に行く」とまで言われた熊本の逸材高島さんも幾度のケガを乗り越え、最後の夏の大会に向けて完璧に仕上げてらっしゃった姿を見ていたので、この言葉に勇気をもらう。調べたら草野球のブログが出てきて相も変わらずかっちょええ。

東京建物不動産販売〝隠し玉〟慶大硬式の高島 1失点完投

かたや高島さんと同じ代、お会いする度、生き物としてのフォルムが面白くなってるキャプテン小林さんは先の12月、『パワー月間』と称して毎日ステーキ、唐揚げ、ラーメンと飯の写真をfacebookにあげてらっしゃった。30を迎えた成人男性の『パワー月間』ってワードがワケわからなくて面白すぎて、なんか大丈夫そうな気もしてきた。食べ過ぎにだけ気を付けよう。

 

30を意識したり、コロナがあったり、考え方はコロコロ変わるので今年もこの時期に毎年恒例の方向付けを。分かれ道でどちらを選ぶか迷ったらこれに照らす、という指標を。これもまた自分で勝手に楽しいからやりはじめて9年目。細長く知られてないところで続ける力はあるらしい。悪い気はしない。

 

2013年「循環を大きくする。」

2014年「語ってもらう。」

2015年「誰で、どこへ向かうのか。」

2016年「人間らしくやりたいナ。」

2017年「うけ(いれられ)たい。」

2018年「考えないは、ない。」

2019年「未来を助ける。」

2020年「名乗りを上げる。」と決めて臨んだけれどコロナの"おかげ”か、いや、"せい”か、シンプルに実力が足りてないと痛感した。コールドゲームの完敗タオル投げ入れお手上げほかにどんな言い方あったっけ?せっかく出世させてもらったのに①役不足、②力不足。正解は②の力不足。①役不足は割り当てられた役に不満を抱くこと。名乗りを上げると言えど名前を出してやった仕事はスピードワゴンさんとのyoutubeを楽しくお届けしたぐらい。これすらもただの運だし、素人のくせ、もっと面白い返しできた気がしている。

www.youtube.com

 

成長意欲を持ち、新しいことにチャレンジし、自身へのハードルを一段階上げる。分かっていても30年生きてみて、自分の満たし方を分かっちゃってるのが難しいところ、なんせ600円で幸せになる男だ。ブログを書き始めたおかげで、こいつはこうすると幸せでこうすると楽しいと思うってのが掴めるようになり、コントロールしやすくなったんだけどそこから自身へのハードルを一段階上げるのは結構難しい。で、どうするよ?

閑話休題

問題.「大事だ」とか「気にかけている」を伝えなさい。ただし、「好き」や「愛してる」を使わないものとする。なんて答えますか?1つの解は、「お茶つごっか?」だと思っている。食事中、相手のコップが空になっていることに気づく気配り、注いであげるほんのちょっとした行動。その人からもらった嬉しいの総量が閾値を超えたとき、人は人を好きになると思っていて、嫌われる勇気みたいな言葉もあるけどせっかくなら好かれたい人好きなので、繰り出せる嬉しいの種類は多い方がいい。自分のコップの満たし方は分かったし、たぶん幸か不幸か元々そこまでコップが大きくない人間なので今年はこんな自分になりたいと描きます。自身へのハードルを一段階大きくするにはもはやこれしかないのではとも思う。

 

2021年「誰かのコップを満たす。」

 

お茶がいいのかな。お茶でいいのかな。コーヒーが飲みたいかな?スタバの新作マスカルポーネペペロンチーノのラテがいいのかな?いや、そんなのあったっけな?イメージとしてはシャンパンタワーの上から下へ、自分で留めず誰かに返していくイメージ。誰かのコップを満たそうとすることが、自分を満たすことにもなる。当然自分が満たされていないと誰かにも分け与えられない。そもそも自分が提供できる種類の幸せ(と言うと恥ずかしいけど)で満たすことができるのか?足りてる?お口に合う?「誰か」と聞いて浮かぶ顔それぞれに問うてみると、コップのサイズも中身も人によって違って、僕から提供できるものがハマるかどうか、そこには自分の市場価値とか将来性とか否が応でも向き合わざるを得なくなったりして怖くもなる。「うわっ、、、私の年収低すぎ、、、?」はインサイトぶっ刺さりの名コピーだと思うけど、じゃあいくら欲しいの?そのための価値は?をちゃんと問うてくる前門の虎後門の狼。挟まれて逃げたくなることもあるけれど、大晦日に1人東京をうろつく自由と楽しさは本当にお腹いっぱいになったので素直に誰かに返そう。

何もそれだけが正解じゃないって断った上で、世の中のケッコンした2人はそこを乗り越えたんだよなぁって気づくと頭が上がらない。とんでもない筋肉痛で夕方まで寝てた1月の2日。照れながら踊るガッキーを目に焼き付けて、逃げ恥を見ながらそんなことを考える。「逃げるは恥だが役に立つ」ってハンガリーのことわざなのね、知ってました?

ちょっと前に僕らの野球部の中で誰よりも早く父親になった親友が「ただ人として相手をしっかり見ること。それだけ。」と結婚の心構えを語ってくれたことがあったんだけど、誰かのコップと向き合うってこれか!ってなってる。作業的に満たすのではなく、giveの精神、for youの面構え、take careの心配り。関係ないけどtake careって語感が好きで、お笑いライブを一緒にやってる先輩が急造コンビを組むことになったので「テイクケアーズ」ってコンビ名を提案してみたらけっこう高評価。いいね!をもらって調子こいて別の案、先輩2人が埼玉と札幌の出身なので「タマポロ」はどうですか?って出したら速攻で却下されて恥ずかしかった。誰かにあげたいコンビ名を考えるのは楽しい。誰かのコップを満たすのは難しい。

あんまり占いは信じないけどゲッターズ飯田氏によると今年の僕は「楽しいことや面白いことの質が変わる年」でもあるらしく、そんなの誰でも新年はそういうものだろ!って最初は思ったけど、「質が変わる」って語の言い回し自体は芯を食ってて納得した。こだわってるように見えて底浅ですぐに満たされる自分のコップは早々に満たし、次の誰かのコップを満たそう。満たせるかな?30になる年にそんなことを思う。人って変わらないと思ってて、自分のコップの中身はそう変わらないからこそ、誰かに与えたくなるのかもしれない。

 

昨年、仕事先のある社長さんが話してた言葉が印象的だったのでスマホのメモに書き留めている。コロナの影響をどう捉えるか。ピンチはチャンスなんて使い古された現実逃避のお慰みじゃなくて、コロナで売り上げも確実に減ってしんどい思いをしてるはずなのに、淡々と現実と向き合い、話されていた。

「たしかにネガティブな影響をもたらしているけれど、必要に迫られなきゃ人って変わらない。善し悪しはさておき、コロナもペストも戦争も大きな変化のきっかけになった。その時、誰も“戦争”があってありがとうとか、コロナの“おかげ”だなんてのは口が裂けても言わない。言えないし、言いたくもない。できればない方がよかった。けれど、そもそも変わるってのそういうものでしょ?」

なかなかご飯もいけないですが、必要に迫られてる僕から言わせてください。お茶つごっか?って。今年もよろしくお願いします。

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ブログを書くようになってから1か月以上更新が空いたのはかなり久々で、元々腹の底から言いたい何かがある人間ではないと再確認する。自らの主義主張はないけど、こんな話Aとこんな話Bがあって、いつかそれらが重なって自分の支えになるかもなって書いておく。

こんな話Aとこんな話Bは別のところからやってくる全然別の価値観と出自。例えば学生時代バレーボールサークルとお笑いサークルに所属していたんだけどそれぞれでよろしわろしがあるわけです。ものすごい居心地が良い反面、両方にハマってない感覚もちょっとあって、陽キャっちゃ陽キャなんだけど、陽キャの中では陰な部分があって押したり引いたり冷めたりハッタリ、人対人の際(きわ)で気後れすることがある。何度でも思い出すけど新卒採用博報堂の3次試験グループディスカッションでこんだけお喋り人間が何一つ自分の意見を言えなかったのです赤坂サカス。

その一方、根っこは陽なので陰にも染まらずハマらず。お笑いサークル員のバイブル松本人志『遺書』で書かれてる面白いやつの三大条件の一つ「根暗」を見るに、あれあれれ。自分が“面白い”と思ってたものは“楽しい”でしかなく、明るく社交的なやつは内容は薄く飽きられやすいと書いてあって、あれあれれ。「お前みたいなやつはどこにもハマらない」って声のでかい先輩に言われて、いやめちゃくちゃ言葉のナイフ!と思ったけど言い切ってもらった方が楽なこともある。なに、よくある10代後半から20代にかけてのようこそ絶望こんにちは赤ちゃんで、そのジメジメジュクジュクをまんま見せるのはダサいことに20代後半で気づいて生きやすくなるための通過儀礼よ、人生100年長い目で見たらまだ夏真っ盛り。

この夏、トキワ荘ミュージアムに行った時のこと。親父の書斎の分厚い分厚い『まんが道』を読み漁ってた子ども時代だったので、「ウワァこれが本物のラーメン松葉だ!」「そうそう、テラさんがみんなを繋げるんだよなァ!」みたいに1人時代背景を呟いてはしゃいでたら、同行者の友人に「ホントそういうのよく知ってるよな」と感心された。お笑いサークルの人たちの中ではむしろカルチャーに疎い人種なんだけど、コミュニティが変われば詳しい側になれるらしい。「人生の中で持っているバックグラウンドこそが一番の差別化要因」って瀧本哲史先生も仰っている。体育会系=陽でもなければ文化系=隠でもないし、狭い2択に当てはめて楽観も悲観も意味がないのよ私は私、私以外私じゃないの。バックグラウンドを多めに持っとこうと思う、種族として生き延びるために。

自分からこんな話Xを作り出すことはできなくても、Aから仕入れたこんな話AをBの人たちにBから仕入れたこんな話BをAの人たちに。そういう意味で、色んないい話を仕入れられる出版社で勤めてるのは単純に機会が多くて幸い。腹を抱える面白さはそれが得意な誰かに任せるとして、誰かにとって新しく、発見があって、役に立つ話になれば幸い。早速、こんな話Aを引用するところから始める。

 

テレビ好きの人でテレビウォッチャー飲用さんをフォローしてない人のほうが少ないと思うけど、こんな記事を書かれていてとても興味深かった。

ナイツ・塙が語る“テクノ漫才”と、その効用「途中でなんで笑ってるのかわかんなくなってくるっていう」|日刊サイゾー

とある番組、ナイツ塙とラッパーBozeの対談にて、以下飲用さんツイッターより引用。

ナイツ・塙「2007年ぐらいにPerfumeが『ポリリズム』って曲で出てきたときに、やっぱりテクノいいなって思って、もう1回YMOを聴きてぇなと思って、2007年ぐらいにもう1回YMOを毎日聴いてたときあって。そのときにやっぱ俺YMO大好きだなと思って。YMOが一番好きだから、YMOを漫才にできないかなと思ったんですよ。YMOって要するに、機械でピコピコピコピコピコピコ…」 

Bose「一定のリズムでね」

塙「途中で不協和音みたいな、トゥントゥンとか跳ねたりするじゃないですか。このイメージで今やってるヤホー漫才っていう小ボケをずっと重ねていく、あれをやっていくと、普通の漫才だったら4つぐらいボケたときにツッコミが『お前小ボケ多すぎだろ』って止めちゃうんですよ。だけどそれを止めないことで、ループすることで、聴いてる人が…」

Bose「グルーヴなんですよね。どんどん気持ちよくなってきて、途中でなんで笑ってるのかわかんなくなってくるっていう」

塙「そこが狙い。うねりを起こすというか。そのイメージで作ってそれで初めてM-1の決勝に出たら、思いっきりテクノカットの(オードリーの)春日に負けた。」

塙さん曰くバイキングの小峠さんはパンク好きでよくカラオケでシャウトしてるらしい。バイキングのネタを思い浮かべたら納得である。聞いてきた音楽をベースにネタを作ったらいいネタができるかもと話されていた。

人が、かけてきた時間と経験とその時々の感情でできているとしたら、自分が耳に入れてきた音楽も大いに影響しているわけである。なかなか気づかないし気づきにくいけど。コンビ組んでるミサワ君にたまたまその話をしたとき、彼は戦隊モノやアニソンを聞いて育ったらしく、アーティストで言えばポルノグラフィティが一番好きだと言っていた。「俺みたいな陰キャはポルノが好きなのよ、ポルノは陰キャたちの星」と言ってて、いや、陽キャもポルノ聞くけどなと思った。大統領の名前なんてさ、覚えてなくてもねいいけれど せめて自分の信じてた夢くらいはどうにか覚えていて。by『アポロ』

 

「小学五年生、中学二年生、高校二年生のときにハマったジャンルは一度熱が冷めても再燃しやすい」って昔ツイッターで流れてきた。音楽に限らずお笑いに限らずだけど、当時の自分は何を取り入れていたんだろうか、音楽好きからすると幾分浅瀬で波打ち際のパシャパシャではあるけど書いてみる。

何よりJ-popで出来ていて小5で平井堅を知りミスチルを聞いて中学でバンプを通るこのノンポリ具合。高校はRIP SLYMEMONKEY MAJIKを聞くことがかっこいいと思ってたし、今じゃ恥ずかしいけど田舎の高校生にゃEXILEは避けては通れなかったス俺なんてKAKEって呼ばれてたからねマジで、親からだけど。youtubeを覚えてポケモンのサントラ、デジモンのサントラで歌詞を消して受験を終えて、バンドやってる従兄弟にチャットモンチーを教わり、大学で奥田民生を知ってPUFFYに気づいて何よりカラオケで色んな人の曲を浴びるように聞いた。そいや、当時の彼女に振られた時は前述の声のでかいロン毛の先輩がカラオケで「元祖高木ブー伝説」を歌ってくれた。なんだこの歌は。お世話になってる人なので告知しておく宇多田ヒカルやアニソン、ハロプロのリミックスがこちらから無料で聞けます。消費者金融に借金してDJ機器一式を揃える声のでかい人です。

https://m.mixcloud.com/negumakoasa/

 

これは僕の1つの特技なんだけどおよそカラオケの履歴を見ると、ジュークボックス的にサビを空で繰り出すことができる名付けてヒューマンジュークボックス。あとドにはミを重ねる相対音感、出しゃばり過ぎないように気を付けつつ大体ハモれる。じゃ俺King Gnu 井口さんバージョンやるからお前aikoのカブトムシお願いします。分かりましたウィン(自動ドア)、いやコンビニ店員じゃねぇよ。

根っこはJ-popの王道のメロディとかジャニーズの頭軽くなるような歌詞とかでできているんだけど、その一方でただ情報が並べられた無機質な歌詞の羅列も好きで、この辺りからコピーライターみたいな職種に興味を持ち始めてる。

斉藤和義の『幸福な朝食 退屈な夕食』の意味ない文字情報を積み上げた先の読後感や、トータス松本『涙をとどけて』で語られる部屋の景色それら情報が伝える切なさ無常それでもって心意気とか。書いてみるから聞いてみて。

“積み上げた雑誌と 将来の夢
「泣けるよ」と言われて借りたDVD
買ったっきり一回しか履いてない靴
ポタポタと落ちる蛇口の水
やけくそのカラオケ 笑えないテレビ
そんな日々をただ僕は泳ぐ
だけど希望もそれ以上の意地も
ここにちゃんとある この胸に”

 

今年、まだ若くして亡くなられた広告クリエイティブのパイオニア岡康道さんが手がけたJ-PhoneのCM、最初はなんとも思わなかったんだけどこの自粛期間、好きな人たちに会えなくなって当たり前が当たり前じゃなくなって初めてその愛おしさが冷たく肌に触れる感覚ってあったじゃないですか。なんでこれがケータイのCMなんだろうって初見はなる。なるんだけど受け取り手のリテラシーを全面に信じてる、寂しさと愚かさとくだらなさひっくるめた人間愛。読後感の設計がえぐいCMです字コンテを添えて。貼っておくから聞いてみて。

www.youtube.com

(bgm エーデルワイスが流れてる♪)

届かない言葉。零れない涙。笑わないテレビ。本当の君。意味のないそれを、僕は死ぬ程、愛している。

とあるコピーライターの先生が言っていた「言葉は刺激物、読後感こそ作品」と「言葉はすべてのクリエイティブの最小単位」という考え方がとても好きで、僕ごときでも言葉に真摯でありたいなぁと紳士に思う。

 

最近はあまり見かけなくなったけど、巷で「おもしろきこともなき世をおもしろく」って言ってる人に面白い人はいない。“趣味「人間観察」”とかって言っちゃってる時点で、他人からどう思われているか観察できていない人もいる。「秋っぽいことしたーい!」って言う人は他の季節でも言っているし、誘われ待ちで行動には移さない。言うだけ言ってみるといい、落ち葉を踏みしめに行きませんか?って。難しかったら紅葉の効用を見に行こうようでもいいから。春は桜を枕にしたことありますか?って。夏はくるぶしを海水に浸しませんか?って。冬が寒くって本当に良かった 君の冷えた左手を僕の右ポケットにお招きするためのこの上ないほどの理由になるから。って。by『スノースマイル

 

自分の人間としての底の浅さを突き付けられたお笑いサークルは、飲み会ではただ笑わせてもらうしかできず、なんならネタをやらないスタッフさんのほうが笑いを取ってることもあって歯がゆい思い出も多いのだけど、ぶっ飛んだ才能を間近で見られたことは自慢で誇り。並外れた発想力と豊かな言葉の引き出し(と形容するのが才能の割に普通すぎて申し訳ないくらい)で大喜利チャンピオンになった先輩片野さんは、ショートショート大賞でも受賞されて作家デビュー。天才奇才のペンネーム洛田二十日さんの受賞作はこちらから読めます。貼っておくから読んでみて。

[試し読み] 第2回大賞「桂子ちゃん」洛田二十日|第3回 ショートショート大賞 | KINOBOOKS(キノブックス)

出版社員の出番とばかりに早速寄稿を依頼できたのもちょっとした嬉しいお仕事。弊社の企画よ、見てみてみ。

今夜も窓に灯りがついている。 | ブレーン | 雑誌・書籍を読む | 宣伝会議オンライン

 

まじで知らん登場人物のわけわからんエピソードに困惑すると思うけど、自分たちで面白いことやってやろうってあの頃のヨセケンの空気感を時々思い出す。自分は新しい何かをやれているのか。前例のないチャレンジができているのか。ワケわからん仕事ができているのかってたまに問いかける。こうしたい、ああしたいがないくせに油断するとすぐ「秋っぽいことしたーい!」って言っちゃう側なので、何か提供する側にいられるように。お笑いサークル時代の忘れられない伝説のイベント、その名も「牧の机を作る会」を書いておきます。

2012年の7月、ある1通のメーリスが届く。4年になってサークルを引退して暇でしゃあない例の声のでかい先輩から。

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夏だ!海だ!机だ!
ということで今年もこの季節がやってきました。
夏と言えば勿論、毎年恒例の「牧の机を作る会」の季節です。
牧の机を作る会とは、 この時期になると毎年机を欲する牧のために、 机をみんなで作るという会です。
ちなみにこれが去年の牧の机を作る会の様子です。

(ってここで表示されてるURLを押すとおじさんと木材の写真が出てくる。なんやそれ)
7/31(火)午後13時からやります。来週です!
場所は理工学部のものづくり工房という道具が何でも揃っているテ ンションがいくらでも上がる場所でやります。
以下のような人は是非お越しください。


・ 内に秘めたるクリエイティビティを発揮する場がなく歯がゆい思い をしている人
・日ごろから机を作りたいなあと思ってた人
・気づいたら机のことばかり考えてしまっている人
・机の角で女があれをあれしてるあれを見ている人
・日頃余った材料でちゃちゃっと机を作っている人
・変な机を作って牧に微妙な顔させたい人
・片野


以上、きたい人はこちらのアドレスまで

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当然そんな恒例のイベントなどない。当時僕代表やってたんだけどOBからの突然のワケわからんメールに腹抱えて笑った。この牧さんはスタッフさんとして入ったのに、演者の先輩の前でも臆せずハーマイオニーの物まねを披露する陽気な人で、ご実家の学習机を処分せざるを得なくなり、ちょうどいい机を探している時期だったらしい。なかなかいいのがなくてお母さんに相談したところ「ヨセケンのあの声のでかい人に机作ってもらえば?」って言われたらしい。母娘揃って変だ。とにかくロン毛の声のでかい先輩はたしか藝大を受けたかなんかで彼なら出来るんじゃないかって、話してみたところ企画が形に。実は早稲田の理工キャンパスにそういったモノづくりが誰でもできるスペースがあるという。それでさっきのメーリスが届いたってわけ。僕は行けなかったんだけど10人以上参加表明したんじゃないかな。行けてないからメーリスを見るしかない僕らに当日続報が届く。

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2012年7月31日(火)12時53分
牧の机を作る会は中止となりました。

机を作りたかった人、申し訳ありません。


そして新たに牧の椅子を作る会が発足しました。
机を作りたかった人、来なくても大丈夫です。
椅子を作りたいという方だけ、 理工学部61号館1fモノづくり工房へあつまれ!

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多分なんかトラブルが起きとる。机から椅子に方向性が変わっとる。

その後のメールにまた腹抱えて笑う。

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2012年7月31日(火)14時22分
今から花やしき移動します。

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どうやら早稲田の工房みたいなところに結構な人数で行ったんだけど、まぁふざけた趣旨の、ふざけた会の、ただでさえふざけ倒したメンバーなので「そんな服装ではできません」と門前払いをされて、急遽十数人で暇だなどうするよってなった結果、花やしきに行くことになったらしい。 以上が「牧の机を作る会」である。この話が本当に好きで今でも思い出しちゃう。

ワケわからん無邪気な言い出しっぺの願いを叶えてあげようと、無いなら俺らが作ってやるぞって立ち上がった男たちが、トラブルを乗り越えた結果、遊園地に行く話。示唆に満ちてそうで何の意味もないただの思い出話。

なんで今更こんなこと書いてるかって理由は1つ。

片野さん、牧さんご結婚おめでとうございます。お付き合いして10年。サンボマスターのライブに一緒に行って帰りに付き合うことになった話、とても素敵で好きです。お二人に色々とお世話になったので、いけ好かねぇでしょうけど残しておきました。おめざいます。末永くお幸せに。

 

 

 

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【ご説明】前回身内で好評だった企画、僕プラス友人4人のエッセイ当てクイズ。

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今回は新メンバーとして僕らの高校の美女3人が参戦ありがたや。キャプテンには引き続き付き合ってもらって、また書くよ1人1000字の駄文散文。コロナコロナはもういいの。当たり前が当たり前じゃないって知った後で、当たり前じゃないのが当たり前になっていくのを目の当たりにする、これぞニューノーマルねって立ち向かうアラサー男女5人の胸の内、頭の中、心のお椀。前回以上に知らんがなだと思うので簡単に紹介します。

・あやのちん、メディア勤務。業界が近かったりするから仕事のお話もたまに。丁寧な暮らし。絶世の美女。高校の時話したことあったかな?って仲良くなれて嬉しい人の1人。僕を呼ぶ時は「ほしかわ君」。いいね、懐かしくなるね。


・磯やん、メーカー人事。中高同じで気付かなかったけど本当に綺麗になられた。メキシコからコロナで帰ってきてたくましくなった一方、将来の不安をたまにもらしてるけどきっと大丈夫ラキラキベイブ。僕を呼ぶ時は「ほしかわさん」。親しき仲にも礼儀ありってわけ、なんとなくリスペクトを感じるのいいよね、逆にね、逆に。


・みむさん、みんなの妹。無邪気、天真爛漫、面白さと可愛らしさと、あとたまに毒がある。解毒剤はない。僕を呼ぶ時は「貴様」。なんだろう、僕なんかしたかな?コロナ全盛期、元気?って連絡したら「言っちゃっていい?今死んだ人言っちゃっていい!?」って鬼滅の刃の展開言おうとしてきた。なんでだよだめだよ。


・奥ちゃん、霞ヶ関。前回に続いて参戦したがなかなか遅筆。新政権だから仕方ない。ゆっくり待つ。僕を呼ぶ時は「干しちんぽこ」。はい?干し椎茸みたいじゃない?って言ってくるけど、視力か聴力か学力かどれかが狂ってる。僕は彼を「奥ちんぽこ」と呼ぶのだがお互いめんどくさくなって、ちんぽこ今週ヒマ?ヒマだよ、そっちのちんぽこは?って奇妙な会話をしている。

 

・僕、出版社員。文章は僕、話す時は俺、仕事はわたし、照れたらわし。ちなみに2020年3月31日時点で歌詞が公開されているaikoの楽曲236曲のうち、自分のことを“あたし”と呼んでいる曲:88.5% 自分のことを“あたし”と呼んでいない曲:11.5%だそうです。で、面白いのが「あたし」の次に多いのが「わたし」ではなく「僕」なんだって。僕も、僕らも、私たちも今、表記揺れを生きてます。

aikoの歌詞「あたし率」はどれくらい? “指先”など登場回数の多い体の部位も調査 - エキサイトニュース

 

A、B、C、D、Eさぁ当ててみよ。(配点 菅新首相から新婚さんへ上限60万の補助金)

 

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A

10代の頃に見ていた恋愛バラエティで「合コン」という言葉を聞いて、私も大人になったらするのかな?イメージができないなぁと思っていたけど、たまにしている。梅酒が美味しいなと思っていた時期はあっという間に通り過ぎて、飲んだことない日本酒に出会うとわーいと楽しくなっている。大人になりました。銘柄は覚えていません。

認めたくないけれど25歳も26歳も27歳も28歳も年下なのである。19歳なんて住んでいる世界が違う。どんな音楽聞くのかな。19歳の時の自分はあまり思い出せない。思い出せないけど、楽しかった気がする。

大人になって変わったことはいくつかあるけれど、「かわいい」という言葉がそんなに好きではなくなってきた。よく知らない、あまり親しくない人に「かわいいね」って言われると、なんだかちょっとなめられている気持ちになる。嬉しかったはずの言葉が不愉快になるなんて驚く。だからこそ逆に、ずっと友達でいてくれる人からの言葉はとても信用できる。やたら画質の良いスマホはつまらない。

これから先出会う人と毎回、どうも、あなたともしかしたら何かあるかもねってメイクしたりするのはとことんめんどくさい。でも自分が思うきれいな自分でいたいなとは思う。上手にできた日は出かけたくなる。それこそ飲みに行きたい。ハイボールも飲めるようになった。しばらく新しい下着は買っていない。リップもプレゼントでもらったきり。なかなか減らない。脱毛はしててえらい。人生で一番高い買い物が脱毛になるなんて、恋愛バラエティは教えてくれなかったけど。

たまに、前に付き合ってた人の今の好きな人の話を聞くと、胸が狭くなる。この気持ちと付き合い続けなくちゃならないのねってあきらめる。嫌ならフォローを外せばいいだけのこと、会わないように考えないようにする。答えはいつも薄情。白状なさい。

何にでも笑を付ける人が苦手。「おはよう笑」ってやめて。「料理とかするの?w」ってなにがおかしいんだろう。身長とか見た目とかより、ちゃんとしてる人がいい。一歩間違えれば高望みしすぎだよって言われるから、好きなタイプはふつうの人って答えてる。きっと、ふつうは、ふつうの少し上。

気に入られようとするのを少しずつやめてみる。自分のために化粧をする。奨学金を返す。髪の毛先も指先も、なんだかいつも痛んでる気がする。可愛いと言われたいから笑うのではない。笑顔は自分のファイティングポーズ。自分のために笑う。自分のために笑う。(ミスドのメロディで)良いことあるぞ〜自らそう誓うっ。

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B

土鍋でご飯を炊くようになった。理由はしょうもないもので、一人暮らしを始めるときに親に買って貰った炊飯器がダメになってしまったから。家電量販店で買い替えようとするも、どのレベルのものを買うか悩むうちに、踏ん切りがつかなくなった。一人暮らしももう10年以上経ったのだなと思う。とりあえず土鍋で代用していたうちに、すっかり定着していたのだ。

 

この話をすると、「やっぱり、土鍋で炊くと違う?」とよく聞かれる。普段気にしたことは無かったので、この機会に考えてみたい。

 

炊き方はシンプルにやっている。洗ったお米を水に30分ほど浸したのち、土鍋に入れる。蓋をして、強火で約8分。鍋と蓋の隙間や蒸気穴から湯気が立ってきて吹きこぼれそうになるので、ここで弱火に変える。弱火にしても土鍋の温度は急には下がらないので、吹きこぼれ防止として蓋を開ける。するとふわっと蒸気で顔が包まれ、いい~香りに満たされる。心がほころぶ。蓋を戻して弱火で約10分、火を止めて約10分置いたら完成だ。

 

いざ食べようと杓文字でよそう時、鍋底の方にぱりっとお米がくっついているのが分かる。土鍋で炊くとよくおこげが出来る。1合炊きの場合で、3~4口分くらい。これは得した気分になる。肝心のお米の味は、炊飯器のときと明らかな違いは分からないけれど、お米の風合いがつやつやしている気はする。

 

山菜、あさり、梅しらす、鯛…、炊き込みご飯を作ることに身構えないようにもなった。具材と調味料を入れるだけで失敗無く仕上がってくれる。炊飯器でもできるけれど、汚したくないとかニオイを付けたくないと考えるせいか、以前は尻込みしていた。

 

そういえば、「子供の頃、家族が多くてしかもよく食べるのが揃ってたから、親が大きな釜で炊いていた」と話してくれたのは会社の次長。100キロ近い強面の男性の小さいころを想像して、不躾ながら可笑しくなった。「実家が農家でお米を作っているけど、土鍋を使ったことなんて一度も無い」と一蹴する人もいた。どう炊こうが美味しそうだ。面倒だから、家ではほとんど食べない人も。一気に炊いて冷凍する人も。人のお米事情も十人十色。

 

近々、参鶏湯を作りたいと思っている。鶏もも肉をどんと鍋で茹で、生姜・ニンニク・八角・ナツメ…など、スパイスを入れて煮込むようだ。お米もほんの少し入れてスープをたっぷり吸わせて。うーん美味しそう! 今は土鍋のある生活を楽しんでいる。

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C

『誰にでも不幸でいる権利がある。』

大学生のころに見たフランスのおしゃれ映画「アメリ」の中のセリフを最近になってふと思い出すことがある。

見た当時は、内容がさっぱりわからなかったし何となくおしゃれな女の子とパリの素敵な街並みだけが印象的な映画とだけの記憶だったけど、なんとなくこのフレーズを最近になって思い出したときちょっぴり救われたような気持になった。

近頃はなんだか漠然と周囲から「幸せでなくちゃいけない」とか「美しくなければいけない」といった圧力を勝手に感じてしまうことが多い。

 

『ブスはブスなりにもって生まれた自分の顔を結構気に入ってたりするのよ、でも周りがそうさせてくれないんじゃない。』-堺雅人主演リーガルハイ第3話-

整形美女と結婚した旦那の裁判のお話で整形美女妻が語るセリフ。

これも最近になってよく思い出すフレーズ。雑誌やテレビやyoutubeは似たようなメイクや髪形、ファッションで溢れていて、イエベの人はこのメイク!とかウェーブ体型の人はこれを着たらNG!だとか、流行りはめくるめく勢いで変わっていくしなんだか息苦しさを覚えちゃう。

 

『大切なのは彼女が年を忘れること。』-ハウルの動く城 宮崎駿インタビュー

ちょっと肌寒くなり秋を感じる季節になると観たくなる映画の一つが私にとっては「ハウルの動く城」。子供のころ初めて見たときは突然老いたり若返ったりするソフィーの描写についていけず、「駿、狂ったか。」と思っていたけど、後に彼女の心の年齢を表していると知ってからは「やっぱり駿、狂ってるな(いい意味で)」という評価に転じ、キムタクの美声も相まって好きなジブリ映画の一つになった。

もし今自分の心の年齢の見た目になったら、私は何歳くらいなんだろう。

思えば、小さいころからずっと少女のようにあほで何も考えていない幼稚な自分と、おばあさんのように枯れて一歩引いたところから冷ややかに世間を見ている2つの自分がいると感じていた。年を重ねるにつれて少女と老婆のバランスは多少変わっていったり、その時々の状況に合わせて調整のようなことをするようになっていったけど、うすうす気づいていたことがある。『年頃の自分』がどうもいないのだ。10代後半~20代、まさに今の等身大の自分くらいのわたし。たぶんそれがこれまでに感じてきた生きづらさとかの大きな要因の一つなのかなと思う。いつの時も実年齢と心の年齢があまり一致してこなかった。

そのせいなのか、学園青春物のドラマや映画をどうも心から楽しめない。

決して若者の青春へのやっかみではないと信じてもらいたい。

 

なんだか、ここまで読んだ方には「アラサー独身OLが病んでいるみたいだけど大丈夫だろうか。」と不安になると思うが、私はいたって元気いっぱいであるし、特に悩みもない。(強いて言えば寝つきが悪い事と、実家にお化けがいるかもしれないことを悩んでいる。)

 

ありのままの自分を受け入れ、不幸も楽しんじゃえるような、少女のような好奇心を持ち続けている女性になりたいと心から思う。

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D

昔から自分を晒すのは苦手だった。

色んな体験と考えを綴る彼には敬意と羨望と。

徒然なるままに日ぐらし、硯に向かっても、走るのが苦手な私の筆が勝手に走る訳もなく。

本当は硯に向かうこともなくひねもすのたりのたりかな。

やおいかんなんて使ったこともないふるさと言葉片手に初恋の話でもしてみようかな。

 

I have a dream~とキング牧師が語ったのはもう50年以上前。

皆さんなら~には何が入りますか?夢を叶えた大人が夢を持つことの大切さを教えることは多いけれど、身近な人の夢は知らなかったりする。

彼の演説の本質では全くないけれど、夢中について考える今日この頃。

行ったり来たり道は広がっても自身の幹の細さに絶望する夜がある。

そんなときのために大器晩成って言葉はあるのよ。自分に言い聞かす。元気になる。

脈略のない話を続ける。

子どもの頃ってどうしてあんなに毎日が楽しかったのだろう。登下校すら冒険だった。実家に帰って二日酔いの私のところに甥っ子がやってくる。お昼寝に誘ってもすーすーすーはいお終いと言われる。最強。結果お昼寝ビームを10発も放てば2時間経っている。すっかり昨晩のお酒も抜ける。眠さは増す。

 

好きなタイプを聞かれることが増えた。

品のある人だなんて答えをするけど、子どもの目を開くタイミングが同じ人なら素敵かも。ずっと一緒にわくわく。あなたはもう少しオトナになりなさいって言葉にはアラサーの耳をそっと閉じる。

 

悲しいニュースが続く。

きっと悩みに年齢や能力は関係ないのだろう。雲の上の金メダリストにもノーベル賞受賞者にも悩みがあって甥っ子にも悩みがある。私も人並みに苦しいことはあるけどヒーローショーで大きな音がする度泣いちゃう甥っ子ほどの悩みは今のところない。

 

鏡を覗く。コンタクトを外してすっぴんの顔は見えないけれど、そのままえいやと走りだす元気くらいある。

季節を感じる機会が少なかった今年。気づけば秋。今年はどんな秋になるだろう。私にもあなたにも実りの秋になりますように、栗ご飯を食べながら願いを込めて結局初恋の話はしない雑文にひとまず幕を下ろすことにする。

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 E

最近私の中でひそかにブームになっているものがある。
おっとっとである。
皆さんも慣れ親しんだスナック菓子だと思うが、最後に食べたのはいつか覚えている人はいるだろうか?
きっとこの美味しさをすっかり忘れてしまっているのではないだろうか。

 

おっとっとの最大の魅力、それは食べきりにちょうど良いサイズ感そしてノンフライであることだ。私も今や立派なアラサー、口にするもののカロリーは気になるお年頃である。サイズ感と「カルシウムたっぷりノンフライ」のあおりは私の間食に対する罪悪感を和らげてくれるのである。ちなみにおっとっとは1982年に発売を開始し、約40年の歴史を持つロングセラー商品である。それだけの期間、子供たちのために販売が続いているということは体に悪いものであろうはずがない。私はこれからも安心しておっとっとを買い続ける。

 

そしてなんと今はポケモンとおっとっとがコラボしている。おっとっとのバーコードを3枚集めると抽選でポケモンのぬいぐるみが当たるのである。私はすでに4口分ほど応募できるだけのバーコードを集めている(応募はがきの年齢欄に年齢を記入するとき少し辛い)。
また、スナックの形も海の生き物だけではなくポケモン型も入っている。最新のものばかりでなく、ピカチュウやらゲンガーやらカビゴンもいるのだ。第一次ポケモン世代というべき我々アラサーの心をも掴む演出である。

 

そんなおっとっとの憎いところは、欲しいと思ったときには売っていないことだ。ドラッグストアやコンビニで出会ったことはまず無い。私の最寄りのスーパーでは特売の日に設置される什器にたまに陳列されることがあるので、この日は迷いなくおっとっとを買いだめする。大きなイトーヨーカドーに行くとうすしお味とコンソメ味が両方置いてあるのでどうしてもおっとっとを買いたいときはヨーカドーへ行くことにしている。皆さんにもぜひ、自宅の一番近くでおっとっとを買える場所を探していただき、「よく知っているけれども探すと意外に出会えない」感覚を味わっていただきたい。そしておっとっと沼にはまっていただけることを期待しています。